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80 競売

 一度燃え上がった炎はそう簡単に消えたりはしない。


 競売のその日まで、何とか噂が沈静化する事を祈っていたのだが、結局『転換する人面(リバース・フェイス)』を巡る騒動は静まることはなかった。

 シトリーに煽られてお嬢様に火がついてしまったのだろう。

 噂では、父親であるグラディス卿に相当な無理を言って資金を調達しているらしい。普段は少し大人びていると言っても、所詮は子供という事か。感情の制御がまだまだ甘いのだろう。


 例年ならば、オークションの前には幾つか目玉の商品について噂話が出回るものだが、今年の帝都は『転換する人面(リバース・フェイス)』の話題一色だった。

 そこまで話題になればどうしても乗っかるハンターもいるようで、僕の想像とは違い状況は混迷を極めていた。ラウンジに行っても、出る話題はそればかりだ。


 うんざりしているのは張本人のはずの僕とエヴァだけのようである。

 クランマスター室でだらだらしていると、シトリーが戦意満々で、以前見せてくれたトランクケースよりも一回り大きなトランクを眼の前に置く。


 淡いピンクの目が静かに燃えていた。リィズのようにエネルギーに満ちた物ではなく、外に輝きを漏らさない静かな戦意だ。


「結婚資金と合わせて約九億と一千万ギール集めました。確実に仕留めます。ティノちゃんも少しだけ寄付してくれました」


 もう集めなくていいって言っているのに……。偽りの上限を教えて牽制までしておいて、余りの大人気なさに変な笑いが出てくる。


 底なしの泥沼に嵌ってしまったかのような心地だった。ここまで来てしまえば、僕が『転換する人面(リバース・フェイス)』を欲した理由については墓まで持っていくしかない。


 ここしばらく、身を粉にして状況の沈静化に走っていたエヴァが引きつった表情で言う。


「クライさん、十一桁に近づいてます」


「…………わかってるよ」


 今回一人勝ちするのは宝具を持ち込んだアーノルドくらいだろう。競売の手数料は売上額に比例して大きくなるはずだが、誰が競り落としたとしても本来想定していた額と比べれば莫大な額が懐に入るはずだ。


 賽は投げられた。もう僕に退く道は存在しないし、退いたとしても火は収まらない。

 着地点が全く見えない。これは……どう転んでも僕のメリットにならないのではないだろうか。


「……どう思う?」


「正直、ここまでくると不利ですね。グラディス伯爵家にもなると、借金の申し出を受ける商会はいくらでもあるはずです。グラディス卿がエクレール嬢の『お願い』をどこまで聞くかによりますが、グラディス卿もなかなか過激なところがあるので……」


 競売関連の騒動が始まってからずっと、エヴァの表情は優れない。

 権力、資産、そして武力。三つが揃った真っ当な貴族の本気に、庶民な僕達が正面から打ち勝つのは難しい。わかっていた事だ。


 だからこそ、説得に向かったのだ。あっさり失敗してしまったが。


 聡明なシトリーも同じ意見なのだろう。小さく頷き、僕の方を上目遣いで見る。


「そうですねぇ。万全を期すのならば私も商会と交渉してお金を借りたいところですが……」


「必要ないよ」


「でも――」


「必要ない」


 研鑽を怠らない優秀な錬金術師である彼女の生み出すポーションは他の錬金術師や薬師が作る物よりも高い効果を誇り、巨万の富を産む。

 借金の申し出を受けてくれる商会は探そうとすれば幾つも見つかるだろう。だが、このタイミングでの借金の申し入れの意味くらい向こうも理解しているはずである。

 予備の機材や備蓄のポーションまで処分させておいて今更だが、今借りを作れば、今後のシトリーの活動に悪い影響を及ぼすかもしれない。それは頂けない。


 シトリーは頬を少し膨らませ、不満の表情を浮かべていたが、笑いかけてあげると諦めたような笑みを浮かべた。


「……わかりました。クライさんがそういうなら、必要ないのでしょう。意図はわかりませんが……まだお姉ちゃんが高く売れる宝具を持ち帰る可能性もありますし……」 


「あー……うんうん、そうだね」


 頷いて見せるが、リィズが高額の宝具を持ち帰る可能性はかなり低いだろう。

 この時期の帝都近辺の宝物殿はハンター達の注目の的だ。宝具が現れてもすぐに取られてしまうだろうし、そもそも宝具というのはそう頻繁に現れる物ではない。リィズは強いが、ソロで梯子できる宝物殿には限界がある。


 結果がどう転ぶにせよ、今回は皆に迷惑をかけてしまった。

 シトリーにリィズ、エヴァとティノに――マーチスさんも。

 そして、マスターである僕が騒動の中心にいた事で、肩身の狭い思いをしたクランメンバーもいるだろう。


 この競売は戦争ではない。祭りだ。もっと楽しいはずのものだったのだ。

 散々な目にあった。もう僕は二度と宝具のために皆に借金を申し出たりしない。


 額をもみほぐし、表情筋を緩める。

 そうだ、競売を楽しめ。これは戦争じゃない。あの宝具がなくても僕は死にはしないし、手に入れたお嬢様ががっかりしたところで、知ったことではない。


「ここまで来たら後は運を天に任せるだけだ。競売が終わったらまたお祝いでもしようか」


「素敵ですね。その時は、エクレール嬢も呼びましょう」


 シトリーが満面の笑みで言う。どうやら彼女は勝つ気満々らしい。

 よく考えたら全ての元凶はあのお嬢様を連れてきたアークにあるのではないだろうか?


 よし、お祝いはアークに奢ってもらおう。僕は表に出さず、その事を心に刻みつけた。


 競売開始まで後一日――ついに、戦いが始まる。




§ § §




 誇りあるゼブルディアの貴族にはどうしても退いてはならない時がある。下らぬ意地でも貫き通さなくてはならない時がある。


 グラディス家は貧乏貴族ではない。領地は他の家と比べて広いわけではないが、ハンターを凌駕すると評判の騎士団により治安は保たれ、所領に擁する宝物殿が呼び寄せるハンターにより領内は潤っている。


 だが、十分な権威を持つ貴族の家にとっても、二億ギールという金は決して安いものではない。少なくとも、現当主でもなんでもないエクレールが勝手に扱える額を越えている。


 かの忌々しい《千変万化》との会合後。会合の内容の報告と、二億ギールが必要だという話をしたエクレールに、父親――グラディス伯爵は言った。

 深い紅色のコートに、腰に帯びた一振りの剣。整えられた焦げ茶色の髪に、貴族というには尖すぎる目と鍛え上げられた肉体。

 エクレールの父親――ヴァン・グラディスは貴族であると同時に武人である。時に自ら陣頭に立ち騎士団を指揮することすらある男だ。

 向けられたその鋭い視線に、エクレールの抱いていた怒りは一瞬で鎮められた。頭に冷静さが戻ってくる。


『……良かろう。勝て、エクレール。愚かなことだ。戦時でもなく、使いもしない宝具のためにかの有名な《足跡》と争うのは避けたいが――直接相対しここで退けばそれは――グラディスの名折れ。子供とはいえ、ハンターに気圧されたなどという評判が広まればそれこそ先祖に顔向けできん』


 口調は静かなものだったが、エクレールはその声に強い重圧を感じた。


 そもそも、事の発端はエクレール自身にある。

 アークを見送ったその後に出会ったアークのライバルと呼ばれる男と、その男がなりふりかまわず求めているという宝具。気がついたらその情報を集め、酒場に乗り込んでいた。

 何も考えない衝動的な行動はこの父親の最も嫌う事だ。


 礼を言おうとするエクレールに、グラディス卿は眉を顰め、はっきりと言う。


『勘違いするなよ。我が家に浪費するような金はない。エクレール、貸すだけだ。いずれ、返してもらう。エクレール、子供とはいえ、貴様はグラディスの血を引くもの――行動には責任が伴う。初めての娘故、奔放に育てすぎたか。だが、これも良い機会か』


『これは、グラディス家の当主としての命令だ。何としてでも勝ち取るのだ、エクレール。グラディス家に弱者はいらぬ。そして、自らの行動のもたらした結果を知るがいい。モントールに全面的に協力させる。奴は思慮深い男だ』


 その言葉は、明確にエクレールを弾劾していた。


 勝たねばならない。侮られたのはエクレールのせいだ。そして、その事実はエクレール自身の手で雪がねばならない。


「お嬢様。ヴェルズ商会に連絡し、いざという時のために資金の借り入れの約束をしました」


 帝都の邸宅の応接室で、無表情で座るエクレールに、老齢の男が近寄り報告してくる。

 機嫌の悪そうなエクレールにも物怖じしない理知的な目に、穏やかな声色。


 モントール。グラディス伯爵の片腕である男。武力とは異なる面で、伯爵家に貢献していた男である。


「……いくら使える?」


「当家で備蓄している資金の内、現在お嬢様が使用しても問題のない金額がおよそ――五億ギール。そして、ヴェルズ商会から融資を受けられる額が更に――五億。それ以上出すことも不可能ではございませんが、返却に非常に苦労することになるでしょう」


「……更に……五……億…………?」


 幼少期から見知っているモントールの言葉に、エクレールは目を見開く。


 あの忌々しい女が言っていた金額は――二億だ。二・五倍も用意できるのならば問題なく勝てるように思える。だが、モントールの言葉では商会と交渉し更に借金の約束までしてきたらしい。

 エクレールの表情に、モントールが温和そうな容貌を歪めた。


「お嬢様。競争相手に正直に上限を言う者などおりません。ましてや相手はかの《千変万化》――智謀に長けた男です。何より、私が調査した限りでは――《千変万化》と共に来た女性――シトリー・スマートの用意出来る金額は二億ギールなど優に超えている」


「何だと……!?」


 信じられない情報に、エクレールは頭の中が真っ白になった。

 相手はあそこまで堂々とエクレールに宣戦布告したのだ。二億以上揃えれば負けを認めると言い切ったのだ。

 貴族に嘘をつく者などいるだろうか?


 《千変万化》の隣に立っていた女の穏やかな容貌が脳裏に浮かぶ。

 とても信じられない。いや、信じたくなかった。


「そんな……馬鹿な……あ、相手は、二億ギール以上で――負けを認めると言ったのだッ! 二億を用意すれば、降参……するはず……」


「旦那様はお嬢様に確実な勝利をお求めです。備えはしておいた方がよろしいでしょう。戦の場でも不意打ちは基本。そもそも、オークションでは事前の情報戦こそが本番と言っても過言ではございません」


 意気消沈するエクレールに、モントールが淡々と言う。


 確実な勝利。備え。モントールの言葉はもっともだ。

 必要なのは父の期待に応えることだった。

 エクレールはしばらく肩を落とし力なく震えていたが、絞り出すように声を出した。


「…………ああ。ありがとう、そうだな。備えは……しておくべきだ」


 これはただの備えだ。二億ギールで勝てればそれでよし。もしも万が一それで勝てなければその時こそ全力で叩き潰せばいいだけだ。


 競売まであと僅か――真相はすぐに判明する。

 拳を握り、視線を下に落として自分に言い聞かせるエクレールの姿をモントールは穏やかな眼差しで見ていた。

八十話です!


書籍版1巻、発売中です。


ティノ成分ましましでお送りしておりますので、宜しくおねがいします!


/槻影



更新告知:@ktsuki_novel(Twitter)



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