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63 宴②

「はぁ? ルークちゃんより強い剣士が出てきたの? なにそれ……ずるいッ!」


 リィズが飲み終えたジョッキをテーブルに叩きつけ、眼に剣呑な輝きを宿して言う。

 そんな姉に、シトリーがくすくす笑いながら、自分の左腕の中程を指でなぞって見せた。


「お姉ちゃんさっさと帰っちゃうから……ルークさん、凄い喜んでたよ……相手が剣持ってるの見た瞬間に一人で飛び込んで、ここの所バッサリやられちゃって――相手が人間じゃないことなんてわかりきってるのに迂闊だよねえ」


 相変わらず頭がイカれた会話だ。


 高レベルのハンターは化物だが、そのハンター達が攻略する宝物殿に棲む『幻影(ファントム)』は、だいたいそれらのハンターよりも強靭だ。


 故に、常に命を賭して最前線を走り続けるハンターは尊敬される。


 たとえルークが剣の道にその魂を燃やした男であり、帝都屈指の剣士と称されていたとしても、高レベル宝物殿に生息する常識外の怪物たち相手では分が悪い。


 特に、《嘆きの亡霊(ストレンジ・グリーフ)》は常にその限界ぎりぎりの宝物殿に挑んでいるので尚更である。

 今回の【万魔の城】も、レベル8の宝物殿だ。《嘆きの亡霊》はその攻略適正レベルに至っていない。


 最初は友人の爆走に戦々恐々したものだが、今ではその実力を信じ、よほどの事がなければ口を出さないようにしていた。

 僕は一応パーティのリーダーだ。ルーク達は傍若無人だが僕の言葉は聞き入れる。だからこそ、半ば部外者と化している僕が口を出すのは最小限でなくてはならない。


 【万魔の城】の様子はリィズからも聞いていたが、彼女は色々大雑把なので、シトリーから新たに齎される情報は非常に参考になった。



 テーブルにはティノが注文した料理が大皿で所狭しと置かれていた。

 山と盛られた大ぶりの唐揚げにフライドポテト。パリパリに焼いた骨つきの肉にフィッシュ・アンド・チップス。大皿に盛られたミートソースパスタ。

 僕だけならば一週間食いつなげるだけの量はある。見ただけでお腹がいっぱいになりそうだ。


 ポテトが被ってる。そしてサラダがない。野菜が足りないよ……。


 シトリーちゃんがジョッキを一息で空にすると、小さくどこか色っぽい吐息を漏らす。だが、その目つきに一切の酔いは見えない。

 黄金エールはエールなどと言う名がついているが、度数は三十を超える。ハンターでも酔える酒だ。一体ハンターの身体の中はどうなっているのだろうか。

 大人しくジョッキに口をつけるティノも、なんだかんだ飲んでいる量は一緒である。


 リィズがこんがり焼かれた得体の知れない骨付き肉をむんずと掴み上げ、豪快にかじりつく。

 シトリーはナイフとフォークでどこか優雅な動作でステーキを切り取る。そのステーキがステーキと呼ぶよりは塊と呼ぶべき大きさじゃなかったら、貴族のような所作と呼べたかも知れない。


 健啖家などという言葉で収まらない程の大食らいだ。一体その食べた分はどこに消えているのだろうか。

 いくら食べても膨れる気配のないリィズの日に焼けたお腹を見ていると、それに気づいたリィズが僕の腕にするりと腕を絡め、身を寄せてきた。大輪の花のような笑顔を浮かべて言う。


「んー? どうしたの、クライちゃん? 食べてないみたいだけどぉ?」


 僕が食べていないわけではない。リィズ達が食べ過ぎなのだ。

 サイズが大きすぎる。唐揚げ一個食べたらお腹いっぱいだよ。ゆっくり食べるよ僕は。


 少食の僕を見てシトリーが苦笑いを浮かべた。


「食べないと力がでませんから。お兄ちゃんの治癒術(ヒール)だって、ちゃんと食べてない人には効果薄いですし」


「あー、あれで手とか足生えるとすっごいお腹減るんだよねぇ……。クライちゃんも食べないといざという時に危ないよ? 私が食べさせてあげる。はい、あーん」


 そんないざという時、絶対来て欲しくないんだけど……。


 リィズちゃんが唇をぺろりと舐め、僕の眼の前にポテトを差し出してくる。

 公衆の面前でそんな事やられるといくら僕でも恥ずかしいんだが、鋼の心臓を持つリィズにそんな言い訳は通用しない。

 差し出されているのが、一個一個がやたら大きな唐揚げではなく、僕でも食べやすいフライドポテトなのがリィズに残った優しさなのだろうか。


「お姉ちゃん、ペース早すぎ。ハンターと言っても限度はあるんだから――酔っ払うよ? またこの間みたいに倒れたらどうするの?」


「全然だいじょうぶだし。黄金エールなんて水みたいなものだしぃ! ほら、クライちゃん。あーんして?」


 シトリーの忠告を聞くことなく、リィズは頬を染めて甘えた声を出す。


 腕にぎゅうぎゅうと胸が押し付けられている。ここまでされたら受けざるをえない。

 仕方なく口を開きかけ、ふと隣のティノが目を見開いているのに気づいた。


 しかし、その視線は僕に向いていない。ポテト片手にしなだれかかっているリィズも見ていない。


「ほらほらぁ、クライちゃん。あーん!」


「あ、うん」


 差し出されるポテトを受け入れながら、その視線を追う。ティノが見ていたのはシトリーだった。

 リィズの肩越しに、にこにこしながらマドラーで黄金エールをかき混ぜているのが見える。


 ……んん? カクテルじゃないんだけど……黄金エールって。


 やたら塩味の強いポテトを咀嚼してあげると、満足したのかようやくリィズが腕を解放してくれた。

 その時には、既にシトリーはマドラーを持っていなかった。


 定位置に戻ったリィズに、シトリーがたしなめるように言う。


「もう! お姉ちゃん、またクライさんに迷惑かけて……」


「全然迷惑じゃないって。ねぇ、クライちゃん?」


 笑顔でそう問われると、とても首を横には振れない。


「クライさん、お姉ちゃんに甘いんだから……。流石に酔いつぶれたら止めるよ?」


「潰れないって。シトあんた、今まで私の何を見てたの? とっくにアルコールなんて超越してるし――」


 まるで見せつけるように、目の前のジョッキを呷るリィズ。喧騒の中、ティノが小さく声をあげたのが聞こえる。

 並々と注がれていた黄金色の液体がみるみる消える。空になったジョッキを豪快にテーブルに叩きつけ、


「そういえば、シト。あんた、アカシャの――ッ!?」


 言いかけたその時、リィズの身体が一瞬ぐらりと揺れた。眼の焦点がぶれ、体勢が崩れかけたところをぎりぎりでテーブルを掴み耐えきる。

 積み重ねられた空の大皿ががしゃりと高い音を立てる。呼吸が荒くなっていた。その眼が動揺したように彷徨う。


「ほら、お姉ちゃん。だから、言ったのに……」


 シトリーが呆れたように目尻を下げ、くすくす笑う。リィズがぶんぶんと首を振り、シトリーを見上げた。

 まるで睨みつけるかのような鋭い視線だ。


「シ、ト…………盛ったな?」


「そんな……私のせいにしないでッ! だいたい、お姉ちゃん、薬の類は超越してるでしょ? ねぇ、ティーちゃん?」


「わ、私は……何も見ていません。何も見ていません」


 ティノが自分のジョッキを抱きしめるように確保し、眼に涙をため、ふるふると首を横に振っている。


 既にリィズが空けたジョッキの数は七杯だ。

 久しぶりの酒場だったからだろうか、かなりのハイペースだと思っていた。リィズも人間だし、それだけ飲めば少しは酔っぱらいもするだろう。


 シトリーちゃんは確かに《最低最悪》などと呼ばれているが、姉に何か盛る程悪い子じゃない。動機がない。


 僕は今にも飛びかかりそうなリィズを宥めた。


「まぁまぁ、リィズ。シトリーは何もやってないよ。きっと少し飲みすぎただけだ」


「えぇ!? クライちゃん、マジで言ってんの? 私の味方してくれないのぉ?」


 リィズが珍しくショックを受けている。


 そんな事言われても……このままだと喧嘩始めるでしょ君たち。

 言いがかりをつけられたシトリーが可哀想だ。


「マジだよ。大マジだよ。味方とかそういう問題じゃない。ちょっと口つけちゃったけど、お茶飲む?」


「…………飲むぅ」


 しょんぼりしながら、リィズちゃんが差し出したお茶のジョッキを両手で取ってごくごく飲む。 


 お酒を飲むのはいいけど、少しはペースを考えた方がいいよ。


 高レベルのリィズが悪酔いして大暴れしたらハンター専用酒場でも止められる者はほとんどいないだろう。下手したら出禁である。前科もある。それは困る。


 その時、ようやく落ち着きを見せるリィズの眼の前に、シトリーが黄金エールのジョッキを二つ置いた。

 透き通った黄金色の液体がジョッキの中で輝いている。どうやら追加が来たようだ。


 皿もグラスも、空ける側から次の物が運ばれてくる。リィズが、とりあえず十人前とか平気で注文しているせいだ。自業自得であった。


「お姉ちゃん、ほら、さっき頼んだのが来たよ? 久しぶりに飲み比べでもする? 今日の全員分の飲み代でも賭けて――」


「はぁぁぁぁ? またあんた、何か盛るつもりでしょぉ!? 調子に乗るなよぉ!? クライちゃんが許しても、私が許したわけじゃねえからなぁッ!?」


 まるで酔っ払ったチンピラみたいな声でリィズが言う。


 しかし、まだ盛った盛ってない言い始めるリィズもあれだが、酔っ払ったリィズに飲み比べを持ちかけるシトリーもシトリーだ。

 しかも勝手に飲み代を賭けようとしている。飲み代くらい僕が出すって――。


 僕はこっそり財布の中を確認しようとして懐に手を入れ、財布を部屋に忘れてきたことに気づいた。


「…………」


 リィズがシトリーの襟元を掴み、ふらつきながらも宙吊りにする。眼が完全に据わっていた。

 だが、シトリーはそこまでされてもまだ笑みを絶やさない。


「だいたい、あんた、あのゴーレム作るのに手貸したでしょッ!? あからさまにうちの対策積みやがってぇッ!」


「クライさん、助けてください。お姉ちゃんが証拠もなしに言いがかりをつけてきます……」


「いっとくけど、硬いだけでクソ雑魚だったからなぁッ! 耐久だけだったからなぁッ! クライちゃんも呆れてたからぁッ!」


「……頭脳がゴミだっただけだもん。私が使えばお姉ちゃんなんて一秒でこんがり肉だから。技術者としては一流だったけど戦士としては三流だったから……」


「聞いた!? クライちゃん、聞いたでしょ!? 全部シトのせいだよ! アカシャだってシトの犠牲者だったに決まってるぅ!」


 珍しいな……たった七杯でここまで酔いが回るなんて。


 リィズがシトリーを放り出し、こちらに飛びこんでくる。僕はその身体を受け止め、よしよしと頭を撫でてやった。


 しかし、アカシャの塔がシトリーの犠牲者だって? 荒唐無稽な話だ。


「邪推しすぎだよ。シトリーは僕が逃した連中をまとめて捕まえてくれたんだ。事件が解決したのはシトリーのおかげだよ」


「クライちゃん!? 全部わかってるんでしょ!? なんでしとのみかたするのぉ?」


 いや、別にしてないけど……。

 シトリーだから味方をしているわけではなく、リィズの言葉が言いがかりに近いからシトリーに分があるというそれだけの話だ。

 まぁ、リィズも本心からシトリーの仕業だと言っているわけではないだろう。


 シトリーの眉が下がっていた、どこか恍惚とした表情で僕を見ている。確かに僕はリィズが大好きだが、好き嫌いで判断を誤ったりはしないつもりである。

 なにせこれでもレベル8ですので。平等なのは僕の数少ない美徳の一つなのである。


 シトリーちゃんがジョッキの一つをリィズの前に押し出した。


「……お姉ちゃん。さ、飲み比べしよ? 大丈夫、お姉ちゃんが酔いつぶれてもちゃんと寝かせて介抱してあげるから。具合が悪いなら尻尾を巻いて逃げてもいいけど……クライさんに迷惑かけるから、そんなに調子が悪いなら横になった方がいいんじゃない? ねぇ、ティーちゃん。お姉ちゃんの事、介抱してくれるよね?」


「わたしはなにもみていません。わたしはなにもきいていません……」


 お姉さま同士の喧嘩に、ティノは完全に役立たずになっていた。

 師匠と天敵の間で板挟みになっている。今日という日はティノにとって厄日らしい。


 あからさまな挑発にリィズの眼がきらりと光る。ふらつきながらも立ち上がり、気付け代わりなのか、両手で自身の頬を強く叩いた。


 眼の前のジョッキを握り、リィズが怒鳴る。


「はぁあ!? じょ、上等だぁッ、シトぉッ! 妹の分際でぇ、毒盛ったくらいで、私に勝てると、思うなよ?」


「…………さすがお姉ちゃん。毒なんて盛ってないけど……もう潰れそうなのに素晴らしい気迫です。どうぞお手柔らかに……」


 シトリーがくすりと一度笑みを零し、同じ様に目の前の巨大なジョッキを取る。

 ただの飲み比べだが、まるで決闘のような空気が流れていた。ティノが不安気な眼差しをリィズに向けている。


 しかし、リィズちゃん、まだシトリーが毒盛ったとか思っているのか。


 そこで僕はふとナイスなアイディアを思いついた。自慢じゃないが、僕は喧嘩の仲裁に関してはちょっとした自信がある。

 ぱちんと指を鳴らし、今にも飲み比べを始めようとしている二人に言った。


「飲み比べを始める前に、ジョッキを交換しなよ。シトリーも変な疑いを掛けられて気分が悪いだろうけど、リィズもそれなら納得できるだろ?」


「…………え?」


 誰も不幸にならない方法だ。シトリーはリィズの性格を知り尽くしているし、それで機嫌を悪くするほど狭量ではない。

 自信を持って出した案だったのだが、何故かシトリーの表情が凍りついていた。


 固まっているシトリーの手元からリィズがジョッキを取り上げ、今まで自分の持っていた物を押し付ける。

 取り上げたジョッキを一息で空にし、口元を拭くと、リィズが勝ち誇ったように笑みを浮かべた。


「ぷっ。ざまああああああ! クライちゃんがあんたの味方してくれると思ったぁ? んなわけねえだろうがッ! さっきのでやめておけばよかったのに、変な策張り巡らせるからそうなんのよッ! 私の耐性貫く新薬なら、シトだって無事じゃないでしょッ! さぁ、飲んだぞ。てめえも飲めよッ! さぁ、さあ、さぁッ!!」


 リィズに迫られ、シトリーが目を白黒させている。その手がそっと腰についているポーションバッグに伸びかけ、リィズに睨まれぴたりと止まった。


 新たに運ばれてきた冷たいお茶を口に含み、酒場の中を軽く見渡す。

 どこの卓もこの卓と同じくらい盛り上がっている。英雄の宴。こうしていると、僕までその一員になってしまったかのようだ。


 センチメンタルな気分で目線をリィズの方に戻すと、まだリィズとシトリーは言い争っていた。

 目つきや背丈、胸の大きさなど差異はいくらでもあるが、こうして二人を並べて見ると姉妹だという事がよくわかる。


「君たちって、本当に仲いいよね。あ、アイス貰おうかな……ティノも食べる?」


「ますたぁ…………………………頂きます」


 ティノが萎縮したように身体を縮め、二人から離れようとしているかのように席を後ろにずらす。

 しかし、さっきまでシトリーの方が余裕があったのに、どうして形勢逆転しているのだろうか。


日常回その2

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