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61 セーフ

 クランのマスターはなかなか難しい立ち位置である。


 もともとクランと言う組織体系は複数のパーティから成り立つため、事情が複雑になりやすい。

 僕にとって、《嘆きの亡霊(ストレンジ・グリーフ)》以外のクランメンバーは、他の一般パーティよりも近くしかし、決して身内ではない。


 クランと一口に言っても、目的や組織体系は様々だ。


 マスターが絶対的な指揮権を有しているクランもあれば、クランとは名ばかりでほとんど別個のパーティで動いている所もある。

 無理やり下位パーティを取り込んで上前を跳ねているようなとんでもないクランもあれば、貴族に伝手を持つパーティがそれに縁を作りたいパーティを組み込み一つの派閥となっているクランもある。


始まりの足跡(ファースト・ステップ)》は、相互の情報交換と探索のサポートを目的としたごく一般的なクランだ。


 僕がクランを作った目的は富や権力ではなかったので、恐らく他のクランと比較するとだいぶ緩いクランになっているだろう。


 僕が定めたルールはたった三つ。


 皆仲良くする事。

 一般人に迷惑を掛けない事。

 そして、民主主義。


 他にも、エヴァ達が定めた細かい規定はあるが、大きなルールはそれだけだ。


 本来、《足跡》のように同格のパーティを複数集めて作ったクランで、その頂点であるクランマスターを選ぶのはとても難しい。

 ハンターは序列を重んじる。認定レベルに大きな差があるのならば納得もできるだろうが、誰だって自分のパーティリーダーにマスターになって欲しいと思うだろう。


 《足跡》はそのハードルを、クランマスターにほとんど権限を持たせないことによって解決した。

 《始まりの足跡》のクランマスターは多数決で選ばれ、そして所属パーティに対する指揮権を一切持たない。


 うちのクランのメンバーがだいたい僕の頼みを聞き入れてくれているのは端的に言えば、ただの彼らの好意なのである。


 そしてしかしその事実を、僕の幼馴染達は一切斟酌しないのであった。

 シトリーはリィズやルークと違って物理的な暴力に訴えたりはしないが、そこのところはあまり変わらない。


「大丈夫かな……脱退とかしないかな……」


「大丈夫、だと思います。クライさん。きっといつか、あの人達も、クライさんの優しさをわかってくれます」


 クランマスター室。定位置に腰をおろし、ラウンジでの出来事を思い起こして出したぼやきに、今回の主犯が瞳を伏せて言う。


 なんで僕のせいみたいになっているのだろうか……。


 ちょっとお願いするだけのつもりだったのに……やり口が卑劣過ぎる。

 途中で止められる雰囲気でもなかった。彼女には扇動者の才能がある。

 言葉でシトリーに勝つのは難しい。僕は昔からやり込められてばかりだ。


「うんうん、そうだね? ……でも、もう少し穏便に済ませたかったんだけどなぁ」


 平和に。穏便に。クランマスターの座を追われるのは百歩譲ってよしとしても、このままでは刺されかねない。

 僕の言葉に、シトリーが影のある表情を作った。


「そう、ですね。……クライさんの言う通り、その……予想以上に……惰弱でした。同じクランのハンターとして……とても、恥ずかしい。あまつさえ…………自らの弱さを私のポーションのせいにするなんてッ!!」


 何故か僕達の後についてきて、立入禁止のクランマスター室にまでしれっと入りこんだティノが、目を見開き、動揺したように僕を見上げる。


 言ってない……言ってないし、思ってもないよ。

 惰弱とか。破竹の勢いと称されている《始まりの足跡》に向けて使うような単語ではない。


「だいたいッ! あれで悲鳴を上げていたら――ルシアちゃんは、どうなるんですかッ!! 毎日、所構わず、笑顔でのチャージを強制させられたルシアちゃんの事を考えると私――不憫で――うぅッ……」


 シトリーが震える声で更に叫ぶ。唇を噛み、その眼には涙が溜まっていた。

 まるで悲劇のヒロインのようだ。演技過剰である。


 弱みを突かれた僕は口を噤むことにした。

 あまり記憶にないのだが、そんな事言ったら火に油を注ぐ事になるだろう。


 ティノの視線の温度が更に一段下がり、まるで人でなしでも見るような目つきになっている。酷い風評被害だった。


 ……シトリーは嘘は言わないけどちょっと表現が過剰になったりすることがあるからなぁ。


「とりあえずその話題はやめようか」


「まぁ、そうですね。いいデータも取れましたし……残りの宝具をどうするか考えましょう」


 あっさり嘘泣きをやめ、零した涙を拭いて次の事を考え始めるシトリー。

 その変わりっぷりにティノの表情が引き攣っていた。


 僕は慣れているのでもう何も思わないが、ティノにとってシトリーが師匠にならなかったのは本当に幸運だったのかもしれない。


「ま、まぁ、『結界指(セーフ・リング)』には少し余裕ができたから、ルシアが帰ってくるまではもつかな……」


 未使用だったものと合わせて残数は八個。マックスで十七個なので、まぁ半分はチャージされていることになる。

 懸念だった『アカシャの塔』もどうにかなったわけで、細心の注意を払って危ない所に近づかなければなんとかなるだろう。


 何より、これ以上、被害が拡大してしまったら罪悪感で押し潰されてしまいそうだ(ルシアには我慢してもらうしかないが)。


「残りは業者を使うのもいいかもしれません。口の硬い所が何軒かあります。データも取れます。代金は私が出します」


 シトリーがぱんと手を打ち、にこにこしながら言う。

 データ取りたすぎじゃないだろうか。そんなに取ってどうするんだろう。


 その時、シトリーがいたせいで縮こまっていたティノが意を決したように声をあげた。


「……あの、ますたぁ! も、もしよろしければ、私が…………お手伝いします」


 シトリーが目を丸くしてティノを見る。僕にとっても予想外である。


「……え? チャージを?」


 倒れた魔導師達の中にはティノよりも認定レベルが高い者もいたはずだ。

 先達が為す術もなくゲロ吐いて意識を失う様子を見て、いかな師匠の親友のためとは言えそんな事言い出せるとは、何という根性だろうか。頑張りすぎなように思えなくもない。


 ハンターとしては長所なのかもしれないが、後輩がゲロ吐く姿とか見たくないんだけど……。


 ティノは恐る恐るといった足取りでシトリーの前を通り、僕の机に近づくと、両手を机について涙目で叫んだ。


「わ、私も、一端のハンターです、ますたぁ! 魔力はありませんが、必要なのが、精神力だけなら…………我慢、できますッ!」


 多分出来ないと思う。

 魔力回復薬の味は筆舌し難いと聞く。それに慣れているはずの魔導師があの様なのだ。

 いくら日頃リィズに扱かれ類まれな精神力を持っていたとしても限度がある。


「いや、気持ちは嬉しいけど、やらなくていいよ。ティノの仕事じゃないし」


「そんな…………や、やらせてくださいッ! ますたぁッ! 私にも、できますッ!」


「えぇっ!?」


 ティノが涙を浮かべながら悲鳴のような声で訴えてくる。

 なんでそこまでして地獄の苦しみを受けたがるのか、僕には全くわからない。


 確かに魔力は上がるかもしれないが、そもそもティノは魔導師でもなんでもないのだ。

 そりゃ魔力が高いに越したことはないと思うけど……。自分よりずっと強そうなゴーレムに立ち向かうわ、リィズはどういう教育をしているのだろうか。


 ドン引きする僕にしかし、ティノは退く気配がない。その後ろからそろそろと近づくシトリーにも気づいていない。


 そして、シトリーちゃんは満面の笑みを浮かべ、黄色い声を上げて無防備な背中に抱きついた。


「か……かわいいッ!」


「ヒッ!?」


 ティノが後ろを振り向こうとするその前に両腕を封じ込め、強く抱きしめて身動きを封じる。非常に洗練された動作だ。

 それは先程のラウンジでの出来事の再来だったが、もしかしたらシトリーちゃんは百合なのかもしれない。その蕩けるような笑顔を見ていると自信がない。


「見てッ下さいッ、クライさんッ! この子、クライさんに媚びッ媚び、ですよッ! お姉ちゃんそっくり! でも、まだ力が足りてないし素早さも足りてないし、お姉ちゃんより――可愛いッ!」


「やめて、くださいッ! シトリー、お姉さまッ! やぁっ……!」


 姉妹仲に疑問が生じる。そしてそれは、可愛がるというレベルではないんじゃないだろうか。


 シトリーの手が藻掻くティノに構わずその身体をいじりながら、ティノを僕の眼の前――机から引き剥がす。

 一瞬でティノの顔が上気していた。それが快感故なのかあるいは恐怖によるものなのか、僕に知る術はない。


「見て下さいッ! クライさんッ! ティーちゃんの弱点は脚ですッ! 鼠径部から内ももにかけて血管に沿うようにすりすりって、撫でてあげるとめろめろですッ!」


「――ッ!!」


 ティノがぶるりと身を震わせ、一際高く鳴く。限界まで伸ばし、露わになった白い喉元を汗の雫が流れ落ちる。

 僕は後輩の身体を弄りながら頬を染めて熱弁するシトリーちゃんにドン引きだった。


 それ教えてどうかなるの? ん? 僕が、そっかあ、それなら今度機会があったら撫でてみようとかなると思ってる?

 ならないよ。ならない。鼠径部って足の付け根だろ? 僕を何だと思っているのだ。


 ぱくぱくとティノの唇が声にならない声をあげている。シトリーは伸び切った首筋に指先を添え、目を細めてまるで芸術品でも眺めるかのようなうっとりした表情で言った。


「まぁ、残念ながら、クライさんの言うように、あの試練はティーちゃんには無理なんですけど……」


「ぇ!?」


「だいたい、誰にでもできるんだったら――誰かに頼んだりせず、私がチャージするし……ねぇ?」


 ティノが小さく疑問の声をあげる。

 シトリーはティノを解放することなく、熱の篭った声で続ける。


「ティーちゃん、知らないみたいだから教えてあげるけど、魔力ってとっても『コスト』が重いんだよ? 身体能力や五感の感度とトレードオフになるから、魔導師は普通、魔導師としてしか――生きられない。多少なら問題ないけど、ティーちゃんがあんな試練繰り返したら、『盗賊(シーフ)』として鍛え上げた身体が――使い物にならなくなっちゃう」


 へー、そうなのか。道理で魔法剣士ってほとんどいないと思った。勉強になるなぁ。


 シトリーの趣味は読書と実験だ。昔から頭のいい子だった。何を聞いてもすぐに答えてくれたし、もしも知らなかったとしても次に会った時には勉強していた。


 それが、どうしてこうなってしまったんでしょう。


「だから……下でも、魔導師以外にもメンバーは沢山いたのに、八人しか使わなかったの。ね? ちゃんと考えてるでしょ? このクランのルールは、『皆仲良く』だし、クラン全体の戦力低下はクライさんの望む所ではないから。私も、一応考えてやってるんだよ?」


 ……ルール作っておいてよかった。


 囁くような声で説明しながら、シトリーの指先が触れるか触れないかのようなタッチで先程、シトリー自身が教えてくれた『弱点』を撫でている。

 いつも探索に着用するような短いパンツを着用していたのがティノのミスだった。動きやすさ重視のためか、脚が大きくむき出しになったその衣装ではシトリーの指を阻むものはない。


 指先が太ももの内側を擦りあげる度にティノの肢体が雷に打たれたかのように震える。透き通るような白い肌は朱に染まり、唇からは言葉にならない掠れた声が頻りにあがっている。


 首がいやいやするように横に振られていた。

 シトリーがその首筋に垂れる汗を指で掬い取り、妖艶な表情でぺろりと舐めてみせる。どこか威圧感を感じさせる笑みだ。


「ティーちゃん……まだ聞こえてる? 私が、手を抜いたと思った? 自分でチャージしない理由がないと思った? 失敗することはあるけど……手を抜いたりはしないよ。ティーちゃんが宝物殿の探索で……手を抜いたりしないように」


「……そろそろ手を抜いたほうがいいんじゃないかなぁ」


 現実逃避するのをやめて、口を挟む。

 僕の前でやることじゃないよね? そりゃこれでもクランマスターだし、レベル8だし、迂闊に親友の弟子に手を出したりはしないけど、一応、男なんだけど?

 いや……僕の眼の前じゃなかったらいいわけじゃないけどさ。


 君ら無防備なんだよねいちいち。こういう所エヴァに見られたらまた僕が睨まれるんだよ。

 ただでさえ仕事あまりやってないんだからなるべく減点は避けたいところだ。


 鋼の精神で出した僕の忠告に、シトリーちゃんが小さく首肯し、ティノの耳元に囁く。


「媚びるのはいいけど……クライさんも忙しいから。何かわからない事があるなら、私が教えてあげるから。ね? わかった?」


「ッ……ッ……は、い」


 別に媚びているわけじゃないと思うんだけど……。 


 か細いティノの答えを聞き、シトリーはようやく手を離した。足に力が入らないのか、ティノの身体が大きくふらつく。それをぎりぎりでシトリーが支えた。

 ティノは息も絶え絶えだった。涙と涎と汗で顔がぐしゃぐしゃになっている。リィズの特訓でも度々意識を失っているようだが、どちらがましだろうか。


 シトリーが邪念の一切見えない朗らかな表情を向けてくる。


「この状態では少し危ういので……お風呂入れて落ち着かせてきますね。ちょっと時間がかかるかもしれません」


「……シトリーってさぁ…………もしかして女の子とかいけちゃう人?」


 思わず出した問いに、シトリーは一瞬きょとんとした表情をしてすぐに薄い笑みを浮かべた。


「もしもそれが――『必要』なら」


 そう来るとは思わなかったが、後輩の貞操の危機であった。

 先程見せたうっとりしたような表情を思い出せば、その言葉をそのまま捉える気にはなれない。


 誰か彼女を止めて下さい。


「……今は必要ないかなぁ。ぐったりしたティノは水につけておくと復活するらしいから、時間かけずにすぐに帰ってきてよ。何ならゴーレムとかに任せたら?」


 足を組み直し、机に置いてあった適当な資料を取り上げる。

 素っ気ない風を装っているが、背中には変な汗がでていた。やばい。


 うっかりシトリーちゃんが一線を越えてしまったら僕のせいだ。それだけは避けなくては。

 シトリーが僕の焦りを見て、少しだけ眉を顰める。


「クライさん、ゴーレムでは、眼の届かない所でそういう細かな命令をさせるのは難しいです。私が生体兵器に研究をシフトさせたのもそれが理由ですから」


「………………へぇ」


 案外面倒な制約があるんだな。勝手に何でもやってくれる便利な物みたいに思っていた。

 でもそんなのはどうでもいいのだ。このままではティノがお持ち帰りされてしまう。

 友達を犯罪者にするわけにはいかない。


「…………わかりました。確かに、難しい分野ですが上手くいけば有用です。研究室が潰れてマナ・マテリアル関連の研究もしばらく停滞しますし……少し考えて――」


 その時、不意に背後から物音が聞こえた。

 がこんという窓が開く大きな音と同時に、吹き込んだ強い風が積み重なっていた書類を吹き飛ばす。


 来るなら階段を使えと何度も言っている。普段ならため息の一つも出るところだが、なんといいタイミングだろうか。

 妹には姉をぶつけるに越したことはない。


「おっはよー、クライちゃんッ! ん? シトじゃん。なんでいるの? もしかして皆帰ってきてるの?」


 慣れた動きで部屋に侵入すると、リィズが目を丸くしてシトリーを見た。

 肩を支えられている己の弟子には見向きもしない。


 シトリーも自分の犯行現場を見られた事を全く気にしていない。姉の出現に目を輝かせている。


 僕はその様子に、自分の見積もりの甘さを悟った。

 これはもうダメかもしれないな。

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