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59 秘伝

 目も鼻も口もない木の人形が大きな木箱を抱えて入ってくる。シトリーがよく作業用に使っている木製のゴーレム――ウッド・ゴーレムだ。

 錬金術師は己の低い身体能力を補うためにゴーレムを始めとする魔法生物を使役することが多い。


 頑丈そうな木箱の中からは硬い瓶が擦れ合うカチャカチャという音が聞こえた。


 ラウンジは異様な雰囲気に包まれていた。いかにもヤバそうな雰囲気だが、シトリーが入り口に陣取っているせいで誰も逃げられない。


 チャージして貰うだけのはずだったのにこの雰囲気はなんなのだろうか。僕も少しだけ逃げ出したい気分だった。

 居心地が悪い僕の側に、被害者第一号のティノがすがりつくように近寄ってくる。


「ますたぁ……ずっと気になっていたんですが……シトリーお姉さまは、その…………同性愛者、なんですか?」


 目尻に涙が浮かび、肩が震えている。まぁちょっと触れられるくらいならともかく、あんな触られ方すれば恐怖も感じるだろう。

 幼馴染の性癖を確認される日が来るなんて僕は一体前世でどれほどのカルマをつんでしまったのだろうか。


「いや、そんな事はないと思うよ……多分」


「……」


「大丈夫大丈夫……多分」


「……」


 ティノに触れている時のシトリーの笑顔を見ると、僕としてもなかなか断言し辛い所ではあるが――多分ティノに向けていたのは学術的な興味じゃないだろうか。それはそれでどうかと思うけど。

 僕の答えを聞いてもティノの表情は変わらなかった。ただ唇を噛み締め、腕に抱きついてくる。頼ってくれるのは構わないんだが、その原因となっているのが幼馴染となると、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 落ち着かせるように頭を撫でている間に、シトリーはテキパキした動作でラウンジにいるメンバーに声をかけ、一箇所に集めていた。

 どうやら、ほとんどラウンジに顔を出していなかったのに、クランメンバーの顔と名前を覚えているようだ。きっと頭のできが違うのだろう。


 戸惑いの表情を浮かべながらも集まってきた面々の前で、シトリーちゃんが一度手を叩き、同性でも惹かれるような笑顔で言う。


 後ろにはいつの間にか石製のゴーレムが八体、整然と並んでいた。

 ストーンゴーレム――木製と比べて戦闘力が高い事で知られるゴーレムである。といっても、《足跡》のハンターと比較すれば大した相手ではない。


「今日ラウンジにいた皆さんは――とてもラッキーです。クライさんが皆さんに――とても効率のいい訓練をつけてくれると言っています」


「いやいやいや、そんな偉そうな事言ってないよ!?」


 いきなり何を言い出すんだよ。

 唐突な言葉に、思わずつっこみを入れてしまった。


 訓練って何の話だよ……僕は宝具のチャージをお願いしにきただけだ。

 こちらが頭を下げる立場である。クランマスターというものに何かを強制するような権力はない。


「クライさんの言葉は置いておいて――」


 誰も声を上げないことをいいことに、シトリーが人差し指を立て、まるで内緒話でもするかのように身をかがめて続ける。

 その静かに輝く瞳に魅入られてしまったかのように、話を聞いていたメンバーの一人がごくりと生唾を飲み込む。


「何が素晴らしいって、この訓練はいつもの試練と違って――なんと……死ぬ危険がありません!」


「なん……だと!?」


 その一言に、今までテンションが低かった皆がざわめく。すがりついていたティノまでもが、驚いたように目を見開きシトリーを見る。


 状況についていけないのは僕だけのようだった。皆ノリがいいよね。


「……その、なんでも試練っていうのやめて欲しいんだけど」


「休暇中でも大丈夫、準備も不要。時間もかからずしかも――効果は目に見えて明らかです! これを受ければ皆ルシアちゃん並の魔導師になれちゃいます! 本当は、うちのパーティでのみ行われた秘伝の訓練法なんですが、今回特別に皆様に……公開します」


 その言葉に、皆半信半疑の表情だった。


 ルシア・ロジェは誰もが認める帝都屈指の魔導師である。人間を見下してやまない『精霊人(ノウブル)』のパーティ――『星の聖雷(スターライト)』が『始まりの足跡(ファースト・ステップ)』に加わる事になったのも、ルシアがいたからだ。


 誰もが彼女と同等の魔導師になれるなど、冗談にしか聞こえないだろう。僕にも冗談にしか聞こえない。

 というか、そんな訓練法、全く覚えがない。あまりにも画期的過ぎる。


 そんな訓練法があるのならばもっと広まっていてもおかしくはないはずだ。


 シトリーが皆の表情に満足そうに頷く。


「残念ながら、魔導師(マギ)向けの訓練なので、全員が受ける事はできませんが――これを受けた後、魔導師としての、ハンターとしての力は劇的に向上するでしょう。もちろん、強制はしません。この中で受けたくない方はいますか?」


「ッ!?」


 その単刀直入な問いに、集まっていたパーティがざわめく。


 受ける方じゃなくて受けたくない方を聞くのか。


 最前列で話を聞いていた魔導師の青年が小さく手を挙げる。休暇中のためかローブなどは羽織っていないが、小さな杖が腰に下がっているのが見えた。


「……それは……本当に命の危険はないのか?」


「保証します」


「本当に、そんな都合のいい訓練があるのか? 代償は?」


 さすがハンター、半ば無理やり集められたにもかかわらず、乗り気のようだ。向上心が高い。


 訝しげな表情で出された問いに、シトリーちゃんが唇に指を当て、可愛らしく首を傾げた。


「えっと……そうですね。魔力枯渇を起こすので、慣れていない方は辛いかもです。足跡のメンバーだったら、皆それなりに経験があるでしょうし、大丈夫だと思いますが……もしもそういうのがダメな魔導師の方がいれば、受けない方がいいかもしれません」


「そんな魔導師、ここにはいないわよ。魔法使い(マジック・ユーザー)なら誰だって魔力枯渇くらいなったことあるし」


 隣のパーティの女魔導師が鼻を鳴らし、呆れたような声で言う。周りからいくつも同意の声があがる。


「枯渇した魔力はすぐに回復させるので安心して下さい。それ用の魔力回復薬(マナ・ポーション)は私が負担します。……ちなみに――その……別に、馬鹿にしているわけじゃないんですが……魔力回復薬(マナ・ポーション)が苦くて飲めない方っていますか?」


 恐る恐るといった様子で掛けられた声に、魔導師達が顔を見合わせる。不服そうな表情だ。

 魔力回復薬を飲める事は一流魔導師の証だ。ここに集まっているのはそれぞれが自らの実力に自信を持っているハンターである。それを疑われては文句の一つも出したくなるだろう。


「馬鹿にしないでくれ。あんたら程じゃあないが、俺たちだって現役の魔導師だ。魔力回復薬(マナ・ポーション)くらい飲んだことはある。今更、ためらったりはしない」


「ごめんなさい。でしたら……特に問題はない、と思います」


 小さく頭を下げて謝罪し、シトリーが改めて集まっていた面々の表情を見た。真剣な表情で唇を開く。


「それでは最終確認です。これは……秘伝の訓練法です。恐らく、今断れば二度と受けることはないでしょう。ですが、休暇中にやることではないのも確か、です。強制はしませんが、一度受けた以上は最後まで付き合っていただきます。この訓練を受けたくない方、いますか?」


 今更だが、シトリーは割と食わせ者である。


 リィズと比べて大人しいので勘違いされやすいが、人畜無害ではない。彼女はいつだって予防線を張って行動する。嘘は言わないが迂遠な表現をする癖があり、幼馴染の間では彼女の言葉は最も注意すべき物の一つであった。

 あまり思い出したくないが、そのすれ違いのせいで一度、リィズとシトリーは殺し合いに限りなく近い姉妹喧嘩を起こしたこともある。


 例えばシトリーは死なないとは言ったが死ぬほど辛くないとは言っていない。そして往々にして、その言わなかった所に重要な情報が存在していたりするのである。


「……僕は……調子が悪いので、やめておきます」


「!? 本当にいいの? せっかくの機会なのに……」


 危機管理がなっている魔導師の一人が小さく手を上げ、そのパーティメンバーと共に席を離れる。

 シトリーはニコニコしながら特に文句を言うことなく、その姿を見送った。


 しばらく無言で待つが、他に去る事を選ぶメンバーはいないようだ。

 シトリーが品定めでもするかのように残った魔導師とそのパーティ達の顔を確認してもう一度言う。


「本当に他に、受けたくない方はいませんか? 見た後に怖気づくのはなしですよ?」


 顔を見合わせるが、誰も立ち上がる者はいない。

 ルシア並という宣伝文句が良かったのだろうか。ティノも恐恐と僕の後ろからシトリーの言葉を聞いている。


 しかし、本当にそんな効率のいい訓練があるのだろうか。

 時に互いの命を背負う事にもなるハンターにとって、『信頼』というものはとても重要な要素だ。

 ハンターとしての実力の指標であり、信頼の証でもある認定レベルのダウンが探索者協会で最大のペナルティとされているのもそのためである。


 たとえ相手が同じクランのメンバーだったとしても、こういった場で嘘をつけばまたシトリーの評判が――もしかしたら『嘆きの亡霊』の評判も――大きく下がることになる。


 それ以上誰も去らない事を確認し、シトリーが大きく頷いた。


「では、さっさと開始しましょう。と言っても、内容自体はそこまで難しい物ではありませんし、時間もかからないので――とりあえず、一人だけご協力頂けますか?」


 その言葉に、先程自信満々に魔力回復薬を飲めると言い切った男の魔導師が前に出る。


 シトリーちゃんが懐から銀の懐中時計を取り出しちらりと確認すると、人差し指を立てるお決まりの仕草をして、明るい声で言った。


「まずは、宝具に魔力をチャージします。都合のいいことに、クライさんが空っぽになった宝具を沢山持っています」


 ……すっかり忘れていた。宝具のチャージを頼みに来たんだったな……。


 シトリーを経由して空っぽになった『結界指(セーフリング)』を渡す。


 男魔導師は、皆の視線が集まる中、訝しげな表情をしながら魔力のチャージを開始した。

 沈黙したまま時間が過ぎていく。男の表情が訝しげなものから険しいものに変わる。


「…………………ちょっと待った。なんだ、この宝具、全然チャージが終わんねえぞ!?」


「いいからチャージして下さい」


「……ッ」


 男の日に焼けた容貌が目に見えて白んでいく。その額に脂汗が浮かぶ。

 自信満々な言葉からして、レベルの高い魔導師のようだが、そんな魔導師にとっても結界指は負担の大きな品だったようだ。


 魔力の消耗というのは、ルシア曰くめちゃくちゃに酔っ払って足腰が立たなくなった時の気分に似ているらしい。


「座った方がいいですよ」


「……あ、ああ……」


 シトリーが引いた椅子に腰を下ろす。待つこと数分、ようやく宝具のチャージが完了した。

 その時にはチャージしてくれた男魔導師の唇は青く、指先が震えていた。頭痛でもしているのか、額に手を当て、眉を顰めている。


 シトリーはテーブルに置かれた結界指をつまみ上げ、満足げに頷くと僕に渡しながら言った。


「さて、一個目のチャージが終わったら次に――また次の宝具をチャージします」


「!? な、なんだっ、て!?」


「まった。フュビルはもう限界だ。これ以上は無理だ!」


「大丈夫です。限界になったら止めます。死にはしません」


 パーティの仲間からの抗議も何のその、シトリーが変わらない笑顔で次の宝具を渡す。フュビルと呼ばれた男魔導師は息も絶え絶えにそれを受け取り、小さく文句をいいつつチャージを再開する。


 呼吸が荒くなっていた。明らかな魔力欠乏の症状だ。このままチャージし続ければ、遠からず魔力は完全に枯渇するだろう。


 はらはらしながらその様子を見守る皆に、シトリーが穏やかな声で説明を始める。


「ここで軽く説明です。魔導師の実力というのはその魔力総量に比例します。一般的に魔導師は女性が向いているとされているのは女性の方が魔力総量が成長しやすいためです。そして、その魔力の上限量というのは、大体、幼少期から十代半ばまで成長し、そこで止まります。『精霊人(ノウブル)』が魔導師として優秀なのは、彼らの老化速度が人とは異なり――魔力の成長期が非常に長いためです」


 フュビルの息がどんどん荒くなる。唇からひゅーひゅーという呼吸音が漏れ、力を失ったかのようにテーブルに上半身を横たえる。

 指輪を握っていた手が自然と開き、結界指がテーブルの上に転がる。まだチャージは完了していないが、魔力が切れたらしい。


 シトリーはそれを持ち上げ講釈を続けた。


「それで――魔力総量の成長は十代半ばで完全に止まりますが、成長が止まった後も例外的に特定のタイミングで増える事が知られています。その量――およそ五パーセントから十パーセント。一般的に『超回復』などとも呼ばれますが、どのタイミングで増えるか、知っていますか?」


 問いに、女の魔導師が恐る恐る答えた。


「魔力……枯渇……?」


「正解です! 魔力が枯渇し、そして回復した時――上限値は大きく向上します!」


 その瞬間、皆の心が確かに一つになった。

 先程までシトリーちゃんの甘い言葉に興味津々だった魔導師達が青ざめている。言っている意味がわかったのだろう。


 楽な方法? 効率的? とんでもない。

 確かに魔力の超回復はそこそこ有名だが、好んで試みる者はいない。魔導師の負担が大きすぎるためだ。確かに死にはしないけど、死んだほうがまだマシかもしれない。


 少なくとも、効率的とか秘伝とか言えるような訓練ではない。


「で、でも、魔力量は回復時に上がるのよ!? 回復には時間が――」


「それで、私特製の魔力回復薬(マナ・ポーション)の登場です」


 助手役のウッドゴーレムが木箱から透明な瓶に入ったポーションを取り出し、恭しくシトリーに渡す。

 まるで墨を溶かしたかのようなどす黒い色をしたポーションだ。


 ……魔力回復薬(マナ・ポーション)ってもっと綺麗な色してなかったっけ?


 シトリーがスポイトを摘み、姉よりも大きな胸を張って言った。


「ルシアちゃん用に調整してあるので――多分、フュビルさんなら数滴で回復します」


「ちょ、待っ――」


 フュビルさんのパーティメンバーが制止しかけた時には既に遅かった。

 スポイトで吸い取った特製魔力回復薬が、魔力枯渇で前後不覚の状態のフュビルさんの口元に差し込まれる。


 そして、それまで打ち上げられた魚のように身動き一つしなかったフュビルさんの身体が大きく跳ね上がった。人間とは思えない挙動に周りを囲んでいたパーティメンバーが悲鳴を上げて大きく後ろに下がる。


 そのままテーブルの上に横たわりピクリともしない哀れな魔導師に、シトリーちゃんが顔を近づける。

 白目を剥いている目を確認し、瞼を持ち上げ、軽く頬を叩き首を傾げると、懐から懐中時計を取り出し、確認した。


「たった三分二十秒で一割も魔力が向上しました。これが、ルシアちゃんを育てたクライさん考案、秘伝の魔導師育成術です。繰り返せば劇的な力の向上が見込めます。魔力量が増えれば継戦能力が向上し、新魔術の習得にもより多くの魔力が割けてしまいます。パーティの柱である魔導師の成長はパーティ全体の生存率を大きく高めます。なんて効率的――素晴らしい!」


 ……考案した記憶がない。


「で、でも、フュビルの意識がまだ――」


 あまりにも非道な訓練方法に、震える声を上げる女の魔導師に、シトリーが後ろの八体のストーンゴーレムを指し示し、満面の笑みで言った。


「大丈夫、そのためのゴーレムです。皆さんは宝具に魔力をチャージする事だけ考えていただければ大丈夫、後は全部ゴーレム達がやってくれます。ありえないと思いますが、逃げようとしても……逃げられません」


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