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34 無能

 『足跡』の面々が皆列を組んで外にでていく。そこからは本来ハンターが冒険に出かける前に持っているような高揚や期待は見られない。

 そこにはまるでこれから死地に向かうかのような緊迫感が漂っていた。ちゃんと彼らの要望に従ったと言うのに。


 ティノが端っこに寄って、その列をほっとしたような表情で見送っている。

 リィズが背中から僕の前に回り、唇を尖らせて言った。


「ねぇ。なんでダメなの? なんでぇ? アークちゃんが出るような相手でしょ? 私、行きたいよぉ。ねぇ! クライちゃん、お願い。ねぇ?」


 媚びるような声。


 リィズはアークを認めている。万能魔法剣士であるアーク・ロダンはさしもの『絶影』をもってしてもなかなか厳しい相手らしい。

 ぎらぎらとそのピンクの虹彩が過酷な戦いの気配に輝いていた。この子ダメだ、脳の一部分がパーになってる。


 大体、さっき欲しいって言った『創造の神薬(ハイ・エリクサ)』。あれは宝物殿産の超絶高級品だ。

 『嘆きの亡霊』が一本だけ持ち帰った物なのでいざという時に使用するのに躊躇いはないが、もしもあれを使えば凄まじい赤字になる。


 駄々っ子のように腕を掴み揺さぶってくるリィズに、ため息をつく。


「いや、だって君、協調性ないじゃん」


「えー……大丈夫だよぉ。皆が私に合わせてくれるから」


 そういうのを協調性がないというのだ。

 後ろの方でティノが顔を真っ青にして心配そうにリィズの顔色を窺っている。僕はその前でリィズのほっぺたを摘んだ。


 リィズがきょとんとした表情で僕を見上げる。そのままほっぺたをぐにぐにしながら続ける。

 マナ・マテリアルで強化されているはずなのに、その肌は柔らかく傷一つない。マナ・マテリアルと言うのは本当に不思議な物質である。


「大体、リィズはまだ前回のハントから帰ってきたばかりだろ。ちょっと休んだ方がいいよ」


 大人しくじっとしてた方が皆幸せだ。もちろん、僕も幸せである。

 リィズは僕の言葉に輝くような笑顔を向けた。いつもその表情でいてください。


「きゃー、クライちゃんやさしー! 大丈夫なのにぃ。ねぇ、てぃー?」


「は、はい! 大丈夫です、お姉さま。……ますたぁ」


「ほらねえ?」


 ティノが明らかに青ざめた様子で必死に頷く。どこからどう見ても脅されているようにしか見えない。


 僕とリィズの付き合いは長い。大体、物心ついたばかりの頃からの仲だ。だから、なんとなく考えている事はわかる。


 リィズのイタズラでも思いついたような目つき。


 君、こっそり行くつもりだろ。ダメだって。


 別に『創造の神薬(ハイ・エリクサ)』が惜しいわけじゃないけど、慎重に中を進んでいく他のパーティを蹴散らしながら宝物殿を我が物顔で突き進むその姿が目に浮かぶかのようだ。


 僕は仕方なくリィズの肩に腕をまわした。内緒話でもするように声を潜め、説得する。


「まぁまぁ、落ち着け、リィズ。リィズには……そうだな、他にやることがあるから……」


「……え? そうなの? うーん…………じゃあしょうがないかぁ」


 リィズがぱちぱち瞬きして、残念そうな声をあげる。が、これで勝手に外にでたりしないだろう。


 付き合いが長いという事はなんとかする方法も知っているという事なのだ。

 このクランには誰もが認めるアークがいるのに、僕がまだクランマスターをさせられているのは多分その辺りも関係しているのだろう。


 リィズが横目で僕を見ながら、唇を僅かに持ちあげる。


「んー、じゃーティーだけ行かせる? 色々な武器持ってる幻影いたし、修行にぴったりだし……」


 おいおい、それはまずいぜ。


 今回は足跡のメンバーもいるので前回程酷い目にあったりしないだろうが、ティノは『白狼の巣』と相性が悪いように思える。そうでもなければあんな怪物が現れたりはしないだろう。

 もともと、ソロのティノはあまりこういった任務と相性がよくないし、現れる幻影の能力がちょっと高い気もする。


 リィズ、君は知らないかもしれないけどね……宝物殿っていうのは十分に安全マージンを取っていくものなんだよ。


 前回の件もあるのにまた『白狼の巣』に行かせたら僕が鬼畜なますたぁになってしまうじゃないか。


 僕は……いい格好したいんだよ。相手が後輩とはいえ、若い女の子だったら尚更だ。


「ダメ」


「えぇ」


「話はこれで終わりだ」


「えぇ……」


 まだ不満げなリィズちゃんをあしらい、組んでいた肩を解き、顔をあげる。

 と、そこで、大柄の青年ハンター……ライルが近づいてきた。


 初期メンバーではないが、古参である。僕よりも少しだけ高い背丈に使い込まれた鈍い金属の鎧が何とも言えない輝きを放っている。


 年が近いので割と仲がいいハンターだ。最近レベルが5になって、酒場で盛大に騒いでいたのを思い出す。


 ライルはしばらく居心地悪そうな表情で隣のリィズを見たが、僕の方を向き、意を決したように言ってきた。


「クライ、今回の依頼は……その……大丈夫なのか?」


 ちょっと離れた場所で、他のハンター達がこわごわとこちらを見ているのが見える。どうやら彼は貧乏くじを引かされたらしい。


 しかし、そんなこと僕に聞かれたって困る。今回の任務について僕が知っている情報はあまりにも少ない。

 もしかしたらライル達よりも少ないかもしれない。


 だが……そうだな。僕はマスターだ。マスターなのだからマスターらしく振る舞うことにしよう。

 親指を立てて、仲間達を鼓舞する。


「大丈夫、困難な任務かもしれないけど、『足跡』ならば必ず依頼を完遂できることを確信している!」


「……」


 ……あれ? おかしいな。


 流れからして歓声なり雄たけびなり来ると思ったのだが、訪れたのは沈黙だった。

 後ろのハンター達も、ライルもなんとも言えない表情を浮かべている。そして、ライルが恐縮したように口を開けた。


「うん……その……何だ? できれば……このクランのマスターとして、そしてレベル8のハンターとして、注意点とか、もらえないだろうか?」


「注意点……?」


 これまた難しいことを言う。リィズに追いやられ少し離れた位置に立っているエヴァに視線を向けるが、エヴァは何も言わずに小さく頷いた。


 どうやらアイコンタクトが通じていないようだ。


 注意点、注意点、か。宝物殿を歩く上での注意点については一流ハンターの彼らには今更言うまでもないだろう。


 幻影に気をつけましょう。仲間割れはやめましょう。盗賊職が先行してトラップを見つけましょう。ソロはなるべく避けましょう。そんなアドバイスされても困るはずだ。


 しかしそれ以外の注意点というと……そうだな。

 僕はしばらく眉を顰めて唸っていたが、顔を上げてため息をついて言った。


「出るかどうかわからないけど、スライムっぽいやつがいたら気をつけたほうがいいよ」


 まぁ、注意点なんて適当でもいいだろ。シトリースライム、ほんとどこにいったんだろう。


 ライルが僕の言葉を聞き、狂人でも見るような目で僕を見た。失礼なやつだ。


「スライム!? 『白狼の巣』にスライムなんて出るわけがないだろ?」


 宝物殿はその場所にあった幻影(ファントム)が出るのが普通だ。外部から別の魔物が入り込んだとしても大抵の場合、自然発生の幻影(ファントム)に殺されるので、宝物殿の内部で魔物を見る機会は多くない。

 出てきた名前が魔物最弱のスライムともなればそんな反応もしたくなるだろう。


「だから出るかどうかわからないって言ってるじゃん」


「……いや、疑うわけじゃないんだが、でも、なぁ。一つ聞きたいんだが、どういう判断でスライムなんて単語を出したんだ?」


 僕は何も答えず、微笑んでみせた。

 後ろでは早速僕達の話を聞いたハンターがスライム対策の話をし始めている。君たち、素直すぎじゃないですかねえ……。


「あ、多分、出るとしたら普通のスライムじゃないから気をつけてね」


「えぇ!? 普通のスライムじゃない? どういうことだ?」


 わかんないよ。

 多分スライムって名前ついているし、弱点もスライムと同じだと思うけど、シトリーは凝り性だからなぁ……。


 再び混乱し始めるライル達に、僕はにこにこしながら、心の中でひたすら土下座していた。



§ § §



 そこは地下とは思えない、広く明るい空間だった。


 並べられた机の上に乱雑に置かれた書類。壁際に配置された本棚にはぎっしりと分厚い書物が並び、冷たい空気には鼻を衝くような刺激臭が染み付いている。

 棚には薬品の入った無数の瓶が整然と並び、広いテーブルの上には帝国で使用される公用語とはまた違った奇妙な文字で書かれたレポートが所狭しと置かれている。


 部屋の中央には、逆円錐状に巻かれたガラスのパイプのような奇怪な装置が静かな駆動音を鳴らしていた。ガラスの先端は地面に突き刺さっており、時折小さく振動する。まるで鼓動でもしているかのように。


 それを直ぐ側のデスクから観察していた深緑のローブを羽織った男が深々とため息をつく。

 男はもう老人と言ってもいい年齢だった。皺が刻まれた容貌に半分以上白くなった髪。だが、その仕草からは溌剌とした様子が見て取れる。


 特に、その目は暗いエネルギーを秘めていた。

 見る人が見ればその身を包んだローブや、傍らに置かれた男の身長程もある銀色の杖が、トレジャーハンターの魔導師でもなかなか手に入らない、その身の魔力を飛躍的に高め、且つ高い防御能力を誇る、宝物殿産を除けば最高級に近い装備だという事がわかっただろう。


 天井の上から潜められた足音が聞こえてくる。上を通るハンター達の足音だ。

 本来、殆ど聞こえないはずの足音だが、部屋を作る際に仕込んだ監視のための魔法が上の宝物殿のただならぬ様子を伝えていた。


「ここも潮時、か……」


 天井を見あげながら、男がさほど残念そうでもなく、呟く。


 いずれこのような事態が来ることをわかっていた。

 男が数年の年月をかけて成し遂げようとしていた偉業は決していつまでも隠し通せるものではなく、いくら『白狼の巣』が人気のない宝物殿だったとしても、ハンターが全く来ないということはない。


 それが少しだけ早まっただけだ。

 ロドルフが侵入してしまったのは、やっと成功の兆しが見え始めた研究の結果に興奮したスポンサーの浅慮だった。もう少し時間を貰えれば、救助が間に合い生き延びるなんてことなんてなかっただろう。


 せっかく軌道に乗り始めた所で『研究室』を捨てるのは腹立たしいが、別に『研究室』があるのはここだけではない。予備は他にもある。

 怒りは思考を乱す。常に冷静でいなければならない。


 帝都からやってきた報告を思い出し、蓄えられた短い髭を撫で、ひとりごちる。


「『千変万化』、か……厄介な男よのお。ハンターというのはどうしてこうも邪魔をするのか」


 かつて、魔導師として高い名声を誇ったその男にとって、トレジャーハンターは侮蔑の対象だった。


 自らの命を賭け、危険な宝物殿に潜入しその産物を盗み取ってくる盗掘者にも近しい存在。

 粗雑で野蛮で、知識や歴史に敬意を払わず、マナ・マテリアルという神秘の力をまるで自らの力であるかのように振る舞う無頼漢。


 だが――今は少し違う。


 杖を握りながら、魔導師が唇を歪め笑う。

 宝物殿の地下に作られた研究室。そこで研究に浸ること数年、神秘の力はその魔導師の力を飛躍的に向上させていた。

 そして、その力は大きく魔導師の認識を変えていた。


 マナ・マテリアル。未だ誰もコントロール出来ていない未知の力。

 その恩恵を最も受けているハンター達が大きな顔をするのも納得できる強大な力だ。


 ほんの数年、それを浴び続けただけで、男はそれまで数十年かけて得た力を数倍するほどの力を得た。

 ならば、そんなハンター達の中でもほんの一握りしか存在しない『レベル8』ともなれば、どれほどの力を誇るのか。


 侮りはない。だが、過剰に評価したりもしない。


「……この場を撤退するのは問題ないが……ふむ……」


 そこで、魔導師が天井を――『白狼の巣』の通路の一つがあるはずの場所を見上げる。

 調査のため、『白狼の巣』にやってきた要員は今の所二十名程。

 今頃、何が宝物殿のレベルを上げたのか、見つかるはずもない『原因』を調べているところだろう。


 特にアクシデントが起こっているわけでもないので、これ以上要員が大きく増える可能性は低い。


 このまま男が去れば、時間が経つに連れて『白狼の巣』は元に戻ることになる。

 それではあまりにも――つまらない。


「どうせ撤退するんじゃ、最後の実験といくとするかのお……」


 デスクの引き出しを開け、一本のアンプルを取り出す。中に注入されているのは如何なるポーションとも異なる墨色の液体だ。


 それは、男が目にかけている一番弟子が偶然生み出した禁忌の代物だった。


 マナ・マテリアルの操作実験。

 何年もかけて実施された研究の副産物として生み出された、マナ・マテリアルを暴走させるポーションだ。


 今まで危険すぎてとても使えなかったが、撤退する今となっては躊躇いはない。


 覚束ない動作で毛皮の分厚い、『白狼の巣』に現れる幻影にも刺さるように作られた特製の注射器にアンプルをセットする。針が鈍く輝いた。


 これを表に出せば、たとえその生成が偶然だったとしても――その弟子はともすれば男に匹敵する名声を得ていただろう。

 もちろん、マナ・マテリアルの操作はどの国でも禁忌になっているので、裏の世界で、の話だが。


「くっくっく……ソフィアめ、成果が見られず、さぞ、悔しがるじゃろうて……」


 一番弟子の名を呟き、魔導師は杖を持ち立ち上がった。


 ただでさえ今この宝物殿の幻影のレベルは跳ね上がっている。

 さらに強化すれば、多少レベルが高くても二十人のハンターなど物の数ではない。

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