30 別件
探索者協会は巨大な組織だ。
人外じみたハンターを束ねるため、その職員には元ハンターだった者が多い。
探索者協会ゼブルディア支部の支部長、ガーク・ヴェルターも、もともとは一流のハンターだ。
元レベル7のハンター。大ぶりの
現役を退いてから久しく、さすがにその力は全盛期とは比べるべくもなく低下しているがそれでも、その実力は並のハンターに引けを取らない。
どのくらい強いかと言うと、リィズを含んだ僕達六人が初めてこの帝都に来た時、既に支部長の椅子に座っていたガークさんは僕達全員でかかっても手も足も出ないくらいに強かった。
それで、この帝都のハンター達のレベルの高さを知ったのである。
ルークやリィズが比較的ガーク支部長に迎合しているのもその頃の経験あってのものであり、つまるところ脳筋である彼らは強い者が好きなのであった。
――だが、それももう五年近くも前の話だ。
「だいたい、てめえらはぁ、クライちゃんを頼りすぎなんだよッ! 何のためにたけえ金払ってると思ってんだ、てめえで解決しろッ!」
リィズが恫喝するように自分よりも頭三つ分背の高いガークさんを威圧する。
明らかに戦う格好ではない女の子がガタイのいい大男を威嚇する様子は子供が粋がっているようにしか見えないが、実態は違う。
長い間、宝物殿を攻略し吸収した力――マナ・マテリアルは時間の経過で抜けていく。
その速度にも個人差はあるが、どれだけ才能があっても損耗をゼロには出来ない。
ガークさんはもう殆ど戦場に出ていない。
その力は五年前よりも明らかに衰えており、恐らく全盛期の半分もないだろう。そしてリィズの力は帝都にやってきた頃の比ではない。まぁ、リィズは喧嘩を売る時に力量差なんて考えないが。
開口一番、事情を聞くこともなく喧嘩を売りはじめたリィズに、ガークさんは激高したりはしなかった。
ただ質の悪い魔物と相対しているかのように油断なくリィズを睨みつける。僕が彼の立場だったらきっと震えていただろうに、さすがガークさんは度胸が違う。
「まて、お前が帰っているって事は、シトリーもいるのか?」
「いねえよッ! デートの邪魔だ。消えろッ!」
ガークさんが容赦なく宙に浮いた。リィズが蹴ったのだ。
二メートル近い巨体がせっかくお金かけて作った大理石の床を滑り、観葉植物を跳ね飛ばし壁際まで吹き飛ばされる。
手出すの早すぎて笑うしかない。
腕をクロスにして蹴りを受け止めたガークさんが、ゆっくりと立ち上がった。
挙動は緩やかだが、その形相はかつての二つ名を彷彿とさせる鬼のような物だ。
レベル8宝物殿に向かうような化物の一撃を受けてまだピンピンしているとは、ガークさんもさすがである。
そして、やる気満々だった。殴られて黙っている者に探索者協会の支部長は務まらない。
護身用なのだろう、腰から小ぶりのナイフを抜く。小ぶりといっても、身体の大きさが大きさなのでリィズからしたら短めのショートソードみたいなものだろう。
「ッ……リィズ、てめえ、何をしたかわかってるんだろうな……? いくら俺が温厚でも限度があるぞ……」
誰が温厚だって?
臨戦態勢の支部長を見て、リィズが唇を歪め笑った。
白い肌がみるみるうちに上気し瞳が燃え上がる。せっかく収まりかけていたのにまたエンジンが入ってしまったようだ。
ねぇ、やめよう? なんで君たちそんなに暴力的なの?
またクランハウスが壊れてしまう。エヴァに小言を言われるのは僕なのだ。
カイナさん達がどのタイミングで止めるべきか攻めあぐねている。でももうとまらないと思う。
ハンターじゃない彼女たちじゃ何人いてもモンスター同士の戦いを止められない。
僕は、ぎらぎらした視線をぶつけ合い相対する二人から視線を逸し、喧嘩っ早い上司を持ってしまった可哀想なカイナさんと以下二人の探協職員に提案した。
「…………とりあえず、上でお茶でも飲もうか」
今日は一日帝都を見て回る気だったリィズは武器を持っていない。
本気で殺意を抱いているわけでもないだろうし、多分死にはしないだろ。
§
階下から物音が鳴り止まない。びりびりとガラスが震えている。
僕は最近地震多いなあと思いながらカイナさん達と世間話を楽しんだ。
実は、顔の怖い支部長の片腕として僕と同じぐらい苦労していそうなカイナさんには強いシンパシーを感じていたりする。
口調も自然軽くなる。
「探協の受け付けの子、めっちゃ可愛くない? どうやって募集してるの? うちでも雇いたいんだけど」
『足跡』は探協を参考にしている。
僕はエヴァを見つける際、カイナさんに似た人を探して土下座して雇い入れた。
次に必要なものは美人の受付嬢だ。
探索者協会ゼブルディア支部の受付の子は看板娘だ。明るくはきはきとしていて、強面やら汚いハンターを相手にしても嫌な顔一つしないし、毎度毎度呼び出しを食らう情けない僕をみても態度を変えない。
僕は名前も知らないその子が円滑な組織運営に関わっていると予想していた。
古来より男と言うのは可愛い女の子に弱いものなのである。たとえハンターであっても。
半ば冗談めかした本気の言葉に、カイナさんが苦笑いを浮かべた。
「クロエのことですか? 彼女は……ガーク支部長の姪っ子です」
「遺伝子が仕事してないな」
なんで『戦鬼』の血縁にあんないい子が出来上がるのか。いや、ガークさんで慣れているからあんな性格になったのか。
そしてコネだったのか……。
どうせあの喧嘩が穏便に終わるわけがない。ガークさんとリィズちゃんが組んずほぐれつ殴り合いをしている間にカイナさんからここに来た事情を聞く。
そして、カイナさんと、他の二人から聞いた内容に呆れ果てた。
どうやらガークさんは大きな勘違いをしているらしい。
『白狼の巣』について僕は何も知らない。予想だって立ってないし立てる予定もない。
だって、『白狼の巣』の異常は僕のせいじゃない。不幸にも少し巻き込まれはしたが罰ゲームは無事クリアしたし、そこから先は探索者協会と国の仕事だ。
僕は完全に他人事モードになった。
ガークさんに限らない話だが、皆僕の力量を上に評価しすぎているきらいがある。
僕がレベル8になってしまったのはただ運がよかっただけだ。知識も技術もない僕が探協や帝国の専門家達が調査した結果以上の事をわかるはずがない。
「へー、大変だねえ。地脈には問題なかった、か……」
僕ののんびりとした本音に、カイナさんが肩透かしを食らったような表情をする。
地脈とは謂わば大地に奔る血管のようなものだ。問題があれば一目でわかる事くらいは僕でも知っているが、それ以上の事は知らない。
こういうのはシトリーちゃんが詳しいんだよなぁ。
リィズの妹、シトリー・スマートは
この世界の真理を修め法則を利用し現象を起こす、魔導師と学者の間にあるとされる職である。
その身に秘めた膨大な魔力を武器に現象を起こす一般的な魔導師に比べて攻撃力で劣る点と、その本領発揮に豊富な知識と経験、数々の希少な道具を必要とする事から一般のトレジャーハンターにはあまり見られない職ではあるが、こういう時には非常に頼りになる。
特に、シトリーは他の大多数の同業者と違ってハンターとして度々宝物殿に赴くため、より実戦的な知識が豊富らしい。
ちなみに、スライムなど魔法生物の生成も
ちょっと変わった所はあるが、シトリーは帝国の学術機関にも所属しており、『嘆きの亡霊』の頭脳でもある。
まぁ残念ながら本当に帰って来てないんだが。
「なにか少しでも気づいた点など、ありませんか?」
カイナさんが食い下がってくるが、久方ぶりの宝物殿の恐怖と予想外のリィズ登場でいっぱいいっぱいだったので当時の光景すらあやふやだ。
椅子に深く腰を掛け、目を瞑るが、知らないものは知らない。だいたい何か不自然な事があったら記憶に残っているはずだ。
「うーん。特にはないかなあ。そもそも僕がずっと気にしていたのは別件で――」
「……別件?」
しまった。口が滑った。
しかめっ面を作るがもう遅い。カイナさんのブラウンの目が訝しげに僕を窺っている。
あの時の僕は、宝物殿の異常とかよりも、スライムの行方ばかり気にしてて異常調査なんて考えもしなかった。
今もそうだ。昨晩見た悪夢が脳裏にちらちら過ぎって仕方がない。
僕が宝物殿の異常を調べたところで絶対何もわからないとは思うが、そもそも、そちらの異常を調べる時間があるなら僕はスライムの行方を調べることを選ぶ。
「…………聞かせて頂けますか?」
カイナさんが真剣な目で僕を見るが、シトリー製スライムを逃したなんて口が裂けても言う訳にはいかない。
気の所為だ。きっと気の所為だよ。僕がそう決めた。
手を組み、うつむくようにして深刻そうな表情を作る。
思わせぶりな言葉で煙に巻く。レベル8ハンターには秘密が多いのだ。すいませんでしたあああああ。
「悪いけど、まだ教える訳にはいかない。…………どこに耳があるかわからないからね」
無意味に格好をつけた言葉に、カイナさんの後ろの職員さん達の表情が強張る。
いたたまれず、僕は立ち上がった。
ポジティブにいこう。
考えようによっては口を滑らせて正解かもしれない。ガークさん達からの協力依頼を断る理由になる。
もちろん、宝物殿の異常はハンター活動にも影響する。『足跡』としての協力はできるだけするつもりだが、僕個人が動かない理由にはなるだろう。
僕は危険な目にあったり精神が疲弊したりしないのでラッキー。
ガークさん達も僕の言葉に踊らされる必要がないし、リィズが大人しくなるのでラッキー。
ウィンウィンの関係とはこの事かな?
「僕は動けないけど、クランとしての協力は出来るだけさせてもらう。あー、そうだ。アークが戻ったらアークに手伝ってくれるよう頼んでみるよ」
「ッ…………ご協力、感謝します」
カイナさんがうつむきがちに礼を言った。
許してくれ、カイナさん。僕が悪いんだ。僕には何も出来ないんだ。僕が知ってる事なんて帝都で美味しいアイスクリーム屋さんくらいなんだ。
こんなレベル8でごめん。だけど僕をレベル8にしたの君たちだから。
アーク貸してあげるから許しておくれ。万能で頭のいい彼がいればだいたいの事は解決できるだろう。
後で返して貰うけど。
それでもまだ気を落としたようなカイナさん達に慰めの言葉をかける。
マナ・マテリアルの蓄積や『幻影』の進化は謂わば自然現象だ。僕達ちっぽけな人間がどうこうできるようなものじゃないよ。
「あまり気にする必要なんてないんじゃないかな。地脈に影響がないならすぐに元に戻るでしょ」
§ § §
まるで魔法のようだった。極度の集中で久しぶりに意識が引き伸ばされる。
一秒が二秒にも三秒にも感じる。しかしそこまでしても判断が追いつかない。回避もできず、全力を尽くしてもなんとかガードをあわせる事しかできない。
リィズ・スマートは魔法を使えない。武器も使っていない。
攻撃は突きと蹴りによる単純なものだ。ただ、それらが単純に『速い』。
金属と床が擦り合い、摩擦で床から煙が上がる。
トップスピードから一瞬で停止したリィズが、先程までの怒りを感じ取れない軽い声で言った。
「んんん? ガークちゃん、腕おちたんじゃない? デスクワークばっかりしてるからぁ」
「ッ……抜かせッ」
俺が弱くなったんじゃねえ。てめえが強くなったんだ。
そう言いたくなったが、なんとか思いとどまる。
身体が新鮮な空気を求めていた。
荒くなりかける呼吸をごまかし、ガークはギロリと舐めきった態度を取るリィズを睨みつける。
使い慣れた武器ではないとはいえ、短剣術もある程度は修めている。だが、抜いたナイフは掠りもしなかった。
一撃をガードした手足が痛みを訴えていた。その細腕から放たれたとは思えない、分厚い筋肉を越え、骨まで響くような重い一撃だ。急所を狙われれば昏倒する可能性だってある。
トレジャーハンターを統括する探索者協会の支部長がハンターに無様に昏倒させられたとなれば、ガークの名折れだ。何としてでもそれだけは避けなくてはならない。
戦力差は絶望的だった。
リィズは矮躯だ。ガークから比べれば子供のようなものだ。
手足は長いが、リーチだってガークの方がずっと広い。だが、その身体からは宝物殿の探索を怠らない勤勉なハンター特有のエネルギーが放たれていた。
レベル8の宝物殿。『万魔の城』。
高レベルのマナ・マテリアルに満ちた宝物殿から帰ったばかりのリィズは、吸収したマナ・マテリアルがほとんど抜けていない今が一番、強い。
長い間宝物殿から遠ざかっているガークとは真逆だ。
臨戦態勢のガークに比べ、リィズは自然体だった。
たった今交戦して、理解できた。たとえ一撃を受ける事覚悟でカウンターを放ったとしても、掠ることすらないだろう。
ガークが腕を伸ばしナイフを振り下ろすよりも、リィズが脚を動かし距離を取る方が速いのだ。
元『戦鬼』を前に、少女が黒光りする異様な靴をとんとんと叩きながら馬鹿にするかのように言う。
「ガークちゃんもたまには運動しなくちゃダメだよお? あ、ふとったぁ? こんなんじゃその辺に転がってるハンターの方が強いよぉ?」
「やかましいわッ!」
そんなに大勢お前みたいなハンターがいてたまるか!
確かに鈍ってはいる。鈍ってはいるが、まだレベル5くらいはあるわッ!
まるでお年寄りを労るかのようなリィズの表情に、歯を砕けかねない程に噛みしめる。
こいつらの成長が予想以上だった。このクソ生意気なハンター共を黙らせるために、調整しなくちゃならないかもしれねえなッ!
鈍っていることは自覚していたが、こうして正面から指摘されるとさすがに温厚なガークでも頭に血が上る。
こいつ、レベル下げてやろうか? そんな大人げない考えすら浮かんでしまう。
もちろん、支部長一人の私怨で認定レベルを下げるなんて許されることではないが。
そんな内心も知らず、リィズがにんまりと笑みを浮かべて言った。
「おかえりは後ろだから。衰えすぎで可哀想だしぃ、昔のよしみで今日は見逃してあげる。私、やっさしぃー」
一瞬何をいわれているのかわからず、続いて目の前が真っ赤に染まった。
腹の底から煮えたぎるような怒りが湧き出してくる。久しぶりの感覚だった。
力を入れすぎて、握りしめたナイフにみしりとヒビが入る。
ガークはもともと、あらゆる武器を使いこなす
レベル7のハンターだったガークがその二つ名を手に入れるに至った所以である。
最近は使う機会がなかったが、どうやらまだ自分の身体はその使い方は覚えていたらしい。
「どうやら、仕置きが必要なようだな……糞ガキが」
「あー、ダメダメぇ。私、介護とか苦手だから、介護はカイナちゃんにやってもらって?」
地獄の底から響き渡るような声に、リィズが馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
『足跡』のハンター達がガークとリィズを興味深そうに観察している。
出口の外では物音を聞きつけた野次馬が恐恐と中を窺っていた。
力量差は致命的だ。だが、舐められたままで終わらせることはできない。
せめて一矢報いねば。
ナイフが粉々に砕け散り、唯一の武器がなくなる。だが、構わず踏み出そうとしたその時、まるでタイミングを見計らったかのように、気の抜けるような声が聞こえた。
「まだやってたの君たち。こんな汚しちゃって、もう話終わったから」
いつの間にいなくなったのか気づかなかった。
カイナと職員二人を連れて、階段を降りてきたクライが、目の前の惨状を見て気の抜けるようなため息をつく。
今まで馬鹿にしたような声を上げながらもこちらへの注意を緩めなかったリィズが、その身に纏ったぴりぴりした空気を霧散させ、ぴょんとそちらに飛びついた。
「クライちゃんおかえりぃ。ガークちゃんが聞き分け悪くて……」
「業者頼まなくちゃ駄目だな、これは」
カイナが頬を引きつらせながら、臨戦態勢のガークに近づいてくる。
その表情を見て、ようやくガークは構えを解除した。
深呼吸をすると、先程まで麻痺していた身体の節々の痛みが蘇ってくる。致命傷はないが痣や罅くらいは入っているかもしれない。
どうやら、自分が殴り合っている間に目的は達成できたようだ。
ガークは小言確定の未来に眉を顰めながら、二度と舐めた真似をされないよう、鍛え直す事を決意した。