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19 千変万化

 どうやら無事に停止できたようだ。


 頭を抱えていた腕を下ろし、立ち上がろうとして、もう立っていることに気づく。


 ダメージはない。凄まじい衝撃だったが、痛みもない。どうやら生き延びたようだ。


 久方ぶりの揺れない足元に、ゲロ吐きそうになるがなんとか我慢する。

 ブラックアウトしそうになる頭を揺らし、正気を保つ。ブランクの長い僕にだって宝物殿での意識喪失が死に直結することくらいわかっている。


 ぱんぱんと肩の埃を払い、僕はひとまず大きく息をついた。


 心臓がまだ悲鳴を上げている。さっさと落ち着かせないと爆発してしまいそうだ。

 顔もまだがちがちに強張っていた。だが、走馬灯まで見てその程度で済んだのは上出来だろう。


 やっぱり『夜天の暗翼』はとんでもない欠陥品だ。初めに考えた奴はきっと僕の幼馴染達と同じくらいイカれてたんだろう。

 減速機能とかまず最初に考えることだろうが。


 クッションになってくれた幻影は、壁に頭から突き刺さっていた。


 よく見えていなかったが、どうやら二体いたらしい。積み重なるように倒れた幻影はぴくりとも動かない。


 背後から人間ミサイルを食らったのだから、レベル3の宝物殿の幻影などひとたまりもあるまい。その分厚い黒の鎧が大きく凹み、亀裂ができている。


 壁際にはその幻影が持っていたのであろう、巨大な弓と剣が転がっていた。


 なんか聞いていた幻影(ファントム)と大きさも形も色も何もかもが違うんだが、一体何なんだろうか。


 この宝物殿に出る幻影は狼だったはずだが、倒れ伏す幻影は上級騎士も装備しないような分厚い鎧を纏っており、悪い方向に予想とは別物である。


 昔、レベル3の宝物殿に拉致された時はもう少し……いや、かなり弱そうな幻影だったはずだが……最近宝物殿に来ることなんてなかったし、こんなものなのか?


 もしかしたら見掛け倒しである可能性もある。なんかゲロ吐きそうだ。


 そして、僕はようやく辺りを見渡した。立ちくらみでぼんやりと滲んでいた視界が鮮明になる。


 飛んでいた時はどこを通っているのか確認する余力なんてなかったが、そこは通路ではなく広々とした空間だった。

 地下とは思えない高い天井に、狼が掘ったとは思えない平たい床と壁。窓があって明るくてジメジメしていなくて、幻影(ファントム)がいなかったら最高の部屋になりそうである。


 壁際に見覚えのある姿を見つける。


 くしゃくしゃになった黒髪に、白んだ頬。傷はないようだが、クランハウスで会った時と比べたら随分荒んだ様子の女の子。


 というか、ティノだった。僕が誤って変な依頼を任せてしまったティノだった。


 その隣にはギルベルト少年とグレッグ様達もいるが、皆息も絶え絶えで、そして唖然と僕を見ている。


「ま……すたぁ!?」


「ティノ見っけ」


 ラッキー。


 ……いやいや、見っけじゃないだろう。


 混乱のあまり軽く声をかけてしまったが、ここはちゃんと謝罪すべきだ。


 まだ無事だったとは言え、ティノの表情は青ざめ、いつもの彼女の様子からは信じられないくらいに疲労が滲んでいた。

 このレベル3の宝物殿がティノに大きな負担を掛けたのは明らかだ。


 とうとう僕の土下座スキルを後輩に見せる時がきてしまったか。


 もう笑うしかない。


 にやにやする僕に、ギルベルトが必死の形相で叫ぶ。


「お、おい、おっさん。後ろ、後ろ!」


「え?」


 おっさんじゃない。おにいさんだ。


 まず最初に浮かんだのがその言葉だったことが、僕が完全にブランクで平和ボケしていることを示しているだろう。

 宝物殿で油断するなんてハンターの風上にも置けない。


 のんびりと振り返る頭ぱーな僕の視界に入ってきたのは、先程クッションにした幻影と同型の幻影だった。


 黒鉄色の鎧を装備した巨大な幻影。それが二体。


 さっき突っ込んだ時には気づかなかったが、その頭部は人間ではなく狼のものだ。それも、その右半分が人間の頭蓋骨で覆われている。


 闇の中でものっぺりと輝く血のように赤い瞳が、空気の読めない乱入者である僕を見下ろしていた。


 肩を揺らし、荒い息をする。その裂けんばかりの口蓋からどろどろした唾液が滴り落ちる。


 いつもの僕だったら腰を抜かし、その眼光だけでゲロ吐いていただろう。だが、平和ボケしまくって感覚が麻痺した僕が抱いたのは別の感想だった。


 へー、最近のレベル3ってこんなでかいのが出てくるんだ。進んでるなぁ。

 レベル3でこれならレベル8とか何が出てくるんだよ。宝物殿行くのやめててよかったぁ。


 昔の僕、マジで名采配。神かな?


 天井近くに届くほどの巨大な鉄の棒を持った狼騎士が、にやにやする僕を見て一歩後退る。その後ろにいたごつい銃器を持った狼も、小さく唸り声を上げて下がった。


 その鼻が大きく動く。その鋭い眼光が細められ、僕を慎重に観察する。


 そこでようやく、僕は現状を把握し、笑みを取り下げた。


 あれ。これ、もしかしなくても死ぬ? ピンチ?


 なんか攻撃しかけてこないけど、有望なハンターであるティノがボロボロになる相手に僕が勝てるわけがない。


 必死に打開策を考える僕の後ろで、グレッグ様が戦慄く声で叫ぶ。


「馬鹿な……そんな……ボスが……怯えている、だと!?」


 ……え?


「怯えてる?」


 そんな馬鹿な。奴らが狼なら僕は羊である。

 マナ・マテリアルの強化もだいぶ抜けている、認定レベルが高いだけの羊だ。


 見上げる僕の前で、しかし狼騎士はまた一歩後退る。


 その鼻が頻りに上下に動き、その意識はティノ達から外れ完全に僕だけに向いている。

 確かにその目には強い警戒が見えた。


 一体僕の何が怖いのか。グレッグ様の方がまだ怖いわ。


 視線を追う。その目が向けられている場所に気付く。

 真紅の眼光が向いていたのは僕の顔ではなく、僕の胸元――首にかけていた、シトリースライムが入っているはずの金属のカプセルだった。


 一歩前に出る。狼騎士が一歩後ろに下がる。その目は僕に向けられ、しかし僕を見ていない。


 んんー? あれえ? 


 こんな大きな『幻影(ファントム)』がカプセル見ただけで怯えるって、何入れてあるのかなあ?

 僕は何を持ってきてしまったのかなぁ?


 もう一歩距離を詰めると、狼騎士は揃って二歩後ろに下がった。完全に僕を毒入り羊だと認識したのか。


 運が向いてきた。どうやらここはまだ僕の死に場所ではないようだ。


 狼騎士から視線を外すことなく、後ろに声を投げかける。


 平静を装ってはいるが、心臓はまだ痛いほどに鼓動している。


「ティノ、走れる?」


「は、はい……もちろんです!」


 元気のいいお返事が返ってきた。


 この部屋には道が三本ある。正面の道は狼騎士が塞いでいる。

 いくら怯えられているとはいえ、狼騎士達の中で『毒はいっててもいっか』という結論になる可能性は否めない。巨大な二体を突破するのは無理だ。


「そっちね」


 一番近い右の道を指差す。あまり広い宝物殿ではない。一旦ティノ達を休ませてから皆で一丸となって脱出すべきだろう。


「あ、あの、マスター。倒した方が、良いのでは?」


 うんうん、そうだね。倒せるなら倒した方がいいね。


 一か八かシトリースライムを投げつけて相手が死ぬのに賭けるのも手だが、どんなスライムなのかすらわかっていないスライムに命運を託すのはリスクが高すぎる。


 カプセルの中に入っている状態で効果があるのなら、そのまま使うべきだろう。


 ため息をつき、可愛い後輩に諭すように言う。


「ティノ、大切な物を見誤ってはいけないよ」


「!! それ、は――」


 一番大切なもの。言うまでもない。


 それは――自分の命である。


 命を賭けた戦いなど僕から見たら馬鹿な話だ。

 自己責任なので別に勝手にやる分には好きにやってくれて構わないが、僕は絶対にやりたくない。


 その時、ふとどこからか、がたりと音がした。ティノが小さく声をあげる。



「あ――」



 視界に影が差す。漆黒の鎧が目前に迫っていた。


 人間ミサイルを受けて倒れていた狼騎士が復活し、一歩で距離を詰めたのだ。

 そう気づいた時には、刃渡りだけで僕の身長程もある巨大な刃が真上から振り下ろされていた。


 憤怒と威圧が込められた咆哮と獣臭が全感覚を満たす。まるで引きつったかのように身体が固まる。


 反応できなかった。指一本動かすことすらできなかった。


 まるでギロチンのように上から刃が降ってくる。


 僕の身体を容易く唐竹割りにできる程の一撃が襲いかかり、


 ――そして、傷一つ付けることなく弾かれた。


「……は?」


 グレッグ様の声。迫っていた狼騎士の目が大きく見開かれる。完全に予想外だったのだろう。

 数歩後ろに後退し、その瞬間だけ、怨嗟を忘れて両手に握った剣を見下ろす。


 続いて、砲撃のような音と共に放たれた巨大な矢が僕の額に命中し、同じように弾かれる。


 どうやら僕が突っ込んだ幻影は一体も死んでいなかったようだ。


 そして、怒っている。当然である。いきなり後ろから壁に叩きつけられたら僕だって怒るわ、そんなの。


 弓が、大剣が、そして他の二体の狼の騎士が、僕を睨みつける。


 僕はただ苦笑いを浮かべた。浮かべることしかできなかった。


 これは――死ぬ。死んでしまう。


 そこに至り、僕はようやく反撃行動に移ることを思いついた。


 人差し指を突き出し、まるで銃のように狼騎士達に向ける。


 左小指に装備していた宝具――弾指の一つ、『駆ける衝撃(ショックショット)()指輪(リング)』を起動させる。


 指先に青の光が灯り、魔法の弾丸を成す。


 弾丸を放つ寸前、僕はふとハードボイルドなセリフを思いつき、脊髄反射で言い放った。




「残念だったね。僕の命は――十七個あるんだよ」





§





 トレジャーハンターは才能の世界だ。


 人間の身体は本来、マナ・マテリアルに満ちる宝物殿を訪れたり、魔物や幻影と戦ったりするように出来ていない。

 このトレジャーハンターが持て囃されている時代でも、ハンターの数が一定数以上にならない理由がそこにある。


 僕にとって不幸だったのは、それに気づいたのがハンターになった後だったという点。


 そして、幸運だったのは幼馴染達の中で、才能がなかったのが僕だけだったという点だ。


 『嘆きの亡霊(ストレンジ・グリーフ)』と名付けた僕達のパーティは、僕を抜いても容易く宝物殿を攻略できるだけの才能を持っていた。


 そして、それにより持ち帰られた富と積み重ねられた名誉が僕をほんの少しだけ『マシ』にした。


 だから、才能も勇気もやる気もないし、夢も希望も運もないが、僕はまだ生きている。


 結界指(セーフ・リング)は宝具の指輪の中で弾指(ショット・リング)と同じくらい有名な宝具だ。


 効果は、攻撃を受けた際に自動的に一定強度の結界を一定時間張ること。


 端的に言えば……一度だけ攻撃を防ぐ宝具である。


 一口に結界指(セーフ・リング)と言っても、結界の強度と持続時間によって値段も希少性も異なるが、何としてでも死にたくなかった僕は強度も持続時間も関係なく、めちゃくちゃ高いそれを買えるだけ買い漁った。


 今僕の手元にあるその数なんと――十七個。普通にクラン本部のビルが二つ三つ買えるお値段である。


 本来、超一流ハンターがいざという時のために持っておくお守り的な宝具をこれだけの数、常時装備している男は帝都広しといえども僕くらいしかいないだろう。


 当然、十本しかない指では嵌めきれないので袋の中にしまってあるのだがその効果は健在だ。というか、これがなければ『夜天の暗翼』なんて恐ろしい宝具使っていられない。


 もちろん、無敵ではない。


 結界指の結界発動時間は長くても一秒。普通は一瞬だ。


 一度発動すればチャージした魔力は全て消費するし、ここに来る途中の壁との激突でも発動していたので、後何回かまともに攻撃を受けたらぺちゃんこになるだろう。


 それまでに何としてでも逃げ延びなくてはならない。


 十七個命があるは完全に言い過ぎだった。


「ッ……躱される」


 ルーダが叫ぶ。矢のような速度で放たれた青い弾丸に、大剣を握った狼騎士が迅速に反応する。


 頭を狙ったそれに、少し身を落とすように回避する。青い弾が頭上を通り過ぎ――轟音が洞窟内を揺らした。


「!?」


 狼騎士が強烈な衝撃に地面に叩きつけられる。通り過ぎた直後にその弾が反転し、後頭部に命中したのだ。


 狼騎士達が動揺する。僕はそちらから目をそらさずに叫んだ。


「ティノ、走れ!」


「!? は、はい」


 ティノと、ギルベルト少年達が弾かれたように駆け出す。

 狼騎士達は僕だけを見ており、それを追わなかった。


 弾指(ショットリング)は魔法の弾丸を放つ宝具の総称だ。


 『駆ける衝撃(ショックショット)()指輪(リング)』は着弾と同時に強い衝撃を与える弾丸を最大チャージの状態で七発まで放つことができる弾指だ。


 が、いかんせん、見た目が派手なだけで威力はほとんどない。頭に当てて地面に伏した狼騎士もちょっとびっくりしているだけだろう。

 弾指は種類が豊富だが幻影を倒せる程に強力な物はなく、良くて牽制くらいにしか使えないのだ。


 地面に伏した狼騎士が、手をつきゆっくりと起き上がる。予想した通り、目立った傷はない。


 狼達が僕を中心に、扇形に陣を取る。前衛二人に後衛二人、バランスがいいようだ。


 あの銃やばくね? 連射攻撃とか一番相性悪いんだが?


 せっかくシトリースライムで怯えていたのに、反撃されて怒りの方が勝ったらしい。目に浮かんでいるのは怯え一割、怒り三割、怨嗟三割、警戒三割くらいか(適当)。


 まず考えるべきは少しでもティノを逃す時間を作ることだ。僕だけならば最悪もう一度飛べばいい。


 武器を握れば多少相手を牽制できるだろう。 


 僕はへらへら笑みを浮かべながら、背負っていた鞘から剣の宝具を抜い――こうとして、手が空振った。


 何度も掴もうとするが、手に触れるのはクロスボウ型の宝具――弾道操作の能力を持ち、別にそれで放ったわけでもない人間ミサイルと、魔法の弾丸の軌道を操作してくれた『絶対弾丸当てる君』だけだ(命名者は僕であり、絶対弾丸を当てる能力はない)。


「マジか……落とした?」


 鞘はあるが中身がない。


 道中を思い起こすが、なんとかぶつかる回数を減らそうと必死だったのでいつ落としたかも覚えていなかった。高かったのに。

 まぁ、どのみち、この状況を打破するような能力はなかったけど……。


 狼騎士達が意味不明な動きをする僕を警戒している。


「マスター!? なにを――」


 走っていったはずのティノも道の入り口から僕を見ていた。

 ティノだけではなく、他のメンバーも僕を待っているようだ。走れって言ってるだろおおお。


 それになにをって、僕が聞きたいわ。僕は何をしようとしたんでしょうか。

 宝物殿で宝具落とすって、何やってんだ僕は? 運が悪いなんてものじゃない。馬鹿じゃねえの?


 ……ただの馬鹿だ。


 仕方ない、覚悟を決める。このままでは共倒れだ。


「しょうがない、これだけは使いたくなかったが」


 半ばやけくそ気味に、首にかけていた、人差し指が入るくらいの大きさの金属カプセルを外す。


 狼騎士達が目を見開き、思い出したかのように数歩後退する。

 やっぱりこいつらが恐れてるの、僕じゃなくてこれだわ。わかってたけどね。


 どうせ死ぬくらいなら全員このシトリーちゃんの作ったやたらヤバそうな、スライム? に飲まれてしまえばいい。詳しくは知らないし知りたくもないけど。


 僕は緊張で震える指先でキャップを外すと、投げる前にそっとそのカプセルの中を見下ろした。




「……」




 目を擦りもう一度確認する。眉を顰め、人差し指を恐る恐る中に入れてみる。

 ティノ達が心配そうな目で僕を見ている。


 僕は一度大きく頷き、キャップを締め直した。


 そのまま大きく振りかぶり、狼騎士達の方に投げつけると同時に、それ目掛けてショックショットを放つ。


 狼騎士達がざわめき、俊敏な動作で大きく距離を取る。

 弾道操作された魔法の弾丸がそこに着弾するのを確認するのと同時に、僕はティノの方に駆け出した。


「ティノ、急げッ!」


 駆け寄る僕を見て、ティノ達が一斉に走り出す。


 金属カプセルが弾ける。

 狼騎士が威圧するかのように咆哮を上げているが、構っている暇はない。 


 中身が空なことに気づかれないうちに急いで逃げないと。


 ……何あれ? 中身どこいったの? 怖っ。

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