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17 白狼の巣④

 歩くこと一時間弱。急に視界が広がった。道の幅が広く、天井が高くなる。


 ルーダが疲労に滲んだ汗を手の甲で拭い、ゆっくりと辺りを見渡す。


 天井の高さはともかく、幅だけならば複数体のウルフナイトが横に並べるだけの広さがある。


 ティノの呼吸は落ち着いていた。表情も宝物殿に入った直後とほとんど変わらず、その服装にも乱れはない。


「そろそろ王の間があるはず。宝物殿になる前は群れのボスの部屋だった」


「ボス部屋、か……少し休みをいれるか?」


 ティノの言葉に、グレッグが顔を顰める。


 『ボス部屋』はハンター用語の一つだ。宝物殿の最奥――特に強力な幻影(ファントム)が現れる可能性が高い場所を指す。


 宝物殿に現れる幻影は決してランダムで現れているわけではない。


 基本的にマナ・マテリアルの溜まりやすい宝物殿の奥であればあるほど強い幻影が出やすいが、特に歴史反映タイプの宝物殿において、強力な幻影が現れる場所は大体決まっている。


 城型ならば玉座の間。塔型ならば最上階。船型ならば船長室。


 今回の場合はそのまま群れのボスの部屋だった場所だ。

 もちろん、確実に『ボス』がいるとは限らないが、警戒はしておいた方がいい。


 グレッグの言葉に、ティノが仲間の様子を確認する。


 ギルベルトにルーダ。そしてグレッグ。


 認定レベルはルーダが3で他が4。皆それぞれ中堅レベルのハンターである。

 レベル3ともなれば、その体力もマナ・マテリアルで相応に強化されている。


 宝物殿に侵入してからの戦いはその全てが油断ならないものだった。

 だが、ギルベルトやルーダの表情には疲労こそ滲んでいても、動けなくなるほどのものには見えない。


 ギルベルトがその視線の意味を理解し、強く拳を握ってみせる。


「俺はまだまだいけるぞ」


「私も……まぁ、後数戦くらいなら問題ないと思うわ」


 宝物殿で安全な場所など存在しない。


 結界などを張れるメンバーがいたらある程度の安全性は担保出来るが、今のパーティにそんな便利なメンバーはいないし、そもそも一処で留まっていても徘徊しているウルフナイトに見つかる可能性は十分存在する。


 こんな危険地帯で休憩を取ったところで気は休まらないだろう。


 判断を一瞬で終える。

 死中に活を見出す。休める時は休むべきだが、今のパーティのコンディションは悪くない。勢いに乗っているうちにボス部屋を確認してしまうべきだ。


「ボス部屋を確認してから決める。救助対象はこの近くにいるはず。さっさと助けて帰った方がいい」


「おーけー、リーダー。いっちょやってやるか」


 グレッグが呼吸を整え、ボス部屋の方を見た。


 道の端を、足音を立てないように気をつけながら部屋に向かう。


 視界は良好とはいえないが、恐らく前にきたハンターが設置したのであろう、数メートル間隔で置かれた光る石により、最低限の光源は確保されている。


 ボス部屋から十メートル程離れたところで、ティノは足を止めた。


 目を閉じ、土の壁に手の平を当てる。聴覚と嗅覚に意識を集中する。遠く離れた僅かな気配を探る。


 頬を撫でる冷たい空気の流れ。潜められた仲間の息遣いに、心臓の音。

 しばらくそうやって気配を探していたが、やがて深々とため息をついた。


「……何かいる」


「うげぇ。救助対象の可能性は?」


「十中八九ボス。というか、マスターからの任務にはだいたい大物がいる」


「マジかよ……」


 もはや驚きすぎて、そして信憑性がなさすぎてどう反応していいのかわからず、グレッグが何とも言えない表情を浮かべる。


 ボス部屋に発生する幻影(ファントム)は雑魚と比べてワンランクからツーランク強いことが多い。


 道中のウルフナイトの強さから考えると、絶対勝てないというほどではないが、無謀といってもいい相手だ。


 本来ならばレッド・ムーンを一回り大きくして強化したような個体が出るはずだが、今回それが現れることはないだろう。


 宝具が手に入らない強力な幻影が出現する宝物殿。普段ならば絶対行きたくない場所である。


「逃げたほうがいいんじゃないか?」


 グレッグが一応進言する。その言葉に、ティノがその整った眉を僅かに歪めた。


「最初もそう言った」


「……」


「でも、ここまでほぼ無傷で来ることが出来ている。ボスもなんとかなる」


 ティノのその言葉を、グレッグがその凶相を顰め、無言で噛みしめる。


 確かにその通りである。


 ウルフナイトの強さはいつもグレッグが潜っている宝物殿で現れる幻影と比べて一段強い。

 ハンターにとって安全性が第一。戦う幻影のランクも自分一人で倒せる者というのが目安だ。


 もしも最初から白狼の巣がこんな状況だと知っていたら、グレッグはこのパーティに参加していなかっただろう。


 何しろ、報酬が雀の涙で宝具が出る見込みも少ない、正真正銘のボランティアである。

 『始まりの足跡(ファースト・ステップ)』という大規模クランのメンバーが主導の依頼だったから興味本位で参加したが、そうでなかったらそもそも一笑に付していた可能性が高い。


 腰に帯びた長剣の柄を撫でる。そこまで質の良い品ではないが、数年の間、手入れを怠ることなく使い続けている愛剣だ。


「グレッグは、顔に似合わず慎重すぎる」


「!?」


 とんでもない言い方に、グレッグが呆気にとられる。ルーダとギルベルトも驚いたように目を見開き、二人の様子を見守っている。


 その前でティノが静かに続けた。


「安全な依頼で人は成長しない。グレッグは十分なハンターとしての腕前を持っている。慎重なのはいいことだし、生きていくだけなら今のままでも十分だけど、時には無茶も必要」


「いや、だが……なぁ」


 自分よりも一回り若いティノの言葉に、グレッグが言い淀んだ。そのティノの言葉があながち間違いではないと思ったからだ。


 トレジャーハンターの死傷率はかなり高いが、死者が最も多いのはハンターになりたての新人で、歴が長ければ長いほど死傷率が低くなる。

 実力が上がったから、というのも理由の一つだが、危機管理能力が上がり無茶をしなくなったからというのが最も大きな理由だ。


 無茶をしなくなる。少しでも勝てない可能性のある相手に挑まない。何人も仲間のハンターの死を見送ったハンター程、そうなる傾向があった。


 故に、年を経たハンターにレベル3が多いと思えば、ギルベルトのように瞬く間にレベル4に駆け上がる者が出る。


 確かにマナ・マテリアルの吸収はハンターを強くするが、その精神は強化してくれない。


 ハンターは中堅であるレベル3以下の数が最も多い。認定レベルをあげるには実績ポイントをあげることが必要で、実績ポイントは自分のレベルに適した宝物殿を攻略しなければなかなか溜められないのだ。


 そして、レベル3ハンターにもなれば適正以下の宝物殿を攻略するだけでちょっといい程度の生活が出来るのがそのハンター分布の偏りに拍車を駆けている。


 グレッグはレベル4だ。中堅と呼ばれるレベル3を超えているが、長らくレベルは上がっていない。

 その事実が、気になっていなかったといえば嘘になる。


 ティノがその透明感のある黒の目でじっとグレッグを見つめる。


「グレッグ、ハンター歴の長いあなたが『始まりの足跡(ファースト・ステップ)』を訪れたのは、それをどうにかしたいという思いもあったはず」


「それは……」


 ティノの言葉が心に突き刺さる。なんと言っていいのかわからず、ただグレッグは唇を噛んだ。


 ハンターになった直後にあったはずの情熱は既に消沈して久しい。

 ここまで強力な幻影が現れる宝物殿を訪れたのはいつ以来だろうか。ふと眉を顰め、思い出そうとするが、思い出せなかった。


 沈黙するグレッグに、ティノが信じられないことを言う。


「マスターがあなたをこのパーティに入れたのはきっとそのため」


「なに!?」


「この依頼はグレッグの陥っている現状を打破するには最上の機会だった。そうでもなければメンバー募集会場でちょっと知り合っただけのあなたをパーティに入れる必要はない。マスターは全員を救おうとしていた。つまりマスターは神」


「そ、それは……」


 確かに。


 ティノの言葉に、グレッグは唾を飲み込んだ。


 確かに、不思議でしょうがなかった。何故、自分が千変万化の目に止まったのか。

 メンバー募集会場でグレッグとクライのやり取りはほんの僅かだ。それも、あまり良いものとは言えないだろう。ルーダが呼ばれるのは百歩譲ってわからなくはないが、自分が呼ばれるのはどう考えてもおかしい。


 ティノが呼びに来た時には人違いかと思ったくらいである。


 愕然とするグレッグ。同じような表情をしている残り二人に平等に視線を送り、ティノが呆れたような声を出した。


「まさか、マスターが適当にその辺から人を集めたと思ってたの? マスターはそんな人間闇鍋みたいな適当なことはしない。全てはその神算鬼謀――緻密な計算によるもの。つまりマスターは神」


 断言するティノ。信じられない思いで、グレッグがギルベルトの方を見る。


 だが、神かどうかは置いておいて、確かに言っている内容は納得のいくものだ。

 唯一の問題は、実際に出会ったクライ・アンドリヒと、ティノの話すマスター像が一致しないことである。


 千変万化。ふとその青年につけられた二つ名が脳裏を過ぎり、グレッグがぞくりと身を震わせた。


 ルーダが恐る恐る手をあげる。


「あの……じゃあ、私は、なんで呼ばれたの?」


 ティノは少しだけ考え、すごく嫌そうにルーダの全身を見た。


 その視線が自分よりもずっと大きく膨らんだ胸元に止まる。同じ革製のジャケットを着ているのに、まるで別物のようなデザインになっている。

 その事実に、ティノは幻影を相手にしている時よりも険しい表情を作った。


 マスターはティノにルーダを紹介する時、『白狼の巣』に行きたがっていた人がいたからなどと言っていたが、それがブラフであるのは明白である。


 命懸けのパーティのメンバーを決めるのにそんな適当な動機が許されるわけがないし、それが真実だったらその後に言った『残りはギルベルト少年とグレッグ様でいいんじゃね?』という適当極まりないセリフも真実になってしまう。


 親愛なるますたぁがそんなことをするわけがない。


 険しい目に戸惑うルーダ。ティノはしばらく黙っていたが、その視線に耐えかねたようにぽつりと答えた。


「…………わからない。けど、多分胸が大きいからとかだと思う。私もすぐに大きくなる。お姉さまとは違う」


「え? ちょ、ちょっと待って!? 今なんて言った?」


「さぁ。遊んでないでさっさとボスを倒して依頼を全うする。先手は私が貰う」


「待って!? ど、どういうこと!?」


 騒いでいるルーダから気持ちを切り替え、ティノは一歩ボス部屋の方に近づいた。


 ウルフナイトは大きい。大きくて力が強く頑丈で素早く攻撃行動に躊躇いがないが、唯一敏捷性という意味ではティノよりも大きく劣っている。


 ティノの師匠であるリィズ・スマートはティノと同じ盗賊(シーフ)だ。故に受けた訓練もそちらに寄っている。

 散々、自分よりも遥かに速い者に打ちのめされてきたティノの動体視力はウルフナイトの動きの一つ一つを完璧に捉えていたし、その動きも訓練で見ているものと比べたらずっと緩慢だ。


 相手の格がワンランクかツーランク上がっても動きについていくくらいなら十分できるだろう。

 だから問題は、その分厚く頑丈な体毛で覆われた身体に傷をつけられるか、だ。本来、盗賊の役割は幻影を倒すことではない。


「多分、一体だと思う。他の幻影(ファントム)が来る前に片を付ける」


 ティノの言葉に、各々が戦闘態勢に入る。グレッグがその剣を抜き、ギルベルトが煉獄剣を構える。


 ルーダも短剣を抜き、一歩後ろに下がる。ルーダの役割は周囲の警戒と牽制だ。乱入者があったらそれを引きつけ、足止めもしなくてはならない。

 個々の力で劣っている時点で、挟み撃ちだけは避けなくてはならない。重要な役割だ。


「相手がどんな奴だかわからないんだし、俺が最初に行ったほうがいいんじゃないのか?」


 ギルベルトがティノに進言する。

 その言葉に、ティノは一度深く深呼吸をしてうっすらと笑みを浮かべて見せた。


「問題ない。お姉さまが言っていた。一撃目(ファーストアタック)は華。何がなんでも私が貰う」


「いや、華って――危険なだけだろ。別に一撃目与えたところで何があるわけでもないだろうに」


 ティノが手脚をピンと伸ばし、筋肉をほぐす。調子を確かめると、一度大きく頷き、


「私は――ハンターだから」


 ボス部屋に向かって疾走を開始した。



§



 ボス部屋は縦横十メートル以上もある広々とした部屋だった。ティノが入ってきた道の他に、左右に細い道が繋がっている。


 天井は通路よりも遥かに高く、今までと異なりウルフナイトの倍ほどの高さがあった。

 いつの間にかそんなに地下に降りてきていたのか。そんな思考がふと脳裏を掠める。


 しかし、それほどの広い空間も、部屋の真ん中に佇んでいた巨大な影からすると手狭に見えた。


 それは狼だった。


 ティノの身体程の大きさもある巨大な真紅の戦斧を持った狼人間。


 その全長は今まで戦ってきたウルフナイトよりも二回り程大きく、頭部を除いた全身を黒色のプレートアーマーで覆っている。

 ウルフナイトの鎧も厄介だったが、目の前の狼の装備している鎧にはおおよそ隙がない。関節部も完全にガードされている。


 体長だけでなく、横幅もただでさえ屈強だったウルフナイトよりも大きく、もはやその佇まいは聳え立つと呼ぶに相応しい。


 そして何より、その狼は今まで遭遇した血のように赤い狼と違い――ゾッとするくらい美しい月色をしていた。白銀色の毛皮。獰猛なその顔の左半分が、人間の頭蓋骨で覆われている。


 人間への恨みを感じさせる禍々しい姿。


 その頭頂に生えた二本の耳がぴくぴくと痙攣するように震える。

 突然の乱入者に対して、焦った様子もなく、シルバームーンを思わせる白銀の狼の目が悠然とティノを捉えた。


 殺意がティノの全身を貫く。狼が吠える。

 ティノがそのすぐ隣を駆け抜けるのとそれはほぼ同時だった。


 全身鎧の狼。予想はしていたが、最悪のパターンだ。


 ティノのブーツは底に金属が仕込まれているが、その蹴りは金属を打ち砕ける程強くないし、足を痛めてしまう可能性もある。今ここで足に傷を負うことは死を意味する。


 ここまで大きいと体勢を崩せるかもかなり怪しい。緊張と何よりも高揚に心臓が強く締め付けられる。


 斧が飛んでくる。戦斧というのは本来、重く重心が先端に寄っており、取り回しの難しい武器だ。だが、その狼はそれをまるで棒きれか何かのように容易く振り回した。


 幅、一メートルもありそうな巨大な刃。正面から当たればばらばらになってしまいそうな一撃を強く一歩踏み出し回避する。戦斧の先が地面を砕き、礫がティノのすぐ横を通り過ぎた。


 どろどろした怨念が感じられる、血のように赤い目がティノを追う。

 その巨体が振り返る。ただ方向を変えるために踏み込んだだけで洞窟が小さく振動した。


 身体の大きさにも拘らず、動きには鈍重さの欠片もない。


 ――強い。逃げるだけならばできる。問題は倒すのが難しいことだ。


 重い戦斧の一撃を正面から受けるのはギルベルトでも難しいだろう。そして、煉獄剣でもその装甲を切り裂くことは難しい。


 すれ違いざまにショートソードでその装甲――脚部を斬りつける。金属同士がぶつかり合う甲高い音が響き、痺れるような衝撃が手の平に残る。

 鎧には擦れるような線が残ったが、まるで根が生えているかのようにその体勢は揺らがない。


 そして何よりも、その狼には知性があった。

 目は怨嗟に濡れティノを捉えつつも、その警戒は周囲にも向けられている。今まで戦ったウルフナイトとは違う。


 残りのメンバーが入り口――ボスの背後から駆け寄ってきて、その威容を見て足を止める。


 今までのウルフナイトだったら攻撃を仕掛けていた。だが、ギルベルト達もわかったのだろう。

 その狼が背後からの攻撃を十分に警戒していることを。


 ギルベルトとグレッグが剣を構え、素早く左右に散開する。


「なんだ、こいつは!?」


「くそっ、こんなの見たことねえッ!」


 ギルベルトの目が上下に揺れる戦斧を見て見開かれる。グレッグが険しい目で弱点を探している。


 ルーダが予定通り少し離れた位置に立ち、警戒しながらその全身を観察していた。


 白銀の狼は敵対者四人に囲まれ、しかし焦っている様子はない。そこには王者の貫禄さえ見える。


 ――頭だ。


 ティノが結論を出す。

 このボスはウルフナイトよりも遥かに強化されているが、唯一ウルフナイトと同様に甲を被っていない。弱点も恐らくウルフナイトと同様だ。


 問題はこのボスの体長がウルフナイトよりもずっと大きいこと。大きく地面を蹴らなければとても届かないし、その間は無防備になる。


 今までのように背後から襲いかかっても恐らく通じないだろう。薙ぎ払われるだけだ。

 その目はギルベルトとグレッグとルーダとそしてティノを確認し、常にティノに最も強い警戒を割いている。


「……どうする?」


「撤退するか?」


 幸いなのは、ギルベルトもグレッグも、そしてルーダも、そのボスを前にして恐怖に飲まれていない点。


 最初に彼らを見た時は小物に見えたが、その胆力はここに来るまでの間に知っていた。

 もしも度胸がなければ宝物殿に踏み入る前に、とっくに彼らは逃げ出していたはずだ。


 勝機があるならそこだ。

 このボスはティノ一人では倒すのが至難の相手だ。何とでもできたウルフナイトとは違う。


 これは試練だ。ふつふつと煮えたぎるような戦意を見せるその狼を見て理解する。


 クライ・アンドリヒは見込みのあるメンバーに命懸けの試練を与える。


 かつて嘆きの亡霊(ストレンジ・グリーフ)のメンバーが言った言葉から、そしてその二つ名からそれは、こう呼ばれていた。


 ――千の試練、と。


 それは栄光への第一歩(ファースト・ステップ)


 そして、ティノはそれを乗り越えなくてはならない。


「一撃止めて。なんとかする」


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