13 弟子
ティノ・シェイドというハンターの記憶。
その最も深い部分に刻まれているのは、数ヶ月の基礎訓練を終え、初めてその師匠と組手をした後の光景だ。
「いい? ティー」
にっこりと師匠が笑いかけてくる。
疲労困憊で、地べたで荒い息を吐くティノと違い、その顔には汗の一滴も浮かんでいない。
後ろで小さく結われた輝くようなピンクブロンドの髪に、薄い桃色の虹彩に長いまつげ。肌は日に焼けているが傷一つ、染み一つなく滑らかで、その容貌を見れば誰もが可愛らしいと声を揃えて言うだろう。
耳には金属製の赤いハートのイヤリング。細い手足は無駄な肉がついておらず、胸部もあまり胸の大きくないティノと比べても慎ましやかだ。
身の丈もまだ成長期のティノより低く、隣に並べばティノの方が年上だと間違われることもしばしばあった。
今は――ない。
「クライちゃんが、
甘ったるい声が子供に道理を説くかのような響きを持ってティノに投げかけられる。
立てられたその人差し指。その矮躯から感じる力はティノの知るいかなる存在よりも膨大だ。
年齢が数個しか違わないことが信じられないくらいに。
かつて誰よりも早く栄光の階段を駆け上った者達がいた。数多のハンター達を退けた高難易度の宝物殿を易々と攻略した怪物たちがいた。
優秀と評されるティノ達、第二世代はただその後を追っているだけに過ぎない。
故に、ティノは一度も自分の才能を誇ったことはない。
ティノが師事することになった少女こそがその中の一人。
影すら残さぬ神速。故に、つけられた二つ名が『絶影』。
『絶影』のリィズ・スマート。
風の如く、影の如く、大地を、空を、誰よりも圧倒的に先を駆け抜けるその姿は憧れであると同時に、畏怖の対象でもあった。
笑みを浮かべてはいるが、その目だけはその身体に込められたエネルギーが漏れ出ているかのようにきらきらと輝いている。
「忠誠とか慕っているとか、そういう事じゃない。私がティーに求めるのはねぇ――『絶対服従』なの」
恐らく短気なハンターが聞けば怒り狂うような内容。
しかし、リィズの声は至って真剣だ。
「クライちゃんにねぇ――」
一呼吸おき、その唇からつらつらと言葉が放たれる。じっと覗き込んでくるその瞳に釘付けになる。
「どんな些細なことでも、意見して欲しくないの」
「どんな馬鹿げた冗談を言われても、意図のわからない理不尽な命令を受けても、たとえ命の危険があったとしても――何も考えず忠実にその意志に従って欲しいの」
「クライちゃんに逆らう敵がいたら全員、一人残さずちゃんと潰して欲しいの。たとえ相手がどんな大貴族だったとしても、凄腕のハンターだったとしても、このゼブルディアでどれだけ大きな力を誇っていたとしても、そんなの関係ないの」
「私は、私達に叛意を持つ者が一秒でも生き長らえている事が我慢ならないの。だから――あなたを弟子にしたの。私がいる時は私が全員ぶち殺すけど、いない時に困るでしょ?」
「ティーは賢いから、わかるよね?」
「はぁ、はぁッ……は、はい。お姉さま」
時に才能のあるハンターは怪物と称される。
ティノとて、ハンターの全てがそうだと言っているわけではない。
だが、その師は間違いなく、同じハンターにすら恐れられる怪物だった。
冗談でも言うような雰囲気で述べられた言葉にはしかし、一切の抵抗を許さぬ熱があった。
真剣だ。付け入る隙がないほどに、周囲の何もかもに敵対している。もしもティノが今この瞬間、クライに対して敵意を抱けば師匠はその辺の花でも手折るかのようにティノを殺すだろう。
背丈はティノよりも低く、その肢体もティノのそれより華奢。一見、ただの人間に見える。
だが、まだ人の形をしているのは外側だけだ。
それにティノが気づいたのはティノ・シェイドというハンターの腕が少し上がった後のことだった。
§
異常は探すまでもなく明らかだった。
鬱蒼と茂る森の中。僅かにつけられた『白狼の巣』に向かう道を警戒しつつ歩く。
隊列はティノが先頭に立ち、後ろにギルベルト、グレッグ、最後に後方の警戒を担当するルーダ。
今回の即席パーティの場合、広域殲滅に長けた
グレッグとギルベルトは前衛だ。
グレッグは様々な武器に長けた戦士で、ギルベルトは大剣による一対一の戦いを得意とする剣士。
非常にバランスが悪いがその半面、索敵技術に長けた
ルーダの危機察知能力はソロで活動する者特有の用心深さがあったし、視界が悪かったとしても、敵意を持って近づいてくる
まだ宝物殿にたどり着くその前から、森には得体の知れない空気があった。
魔物や幻影と戦い続けるハンターだからこそわかる独特の空気に、パーティの面々の表情は硬い。
どこからともなく遠吠えのような鳴き声が響き渡る。グレッグが周囲を警戒するように見回し、呻くように言う。
「おかしい。……やばい匂いがぷんぷんする。まだ宝物殿にもたどり着いてもいないってのに――」
「だから遺書を書いた」
無造作に立ち並ぶ一抱えほどもある木々の先を目を細めて観察しながら、ティノが答えた。
「正確に言えば、書かされた、だけど‥…」
ハンターの嫌な予感はよく当たる。マナ・マテリアルの供給により、脳で処理しきれないほどに強化されたハンターの感覚は勘という形でそのハンターに警鐘を鳴らす。
命が惜しかったら、嫌な予感を感じたらすぐに引き返せ。トレジャーハンターをやる上で最も知れ渡っている掟だ。
だが、今回の件については、その掟は当てはまらない。
何故ならば、このような状態になることはとっくにわかっていて、それを許容した上でここにいるからだ。
そして、そのことは臨時パーティとはいえ、事前に話している。話した時点でそれが信用されていたかどうかは別として。
最後尾を慎重な足取りでついてきていたルーダが目を瞬かせる。
「そんな……クライはこの状況をわかっていて、それなのに私達を差し向けたって言うの?」
「追加で言うならば……このメンバー編成も恐らく偶然ではない」
「は? お、おいおい、それは流石に――」
索敵二人にプラスしてフィジカルに特化したメンバーが二人。
確かに、マスターはティノにメンバーを振る際、さも偶然を装っていた。が、それがブラフであることはマスターマスターであるティノの目から見れば明らかだ。
ティノは足跡の古参メンバーだ。その前も、師の所属する『
ティノのハンター人生は地獄のようなトレーニングとそれを前提に振られる試練にあると言ってもいい。
クライから振られた依頼に挑むのは初めてではない。
初めはティノとて信じられなかったが、今は理解している。
「マスターは宝物殿の異常とそこで発生している事象の全てを読み切り、必要な人員を誘導してこのメンバーを集めた。ギルベルト、貴方との腕試しとその結果も例外ではない」
腕試しを経てだいぶ大人しくなったギルベルトがティノの言葉に目を大きく見開く。
ルーダが慌てたように話を遮った。
「ま、待って!? 必要な――人員? いくらなんでも、私が足跡のメンバー募集に参加したのはただの偶然で――だ、大体、差し向けるなら貴女の所にはもっと優秀なハンターが沢山いるでしょ!?」
「そ、そうだ。そもそも、俺が千変万化と会ったのは、あれが初めてで――」
信じられない、信じたくない。
そんな表情を浮かべるパーティメンバーにティノは小さくため息をついて、言った。
まだ宝物殿ではないとはいえ、近場で騒げば幻影や魔物が襲ってくる可能性は高い。
もしかしたらそれすらも予想通りかもしれないが、ティノはさっさと終わらせて帰りたいのだ。
もちろん、死体としてではなく、生きて、である。
その為にはこれがアクシデントではないと知ってもらう必要があった。
「マスターは――帝都中のハンターと、宝物殿の情報を全て網羅している。たとえ会ったことがなくたって、その行動を読むのなんてマスターならば造作もない」
そんなこと、ティノでなくとも、足跡のメンバーならば誰しもが知っている。
大体、レベル8認定のハンターが理由なくメンバー募集に遅刻してきたり、その場で人を煽って大騒ぎさせ、酒場を半壊まで持っていったり、ギルベルトの怒りを逸らして腕試しの対象をティノに移したりするわけがない。そんなのただの馬鹿だろう。
あれは演技だ。とても演技には見えなかったが、ティノの目程度では見抜くことのできない高度な嘘だ。
ティノの若干、苛ついたような言葉に、ギルベルトがそれ以上の言葉を飲み込んだ。
その程度容易く成し遂げてみせる。訓練場で見た千変万化には、そんな得体の知れなさが確かにあったからだ。
背負った煉獄剣の重さがやけに気になった。
武器型の宝具がよく持つ『属性付与』の能力は、術の構築をなくしてそれと同じ効果を発揮する。
煉獄剣の持つ能力の一つである炎の付与は、剣身に炎熱を纏い、切ると同時に焼き尽くすことを可能とする、攻撃力を飛躍的に高める力だ。
これまでの宝物殿において、それが通じなかった相手は存在しなかった。
だがしかし、今回はどうなのか。
千変万化のやってのけた炎の操作はギルベルトの考える煉獄剣の性能の外にあった。あれが煉獄剣の力の本領なのだとしたら、今の自分はその極一端しか使えていないということになる。
ギルベルトは今まで様々な宝物殿を攻略してきたが、今回の宝物殿にはそれらを遥かに越える嫌な予感があった。
不安げな三人を見てティノが軽い調子で言う。
「安心して。マスターは全てを把握してる。どうにもならない依頼を適当に振ったりはしない。私達が死ぬ気になれば攻略は可能ということ。何が起きようと引き返したりはしない。遺書も書いた」
「お、おう……そうだな」
ハンターのセオリーだったら逃げの一手なのだが、骨拾いにどれだけ命を賭けているのか。
内心、やばいことに巻き込まれてしまったと思いながら、なんとか年長の意地を見せグレッグは引きつった笑みを浮かべる。
その瞬間、その視界に影が差した。
太陽を覆い隠す影。
空から降ってくるそれにいち早く気がついたティノがグレッグを突き飛ばす。一秒前までその首があった所を鈍い灰色の輝きが通り過ぎた。
一拍遅れ、ギルベルトとルーダが距離を取り、戦闘体勢に入る。突き飛ばされて転がったグレッグが反射的に受け身を取った。
その目が対象を捉える。匂いも音もなく忍び寄ってきたその影を。
ルーダが目を見開き、蹲ったまま動く様子のない真紅の獣に、掠れた声をあげる。
「……え……ここの幻影って――狼じゃないの!?」
向けられた輝くような金の目を、ギルベルトが睨み返す。抜き去った煉獄剣の切っ先をそこに向ける。
先制攻撃を躱された真紅の獣は緩慢とも言える緩やかな動作で、立ち上がった。
――二本足で。
針金のような真紅の毛皮に、ピンとたった犬科特有の耳。臀部からは同色の太い尾が伸び、その鼻はまるで状況を把握するかのように小さく動いている。
しかし、その獣の大部分は血のように赤い甲冑に覆われていた。手甲で保護された手が、持っている武器を牽制するかのようにゆっくり揺らす。
「こいつ……鎧着てるぞ!? 聞いていた話と違うッ!!」
「剣持ってる……ますたぁ……ますたぁはいつも私の予想の上を行くんですね……」
『白狼の巣』に出現する『
だが、今目の前に出てきた相手は色と顔を除けば想定と何もかも違う。
どこか悲しげなティノの言葉を掻き消すかのように、狼の武者が咆哮をあげた。
§ § §
「あー、ゲロ吐きそうだ。もうハンター辞めたい」
ぐちぐち独り言を零しながら、誰もいないクランマスター室をうろうろする。もしエヴァがいたら冷たい目で見られていただろう。
全く、ティノもちゃんと理由を言って断ってくれれば僕も――。
浮かぶのは何の生産性もない愚痴ばかりだ。
生きてるかどうかわからない救助対象よりもリィズの弟子の方がずっと大切である。
さすがにレベル4にもなるんだから、ハンターのセオリーくらい知っているだろう。やばかったら帰ってくるはずだ。
だが、足跡のメンバーは皆無謀だ。どれほどの強敵が出てこようが、そう簡単に撤退したりはしない。
ティノもそれに影響を受けているところがある。っていうか、一番無謀なのは『嘆きの亡霊』のメンバーなので師匠の悪い影響だろう。やばい。
ティノが僕の命令で死んでしまったら、ただでさえ気の短い師匠のリィズちゃんはどうなってしまうのか。
「あー、最悪ギルベルト少年とグレッグ様を盾にしてでもいいから……」
彼らもティノに犠牲にされるなら本望だろう、きっと。
メンバーを適当に選びすぎた。せめて足跡のメンバーを振るべきだった。
ガークあの野郎、ちゃんと事前に注意を――いや、ダメだ。どう考えても僕が一番悪い。言い訳のしようもない。
すいませんでしたああああああああああッ!!!
きっと大丈夫なはずだ。ティノも『白狼の巣』で出るのはでかい狼だという事はわかっているはず、きっとその対策は万全なはずだ。そう自分に言い聞かせるが、何故かまったく安心できない。
外はもう真っ暗だった。帝都の中ならば街灯があるが、その外には設置されていない。
夜は魔物や獣が活性化するため、夜間行軍は誰からも忌避される。そもそも、今からラウンジにいるメンバーを派遣しても間違いなくティノには追いつけない。
やっぱアークがいないとだめだな、僕は。
半ば現実逃避しながら、僕は覚悟を決めてクランマスター室の壁に設置された本棚に近づいた。
クラン運営や帝都の歴史関連の本が並べられた重厚な棚。そこに不自然に設置された取っ手を握り、思い切り引く。
本棚が音一つ立てずに内側に開く。その先には下に向かって階段が続いていた。
隠し扉の先にあるのは僕の私室である。階段を小走りで駆け下り、暗闇の中手探りでスイッチを探す。
スイッチを入れると、柔らかなランプの灯りがクランマスター室よりも二回り大きな洋室を照らした。
窓のない部屋だ。何人も眠れるような大きなベッド。本棚。テーブル。デスク。ソファ。壁にはよくわからない貰い物の絵に、クランとしての方針である三つのルールが書かれた紙が貼ってある。
しかし、何より目につくのは――部屋中に所狭しと並べられた宝具だろう。
剣。槍。鎧。外套。鎖。指輪。種類も形も様々。
購入した物もあり、譲ってもらった物もある。そしてもちろん、宝物殿に潜入して手に入れた物もある。
それは僕達、『
恐らく、その宝具の全てを適正な値段で売り払っただけで僕達は十代遊んで暮らせるだろう。
だが、僕達の目標はまだ達成されていない。
僕はムカムカする胃を押さえながら、少しでも現状を打破できそうな宝具を探すことにした。