11 白狼の巣
帝都ゼブルディアの北西に広がる大森林地帯。
多くの野生の魔物が生息する森に割って入るようにつけられた半ば獣道のような細い道の先に件の宝物殿はあった。
『白狼の巣』。
元々は大森林地帯に存在する固有の魔物、輝く白銀の月に似た毛皮を持つ狼。『シルバームーン』の大規模な群れが縄張りとする一帯だったという。
足場の悪い森の中、木々の隙間を高速で移動できる屈強な四肢に、あらゆる攻性の魔法を弾き返す毛皮。
鍛えられたハンターの身体を噛み砕く牙に、効果は小さいながらも魔法を使いこなす知恵を持ち、大きな群れを組んで行動して自分よりも格上の魔物をすら狩る森の死神。
一筋縄ではいかない恐るべき魔物として知られていたシルバームーンにはしかし、二つだけ大きな弱点があった。
成体となっても一メートル程度にしかならない小柄な体躯。
そして、如何なる者でも見惚れずにはいられない、その名の由来となった月色の毛皮。
骨も牙も、そして毛皮も、シルバームーンの生体素材は魔物の中で屈指の価値を誇った。
それこそ、危険を冒しての宝物殿攻略――その成果に匹敵する程に。
故に、シルバームーンは訪れるハンターたちの餌食になった。
知恵を、力を、数を、その全てを持っていた魔物はしかし、それ以上の数と、力と、知恵を持つハンター達にとって格好の獲物だった。
魔物は生物だ。どれほどの力を持っていたとしても、宝物殿を徘徊する『
かくして、程なくして狼達は狩りつくされた。
シルバームーンは帝都の発展に反比例するかのようにその数を減らし、その事実がまた毛皮の希少価値を高めた。
森に入る際には警戒すべきとされたその存在は、出会えれば『幸運』という地位に貶められた。
そして、帝都がハンターの聖地と呼ばれるようになった頃にはシルバームーンは、大規模な群れがいくつも存在していた名残を広範囲に広がる巣穴に残し、その姿を完全に消した。
『白狼の巣』
誰もいなくなったはずの巣穴に、全身が血に濡れた狼が出現するようになったと噂されるようになったのはここ十年程のことだ。
§
「こわっ! こんなの絶対怨念じゃん……あー、そういうの僕ダメなんだよ」
手渡された資料をぶん投げ、僕は身を震わせた。ちょっと考えただけでゲロ吐きそうだ。
僕はただでさえ雑魚だったが、幽霊が出る宝物殿ではより一層雑魚な男としてパーティ内部では有名だった。
肝試しとか絶対に無理な人間である。まず、試す肝がない。
青ざめる僕をエヴァが半笑いで見ている。
「そんなに怯えなくても……」
「よりにもよって歴史反映のタイプかよ。業が深いからなあ」
宝物殿は基本的にマナ・マテリアルの溢れる地に顕現するが、それらには幾つか種類があることが知られている。
その場所とは全く無関係に出現するもの。
出現場所の環境、特色を色濃く残すもの。
そして……その場所に残された歴史を反映するもの。
宝物殿の顕現法則は未だ各国で盛んに研究が行われている。正しいことはまだわかっていないが、今回のケースは二番目と三番目の複合だ。
かつて人間により根絶され、残された巣穴を闊歩する、どこからともなく現れた真紅の巨狼。
別にシルバームーン達に同情するわけではないが、ぞっとしない話だった。
「かつてシルバームーンとの戦闘経験があるハンターの証言では……本物よりもだいぶ強化されてるみたいですね」
「ははは……それで毛皮も残らないんじゃ、やってらんないね」
せめて、空笑いを上げてやる。
宝物殿となった地に現れる生きた幻――『
魔物と比べて強いか弱いかはおいておくとして、幻影には幾つか、魔物との明確な違いがある。
その中の一つが――死骸を残さないことだ。
『
そう。まるで本当に――幻であったように。
極稀に最も強く顕現された身体の一部やその他もろもろが物体として残ることもあるが、少なくとも毛皮を剥ぎ取ることはできない。
そんな化物の跋扈するところにわざわざ入って出てこれませんとか、ハンターの自業自得にしか思えない。
エヴァが取り寄せた宝物殿の資料をパラパラめくりながら思案げな表情をする。
恐怖している様子はない。多分、別世界の話だと思っているからだろう。
「しかし、この情報だとレベル3は地形や
「うーん。まぁ、大丈夫じゃないかなぁ。ティノも大概だし……」
宝物殿のレベルは全ての難易度や生きて帰ってきたハンターの数など、包括して定められている。
ギミックや環境が易しい場合出現する幻影や魔物が強い傾向があった。
どちらを得意とするのかはハンター次第だが、今回の場合ギルベルト少年とティノが脳筋なので多少強力な『幻影』が出てきたところでなんとかなるだろう。
てか、ティノが戦う光景久しぶりに見たけど、半分人間やめていた。
なんとなく予想はしていたけど、もう駄目だよあれは。
「よく、ギルベルトが大人しく了承しましたね」
「さぁ。ティノにぼこぼこにされて思うところがあったんじゃないかな。もしかしたらエヴァが調べてくれた情報でかまかけしたのが良かったのかもしれないけど……」
エヴァ・レンフィードは凄い人だ。
ハンター経験こそないが、クラン運営に携わって既に数年経つし、何より帝都でずっと商売に携わっていた経験が生きている。
元々いた商会ともいまだ懇意にしているらしく、クランの物資の購入から、その手広いコネを使った情報収集、時折帝国上層部から来る査察まであらゆる仕事を如才なくこなしてくれる。
ティノに提示した三人の情報についても短期間で集めてくれた。
彼女には本当に頭が上がらない。アークと同じくらい頭が上がらない。
もしもクランマスターに必要な条件として、レベル5以上のハンターであるという条項がなかったら、さっさとクランマスターの座を譲っていただろう。
ふと話した時のギルベルトの表情が過り、思わず笑みが溢れた。
「いやー、いい表情してたよ。才能がありすぎるのも困りもんだな」
破竹の勢いで宝物殿を攻略した。しかし、それに仲間がついてこれなかった。
この業界、どこにでも転がっている話だ。なまじ才能差がはっきり見えてしまうからよく起こる。
僕と違うのは、ギルベルトがパーティでたった一人の天才だったこと。そして、ギルベルトは他のメンバーとの蟠りの解消を望まず、一人でパーティから抜けることを選択したということ。
というか、ほぼ真逆だな。
きっと半分くらい意地になっていたのだろう。彼の言動には半ば自暴自棄のような雰囲気があった。
若き天才が天狗になるのも、それが理由で確執が出来るのも、本当にありふれた話だ。むしろ僕のようなパターンの方が珍しい。
まぁ、一番の被害者は猪突猛進なギルベルトに実力以上の宝物殿を連れ回された挙句、喧嘩してパーティを追い出された他の面々、だけど。
「更生させたんですか」
「いや。言いたいことを言ってやりたいようにやっただけだよ。多少、鼻は明かしたと思うけど、正直こっちも更生とか言えた口じゃないしね」
こっちに変な崇拝抱いてそうなティノさんとか、それを吹き込んだであろうリィズちゃんとか、ギルベルト少年なんて話にならないくらいに質が悪いのが多すぎる。
そして何よりも――適当なクラン運営をしている僕が誰に偉そうに説教できようか。
たまにクランメンバーから人間関係について相談受けるんだけど、本当勘弁してください。責任持てないから勝手にしろ。
エヴァがいつも通り、ぴんと背筋を伸ばした綺麗な姿勢を保ったまま小さく頷く。
「わかりました。そういうことにしておきましょう」
「…………」
エヴァって優秀だけど、たまに変な理解の仕方してそうなんだよなぁ。
仕事してくれるからいいけど。お世話になってるからあえて文句言うつもりはないけど。
都合が悪くなりそうだったので話を変える。
「そう言えば、ギルベルト少年の持っていた宝具――結構いい宝具だったよ」
「煉獄剣、ですか」
黒い鞘に収められた大剣を思い出すと、頬が緩んだ。
僕は宝具が好きだ。唯一の癒やしである。
宝具はいい。素晴らしい。古今東西、ハンターが命をかけてその探索に明け暮れているのもわかる。
何が素晴らしいって、誰でも使えるのが素晴らしい。奇跡と見紛うばかりの能力を誰でも発揮できる。特別な才能が無くても使える。なんと素晴らしいことか。
まぁ僕が持っていてもあまり使わないんだけど、それでも良い物は良い。
「いいなぁ……煉獄剣。売ってくれないかな……炎の属性付与と範囲拡張、もしかしたらちゃんと調べたら他にも効果があるかもしれないけど――」
だが多分売ってくれないだろう。
宝具と言うのは使い慣れるまでかなり時間がかかるものであり、一度慣れたら早々手放そうとしないものだ。
ちょっと触れてみて感じた煉獄剣の素晴らしさについて語っていると、エヴァが呆れたような表情で見ていることに気づいた。
いつの間にか言葉に熱が入ってしまったらしい。緩みかけていた表情を引き締める。エヴァが釘を差してきた。
「無駄遣いはよろしくないかと」
「いやいや、無駄じゃないって……」
「属性付与と範囲拡張? クライさん、そんな宝具何本も持ってるでしょ」
そんな宝具? 一緒くたにしないで頂きたい。宝具はそれぞれが異なる奇跡の産物、大なり小なり違いというもの、癖というものがあるのだ。
そう反論しようとして、エヴァの視線が険しいことに気づく。
僕は立場が弱かったので、小さな声で答えた。
「……まぁ、属性付与と範囲拡張は、武器型の宝具としてはありふれたものだからね……」
帝都には幾つも宝具を売買している店があるが、威力や扱いやすさを度外視すれば何本も売られているだろう。だが、両方を高レベルに備えている宝具となるとなかなかない。
ましてや、『煉獄剣』はこれまで僕が触れたことのある似たような七つの宝具と比べてとても素直で扱いやすかった。あれならギルベルト少年が短期間で使えるようになったのも納得だ。
だが、そんな理由を述べたところでエヴァは納得してくれないだろう。
もしかしたらたまにクラン運用費をちょろまかして宝具を買い漁ってるのがバレているのかもしれない。(もちろん、後で穴埋めはしてる)
エヴァの顔をじっと見つめる。しかし、その何もかもを見通しているかのような透明感のある薄紫の目からはその思考は窺えない。
仕方なく、僕は半端な笑みを浮かべて媚を売った。
「……そ、それはともかく、もしよかったら……そうだな、今度甘いものでも食べにいかない?」
糖分を取れば人間優しくなれる。僕の提案に、エヴァがぴくりと瞼を震わせた。
「……それ、クライさんが食べたいだけですよね?」
「…………いや、そんなことないよ」
エヴァの奴、いつの間に僕が甘党なことに気づいたんだ。
イメージ悪いから隠してるはずなのに……これだから油断ならない。
§ § §
クランのラウンジ。
ティノは真剣な表情で臨時パーティの面々を見て、最初の指示を出した。
「まずは……遺書を書く」
「ちょ、ちょっと待って!?」
ルーダが慌てて机に手をついて立ち上がった。