会社で電話の内容を聞き取れないダメ社員の僕に、「メリーさんからの電話」がかかってきた
僕は入社したての新入社員。
頑張って仕事を覚えなきゃいけない時期なのに、早くもノイローゼ気味だ。
その理由は――
オフィスの電話が鳴った。
電話番は新入社員の仕事であり、僕は率先して受話器を取る。
「お電話ありがとうございます。マンデ株式会社第二営業部です」
相手に挨拶をする。問題はここからだ。
「……の、……ですが」
全然聞き取れない。
「あの……お名前をもう一度よろしいでしょうか?」
「……の、……だけど」
またダメだった。
もう一度聞き返すのは勇気がいる。しかし、聞き返さねばならない。
「すみません、もう一度……」
「……の、……だよ」
明らかに相手の機嫌が悪くなっているのが分かる。
なのに聞き取れない。
結末は分かり切っているが、聞き返すしかない。
「あの、もう一度……」
「チューズ株式会社の田中だよ! ちゃんと聞いて下さいよ!」
怒鳴られた。当たり前だ。
「す、すみません、すみません!」
僕は平謝りするしかなかった。
……
こんなこともあった。
オフィスで作業している僕のところに、先輩が血相を変えてやってきた。
「おい、この間メモで『先方から6時までにメールをくれって連絡があった』って残してたよな」
「は、はい」
「俺はそれを信じて5時半ぐらいにメールを送ったんだ。そしたら『3時までって言ったのになんで遅れた』って俺が怒られたぞ!」
僕が電話で聞き間違いをしていたらしい。
「3時と6時なんて、どうやったら聞き間違えるんだよ……」
「す、すみません、すみません!」
「しっかりしてくれよな……」
先輩は去っていき、僕はため息をつく。
このように、僕はどうも電話の内容を聞き取るのが苦手なのだ。
普段の会話で聞き返すことなんてまずないのに、電話ではどうしてもこうなってしまう。
このせいで電話相手に怒られたり、先輩や上司に迷惑をかけたり、を繰り返している。
電話番が務まらないなんて、ゲームでいうと最初のステージでつまずいているような状態だ。
まさか自分がここまでダメな奴だとは思わなかった。
入社して早くも僕は会社を辞めたくなっていた。
辞めて、電話を必要としない仕事をしたい。そんなものがあるのかは分からないけど。
***
ある昼下がりのことだった。
電話が鳴った。
他に人はおらず、僕が取るしかない。
「お電話ありがとうございます。マンデ株式会社第二営業部です」
「……さん、……」
やっぱり聞き取れない。
ただし女の子っぽい声だというのは分かった。
「すみません、もう一度お名前をよろしいでしょうか?」
「……さん」
またしても聞き取れない。聞き返すしかない。
「すみません、もう一度……」
「……さん!」
「もう一度……」
「私メリーさん!!!」
やっと聞こえた。
ん、メリーさん? もしかして海外の人か?
僕は戸惑ってしまう。
「ア、アイキャントスピーク……」
「落ち着いて! 日本語で喋ってるでしょ!」
「ああ、そうでした。失礼しました。ええと、メリーさんというのは……?」
「『メリーさんの電話』って都市伝説、聞いたことない?」
「あ……!」
すぐに思い出した。
メリーさんという女の子から電話がかかってくるところから始まる、あの有名な都市伝説。
ついに僕もターゲットになってしまったのか。
「ひいい……!」
今更ながら怯える僕に、電話先のメリーさんはため息をついた。
「もういいよ。それより、あなた耳遠いね。声は若いけど、結構年いってるの?」
「いや、22だけど……」
「若い! じゃあなんであんなに耳が遠かったのよ? 今はちゃんと会話してるしさ」
「実は……」
周囲には誰もいなかったし、僕はメリーさんに全てを打ち明けた。
電話の内容をどうしても聞き取れず、会社に迷惑をかけてしまっていることを。
「ふうん、なるほどねえ……」
「どうしたらいいかな?」
いつの間にかメリーさんと普通に会話をしている自分がいる。相手は都市伝説の住人だというのに。
「今はこうして話せてるわけだし、あなたが電話の内容を聞き取れないのはきっと精神的な問題だと思うわ。何かきっかけがあれば、治せると思う」
「なるほど……」
「というわけで、しばらく私が特訓してあげる!」
「あ、ありがとう……」
こうしてメリーさんとの特訓が始まった。
***
電話がかかってくる。
「お電話ありがとうございます。マンデ株式会社第二営業部です」
いつも通りの挨拶で取る。
「……さん」
やっぱり聞き取れない。だけど、メリーさんの声だというのは分かった。
「君は……メリーさん?」
「正解! だけど、疑問形ってことは聞き取れてなかったでしょ」
バレた。鋭い。
「しょうがないなー、もう一回電話かけてあげるから!」
「ありがとう……」
間を置いて、もう一度かかってきた。
「私メリーさん!」
「あ、今度は聞こえたよ! はっきりと!」
「ホント? よかったぁ、じゃあもう一回ね。今度はしばらくしたらかけるから」
「うん、分かった」
それから15分ほどして、再び電話が鳴る。
「私メリーさん!」
「今のはちゃんと聞き取れたよ!」
早くも特訓の成果が出てきたようだ。
そして、メリーさんは僕にこんなアドバイスをしてくれた。
「あなたが電話の内容を聞き取れないのは、心が落ち着いてないからだと思う」
「心が……」
「だからね、電話を取る時は次のことを守って。まず、取る前に深呼吸」
「深呼吸」
「取ったら、焦らず受話器をしっかり耳に当てる」
「うん」
「あと、メモも慌てて用意するんじゃなく、常にすぐ使える位置に用意しておいた方がいいかも」
「なるほど……」
メリーさんは電話を取る前に落ち着け、と教えてくれた。
そういえば僕は、みんなのために役に立ちたい、早く戦力になりたいと思うあまり、電話を取る時はいつも慌てていた気がする。とにかく早く取らなきゃ、という気持ちで取っていた。
メモも、「これはメモを取る必要がある」となってから、用意することが多かった。
それが結果として余計な緊張を生み、相手の声を聞き取れない状態を生み出していたのかもしれない。
「ありがとう、やってみるよ、メリーさん」
「うん、頑張って!」
メリーさんの電話を切ってからしばらくして、電話がかかってきた。
ここで慌てて取ってはならない。まずは深呼吸。
メモも用意しておく。
そして、ゆっくり受話器を取って、丁寧に耳に当てる。
「お電話ありがとうございます。マンデ株式会社第二営業部です」
「ウェン株式会社の、佐藤と申しますが」
聞こえた。はっきりと聞こえた。
一度聞こえてしまえばバッチリだ。すらすらと受け答えができる。そう、まるでメリーさんと会話をしていた時のように。
その後も僕は何度か電話を取ったが、内容を聞き取れないということはなく、問題なく受け答えすることができた。
一度自転車に乗れるようになると、決して忘れなくなるというが、まさにそんな感じだ。
それからというもの、僕は電話でトラブルを起こすことはなくなった。
電話取りができるようになったぐらいで、と思う人もいるかもしれないが、僕にとっては大きな一歩だった。
「このところ、電話の受け答えも立派になったな。そろそろ新しい仕事でも覚えてみるか?」
「はいっ!」
先輩にもこう褒めてもらえた。
入社して早々、暗雲に包まれた僕の社会人生活だったけど、どうにか光が差し込んできたような気がした。
***
さて、僕とメリーさんはどうなったのかというと、彼女との縁は実はまだ続いている。
時々メリーさんからは電話が来る。
「私メリーさん」
「やぁ、こんにちは」
「すっかり立派になったね」
「ようやく半人前になれたってところかな」
僕は気になる疑問をぶつけてみる。
「ところで、メリーさんは僕のところには来ないの? 『後ろにいるの』ってやつ」
「あなたはまだ忙しそうだしね。だけどいずれもっと立派になったら、会いに行ってあげようかな」
「その時は、応接室でお茶菓子を用意して待ってるよ」
「楽しみにしてるわ」
メリーさんとの電話が切れる。
立派な社会人になって、君が来るのを楽しみに待っているよ、メリーさん。
こう誓うと、僕は先輩に任された仕事に取りかかった。
完
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