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第18話 祭りの前に




「わ、わたっわたちっ!? ぶぶぶぶんかしゃいをいっちょに回ってっててもらえましぇんでうか!?」


「すまん、もっかい頼むわ」


「はうあっ!?」


 青藍魔法文化祭前日。

 見回り作業をしていた俺に待ったを掛けたのは咲夜だった。1年のフロアに足を踏み入れるなり声を掛けられたことから、ずっと教室から廊下の様子を窺っていたのかもしれない。


 そして、何をまかり間違ったのか廊下で一対一で話すことになったわけである。決闘でもするつもりか。周囲では「何事だ」と後輩共が人垣を作り始める。見世物なんかじゃねーからとっとと散れと言ってやりたいが、止めた。変な噂が広がって副会長にシメられる展開だけは避けたい。

 この状況を作り上げた張本人である咲夜はというと、不可思議な言語をのたまった挙句、顔を真っ赤にして俯いてしまった。実に壊滅的な言語だった。ただ噛んだだけではあそこまではいくまい。何があった。


「ひ、姫百合さんっ」


「頑張って!!」


 咲夜のクラスメイトであろう女の子たち数人が、俺の視線を気にしながらも咲夜へと近寄る。……お前らの差し金か。俺のジト目に気付いたのか、女の子たちは「あはは」と笑いながら咲夜の後ろへと隠れるように下がった。


「あっ、あのっ!!」


 咲夜に何の入れ知恵をしたのかを吐かせてやるかと口を開きかけたところで、咲夜が叫ぶ。


「わ、わたっ、私とっ! 一緒に回ってくれませんか!? ぶっ文化祭を!!」


 ……、……なぜ、倒置法。

 失礼ながら最初に感じたのはそれだった。いつもは普通に話せているのに、なぜ今に限ってこうなのか。周囲に冷やかしがいるからか。だとしたら、完全に自業自得だと言ってやりたい。こんな決闘のような舞台をセッティングすれば、誰でも興味を持つだろう。


「え、えーと」


 そんな他人事のような考えを抱きつつ、頭を掻く。

 当初は楽しむ気持ちでいっぱいだった文化祭も、開催が近付くにつれて徐々にそれが無理だと悟り始め、今では不可能だと断言できるまでになった。そりゃそうだろう。「学園間のいやがらせがあるかもしれないから、生徒会では注意をしていかなければならない」から「わざわざ師匠が口を挟んでくるぐらいの厄介事が文化祭で起こるから、注意をしておかなければならない」だ。残念ながらこの2つには決定的なまでの差がある。簡単に言うと、命の危険があるかないかだ。


 咲夜からの申し出は嬉しい。少なくとも、こういったイベントで一緒に過ごしたいと思って貰えるのは本望だ。

 だが……。


「……っ」


 咲夜に目をやると、目を瞑り、俯き、スカートの裾を握りしめ、ぷるぷるとしていた。


 ……。

 ……ちょっと待て。そんな反応をされたら、罪悪感が。


「だ」


 ……ん?


「だ、だめ、……でしょうか」


 ……。

 ……、……。

 絞り出すような声だった。


「じ、時間が作れたらな」


 俺の返答も、絞り出すような声だったに違いない。







 溜めに溜めていたため息は、生徒会館へと続く長い階段でゆっくりと吐き出した。日は既に沈み、周囲が静寂に包まれている分、その音はとても大きく聞こえる。

 今日一日も、見回りやクラスの手伝いをしているうちに終わってしまった。明日からはいよいよ文化祭の始まりだ。この疲労感が心地いいと感じているあたり、何だかんだで楽しんではいるのかもしれない。


 そして。

 ……結局、了承させられてしまったな。


 昼頃の、1年のフロアでの出来事を思い出し、苦笑してしまう。

 こちらとしては「あくまで時間が作れたら。可能性は低いけど」という意味合いで口にした言葉だったが、向こうはそうは捉えなかったようだ。顔を真っ赤にした咲夜からは、礼と共にはにかむような笑顔を向けられたし、後ろにいたクラスメイトの女の子たちはキラキラした目で「やったね」とか言ってたし。おまけに「咲夜のタイムスケジュールができたら直ぐにお渡しします」とまで言われてしまった。完全に詰まれた気がする。


 救いなのは鑑華のように1日単位で束縛される可能性は低い、ということか。束縛という表現は失礼かもしれないけども。咲夜の休憩時間にでも付き合ってあげればそれでいいだろう。こちらもうまく時間調整をしていかなければなるまい。……A組とC組の売り上げ対決で負ければ、文化祭での自由時間は絶望的になるわけだが。


「何やら哀愁漂う背中ですね」


「……お前か」


 もう一度ため息を吐こうとしていたら、後ろから声を掛けられた。ちょうど片桐がこちらに追いついたところだった。足は止めず、そのまま階段を上り続ける。


「何かあったのですか?」


「何もねぇよ」


「おかしいですね。今日は1年生から告白されたという情報しか入ってないのですが」


「知ってんのかよ!!」


 吠えた。

 情報って何だ情報って。しかも告白とか話が盛られている。着色料の度合いが強すぎるだろう。


「令嬢から告白を受けて玉の輿街道爆走中の中条聖夜さん、何かお悩みですか?」


「職場にね、陰湿ないじめがあるんだ。ちょっと心が病みそうでね」


「そうですか。ところで話は代わりますが、『自業自得』という言葉はご存じですか」


「知ってるし代わってねーよ!!」


 なんてカウンセラーだ。信じられない。心が病みそうと言っているのに「そうですか」とスルーした上で更に傷口を抉ってきやがった。止めを刺しに来たのかこいつは。……刺しに来たのか。


「で、お互いの認識共有ができたところで、実際にはどうされたんです?」


「認識共有? これで?」


「相談に乗ってあげなくもないです」


「……凄い上から目線だな。それにどうした? 相談に乗るなんてお前らしくもない」


「いえ。同僚の問題は私の問題ですから。……ぷぷ」


「笑ったよな。今笑ったよな。え? おい」


 予想通りただの冷やかしだ。口元を手で隠しているが、それで隠せていると思ったら大間違いだ。

 少しの間、沈黙が下りる。


「……なあ」


「……はい」


 階段を上りながら、口を開く。


「怒ってるんじゃないのか」


「……、……もちろん、納得はしていません」


 場合によっては勘違いされても文句が言えない質問だったが、片桐は真意を汲み取ってくれたようだ。


「それとこれとは話が別ですから。文化祭を通常通り執り行うというのなら、そこに全力を尽くすのは私の役目です」


「そうか」


 口で言うほど割り切れている奴の表情ではない。ただ、それを指摘するのは野暮と言うものなのだろう。


「鈴音さんも、会長や貴方と同意見のようです。でしたら、私がそこに口を挟む資格はありません」


「……資格?」


 何ともまた大袈裟な単語が飛び出してきたものだ。


「失言でした。聞かないで頂けると助かります」


 そう思っていると質問するよりも先に牽制された。片桐はこちらを向いてこない。あくまで階段の先を見つめているだけだ。

 それは、完全なる拒絶の意志。


「そうか。……まぁ、お前が拗ねて文化祭をサボらないなら別にいい」


「貴方じゃないんですから」


 露骨にため息を吐かれた。気配り上手なこの台詞にケチをつけてきただと?


「ところで話を戻しますが、告白の返事はどうされたのですか?」


「自分の立場を弁えてから発言しろてめぇ!!」







 生徒会館の応接室では、既に蔵屋敷先輩と花宮によって準備が着々と進められていた。今日はこの場所でロックバンド『アイ・マイ・ミー=マイン』を迎え、文化祭2日目に行われるスペシャルライブの打ち合わせをすることになっている。完全下校時刻を過ぎたこの時間に行われるのは、彼らの顔は広く知れ渡っているからだ。下手に学園内を歩かせると、ちょっとした騒動に発展しかねない。


「そろそろ時間か」


 会長が腕時計を見ながら言う。

 22時を回った。彼らは副会長が迎えに行っている。校内で迷うことは無いだろう。


「では、みんな。お出迎えと行こうじゃないか」


 会長の号令のもと、俺たちは生徒会館の入り口へと向かう。


「……会長は緊張とかしないんですか」


「ん?」


 あまりにも普段通り過ぎる会長に後ろから声を掛けてみる。

 世界的にも有名な人間をこれから迎え入れようとする割に、ぜんぜん緊張している素振りを見せていない。こういうことに慣れているのだろうか。


「これでもしてるんだよ? うまく隠しているだけさ」 


 肩を竦めるようにして会長は答えた。


「それを言うなら君もじゃないか。後ろを見てごらん。沙耶ちゃんと愛ちゃんなんてガチガチだよ」


「ほっといてください」


 言うほどガチガチではなかった片桐が、不貞腐れたような声色でそう言う。会長は楽しそうに笑ってから、改めてこちらに視線を向けてきた。


「俺だって緊張してますよ。隠すのがうまいだけです」


「おっと。これは一本取られたか」


 会長は含み笑いを漏らして、生徒会館の扉を開ける。外には闇が広がっていた。


 実際のところ。

 ロックバンド『アイ・マイ・ミー=マイン』なるメンバーに興味は無い。別にファンでもなんでもないから、いくら有名どころが来たところで感激するはずもなく、まあ失礼の無いように振舞おうくらいにしか考えていない。

 問題なのは、王直属の護衛集団『トランプ』の一員がそのメンバーにいるということ。


 以前、俺は師匠とともに魔法世界へ不法侵入したことがある。師匠は正規に入国する伝手を持っていたし、俺だって正規手段に則って入国手続きを取ることだってできた。が、あの時は緊急時でそんなに時間を掛けてはいられなかったのだ。「入国手続きぃ? 貴方、それで浪費した時間のせいであいつら取り逃がしたら責任取れんの?」とは、その時の師匠の弁。


 侵入自体は転移魔法(テレポート)を使ってちょちょいのちょいだった。ただ、それで魔法世界の堅牢なセキュリティを突破できるはずもなく。侵入者が現れた、と魔法世界中に非常警報が鳴り響くという最悪な事態を招く結果となった。

 最悪な事態には最善な処置が為されるのが当たり前なわけで。出張ってきたのはやはりというべきか『トランプ』の一員とその部下大勢。その時の護衛団員の名前は忘れた。それが問題だ。今日やってくる奴でないことを願う。切に。


 まあ、こちらはローブのフードを深くかぶり、顔を隠していたのでバレないとは思うが。

 不安は拭えない。


「来たか」


 会長の声を聞いて我に返る。

 視線の先には、副会長を先頭として4人の来賓が後ろからついて来ていた。『アイ・マイ・ミー=マイン』のメンバーだろう。1人だけ黒髪なのは、その男が日本人である今井修だからか。


 そして。

 4人の中の1人。

 ヘアワックスでツンツンに髪を立たせている男。


 並んで迎える俺たち生徒会役員の前まで、副会長が案内してくる。何やら俺たちの紹介でもしているのだろうが、もうその言葉は耳に入って来ない。

 見覚えが、あった。こいつが魔法世界で拳を交えた男で間違いない。よりにもよってこの男がメンバーだったのか。運が悪すぎだ。


 目が合う。

 俺の顔を見て、ニヤリと笑みを浮かべられたのは気のせいだと信じたい。







 時を同じくして。

 秋山千紗(あきやまちさ)は寮室にて、相手方の言葉を聞いて思わず携帯電話を取り落としそうになった。


「……は?」


『期限は1日だと、主は仰った』


 電話越しとはいえ、それでも相手方の声からは忌々しさがありありと滲み出ていた。


「ど、どうしてそのようなことに」


『皆まで言わねば分からないか』


「っ」


 苛立ちを含むその声色に、千紗が言葉に詰まる。


『奇縁、千金。お前たちの行動を知った主は不満を抱いている。確実にターゲットを討伐できるのか、とな』


「そんな……、それに討伐対象になるかどうかは、危険度を計ってからなのでは」


『何を世迷言を……。主が討伐対象に指定した時点で、既に結果は出ているだろう』


 その言葉を聞いて、千紗は以前、千金が言っていた内容が事実だったと悟った。候補として挙がった時点でソイツは既に害虫なんだよ、と。


『1日目で、必ず仕留めろ』


 それは、聞き間違えのない命令だった。


『分かるな? これはこの国の平穏を保つためだ。必衰(ひっすい)を表に出してみろ。いくら死人が出るか分からんぞ』


 そう早口に捲し立てられ、通話は一方的に切れた。無機質な電子音だけが、通話口から響き渡る。千紗はほぼ無意識で携帯電話を耳から離した。


 呆然と、その画面を見る。

 彼女の中で燻る疑念に、応えてくれる者はこの場にいない。

第3章 魔法文化祭編<上>・完

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