第13話 “何も言うな”
☆
瞼を開けると、そこは見慣れた天井が広がっていた。青藍魔法学園の男子寮405号室、つまりは俺が使ってる寮室だった。
「……起きたかい?」
「……は?」
聞き覚えのある声が聞こえた気がして、そちらに目を向けてみると。
「やあ、気分はどうかな」
いつも通りの隙の無い笑みを浮かべた会長が、椅子に座ってこちらを眺めていた。
「会長? ……なん、いって!?」
突如、激痛に襲われる。慌てて布団を引き剥がそうとしたところで、その腕が視界に入り愕然とした。包帯でぐるぐる巻きにされていたのだ。
「……え? え? え? え? ちょっと、待って。これ何どういう状況?」
訳が分からない。
「一度落ち着こうか。その反応でだいたい理解したよ。何が起こったのか分からないだろうが、まずは冷静になってくれ」
「は、……はい」
会長に諭すように言われ、気を落ち着ける。身体がずきりと痛んだ。
「……鈴音のやつ。加減が分からなくなるほど切羽詰まっていたとでも言うつもりかな」
「え?」
「いや、こっちの話さ」
会長は1人勝手に納得して首を振る。
「さて。まずは説明をする上で一番重要なことを聞いておきたい。中条君、君はいったい、どこまで憶えている?」
「は?」
憶えている? 何の話だ?
「そのままの意味さ。今日の出来事、生徒会の活動。君の記憶はどこまである?」
「今日の記憶って……」
そりゃあ片桐、蔵屋敷先輩の2人と一緒に屋上の領分とやらの確認に行って……。
……。
あ?
「……、……あれ」
「うん。何となく分かっただろう? 君が思い出せるのはどこまでかな」
「片桐と蔵屋敷先輩に連れられて」
「うん」
「屋上に行って」
「うん」
「メジャーと図面を持って、……」
そこで口が止まった。止めたのではない、止まった。止まってしまった。
「……マジかよ。そこから先の、記憶が無ぇ……」
自分の掌をまじまじと見つめる。信じられなかった。まるでこれは自分の手では無いようで。いったい、……何が。
「なるほど。対象者の記憶には残らない、か」
「対象者?」
会長から漏れ出た単語に、引っ掛かりを覚える。
「対象者ってのは何です、俺のことですか? 俺はいったい……」
「そうだね。何から話すべきかな」
★
「んでもってぇ。なぁんで俺様はこんなところに呼び出されちゃってるんですかねぇ。日付間違えましたかぁ? 予定日まで後3、4日あるって聞いてたんですけどぉ」
「……間違ってはおりませんわ。お呼び立てされたのは、その前にお話があるからだそうです」
紅赤魔法学園の最寄にある喫茶店、その店内最奥にある人目に付きにくいテーブル席。既に腰掛けていた白い少女は、苦々しい表情を隠そうともせずにそう返答した。
そして。もう1人。
「てゆーかさぁ。落ち合い場所にわざわざ貴方の学園の最寄を指定してあげてるんだから、文句言うのやめてくれないかなぁ。私なんて学園抜け出して来てるんだよ。ここまで来るのにどれだけ時間と労力が掛かってると思ってるのよ」
白い少女の隣に座る少女は、少年へ目を向ける事無く気怠そうにそう告げる。それを聞いた少年は、鼻で嗤いながら対面の空いている席へ乱雑に腰を落とした。
「てめぇのシマの厄介事を請け負ってやろうってんだ。そのくらいは当然だろうが」
「なによそれぇ!!」
過剰に反応した少女が叫ぶ。隣の白い少女は、うるさくなりそうだと直感するや否や黙ってそのテーブル席の周囲に防音の魔法を施した。
「私だって貴方になんか頼みたくないもん!! 1人でできるもん!!」
「……じゃあ1人でやれよ」
そのテンションについていけない少年は、うんざりした調子でそうつっこむ。
「しょうがないじゃない!! そう言われちゃったんだもん!!」
少年は心外だとばかりに喚く少女から、隣に座るもう1人の白い少女へと視線を移した。
「俺に、お前、そして水月。……バックには呵成さんもつくんだろ。これだけ投入する必要があんのか」
「ある、と判断しているのでしょうね。主は」
白い少女は端的に答える。少年は舌打ちして再び視線を水月と呼んだ少女へと戻す。
「どうなんだ」
「んー? 実技成績なら底辺じゃないかなぁ。けど、実戦経験でいうなら多分凄い。……てゆーか、その話なら千金と奇縁、2人の方が知ってるでしょ? 直に見てるんだから」
「あん? そうでもねぇよ」
千金はそう言いながら手元にあったブザーを押した。それを見た白い少女・奇縁が即座に防音の魔法を解く。直後にウェイトレスが注文を取りに来た。
「ご注文でしょうか?」
「クリームソーダ1つぅ」
「かしこまりました。他はよろしいでしょうか?」
頷く千金。見向きもしない少女2人。ウェイトレスはにこやかに微笑みながら「少々お待ちください」と一礼して下がった。奇縁がため息を吐く。
「呼ぶなら呼ぶと言ってくださいな。こちらは魔法を使っているのですから」
「面倒臭ぇ」
奇縁は「これだから……」と大袈裟に肩を竦めた。
「んで、何の話だっけか。あぁ……、ったく。折角会えたってのによぉ、こっちはやっと盛り上がってきたってところで呵成さんに止められて――、ちょっと待て。……2人?」
千金の呟きに、奇縁は露骨に顔を背ける。水月は「よく気付きました」と言わんばかりの白々しい視線で隣の奇縁を見た。
「そういうこと。本日のお題は『釘刺し』」
「ふざけんなよてめぇ。こっちが遊んだ時は滅茶苦茶文句言いやがったくせに、自分は自分でお楽しみでしたってかぁ?」
「っ」
傷口を抉るような言葉を投げかけてくる千金を、奇縁は殺気を込めた視線で睨み付ける。
「納得のいく説明ってやつができんだろうなぁ、クソが」
「あ、あれはっ」
「ふぁあ。もう帰っていいかなぁ。私は別に悪い事してないんだし」
「おー、帰れ帰れ。もともとてめぇなんざお呼びじゃねぇんだよ。二度と顔出すな」
「なっ!? なんだとぅ!?」
「クリームソーダ、お待たせしました」
一触即発の雰囲気を醸し出していたテーブル席に、緑色の液体が置かれた。それで毒気が抜かれたのか、やや前のめりになっていた身体を水月が戻す。千金はもはや見向きもしない。途端に大人しくなりむしゃむしゃとアイスを咀嚼し始めた。
「……はぁー。呵成さんは何してるのよ。まだなの?」
「先ほど主から連絡があると出ていかれたままですね。何かあったのでしょうか」
☆
「結論から言うとね。君は操られていた可能性が高い」
「……、……は?」
何を言われたのかよく分からなかった。何とか絞り出せた言葉はそれだけ。その俺の反応を見て、会長は少しだけ眉を吊り上げた。
「屋上へ鈴音君、沙耶ちゃんと行って、そこから先は思い出せないかい? 鈴音君を襲ったことは? 大和を返り討ちにしたのは憶えているかな?」
「ちょ、ちょっとちょっと!? 襲う!? 返り討ち!? いきなり何の話をし、て、……、まさか」
そこまで言って、背筋に悪寒が走り抜けた。
まさか。
俺は。
「そのまさか、さ」
会長は感情の読めぬ平坦な顔で言う。
「屋上で君は鈴音君を襲った。それを助けようとした沙耶ちゃんが大和に助けを依頼した。鈴音君と大和の2人で暴れる君を抑え込んだ。そういうわけだよ。救いだったのは、……死者が出なかったこと、かな。大怪我をした人間はいるようだけれど」
俺の身体を見て、会長はそうまとめた。
「大袈裟な言い方だと思ったかい? ところがそうでもないんだ」
……は? 会長の含みを持った言い方に疑問を覚える。
が。
それは直ぐに氷解した。
「君はどうやら無系統魔法を使ったようだからね」
「――――っ!?」
心臓が、止まったかと思った。
★
「待たせてすまない」
褐色の男だった。見るからに高級そうなスーツを着込んだ男は、青藍、紅赤、黄黄のそれぞれの制服を纏う少年少女のテーブル席へ躊躇いなく近付いた。
「おっそぉい」
反応したのは水月のみ。奇縁はわざと視線を合わせないようにしているのか、不自然なほど顔を逸らせて窓の外へ見入っている。千金に関しては素で気付いていないのか携帯ゲーム機と格闘していた。
「……何をしている、千金」
「『ポシェットカスタマー』、略して『ポシェカス』」
別にゲームカセットの名前を聞いたわけではない。略した方が逆に言い難くなっているような気がしないでもなかったが、そこを指摘するほど呵成も暇ではなかった。
「何よそれ」
ただ、水月は興味を示したようだ。対面に座る千金のゲーム機画面を、テーブルに身を乗り出して見ようとする。
「営業マンになってひたすらに顧客を集めていくゲーム」
千金以外の誰もが、彼に似つかわしくないゲームだと思ったに違いない。
「……面白いのか?」
眉を吊り上げた呵成が問う。
「当然」
千金は即答した。
「ひたすらに粗相を繰り返し、徐々に失墜していく会社の信頼。もう最高」
「……、……面白い、のか?」
明らかに目指すべきところが違っていた。呵成の繰り返しの質問は、もはや誰に対しての質問かも分からなくなっていた。
☆
差し込んでくる夕日に照らされ、会長の銀髪が赤みを帯びた光を発する。影の落ちたその表情、妖しく光るその眼光に、言いようの無い悪寒が走り抜けた。
……。
襲っ、……、……た……?
誰 が? なに、 を、
どう し て
返 り 討 ち
蔵屋 敷先 輩 を
大 和 さ ん は
使 っ た
無 系 統 魔 法 を
師 匠
知 ら れ た
バレたのか?
書 き 換 え
とぼけられるか
いったい誰に?
まさかこの目の前の
ど こ ま で広 まって
どうすれば?
今 更 そ ん な
舞
可 憐咲 夜
だ っ て 知 っ て
1 人 広 まったくらい
1人?
そもそもなぜ
思
考
が
。
定 ら
ま な 。
い
「さて」
「――――っ!?」
意味の無い言葉の羅列が。
目まぐるしく頭の中を駆け巡っていた。
それでも。
目の前の男の声は、するりと俺の中へと入ってくる。
「ここまで言えば、次に俺が質問したいことは分かるかな」
シツモン。
シタイコト。
畳み掛けるようにして会長は言う。
「君の隠している能力について教えてもらおうか」
「っ」
予想通りの質問が来た。
そう。
定まらない思考であっても推測できてしまうほど、予想通りの質問だった。
「ここらが年貢の納め時だよ、中条君」
目の前の男は一方的に続ける。
「君が一度操られてしまった以上、二度目が無いという保証は無い。君の能力は危険だ。人を死なせてしまう恐れが十二分にもある。言っている意味、理解できるよね」
「……それ、は」
「その魔法は殺傷能力が高すぎる。それは泉で俺も見ていたし、今日君を抑え込んだ鈴音君も同じ見解だ。君の記憶には無いだろうが、君はそれで鈴音君のMCを破壊している」
「なっ!?」
眩暈がした。もはや言い訳が通じぬところまで踏み込んでしまっているということを知ってしまった。
蔵屋敷先輩のMC。つまりはあの木刀。
片桐と同じスタイルで戦うあの人のことだ。木刀に物質強化魔法くらいは掛けていただろう。それを、俺は“神の書き換え作業術”で破壊してしまったのか。
俺の無系統魔法は相手の魔力容量なんて関係無い。というより、そもそも比べる意味が無い。発現さえしてしまえば、俺のそれは対象が何であろうと容易に押しのけてしまう。
「加えて。君のその魔法は大和に二度も牙を剥けている。理解してもらおうか。この状況下で、……それでもなお隠し続けられるほど、甘くは無いぞ」
……。
その言葉が合図だった。
俺は、無意識のうちに握りしめていた拳をゆっくりと解いた。
★
奇縁による防音の魔法が再展開されたことを確認してから、呵成は改めて口を開いた。
「目立つ行動は慎めと言ったはずだ」
「ははっ、いやいやいや」
その第一声に、千金は思わず吹き出した。
「目立つ行動ってのは何を基準に言ってるんですかねぇ。俺が“紅赤の1番手”に居座ることはセーフで、商売敵の学園生にちょっかい出すのはアウトなんスか?」
「当たり前だ馬鹿者」
千金からの軽口を呵成は一蹴した。この質問が来る時点で既にズレている。呵成は思わず頭を抱えたくなった。
「まさかあの場で“上書き”しようとするとは。考えて行動しろ。もし最高の目が出ていたらどうするつもりだったのだ」
「そりゃあ心置きなく塵にしてたでしょうよ」
「……後始末をする身にもなれ」
反省の色がまったく無い千金の言葉に、呵成は軽く頭痛を覚える。そのまま視線を奇縁へと向けた。
「お前もだ、奇縁。条件を満たしたとの報告は受けていた。だが、なぜそれを棒に振った。私は言ったはずだぞ。時が来るまで待て、と」
奇縁は答えない。呵成からの視線を無理矢理逃れるように窓の外へと向けた。
呵成は思わず頭を抱えたくなった。奇縁はこの3人の中で一番組織に対して従順だった。力はあるが言うことを聞かない千金、自由気ままな水月と違い、使い勝手がとても良かった。その彼女までこうでは先が思いやられるというものだ。
「……何があったのだ。いったいどういうつもりであのような事態を引き起こしたのだ?」
奇縁は答えない。呵成の方を見向きもしない。これは今までの彼女を考えると、まさしく異常であると言えた。
「あそこから向こうの目を盗んで逃がしてやったのは誰だと思っている。その私に対しても言えないことなのか」
奇縁は、答えない。
歯噛みをした呵成の胸ポケットから、無機質な着信音が鳴り響いた。
「……今日はよく鳴るねぇ」
「別にどうでもいいけど」という表情で水月が呟く。呵成は画面に表示されている文字を見て、眉を吊り上げた。
「……悪いが話はおしまいだ。学園に怪しまれる前に帰れ」
「はあっ!?」
呵成からの命令に、水月がテーブルを叩いて立ち上がる。
「わざわざこんな所まで呼び出しておいてもうおしまい!?」
「そうだ」
「今回の話、私関係無かったじゃない!!」
「お前も気を付けろ、ということだ。あまり時間を掛けさせるな。主をいつまで待たせるつもりだ」
呵成は画面を水月に突き出しながらそう答えた。その画面には着信のメッセージ。その相手の名前を見ても、水月は怯まない。
「どうやって帰れってのよ!! 外出届出して無いのに校門から入れるわけないでしょ!!」
「奇縁に協力してもらえ。今回の愚行はそれで無かったことにしてやろう」
それだけ告げると、呵成は足早にその場を去った。
☆
「大和さんと蔵屋敷先輩を、……ここへ呼んでください」
「なぜ」
俺の要望に対して、会長は間髪入れずにそう問うてきた。
「記憶があるか無いか、意識があったか無かったかなんて関係無い。俺が殺そうとしてしまったのがあの2人なら、ここから先の話は2人も交えてするべきでしょう」
「生憎と、鈴音君は別件で動いてもらっている」
……別件? シスターが山火事と称したあれだろうか?
会議室の外から盗み聞いたあの出来事が、遥か過去のような気がした。
「……なら、大和さんを呼んでください」
「大和は俺に一任すると言った」
……。
熱くなっていた思考が、一気に冷えた気がした。
「嘘、……ですね」
その言葉は、意図せずして口を突いて出る。
「嘘? いったい何が嘘だと言うんだい?」
「貴方と大和さんは、そんな仲じゃない」
俺のその一言に。
会長は。
今まで見たことが無いほど。
露骨に顔をしかめた。
……。
いつも不敵に微笑んでいるだけの会長。
その会長が見せたその一面に。
再び、身体に悪寒が走り抜ける。
「……君に、何が分かる」
唸るように、会長は言った。
「さあ、何も。ただ……」
黙って俺の言葉の続きを待つ会長に、告げる。
「少なくとも、貴方が何かを隠しているってことは分かります」
「……そうか」
言葉と感情が一致していない。「そうか」と言いつつ、明らかに会長は納得していなかった。
「貴方らしくない。いったいどうしたんです?」
「質問をしているのは俺だよ、中条君」
「大和さんをそんな風に引き合いに出すなんて……。そんな見え見えの嘘を吐く人じゃなかったでしょう」
「……中条君」
「いつもの心を読ませない余裕の笑みを浮かべている貴方はどこへ行ったんですか」
「中条君」
「俺の知らないところで、いったい何があったんですか」
「君に、……何がっ」
「その通りだぜ、聖夜」
その声は、視界の外から。
★
「何なのよ、まったく。意味分かんない」
怒りを隠そうともせず、水月はそう悪態を突いた。隣で大人しく座る奇縁へと目を向ける。奇縁は未だに窓の外へと顔を向けたままだった。
奇縁に起こった心境の変化。その原因について、水月は何となく察しはついていた。
先日、青藍商店街で、奇縁の今のやり方に文句を言ったのは他ならぬ水月だ。彼女なりに思うところがあったのだと考えると、水月も少し安心する。
ただ、それとこれとは話が別なわけで。呵成から能力使用の許可も出たことだし、有効に使わせてもらおうと声を掛けようとしたその時。
「なんで殺さなかった」
千金から不意に投げかけられた言葉。
その対象である奇縁は、その言葉の意味するとこがうまく理解できなかった。
「なんで殺さなかったって聞いてんだよ」
続けて千金は同じ質問を口にする。奇縁の顔が、ようやく正面を向いた。
「……、なんで、と、……言われましても」
理解はできた。だが、続く言葉が出てこない。
「俺たちに与えられたのは、殺せという命令だ。侵食魔法を使ったんだろ。刃物使うなり屋上から飛び降りさせるなり自滅させれば良かったじゃねぇか」
「ちょい待って。害を成すようならって文言が抜けてるよ」
「うるせぇ。候補として挙がった時点でソイツは既に害虫なんだよ」
「何それ馬鹿じゃない信じられない」とかぶつぶつ言いながら、水月は携帯電話を弄り始めた。どうやら言うだけ無駄と悟ったらしい。そちらには目もくれず、千金は続ける。
「分かってんのか。これから俺たちがやるのは、全部お前の尻拭いってことだ」
「……っ」
奇縁はその端整な顔を歪め、下唇を噛んだ。
「吐き気がするほどムカつくぜ。……呵成さんがこの場にいなければ、俺はお前を殺してた」
言いながら千金は立ち上がる。
「どこ行くの。帰るなら奇縁の能力を借りれば?」
「お前も死にてぇのか」
携帯電話の画面から目を離さず気の無い声を掛ける水月に、千金は吐き捨てるようにそう言った。ただの親切心で口にした一言が、まさか暴言で返されるとは。これには流石に、水月も本気でカチンときた。
「……賭博魔法。自分の“上書き”が抱えてるリスク、ちゃんと理解した上で言ってる? 最悪の目が出ても、私は容赦しないよ」
「……外へ出ろ。身の程ってやつを教えてやるよ」
「それ、負け犬のセリフね」
「そこまでだ」
千金の振り上げられた腕は、呵成によって掴まれた。
「ちっ」
隠そうともせずに鳴らされた舌打ちに、呵成が顔をしかめる。
「……お前らというやつは。仲良くしろとは言わんが、せめてもう少し相手を立てるという度量を持て」
「無理ですぅ」
掴まれた腕を払いながら千金は口を尖らせた。
「もうお話はいいの?」
「ああ」
水月からの問いに、呵成は頷く。
「だが、どちらにせよ興が殺がれたな。各自、当日までは余計な行動を慎め。送ってやる。行くぞ」
「はいはーい」
返事をしたのは水月のみ。後の2人は呵成の顔など見向きもせずにファミレスの出口へと向かう。水月も直ぐにその後へと続いた。
「……まったく」
テーブルに残された伝票を掴みながら呵成は愚痴る。
「面倒臭い餓鬼どもだ……」
☆
「がっ!?」
俺の隣。ベッドの傍にあった椅子に腰かけていた会長が、目の前で殴り飛ばされる。会長は勢いの余り床を転がり、そのまま窓へと身体を打ち付けた。
殴り飛ばしたのは。
「……や、大和、……さん?」
「おう、聖夜。戻ったみてぇだな」
戻った、とは。正気がということだろう。
会長の態度から、操られていたという話もどこまで信じればいいか曖昧になっていたが、どうやらそれは事実であるらしい。
「……痛い、……痛い痛いなぁ。ひどいじゃないか大和。いきなり来て殴ることはないだろう?」
尻餅をつき、背を窓に預けたまま、会長は口から垂れた血を拭った。その笑みは、今まで見たことがないほどに自虐の色で溢れていた。
……この男も、こんな顔をするのか。
一番無縁な男だと勝手に思っていただけに、なぜか心の中で酷く衝撃を受けた。
「黙れよ、クソ野郎」
長髪を揺らしながら、嫌悪感を剥き出しにした大和さんは言う。
「その減らず口が叩けねぇよう、もう一発くれてやろうか」
「はは」
会長は乾いた笑みを漏らした。窓に手を掛け、ゆっくりと立ち上がる。
「笑えない冗談はよしてくれ」
大和さんへと歩を進めながら縁は続ける。
「一発目はサービスだ。君の拳が、そう何度も当たるはずがないだろう」
「大和さんっ!!」
そのあからさまな挑発に、本能が危険を感じて思わず叫んだ。
結果として、それは正解だった。
会長に再び襲い掛かろうとした大和さんの身体が止まる。
それを見て、俺を見て。
そして部屋の出口へ視線を移動させた会長は、そのまま大和さんの脇を通り過ぎた。
「中条君」
「……なんでしょう」
こちらに背を向けたまま声を掛けてきた会長にそう返す。
「ここ数日で不審な人物と接触した記憶は?」
「……ありません」
そもそも不審者などこの学園には入って来れないだろう。……いや、そうでもないのか。
「ここ数日で学園の外へ出たことは?」
「あります。クラスの買い出しで」
「行った場所は?」
「青藍商店街です」
「そこで知らない人物と何かしらの接触をした記憶は?」
「……。現段階では、思い当たることは特に……」
「そうか」
少しだけ、沈黙が生まれた。
「今日はもう休んだ方がいい。邪魔したね」
それだけ言い、こちらには振り返らぬまま会長は部屋を出て行った。
★
「会長」
「……沙耶ちゃんか」
後ろ手に扉を閉めて廊下を歩き出した縁は、沙耶に呼び止められた。
「知っているかい? ここは男子寮なんだけど」
「存じてます」
沙耶は悪びれもせずにそう答える。
「……場所を移そうか。流石にここで立ち話はまずいだろう」
縁の言葉に、沙耶は黙って頷いた。大和に殴られた頬を、縁はまだ治療していない。男子寮の一角で、頬を腫らした男子生徒会長と女子生徒会役員が向かい合っている。
それは、流石の縁でも遠慮願いたいシチュエーションだった。
☆
「何も言うな」
「え」
大和さんから発せられたその言葉は、まさしく今から俺が口にしようとしていた言葉を押し留めるのに十分すぎる効果を持っていた。
「俺はお前のあの魔法が何なのか、お前から無理に聞き出そうとは思わねぇ」
大和さんは俺の顔を見ずに続ける。
「俺は別にお前をお前の魔法で気に入ったわけじゃねーんだ。無理に話すな。事情も聞かねぇよ」
「……大和さん」
「ただ」
そこで一度区切った大和さんは、ようやく俺と目を合わせた。
「何かあったら、必ず話せ。抱え込むな。俺にできることなら、協力してやる」
思わず、目を見開いてしまった。
「何だ、その面白い面はよ」
大和さんは長髪を揺らしながら笑う。
「大和さん、……俺は」
「ゆっくり休め」
俺の言葉を遮るようにして大和さんはそう言った。手をひらひらと振って部屋から出ていく。
扉の閉まる音がする。夕日に照らされた赤い部屋で、1人きりになった。
「……俺、は」
安堵しているのか。
話さなくてよかったことに。
俺の秘密を。
守り切れたことに。
この後に及んで。
師匠から言われるがまま。
わけも分からず守り続けているこの秘密を。
「くそォォォォォォ!!!!」
ベッドを両の拳で叩き付けた。
掛布団や、敷布団、そしてベッドのスプリング。それらのクッションがあってもなお、俺の包帯塗れの拳は焼けるような痛みに襲われる。
だが、それを不快には感じなかった。
それ以上に、感じるものなら別にある。
「……何が、プロだ。……何が、ライセンスだ。……俺は、いったい、何してんだよ……」
操られた。
まったく抵抗できずに。
そういった世界とは関係無い、ただの学生に牙を剥いた。
滅茶苦茶だ。
反省のしようがない。
言い訳の余地も無い。
気を抜いていた。
甘く見ていた。
そんなレベルの話では、ない。
「何が、……『黄金色の旋律』だ」
歯を喰いしばる。
不意に。
ベッドの頭もとにある小さなテーブルから、電子音が鳴り出した。
携帯電話。
相手先が誰なのかなど、見てみるまでもなく分かっていた。
★
「守衛の方々から気になる証言が」
「ふむ。聞こうか」
エントランスホールにある談話スペース。丁度夕食の時間帯ということもあり、ちらほらと食堂に向かう学園生がそのスペースの前を横切るものの、談話スペースで腰を落ち着かせている学園生はいない。
念のため、一番奥のソファとテーブルを確保した2人は向かい合わせに腰を落とした。
「本日、私たち生徒会との会合に訪れた黄黄の学生がいた、と」
「へぇ。そんな予定入っていたかな」
「わざとらしいボケは結構です」
腫れた頬を擦りながら言う縁の言葉を、沙耶は一蹴する。
「そもそも――」
「この三校でそういった取り組みが行われた試しは無い。一度としてね」
「分かっているなら最初からそう言え」と言わんばかりに、沙耶は鼻を鳴らした。
「怪しいねぇその子。特徴は?」
「現段階では、黄黄の制服を着ていたということだけ」
「監視カメラはどうだい」
「解析中です」
「結果待ち、か」
縁はソファに深く背を預けた。
「どちらにせよ、一般生徒である我々には触れることができない領域ですから」
「いや、俺が許可を貰ってこよう。後で守衛室へ顔を出すと伝えてくれ」
「花宮さんに手配させます」
胸ポケットから携帯電話を取り出した沙耶は、軽快なスピードで操作していく。
「……『番号持ち』が被疑者だとするならば、厄介な事になるね」
その小さな小さな呟きに、沙耶はメールを打つ指を止めて、目の前に座る縁の顔をじっと見つめた。
「……それ以外の可能性があるとでも?」
「ふ」
窓の外、縁は間もなく沈もうかという夕日に目を細める。
「このタイミングでこの国のパワーバランスを崩すのは気が進まないなぁ」