第9話 Point of No Return
……。
すんごい沈黙が訪れた。行き交う通行人も何事かと足を止める。が、通行人は直ぐに「ああ、学生の馬鹿騒ぎか」くらいの認識で動き出した。
「……う、嘘、だろ」
将人が震えた声をあげる。
「なのでぇ、ざ~んねん!! プラネタリウム使って一味違った喫茶店を用意しようとモロクンでいる君たちには悪いけど、メイド喫茶には勝てないのだ~!!」
「美月美月っ!! モロクムじゃない目論む目論む!!」
「おぉっと失敬。なのでぇ、ざ~んねん!! プラネタ――」
「言い直さんでいいわい!!」
お前が馬鹿なのはじゅーぶんに分かったから。
「そ、それに生徒会の人の前でなんて事を……」
「あー、いい、いい。聞かなかった事にするから」
恐る恐る俺へと視線を向けてくる鑑華のクラスメイトに、手を振って応える。ここでしょっ引いておくのが副会長側でいうベストだろうが(と言うか生徒会側の人間としてベスト)、如何せんこっちの脛にも傷がある。後々不公平だ何だといわれるのは避けたい。
「取り敢えず、その掲げてるメイド服は早く仕舞った方がいいな。どこから学園に情報が行くか分からないぞ」
周囲に目を走らせながら修平が言う。まあ、「お宅の学園生がショッピングモールでメイド服掲げて騒いでました」なんて苦情が入ったらお仕舞いだろうな。
「敵に塩を送るなんて余裕の発言だね!! 松崎君!!」
「……杉村なんだけど」
一文字も合ってなかった。
「こんなところで何してるの?」
「おう、そっちも買い出し終わったのか?」
振り返る。どうやらクラスメイトの女子が合流したようだ。後ろの方で成り行きを見守っていた男子が詳細を説明している。……しなくていいのに。
「……敵、敵か。確かにな」
そんな光景は気にも留めず。修平に言われた通りに紙袋へとブツを押し込む鑑華を見据えて、将人が一歩前に出た。
「何? 松崎君」
「本城将人だよ!! 名前知らないからって適当に呼ぶな!!」
将人がもっともな内容を叫ぶ。
「ごほん。俺たちのクラスのことを敵と見定めた君は、中々に見る目があるな!!」
仕切り直しとばかりに将人はワザとらしく咳払いをして、鑑華を指差した。
「敵って言っても、同じ喫茶店っていう括りだからだけどねぇ~」
鑑華はそんなことを言う。だが、それを聞いた将人はニヤリと笑みを浮かべた。
「……果たして、同じ括りなのは喫茶店というカテゴリーだけか?」
「え?」
その問いかけに、鑑華の眉がピクリと動く。
……おい、ちょっと待て。まさか。
「はははははははははっ!! 甘いわ!! 我が『星の隠れ家』の接客衣装が制服だと誰か言ったか!? メイド服じゃないと誰か言ったか!?」
「何!?」
それを聞いた鑑華のクラスメイトが、カバンに入っていた資料を引っ張り出して勢いよく捲り出す。あれは2回目の文化祭実行委員会の資料として配られた、各クラスの出し物の概要か。……持ち歩いてんのかよ。
「『星の、……隠れ家』。……、っ!? ま、まさか、『決められた制服を着用し』の『決められた制服』というのは!?」
「その通り!!」
将人は両手を高々に掲げて宣言した。
「俺たちのクラスもやるのさ!! メイド喫茶をな!!!!」
「な、なんだとっ!?」
何の茶番だこれは。早く帰りたい。
「ちょっと待って!!」
鑑華の隣にいた女子が待ったをかける。そして、なぜか俺の方へ視線を向けてきた。
「そのメイド喫茶の買い出しに、生徒会の人が付き合っているってことは。……もしかして」
一番触れて欲しくないところに気付かれた。
「くははははっ!! よくぞ見破った!! そうとも!! 青藍魔法学園生徒会役員にして我が学園の誇る『番号持ち』の1人!! 序列2位の“青藍の2番手”ことメイドスキーの中条聖夜は、我がクラスのブレーべぶほっ!?」
「それ以上喋んじゃねぇよ!!」
腹に蹴りを叩き込んだ。
「がはっ、う、裏切るのか、……我が、同志、……よ」
「将人ーっ!?」
クラスメイトの男子が将人へと駆け寄る。説明を聞いて傍観を決め込んでいた女子は腹を抱えて笑っていた。冗談じゃない。
「ふぅん」
地に伏す将人には目もくれず、鑑華は俺のことをじぃっと見つめていた。
「だからあの時も見逃してくれたんだー」
鑑華らしからぬ冷淡な声色だった。
「……嘘を吐いた覚えは無いぞ」
余計な事を喋っていないだけだ。
「黙っておく条件まで提示してきたのに?」
「……」
そこを突かれると辛いかもしれない。
「見合ってないんじゃないかなぁ? 口外しない条件が」
「……結論を言え。どうすればいい」
俺の言葉に、鑑華はニンマリと笑みを浮かべた。
「付き合って」
「は?」
目が点になった。何て言ったこいつ。
「文化祭。一緒に回ろ?」
「……」
そういう意味かよ。何段階吹っ飛ばしたか分からんくらいの告白かと思ったわ。
軽く安堵を覚えつつ、断りを入れようとしたのだが。
「ちょっと待て」
俺が口にするより先に、修平が俺と鑑華の間に割り込んだ。
「なぁに杉村君。私、今、聖夜君とお話してるんだけど」
「お話って表現が似合うほど、朗らかな内容ではないな」
スッと、鑑華の視線が鋭くなる。……驚いた。この女、こんな目もできるのか。
「それで?」
「聖夜がうちの出し物の内容を知ってて黙ってるのは間違いない。でも、それで鑑華さんが聖夜に条件を出すのはおかしいんじゃないか」
「私にも条件、出されたんだけど。そこを置いておかないで欲しいなぁ」
「君のクラスが生徒会の目に留まるような出し物をするのは事実だろう。置いておかないで欲しいって話をするのなら、まずそこからだ」
「……」
修平の言葉に鑑華が口を噤む。
「もっとも、聖夜がどんな条件を提示したかでこの話も変わってくるわけだが」
「……おかしな条件は出してねぇよ」
後ろ目で非難され、唸るように答えた。
「信じていいんだよな」
「今まで俺と付き合ってきた経験則で答えを出してくれりゃあいい」
「そうか」
それを聞いて修平はもう一度鑑華へ向き直った。
「み、美月……」
「鑑華さん……」
「……はぁー」
自分のクラスメイトから宥めるような声色で名前を呼ばれ、鑑華は一際大きなため息を吐いた。俺に恨めしい視線を向けてくる。
「メイド服はどこから調達するのかっていう質問は、このためだったんだねぇ。私たちが保管室にあるやつ使っちゃうと、A組の人達が使えなくなっちゃうから」
「……保管室にあること、知ってたのか」
「知ったのは今日。片桐さんから生徒会の備品チェックリスト見せてもらった時にね」
たまたま目に入ったってことか。この時期は、生徒会の人間に依頼すればいつでもチェックリストは確認できる。
「ごめんなさい。私、ちょっとイジワルだったかもしれない」
綺麗な金髪を跳ねさせて、鑑華が頭を下げてきた。
「いや、俺も悪かった。いくらクラスの為とはいえ、立場を利用した聞き出し方は間違ってたな」
こいつの性格なら、普通に聞けば教えてくれていたかもしれない。そういった努力をせず、最初から強者の立場を使って聞き出しにかかったのは俺の方だ。これは反省するべきところだろう。
修平に肩を叩かれる。目でお礼を言っておいた。問題が山積みとなっている文化祭で、あまり時間を割かれたくないのが本音だったのだ。鑑華と過ごそうものなら丸一日平気で持っていかれていただろう。
「んー、じゃあ対等に勝負しよっか」
「は?」
だからこそ。
もうこの話は終わった気でいた俺としては、鑑華が急に何を言い出したのかがまったく分からなかった。
「勝負しよっ」
いつも通りの明るさを取り戻した鑑華がもう一度言う。
「A組とC組、どちらが人気店になれるか勝負!! C組が勝ったら文化祭は私に付き合って」
「おいおいおい」
勝手に話を進め出す鑑華に待ったをかけた。
「勝負って売り上げでか? 決着が着いた頃には文化祭終わってるだろ」
文化祭で付き合えってのは来年の話をしているのか。
「違うよ~。1日目の売り上げで勝負、私が勝ったら2日目は丸一日私と一緒に過ごすことっ!!」
「はぁ!?」
丸一日!? そんなサボってたら副会長に亡き者にされてしまうかもしれないぞ。
「ちなみにぃ、聖夜君に拒否権は無いからね」
「……なんで」
何となく気付いてはいるが、念のために聞いてみる。
「だってぇ~。聖夜君知ってたってことでしょ? 保管室にメイド服があるの。なのに自分のクラスを贔屓して私に教えてくれなかったもん。あの時に教えてくれてれば、私のクラスもわざわざ買いに来なかったわけだし」
紙袋をくいくいっと揺らして鑑華は言う。予想通りの内容だった。
「まあ、その点に関しては聖夜に非があるよな」
修平も苦笑している。
「ただ……」
「なぁに」
今度は何だ的な表情を隠そうともせず、鑑華は修平に先を促した。
「そちらさんが勝った場合の褒美は分かった。じゃあ、こっちが勝った場合。鑑華さんは聖夜に何をしてあげるんだ?」
それで双方が納得できないと勝負にはならないだろう、と修平は言う。今日ほどこの男が友達で良かったと思った日はない。今度、寮棟の食堂で青藍うどん(食堂のうどんで最上位のもの)を奢ってやろうと心に決めた。
「聖夜君の言うこと、何でも1つ聞く」
そんなことを考えていたら、思わず耳を疑いたくなるような宣言を鑑華がした。
「は?」
「何でも1つ聞くよ。聖夜君が言うこと」
聞こえていないとは言わせないという口調で、鑑華はもう一度言った。
「お前、自分が何言ってるのか分かってるか?」
「もち」
俺の質問に鑑華は即答する。
「何でもって、またアバウトな内容だね」
「鑑華さんへの肯定的な注文を聖夜がするとは限らないんだぞ?」
とおると修平の言葉に、鑑華は鼻を鳴らして応えた。
「それも含めた上で言うことを1つ聞くよ。もし私が嫌いなら、『二度と話しかけるな』って注文してくれてもいい」
「っ」
鑑華の口から、そんな否定的な内容が飛び出てくるとは思わなかった。
「鑑華、……俺は」
「待て、聖夜」
修平に手で制される。
「その答えは、このタイミングで出すものじゃない」
「……そうは言ってもな」
面倒だ何だと適当にあしらってきたからこそ答えにくい内容ではあるが、俺は決して鑑華の事が嫌いなわけではない。鑑華にそういった心配をさせていたのだとしたら、完全に俺に責任があることになる。
「ありがとう、聖夜君」
対して、鑑華はとても嬉しそうな顔をしていた。
「そういう反応を見せてくれるだけで、私は嬉しいよ」
「――っ」
言葉に詰まった。
「……何でだよ」
「何でって?」
「何でお前は、……俺に対してそこまで言えるんだ」
訳が分からない。俺と鑑華が初めて会ったのはクラス替えの時で、それは間違いない。本人もそう言っていた。なのに最初からこんな奴だった。どうしてそこまで俺の事を気にかけているのかが、まったく見えてこない。
返事を待つ俺に、鑑華はもう一度ニコリと笑ってこう言った。
「貴方のことが好きだから。これじゃあ理由にならないのかな」
☆
自室に戻るなり、口からは一際大きなため息が漏れ出た。久しぶりに学園の外に出たからというのもある。だが、それ以上に今日起こった出来事全てが俺にとてつもない疲労をもたらしていた。
分担し、預かってきた買い出しの荷物を机の上に置く。着ていた学ランをベッドへと放り投げて、Yシャツ一枚となった。
今もたらされている疲労が何から来ているものなのか。そんなもの考えてみずとも分かっている。
鑑華美月。
もともと分からない存在だったが、その理解不能さにより拍車がかかってしまった。まさか鑑華のクラスと勝負することになった上に、告白までされてしまうとは。どういう流れで今日というこの日の結果に結びついたのか、誰か説明して欲しい。何が起こるか分からない文化祭をどう乗り切るかと考えていた頃の自分が、遥か昔の存在のように感じてしまう。
……そして。
何が起こるか分からないというフレーズで、思い出してしまった。
「そういや、夜の校内探索ってのがあったよな」
毎日欠かさずに行ってきた、もう日課とも呼べるもの。ここ最近、まったくと言っていいほど成果のあがっていないもの。
今日はもう何もやる気が起きなかった。
疲労困憊。ベッドに潜れば直ぐに寝られそうだった。シャワーを浴びてそのまま就寝できればどれだけ幸せなことだろうか。これまでサボらずにずっと取り組んできたが、探索には一切の進展が無い。やる意義すら見出せなくなっている現状で、これはキツイ。
「サボっちまうか」
強制されてやっていることではない。会長からも手を引くように言われているし、何より美麗さんが承知し引き受けたと言ってくれているのだ。俺1人がどうこうするようなものではない。ましてや、一日サボったところで何かが変わるわけでもないだろう。
「湯船張ってゆっくり浸かるか」
そう独り言を呟きながら浴室へと向かう。操作盤に手を伸ばしたところでその動きを止めた。
……。
「はぁ」
わざとらしくため息を吐く。
おかしい。面倒臭いのは嫌いなんだけどな。引き返し、ベッドに放っていた学ランに手を伸ばした。
この季節はもう、Yシャツ一枚で出歩くのは寒いのだ。
★
もしも。
もしもここで、聖夜が今日の見回りを避けていれば。
今年の青藍魔法文化祭も、平和に迎え、平和に終えられたかもしれない。
しかし。
聖夜は選んだ。
意図せずして選んでしまった。
もう引き返せない。
絡み合った歯車は。
赤青黄。
その三色を目一杯に絡ませながら。
――――軋んだ音を立てて回り出す。
☆
「随分と遅くなっちまったな」
買い出しでは何だかんだあったせいで、青藍に戻れるギリギリの時間まで外にいたのだ。そのせいでいつもよりだいぶ遅い時間での見回りになっている。
教会へと繋がる階段へと足を掛けた。
「とっとと終わらせてしまおう」
手は抜かない。それではやっている意味が無い。歩調を速めつつ、再び周囲への経過を強めたところで。
鈴の音が、聞こえた。
「――――っ」
よりによって今日かよ、とは思わなかった。身体は反射で動く。ここ数週間、ずっと待ち望んでいたその音。
「今度は、……逃がすかっ!!」
月明かりだけを頼りに山道を駆ける。身体強化魔法によりそれなりのスピードは出ているものの、そこはやはり山道。木々の間を縫うようにして進まなければならない為、思うように先へは進めない。いっその事“神の書き換え作業術”で吹き飛ばしてしまえば楽なのだが、相手が何の使い手だか分からない以上、迂闊に手札は見せられない。
思わず歯噛みをしたところで。
「……、くそっ!!」
二度目の鈴の音が鳴り響いた。
こちらが接近している事を悟られたか。どんな魔法かは分からないが逃亡を図られてしまった可能性が高い。込み上げてくる苛立ちと焦燥を無理矢理抑え込み、最後の茂みを掻き分けその場へと辿り着いた。
「っ」
思わず言葉に詰まる。もういないと半ば諦めていただけあって、目の前に広がる光景にしばし思考がフリーズした。
月明かりに照らされたその先には、1人の黒髪の男が立っていた。
服装は制服。但し、青藍のものではない。濃い赤、ワインレッドのような色を基調としたブレザータイプの制服だった。ネクタイも締めてはいるが首元からぶら下がっているようなレベル。全体的に見て、かなりフリーに着崩している印象を受けた。
「はぁ、はぁっ!!」
乱れた息を落ち着けながらも、興奮を隠せない。
「やっと、……見付けたぞ」
そう、やっと。やっとだ。
幽霊では無かった。それでも、真夜中に徘徊している不審な人物がいるという会長の見解は正しかった。
視線と視線が交錯する。すると、何を思ったのか目の前の男子生徒が、にやりと口角を吊り上げた。
「……“青藍の2番手”。中条聖夜で間違いねぇな?」
「……そうだ」
なんで、俺の名前を。
「お前は――」
「ひゃあははははははっ!!」
こちらの質問は、言い終える前に笑い声によって掻き消された。目の前の男子生徒が両手を広げて高らかに吠える。
「一獲千金だ!! ヨロシクな中条ォォォォ!!!!」