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第11話 根本

「つっかれたぁっ!!!!」


 とある教室の、誰のものかもわからぬ椅子に身を投げ出す。

 結局、利用されるだけ利用された俺は、夕暮れ時にようやく解放された。

 今日どこで何をどうやって手伝ったのか、既に記憶があやふやになっている。少なくともそれだけの数は奉仕したという事だ。

 最初の方は準備の段階で、ここではどんな試験を行い、その為にこのような機材を使う、等という説明も熱心に聞けていた。……のだが。

 途中からはどうでもよくなり、ひとまず何をすべきかだけを聞くに徹してしまった。


 まあ、実際のところ俺が受けるのはグループ試験だけ。他にどのような試験があろうが関係無いわけで。試験内容を把握せず当日を迎えるであろう事も、生徒会の特権の1つという事で勘弁願いたい。

 一般生徒の出入りは既に禁止になっている為、本館はとても静かだった。どの教室にも、学園生は1人も残ってはいない。各実習室や体育館、魔法実習ドームで未だにせっせと準備をする教員しかいない中に、俺が紛れ込んでいるというのは何とも言えぬおかしな話だ。


「お疲れ様です」


「お、さんきゅ」


 後ろ手に、声。

 片桐から差し出されたコーラを受け取る。既に冬へと向かっている季節だが、缶の冷えた感じが堪らなく気持ち良かった。


「お気になさらず。先日の弁償です」


「先日……? ……おい」


 先日の弁償ってあれか。初対面でコーラを蹴り飛ばした時のあれか。


「お前も、本当に律儀な奴だな」


 思わず笑ってしまうくらいに。


「半分冗談です」


「……もう半分が何なのか聞こうか」


「純粋な労いですよ」


 自分も紅茶のプルタブを開けながら片桐が言う。

 ……半分が冗談で占めているのなら、純粋とは言わないと思う。が、そんな野暮な事を言うのはやめておいた。

 素直にご相伴に預かるとしよう。


「お前も紅茶好きなのか?」


「“も”、とは?」


「副会長もよく飲んでるだろ」


 生徒会館へ足を運ぶたびに振舞われている気がする。しかもティーパックのやつじゃない、本格的なやつを。


「ああ、なるほど。……意外ですか? 私が紅茶を飲むのは」


「ん、正直な。日本茶とか、そっちの方が好きかと思ってた」


 完全な偏見だ。片桐が浅草流という日本独自の奥義を身に付けているからこそかもしれない。


「間違ってはないですよ」


 本当に偏見で言っただけだったが、どうやら当たりだったらしい。


「ただ、副会長から毎度勧められているうちに、ですね。段々とあの方に毒されてきているのかもしれません」


 そういう微妙に図々しい感じも許されてしまうのは、やはりあの人徳からくるものなのだろう。


 それにしても。

「毒されて、ね」


「っ、失言でした」


 頬を染めて視線を逸らす片桐が、少しだけ可愛く見えた。







 日は落ち、のんびりと学生寮へと足を向けている道すがら。


「夕食、ご一緒しますか?」


「へ?」


 片桐からは決して紡がれる事は無いだろうと確信していたセリフを受け、俺は思わず間抜けな回答をしてしまった。


「今の今までずっと手伝いに駆り出されていたのですから、まだ何も食べてはいないでしょう?」


「あ、ああ」


 そりゃそうだ。完全に別行動をしていた副会長たちがどうしたのかは知らないが、少なくとも俺と片桐には解放されるまでの間、間食する暇すら無かったのだから。


「私は学生寮に戻ったら、そのまま食堂へ行くつもりです。貴方もそうするならば、と思い誘っただけです。無理に合わせる必要は無いですよ」


 表情を見るに、本心からの言葉なのだろう。俺がイエスと言おうがノーと言おうが同じ表情で「分かりました」と答えてきそうなほど。

 それでも。

 少しは距離が縮まったと考えてもいいのだろうか。


 初めて顔を合わせてからここまで、ずっと嫌われ続けていると思っていた。

 何がきっかけとなったのかはまったく心当たりが無いのだが、少なくとも俺は片桐から食事で同席を許されるくらいの価値は勝ち取ったらしい。


「そうだな……」


 珍しいとはいえ折角の誘いだ。断る理由は無い。

 そう考えた瞬間だった。


「――――っ」


 心音が跳ねあがったのを自覚する。

 これは。

 間違いない。

 見られている。


「……」


 もう間もなく寮棟に辿り着こうとする所。これ以上近付けるのは得策では無い。


「悪い、忘れ物した」


「はい?」


 突然の告白に、片桐が怪訝な顔をする。


「忘れ物? いったい何を――」


「直ぐ取ってくる。お前は先に食堂へ行っててくれ」


「え」


「じゃあな!!」


「え、あ、ちょっと!」


 後ろから聞こえる制止の声は無視して駆け出した。







「……その方向に、本館はないですよ」


 今の今まで傍にいた白髪の青年が駆け出した方角を見つめて、沙耶は呟く。反射的に動きかけた足は、なけなしの本能で自制させた。


「……」


 一瞬だけ。

 ちらりと窺った時に垣間見た聖夜の強張った表情が、沙耶の脳裏に焼き付いている。そして、同時にそれが意味するところも、しっかりと理解していた。


(やはり、1人で行くのですね)


 2人で解決しろと言われていた、幽霊騒動。にも拘わらず、聖夜は沙耶を置いて1人で行った。

 本来なら、どうして自分を連れて行かないのかと憤慨するところだ。

 それでも。不思議と怒りの感情は湧いてこなかった。


 何故か。

 それは沙耶自身が一番よく分かっている。


 どうして、足手まといとして認識されてしまったのだろうか。

 どうして、守られる側の存在として認識されてしまったのだろうか。


 考えてみるまでも無い。

 あの日、あの時、醜態を晒してしまったからだ。

 沙耶も、おかしいとは思っていたのだ。なぜあのタイミングで聖夜が探索中止を申し出たのか。縁から邪魔をされ、まるで不貞腐(ふてくさ)れたかのような振る舞いで進言した聖夜。今なら分かる。理由なんてどうでも良かったのだ。きっかけなんて何でも良かったのだ。

 沙耶を、この件から外せさえすれば。

 疑心が確信に変わった瞬間だった。


「っ」


 下唇を噛み締める。

 強く。

 強く。

 聖夜と沙耶の実力差は明確。自分が行っても役に立たないであろう事。それを真っ直ぐに受け止められるだけの技量くらい、沙耶にもあった。しかし、真っ直ぐに認められるとはいえ、それに感情までもが納得しているかと問われればそうではない。


 初めはただただ、疎ましかっただけの青年。

 その青年に嫉妬とも言える感情を抱いている事を、沙耶は自覚した。

 沙耶とてこれまでを平坦に生きてきたつもりはない。平穏な生活を送っている事を否定はしないが、それでも他の学園生に比べれば、それこそ血の滲むような努力をしてきた。それだけの土台を足に、今の自分が立っている。


 しかし。

 ある日飄々とやってきた転入生は、それを嘲笑うかのように軽々と追い抜いて見せた。

 初めて聖夜と会った日。呆気なく足払いされ転がされたあの屈辱を、沙耶は今でも覚えている。

 聖夜と接するたびに思い知らされる、現実。


『……かなり訳アリなのかな。情報がロックされ過ぎてる』


 縁の放った言葉が、沙耶の頭を過ぎる。

 聖夜がいったい何者なのか、沙耶は知らない。そして、知る必要も無いと沙耶は考えている。

 沙耶が今望む事は、ただ1つ。


 認めさせたかった。自分自身の力を。他ならぬ、聖夜に。


「……馬鹿」


 小さく、ぽつりと呟かれたそれは。

 冷え込んできた闇夜にそっと消えていった。







 道無き道をどんどん進む。

 身体強化魔法によって強化された足は、俺の身体を瞬く間に先へ先へと移動させていく。乱立する木々を最小限の動きで躱しながら、俺は探知魔法を発現させた。


「……いるな、確かに」


 視界の悪い茂みの中である為対象の後ろ姿はまだ捉えられていないが、距離を考えれば時間の問題であろう。

 今回は、1人。何も躊躇う必要は無い。


 ……捕える。

 そう考えた直後だった。


「――っ」


 闇夜に鳴り響く、鈴のような音色。


「この、音は……」


 それは刹那とも呼ぶべき僅かな間。

 その音へと意識を向けた瞬間。


「――っ!? ちっ!!」


 思わず舌打ちしながら停止する。ブレーキ代わりに利用した目の前の木を、勢い余って薙ぎ倒してしまったのは決して腹いせなんかではない。


「くそっ!!」


 毒づく。

 まただ。あの音が聞こえた瞬間、またもや探知魔法から対象の存在が消えた。

 聴覚に作用する幻術の類なのか? 音によってジャミングを施し、行方を晦ませて――。

 そこまで考えて、俺は大きく首を振った。


 違う。違うだろ。

 そうじゃない。そうじゃないんだ。


 幻術にかかっているのなら、何かしらの痕跡が俺の体内に残っているはず。それすらも覆い隠せる、もしくは痕跡すら残さぬほどの高度な魔法を操れているのだとしたら、完全に次元が違う。お手上げだ。

 しかし。先日といい今日といい、相手は俺に尻尾を掴ませている。もしそれほどの技量を持った魔法使いならば、そんな失敗はしないだろう。

 ……それこそ、それも含めたものが相手の策略なのだとしたら、完全におしまいだけどな。


 が、そうでないとするならば。

 自分の存在を、瞬時に消せる魔法と言えば……。


「――っ」


 その結論を出す事を拒否するかのように、俺は無意識のうちに再び探知魔法を発現していた。

 そして。

 俺は頭の中の切れてはいけない何かが切れた音を、確かに聞いた。


「……あの、男」


 もういいんだよな。殴って。顔がボコボコになるまで叩きのめしていいんだよな。

 相手側もこちらが探知した事を悟ったらしい。魔力の一瞬の揺らぎ。同時に俺がいる位置とは逆方向へと進路を向けた。


「逃がすか!!」


 跳躍。

 鬱陶しいまでの茂みの中から解放される。


 見つけた。

 最早憎悪しか感じぬ背中へ向けて、俺は右の掌を突き出した。

 一度だけこちらを振り返ったその男の目が、少しだけ見開かれる。

 魔力の生成、圧縮、放出、そして解放。魔法使いの初歩とも言うべき一連の動作を、流れるように完了させる。


「――“魔法の一撃(マジック・バーン)”!!」


 不可視の一撃が、逃亡者を背後から襲う。







「うぅ~ん。なーんで進展しないのかしらねぇ?」


「っ、はぁっ、はぁっ!!」


 魔法選抜試験2日前。

 教会下の訓練場にて。

 バケツで水を被ったかのように汗まみれになっている聖夜を見て、メリッサは首を傾げた。


 生成・圧縮・放出までは非の付け所が無いほどに洗練されている。これは聖夜本人が分析する通り、中距離・遠距離魔法が使えないが故に身体強化魔法による近接術を極め続けてきた成果と言えるだろう。

 身体強化魔法は数ある魔法の中でも、上位に位置するほど難易度が高い。それは本来放出するべきはずの魔力を、身体に纏わせる必要があるからだ。攻撃魔法のように一瞬の発現では無く、随時。加えて自らには牙を剥かぬようしっかりと手懐けなければならない。

 聖夜はこの技法を完璧に使いこなしていた。だからこそ、自分の身体を媒体とした魔力操作はお手の物だったし、その魔力を放出する技術も何ら問題は無かった。


 問題なのは、その先。


「ほらっ! 何でそこでもたつくのさ!!」


「くっ! これでもマシになった方なんですよ!!」


「マシってのはねぇ、このくらいを言うんだよ!!」


「あっぶなっ!?」


 間一髪。転がるようにして回避した聖夜の足元で、衝撃音が轟いた。


「今の当てる気だったでしょう!!」


「そうよ! そしてこのスピードでも当たっちゃくれない相手はいるのよ!!」


「っ!?」


 メリッサの正論に、聖夜が押し黙る。


「まったく。試験間近で血が昇るのも分かるけどさ。もうちょいクールになって欲しいものさね」


「……」


 聖夜は答えない。メリッサは露骨にため息を付いてみせた。


「なぁんで“神の書き換え作業術(リライト)”はできて“魔法の一撃(マジック・バーン)”はできないかねぇ」


「……シスター・メリッサ」


 唸るように口を開く聖夜。それは威嚇としての効力など持たず、メリッサはただ肩を竦めてみせるだけだった。


「んー」


 新しい林檎を宙に放りながらメリッサは思考を巡らせる。そして、何か閃いたのかニヤリと笑うといつもの定位置に林檎を置いた。


「貴方、この林檎を今度は“神の書き換え作業術(リライト)”で砕いてみせてよ」


「……あ?」


 疲れ果て、へたり込んでいた聖夜の表情が歪む。


「シスター」


「ドスが効いても私にゃ効かないから止めときなさいな。ほら、とっととやる」


「ふざけんじゃ――」


「私は、それを、知ってる。そして、ここには、貴方と、私、2人だけ。お分かり? 外に漏らしゃしないからやりなさい」


「……」


「やりなさい」


「ちっ」


 これ見よがしに舌打ちした聖夜は、机の上に置かれた林檎へとおざなりに焦点を合わせる。制服のポケットから取り出したシャープペンシルのケースを逆さにして掌にぶちまけ、鬱憤でも晴らさんとする勢いで根こそぎ林檎の下へと転移させた。


「ひゅうっ」


 メリッサが思わず口笛を吹く。

 机の上に置かれていた林檎は、一瞬の内に細いシャープペンシルの芯で串刺しになっていた。止まっていた時が再開したかのように、遅れて果汁がじわりと表面をつたう。


「いつも持ち歩いてるの? それ」


 メリッサの質問はシャープペンシルの替え芯を指したものであるが、それが日常会話に勤しむ為の質問で無い事は確実だった。


「……ええ。使う機会なんざ滅多に無いですがね」


 使う時は、殺す、あるいはそれに準ずる行為のみ。こういう事だ。殺傷能力が高すぎる。


「なるほどね。で、何でできんの?」


「あ?」


「だから、何で“神の書き換え作業術(リライト)”が使えんのかって聞いてんのよ」


「あんたが使えって言ったんでしょう」


「そうじゃないわよ」


 メリッサは首を振った。


「何で“魔法の一撃(マジック・バーン)”であんなにまごついてた距離を、“神の書き換え作業術(リライト)”ならいとも容易くこなせんのかって聞いてんのよ」


「根本的に原理が違うからでしょう」


「根本?」


 聖夜の見解に、メリッサが眉を吊り上げる。


「根本? 根本ってなに?」


「ふざけてるんですか?」


 この会話を重ねるごとに溜まるフラストレーションに、聖夜は爆発しそうになっていた。


「“神の書き換え作業術(リライト)”がやっているのは『事象の書き換え』です。対象となる座標を指定して改変する魔法。対して、“魔法の一撃(マジック・バーン)”は対象に合わせて圧縮していた魔力を解放する技術でしょうが」


 そんな事説明するまでも無いだろう、と言わんばかりの聖夜の口調に、メリッサは鼻で嗤ってみせた。


「違うわね。貴方の言う根本はそこじゃない。根本的な作業で言うなら『対象物を指定する』ってところだけよ」


「……そんな単純な話じゃないでしょう」


「今の議題は根本の話でしょ。なら単純じゃなきゃおかしいじゃない。複雑な根本なんて有ってたまるもんですか。数々の要素が集まって、初めて複雑と呼べる代物になるんだからさ」


「……」


 いちいち癪に障る、と聖夜は思った。が、正論であるが故に反論もできない。


「苦手意識っていうものは怖いわねぇ……」


 邪悪な笑み(少なくとも聖夜視点では)を浮かべたシスターは、足元にあった空の段ボール箱を蹴飛ばすと、封のしてある新しい段ボールを開けて中から次の林檎を取り出した。


「さて」


 気を取り直すかのように発せられたその声色に、聖夜は嫌な予感を抱かずにはいられない。


「どんどん行こうか。もちろん、今私としていた会話の内容を踏まえた上で、ね」







「うおおっ!?」

 突如身体を襲ってきた衝撃に、縁は思わず驚きの声をあげてしまった。しかし、それは自分の知らぬ摩訶不思議な魔法を受けたからでは無い。

 既知の魔法で(、、、、、、)これだけの(、、、、、)射程距離を実現した(、、、、、、、、、)聖夜に対する、純粋な驚きだった。


(……詠唱ができぬが故に、中・遠距離の魔法操作は不得意って話じゃなかったのかい)


 縁は走る足を止める事無く、苦笑いを浮かべながら掲げていた掌を下ろす。縁を襲った衝撃波は、彼の身体に傷1つ負わせる事無く消滅していた。


「ふぅ……、って、おおっ!?」


「ちっ」


 “魔法の一撃(マジック・バーン)”は、あくまで囮。無力化した事に安堵するも束の間、突然死角から放たれた足蹴りを、首を捻る事で紙一重で躱す。


「今、舌打ちしたよね!?」


「うるせぇ! 一発くらいやがれ!!」


 振り上げられていた足が、そのまま振り下ろされる。縁はそれを上半身を捻らせることで避け、襲撃者との距離を空けた。てっきり追撃がくるものと思い構えたものの、襲撃者は深追いするのを避けた為、縁は拍子抜けしたと言わんばかりの表情で構えを解いた。


「随分なご挨拶だと思わないかね、中条君。君、結構本気だったよね?」


 不敵な笑みを浮かべながら、そう評する。それが襲撃者である聖夜の神経を更に逆撫でした。


「前回といい今回といい。こっちの邪魔してんのか、あんたは」


「まさか」


 両肩を竦めてみせる事で無罪を主張する縁。低く唸るように、ドスの効いた声で話す聖夜に対しても、何ら物怖じする様子は見受けられない。敬語が使われなかった事についても、特に言及は無かった。


「あんたの行動は、いい加減目に余る」


 ゆらり、と。聖夜の掌が縁へと向けられる。


「本当にここで『番号持ち(ナンバー)』の序列を掻き乱してやろうか。あんたを倒せば、俺が“1番手(さいきょう)”ってわけだ」


「ははっ」


 縁の思わず漏れ出てしまったという風情の笑いに、聖夜の眉が吊り上る。

 訝しげな表情を向ける聖夜に、縁は一言。


「君が俺に勝つのは、まだちょっと早いんじゃないかな」


 そう言った。







 寮棟の最上階、その更に1つ上。

 この時間にしては珍しく、ゆっくりと開かれた扉から1人の訪問者が現れた。訪問者は扉を開くなり目を丸くする。


「……あら」


 屋上には先客がいた。相手方も気付いたようで、光の差す方へと振り返る。


「片桐さん」


「花園舞さん、でしたか」


 両者、共に少しだけ顔をしかめた。

 舞は自らの感情によるものからで、沙耶は暗闇に慣れていた目が人工の光を受けて眩んだから、であるが。

 無言の時間が流れる。しかし、それを破ったのは意外にも沙耶の方だった。


「……貴方とは、以前から一度手合わせをしてみたいと思ってました」


「へぇ、光栄ね。貴方にそう思われるような振る舞いはしていなかったはずだけど」


 舞は振りでは無く本心からそう返答する。


「魔法実習時間ではほとんど参加されてませんからね」


「それはお互い様でしょ」


「心外ですね。少なくとも貴方よりは積極的であるつもりです」


 サポート役と称して実習に参加しない紫、愛に比べて、沙耶が比較的実習への参加に意欲的である事は事実だった。


「ですが」


 舞が何かを言い返す前に、沙耶が制する。


「今回、私の標的は1人だけです」


「……聖夜ね」


 沈黙は、無言の肯定。

 それが分からないほど、舞は鈍くない。


「貴方、本当に正しいと思ってるわけ?」


「何がですか」


「生徒会長の、聖夜に対する扱いが、よ」


「……」


 その言葉に、沙耶の目が少しだけ細められた。


「さて。それは私が口を挟むべき問題ではありませんね。あの方たちの合意の上で、今の現状があるわけですから」


「そう」


 表情が少しもそう言っていない事に対して、舞は言及するのは止める事にした。

 代わりに。


「貴方じゃ、聖夜には勝てないわよ」


「……」


 沙耶の端整な顔がピクリと反応する。


「聖夜がどの程度の力を出すのかは知らないけどね。それでも、あいつが少しでもこの学園に残りたいと思ってくれている以上、あいつに負けは無いし、私もその期待を裏切るつもりは無い」


「……そうですか」


 事実上の、勝利宣言。

 にも拘わらず、沙耶の反応は淡白なものだった。しかし、それは表面上の話。この戦いを縁から強引に受諾させられた最初の頃とは違う。沙耶にも、もう負けられない理由がある。

 無意識の内に、木刀の柄を握っていた。


「……らしくない、と言うほどの付き合いはないけれど」


 それを意外そうな表情で見ていた舞が口を開く。


「それでも、貴方らしくないんじゃない? 随分とお熱ですこと」


 舞の評価に、沙耶は微笑む事で応えた。


 ゆっくりと一歩を踏み出す。舞もそれを止めようとはしない。お互いに笑みを浮かべたまますれ違った。


「それじゃ」


「また明日」


 別れの挨拶。

 2人は目を合わせる事無くそれを済ませた。


 様々な不安要素を残したまま。

 青藍魔法学園は、選抜試験当日を迎える。

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