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第16話 『白影』中条聖夜vs『闇の権化』蟒蛇雀

 お待たせしました。


 危険区域ガルダー。


 中央都市リスティルに次ぐ面積を有しているその箇所は、魔力濃度が高いことで有名な魔法世界の中でも、比べ物にならないほどに魔力が充満した密林だ。その高過ぎる魔力濃度のせいで独自の生態系を築き上げるに至った密林は、無力な人間であれば機嫌の悪い鼠1匹に遭遇するだけで死の危険を感じるほどである。


 本来であれば害悪でしかないこの土地を残しているのは、ここで得られる資源、いわゆるリターンがとてつもなく大きいからだ。科学と魔法が同居する魔法世界独自の文明は、危険区域ガルダーで得られる資源が無ければ決して実現しなかっただろう。そして、その恩恵を受けているのは輸入という形で物資の融通を図っているアメリカ合衆国を始めとした関係諸国も同様だ。なにせ、あのアメリカ合衆国へ魔法世界エルトクリアの自治権を認めさせる最後の一押しとなったのも、魔法世界の防護結界をこの危険区域ガルダーまで含めることで外界へ脅威をもたらさないようにするという条件だったくらいだ。


 危険区域とされているガルダーは、その危険度合いから5つにエリア分けされており、上から順に『S』『A』『B』『C』『D』となっている。当然ながら一般人の立ち入りは禁止。足を踏み入れることが許されるのは、国が認可したギルドの依頼などごく一部に限られる。隣接している中央都市リスティル、古代都市モルティナ、そして歓楽都市フィーナの境界には堅牢な壁が設けられているが、ガルダーの正式な入り口は中央都市にしかなく、そこには国とギルドが用意した厳重な警備が敷かれている。


 つまり、正規の手続き無くして足を踏み入れることはできないということだ。

 ――――本来ならば。







「ぐっ」


 切り替わる視界。

 襲い来る激痛。


 気付けば視界は闇に閉ざされており、口の中には土やら葉やらで一杯になっていた。どうやら転移先で頭から地面に突っ込んだらしい。顔を上げ、口の中に詰まった物を吐き出す。思わず咳き込んだ。


「……く、くそ」


 相当な無茶だったのだろう。


 体中が痛い。

 魔力生成器官が悲鳴を上げているのが分かる。


「ぐっ、ああああああ!!」


 意味も無く吠える。

 いや、意味はある。


 声を出すことで気を紛らわせなければ、この痛みに耐えられないのだ。


 頭を抱えて転げまわる。

 痛い。痛い。


 頭が割れるように痛い。


 森の中へ転移したことは分かる。

 草木の匂いが鼻をついた。


 どろりとした濃密な魔力が周囲に満ちている。

 危険区域ガルダーの中には転移できたのだろう。


 逆に言えば、それしか分かることは無い。


 蟒蛇雀はどこへ行った?

 転移に失敗したということはないだろう。

 俺1人転移するだけでここまで消耗するはずがない。


「げほっ、げほっ!」


 叫び過ぎて喉が割けたのか。

 咳をすれば血も一緒に吐き出した。


 荒い息を吐きながら視線を上げる。

 痛みのあまり泣いていたのか、視界が滲んでいた。


 そこには。


「……蟒蛇、雀」


「満身創痍じゃん。いや、まあこっちも気を利かせてやれば良かったんだけどさぁ」


 蟒蛇雀は、目の前でしゃがみ込み俺の額を人差し指で小突いた。


 触れられても魔力を吸われない。

 それで気付いた。


 転移前に蟒蛇雀が纏っていた濃密な魔力が消えている。


「死ぬまで遣ろうって言われて、まさか遣り合う前に死にかけるとは。アンタ、本当に予想の斜め上を行くわね」


「……うるせぇ」


 距離を空けようとするが、身体が動かない。

 その様子を見た蟒蛇雀は、これ見よがしにため息を吐いて見せた。


「こんな状態のアンタを嬲り殺してもつまらないんだよなぁ。何のためにガルダーまで付き合ってるのかって話だしぃ。ガルダーだよね? この濃密な魔力。……うーん、とりあえず」


「よっこらしょ」と立ち上がった蟒蛇雀が両手を打ち鳴らす。


「『(よる)(とばり)』」


 吐き気を更に促すような、濃密過ぎる魔力が蟒蛇雀から溢れ出た。どろりとした闇が蟒蛇雀の身体から空へと昇っていく。顔を上に向ける力すら出せない今の俺では、何がどうなっているのかが分からない。


「……何をした? 何をしている?」


「無駄口叩いている暇があるなら、さっさと回復してくれない? 治癒魔法が使えるってことは、魔力回路が死んでいるわけじゃないんでしょ?」


 ……。


 蟒蛇雀に指摘されるまでまったく気付けなかった。どうやら、俺はウリウムの独自詠唱によって命を繋ぎ止めていたらしい。意識を向けてみれば、俺の頭を覆うようにしてウリウムの魔法が展開されている。この状態でもまだ直接声を掛けてこないあたり、会話に余力を割く余裕が無いほど俺の状態が酷いか、もしくは自分の存在を蟒蛇雀に察知されたくないかのどちらかだろう。


 こうした思考ができるようになっているのだから、確かにウリウムの回復魔法は効いているらしい。


「……え? まさか無意識で魔法使ってるの? すごくね?」


 俺の沈黙をどう捉えたのか、蟒蛇雀が素で驚いていた。


「あれー? もう食べごろだと思ったんだけど、まだだったのかなぁ。そこのところどう思う?」


 それを俺に聞くんじゃねぇ。

 いや、俺に聞かないといけないのか。


「ま、いいや」


 俺の返答を待たずして自己解決したらしい蟒蛇雀がそう言った。


「『旋律(メロディア)』の邪魔無くアンタと戦える機会なんて、今後一生来ないだろうし。やるならやっぱり今だよね」


 うんうん、と1人頷く気狂い。


 ふと違和感を覚えて周囲へ視線を向けてみれば、急に夜になったかのように薄暗くなっていた。視線を戻せば、至近距離にいたはずの蟒蛇雀がいない。慌ててどこにいるのか探ろうとしたが、動かない身体へ鞭を打つ前に見つかった。


 少し離れた先にある巨木を背もたれに腰を下ろし、どこからか取り出した文庫本を開いたところだった。


「……お前、本当に何をしているんだ」


「回復を待ってやっている相手に対してその言い方は失礼じゃない?」


 お前に礼儀云々を語られたくはねぇよ。

 そう言ってやりたいが、その言い分自体は事実なので口にするのは躊躇われた。


「……お前、さっき何をした。辺り一帯が急に薄暗くなったんだが」


「自分のことは何も語らないくせに、質問には答えてもらおうって虫が良すぎない?」


 ……。


「辺りの汚染された魔法生物に分からせてやっているだけよ。格の違いってやつをね」


 答えんのかよ。


 それっきりこちらに興味を失くしたのか、蟒蛇雀は手にした文庫本に目を落とし始めた。どうやら俺が回復するのを本気で待つつもりのようだ。


 ……。

 ふざけやがって。


 震える身体に鞭を打って地面へ手を付く。

 膝を曲げ、伏した身体を地面から浮かせる。


「げほっ」


 それだけでむせた。

 粘ついた血を口から吐き出す。


 思わず笑ってしまうくらいに震えている。

 腕も、膝も。


 呼吸するだけでこんなにも苦しい。


「ねえ」


 掛けられる声を無視して、強引に上半身を起こした。

 視界の先には、巨木を背もたれに腰を下ろしたままの蟒蛇雀がこちらを見ている。


「意地張ってないで休んでなって。今の状態分かってんの? 魔法使わなくても死ぬわよ」


「……うるせぇよ」


 痙攣する腕を振り上げ、自らの胸を叩く。


 一度。

 二度。

 三度。


 大丈夫。

 やれる。

 まだ、死なない。


 打ちつける拳が強すぎて、思いっ切り血を吐いたが気のせいだ。


 むしろ喉の奥につっかえていた血の塊が抜けたはずだ。

 完璧な処置と言える。


「第一段階『魔力暴走(オーバー・ドライブ)』」


 ウリウムの制止を無視して、魔力生成器官に負荷を掛けた。


 生成される魔力量が爆発的に上昇する。

 無詠唱で火属性の全身強化魔法を発現した。


「……これで最後の警告にするよ」


 呆れた声で。

 しかし、確かに殺気の込められた眼光をこちらに向けて、蟒蛇雀が言う。


「そこから一歩でも動いたら、もう待たない。アンタを殺す」


 躊躇わず、一歩前に出た。


「これでやる気になったか、蟒蛇雀」


 目を細めた蟒蛇雀が、宙に出現した闇の靄へと文庫本をしまう。

 腰についた土や葉を払いながらゆっくりと立ち上がった。


「本当に訳の分からない餓鬼だね。アンタの立場なら時間を稼ぎたいんじゃないの?」


「俺はお前を殺すつもりでここに来てる」


 蟒蛇雀からの質問には答えず、そう口にする。


「へえ?」


 蟒蛇雀は、俺の言葉に鼻で嗤った。


「今のお前にそれができると思っているのか」と。

 言外にそう指摘された気分だった。


「変に気を回してくるんじゃねーよ」


 だからこそ、告げる。

 お互いが、無用な遠慮をしないように。


「俺がお前にとどめを刺す時に躊躇いそうになったら、お前は責任取れんのか?」


 ……。


 俺の言葉に、きょとんとした顔をする蟒蛇雀。

 そして。


「……ははっ」


 呆けた顔のままで笑い声。


「いいね」


 ぽつり、と。

 蟒蛇雀が呟く。


「いいね、いいね、いいねェ」


 口角が三日月のように裂けた。


「そういう考え、嫌いじゃないよ」


 その言葉がトリガー。

 暴力的な魔力の波動が蟒蛇雀から吹き荒れる。


 そして。


「『常闇(とこやみ)の』」


 ――『神の書き換え作業術(リライト)』発現。


 転移先は蟒蛇雀の真正面。

 握りしめた拳を至近距離にある顔面へとぶち込んだ。


「ぶへっ」という声を残して、蟒蛇雀が後方へと吹っ飛んだ。そのままの勢いで巨木へと激突する。蜘蛛の巣状に奔る亀裂。体内の空気が蟒蛇雀の口から強引に吐き出される。その光景を視認した時には、俺は既に次の『神の書き換え作業術(リライト)』を発現し、蟒蛇雀へ覆いかぶさるようにして巨木へ足を着けていた。


「ふひっ」


 眼前で殺意をぶつける俺を見て、蟒蛇雀が嗤う。

 振りかぶった手刀を横薙ぎに振るった。


「容赦ないねェ。そういうのダイスキ!」


 一閃。


 直径が2m近くある巨木ごと両断した。

 しかし。


「ヤルじゃん。私の属性同調をヌいてくるなんてさァ……。でもね」


 蟒蛇雀の上半身と下半身は確かに両断されている。

 完全に切り離されている。


 ただ、断面から溢れているのは血では無く、禍々しい魔力を纏った黒い気体だった。


 ぺろり、と。

 鼻から垂れる血を舐めた蟒蛇雀が言う。


「敵からの攻撃を避けるように実体を失くせば、この通りちゃーんと回避は可能ってワケ」


「――――がっ!?」


 視界がブレる。

 顎に強烈な衝撃。


 横っ飛びに弾かれた俺の視界に映ったのは、蟒蛇雀から切り離された拳だった。地面を何度もバウンドしながら体勢を整える。鬱蒼と生い茂る木々を縫うようにして、下半身を失ったままの蟒蛇雀が追従してきた。


 口内に溜まった血を吐き出し、迎撃の構えを取る。

 放たれた拳を左手で受け止めて――。


《マスター! 駄目ぇぇぇぇ!!》


「『純黒の必穿槍(ロンギヌス)』」


 咄嗟に身体を反らす。

 ウリウムの金切り声に近い叫びを聞いていなければ、きっと俺はここで終わっていた。


 蟒蛇雀の上半身をブラインドとして、下半身が飛んでくる。

 光を一切反射しない攻撃特化の槍として。


 ぼふっという音と共に、上半身が気化する。

 槍は俺の頬を掠める角度で後方へと突き抜けた。


 鮮血の花が咲く。

 視界が赤く染まったようだった。


 掠めただけで、右頬が溶けたのではと勘違いするほどの熱と激痛が襲う。信じられない量の血が噴き出し、俺の右目を潰した。思わず舌打ちする。


「ちくしょう!」


 遥か後方で轟音。

 あの凶悪な漆黒の槍が突き刺さったのだろう。


 しかし、そちらに注意を向けている余裕は無い。


 気化した蟒蛇雀に実体が戻る。

 下半身は無く、相変わらず幽霊のように上半身のみで浮いている。


 恐ろしいのは、この状態でも戦闘能力が半減していないところだ。


 いや、違うか。

 戦闘力が下がっているように見えないほど、戦闘力に差があるのだ。


 蟒蛇雀の右腕が突き出される。

 その手のひらから、数えるのも億劫になるくらいの魔法球が発現された。


《『激流の障壁(バブリア)』! 駄目、マスター逃げて!!》


 俺の眼前に水属性の障壁が発現される。


 しかし、発現した直後にはもうウリウムは回避を指示してきた。

 地面を蹴り、その場から離脱する。


 いや、しようとした。


「ぐ、あっ!?」


 見れば、俺の脇腹へ膝がめり込んでいる。

 それは、槍として飛んで行ったはずの、蟒蛇雀の下半身。


《そんな、魔力は察知――》


 ウリウムの声が聞こえているはずはない。

 しかし、目の前の蟒蛇雀がニヤリと嗤う。


 その手のひらには、弄ぶようにして旋回させている魔法球の群れがあった。


「――くそっ」


 蟒蛇雀の膝が振り抜かれる。


 回し蹴りで再び吹き飛ばされた俺は、その勢いを利用して蟒蛇雀から一度距離を取ることにした。無理に接近戦を挑む必要は無い。今の俺は『魔力暴走(オーバードライブ)』で強化された状態。『知覚拡大エリア・イクスパンション』も使える。


 つまり、遠隔から不意を突いて――


《『激流の乱障壁(マーメイティア)』!!》


 ずるり、と魔力が抜ける感覚。

 同時に、周囲の至る所へ水属性の障壁が生えてきた。


 それらを器用に避けながら距離を詰めてくる、蟒蛇雀。


「あああああ!!」


 咆哮。

 声をあげることすら辛い。

 それでも、出さずにはいられない。


 右脚に魔力を集める。

 強引に。


 灼熱を纏った俺の右脚が、地を這うようなスタイルで迫って来た蟒蛇雀を迎撃した。


 手加減など無い。

 情け容赦の無い一撃。

 今の俺が出せる最大火力。


 自分でも驚くほどの炎が噴き出した。


 振り上げるようにして放った蹴り。

 その軌跡に沿うようにして、紅蓮の炎が前方の全てを焼き尽くす。


 熱風だけで両サイドの木々が発火した。

 自分の呼吸すら困難になるほどの一手。


 しかし。


 揺らめく陽炎の中で。

 確かに、蟒蛇雀は嗤った。


 紅蓮に染まる業火の中から、ゆらりと伸ばされる手。


 その光景が。

 俺の目には、驚くほどスローに見えた。


「『遅延術式解放(リリース)』」


「あ」


 それは先ほど、蟒蛇雀が手のひらで弄んでいた魔法球の群れだった。


 視界が遮られる。それがウリウムの発現した《激流の乱障壁(マーメイティア)》によるものであり、俺と蟒蛇雀の間に数えきれないほどの障壁を生み出してくれたのだと気付いたのは、それら全てが貫かれ、俺の身体へと凶弾が着弾した後だった。


「づぅっ!!」


 身体のあちらこちらが破裂したかのような激痛が襲う。

 それでも、意識を飛ばすわけにはいかない。


 痛みで滲む視界。

 それでも前を向く。


 蟒蛇雀が業火から抜け出し、拳を振り抜くところが見えた。


 咄嗟に腕を振り上げる。

 蟒蛇雀の拳を俺の左手が受け止める。


 ――瞬間。


「あー、残念」


 言葉通り、本当に残念な声色で蟒蛇雀が呟く。

 噴き出した血の発生源へと目を向けた。


 蟒蛇雀の放った拳からは、光を反射しない槍が生えている。

 それを受け止めたはずの俺の左手は、肘の辺りから無くなっていた。


「さようなら」


 告げられる一言。

 繰り出される掌底を視界の端に収め、咄嗟に『神の書き換え作業術(リライト)』を発現した。


 切り替わる視界。

 跳んだ先は、蟒蛇雀の遥か後方。


「……ミスったな」


 動悸と息切れが激しい。

 激痛と悪寒。


 脳が警鐘を鳴らしている。


 ガンガンと痛む。

 ぐわんぐわんと世界が揺れる。

 

 回避方法を誤った。

 最初から『神の書き換え作業術(リライト)』で逃げるべきだった。


 受け止めちゃ駄目だろう。

 相手は闇属性の使い手だぞ。


 俺の魔力だって無限なんかじゃない。

 吸収され続ければ、いつかは限界が来る。


 あれだけの啖呵を切っておきながら、どこかでセーブしようとしていたんだ。

 この状態で無系統魔法を乱発すれば、あっという間に終わりが来ると思った。


 だが、それは間違いだ。


 出し惜しみして勝てるのか?

 相手はあの気狂い、蟒蛇雀だぞ。


「次から、気を付けなきゃ……。次から、次からは……」


 ウリウムが叫んでいる。


 何かを必死に。

 まるで懇願するように。


 だけど、おかしい。

 おかしいな。


 何を言っているのか、まるで分からない。

 分からないんだ。


「――『知覚拡大エリア・イクスパンション』」


 朦朧としているのか。

 それとも鮮明になりつつあるのか。


 境界すら曖昧になりつつある状態で切り札を切る。

 そして、気付いてしまった。


「これは……」


 蟒蛇雀の居場所が特定できない。


 魔力を感じないわけではない。

 その逆。


 至る所に。

 それこそ全方位に蟒蛇雀の存在を感じてしまった。


「なるほど」


 納得する。

 周囲を見渡す。


 頭上へと視線を向けて。

 最後に、正面へと戻す。


 そこに、蟒蛇雀がいた。


 笑みは無い。

 無表情で、俺を観察するように、そこへ立っていた。


「やられたよ……。お前が展開していた巣は……、これが目的だったんだな」


 蟒蛇雀の両目が僅かに見開かれる。


「アンタ、よくその状態で普通に話しかけてきたわね。身体のあちらこちらに穴が空いているんだけど」


 ……。

 そうなのか。


 もう色々な部分が麻痺しているのか、痛いという感覚以外が無い。


「まあ、お望みなら答え合わせくらい付き合うわよ。久しぶりにとても楽しかったし。私の『(よる)(とばり)』は空間掌握型魔法。感知魔法は意味を成さなくなる。アンタは転移魔法の使い手だからね。距離を取られて、一方的に居場所を探られるのは悪手でしょ?」


 正解だ。


「この魔法、本当の使い道はね、ドーム状に展開して光の一切を遮断、相手の視覚を奪うものなんだよね。相手の感知魔法は役に立たない。でも、私は分かる。だって掌握した空間内にある異物を探し出せば良いだけだし。視覚なんていらなくなるんだよね」


 おそらく、最初からその本来の使い道とやらで発現されていたら、俺ももう少し別の対応をしていただろう。しかし……。


「それを敢えて、効力を半減させて発現したの。最初に言ったでしょ?『虫よけ』だって。あれも嘘を吐いたわけじゃないんだよ。ガルダーには面倒な魔法生物があちらこちらにいるからね。牽制の意味でも発現していた。その証拠に、ちゃんと横やりは入らなかったでしょう?」


 その通りだ。

 だからこそ、その理屈が隠れ蓑になった。


「さて」


 垂れた血を拭った蟒蛇雀は言う。


「殺すけど、最後に何か伝えておきたい呪詛はある?」


「俺はまだ負けてねぇ」


 俺の返答を聞いた蟒蛇雀は、今度こそ本当に呆れた表情を見せた。


「アンタねぇ……」


「『不可視の束縛インビジブル・ジェイル』」


 俺の感覚はとっくに狂っている。

 魔力生成器官も完全に馬鹿になったのか、全能感すら覚えるほどに自由だった。


「なっ!?」


 ここに来て、蟒蛇雀の表情へ明確な焦りの色が滲んだ。


「ア、アンタ!」


「ありがとう、蟒蛇雀」


 お前のおかげで……。


「俺は、躊躇いなく、お前にとどめを刺せる」


「ふざけ――」


 俺の全力を込めた『不可視の束縛インビジブル・ジェイル』によって、蟒蛇雀は回避行動がとれない。危険区域ガルダーの濃い魔力すらも吸い込んだ極上の束縛だ。そう簡単に抜け出されてたまるものか。


 それを蟒蛇雀も悟ったのだろう。

 やられる前にやってしまえと判断したのか。


 右手で漆黒の槍を発現した蟒蛇雀は、鉛のように重くなった腕を懸命に振るい、俺へと投擲する。俺にそれを回避する意思は無い。というより、回避したところで意味は無い。どちらにせよ、俺はここまでなのだから。


 俺の最大火力は『不可視の潰滅(オール・アウト)』だが、それでは駄目だ。威力が周囲へと分散されるので、蟒蛇雀には届かないだろう。奴の属性同調を難なく貫ける一点突破の力が欲しい。


 人差し指を蟒蛇雀の胸へと突きつける。

 身体へ奔る衝撃に耐え、突きつけた体勢は崩さない。


 回避は間に合わない。

 俺に攻撃するという無駄な一手が決め手となった。


 もともと回避を封じているのだ。

 大した動きが蟒蛇雀にできるはずもなく、俺の一撃が解き放たれた。


「『不可視の光線(インビジブル・レイ)』」


 惜しむべきは、俺自身が自分の放った一撃の威力を見誤ったことか。


 魔法世界の中でも更に魔力濃度の高い、危険区域ガルダーという環境下。完全にリミッターの壊れた俺の魔力生成器官。そして、継続中の『魔力暴走(オーバードライブ)』という状態。そのおかげで、細い光線であるはずの一撃が想像の10倍以上の太さと威力で射出された。


 だから、僅かに照準がズレた。

 心臓を確実に捉えるはずの一撃が、下へとズレる。


 結果、蟒蛇雀の腹部に風穴が空いた。

 しかし、間違いなく貫いた。


 噴き出したのは、闇では無く鮮血。


 最後に目にした蟒蛇雀の表情は、驚愕で彩られていた。『不可視の束縛インビジブル・ジェイル』によってこの場へと押し留めていたにも拘わらず、蟒蛇雀は俺の一撃で吹き飛んだ。


 鮮血を撒き散らしながら。

 錐揉み回転しながら。


 遥か向こうへ。

 俺からでは確認できないほど、遠くへ。


 バキン、と。

 頭上から何かが割れる音。


 周囲一帯を包み込んでいた蟒蛇雀の魔力が消える。

 あいつがここへいた全ての痕跡が消える。


 燃え盛る木々の中で、俺はゆっくりと膝をついた。


 手で支えようとしたが動かなかった。

 そのまま地面へと突っ伏す。


 めのまえがまっくらになった。

 いたみはもうきえていた。

 邂逅から8年半越しの決着。

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