第0話 白い髪で、餓鬼の姿をした、何か。
若干の残酷描写があります。苦手な方はご注意ください。
時間は、少しだけ遡る――――。
星が綺麗な夜だった。
季節は秋に差し掛かり、日が落ちると肌寒さを感じる時期。
そんなとある夜道に1人の男が立っていた。
青を基調とした、地面を引き摺るほどに長い魔法服。頭にはどこぞの神官が乗せていそうな長細い帽子を被っている。こちらも、魔法服と同じく青色。
ずるずると音を立てて歩いている、というわけではなく。
男は目の前に建つ建物を、物静かな風情で眺めていた。
「……ここか。さて、主が示した先は――」
ぽつりと呟き目を細める。やや間があって、男は口を歪めた。
瞬間。
鈴の音を鳴らしたような、甲高い音。
男の目の前の空間に、亀裂が入った。
中心から円がだんだんと肥大化していくように、徐々に亀裂は大きくなる。人が1人通れる程度の大きさまで広がったところで、その亀裂は肥大化を止めた。男の目の前の空間に、ぽっかりと大きな穴が開く。
その穴の中では、左頬を腫らし、右肩を包帯でぐるぐる巻きにされた長髪の男が、息を呑んでいた。
「今宵は、月の映える良い空だ。そうは思いませんか?」
「……あっ……か……。……ぐ、……貴方は……」
まるで言葉を忘れてしまったかのように、口をぱくぱくさせながら意味不明な声を上げる長髪の男。それには見向きもせず、2人の間に生まれた亀裂を作り上げた張本人は、何食わぬ顔で、その亀裂を跨いだ。
用は済んだとばかりに、亀裂が閉じる。
この瞬間。
亀裂を作り上げた男は、先ほどまでいた夜道にはもう存在せず。
不測の事態に自らを制御できぬ長髪の男が捕えられている、独房の中に存在していた。
「……まったく、事の顛末を聞いた時には耳を疑いましたよ。まさかライセンスを持つ貴方が、たかが日本の女子高校生誘拐に失敗し、あまつさえ魔法警察に捕まってしまったなんてね」
「……か、呵成……さん」
長髪の男が、口にできたのはそれだけ。目の前で起こった事態に、まだ頭がついて行けていないのだろう。呵成と呼ばれた男は、呆れたように首を振った。
「先に、言い訳を聞いておきましょうか。あの夜、いったい何があったのです?」
「そ……それはっ」
「聞いた話では、学園内での誘拐騒動に貴方は関わって無かったそうですね。つまり、貴方は学園の外で失敗した事になる。どういった成り行きでそうなったのですか、と聞いているのです」
「……っ」
呵成の冷たい目に、長髪の男の肩が震える。あの夜、あの少年にやられた傷が、じゅくりと痛んだ。
「き、奇襲を、掛けられました」
「誰に」
「……わ、……分かりません」
その答えに、呵成の周りを纏う空気が変わった。
「ほ、本当に、何も分からないんだっ!!」
危険を察知した長髪の男が、吠えるようにそう告げる。
「いきなりだった!! 扉が急に開いて、あいつが入ってきた!! 訳の分からぬまま殴り飛ばされてっ!!」
唾を撒き散らしながら叫ぶ。長髪の男の言葉に、呵成は眉を吊り上げた。
「……あいつ? 魔法警察の事ですか?」
「……違う。分からない、……分からないのです。知らない……。あんな奴知らない。……白い髪で、餓鬼の姿をした、何か!!」
……ふむ、と呵成は呟いた。
「か、呵成さん。助けて下さい。私はもう耐えられない。貴方の『力』を使えば、ここから逃げ出すくらい簡単でしょう?」
縋るような声色で、長髪の男がそう呟く。
呵成は思考を止めて、長髪の男に視線を送った。仕事を依頼する時にあった、あの高圧的ともいえるナルシストな雰囲気は見る影も無い。ただ独房に囚われる哀れな囚人のような表情に、呵成はこの長髪の男の限界を悟った。
「ええ、もちろんです。貴方を救いましょう」
そう言って、長髪の男へと手を掲げる。
先ほどと同じく、鈴の音のような音が鳴り響く。
同時に。
長髪の男の頭上から円を描くように、空間へと亀裂が入った。
「……おぉ、呵成さん。ありがとうございます。ありがとうございますっ」
長髪の男は、打ちひしがれるように座り込んでいた足に鞭を打って立ち上がる。嬉々として、その地面と平行に広がる亀裂を迎え入れようとした。
が。
「呵成さん、門をもう少し、下げて貰えませんか。これでは、首までしか通れません」
首から上を亀裂へと通した状態で、長髪の男が乞う。
呵成の目からすれば、亀裂の中に突っ込んでいる首から上は見えないため、首無しの胴体が自身へと語りかけてくる構図となっていた。どうやっても、長髪の男は亀裂を跨ぐ事などできない。
しかし、呵成にとってはそれで良かった。
そういう風に、亀裂を広げたのだから。
「……それで、いいのですよ」
「え? 呵成さん、何を言っ」
そこで、長髪の男の言葉は途絶えた。
突如閉じた亀裂は、長髪の男の首から上と下を挟んだまま、何の抵抗も無くその姿を消した。
ぐらりと長髪の男のものだった胴体が傾く。それが自らの方へ向かって倒れて来たため、呵成はどこか鬱陶しそうな表情をしながら、無言で前方に亀裂を展開した。
切断された首から、夥しい量の鮮血が噴き出す。呵成の方へ向かって放たれたその鮮血は、彼を汚す事無く前方で開かれた亀裂へと吸い込まれていった。
ごとり、と。
重苦しい音を立てて、胴体が地に伏す。遅れて鉄のような匂いが部屋中に広まった。
「確かに救いましたよ、貴方を。この独房からね」
呵成は唄うようにそう口にして、目の前の亀裂を閉じた。同時に、自身の真横に新たな亀裂を展開する。それをゆっくりとした足取りで跨ぎ、呵成は建物の外に出た。
「……白髪の少年、ね。主に報告しておく必要がありそうだ」
ぽつりとそう呟く。
呵成は、視線を夜空へと移す。
そこには先ほどと同じく。
綺麗な星が、夜空一面に広がっていた。