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第10話 王手 ①




 中条聖夜とエマ・ホワイトが隠し通路の行く末に辿り着き、御堂縁と蔵屋敷鈴音が悪趣味な倉庫の捜査を一通り終え、リナリー・エヴァンスとシスター・メリッサが最奥で悪意に満ちた歓迎を受けている頃のこと。


 彼らの標的であった犯罪組織『ユグドラシル』の長。

 天地神明(テンチシンメイ)は――。




 エルトクリア大図書館にいた。




 静寂の中に、1人の成人男性が崩れ落ちる音。肩から腰に掛けてざっくりと斬り捨てられた男は、虚ろな目を最後に天地神明へと向けて死亡した。


「馬鹿では無かったらしい」


 天地神明はそう呟いた。

 自らの命を絶った下手人ではなく、あくまで首謀者へと視線を向ける。


 室内で起こった惨劇に眉一つ動かさなかった天地神明は、自らが立つ廊下へと人差し指を向けて言った。「ここまで連れて来い」と。それに短い言葉で了承を示した天上天下は、斬り捨てた男の亡骸を掴み、引き摺りながら外へと運ぶ。


 漂う血の匂いを手で払いながら、天地神明は傍に立つ女性へと声を掛けた。


「蘇生させろ」


「はっ」


 命を受けた目元まで黒髪で隠した女、輪廻転生(リンネテンショウ)は、足早に死体へと歩み寄り、天地神明から引き継いだ死体に向けて魔法を発現する。淡い光が死体を包み込むのを無表情で眺めつつも、天地神明は自らへと近付いてきた従者、唯我独尊へと声を投げた。


「動いたか?」


「はい。通信が途絶えました」


「そうか……。戦闘に巻き込まれたか腹いせに破壊されたのかは気になるところだな」


 顎に手をやり、僅かな笑みを浮かべながら天地神明は呟く。


「やはり王城へ繋がるルートだけでも潰しておくべきだったのでは?」


 唯我独尊はそう問いかけた。


 そうしている間にも事態は進む。

 輪廻転生の魔法が発現した。


 ゆらり、と。

 腹から血を流しながらも立ち上がる傀儡。


 その様子を見て、口角を吊り上げながらも天地神明は答える。


「逆だ。あのルートが発見されるからこそ、奴らの意識は分散する。『ユグドラシル』にのみ集中されていては万が一があるからな」


「我が弟の死も無駄にしたくはあるまい」と。

 そう口にする天地神明に、質問者ではない天上天下が僅かに眉をしかめた。


 それを知ってか知らずか。少なくとも触れることはしなかった天地神明は、傀儡と化した男へと目を向ける。そこでは、ちょうど傀儡が輪廻転生の指示に従いパネルの操作方法やその他諸々の説明を始めたところだった。天地神明は視線を出入り口付近へと移した。


「さあ、お待ちかねの時間だ。蟒蛇雀」


 部屋の出入り口に背を預けていた蟒蛇雀は、気怠そうな空気を纏ったまま視線だけを天地神明に合わせる。


「……殺して良いんでしょ?」


「勿論だ」


 天地神明は首肯した。

 そして言う。


「あと1つだけ用件を済ませれば、彼女はもう不要になる。好きに嬲るがいい。それで君との取引は成立だ」


 輪廻転生が視線を向けてくる。

 その意味を正確に理解した天地神明は、1つ頷くことで応えた。


 輪廻転生が室内へと足を踏み入れる。

 瞬間、傀儡は糸が切れたようにして倒れ込んだ。


 飛び散る血を嫌ってか、天地神明との間に障壁魔法を展開した唯我独尊。それに気付いてはいたが、天地神明は成り行きを視界に収めたまま無言だった。


 カウンターの後ろに回り、パネルの操作を始める輪廻転生。傀儡の指を切り落としたり眼球を抉り出したりしなかったことから、どうやらそういった認証システムではなかったらしい。


 やがて、2つある扉のうち片方がゆっくりと開き始めた。


「行こうか。傍若無人には、ここからしばらくの間連絡が付かなくなると伝えておけ」


「御意」


 頭を下げる天上天下の横を通り、天地神明が歩を進める。


 輪廻転生が頭を下げた。

 手のひらを、開け放たれた扉へと向ける。


「先導しろ。奴のもとまで私を導け」


「御意」


 さらに深く一礼した輪廻転生が先を行く。

 木の香る図書館の中を、異質な空気感を持つ面々が闊歩する。


 絡繰りは既に把握した。

 なぜなら、知っている者に聞いたから。


 傀儡と化した今井修は、自らの脳裏に刻み込まれた手順を指示通りに全て口にした。パネルの操作方法から、本に触れる正しい順番まで全て。後は、それを忠実に実行していくだけ。2回、3回と本へと触れていく輪廻転生を視界に収めながら、天地神明はある種の達成感を抱いていた。


「ようやく……、ようやくだ」


 何も無い、自らの手のひらへ視線を落として。


「感謝するよ。心からの感謝だ」


 天地神明の後ろを付き従うようにして進む唯我独尊と蟒蛇雀は何も返さない。自分たちに声を掛けられているわけでは無いと知っているからだ。


「貴様の神法には散々手を焼かされた……。何度私の思惑を潰されたのかは、残念ながら分からないがね。だが……」


 視線を上げる。

 ちょうどそこでは、輪廻転生が足を止めるところだった。


「皮肉にも貴様を守護してきたその神法が、貴様自身を追い詰めることになったわけだ。そうだろう?」


 視界が切り替わる。

 ――その前に。




「『脚本家(ブックメイカー)』メイジ・ラ・ジルル=アストネイルよ」




 少女の姿をしたソレは、彼らの前にいた。


 天地神明たちがいる図書館は、相変わらず暖色系の柔らかな灯りに満ちている。それも当然、彼らはまだ『最奥の間』と呼ばれる『脚本家(ブックメイカー)』によって発現された魔法領域に辿り着いてはいない。


 このままでは到達される、と。

 そう危惧した『脚本家(ブックメイカー)』の分身体が立ちはだかったからだ。


「ついにここまで来たか。『罪人』天地神明」


 幼さの残る少女の声は、凍てついた声色をしていた。


「罪人という言葉を私に当てはめるには異論があるな。世界を己が理で縛り付け、不平等な統治を強いる貴様こそが罪人だよ、『脚本家(ブックメイカー)』」


 警護のため。


 己が主人の前に立とうとする唯我独尊。

 そして、これまで自分たちを先導していた輪廻転生。


 その2人を下がらせて、天地神明が一歩前へと出る。


「魔法は私が与えた力だ。ならば適切に管理することこそ、私の勤め」


「詭弁だな。世界を管理するための免罪符を自ら発行しているに過ぎん行為だ」


「身勝手な暴論で自らを正当化しようとするな」と。

 天地神明は皮肉に彩られた笑みを浮かべながら吐き捨てるように言った。


「『始まりの魔法使い』よ、過去の遺物よ。貴様の時代はもう終わったのだ。世界は、貴様の保護という名の檻から脱却すべき時が来た」


「おかしなことを言うものだ」


 言葉に反して笑みの1つも浮かべぬまま、無表情という仮面を被った少女は言う。


「ここまで辿り着いた手腕は見事だった。私をこの場へ呼び出した手法を賞賛しよう。我が神法に看破られぬよう計らったのだろう? 過去のルートにこの情報は存在しなかった。輪廻転生はあくまで貴様のお気に入りであるリナリー・エヴァンスのために用意したものとばかり思っていた。しかし、実際は……」


「『司書(ゲートキーパー)』対策だ」


 言葉を引き継ぐように天地神明は言う。


「おそらくはあと一手か二手で到達するはずだった『最奥の間』は、貴様の術式によって隔絶された空間と化している。いや、正確に言えば私の目の前にいる貴様の分身体を含め『最奥の間』という空間自体もまた貴様の神法と言ったところなのだろうが」


 そう口にしながら、天地神明の目が細められた。『脚本家(ブックメイカー)』は何も反応を示さない。その無反応こそが求めていた反応であり、この瞬間に天地神明は己が作戦の成功を確信した。


「私は貴様の神法への介入手段開発を断念した。曲がりなりにも貴様は『始まりの魔法使い』だ。精霊王たちに見初められた唯一の者だ。私は自らを過信してはいない。だからこそ、別の手段を模索した」


 その結果が、『司書(ゲートキーパー)』今井修の利用。

 作り出した空間への鍵として『脚本家(ブックメイカー)』自らが生み出したオリジナル。


 一度でも『脚本家(ブックメイカー)』に気付かれたら終わり。

 彼女には遡りの神法がある。


 ここまで漕ぎ着けるには困難を極めた。なにせ、今井修を利用することに気付かれたら、『脚本家(ブックメイカー)』は今井修の姿を眩ませるだろう。場合によっては鍵という制度を失くすかもしれない。『脚本家(ブックメイカー)』が外界へ接触する機会も失われることになるが、代わりに『脚本家(ブックメイカー)』が身を潜める空間もまた難攻不落の要塞と化す。


 そうなってしまえば、いくら天地神明と言えどここまで早く『脚本家(ブックメイカー)』のお膝元まで攻め込めなかっただろう。


 輪廻転生という存在は、あくまで敵戦力奪取のため。

 そう認識させた。


 秘匿していれば、いつかはバレるかもしれない。前情報無く死者を蘇生する手段があるとだけ知れば、『脚本家(ブックメイカー)』は気付くかもしれない。少なくともリナリー・エヴァンスは気付く。天地神明はそう考えていた。


 だから、伝えた。

 前もって伝えた。


 死者を蘇生させる駒があると。

 自分たちが殺されると、手駒にされる恐れがあるのだと。


「貴様たちは見事に騙されてくれたというわけだ」


「なるほど」


 あくまでも平坦な声で。

 無表情のまま『脚本家(ブックメイカー)』は言う。


「しかし、最後の最後で詰めを誤ったな。『罪人』天地神明」


「……誤った?」


 天地神明は僅かに首を傾げた。


「思い当たる節はどこにも無いが」


「そうだろう。しかし、すぐに分かる」


 少女が指を鳴らした。

 瞬間、どこからか何かが発火した音が鳴る。


「この瞬間を以って、我が空間に辿り着く術は無くなった」


「あぁ、なるほど。そう言うことか。ならば何も問題は無い」


 自らの目的が目の前で潰えたにも拘わらず、天地神明に動揺はない。

 そのことに違和感を覚えた少女は、初めて眉間に皺を寄せた。


「貴様、他に何を企んでいる」


「他に? おかしなことを言うな。私の目的を達成するための条件は、最初から君の展開している魔法領域へ侵入することでは無い」


 少女の身体が一瞬にして拘束された。

 炎を纏った蔦が少女の腕を、手のひらを、脇を、膝を、足先を這い回る。


 大した威力のものではない。

 それは無詠唱で発現されたが故か。


 発現者は唯我独尊。そちらへちらりと視線を向け、『脚本家(ブックメイカー)』は戒めを解こうと動こうとした。


 その前に。


「君の魔法の一端に、ただ触れるだけでいい」


 天地神明の手のひらが、少女の顔を覆った。


「『強奪(ロバリー)』」


 リナリーだけではない。

 実弟(アマチカミアキ)すら知らなかった、天地神明(あに)の本当の目的。


 中条聖夜の持つ『書換(リライト)』を模倣しようとしていた理由。転移魔法を実現したかったわけではない。『脚本家(ブックメイカー)』の実名を書き換えたかったわけでもない。一気呵成(イッキカセイ)の『(ゲート)』は、その効力の他、隠れ蓑として十分な機能を果たしていたと言える。あれをあらかじめ接触させておいたからこそ、リナリーは何ら疑いなく事実を誤認していたのだから。


 本当の目的とは。


 ――神法そのものを奪い取ること。


 空間が歪む。

 しかし、歪んだのは天地神明の魔法によるものではなかった。


脚本家(ブックメイカー)』による召喚魔法。

 あの日、植え付けておいた特別な(チケット)が反応する。


 咄嗟に『脚本家(ブックメイカー)』の顔を掴んでいた手を離した。

 2歩、3歩と距離を空ける。


 己の野望に王手を掛けた天地神明、その前に1人の少年が召喚された。


「――なるほど。対象はとうに変えたと考えていたのだが。これは予想外だった」


 一瞬にして切り替わる視界。

 これまでいた場所とは全く異なる空間。


 疑問より動揺の方が明らかに大きかっただろう。

 それでも、少年は自らの思考へ飛び込んでくる情報を1秒で理解した。


 吠えるように叫ぶ。


「てめぇが天地神明(テンチシンメイ)だな!」


「年上……、それも初対面の人間に対してその態度は頂けないな。中条聖夜(しょうねん)


 ――王手を掛けたのは、どちらの陣営も同じこと。







 数えるのも億劫になるほどの魔法球の雨。

 それらが計8つにもなる特大のカプセルを吹き飛ばした。


 直後。


 舌打ち1つ。

 シスター・メリッサは手を前に掲げ叫ぶように詠唱する。


「レーナ・フェルピナーレ・『疾風の壁(フラングランセ)』!」


 発現されたのは風属性が付与されたRankBに位置する障壁魔法。荒れ狂う暴風が、シスター・メリッサを守護すべく彼女の正面に展開される。赤の入り混じった黒き稲妻が、発現された障壁へと次々に着弾した。貫通した数本の稲妻を、シスター・メリッサは身を翻すことで回避する。


 稲妻は、その全てに死臭がした。


「省略したとはいえ無詠唱じゃないんだよ! いきなり貫通してくるかね!」


 バックステップ。

 シスター・メリッサが更に間合いを取る。


 先ほどまで彼女が立っていた場所に、夥しいほどの稲妻が殺到していた。


 耳を貫くような咆哮。

 顔を顰めたシスター・メリッサの視線の先。


 破壊された特大のカプセルから、手足が異様に長い異形が姿を見せていた。


 その数は8。

 つまり、1体も無力化に成功していないことになる。


「これは思ったより――」


 物質強化魔法を発現。

 ひらひらとしていたシスター服の袖が固定化され、鋭利な刃物と化す。


「――まずいんじゃないかな、リナリー」


「ええ……」


 独り言にも似たシスター・メリッサの呟きを拾ったリナリーは、手のひらを一番近くにいた異形へと向けて言った。


「そうかもしれないわね」


 その斬撃回数。

 1秒間に360回。


 連続する斬撃音は、その間隔が短すぎるせいでもはや一度に聞こえるほどだった。


 全身を細切れにせんと発現されたリナリーの魔法が、異形の一体をズタズタに斬り伏せる。咆哮すらさせてもらえぬ圧倒的な魔法の暴力を一身に受け、異形は力なくその場で崩れ落ちた。


 しかし。


「相変わらず外皮が堅いわね」


 無力化できたわけではない。


 俯いていた顔が上がる。

 培養液で濡れた長髪の隙間から、深紅の瞳が覗いた。


 咆哮。


 異形は両の腕を広げ、鼓膜を破らんばかりの音量で叫ぶ。

 それに感化されるようにして、他7体の異形も動き出した。


「手を抜くことも同情も……、全てが命取りになりそうね」


 リナリーはそう呟く。


 それが聞こえたわけではない。

 しかし、ほぼ同時にシスター・メリッサも同じ結論に至っていた。


 防音の魔法を解く。


 何の対策も無しにあの咆哮を喰らえば耳がイカれる。だが、このレベルの敵を相手に聴力を封じて戦うにはあまりにリスクが高い。これはやむを得ない処置であると言えた。


 異形の1体が足場を蹴って跳躍する。

 その反動で半壊していた特大のカプセルが甲高い音を立てながら砕け散った。


 跳躍先は、シスター・メリッサ。


 振るわれる腕は平均男性の1.5倍近く。

 指に至っては3倍近くある。


 リーチが常人とは違い過ぎる。

 身長だって3mを優に超えているのだ。


 短く息を吐き、最低限の動きで鞭のようにしなるラリアットを躱す。


 床を蹴り、自らの身体を跳ね上げて回し蹴りを叩き込んだ。まるで岩盤に蹴りを入れたかのような手ごたえの無さ。しかし、そんなことは攻撃する前からシスター・メリッサには分かっている。これはあくまで牽制だ。


 腕を振るう。

 物質強化魔法で鋭利な刃物と化した袖が付いた腕を。


「マジか!」


 まるで剣と剣で斬り結んだ時のような音が鳴った。

 当然、異形も無傷。


 捕獲しようと伸ばされた腕を弾き、シスター・メリッサは異形から距離を取る。そこへ、別の異形が突っ込んできた。突き出される拳を紙一重で回避したシスター・メリッサは、掌底を異形の顎へと叩き込む。異形自身の移動速度も上乗せされた掌底は、異形の顎を完全に捉えていた。


 常人なら脳が揺さぶられ、立っていることもままならなかっただろう。

 しかし、相手は常人というカテゴリーからは外れた存在だった。


 抱き込むように両腕を巻き付かせようとしてくる異形に対して、シスター・メリッサは小さく跳躍、そしてその両足を異形の腹へと突き込んだ。ダメージを与えたいわけでは無い。反動を利用してその場から離脱するためだ。


 上へと逃げれば、先ほどの赤黒い稲妻で撃ち落とされる。だからこそ、蹴りの反動を利用して後ろへと転がった。目の前の異形が盾となるため、遠距離攻撃はシスター・メリッサのもとまで届かない。


 その考えは正解だった。


「あっぶな!」


 立ちはだかる異形。


 その死角から飛来した凶弾が、シスター・メリッサの周囲へと次々に着弾する。稲妻だけではない。燃え盛る炎に荒れ狂う風、凄まじい質量を秘めた土の塊まで。多種多様な攻撃が、床を、壁を撃ち抜いていく。


 シスター・メリッサは転がるようにして廊下へと躍り出た。


「リナ――」


 リナリー、と。

 そう叫ぼうとしたシスター・メリッサの動きが止まる。


「第一段階『魔力暴走(オーバードライブ)』」


 呼吸すらままならないほどの、濃密な魔力で溢れ返った。


「出し惜しみは無しで行きましょう」


 リナリーはもう一度、先ほど仕留め損なった異形へと手のひらを向ける。


 魔力の圧に負け、破損した特大のカプセルの中で尻餅をついていた異形。身に迫る恐怖を感じ取ったのか、己を鼓舞する目的かは不明だが再度咆哮しようとして。


「『神の万物創造術(クリエイト)』発現。――『紫電一閃』」


 ピウッ、と。

 気の抜けるような音が鳴った。


 斜めに一閃。

 薄暗い研究室に一筋の太刀筋が走る。


 そこに含まれていた異形の首が1つ、近くにいた異形の頭部の体積4分の1が弾け飛んだ。


「実験で得られた成果……、ね」


 スカイブルーの双眸が破損したパソコンへと向く。

 次いで、唯一カプセルの中で沈黙を保っている少女へと。


「見せるのは構わないけど、この程度じゃ試し斬りにしか使えないわよ。天地神明(テンチシンメイ)


「メリー! いったい何があったんだい」


 その声は、半壊しつつある実験室内に不思議とよく通った。


「……エニー」


 廊下の遠くから。


 蔵屋敷鈴音を同伴して駆けてくる御堂縁に、シスター・メリッサは思わず言葉に詰まった。「来るな」と言いたかった。しかし同時に「早く来い」とも言いたかった。一見すると矛盾するこの心理状態が、シスター・メリッサは己に対して次の言葉を紡がせることに歯止めをかけた。


 故に、御堂縁は辿り着く。


 今にも暴れ出しそうだった異形たちは不自然なほどに沈黙していた。次の魔法でひと欠片も残さず圧し殺そうとしていたリナリーですら、その違和感に思わず制止してしまうほどだった。


 牽制と歓迎。


 一度で理解できない感情を向けてくるシスター・メリッサ。彼女のもとまで到達した縁は、次いでその視線を半壊している実験室へと向けた。


 まず目に付いたのは、圧倒的な魔力を解放しているせいで蜃気楼のように存在が揺らぎ始めている『世界最強の魔法使い』リナリー・エヴァンス。次に、実験室内の至る所にいる翼の生えた異形、それらの足元や周囲に設置されている破損した特大のカプセル。


 最後に。

 実験室の最奥。


 不気味に輝く液体に浸された1人の少女。


 その少女の名を。

 縁は知っている。






「――――あ、かり、かい、ちょう?」






 その言葉がトリガー。


 天地神明は、実験の副産物として生産された中で唯一の完成体である彼女の起動条件に、『御堂縁の声帯で個体名を呼ぶ』ことを設定していた。理由は、それが一番楽しくなるであろうと分かっていたからだ。


 バツン、と。

 少女を入れた特大のカプセルに繋がれていた管が弾け飛んだ。

 2本目、3本目と連鎖していく。


 魔力。

 沈黙を保っていた少女を中心として魔力が発生した。


(――いや、違う。魔力を練り始めている!?)


 少女に一番近い位置にいたリナリーがそれに気付く。

 ぴくり、と。リナリーの腕が動く。


 しかし。

 その一撃を放てなかった。


 縁さえこの場に到達していなければ容易に放てた一撃。

 リナリーは、この瞬間だけは放つことができなかった。




 それが、リナリー・エヴァンス最大の失態。




「師匠!」


 ほぼ同時刻。

 中条聖夜とエマ・ホワイトが実験室へと辿り着く。


 直ぐにこの異物(しょうじょ)をこの空間から排除しろ、と。

 縁の目に届かない場所へと放れば、後はこちらがやるから、と。

 そう指示を出そうとした時にはもう遅い。




 中条聖夜は、この場に存在しなかった。

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