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第9話 古代都市モルティナ ③

大変お待たせいたしました。


私はちゃんと生きています。

生存報告を更新で伝えていく新スタイル。

 ※人はそれを本末転倒と呼ぶ。




「……エマ」


「分かりません」


 長く続く土が剝き出しの通路を高速で移動する。

 光源は携帯のライトのみ。


 俯きつつあったエマの顔が正面を向いたことで声を掛けてみたが、回答はあくまで予想の範疇を出ないものだった。情報が少ない。圧倒的に。魔法世界エルトクリアからの脱出経路だと思っていた通路が、まさかの王城エルトクリアに繋がっていたのだ。しかも、出口は宰相の肩書きを持つ人物のプライベートルームであるという。


 たまたまそこに出入り口があっただけ。

 濡れ衣を着せられている。

 前任者が内通者で、現職のグランフォールド卿は無関係。


 ……無いか。


 偶然で指定されるような場所ではない。

 罪の擦り付けをするにしてもリスクが高い。

 後任が無関係なら証拠隠滅するだろう。


 師匠の知る天地神明(テンチシンメイ)は、石橋を叩き過ぎて壊してしまうほどに慎重な性格をしているようだし。そうなると、やはりグランフォールド卿がクロの最有力候補となる。


 しかし。

 それでは。


「まずいんじゃないか」


「まずいです。とてもまずい」


 俺の言葉に、エマは息を切らせながらも頷く。


 宰相。

 国政を補佐する者。


 補佐の対象は国王だ。


「魔法世界エルトクリアの政治どうなってんだよ」


「気付かれない範囲で操作されていると見るべきです。『ユグドラシル』が魔法世界エルトクリアの入出国をどうやって行っているのかが不明でしたが……、宰相が絡んでいるのならどうとでもなってしまうかもしれません」


 秘密の通路など用意する必要も無いってことか。

 門番が抱き込まれていたら終わりだもんな。


 ふと、アオバで出会った傷跡が特徴的な男を思い出した。


 瞬間、頭を振る。

 いや、今は止めるべきだ。


 シロかクロか。

 判断材料は皆無に等しい。


 横目でエマを盗み見る。

 頼りない光源でも分かるほど、エマが疲弊していた。


 想定外の内容を処理しようと頭はフル回転。

 その上で身体強化魔法を発現した疾走だ。


 疲れるのは当然と言える。


「エマ」


「問題ありません。このままで」


 ペースを落とそうか、と。

 提案する前に却下されてしまった。


「この情報は一刻も早く持ち帰るべきです」


 エマの鋭い眼光が、俺を射抜くように向けられた。

 なおも続けて吐き出そうとした言葉すら止められる。


 エマの言い分は正しい。


 時に情報は金にも勝る。

 今、俺たちが握っている情報はまさにそれだ。


 犯罪組織『ユグドラシル』と王城関係者。

 それも上層部の人間が繋がっている可能性がある。


 これは『ユグドラシル』と敵対する上で、確実に取得しておくべき情報だ。


 何かの拍子に王城へと駆け込んだ際、油断して後ろからぐさりとやられる可能性もある。いや、そんな直接的な手段で無くとも、国政を司る上層部から誤情報を流されるだけで『黄金色の旋律』は一瞬にして窮地へと陥るだろう。


 情報は力だ。

 数も力だ。


 俺はそれを修学旅行の時、T・メイカーとして痛感している。


 ならば、遠慮せずに最初からこうすれば良かった。

 そう思いながら、呼吸を乱すエマの腕を引く。


「えっ?」


 まさか急に引っ張られるとは思っていなかったのか、並走していたエマは何の抵抗もなく俺の背中へと収まった。玉のような汗を流していたエマの、驚愕に彩られた丸い目が印象的だった。


「せ、せいやさま!?」


 音程の上下が不安定な気の抜ける声が俺の後頭部から聞こえる。


「もっと速度を上げる。僅かな間だが、お前は休んでいろ」


「そ、そそそんな、聖夜様の御手を煩わせるわけには……」


「頼れるときは頼る。それを遠慮なしにできるのが仲間だろ?」


 震えるようなか細い声を出しながら離れようとするエマを、腕と言葉の力で黙らせた。俺の背中にすっぽりと収まり大人しくなったことを確認してから、俺は地面を蹴る足に魔力を集中させる。耳元に掛かる吐息に雑念を覚えそうになったが堪えた。


 堪えたと思ったのだが。


「でも私、汗臭いし」「重くないかしら」「あぁ、憧れの王子様の背中」「でも、どうせならお姫様抱っこが」「王子様のうなじ」「逞しい」「王子様の臭いは」など。超高速で呟かれる独り言が嫌でも耳に入ってくる。


 改めて地面を蹴る足に魔力を集中させる。

 エマの呟きを置き去りにすべく、俺は速度を上げた。


 その直後だった。


「聖夜様、何か落としましたよ!」


「へ?」


 急ブレーキ。

 すぐにUターンする。

 速度は落としたままで。


 背中越しにエマが携帯のライトで足元を照らしてくれる。


「良く気付いたな。落としていたか?」


 正直、身に覚えが無い。


「はい、おそらくですが。何か金属のような物が落ちた音が……」


 ふらふらとライトが揺れる。

 そろそろエマから声を掛けられた地点は通り過ぎようかというところで。


「あぁ……、これか」


 エマのライトを反射するモノを見つけた。

 膝を折って拾い上げる。


「何ですか、それ」


 俺の手元を覗き込むためか、首筋あたりに顔を寄せてくるエマ。おかげでふわふわした紫の髪が俺の首を撫でているようでくすぐったい。


「『ユグドラシル』の拠点に行く準備をしている時に、ふと思い出してさ」


 これを拾っていたことを。


 再び駆け出す。

 説明なら走りながらでもできる。

 一刻も早く戻らなければいけないことには変わりない。


 俺が落としたのは1枚のプレートだった。


 綺麗な物ではない。

 黒く焼け焦げてひしゃげたプレートだ。


 それもそのはず。

 それはあの悪夢、日本の実験棟で拾った物だったから。


 本当なら思い出したくもない記憶だ。

 しかし、たまたま持ち帰っていたそれを、出発前にふと思い出したのだ。


 持っていることすら忘れていた。

 いや、意図的に忘れようとしていたのかもしれない。


 トラウマまではいかないが、俺の心にそれなりの影響を及ぼした一件だった。

 今でも思い出そうとすれば吐き気を催す程度には心が揺らぐ。


 でも。


 あの事件の背後にいた『ユグドラシル』の本拠地。

 本当にその場所へ行けるのなら、何かの役に立つかもしれない。


 そう考えて持ってきた。

 思い出してしまった以上は、念のために。


 ただ、このひしゃげたプレート1枚だけでは何の役にも立ちはしない。なぜなら、こいつだけでは何の情報も得られないからだ。刻まれている文字は、プレート自体がひしゃげている上に黒く焼け焦げているため、半数以上が識別不能となっている。


 読み取れる文字だけに限れば、そこにはこう書かれている。




『A※※R※・※H※R※UM※』




 その意味を、未だに俺は理解出来ていない。







 ずるり、と。

 金属製の扉が切断された傾斜に従いずれ落ちる。


 次いで鍔鳴りの音。

 鈴音は納刀しつつも警戒は緩めずに室内へと踏み込んだ。


「倉庫かな?」


「そのようですわね」


 縁の言葉に鈴音が答える。


 薬品の臭いが鼻につく室内を物色する。

 大半が古びた段ボール箱に詰められ、乱雑に棚へと置かれている状態だ。


 人の出入りは少ない場所なのか、少し動いただけで埃が舞った。


 金属製の棚は均等に並べられており、棚の配置によってブロック分けされているようだった。しかし、通路と呼ぶべき棚と棚の間にも所狭しと段ボールが置かれている場所もあり、移動には苦労させられる。


 中に何が入っているのか。

 それはまだ、縁も鈴音も確かめてはいない。


 ただ、碌な物で無いのは間違いなさそうだった。


 充満する薬品の臭いでは誤魔化せない。

 鼻につくような腐臭。


 時折、黒ずんだ段ボール箱を見かける。

 まるで、中から何らの液体が染み出してふやけているようだった。


 進む。

 奥へ、奥へと。


 予備灯しかついていないこの空間は薄暗い。

 足元に気を付けなければ散乱した段ボール箱で躓いてしまうほどに。


 極力、足音を消そうと歩んでいても限度がある。

 この空間は完全なる無音であるが故に、消そうとしている足音ですら反響する。


 それでも、縁や鈴音のもとに『ユグドラシル』の構成員が近付いてくることはなかった。そもそも、この2人はこの部屋に侵入したこと自体を隠したいのではない。もしそうなら、派手に出入口の扉を切り捨てたりはしない。ただ、万が一この空間に伏兵が潜んでいた場合、不意打ちされないよう己の居場所を隠すためだった。


 しかし、それも不要なことだった。

 この空間には誰もいない。


 その結論に至る頃には、部屋の最奥へと辿り着いていた。

 何か面白味のあるものがあるわけではない。


 ただただ、この部屋の最奥を示す壁が立ちはだかっただけだ。


「……外れだったかな」


「感覚が麻痺していますわね。ある種、ここが一番の地雷ですのよ」


 鞘の先で足元の段ボール箱を開き、感情のまま顔を顰めた鈴音は言う。

 その反応に嘆息しながら頷いた。


「……違いない」


「どうしますの?」


 鈴音からの質問に、縁は目を細めて周囲へと視線を向ける。

 そして言った。


「ちょっと調べて回ろうか。もしかすると隠し通路があるかもしれない」


 それから10分近く。

 縁と鈴音は二手に分かれて、この空間を細部まで調べて回った。


 しかし、それは徒労に終わる。

 両断された出入口で顔を合わせた2人は、どちらも無言で頭を振った。


 2人は何も見つけることができなかった。







 三方向へと伸びる通路。

 その中で、一番分かりやすい『当たり』はこの通路だったと言えるだろう。


「これはまた……」


 思わず言葉に詰まるシスター・メリッサ。

 その後、ため息と共に「悪趣味だねぇ」と続けた。


 その言葉に、リナリー・エヴァンスはすぐに返答ができなかった。


 窓などない。

 地下なのだから当たり前だ。


 灯りは最低限の物のみであり、目を凝らさなければ辺りの風景すら分からない。

 時折フラスコやビーカー等から漏れる水の音以外に音も無い。


 しかし、その中に入っているモノが問題だった。


 あまりにも大きなカプセルの中。

 淡く発光する液体の中に浮いているモノ。


 それは、自らの身を抱きしめるようにして眠っていた。

 枯れ枝のような浅黒く細い腕が、組んだ両脚ごと自らの肩を抱え込んでいる。


 俯いているため表情は分からない。

 頭髪は灰色で、長すぎるそれは液体の中でゆらゆらと舞っていた。


 丸まった背中から伸びるのは、一対の羽。

 堕天使を思わせるような、漆黒の羽だった。


 そんな異形が閉じ込められている特大のカプセル。

 それが8つ、両サイドに4つずつ通路を挟んで設置されていた。


「これが……、あんたがエルトクリア大闘技場で一戦交えたっていう例の人造天使かい?『ユグドラシル』ってのは死者の蘇生を第一目標に据えていたはずなんだがね。そのあたりどう思う?」


 シスター・メリッサは、嫌悪感と好奇心によって固定されていた視線を何とかリナリーへと戻す。叩いた軽口は自らの興味をカプセルの中身から引き剥がすためだったが、リナリーの考えを聞きたいと思うのもまた事実だった。


 しかし、リナリーは答えなかった。

 一歩、無言のままリナリーが踏み出す。


「お、おい。リナリー?」


 シスター・メリッサの声掛けにリナリーは答えない。

 彼女の視線は、入室した瞬間からある一点へと固定されていた。


 リナリーは無言で歩を進める。

 異形が閉じ込められたカプセルに挟まれた通路を。


 シスター・メリッサも慌てて後を追う。

 そして気付いた。


 リナリーの視線の先にあるモノに。


「あぁ……、これは……」


 最悪だ、と。

 シスター・メリッサは思った。

 これから起こるであろう惨劇に身を震わせた。


 この部屋には、フラスコやビーカーなどの一般的な実験器具を除いた特大のカプセルが計9つある。うち8つは先ほど述べた異形がそれぞれ一体ずつ中に保存されていた。


 残りの1つ。

 それは、リナリーやシスター・メリッサが向かう先にあった。


 実験器具が所狭しと並べられたデスクの先。

 その特大のカプセルに入れられているモノ。


 それは少女だった。


 他8つに入れられた異形とは違い、皮膚も髪も変色していない。腕も、脚も。胸のふくらみからつま先に至るまで、ただの人間と言って差し支えない状態だった。だからこそ、シスター・メリッサにとって、それは異質に見えた。まだ異形の方が違和感を覚えなかった。


 少女は呼吸をしていなかった。


 口元や鼻。

 そこからまったく気泡が漏れることが無い。


 ただただ静かに眠りについている。

 いや、呼吸をしていないにも拘わらず、この表現は正しくない。


 むしろ少女の剝製が液体に浸されていると表現した方がしっくりくるだろうか。


 しかし。

 シスター・メリッサが「最悪だ」と思ったのは。


「まさか、こんなところにいるなんて」


 顔を顰める。

 顰めながら、シスター・メリッサはそう言った。


 ずっと探していた。

 学園から姿を消したあの日から。


 歪む。

 シスター・メリッサの表情が歪む。


 ひっそりと建てられた墓が掘り返されていたあの日。

『約束の泉』と名付けられたあの泉のほとりで。


 死んだような目をして毎日墓参りをしていたあいつの顔が過ぎる。

 墓荒らしにあった日の、激情に駆られたあいつの顔が。


 いっそのこと勘違いであればよかった。

 外見が瓜二つであるだけのまったくの別人なら。


 ただ。

 現実は、あくまで残酷だった。




「……白海(しらうみ)、……明莉(あかり)




 特大のカプセルの前で立ち止まったリナリーは。

 淡く発光する液体の中で静かに眠る少女を前に、そう口にした。


 そう口にした瞬間。

 リナリーとシスター・メリッサの正面にあったデスク。


 そこに鎮座していたパソコンが起動した。


 一瞬で後退する両者。

 僅かな魔力を展開し、一歩で出入口付近まで後退する。


『ようこそ、私の秘密基地へ』


 パソコンに設置されたスピーカーから発せられる声。

 その声の主を、リナリーは良く知っていた。


「……天地(アマチ)神明(カミアキ)


『こうして意趣返しのように舞台を整えてみたものの、これはあらかじめ録音された言葉だ。君たちがここへ来ている以上、私はこの場にはおらず相手をしている余裕もない。そちらからの声が届くことは無く、私からの一方的な語りかけであることを最初に明言しておこう』


 薄暗い室内に、パソコンの画面が眩しく光る。

 しかし、そこに何かが表示されているわけではない。


 何らかの条件によって起動したパソコンは、あくまで録音された音声を伝えるのみ。画面は白いまま何も変わらない。


『よくぞこの場所を突き止めた。立ち入りに政府からの許可が必要となる古代都市モルティナ、その場所に隠されたここを見つけ出したのだ。偶然や勘によるものではあるまい。つまり……』


 一拍置いて。


『弟は裏切っていたということだ』


 天地神明の声は言った。

 鳥肌の立つような、心に染み入る、低い声だった。


『残念だ。心の機微に疎い自らの性根こそが疎ましい。私と弟、同じ視座に立ち、共に歩んでいたつもりであったが気のせいだったか』


 どの口が、と。

 吐き捨てたい気持ちでいっぱいになりつつも、リナリーは口にしない。


 その言葉が通じないのは知っているから。

 システム的な意味でも、性格的な意味でも。


 それが通じていれば、そもそも致命的な食い違いは起こらなかったのだから。


『先に述べた通り、これは録音された音声だ。従って、今の私にはここへ訪れた勇者の顔すら分からない。分からない……、が』


 思わずシスター・メリッサが身構えてしまうほどの間を置き、天地神明は続ける。


『来たのはリナリー・エヴァンス、次いで御堂縁、大穴で中条聖夜』


 その全員だバーカ、とシスター・メリッサは心の中で嘲るように口にした。

 しかし、その予想には続きがあった。


『本命は、先に挙げた3名全員に加えて神楽家といったところか』


 ビキッ、と。

 自らのこめかみ辺りから音が鳴ったことをシスター・メリッサは自覚した。


「ただの煽りよ。貴方の名前を敢えて出していないところもね」


「はいはい、そうでしょうね」


 リナリーからの冷静な感想を受け、シスター・メリッサはやや大げさに頭を振る。


『個人的には御堂縁は外していないで欲しいところだ』


 心の機微には疎いと言いつつも悪趣味なことだ、とシスター・メリッサは思った。


『さて』


 話を切り替えるためか、意図的に声のトーンを上げて天地神明は言う。


『せっかくここまで足を運んできたにも拘わらず、何も歓迎が無いのでは申し訳ない。従って……、これまでの実験で得られた成果をここでお見せしようと思う』


 成果を、と。

 その言葉が耳に入った時には、リナリーは床を蹴っていた。


 一歩でパソコンまでの距離を詰め、手刀を振り抜く。

 身体強化魔法によって強化されたそれが、パソコンを斜めに両断した。


「げ」


 シスター・メリッサは思わずそう声に出す。


 特大のカプセルが8つ。

 その全てが、下部から淡く発光する液体の排出を始めていたのだ。


 徐々に。

 徐々に。


 床を液体が侵食していく。


「極力触れない方がいいわよ」


「ご忠告どうも。とは言え、どうせ今からあいつらが出てくるんでしょ。触れないようにってのは無理じゃない?」


 リナリーからの言葉にシスター・メリッサはそう返す。

 不敵な笑みを浮かべたリナリーと目が合った。


「それじゃあ、その魔法球の群れは何かしら」


 シスター・メリッサも負けじと口角を上げる。


「そりゃあもちろん、出てくる前に粉砕するためのものだけど?」


 直後。

 両者から雨のように魔法球が発現され、計8つのカプセルへ襲い掛かった。


 9つめ。

 少女の入ったカプセルは沈黙したままだった。

伏線回収するのに5年もかける馬鹿がいるらしい。

私です。


次回の更新は、今回ほどお待たせはしないようにします(断言)

文句1つ言わずに待ってくれて本当にありがとう。優しい。

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