第8話 古代都市モルティナ ②
お待たせいたしました。
☆
『白銀色、各員配置につきました』
『赤銅色、いつでも問題無い』
神楽の護衛2人が、それぞれ手にしたクリアカードからそう応答があった。護衛が神楽へと視線を向けて頷く。神楽は師匠を一瞥してから口を開いた。
「――散開」
音も無く、4人の護衛が神楽の周囲から姿を消す。
神楽の傍に残っている護衛は後1人。
その様子を見届けてから、師匠は手にしていたクリアカードを自らの口元に近付けた。
「まりも」
『合図さえあればいつでも~』
この場にそぐわぬ緩い声が聞こえる。
いつもと変わらないその声色に、少しだけ落ち着いてしまう自分がいた。
「それじゃあ、行くわよ」
師匠が言う。
「作戦開始」
同時に飛び出したのは蔵屋敷先輩。
僅かに遅れて縁先輩だった。
「浅草流抜刀術――、『風車』」
一刀。
ズバンッ、と。
小気味のいい斬撃音が鳴る。
しかし、眼前に広がる光景はそんな簡単に済むものではない。
廃れた教会だ。色鮮やかであったはずのステンドガラスはひび割れ、十字架は斜めに傾き、建物には無数の蔦がはい回っている。お世辞にも耐久力が高いとは言えない建造物。
だが、日本刀の一振りで両断されるほど柔いものでも無いはずだった。
ズリッ、と。
斜めに両断された教会がずれ下がる。
「――『風車斬斬』」
それが地へと落下する前に、第二波が蔵屋敷先輩から放たれる。目にも留まらぬ斬撃がそれらを粉々にした。さらにそれらを縁先輩が射出していた魔法球の群れが撃ち抜き、目くらまし代わりの煙幕となった。
姿勢は低く。
ただ低く。
地を這うようにして駆け抜ける。
先陣を切っていた蔵屋敷先輩が教会の扉を蹴破り、内部へと侵入を果たした。それに続くように縁先輩も転がり込む。煙幕の天蓋を潜り抜け、俺たちも次々と教会内部へと侵入した。
その先では――。
「――『烈破水衝』」
祭壇が不可視の衝撃によって吹き飛ぶ。
周囲へと視線を巡らせて見るが、敵が潜伏している様子はない。ここが本当に『ユグドラシル』のトップである天地神明の拠点なのか不安になるほどだ。
縁先輩が祭壇の破片を足で払う。
足元には確かに、下へと繋がる階段があった。
――まるで、青藍魔法学園の教会にある訓練場の入り口のようだった。
思わず、視線をシスター・メリッサへと向ける。
俺の視線にシスター・メリッサは気付かなかった。
師匠がパチンと指を鳴らす。
それに呼応して天蓋魔法が発現された。
攻撃特化の火属性『業火の天蓋』だ。
地面から水平に発現された、その深紅の魔法陣が唸りを上げる。それを視認した全員が後退し、自らの正面に障壁魔法を発現した。俺の前にはウリウムが発現してくれた。近寄ろうとしていたエマが口を尖らせたのを視界の端に捉えつつ、師匠の発現した魔法の推移を見守る。
紅蓮の炎が吐き出された。
その全てが地下への入り口を中心として教会の内部を焼き払い始める。
ぶつぶつと呟く声。
そちらを見てみれば、蔵屋敷先輩が新たな魔法を発現するところだった。
「――『激流の型』」
全身を隈なく水で覆った蔵屋敷先輩が抜き身の刀を構える。
そして、大きく息を吸ってから駆け出した。
師匠が連発する炎の間を縫うように蔵屋敷先輩が駆ける。そして、もはや炎の熱によって赤く染まり始めている入り口へと飛び込んだ。それに合わせるようにして縁先輩が続く。
師匠が天蓋魔法の動きを止めた。
2人に続くように俺たちも駆け出す。
隣にいたエマが俺を先導するように前へとついた。
突入する。
深い闇の中へ――。
☆
下へと続く螺旋階段は、師匠の天蓋魔法によって既に崩落していた。
円柱状になった道を下へ下へと落ちていく。
ハンカチで口元は抑えているし、全身強化魔法で皮膚を保護してはいるものの、それでも熱気を感じてしまうほどだった。半壊した螺旋階段がたまに突起物として残っているため、そのあたりは手刀で切り落としておく。
視界が遮られる程の暗闇だ。
おそらくこれは師匠の天蓋魔法によって照明設備まで破壊されたからだろう。
その証拠に、この落とし穴のような道の終わりがぼんやりと光って見えた。
強化魔法によって耐久力が上がっているため、このままの速度で着地しても問題は無い。ただ、念のために側面に足を掛けて速度を殺してから最下部へと着地した。そこでは強化された日本刀で扉ごとセキュリティを破壊し、強引に扉を開く蔵屋敷先輩の姿があった。
俺とエマからやや遅れて師匠、シスター・メリッサ、神楽とその護衛の1人が下りてくる。その先で重苦しい音を立て、分厚い金属製の扉が崩れ落ちた。
「……ここからは、分かれて進もうか」
扉の先は分かれ道。
正面と左右にそれぞれ道は伸びている。
これが通常通りなのかは分からないが、廊下は非常灯レベルの光源しかなく、続いている先は薄暗くて目視では確認できない。側壁に行き先を示すような案内板などは当然無かった。
「それでは、私たちはここで待機していることにするわ。貴方たちが取り逃がした羽虫がいれば、ここで潰すから」
神楽の考えは正しい。
ここ以外の抜け道対策として上には『白銀色』と『赤銅色』を配置している。しかし、敵がここを使って逃げるという可能性も無くはない。
神楽の言葉に師匠が頷いた。
そして言う。
「メリー、来なさい」
「えぇ……。私も待機組がぐぇ」
歯切れ悪くぶつぶつと呟き出したシスター・メリッサ。その首根っこを掴んだ師匠は、こちらを一瞥した後駆け出した。強化魔法によって機動力が格段に上昇しているため、目にも留まらぬ速さで正面の廊下を駆け抜けていく。
「それじゃあ、俺たちは左を貰おうかな。行こうか、鈴音」
「分かりましたわ」
蔵屋敷先輩を先頭に縁先輩も姿を消す。
「よし。エマ、行こう」
「はい」
エマが俺の声掛けと同時に駆け出した。
どうやらここでも先導は譲ってくれないらしい。
エマの背中を追うようにして俺も駆け出す。
薄暗いせいで先が見えないだけで、廊下はそれほど長いものではなかった。
先導するエマが躊躇いなく扉を拳でぶち破ろうとしたので、振りかぶるそれを後ろから掴む。こちらを見るエマに小さく首を振り、そのまま『神の書き換え作業術』を用いて扉を細切れにした。流石に拳で人が通れるサイズまで扉をぶち抜くには多少の時間が掛かる。廊下への入り口の扉と同じく金属製で分厚いものだから、1発の衝撃だけで吹き飛ばすのは無理があるだろう。
薬品の匂いが鼻につく。
研究室のような場所だった。
壁には所狭しと木製の本棚が置かれ、ぎっちりと難しい参考書が詰め込まれている。
室内は当然のように無人だった。
もはや俺の中の違和感が最高潮に達しようとした時。
エマがぽつりと呟いた。
「……妙ですね」
「そうだな。ここまで誰にも遭遇していないというのは――」
「いえ、そうではなく」
ぴしゃりと俺の口上を切ったエマは、顔を顰めながら室内の物色を始める。完全に思考モードになっているらしく、俺の方へ視線も寄越さなかった。こういう時は邪魔しない方が良い。俺よりはるかに優れた頭脳を持っている人間の思考は遮るべきではない。
エマの邪魔にならない程度に俺も周囲を調べてみることにした。
本棚へと乱雑に詰め込まれた本は、最初の感想通り難しそうな参考書ばかりだ。人体工学、人の思考、生と死の境界、魂の存在定義について語られている論文まである。人を殺すことに躊躇いを覚えないくせに、そんなことを学んで何の意味があるのかと吐き捨ててやりたい気分だった。
もっとも、その躊躇いを覚えない領域には俺も片足を突っ込んでしまっているので、ただただ責めるわけにはいかないのだが。動機はどうあれ俺ももはや同罪だ。
ふと、背表紙に記されたタイトルに目が留まる。
「……急にファンタジー色が増したな」
天使の存在を調べてどうするつもりだ。
精霊魔法の派生形か?
「やはり変です」
その本に伸ばしかけていた手が止まった。
振り返る。
エマは研究用の道具一式が乱雑に置かれている机に目を走らせているところだった。
「何が変なんだ?」
「使われた形跡がありません」
「は?」
「ほぼ新品のまま、ここに置かれているだけということです」
「それに」と。
エマがハンカチで一拭き。
「埃が積もるほどこのまま。にも拘らず、薬品の匂いだけは充満している。まるでここで研究をしているように見せたいだけのような気がします。何より……」
エマが視線を上げて周囲を見渡す。
「人体に関する研究がこのような小規模な機材だけで済むはずがありません。全てがちぐはぐです。この部屋はまず間違いなく研究目的のものではない」
「なら、何が目的なんだ?」
「そうですね……」と口にしながら、エマが歩き出した。
その先にある本棚に手を掛ける。
「ダミー部屋。目的は本当の研究を隠すためか、もしくは……」
その本棚を思いっ切り引き倒した。
壁に留め具で固定されていたようだが、身体強化魔法で腕力が底上げされているエマの前ではまるで役に立たない。むしろ留め具で固定されていた木製の本棚が音を立てて引き千切られていた。
参考書が床へと散乱する。
エマはそれに構わず次々と本棚を破壊し、床へと転がしていく。
そこまで来れば、嫌でも理解する。
エマとは逆回りに本棚を破壊していくことにした。
本が落ちていく。
本棚が破壊されていく。
足の踏み場も無いほどに本が散らばった頃。
エマと正面で向き合う形になった。
エマは嘆息すると、今度は床を足で小突きながら歩き出す。
俺もエマとは別の場所で試すことにした。
おおよその場所を探り終えた頃。
エマが研究机に手を掛けてひっくり返した。
ビーカーやフラスコ、その他研究機器がけたたましい音を立てて転がっていく。
そして。
「ここですね」
丁度、研究机があった真下だ。
身体強化魔法が施された脚で床を突き破る。
おそらくは上開きの扉になっていたのだろうが、そんなことはお構いなしだった。
ぽっかりと空いた空洞が姿を見せる。
「どうしますか?」
「行く以外の選択肢があるのか?」
エマは「ですね」と笑い、その中へと飛び込んだ。
俺もそれに続く。
深くは無かった。
俺たちは飛び降りたが、見れば簡易的な非常はしごが垂れ下がっている。
相変わらず真っ暗な通路がひたすらに続いていた。
「走ります」
「おう」
あまり広くはない通路だ。
2人で並んで歩けば肩が壁に擦れるくらい。
天井も魔法無しの跳躍で髪が触れるくらいだ。
通路というより洞穴か。
舗装も何もされていない。
酸素があるのは、何かしらの手段を講じているからだろうがよく分からない。見慣れない色の石のようなものが所々に埋め込まれているが、それなのだろうか。危険区域ガルダーは危険に見合ったリターンもあると聞くし、そういったところから持ってきているのかもしれない。
携帯の光源を頼りにひたすら走る。
広くはない。
ただ、長い。
想像以上だ。
走る。
走る、走る。
真っすぐに続く廊下をとにかく走る。
俺もエマも身体強化魔法を発現している。
自動車以上の速度で走っている。
この通路はどこまで続くんだ?
一度切り上げるべきか悩み始めたところで。
ようやく通路の方向が変わった。
真上だ。
これまでもなだらかな上り坂になっていたのだが、いよいよ垂直に上がるらしい。先ほどの入り口と違い、こちらは相当な高度になっているらしく、携帯電話の光源を向けても先はまったく見えなかった。正面の壁には非常はしごが埋め込まれているが、その階段も当然のようにどこまで続いているかは分からない。
「聖夜様」
「ああ。さっさと上ってしまおう」
エマの言いたい内容を理解した俺はそう返す。
頷いたエマは、梯子は使わず身体強化魔法の力を借りて壁から壁へピンボールのように跳躍しながら上り始めた。俺も同じ要領ですぐ後に続く。
今度は上る。
とにかく上る。
上へ、上へ。
何だ、この通路は。
本当にどこへ向かっているんだ。
おかしい。
どう考えても。
だって、天地神明の拠点に下った時よりも遥かに上っている。
ひたすらに上る。
まるで山の真ん中をくり抜いて、直線状に山頂を目指しているかのようだ。
どれくらい上り続けたのか。
ようやく終わりが見えた。
天井が、エマの突き出した携帯の光源を鈍く反射する。
エマと軽く視線を合わせて頷き合う。
空中で回転して勢いを殺す。
天井に軽く手を付けて逆さまに着地した。
両脚で身体を通路で固定して、素早く周囲へと手を走らせる。エマから肩を突かれた。そちらを振り返ると、エマは人差し指を口元に当てている。静かに、ということだろう。頷き、エマの触れている壁へと視線を向けた。
エマが携帯の電源を落とすと、僅かに漏れ出る光。
「……どうしましょうか。これまで通って来たのが隠された拠点の、更にその隠し通路であることを踏まえれば、この先に人がいる可能性は大いに考えられますが」
エマが耳元で囁く。
「上って来た高度が明らかにおかしい。横にも移動していたし、魔法世界の外に出る可能性もあるよな」
「その可能性がむしろ高いかと。かねてより『ユグドラシル』の構成員がどうやって魔法世界とアメリカを行き来しているのかは謎でしたので」
ここがその隠し通路だった可能性が高いわけだ。
魔法世界の周囲を覆う防護結界が、地下どの程度まで伸びているのかは分からない。
魔法世界の領地を抜けている可能性も当然あるわけだ。
仕方が無い。
相手側からも察知されるだろうが――。
「『探知魔法』は私が使います」
先手を打つようにエマが言った。
「外がどのような場所に出るかまだ分かりませんが、『魔力暴走』を用いてまで探知範囲を拡大する必要はありません。私の『探知魔法』で探れる範囲で十分です」
そうか。
「なら、それに従おう。反応が無ければ俺の無系統で外へ出る。まずい状況ならすぐに通路へ撤退。問題無いな?」
「はい。無系統についてはこちらからお願いしようと思っていましたので」
エマが頷きながら答える。
その直後に魔法が解放された。
「――範囲内に気配はありません」
「よし」
こういうことは、躊躇わずにさっさとしてしまうに限る。
――『神の書き換え作業術』発現。
一瞬で視界が切り替わる。
暗闇から明るい場所へと転移したのだから、ある程度視界が奪われるものかと思っていた。だが、予想に反して薄暗い部屋に転移したため、想像していたほどではなかった。転移元である隠し通路の位置関係を脳裏で整理しながら周囲へと目を凝らす。
品の良さそうな調度品が適度に飾られた部屋だ。
あまり大きなものでは無い。
寝具も置かれていることから寝室だろう。
「……この匂い、どこかで」
隣のエマがポツリと呟いた。
ただ、独り言のようだったので思考の邪魔をすることなく観察を続行する。
通路を隠しているのは本棚だった。しかし、留め具でしっかりと壁に固定されていることから、内側からは壊す覚悟でやらない限り開きはしないだろう。
使い込まれた木製の机には崩れそうなほど本が積み重ねられており、実際に何冊は崩れ落ちたのか周囲に散らばっていた。机のライトは点けられたままだったため、部屋の主は間もなく戻ってくる可能性がある。長居は不要だろう。
机の隣には部屋の主が愛用しているのか、鈍い赤土色のローブが掛けられている。しかし、やたらと丈の長いローブだ。持ち主が余程の高身長でない限り、床に引き摺りながら歩くことになるぞ。まるで貴族のような――。
ちょうどエマもそちらを見たところだったのか、エマの視線がローブで固定された。息を呑む音が聞こえたので、思わずエマを見る。
「聖夜様、無系統を! 早く!」
「――っ!?」
痛いほどに俺の腕を掴んだエマがそう言った。その反応に緊急事態だと判断し、俺は何も質問せずに『神の書き換え作業術』を発現して隠し通路へと戻る。出入り口付近に潜伏するのかと思いきや、転移後にエマは俺の襟首を引っ掴んで急降下を始めた。
それも、重力による自由落下ではない。
身体強化魔法を用いて側壁を駆ける全力疾走で、だ。
「ど、どうした? エマ」
移動が必要であることはすぐに理解したので、為されるがままではなく、エマに並走する形で俺も下へ下へと駆ける。
「――でした」
「ん?」
風を切る音で良く聞こえなかった。
問い返せば、エマは震える声で言う。
「魔法世界の外ではありませんでした」
……。
エマの様子がおかしい。
「知っている場所だったのか?」
あの鈍い赤土色のローブを目にしてから。
その事実に気付いてから。
場所ではなく愛用する人物に思い至ったのではないかと思った。
案の定、携帯の光源に照らされたエマは首を横に振る。
「あのローブの持ち主に心当たりが有ります。他にもいくつか愛用品が……。間違いありません」
エマの顔がこちらを向いた。
「持ち主の名は、ギルマン・ヴィンス・グランフォールド。魔法世界エルトクリアにおいて宰相の地位に就く男の名です」
――つまり。
「隠し通路の先は、王城エルトクリアです」
不定期となりますが更新はします!
(説得力皆無)