前へ次へ
420/432

第6話 要請 ⑦

 お待たせいたしました。




 ――――酷い夢を見たような気がした。


「聖夜様、聖夜様」


 ぼんやりと意識が引き戻される感覚。

 次いで襲い来る頭痛に眉を潜めながら、俺は目を開いた。


 視界に入ったのはエマの顔だった。


「お休みのところ申し訳ございません。アメリカまであと1時間を切りましたので、最後の確認をとリナリーが」


「分かった」


 いつの間にか掛けられていた毛布を脇にどけて上半身を起こす。軽く伸びをすると身体の至る所から骨が鳴った。どうやらそれなりの時間は寝ていたらしい。鈍痛を知らせる頭を軽く振り、ひじ掛けに手を当てて立ち上がる。


 窓の外は黒。

 完全に陽が落ちているようだ。


 エマの先導に従い、神楽家が用意したプライベートジェットの中を歩く。


 別世界の乗り物であるため市場価格には明るくないが、数人乗りのやつですら余裕で数十億はするんだろう? それなら、一般の航空会社で使用されている機体より気持ち小さいかなくらいのこいつは、いったいいくらするというのか。維持費やら何やらもそこに加わるのだから、俺たち庶民では一生縁の無い買い物だろう。


「……貴方、神経図太いわね」


 眼鏡拭きを黒服に手渡し、眼鏡をかけ直していた神楽は、俺の顔を見もせずにそう告げた。


「何の話だ?」


「これから向かう先が死地だと知ってなお、よくそんなに爆睡できるわねって話」


 神楽からのストレートな皮肉にエマが眉を吊り上げたが、反論する前に俺が手で制しておいたので何も言わなかった。ただ、神楽の発言で殺気立ったのはエマだけではない。仕方ないので本来ならば言う必要がない台詞を口にすることにした。


「……なんだ、お前死にに行くつもりだったのか?」


「は?」


 ドスの効いた声と共に、神楽の視線が俺を射抜いてくる。

 それ以上の反応は示さず、俺は空いている席に腰かけた。


 さも当然のようにエマが俺の隣へ座る。

 シルベスターはいつの間にか殺気を収めていた。


「さて、それでは始めましょうか」


 それを見届けてから師匠が口を開いた。


 この場にいるのは全部で10人。


 リナリー・エヴァンス。

 シスター・メリッサ。

 神楽宝樹。

 神楽の護衛2人。

 御堂縁。

 蔵屋敷鈴音。

 俺、中条聖夜。

 エマことマリーゴールド・ジーザ・ガルガンテッラ。

 そして『白銀色の戦乙女』からシルベスター・レイリー。


 栞とケネシー・アプリコット、そしてルリ・カネミツは一足先に魔法世界へと帰らせ、今回の作戦に必要な準備を進めておくよう伝えてある。ケネシー・アプリコットとルリ・カネミツは栞の護衛だ。


「侵入は変わらず魔法世界の上空から。魔法世界の防護結界は聖夜の無系統ですり抜ける」


 師匠からの言葉に首肯する。


「但し、私たちが空から侵入することが『ユグドラシル』側にバレていることを想定して動く。狙いが古代都市モルティナであることは悟らせないようにするため、中央都市リスティル上空辺りにするつもりだけど……。消費魔力は問題無いという認識で良いのね?」


「はい」


 記憶の引継ぎがされている前回ルートでも、俺は複数人を連れて転移しているが問題無かった。その時よりも人数が増え、かつ距離も長くなっているが……、当時の消費魔力を考えても問題無いと思う。


「ならいいわ。古代都市モルティナ内の先導は……、神楽宝樹。貴方に任せていいのよね」


「ええ」


 窓の外へと視線を向けたままの神楽がそう答えた。

 そんな態度を咎めるでもなく、師匠は続ける。


「今回の最優先事項は天地神明(テンチシンメイ)の討伐。他の何を差し置いても、まずはこれを達成することを目的とする」


 そう語る師匠の顔は、完全なる無表情だった。

 目にできたクマと機内照明で不気味さを感じさせるほどに。


「欲を言えば、天地神明を討伐したという証拠が欲しい。でも、それに囚われ過ぎて逃がしてしまうのは本末転倒。無理をする必要は無いわ。気にせずアジトごと圧殺して構わない」


 冗談を口にしている顔ではない。

 おそらく師匠は本気で言っている。


 師匠の視線が神楽へと向いた。

 ようやく視線を合わせた神楽がそれに頷く。


「アメリカからも許可を貰っているから平気よ。『証拠品として首は用意できないかもしれない。木っ端微塵に消し飛ばせるだけの戦力を連れ込むから』ってね」


 ……。

 そうなんだけれども。


 告げられた側も唖然としたに違いない。

 もうちょっと言い方ってものがあるだろう。


「先行している栞からは、作戦通り魔法世界入りする連絡が届いている。変更は無しで行くわ。何か質問は?」


 師匠はぐるりと機内を見渡した。

 誰も声をあげない。


「無ければ一度解散。作戦開始時刻まで、各自好きに過ごして」







 闇夜にネオンが輝く。

 夜空まで虹色に輝いているかのような錯覚を覚えるほどに明るい。


 そんな夜景をぼんやりと眺めているうちに作戦開始の時間となった。


 あらかじめ栞達に伝えていた時間とも相違なし。

 神楽家お抱えのパイロットは完璧な仕事をしたと言える。


 ただ、一番驚いたのは、アメリカの領海に進入してからも一向にアメリカ側からのアクションが無かったことだ。遡り前の記憶がある前回ルートでは、戦闘機が2機、花園家の自家用ジェットの両サイドに張り付いていた。例え緊急時であろうとも、領土内を自由に飛行させる気は無いというのがアメリカ側の見解だったはず。花園家がアメリカ入国の許可を取る際の条件として、あちら側の指示に従えとあったようだった。


 しかし、今回はそれがない。それは単純に神楽家がアメリカよりも発言力が高いという話では無いだろう。アメリカは魔法に対する信仰心はそこまで高くない。武力として重宝はしているが、逆に言えばそれだけだ。信仰心が高ければ魔法世界エルトクリアへの接し方はもっと別のものになっていたはずである。


 故に、過去を背景に神楽家が高圧的に出たところで、アメリカが膝を屈することは無いと断言できる。おそらくは、神楽家が今回の一件についてはうまくやり込めたのだろう。花園家よりも神楽家の方が交渉上手だったというだけに違いない。


 だからこそ、勿体ないとも言える。


 領海への進入時からあれだけ目立ってしまった前回ルートとは違い、今回は神楽家のプライベートジェット単独で進入できている。この情報を知っているのもアメリカの中でごく少数だろう。この一件に限り『ユグドラシル』へと情報が漏れる可能性は少なかったはずなのに。


 日本での二階堂家の粛清。

 この情報がどれほど早く『ユグドラシル』に伝わったかで、作戦結果が左右されることになった。


 天地神明は、臆病なほどに慎重であると師匠や縁先輩は言う。これまで直接会って言葉を交わした感想から「まるで別人だ」と思っていたその人物像だったが、あの遺言のせいで全てがひっくり返った。俺が見てきた天地神明は、アマチカミアキと呼ばれた双子の弟。師匠たちが口にしていたのは会ったことも無い双子の兄だ。


 天地神明と名乗り『ユグドラシル』を率いるその男が、二階堂粛清の話を聞いてどう動くかはもう分からない。だからこそ、『ユグドラシル』側が体勢を整える前に強襲し、ここで全てを終わらせる必要があるのだ。


 俺の周りに皆が集まってくる。


 あの時と同じだ。

 いや、若干顔ぶれが前回とは違うか。


 皆が俺の身体のどこかしらに触れる。

 俺の無系統魔法の対象として意識しやすいように。


「聖夜」


 師匠が俺の名を呼ぶ。


「覚悟はできた?」


 視線を合わせれば、そんなことを聞いてきた。


 聞き覚えのある質問だ。

 きっとこの人は、何度この場面をやり直そうが、同じことを言うのだろう。


「とうの昔に」


 だから、俺もそう答える。

 殺す覚悟なんて、とうに済ませているのだ。


 俺の答えを聞いた師匠は目を細めた後、なぜか少しだけ悲しそうな笑みを浮かべた。その表情に何かしらの引っ掛かりを覚えた俺は口を開こうとする。しかし、既に元の表情に戻っていた師匠は、1つ頷き次の言葉を口にした。


「では、無系統魔法を」


「……はい」


 こうなってしまえば、もう口にはできない。


 高まりつつある皆の集中を解きたくないし、タイミング的にもそろそろ跳ばなければ不味い。距離的に大丈夫であるとは思うが、跳ぶのは俺1人ではない。人数が人数なのだ。おまけに本番は魔法世界エルトクリアへと侵入した後。この1回の無系統魔法で疲れているわけにはいかない。


 先ほど師匠からの質問に「問題無い」と答えはしたが、試したことが無い以上は多少の不安が残るのも事実。もっとも、そんな素振りを見せようものなら侵入後の作戦から外されてしまいそうなので口にも態度にも出すことは許されない。


 使うのは『神の上書き作業術(オーバーライト)』だ。

 対象はエマが魔法世界へと持ち込んだ1円玉。


 息を吸って、吐いて。


「――行きます」


 師匠が頷いた。

 そして。


 ――――『神の上書き作業術(オーバーライト)』発現。


 一瞬で視界が変わる。

 その先には。


 柔らかな色合いのライト。

 耳障りの良い琴の音。

 締め切られた個室内、その扉付近で警戒しているケネシー・アプリコット。


「お待ちしておりました」


 そして、席から立ち上がり綺麗なお辞儀をして見せる栞。


 ここは歓楽都市フィーナにある飲食店の1つ。

 神楽から指定された店だった。


 個室内にいたのは栞、ケネシー、そして神楽家の黒服が2人。

 加えて俺の無系統魔法で転移してきた10人が加わる。


 もともと大きな個室を取ってもらっていたが、流石に13人もいると少し手狭に感じるな。とはいえ、ここで仲良く食事をするというわけでもない。あくまで歓楽都市フィーナと隣接している古代都市モルティナへ潜入するための手段として選んだだけだ。


「栞」


 師匠からの呼びかけに栞が頷いた。


「『白銀色の戦乙女』と『赤銅色の誓約』は、別室で待機済みとなっております。『番外』と残りの黄金色も指定された場所へ移動済みです」


「余計な事はしていないわね?」


「勿論。神楽家が古代都市モルティナまでの通路を開いてくれるとのことでしたので。『赤銅色の誓約』も素直に従ってくれています」


 そう告げた栞が神楽を見る。


「葵、ついて来なさい」


「はっ」


 栞からの言外の問いかけには答えず、神楽は護衛の1人を連れて個室を出て行った。無言で扉の前を譲ったケネシーは僅かに眉を吊り上げていたが、直ぐに気を取り直したのか俺と一緒に転移してきたシルベスターのもとへと歩み寄る。


「問題は?」


「何も無い。私たちはな」


「聖夜、魔力残量はどう?」


 シルベスターの懸念を汲んだわけではないだろうが、白銀色側が質問してくる前に師匠が俺へと聞いてきた。


「許容範囲内です。問題ありません」


 俺の即答に思うところがあるのか、俺を見る師匠の目が僅かに細められる。しかし、俺は特に無理をしているわけでも強がっているわけでもない。確かに10人もの人数を一度に転移させたのだから、ある程度の魔力は消費している。遥か上空の飛行機から、魔法世界内へと転移したのだから距離もそれなりにあった。


 ただ、それでも問題無いと思えるほどに俺も成長できている。


 師匠との特訓によって修得した『魔力暴走(オーバードライブ)』だが、その過程で魔力生成器官に負荷を掛けまくったおかげか、一度に使用できる魔力量が増え、おまけに魔力の回復速度も早まっていると思う。正直、ここまで実感できるほど成長できるとは思わなかった。


 まあ、魔力生成器官に負荷を掛けて暴走を促す手法は、シスター・メリッサ曰く外道も外道な育成方法だったらしいが。流石は師匠。鬼である。その結果として、短期間でここまで成長できたのだから表立って文句も言いにくい。


「……そう、ならいいけど」


 俺が無理をしていないことを悟ったのか、師匠は強く追及はして来なかった。

 師匠の視線が再度栞へと向く。


「情報統制の方は?」


「言われた通り、『赤銅色の誓約』と『番外』への依頼はギルド『御意見番』であるイザベラ・クィントネス・パララシアを通して行っております。あの方、もしくは両グループどちらかに裏切者がいない限り問題は無いかと」


 クリアカードを用いて『白銀色』の面々へ連絡を取り始めたシルベスター。

 そちらに意識を向けつつも師匠は頷いた。


「『等価交換術(トレード)』の準備は?」


「そちらも抜かりなく」


 やや声の大きさを落とした師匠からの質問に、栞も応じるようにして答える。


「まりもさんは過去の遡りから一番戦場になりにくい近未来都市アズサで待機。通話1つですぐに『等価交換(トレード)』が可能な状態です」


「対象は?」


「『番外』の2人は、尾行に細心の注意を払いつつ既に創造都市メルティ内へ。先ほどの定期連絡でも、指定した学習院に一番近い喫茶店にいる確認が取れております」


「問題無さそうね」


 これは保険だ。

 万が一、天地神明の討伐が失敗した場合の。


 まりもに連絡することであいつの無系統魔法を使ってもらう。

 俺と師匠の位置を、『番外』の2人と交換する。


 真っ先に『脚本家(ブックメイカー)』のもとへと向かい、無かったことにしてもらうために。


 主戦場で戦っている俺たちと、何の連絡も無しに一瞬で入れ替わる。

 もしかすると、『番外』の2人は不意打ちで殺されてしまうかもしれない。


 それでも、あの2人は躊躇いなくこの作戦に頷いてくれたという。

 その覚悟に、俺たちは全力で応える義務がある。


 遡りの神法に頼らず、今回のルートで成功させてしまうのが一番いい。


 なにせ、『脚本家(ブックメイカー)』が操る遡りの神法も万能ではないことが明らかになっているからだ。神楽との食い違いによって引き起こされた一件は、明らかに常軌を逸した異常事態だ。俺たちでは止めようが無い欠陥。あの一件も完全なリカバリーなど出来ていない。どこでどう影響してくるか未だに分からないのだ。


 だから……、なのだろうか。


 どうにも不安が残る。

 胸の奥底に感じる、しこりのような違和感。


 何が引っ掛かっている?

 それとも、機内で見た記憶に残らなかった悪夢に引き摺られているだけか?


「どうかしたのかしら、聖夜」


 態度に出ていたのだろうか。

 師匠から心配されてしまった。


「いえ……、どうにも嫌な予感が拭えずにいます」


 こんな時に弱音を吐いても意味が無いというのに。

 むしろ、周囲に不安を撒き散らすので害悪ですらある。


「すみません」と、続けようとして。


 両肩に手が置かれた。

 師匠の手だった。


 俺と視線を合わせて師匠は言う。


「そういった直感は、とても大切なものよ。何か分かったら、すぐに知らせなさい」


 ……。


「……分かりました」


 俺の答えに、少しだけ微笑んで見せた師匠が俺から離れる。腕を組み、こちらの様子を黙って窺っていたシスター・メリッサへと声を掛けている。そういえば、シスター・メリッサがこうした現場にやってくるのは初めて見るよな。あの人の戦闘能力は教会で嫌というほど味わっているので、戦力として申し分ないことは身に染みて分かっているわけだが。


「聖夜様」


 エマの呼びかけに頷く。

 エマの視線は俺へ向いていなかった。


「おう。頑張るとしよう」


 直後に、扉が開かれる。

 ノックの1つも無く。


 神楽が顔を覗かせた。


「ついてらっしゃい」




「秘密の入り口に案内するわ」と。

 神楽は続けてそう言った。

 次回は8月10日に更新が無ければ8月20日です。

 更新が遅くなり申し訳ございません。

前へ次へ目次