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第5話 要請 ⑥




 ――――二階堂家が粛清されただって?


 何を考えている。

 理由は『ユグドラシル』との繋がりが判明したからだと言う。


 なぜこのタイミングで。

 ここで内通者を殺すということは……。


 ポケットからスマホを取り出す。

 お目当ての人物を連絡帳から探して――。


 その腕が掴まれた。

 視線を向ければ、険しい表情をしたシスター・メリッサがいる。


 シスター・メリッサは小さく頭を振ってから、視線を舞へと向けた。


「とりあえず、花園のお嬢ちゃんは寮に戻りな」


「え、で、でも」


「いいから戻れ」


 ドスの効いた声と、滲み出る魔力。

 明らかに威圧を目的としたそれらに、舞が無意識の反応か一歩退いた。


「……せ、聖夜」


 舞の瞳に怯えが混ざっているのが分かる。


 しかし、シスター・メリッサの意図を理解している俺としては、舞の立場でフォローすることはできない。だからこそ、こう言うしかない。


「舞、お前は戻れ」


 舞の端正な顔が歪んだ。

 裏切られた、と思ったのかもしれない。


 返答は直ぐには無かった。おそらく、様々な葛藤が舞の頭の中を駆けまわっているのだろう。舞は俺から視線を外さず、何度か口を開け閉めした後にこう言った。


「……後でちゃんと話しなさいよ」


 後で。

 その意味が分かった上で俺は――。


「ああ、もちろん。後でちゃんと話すよ」


 こう答えた。

 俺と舞では、その『後』の意味合いが異なっている。


 俺は本当に全てが終わった後の話。

 舞は、シスター・メリッサとのやり取りが終わった後の話。


 この食い違いが初めから分かっていてなお、俺はそのまま返答した。敢えて、食い違ったまま返答した。舞がこちらの真意を探るような視線を向けてくるのは、わずかな時間だけだった。


「……分かった」


 1つ頷いて、舞が踵を返す。


 シスター・メリッサが、俺を誘うように手のひらを教会の扉へと向けた。振り返ることなく立ち去る舞をしり目に、俺も踵を返す。


 きっと話す。

 全てが終わった後に。




 俺が生きていたのなら。




 教会の扉を潜り、内部へと足を踏み入れる。神聖で清んだ空気が俺を迎え入れてくれた。ステンドガラスから差し込む色鮮やかな日差しが教会内部を照らしている。既に縁先輩と蔵屋敷先輩の姿は無かった。教壇の位置がずれていることから、2人は俺たちを待つことなく下へと降りたのだろう。


 後ろ手にシスター・メリッサが教会の扉を鎖錠していることを確認し、俺はスマホでお目当ての人物に連絡をする。数コールの後、応答があった。


『そろそろ連絡が来る頃だと思ったわ』


 開口一番。

 相手からそう言われる。


 神楽宝樹。


 取り次ぎにどれだけ時間を割かれるかと思っていたが、まさかいきなり本人が出てくるとは予想外だった。思わず次の言葉に詰まっていると、神楽の方から報告がある。


『予定通り、二階堂家の粛清は完了したわ。一族から使用人に至るまで、誰も生かしてはいない』


 ……。

 その内容に、思わず呆然とする。


『……中条?』


 俺からの返答が無いことに疑問を覚えたのか、神楽が俺の名前を呼んできた。


 だが、俺にはそれに反応することができない。

 神楽からの報告に、更なる引っ掛かりを覚えたからだ。


 予定通り、だと?


 なんだ、その言い回しは。

 まるで――。


《……マスター、これ、もしかして》


 ウリウムが俺にしか分からない声で呟く。

 真意を問う前に、神楽から更なる介入があった。


『……ちょっと待ちなさい。貴方の、その反応。まさか』


 ここまで来ると俺でも分かる。

 神楽は俺の反応の鈍さから自力で回答に行き着いたらしい。


「……認識に差異。『脚本家(ブックメイカー)』の神法の不具合かよ!」


 まさかここで食い違うとは。

 ふざけているのか!


 そもそも不具合があるということ自体も懐疑的だったが、よりにもよってここで判明しなくてもいいだろう。頭を抱えたくなるが、そんなことをしても意味は無い。この件は遅かれ早かれ『ユグドラシル』には伝わる。それが定期連絡が途絶えたことによるものか、それとも二階堂以外の人間からの報告によるものなのかは分からないが。


 とにかく、歓迎都市フェルリアの警備でこちらの思惑が発覚する可能性など、悠長なことを言っている場合では無くなってしまったということだ。


 俺たちの会話を横で聞いていたシスター・メリッサの顔が露骨に歪む。「すぐに来な」という言葉だけを残して、シスター・メリッサは瞬く間に教壇下に隠されている入り口から地下へと降りていってしまった。


『……状況は?』


「あ?」


『私たちが二階堂を粛清したことで、状況がどう悪化したのかを聞いてるの!』


 神楽らしからぬ荒い口調でそう聞いてくる。


「これから俺たちが行う予定だった奇襲がバレる可能性がある。少なくとも、スパイとして利用していた二階堂が粛清された以上、『ユグドラシル』側もこちらが何らかの準備をしていることは悟るだろう。そうなると――」


『ちょっと待ちなさい』


 俺の言葉を遮るように神楽が声をあげた。


『奇襲? 何の話よ。奇襲を仕掛けられるのはこちらでしょう? 2日後に二階堂からの情報を頼りに日本へ攻め入ってくるという情報を寄越したのは貴方じゃない』


「……何?」


 何の話をしている。


 攻め入ってくる?

 日本に? 『ユグドラシル』が?


 知らない。

 そんなこと知らないぞ。


『第一、潜伏先も分からない「ユグドラシル」を相手にどう奇襲を仕掛けるというわけ? まさか手始めに魔法世界全土を焦土化でもして炙り出す気かしら』


 ――っ。

 駄目だ。


 本当に記憶が噛み合っていない。

 まったく別の世界線の話をしているようだ。


「……天地神明の潜伏先は既に判明している。魔法世界エルトクリアにある古代都市モルティナだ」


『情報源は? 信憑性はあるんでしょうね』


「アマチカミアキの遺言から得た情報だから――」


『遺言!? 貴方、遺言を聞いていたの!? 「ユグドラシル」の雑兵に邪魔されて破壊されたものとばかり思っていたのに!』


 神楽の喰い付かんばかりの反応が、俺の思考を余計に鈍らせた。


《この子、遺言は一緒に聞いていたはずよね。どのタイミングで記憶が歪んだのかは分からないけど、遺言の情報がある以上、優先すべきはこちらの情報だと思うわよ》


 ……そう、だな。


「神楽、すぐに出れるか」


『ええ……、勿論。一刻を争う状況になったということは理解できたわ』


 それだけ言うと、神楽は通話を一方的に切った。


 スマホをポケットにねじ込む。

 焦る心を抑えながら、教壇下に隠されていた階段へ俺も一歩を踏み出した。


 下りる。

 階段を下りる。


 下へ。

 下へ。


「――なんだよ、これ」


 思わず足を止める。


 息の詰まるような、濃密な魔力で満たされていた。

 下へ下へと向かうごとにその密度は高まっている。


 空気が粘り気を帯びているようだ。


 意を決して足を動かす。

 ここでいつまでも足踏みしているわけにはいかないのだ。


 それに、この魔力の発生源は分かっている。

 どれだけ重苦しいものに変質していようが、根っこの部分は一緒だ。


「師匠!」


 師匠、リナリー・エヴァンスは訓練場の中心部にいた。

 足を崩して座っている。


 対抗魔法回路によって造られたはずの訓練場は、一部の箇所にクレーターが空いていたり蜘蛛の巣状の亀裂が入っていたりと散々な状態になっていた。隅には気を失った大和さんが転がされており、その横にはなぜかシスター見習い(ということになっている)アリス・ヘカティアも一緒になって転がっていた。


「……どういう状況ですか、これは」


「どうもこうも。君、あの女の弟子なら言ってやってくれないか。不機嫌だからって馬鹿のように魔力を垂れ流すのはやめてくれって。幼気な少女はそれにあてられて目を回しているのさ」


 縁先輩が肩を竦めながらそう言った。

 その隣にいる蔵屋敷先輩は無言のままだ。


 おそらく、縁先輩が言った内容は真実なのだろう。


 窘める言葉を掛けようとしたが、口を噤む。

 師匠の大きなクマができた瞳が俺を射抜いたからだ。


「……来たわね、聖夜。神楽家は何と?」


 師匠の近くに立っているシスター・メリッサに視線を向ければ、肩を竦めて首を振られた。俺が上で連絡していることはシスター・メリッサが伝えていたらしい。天地神明討伐の条件が揺らぎ始めていることで感情が爆発したのだろうか。


「すぐに出れる、と言っていましたので、こちらも準備しておきましょう」


 師匠が首肯したのを確認し、俺は一度視線を大和さんへ移してから師匠へ戻した。


「やはり、大和さんは戦力外ですか」


「ええ、ついでにアリス・ヘカティアもね。支援魔法役として使えるレベルまでの成長は間に合わなかった。連れていっても足手纏いだから、一緒に置いて行きましょう」


「……記憶に齟齬。神楽家は『始まりの魔法使い』の末裔だっただろう。遠くとも血縁関係になるのなら、一番影響を受けないと思っていたんだけどなぁ」


 縁先輩は思案顔でそう呟く。


 誰かへの問いかけでは無かったのかもしれない。

 それでも、それを拾ったのはシスター・メリッサだった。


「繋がりがあったからこそ、影響を受けやすいのかもしれないよ。そのあたりは誰にも分からないだろうね。それこそ『脚本家(ブックメイカー)』が口を割らない限りは」


「……それこそあり得ませんわね。神法に必要な魔力量が無駄に増えると突っぱねられるのがオチですわ」


 蔵屋敷先輩の言葉に「だろうね」とシスター・メリッサは頷いた。


「魔法世界には古代都市モルティナ上空から侵入し、一気にカタをつける」


 師匠の宣言に、この場にいる全員が視線を向ける。


「貴方の無系統魔法が必要よ」


「遡り前では成功していた手法なので、大丈夫だと思います」


 ただ、あの時は……。


「しかし、大丈夫なのは侵入するための手段としては、というだけです。今回と状況が違うのでどうなるかは分かりませんが、遡り前のルートでは侵入直後に魔法による襲撃を受けています」


「へぇ」


 俺の言葉に縁先輩が不敵な笑みを浮かべた。


「あの時は最初から『脚本家(ブックメイカー)』による遡りを目的として魔法世界を訪れましたので。それを読まれていたからだった可能性はあります」


「その際は、創造都市メルティの上空から侵入したんですの?」


「その通りです」


「なるほど」と蔵屋敷先輩が頷いた。

 その隣に立つ縁先輩も納得した表情で頷いている。


「本来の遺言を聞き、天地神明が拠点とする場所が判明しているのは、引継ぎを受けている記憶の中では今回が初めてよ。つまり、古代都市モルティナ上空からの侵入に先手は取られないはず」


「……それも、神楽家による記憶の齟齬が無ければの話だろう?」


 師匠の言葉を遮るようにシスター・メリッサが口を挟んだ。師匠は顔をしかめたが反論はない。正論だと分かっているからだろう。


「このチャンスを棒に振るわけにはいかないわ。私たちが拠点を突き止めたということが知られたら、天地神明は間違いなく逃走を選択する。そうなると、次の潜伏先を1から探し直す羽目になる」


 今回、天地神明の拠点が判明したのは、アマチカミアキの遺言があったからだ。内通者がまさか自分ともっとも近しい存在である実の弟だったことは、流石の天地神明も予想できなかったのだろう。


 運が良かっただけ。

 俺たちは自力で『ユグドラシル』の拠点を発見できたわけではないのだ。


「神楽家は、直ぐに出ると言っていたのよね」


「はい」


 師匠の問いに首肯する。

 師匠は、自らの膝に手を添えてゆっくりと立ち上がった。


「貴方たちは上で待っていなさい。全員が出て行ったあと、私は結界を張ってから上に行く」


 ……。

 俺の視線に何を思ったのか、少し間を空けて師匠はこう告げた。


「誰かに挨拶してくるなら、それくらいは待つけど?」


「……いえ」


 詳細を話せないのに、そんなこと言えるかよ。

 急に「今までありがとう」って切り出されたら、どんなに鈍い奴でも勘付くぞ。


 師匠は「あっそ」とだけ口にして、俺たちに背を向けた。


「じゃあ、行こうか」


 縁先輩の言葉に頷き、再び地上へと足を進める。


 最後に訓練場から出る時、一度だけ振り返った。

 師匠の先で転がる大和さんに心の中で謝罪し、階段へと足を掛けた。







「……失態だわ」


 宝樹は黒塗りの車の中でそう呟いた。無意識のうちに噛んでいた爪から口を離し、窓の外へと目を向ける。後方へと流れていく景色を視界に入れつつも、その情報は宝樹の脳内には蓄積されていない。彼女の頭の中では、現状をどうリカバリーしていくかでいっぱいになっていた。


「『ユグドラシル』に勘付かれない、と考えるのは楽観的過ぎるわよね」


 舌打ち1つ。

 宝樹は正面へと視線を向ける。


「こちら側の粛清は済んでいるのよね」


「はい。残らず首を切っております」


 宝樹の問いに即答したのは、対面に座る黒服の1人である雅。

 その答えを聞いた時にはもうすでに、宝樹の視線は雅には向いていなかった。


「ならば、これ以上の情報漏えいは防げるはず。粛清の影響で『ユグドラシル』側が勘付く? いえ、それを言うなら二階堂を粛清した時点で勘付かれると考えるべき。死人に口は無い。死んだという情報以外が漏れないのなら、この選択は間違っていないはず……」


 宝樹はもう一度自らの爪を噛んだ。


「もし……」


 呟く。


 対面に座る雅も、宝樹の隣に座る葵すらも聞こえない。

 車の走行音で完全に掻き消されてしまうほどの声量で。


「これで対処不能の事態に陥るようなら……」


 宝樹は――。

 次回の更新予定日は、7月20日です。

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