第3話 要請 ④
近況報告。
今更ですが、呪術廻戦読みました。
☆
「駄目だ」
俺からの提案を、縁先輩は一言で切って捨てた。
「……理由を聞かせてもらえますか」
「理由? 口にしなければ理解できないのか。人を殺すことに躊躇いを覚えなくなるほどの地獄を経験したはずの君が」
「その地獄をもう一度現実のものへとさせないためです」
今にも立ち上がりそうな縁先輩へそう返す。
「遡り前のルート通りに進むのなら、最初に起こるのが属性奥義を用いた歓迎都市フェルリアの陥落。その後、動画投稿サイトのアゥアチューブで『ユグドラシル』からの宣戦布告が為されます。今回の目的は、宣戦布告前に『ユグドラシル』の長・天地神明を討伐することです」
「で?」と言わんばかりの目で縁先輩はこちらを見たままだ。
「アマチカミアキの遺言によると、天地神明の隠れ家は古代都市モルティナ。廃墟となっているD区画の地下にあるそうです」
「……古代都市モルティナ。やはり住民を懐柔していたのか」
縁先輩は端正な顔を歪めてそう呟く。
色々と聞きたいことはあるが、今は後回しだ。
「宣戦布告の生け贄にされた歓迎都市フェルリアと、『ユグドラシル』の本拠地である古代都市モルティナ。戦闘が想定されるのが、現時点でも2ヵ所あります。戦力は多い方が良い」
「それとこれとは話が別だ」
縁先輩は言う。
「知らないとは言わせない。大和は普通の学生だ」
「知っています」
俺の回答が癪に障ったのか、縁先輩の口角がひくついた。
「俺たちと違って、大和は人を殺したことがない」
「それも知っています」
拳がテーブルへと振り下ろされる。音を立てたコーヒーカップから、黒い液体がいくらか飛び出してテーブルを汚したが、ここにいる誰もが目にも留めなかった。
「知っていてなお、あいつを巻き込もうと言うのか!」
「知っているからこそ、助力を願おうとしています」
「『ユグドラシル』の拠点に向かわせなければ安全とでも言いたいのか? 君の話では属性奥義が放たれるんだろう!」
「それを食い止めるためです」
普段では想像もできない乱暴な所作で縁先輩が立ち上がった。
「食い止めるだと? どれだけのリスクがあると思っているんだ! そんな計算すらできないとは思わなかったぞ、中条君!」
「リスクの無い戦いなどごく少数です。そんなこと、貴方だって知っているでしょう?」
「人を殺すことに抵抗を覚えなくなるほどの地獄。それを経験した君が彼を巻き込むのか?」
思わず俺も立ち上がる。
「その地獄に陥る前に食い止めたいって言っているんだ。そのためには戦力がいる。俺や貴方たちだけでは足りないんだよ!」
「それを理由に巻き込むことを正当化すると? あいつの人生を――」
斬撃音。
俺と縁先輩を隔てていたテーブルが割れた。コーヒーカップやソーサーがけたたましい音を鳴らして砕け散る。これには俺も縁先輩も閉口し、ヒートアップし始めていた口論は止まった。
遅れて聞こえる鍔鳴り。
ごくり、と。
喉を鳴らしたのは俺か、それとも縁先輩か。
自らに視線が集まったことを確認して、蔵屋敷先輩がゆっくりと口を開く。
「着席を」
一度縁先輩と目を見合わせ、同時に腰を下ろした。
落ち着くためにコーヒーを啜ろうとしたが、既に床のシミと化している。
「中条君」
蔵屋敷先輩はそれっきりで喋らなくなってしまったので、縁先輩が改めて口を開いた。先ほどまでの怒りを多分に含んだ声色ではなく、少なくとも表面上は冷静さを取り戻した声だった。
「本当はね、俺にはこんなことを言う権利は無い。そんなことは分かっているのさ。だって、他ならぬこの俺が君を巻き込んだんだからね。あの時の君はまだ人を殺めたことが無かった。それをある程度予想していながら、俺は君を巻き込んだ」
赤い夕陽に照らされた縁先輩は言う。
「君にリナリー・エヴァンスと繋がりがあることを知っていたから。あの女の関係者なら、最悪あの女が止めにはいるだろうから問題無い。そんな言い訳ならいくらでも思い付くけど、それでも君を巻き込もうと考えたのは俺自身だ。だから君が大和を巻き込もうとしていることを止める権利なんて、俺には無い」
「だから」と。
縁先輩は言う。
「これはね、私情なんだ」
本当に申し訳無さそうな笑みを浮かべながら。
「本当は分かっている。『ユグドラシル』と戦うのに、1人でも多くの強力な駒が必要だってことくらい。拠点がはっきりしない『ユグドラシル』の長・天地神明を仕留めるチャンスなんだ。万全を期して挑みたいという気持ちも痛いほど分かる。そうするべきだと俺も分かっている。それでも」
縁先輩は俺から一度も目を離さない。
逸らさなかった。
「あいつには、俺とは違う真っ当な道を歩いて欲しいんだ」
愛刀の柄を慈しむように撫でていた蔵屋敷先輩。
その表情が、僅かに歪んだ。
「中条君」
縁先輩が俺の名を呼ぶ。
「俺がどんな気持ちで大和と距離を置いたのか。君は、俺と大和の数年を否定するのかい?」
言葉に詰まった。
気持ちは分かる。
痛いほどに。
けれど。
それで分かりましたと下がれるほど、事態を楽観視することは俺にはできない。
大和さんほどの戦力を遊ばせておけるほど、今回の戦いは楽ではない。
「否定するつもりはありません。ですが、俺がどんな気持ちで相談しに来たのか、貴方も分かりますよね」
縁先輩の目が細められ、やがて閉じた。
俺は視線を縁先輩の隣へと向ける。
「蔵屋敷先輩はどう思われますか」
「防衛戦への助力要請なら構いませんわ。逆に侵攻する古代都市モルティナへの助力要請ならお勧めはしません。人を殺めた経験があるか無いかで、その戦闘には明確な違いがありますから。それは貴方も良くお分かりですわね?」
「はい」
蔵屋敷先輩の質問に頷く。
「但し、問題点をいくつか。まず、防衛戦とはいえ属性奥義クラスの魔法が扱われるのならば、その相手は側近、少なくとも幹部クラスとなるでしょう。側近相手では大和は役に立ちませんわ。防衛というなら、大和にどのような立ち回りをさせたいのかが気になりますわね」
「撃破する必要はありません。ただ、属性奥義の発現を邪魔して欲しいだけです」
「あくまでヒットアンドウェイで行くということですわね」
「そうです」
「それをあの大和が素直に承認すると思いますの?」
……。
話せば分かってくれそうではあるが。
どうだろう。
「そして、もう1点。わたくしとしてはこちらの方が気になります」
そう言って、蔵屋敷先輩の眼光が俺を射抜く。
「貴方や縁、そしてわたくしが命懸けで『ユグドラシル』の拠点へと攻め入っている中、大和には都市の防衛線を任せるわけですが……。それを大和にどう納得させるおつもりで?」
☆
「すげぇ魔力じゃねーかよ、聖夜」
大和さんは待ち構えるようにそこにいた。
『約束の泉』の中心地、広がる波紋の中央部に。
「あの時は全力じゃありませんでした、ってか?」
「これだけの魔力を放出できるようになったのはつい最近です。そこに嘘は無いですよ」
それまでは、これほどの魔力を解放するような機会も無かったから。
その言葉を額面通りに受け取ったのかは分からない。大和さんは「へぇ」と呟き、自らの学ランを脱ぎ捨ててワイシャツ姿になる。
「始めるか?」
「はい。……ですが、その前に」
『魔力暴走』以上の技法で、魔力生成器官に負荷を掛けている時にしか使えない俺の切り札。
「――『知覚拡大』」
俺を中心として不可視の魔力が周囲へと拡大していく。
それらは一瞬にしてここら一帯を飲み込んだ。
「……何をした? 聖夜」
俺から意識を外すことなく、大和さんは素早く周囲を見渡している。
まさか、これを知覚されるとは思わなかった。普通なら『魔力暴走』によって垂れ流されている俺の魔力の方へ意識が集中してしまい、周囲へと展開した微量な魔力へ気付かなくても不思議ではない。実際、あの孤児院での戦いで『ユグドラシル』の面々は誰1人として感知することはできなかったのだ。
やはり規格外。
平凡な学生などやっていなければ、とうに魔法使いとして名を馳せていただろう。
「俺の必殺コンボ……、その布石ってところですかね?」
ニヤリと笑い、そう答える。
俺の返答を聞いて、大和さんも口角を吊り上げた。
「……なるほど。そりゃ先に詳しく聞くのは野暮ってモンだよなァ」
泉の中央に仁王立ちしていた大和さんが、腰を落としてゆっくりと構えを取る。
獰猛な笑みを浮かべる大和さんを見て思う。
この人は本当に喧嘩が好きなんだなぁ、と。
だからこそ、思う。
本当にこの人を巻き込んでいいのか、と。
俺が巻き込もうとしているのは喧嘩じゃない。
殺し合いだ。
例え大和さんにその気が無くても、相手は殺す気でやってくる。
本当に――。
――――君は、俺と大和の数年を否定するのかい?
頭を振った。
切り替えろ。
それはとうの昔に済ませた決断だ。
ここでもう一度悩むこと。
それは、あの時あの場所でその心情を知ってなお突っぱねた。
縁先輩への裏切りになる。
「おい、聖夜」
名前を呼ばれる。
距離は詰められていない。
そんなことは見ることもなく分かっていたことだ。
俺の切り札の1つ、『知覚拡大』を展開しているのだから。
俺の立ち位置と大和さんがいる泉の中央。
両者の間にはそれなりの距離がある。
それでも、大和さんの声は不思議と耳に良く届いた。
俺の視線が大和さんを捉える。
そこで俺の意識がようやく自分に向いたと判断したのか、大和さんが口を開いた。
「ぐだぐだ難しいこと考えるのは後にしろよ。今、お前がしなきゃいけねぇことは何だ?」
「ははっ」
思わず笑ってしまう。
心地よく感じるほどの闘気だった。
《マスター、あたしも手を出して良いのよね?》
「おう」
ここからは完膚なきまでに叩きのめす。
そうしないと、俺が死地へと向かうことを、あの人は決して認めないだろうから。
「それじゃあ――」
『神の書き換え作業術』、発現。
「――やりますか」
転移対象は俺では無い。
大和さん本人だ。
「……なっ!?」
驚愕の表情を浮かべる大和さん。
しかし、俺の回し蹴りはその『装甲』を纏った腕で受け止められていた。
威力を完全に殺すことができなかった大和さん。
その巨体が宙に浮く。
それとほぼ同時。
自分の立ち位置が一瞬で切り替わったことに集中を乱したのだろう。
大和さんが足元で待機させていた魔法球。
それら数発が勝手に射出されて、見当違いの方向へと飛んで行く。
「てめっ……、『結結陽炎』」
《『水の球』》
ウリウムが俺にしか聞こえない声で魔法球を発現した。
その数、50。
大和さんの四肢が、突如として出現した魔力へと反応して勝手に動き出す。相手魔力に反応するカウンター型の技法、その弱点を的確に突かれたことを悟った大和さんの顔がしかめられた。
『神の書き換え作業術』、発現。
逃がしはしない。
蹴られた勢いを利用して俺から距離を取ろうとしていた大和さんを再転移。
再び俺のもとへと呼び寄せる。
大和さんが状況を認識した時には、既に拳を振り下ろしていた。
腕を交差して防御を図った大和さんに叩き付ける。
蜘蛛の巣状に地面へと亀裂が走った。
衝撃波が周囲へと吹き荒れたことで、木々が吹き飛び泉が荒れ狂う。
「づぅっ、――『遅延術式解放』」
2発目の拳でクレーターが出来上がる。
しかし、大和さんは地面に埋もれながらも魔法を発現させた。
「『浄化の天蓋』」
光属性の天蓋魔法。
周囲を眩い光で照らす砲台が上空に姿を見せた。
そして、次の瞬間にはその姿を消した。
「――は?」
大和さんから呆けた声が漏れる。
直後、地面を突き破るようにして光属性の魔法球の群れが射出された。
その背後からの奇襲に、大和さんが身体を反転させて叫ぶ。
「『完全装甲』!!」
数えきれないほどの魔法球の群れ。
射線上にいる大和さんと俺を問答無用で襲ってくる。
「てめぇ、いよいよ化け物かよ!」
大和さんが俺を見て叫んだ。
完全に防御の態勢となっていた大和さんに対して、俺は丸腰で何も対策はしていない。強いて言うなら『魔力暴走』を展開しているくらいだ。その放出されている膨大な魔力が、天蓋魔法から射出された魔法球全てを打ち消していた。
俺が三度目の殴打を加える前に、大和さんが動いた。
俺の転移魔法によって上空から地中へと移動させられていた天蓋魔法を解除。俺たちを襲う魔法球の射出が止んだ瞬間に手を振り上げた。
「――『蒼天より響く光千華』」
夕闇によって黒く染まり始めた空が眩い光を放つ。
「喰ら――」
『神の書き換え作業術』、発現。
「――え!! ――なっ」
大和さんが手を振り下ろした瞬間には、大和さんは空中にいた。たった今、大和さんが展開した浅草の奥義と、照準を合わせていた俺との間に。一瞬で状況を理解したのだろう。無系統を纏ったままの拳で、大和さんが自ら放った攻撃の迎撃に移る。
「他人の位置をポンポンと変えやがって――」
その口上が終わる前には、既に俺は大和さんの隣にいた。
「――移動対象は、てめぇもかよっ」
俺の回し蹴りが大和さんの脇腹を捉える。
面白いほどに吹き飛んだ大和さんは、『約束の泉』へと突っ込み派手な水柱を上げた。
「無系統『書き換え』。対象となるモノと跳ばしたい先の座標を思い描くことで転移させることができる魔法です。この魔法を俺の口から他人に語るのは、随分と久しぶりのことですね」
「……そうかい」
水面に手を付いて這い上がって来た大和さんが咳き込みながら言う。
「そりゃ随分と光栄なことだな」
大和さんの顔から不敵な笑みが消えることはない。これほどまでに圧倒して見せても、まったく心の折れた様子を見せないとは。
思わず目を細めてしまう。
「……大和さん、水って想像以上に重いんですよね。知ってました?」
「あ? 何の話だ」
視線を大和さんが足場にしている泉に向けながら言う。
「水は1リットルで1キログラム。家庭用の浴槽を200リットルと仮定して満杯にいれたら200キロってことになります。まあ、もっと身近なところで2リットルのペットボトルを何本も買って帰る時の重さを想像した方が分かりやすいかもしれませんが」
「……何が言いてぇんだ?」
「分かりません?」
『神の書き換え作業術』、発現。
《『激流の乱障壁』、発現》
垂れた鼻血を手の甲で拭いながら笑う。
「泉に溜まっていた水。それら全てが天から墜ちてくるとして……。いったいどれほどの質量になるんでしょうね」
大和さんは泉の中心部に立っていた。
水が完全に抜けきった泉の底に。
見上げれば空を覆い隠すように広がる泉の水。
見渡せば周囲にそびえ立つように広がる水属性の障壁魔法。
完全に退路は断った。
「……何か言っておくことは?」
逃走防止のためにウリウムに展開してもらった乱障壁の1枚。
その上に着地した俺は、泉の中央で周囲を見渡す大和さんへ声を掛ける。
大和さんと目が合った。
重力に従い、天から大容量の水が落下してくる。
大和さんは最後まで笑っていた。
「聖夜……。お前、やっぱすげぇな」
★
場所は移り、神奈川県小田原市。
日も落ち柔らかな暗闇に包まれたとある一角。
――日本五大名家『五光』が一角、二階堂邸。
「たす、助けてください! お願いします!」
「わ、わたっ、私たちは何も――あぐっ」
使用人のうち、1人の顔が潰れたトマトのようにはじけ飛んだ。一緒に逃げていたもう1人は、至近距離でその光景を見てしまい思わず足が止まる。血と、脳漿、そして頭蓋の破片。それらを一身に浴びてもその使用人は後退しなかった。
「あ、え……、あ?」
頭部を潰された女性はそのまま力尽きて廊下へと転がった。
それを呆然と見つめる同僚。
――そして、それを為した男。
薄暗い。
気味が悪いほどに薄暗い。
細い廊下で2人きり。
血と涙と鼻水と。
その他もろもろで汚れた顔で、生き残った使用人はゆっくりと襲撃者へと視線を向けた。
「良い、良いとも」
それに視線を合わせた襲撃者、岩舟龍朗は、彼に似合わぬ自愛の笑みでそれを迎えた。
「その見当違いの考えで、存分に身の潔白を証明し続ければ良い」
闇に溶け込んだ漆黒の魔法球が射出される。
空間を裂く一閃が使用人を穿った。
「あぅ……、ごぽっ」
胴体に風穴を開けられた使用人は、口からどす黒い液体を噴き出しながら床に転がった。龍朗はそれを冷めた目で見据え、その死体を跨いで先を進む。
あちらこちらから悲鳴や怒声が聞こえてきた。
しかし、龍朗は眉1つ潜めることが無い。
なぜなら、こうなるように仕向けたのが彼だからだ。
途中で雑務を任せていた黒堂司と合流する。黒堂が肩に背負った麻袋へと視線を向けた龍朗は、一瞬だけ目を細めてから口を開いた。
「首尾は」
「ご命令には全てお応えしました」
「そうか。では――」
龍朗の言葉を遮るように、楽しそうな笑い声が耳に届く。
顔を顰めた龍朗に黒堂が頭を下げた。
「申し訳ございません。静かに事を進めるよう念は押したのですが」
「いや、気にするな。奴の性分を知った上で任せたのはこの俺だ。……行くとしよう」
龍朗が歩を進める。
黒堂はそれに黙って従った。
まるで作業のように。
目についた人間は淡々と殺していく。
それが男でも、女でも。
彼ら2人が通った後には、生き残っている者は誰もいなかった。
次回の更新予定日は、6月30日です。