第0話 要請 ①
お待たせいたしました。
始まります。
★
木造の建物が軋んだ音を鳴らす。
定期的なリズムを刻むように鳴るそれは、上を走る8両編成の列車が原因だ。通過を終えた列車に応じるようにして、木造の軋む音も止む。キイキイ、と吊るされたランタンが揺れる音だけが残った。天上から落ちてくる埃を払い、純白の民族衣装に身を包んだ男は丸縁のサングラスを指で押し上げる。
泰然は閉じていた目をゆっくりと開けた。
『……来たか』
直後。
泰然が坐す席と向かい合う位置にあった木製の扉が蹴破られる。
同時に発砲音。
連続して鳴り響くそれに、泰然は回避を選択した。
目の前のテーブルを蹴り上げる。しかし、建物と同じく木製のそれに耐久性は無い。瞬く間にハチの巣となったが、襲撃者に対するブラインドの役割は果たした。泰然は背もたれへと手を掛けて自らの身体を跳ね上げる。掴んだ背もたれを軸として、ぐるりと回る。遠心力を利用して、その椅子を蹴り出した。
吹き飛んだ椅子が、ブラインドの役割を果たしていたテーブルと衝突して軌道を変える。そしてそれは、今まさに銃撃と共に侵入してきた襲撃者へと直撃した。
『ぎぃ』
襲撃者は突然生じた痛みに呻く暇もなく、瞬く間に距離を詰めていた泰然に首を掴まれる。顔に1発、腹に2発。殴打を受けて銃を取り落とした襲撃者は、泰然にされるがまま部屋の入口へと放られた。
1人目に続くようにして侵入してきた襲撃者が、それを見て一瞬怯む。その無防備となった顔に泰然の回し蹴りが炸裂した。ドア枠に頭をしこたま強打した襲撃者は、そのまま意識を手放し倒れ伏す。
『出たぞ! 撃て撃て!』
薄暗い廊下で誰かが叫んでいた。
一歩で距離を詰めた泰然は、その男が銃を構える前に掌底を叩き込む。血の混じった唾液を口から零した男は、そのまま後方へと吹き飛び、今まさに攻め込もうとやってきていた襲撃者たちに受け止められた。しかし、不意を突かれたせいもあり、襲撃者たちはそのままの勢いで倒れ込んでしまう。
『出たぞ、とは失礼だな。招かれざる客はそちらだろう』
流暢な中国語で泰然は呟く。
不意に首を反らした。潜んでいた襲撃者がナイフを突き出したからだ。二撃、三撃と追撃を放つ襲撃者の攻撃を自らの身体を翻すことで躱し、四撃目を放つ腕に右足を絡みつかせる。
『――なっ』
絡みつかせた足を膝から折り曲げることで、襲撃者の腕が嫌な音を鳴らした。襲撃者の手からナイフが零れ落ちる。そのまま膝を突いた襲撃者の顔へ泰然の左脚が突き刺さった。その襲撃者の行方を気にする前に、泰然が走り出す。
『くそ、殺せ! 殺せ!』
自分たちに覆いかぶさっていた男から抜け出した襲撃者の1人が叫ぶ。
銃声が鳴る。
いくつもの銃口から凶弾が放たれる。
しかし、その1つとして泰然を捉えることはできなかった。
3歩までは床を。
4、5、6歩は壁を走った。
7歩目で跳躍。
振り抜かれた右脚が、襲撃者が握る銃の1つを吹き飛ばす。その遠心力を生かしたままくるりと一回転した泰然がもう一度回し蹴りを繰り出した。二撃目が襲撃者の頬を捉えたことで、その襲撃者が仲間を巻き添えにして吹き飛ばされる。銃弾のいくつかは仲間同士を穿ち、至る所から悲鳴が上がった。
手刀、肘うち、殴打、そして掌底。
続けざまに4人を無力化した泰然だったが、ふと新たな気配を感じ取り動きを止めた。
ひゅん、と風を切る音。
刀身に付着した血飛沫が舞う。
「老師」
艶やかな紫の着物を身に纏った小柄な少女。
月詠が姿を見せた。
少女の身長程もある太刀が、薄暗い廊下でぬらりと光る。
3人分の頭部がごろりと転がった。
これでここにいた襲撃者の全てが無力化されたことになる。
「そちらは済んだのか」
「はい。面倒だったので全部首落としたです」
何か問題があるか、という表情に泰然は苦笑してしまった。
「捕虜は不要だ。どうせ『ユグドラシル』の息が掛かった者たちだろう」
「やはり、本メンバーではないですか」
頭部を失った胴の1つを小突きながら月詠は言う。それに首肯した泰然は、小さく息を吐くと元居た部屋へと足を向けた。月詠はもう一度刀身に付着した血のりを振り落としてから、ゆっくりと鞘へ納める。そして、泰然の後を小走りで追った。
キイキイ、と。
吊るされたランタンが小さな音を立てる。
泰然は部屋の隅に立て掛けていた刀袋に手を伸ばした。紐を解き、一度中身を確かめてからもう一度結び直す。それを肩に下げてから、泰然は月詠へと振り返った。
「では、行くとしようか」
「はいです」と。
月詠が答えるのとほぼ同時。
泰然の懐からコール音。
しかしそれは、泰然が応答する前に僅か1コールで途切れた。
直ぐにまたコール音。
今度は3コール。
しかし、結局は泰然が応答する前にそれも途切れる。
再びコール音。
今度は1コールで切れる。
泰然がスマートフォンを取り出す。
直後にコール音。
泰然は取らなかった。
2回鳴り終えたところでそれも切れる。
そして。
5回目。
泰然は視線を月詠に向けた。
月詠は無表情のまま頷いた。
通話ボタンをタップし、泰然は言った。
「この世の理を知ったか。中条聖夜」