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第14話 秘密 ⑦




「この作戦に兄が気付いていない今だからこそできることだ。よく考えて欲しい。そして……」


 ここで一度、アマチカミアキは言い淀む。

 この情報を伝えることで何か悪影響を及ぼさないかを考えたからだ。


 逡巡は一瞬。


「『脚本家(ブックメイカー)』の遡りの神法に頼り過ぎないことだ。どれほど素晴らしい魔法であろうと、必ずデメリットは存在する」


 結局、アマチカミアキは伝えることにした。


「もはや生前の姿など欠片も残されてはいないが、奴も所詮は人だ。神ではない。時の流れを強引に捻じ曲げることで、少しずつ、しかし確実に綻びが生まれていく」


 アマチカミアキは、人差し指を自らのこめかみに向ける。


「一番顕著に現れるのがここ。すなわち記憶だ。遡りを繰り返して様々なルートを辿ることで、時折記憶がバグを起こす。消されたはずのルートの記憶を思い出したり、別々の記憶が混同したり、といった具合だね。まだ『ユグドラシル』の設立前……、『脚本家(ブックメイカー)』との関係が良好だった頃に行った検証実験で出した結果だから間違いない」


 その後、自らの本を奪ったことでアマチカミアキと『脚本家(ブックメイカー)』の間には軋轢が生じたわけだが。そんなことはここで言う必要が無い。リナリーですら知らないその真実を、アマチカミアキはついぞ口にすることが無かった。


「その綻びが表面化する前に全てを終わらせることが望ましいが、兄相手ではそうもいかないと思う。多少の食い違いなら大丈夫だとは思うが、その違いを認識できるようになり始めたら気を付けろ」


 この違いを認識することによる脳への負担が顕著に現れるのは、決して遡りによって過去へと戻り続けている対象者では無い。なぜなら、その対象者は遡りが行われていることを知っているからだ。遡りの神法を知っているから、記憶の相違が生じた場合でも理由に気付くことができる。理由に気付けるから、この相違も神法のせいと結論付けることができる。


 しかし、対象者以外、つまり『脚本家(ブックメイカー)』の存在を知らない人間はそうもいかない。記憶の相違の認識が始まっても、何が原因かが分からない。自分が知らないはずの情報を持っていたり、過去に選ばなかったはずの選択肢から生じる結論を知っていたり。その原因が分からないのだ。そうすると自分の記憶が信じられなくなる。そこからどのような影響をもらたすのかは人それぞれだが、決して良いものにはならないだろう。


 そのデメリットを承知の上でも『脚本家(ブックメイカー)』が神法を連用せざるを得ない状況になるのだから、兄は本当に化け物だな、とアマチカミアキは他人事のようにそう思った。


「さて……、俺の方から伝えたいことは以上だ」


 自らに向けられた無機質なレンズに向けて、アマチカミアキは言う。


「この映像を見ている君に、全てを背負わせることになってしまった。済まないと思っている。しかし、兄が確実に側近を使うのは俺が死んだ後になると悟った。俺の死が少しでも君の役に立つことを祈っている」


 そう伝えて、アマチカミアキは録画を止めた。

 ふう、と1つ息をつく。


 後は、日本に赴き思い出の孤児院にこの録画機器を仕込むだけだ。

 勿論、兄に怪しまれないようまっとうな理由を説明した上で、だ。


 ある意味、それが一番の問題点であると言えるのだが。


 アマチカミアキは、苦笑しながら冷え切ってしまったコーヒーに手を伸ばす。その指先がコーヒーカップに触れる直前に、ノックの音が部屋の中に響き渡った。手早く録画機器を引き出しの中の隠しスペースへと仕舞い込んだアマチカミアキは、一切の動揺を出さずしていつも通りの声を上げる。


「誰だい?」


 閉ざされた扉の先から「龍です」と声が届く。


「開けていいよ」


「失礼します」


 名乗った通りの、中華系の民族衣装に身を包んだ青年が扉を開いた。


「やあ、龍。今日は妹さんの様子を見に行ったのではなかったのかな」


「それは午前中の話ですって。今何時だと思ってんですか……」


 その呆れたような口調に、アマチカミアキは気まずそうに視線を逸らして頬を掻く。


「まあ、そんな話はいいや。あんたのお兄さんから話があるっていうんで、傍若無人から俺が伝言役を頼まれたんですよ」


 なるほど、と。

 そう呟いてアマチカミアキは立ち上がった。


「わざわざありがとう」


「いえいえ。ただ最近、少し組織内の空気がピリついている気がするんですけど、何かあるんですか?」


 その言葉に、アマチカミアキは少しだけ目を細めた。

 やはり気付く人間は気付くものだ。


 しかし、今のアマチカミアキには、それを答える術を持たない。


「ん、直に分かると思うよ」


「えー、そういう躱され方が一番気になるんですが」


 ははは、と笑いながら、アマチカミアキは龍の横を通り過ぎる。


「ねえ、龍」


「何です?」


 やっぱり教えてくれる気になりました、と。

 なおも答えを得ようとする龍に苦笑しながらも、アマチカミアキは問う。


「君にとって、今日も()()かい?」


「たまにしますね、そのよく分からない質問」


 龍は釈然としないまでも、きちんとその質問に答えた。


「何ら変わりありませんよ。あんたは俺にとっては命の恩人だ。変わるわけ無いでしょう」


「ありがとう」


 君はずっと君でいてね。

 喉から出かかった言葉を抑え込み、アマチカミアキは自らを待つ兄の方へと足を向けた。


 面会が許されていない、龍をそこへ残して。







糸切狭(イトキリバサミ)


 バツン、と。

 そんな音が聞こえてきそうなほど綺麗に、2つの手刀が襲撃者の首を切断した。


 鮮血を噴き散らして胴が倒れる。

 首も重い音を立てて転がった。


「お嬢様」


「ええ」


 護衛の先導のもと、神楽は足早に廊下を歩いていく。

 俺たちはただそれについて行くだけだ。


 廊下を出るなり死闘開始かと思っていたが、そうはならなかった。


 いや、戦闘自体は開始された。魔法球が飛び交うこともあったし、強化系魔法で接近戦を行うこともあったし、実際に死人も出ている。ただ、前面に出て戦っているのは神楽の護衛というだけで、ひたすらに死人が出ているのが『ユグドラシル』側の人間というだけだ。


「……聖夜、気を緩めないようにしておきなさい」


「はい」


 もはや虐殺とも言える現状に脱力しかけたが、師匠の一言で持ち直した。確かに自分でも分かっていたはずだ。戦闘自体は開始されているのだと。ここは『ユグドラシル』が隠滅したい証拠がある場所、つまりは戦場のど真ん中だ。気を緩めて良いはずが無い。


 ひと際大きな音が鳴り、孤児院が揺れた。

 ガラスが割れる音もする。


 俺たちと遭遇していないというだけで、まだ何人か襲撃者が残っているようだった。


「中条」


 神楽から呼ばれたので、その背中へと視線を向ける。

 神楽はこちらへと振り返ることなく言葉を続ける。

 

「この後、貴方たちは魔法世界へ行くのよね」


 その質問に答える前に、視線を一瞬だけ師匠へと向けた。

 師匠が無言で頷いたのを見て、答えを決める。


「そのつもりだ」


「私も混ぜなさい」


「……は?」


 こいつは何を、と思い、そんな呆けた声が出た。隣で「お嬢様」と窘めるような声が護衛から飛んでいるが、神楽はそれを手で払うだけだ。


「国外で都市の1つや2つが壊滅する程度ならご勝手に……、と言って終わりだったのだけれど。『ユグドラシル』の狙いが『脚本家(ブックメイカー)』の創世神法(システム)にまで及ぶのだとすれば話は変わってくる」


「お前からしても、破壊されるのは困るということか?」


 俺からの質問に、神楽はようやく視線をこちらに向けた。


「破壊ならまだいい。皆、魔法が使えなくなるだけで済むから。問題なのは、破壊ではなく掌握の場合」


「……魔法が使えなくなる?」


 こいつ、何を言っているんだ?

 魔法そのものを管理しているのは『脚本家(ブックメイカー)』ではなかったはずだ。


 それは七属性の――。


「……リナリー・エヴァンス」


 俺の様子を見て伝わっていないと察したのだろう。

 ため息を吐いた神楽は、鋭い視線を師匠へと向けた。


「戦いに巻き込むなら、相応の情報は提供して然るべきだと思うけれど?」


「貴方たちと一緒よ。与えるべき情報とそうでないものを区別しているだけ」


「本当は巻き込みたくなかった、という心境が透けて見えるのだけれど?」


 神楽の言葉に師匠が押し黙った。それを鼻で嗤った神楽は、視線を前へと戻す。「まあ、余所の師弟関係に口出しは無用ね」なんて言っているが、既に口出しはしていると思う。


「破壊された場合については、後で貴方の師匠にでも聞いておきなさい。私が問題にしたいのは、掌握された場合だから」


「個人情報や国家機密の全てが詰め込まれている『創世の間』が犯罪組織である『ユグドラシル』に掌握されたとしたら、確かに問題かもな」


 世界征服というちんけな言葉が現実味を帯びることになるだろう。


 そう思っていたら、神楽から呆れた視線で見られていることに気付いた。

 視線が合ったところで、神楽の方から逸らされる。


「それもあるけど、問題なのは『神のノート(インデックス)』が天地神明(テンチシンメイ)の手中に収まってしまうということよ」


「『神のノート(インデックス)』?」


「リナリー・エヴァンス!」


 俺の疑問に対して、神楽は師匠へと咆哮した。


「神の名を持つ神法を持たせておきながら、その価値を知らせていないなんて! 限度というものがあるでしょう!」


 師匠へと視線を向けてみれば、気まずそうに視線を逸らすだけだった。


「……貴方が中条聖夜をどうしたいのか。私には分からなくなったわ」


 急激にテンションを下げた神楽は、そう言ってから無言になる。おそらくは、ここから先は全て師匠に聞けということだろう。そう思っていたら、神楽は鋭い眼光を俺に向けてきた。


「貴方も貴方よ、中条。無系統魔法は鍛錬では身に着けることのできない唯一無二の魔法。魔法を扱う者としての最低限の知識は持っているのでしょう」


「あ、ああ……」


 その剣幕に圧されて頷く。


「なら……、その無系統魔法の名前は誰が決めたのかしら」


「は?」


「これで伝わらないの」と神楽はため息を吐いた。


「貴方の無系統魔法は、神の名を冠する理を捻じ曲げる魔法のはず」


「お前、何でそれを知って――」


「そんな些事、今はどうでもいいでしょう」


 どうでも良くなんかねぇよ。

 とは言えない雰囲気だった。


「もう一度言うわよ。無系統魔法は鍛錬では身に着けることができない唯一無二の魔法。それを貴方は持っていた。その魔法の存在を教えたのは誰? その名前を付けたのは? まさかその使い方まで教えてもらってないわよね」


 ……。

 思い当たる節があると判断したのか、神楽は鼻で嗤う。


「じゃあ、ここで問題。その魔法の存在をリナリー・エヴァンスはどこで知ったでしょうか」




 ――――初めから知っていた……、としたら?




 囁くような声色が脳裏に蘇る。


 神楽が口にした内容。

 これは生前のアマチカミアキからも指摘されたことだった。


『幼い君に、神の名を冠する無系統魔法を行使する権限が宿っている……、と。初めから知っていて君を迎えに来たのだとしたらどうする?』


『あれは必然だった』と記憶の中のアマチカミアキが言う。




 ――――君を、自分たちにとって有用な駒とするために。




 自分たち。

 それはすなわち『脚本家(ブックメイカー)』と師匠のことだ。


『リナリー・エヴァンスにとって、君が君である必要など無かった。あの時、彼女が君を助けたのは君のためでは無い。君の能力を持った君が欲しかったのさ。「始まりの魔法使い」が特別な栞を差し込んだ本の対象者である君を』


 そう。

 俺はもう知っていたはずだった。

 

 俺に神の名を冠する無系統魔法を行使する権限が宿っていること。師匠はそれを最初から知っていたのだと。『脚本家(ブックメイカー)』には無系統魔法を自由に分け与える権限が有り、俺に『神の書き替え作業術(リライト)』と『神の上書き作業術(オーバーライト)』の力があるのも決して偶然では無いということも。


 知っていながら放置した。

 あの時は全てを聞いている余裕なんて無かったから。


 いや、それも言い訳か。


 確かに、修学旅行中は腰を据えて話している時間は無かったかもしれない。しかし、それが終わった後ならいくらでも時間が合ったはずだ。神楽が編入してくる前も、編入して来た後だって、遡り前のルートでは教会の下にある訓練場で毎日顔を合わせていたのだ。


 それを敢えて聞かなかったのは。




 ――――貴方は貴方。私では無いもの。だから、貴方は貴方だけの答えを見つけなさい




 アマチカミアキから得た情報で揺れていた俺を支えてくれた師匠の言葉が蘇る。

 あの言葉に偽りは無かった。


 師弟関係で考えるなら、師匠は俺に対して「無駄な事は考えず、とにかく従え」と命令することだって出来たはずだ。おそらく、当時の俺は従っただろう。『白銀色の戦乙女』の構成員のように、俺は師匠に対して盲目的に従っているわけではない。それでも、一定以上の信頼はしている。そのくらいの信頼関係を俺と師匠は既に築いている。


 それでも、師匠は自分の立場を利用して俺に強制をしなかった。

 会談を控え、少しでも戦力が欲しかったであろうあの場面でも、俺の意思を尊重してくれたのだ。


 だから聞かなかったのだ。

 俺に言わないのは、何かしらの理由があるからだと思ったから。


 そしてその理由は、きっと俺のためだと思ったから。


「んー」


 俺の表情を観察していた神楽が自らの顎に指を当てて言う。


「その表情を見るに、さわりだけは聞いていたけど、深堀りはしなかったというところかしら。何にせよ、全てを理解しているとは言い難いわね。まったく師匠が師匠なら弟子も弟子ね」


「お互いに遠慮し合って本音で語り合えないとか付き合い始めの恋人みたい」と神楽は嘲笑うようにしてそう口にした。神楽に付き従っていた護衛の1人が足早に神楽の前へと先回りし、正面玄関の扉開ける。


 そこには、同じく黒いスーツにサングラスを身に付けた護衛が1人跪いていた。


「ご苦労様。戦況は?」


「既にこちらが優勢となっており、殲滅戦へと移行しております」


 跪いた黒服の視線が、神楽からこちらの方へと向けられる。


「『黄金色の旋律』が用意したと思われる戦力もおりましたので、加勢という形で共闘しておりますが問題はありましたでしょうか」


 神楽の視線が師匠へと向けられる。


「黄金色のメンバーをここに?」


「いえ……、『白銀色の戦乙女』です」


 答えたのは師匠ではなく、跪いた黒服だった。

 確認するような神楽からの視線に、師匠が1つ頷く。


「ふぅん、なら問題無いわ。相手に幹部クラスの実力者はいたのかしら」


「いいえ」


 きっぱりと黒服が否定する。


「いたのは部隊リーダーと思われる男女が3名ほどです。既に2人は首を斬っていますので、これ以上潜伏していない限りは残り1人となります」


「結構」


 そこまでで会話を切り上げて、神楽が俺たちを見た。

 いや、視線は俺の隣に立つエマに向けられている。


「随分と静かだったわね、マリーゴールド・ジーザ・ガルガンテッラ」


「別に。口を挟むようなことでは無かったから黙っていただけよ」


「あっそ」


 その問答で興味を失くしたのか、神楽の視線が俺へと向いた。


「魔法世界への移動手段は私が用意してあげる。ひとまずは青藍に帰って準備でもしていなさいな。こちらから連絡を入れるわ。葵」


「はっ」


 神楽の言葉に一礼した護衛が、俺のもとまでやってきた何かを手渡してきた。


「……携帯電話」


「あげるわ、それ」


 いとも簡単に神楽は言う。


「この一件が終わって必要無くなったら処分して頂戴。そこに登録されている番号に掛ければ、私の護衛に繋がるから。とは言え、貴方から掛けてきたところで余程のことが無い限りは私と直接話せることは無いでしょうけど」


 左様か。

 こちらとしても、進んでお前と会話しようとは思わねーよ。


 そんな俺の心境を知ってか知らずか、神楽は口角を吊り上げながら言った。


「戦力を集めておきなさい。また後で会いましょう、中条」

 次回の更新予定日は、3月22日(月)17時です。

 その更新で第12章ユグドラシル編〈上〉はおしまいです。

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