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第13話 秘密 ⑥




 緩やかなブレーキで車が止まる。

「どうぞ」という声に従い、車を降りた。


「……敵対しないだけでこうも容易く辿り着けるとはね」


 俺に続いて車から降りた師匠が言う。


 それはその通りだとは思うが、このルートは遡りの記憶が無ければ到達できないものだ。なにせ、編入初日の神楽に未来の情報を提供しなければ、神楽家からの協力は得られない。神楽家からの妨害といい、アマチカミアキが残した遺言のギミックといい、これがゲームだとすれば初見クリアなど絶対不可能なクソゲーも良いところである。


 目の前には、アマチカミアキが幼少の頃に身を寄せていたという孤児院が建っている。火の手が回ることも無い完全な状態で。神楽家の協力が得られたことに加えて、最初からここを目的地としていたこともあり、まだ『ユグドラシル』側からの介入が無いタイミングなのだ。


「……誰もいないようですが?」


 エマが遠目から中の様子を窺いつつそんなことを言う。


 直後、俺たちに用意された車とは別の車が孤児院に到着した。俺に侍るようにして控えていた黒服が、そちらへと足早に向かい扉を開く。中から出てきたのは神楽。黒服からの接待を当然のようにして受け入れ、こちらへとやって来た。


「中に人がいないのはなぜだ?」


「今日は少し離れた所にある動物園へ行く日なの。ここに身を寄せる子だけではなく、職員全員でね。今頃楽しんでいるんじゃないかしら」


 詰まらなそうな表情で神楽はそんなことを言う。

 思わず師匠と顔を見合わせてしまった。


 そんな様子に気分を害したのか、神楽が派手に舌打ちをする。


「……アマチカミアキの遺言を起動させようとしているのに、無関係な有象無象がいたら邪魔にしかならないじゃない。何か文句でも?」


 じろり、と。

 俺を睨みつけながら、神楽は聞いてもいないのに続きを口にした。


 その様子をしげしげと眺め、思わず一言。


「……お前、良い奴だな」


「殺すわよ」


 そんな軽口なのか本気なのか分からないやり取りをしながら孤児院へと足を踏み入れる。鍵は当たり前のように黒服が所持しており、すんなりと正面玄関の扉は開かれた。


「で……、どこなのかしら?」


「こっちだ」


 ひっそりと静まり返った孤児院の中を歩く。神楽家の護衛たちが孤児院周辺を警戒しているとはいえ、あまり時間をかけたくはない。申し合わせることなく、必然のようにして皆が早歩きになった。


「聖夜」


「はい」


 師匠の呼びかけに、歩きながら頷く。


 学ランを脱ぎ、シャツを捲り上げてウリウムを露出させる。隣を歩いていたエマからもう1つのMCを差し出されたので受け取った。これで妖精樹を素材としたMCが2つ揃ったことになる。


「へぇ……。それがかの魔法世界エルトクリア、危険区域ガルダーのS区域に生えている妖精樹を素材としたMCなのね」


 ひょっこりと横から顔を覗かせた神楽は、目を細めながらそんなことを言う。


「お前からしても珍しいのか」


「勿論。そもそもあの妖精樹から素材を剝ぎ取ろうとする精神が理解不能だから。それをやってのけるなんて本当に頭のネジがぶっ飛んでいるわね」


「貴方の一族からだけは言われたくないわ」


 そう師匠はぼそりと呟いたが、俺からすればどっちもどっちである。それに、師匠たちも自生している妖精樹を害したわけではなかったはずだ。自生している区域に赴き、落ちている素材を回収しただけだったと聞いている。……どちらにせよ、その区域に学生の身分だった師匠たちが辿り着けている時点で頭がおかしいのだろうけど。


「ここだ」


 閉ざされた一室の前で足を止める。

 孤児院の教員室にあたる場所だ。


 師匠とエマの視線が俺に集まった。


「行きます」


 俺の言葉に師匠が頷いた。

 神楽は流石に空気を読んでいるのか、一歩下がったところで様子を窺っている。


 1つ深呼吸をしてから、扉に手を掛けた。


「葵、ついて来なさい。後は外で警戒」


「はっ」


 神楽はついてきた3人の護衛のうち、1人を連れて後は外に残すようだ。聴覚だけでそんな情報を拾いながら、俺は教員室の中へと足を踏み入れた。


 反応する。

 ウリウムが。


 そして。

 もう1つのMCが。


 その反応を目にして、師匠やエマ、神楽が急いで教員室の中へと身体を滑り込ませる。後ろ手に葵と名乗る護衛が扉を閉めた。教員室内の灯りはつけていない。つける必要も無い。眩い光を放った2つのMCに呼応するようにして、書類棚の1つ、その一部分から光が漏れ出した。


 映像が映し出される。

 青白い光を放つホログラムが。


 記憶の通りに。


 映し出されたのは、見覚えのある1人の男。


 白いワイシャツにジーパン姿。

 外見上は20代、黒髪を肩まで伸ばした男。


 アマチカミアキ。

 涼やかな雰囲気を纏っていたはずの男は、柔和な笑みを浮かべて言う。


『よくぞここを訪れてくれた。選ばれし者、世界を破滅から救う英雄たる資格を持つ者よ』


 この第一声を聞いて、俺は震えながらも小さく息を吐いた。

 俺の記憶にあるとは、導入からしてもう違う。


 両手を広げて、どこかわざとらしい演技をするかのように。


『歓迎しよう、俺の名前はアマチカミアキ』


 アマチカミアキは言う。


『かの組織「ユグドラシル」の理念に共感し、身を寄せていた者だ』


 ……。

 寄せていた者。


 過去形か。

 わざわざこういった表現をするということは……。


 アマチカミアキの笑みが、柔和なものから皮肉を多分に含んだものへと変わる。


『この映像を君が見ているということは、俺は死んだんだね』


 そうでなければ君がこの映像は見れないだろうから、とアマチカミアキは続けた。


『俺の死に様は、果たしてどのようなものだったのだろうか。地獄に堕ちることは知っているが……。どうせ殺されるのなら、リナリーに殺されたい……、と考えてしまうのは我が儘というものかな?』


 どこかで小さく息を呑む音が聞こえた気がした。


『もし仮に、今この映像を見ている君が事の顛末を知っていて、リナリー・エヴァンスと縁のある人物だとすれば、彼女に会った時にこう伝えて欲しい。「ありがとう」と。彼女が俺を討ったのなら、俺にとってこれほど嬉しいことは無い。きっと討たれた瞬間は笑っていたことだろう。それが答えだよ』


 もっとも、この映像を見ているのがリナリー本人なら、この告白はちょっと恥ずかしいかな。

 アマチカミアキは、この男に似合わぬ照れた様子で頬を掻きながらそう呟いた。


 この時。

 師匠は、どんな表情をしていたのだろうか。


 俺は視線を向けることができなかった。


 さて、と。

 仕切り直すようにアマチカミアキは言う。


『これは遺言だ』


 柔和な笑みを消して、真面目な表情で。


『この映像が流れているということは、君は3つの条件を満たしたということ』


 指を3本立てたアマチカミアキは、1つずつ折りながら言う。


『俺に認められて、1つめの妖精樹のMCを譲り受けていること。先生に認められて、2つめの妖精樹のMCを譲り受けていること。そして……、「脚本家(ブックメイカー)」に認められて全てを知った上でここを訪れていること』


 初見でこの映像を見ることができる可能性。

 それが限りなく低いことは承知の上ってことかよ。


 本当に良い性格をしているな。


『限りなく低いと考えてはいるが……。もし今の条件を満たしていないにも拘わらず、この映像に辿り着いてしまったのなら、この場でこの録画機器を破壊して欲しい。正直に言ってこの先の内容が君に役立つことは無いからね。1分待とう』


 沈黙。

 アマチカミアキは腕時計で正確に1分を計った後、再び口を開く。


『では、語るとしよう。なぜ故に俺がこのような手法で遺言を残すと決めたのか』


 アマチカミアキの視線が時計から俺たちへと戻る。


『その目的はただ1つ。『ユグドラシル』の長、天地神明(テンチシンメイ)の討伐依頼だ』


「――は?」


 思わず漏れ出てしまった声。


 しかし、その突然の依頼に対して呆気にとられたのは俺だけでは無かった。

 無言ではあるものの、隣に立つエマからも動揺を感じ取る。


 いや。

 それはエマだけではない。

 俺もそうだし、この映像を見ている人間ならきっとそう。


 こいつは、いったい何を――。


『最初に言っただろう? 俺は「かの組織の理念に共感し、身を寄せていた者だ」と。わざと過去形にしたのは、君がこの映像を見ている時点で亡き者になっているから、という理由だけではない。先の討伐依頼の通り、この映像を撮っている時点で俺はその理念に反している』


 ……。


『今、彼はどうしている? 俺が死んだことで活動を活発化させたのかな?』


 なんだ、この言い方は。


『いや、それとも一度身を隠して様子見かな? アマチカミアキという隠れ蓑が死んだことで、彼はもういなくなったと世界は誤認しているはずだからね』


 こいつは何を言っているんだ?


『いやいや、それこそあり得ないか。世界を欺けている今だからこそ、派手に動くことができる。警戒が薄くなっている。アメリカ合衆国も、魔法世界エルトクリアも。そして……』


 何でこいつは、あたかも別人のような口調で――。


『魔法使いの始祖たる「脚本家(ブックメイカー)」も……、ね』


 しん、と。

 部屋が静まり返る。


 誰もが口を開かない中、ホログラムのアマチカミアキは気にせず語り続ける。


『まず最初に種明かしをしておこう。なぜ、最大の敵であったはずの俺。つまりは「アマチカミアキ」を殺したにも拘らず「ユグドラシル」の長が健在なのかという謎を』


 アマチカミアキは、皮肉で顔を歪めた。






『俺たちはね、双子だったのさ』






 師匠が膝から崩れ落ちた。


「――師匠!」


 膝を突き、師匠の震える肩を掴む。「そんな」と弱々しく呟く師匠の焦点はあちらこちらに彷徨っており、もはや正常とは言い難い状態だ。「わぉ」と神楽が目を丸くしているが、見世物では無いと怒鳴り散らしてやりたい気分だった。


『もしかしたら、リナリーには気付かれているんじゃなかと疑った時期もあったんだけどね。学習院では、彼女とした細やかなやり取りまでは兄と共有できていなかったからさ』


 まあ、こんな話はいいか。

 そう軽い口調でアマチカミアキは言う。


 軽くねぇんだよ。

 こんな話、で済む問題でもねぇんだよ。


 ふざけんな。


『ともあれ、気を付けた方が良い』


 浮つきかけた空気を再び張り詰めさせるような警告を、アマチカミアキが口にする。


『全ての条件を満たしてここへ来ている君なら、もう理解が追い付いている頃合いだろう。この孤児院には、その全てを証明する思い出(きろく)が残っている。そう……、俺たちが双子だったというアルバム(きろく)がね。それを天地神明(テンチシンメイ)がいつまでも残しておくと思うかい?』


 静まり返ったのは一瞬。

 けたたましく鳴り響くコール音。


 神楽の護衛である葵が通話に応じ、すぐにその顔を神楽へと向けた。


「敵襲です」


 神楽が舌打ちをした。


 直後。

 破壊音と共に、孤児院が大きく揺れた。


「警備をしている連中はどうしたの」


「どうやら敵側に瞬間移動(テレポート)の類の魔法を持つ者がいるようです」


 それで包囲網を突破されたのか。

 ちくしょうが。


『俺が死んでどれほどの日数が経過したかは分からないが、「ユグドラシル」が動き出すのにそれほどの猶予は与えられないはずだ』


 こちらの状況など知る由も無いアマチカミアキは、淡々と続きを口にする。


『半年も開かない。直後ではなく、少し間を空けて。長を失った犯罪組織が自然消滅を始めるかという気の緩みを見計らって、兄は行動を起こすだろう』


 アマチカミアキの表情が皮肉で歪む。


『全ての証拠を抹消して……、最初に落とされるのは魔法世界の10ある都市。そのどれかな』


 大きな音が再び響く。

 孤児院が大きく揺れて軋んだ音を鳴らす。


『君にしてもらいたいのは、残念ながらその虐殺行為を止めることでは無い。それを合図として「ユグドラシル」の本拠地に攻め入ることだ』


 あくまで淡々と。


『どのような謳い文句でその行為を正当化させ、周囲に無理難題を突き付けるつもりなのかもある程度想像はできているけど、それはまったく意味の無いことだから割愛させてもらうよ。兄の目的は魔法世界エルトクリアを壊滅させることでも、王城エルトクリアを落とすことでもない。「脚本家(ブックメイカー)」のシステムそのものを破壊することだ』


「……破壊することですって?」


 神楽が端正な眉を吊り上げる。


 教員室の外が騒がしくなってきた。

 足音や何かを叫ぶ声。


 タイムリミットが近付いてきている。


『破壊そのものに関しては俺も同意するところだったが、そこまでに行き着く過程で俺と兄の道は違えることになった。何を犠牲にしてでもという兄の考えに、俺は共感できない。もっともそのことをまだ兄は知らないのだろうけど』


「お嬢様、そろそろ」


「黙りなさい」


 護衛である葵からの声を神楽が一蹴する。

 ここからが大事だと分かっているからだ。


『魔法世界エルトクリアにある都市の1つを陥落させるのは手段であり目的ではない。それを陽動として裏で動きやすくするためだ。しかし、一瞬で都市を陥落させる威力、そしてその所業を自分たち「ユグドラシル」のものだと証明するためには、生半可な魔法では不可能。つまり使われる魔法は――』


「……属性奥義」


 エマの呟きとアマチカミアキの回答が綺麗に重なった。


『属性奥義が扱えるのは俺の知る限りでは「ユグドラシル」の中で4人。兄の側近である天上天下(テンジョウテンゲ)唯我独尊(ユイガドクソン)傍若無人(ボウジャクブジン)、そして幹部に名を連ねる蟒蛇(ウワバミ)(スズメ)だ。蟒蛇雀は兄からの信頼を得られていないから除外、そうなると兄は側近から選択するしかない』


 戦闘音が聞こえてくるようになった。


 魔法球を乱発する音。

 何かを切断するような音。

 窓が割れる音。


『加えて兄は石橋をしっかりと叩いて渡る性格だ。陽動には念を入れる。おそらくは宣戦布告もするだろう。内容は、そうだな……。「自分たちに恭順を示せ。対価はリナリーの首」かな。女王エルトクリアの可能性もあるかもしれないけれど』


 憎たらしいほどに全てが当たっている。

 こいつは、いつからこうなることを予想していたんだ。


『兄は自らが姿を現すことはしない。臆病なほどに慎重だからね。おそらくは動画サイトなどを利用するだろう。しかし、それだけでは悪戯だと判断される可能性がある。そのために都市を陥落させるのだろうけれど、それが「ユグドラシル」だと確実に証明できる手段にはなり得ない』


 だから、とアマチカミアキは続ける。


『王城エルトクリアを狙う。都市の1つが陥落して対応に追われる貴族の前に「ユグドラシル」の構成員が姿を見せる。それで全てが「ユグドラシル」の仕業だと確信させる。その役目も側近のいずれかに任せるしかない。なぜなら王城には「トランプ」がいる。中途半端な戦力では潰されて終わりだからだ』


 ホログラムのアマチカミアキと俺。

 時間という壁を越えて視線が合う。


『分かるかい? ここが唯一無二の好機。兄の傍に側近がいないと断言できるのは、ここを置いて他に無い』


 無意識のうちに拳を握りしめていた。


『最高の状況は、側近の3人が全て作戦で出払っており、兄の傍に侍っているのが蟒蛇雀のみの場合。最悪でもそれに加えて側近が1人いる場合だ。属性奥義を使うには陥落させたい都市にいる必要があるから、王城へ強襲を掛ける役割とは別に駒を用意しなければならないからね』


「言っている内容が事実なら、確かにチャンスではあるわね」


 神楽は冷徹に判断してそう口にする。


 確かにチャンスであることは間違いない。

 ただ、都市を1つ犠牲にしてというところが引っ掛かっているだけだ。


『兄が根城にしていたのは古代都市モルティナだ。廃墟となっているD区画の地下に「ユグドラシル」のアジトがある。教会を目印にするといい。祭壇の下に入り口がある』


 ……そこに。

 全ての元凶がいる。


『重ねて忠告しておこう』


 アマチカミアキは言う。


『タイミングを見誤るな。属性奥義を使いこなせると言ったことから想像はできているだろうが、側近3人の戦闘能力は非常に高い。3人揃えばリナリーですら手を焼くだろう。アジトには様々なギミックが隠されている。最初の強襲で仕留め損ねれば、兄は確実に姿を晦ませる』


 おそらくこの忠告ではこう言いたいのだろう。

 都市を救うために下手な動きを見せれば、天地神明はすぐに気付くであろう、と。


『この作戦に兄が気付いていない今だからこそできることだ。よく考えて欲しい。そして――』


 音声はそこで途絶えた。

 壁が崩落して記録装置があった書類棚ごと吹き飛んだからだ。 


 エマとウリウムが展開した障壁によって、俺と師匠に被害が及ぶことは無かった。神楽の方を見れば、同じく護衛が障壁を展開しており怪我をした様子は無い。


 最後まで聞くことができたかは分からないが、有用な情報は手に入れることができた。今更アマチカミアキが双子だったかどうかの証拠を探す必要も無いだろう。『ユグドラシル』の長である天地神明はまだ生きている。その事実が分かっただけで十分だ。


 さて。

 迎撃するか、逃走するか。

 ……まあ、殲滅なんだろうな。


 淡々と指示を飛ばしている神楽を見て、俺はそう思った。

 次回の更新予定日は、3月20日(土)です。

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