第11話 秘密 ④
☆
『なるほど。君の記憶の更新に来たというわけか』
エルトクリア大図書館の最奥『創世の間』にて。
俺は再び『脚本家』と対峙していた。
ウリウムの提案に乗り、今回のルートでは孤児院に向かうことは断念。速攻で魔法世界エルトクリアへ舵を切ったおかげで、神楽家の猛攻を受けることもなく、おまけに『ユグドラシル』側と接触することもなく、無事にここまで辿り着くことができた。
今回は師匠とエマも一緒だ。
『リナリー・エヴァンス、そしてマリーゴールド・ジーザ・ガルガンテッラ。互いに引き継いだ記憶を補完し合いながらよくぞここまで戻って来た。今回のルートでは引き継いだのはリナリー・エヴァンスの方だったな』
師匠が頷いたのをこちらに向けたレンズから確認したのか、『脚本家』は話を続ける。
『それで、次はどうする。複数人が同時にここへ到達したのはこのルートが初めてだ。3人同時に記憶を引き継がせても良いが、当然ながら代償となる魔力は大きい。神楽家を止める手立てでも見つけたか』
「今回は神楽と敵対後ではなく、敵対前から始めて欲しい」
『ほう』
師匠の言葉に『脚本家』は続きを促すようにそう答えた。
「最初の数回で、私とエマは神楽家との共闘は不可能と割り切った。神楽宝樹は自己紹介の場で聖夜と敵対し、そのまま戦闘に移行するから。教室から脱出できないルートも、教室内にいた他の生徒が巻き込まれて死亡するルートもあった。だから、何度も繰り返し遡り、誰も犠牲にならない状態で教会のある森へ聖夜とエマが逃げ込めたところを新たな遡りポイントとした」
「けれど、それがそもそも間違いだったということね」
師匠の言葉を引き継ぐようにして、エマが見解を述べた。
しかし、『脚本家』は答えない。
あくまで聞き役に徹することにしたようだ。
師匠に代わりエマが口を開く。
「私たちが試すべきは神楽家の猛追をいかに回避するかではなかった。敵対しないルートに入った後でアマチカミアキの遺言を聞き出す方法を探るべきだったということ。教室内での戦闘で被害を出さない結果になったのが何度もやってあの1回だけだったおかげで、あのルートが1番だと思い込んでしまった私たちのミスね」
「師匠やエマにそのことを伝えることはできなかったのですか?」
何となく師匠やエマの言っている内容は理解できたので、口を挟んでみた。与える情報によって遡りに必要となる魔力が増大することは知っているが、神楽と敵対しないようにという忠告くらいなら出せると思ったのだ。
『情報を与えることが、必ずしも良い結果をもたらすとは限らない』
ほぼノータイムでそんな回答が返ってくる。
あらかじめ用意していたかのような速さだった。
まるで実感がこもっているかのような。
もしかすると、忠告を出したことがあるのか? そのルートで仮に失敗したとしても、記憶を引き継がせない状態で遡らせれば、そのルートは丸々無かったことにできるはずだ。
師匠やエマが、神楽家と敵対しないルートがあることを知ったのは今回が初めて。つまり、これまで俺の口からは伝えられていなかったことを意味する。なぜなら一度でもその情報を手にしていれば、師匠かエマ、どちらかの記憶に残った状態で引き継がれているはずだからだ。
『脚本家』の口ぶりから察するに、師匠とエマは遡りで記憶を保持していた方がしなかった側に毎度これまでの遡りの情報を伝えることで、互いに情報を更新し続けていたのだろう。もしかすると俺もその中に入っていたのかもしれないが、神楽家の狙いが俺であり毎回俺が死ぬことでそのルートを放棄していた以上、俺は初回以降一度も記憶を引き継いで遡ることができていないので、その情報が更新されていないのだ。
その点から見ても、一度俺の記憶を更新しておこうという考えは間違っていないのかもしれない。
『しかし、アマチカミアキの遺言の件はどうするつもりだ。奴から譲り受けたMCでは本来の遺言を聞くことができなかったのだろう』
「それについては、1つ試してみたいことがあるの」
師匠の視線が俺へと向いた。
いや、正確に言えば俺の腕だ。
「あいつから譲り受けたMCだけでは足りないのかもしれない」
「ああ……、なるほど」
師匠の呟くような一言を聞いて、エマはすぐにピンときたようだった。
「どういうことだ?」
顎に手を当てて思考の海へと沈み込む師匠から視線を外し、エマに聞く。
「アマチカミアキから渡されたMCと、聖夜様がお使いになっているMC。その両方が揃わないといけなかったのではないか、ということです」
「アマチカミアキのMCを孤児院に持っていった時は、俺はウリウムを置いていっていたのか?」
「万が一聖夜様がお使いになっているMCの方が反応してしまったら全てが水の泡になってしまいますから」
それはそうだな。
せっかく持ってきたのに意味が無くなってしまうということだ。
「この仮説が正しかった場合、遺言の内容とはアマチカミアキによってよほど信頼できる者にしか聞かせられない内容ということになりますね」
エマがそう言う。
確かに。
その仮説が本当なのだとしたらエマの言う通りだと思う。
ウリウムは師匠の元先生であるティチャード・ルーカスさんの工房にあったものだ。もともと売りに出されていた物では無いし、あの人は師匠の敵ではなく理解者だった。そして、もう1つのMCはアマチカミアキが所持していた。王へと献上したとルーカスさんは言っていたはずだが、どのような手段を用いたのかそれをアマチカミアキが奪い取っていたのだ。
2つのMCが必要。
つまり、師匠側の人間で、かつアマチカミアキが認めた存在でなければ遺言は聞けないということ。
片方だけだと、意図しない理由でそのMCを手にしてあの孤児院へと辿り着いてしまう恐れがある。しかし、イレギュラーが2回連続で起こる可能性は低い。アマチカミアキはそう考えたのかもしれない。
『勝算があるのなら構わない。3人全員に記憶を引き継がせるか?』
「そうね」
思考の海に沈んでいた師匠が顔を上げて否定した。
「まだ本来の遺言を引き出せる鍵がMC2つで確定したわけではないから、本当なら魔力はケチるべきなんでしょうけど……。それでも、ここは3人とも記憶を引き継いでおくべきだわ。だってこれまで遡りの起点にしていたところよりも前に遡ることになるわよね」
師匠の視線がエマへと向く。
エマが首肯した。
「そうね……。ここで引き継がなかった場合、教室内での被害を抑えようとループしていた頃の記憶までしか保有していないことになる。現状、聖夜様の記憶は初回ルートの1回のみ。万が一神楽家と再び敵対してしまった場合、何の予備知識もなく戦場に飛び込むことになってしまう。ここは引き継いでおくべきだと思う」
師匠にエマが賛同する。
2人も記憶を引き継いでくれていた方が心強いので、俺としても異論はない。
『いいだろう』
簡素な机の上に置かれていた3冊の本が浮かび上がる。
これまで一言も口を挟まずに待機していた今井修が、手にした3枚の栞をそれぞれの本へと挟んでいく。本の発する青白い光がより強くなった。
『では、よろしく頼む。吉報を期待しよう』
その言葉を最後に、視界は光で埋め尽くされた。
☆
「……ん」
視界が戻る。
耳に届く電子音。
起き上がる。
真っ白なシーツが目に入った。
「ここは……」
《おはよう、でいいのかしら。マスター》
まるで条件反射のように。
何も考えずに携帯電話のアラームを止めたところで、ウリウムの声が聞こえた。
「そうみたいだな」
そう答えてベッドから出る。
いきなり戦場の中へと放り込まれた前回ルートから一転して、非常に穏やかな朝からのスタートだった。
「つまり、今日は神楽の転入初日ということだよな?」
携帯電話のカレンダーを見ながらそう呟く。
表示された数字は間違いなく、転入初日のものだった。
《やることは分かってるよね?》
「ああ」
とりあえず、神楽に噛み付けばいいんだろう?
馬鹿じゃない?
「気が乗らねぇ……」
俺の呻くような呟きに、ウリウムの失笑が漏れた。
顔を洗い歯を磨き、制服に着替えていく。
ぽつりとウリウムが呟いた。
《マスター、ちょっと気になっていることがあるんだけど》
「んー?」
寝癖がついた髪を整えながらそう応える。
《私の記憶違いだったら悪いんだけどさ》
「何だよ、歯切れが悪いな」
ウリウムらしくない。
そう思いながら続きを促した。
《いつの間に『魔力暴走』を使いこなせるようになったの?》
「は?」
その問いに。
鏡の前で髪を整えていた手が止まる。
《マスター、第二段階の『暴走掌握』までは修得できていなかったわよね。魔力生成器官を刺激して暴走させることはできるようになっても、その暴走を掌握することはできていなかったはず》
暴走状態から通常状態へどうやって戻せるようになったの?
ウリウムの問いに、俺は即答できなかった。
記憶を辿る。
辿った上で悟る。
記憶と自分の修得レベルの辻褄が合わないということに。
遡る前。
神楽の護衛たちと敵対している時、俺は『魔力暴走』を使用した。
使用して、自分の意思で通常状態に戻すこともできていた。
それはつまり、『魔力暴走』を使用するつもりで魔力生成器官を暴走させていたが、実は『暴走掌握』に至っていたといことになるのか? 自分の意思で暴走状態を解除できているのだからそういうことになる。
なって……、しまう。
仮に第二段階である『暴走掌握』が火事場の馬鹿力のような要領で使えるようになっていたのなら、嬉しい誤算として考えることができる。しかし、そうとは思えない問題が1つ。俺はあの時、通常状態に戻せると考えた上で魔力生成器官を暴走させた。そう、俺は知っていたのだ。
暴走した状態から通常状態へと戻せることを。
それがなぜなのかが分からない。
しかも俺は『魔力暴走』のつもりで魔力生成器官を暴走させていたのも気に掛かる。
《……マスター?》
こちらを気遣うような声色でウリウムが呼ぶ。
そう言えば答えていなかった。
「分からない。修得した記憶が無い。今、ここで使ってみたとして、本当に掌握できるかも分からない」
素直に答える。
「どういうことだ。『脚本家』の遡りを使用すれば、記憶に無いルートで修得した技術も引き継がれていくのか?」
沈黙。
ウリウムは力なく口を開く。
《……そんなことは無いと思う。そうなってしまうと、メイジが遡りに指定した魔法使いは実質的に鍛錬時間ゼロで強くなることが可能になるわ》
そうだよな。
《不具合が生じているのかもしれない。メイジの魔法に……》
不穏なことを口にするウリウムに対して、俺は何も言い返すことができなかった。
☆
「おはよう」
寮の外へ出ると、既に俺以外の全員が揃っていた。
「悪い。待たせたか」
「いいえ、みんな今来たところだから大丈夫よ」
「それでは行きましょうか」
俺の言葉に舞と可憐がそう答えてくれる。2人と同じく記憶を引き継いでいない美月は、にへらと笑いながら俺に手を振ってくるだけだったが、一緒に待っていたエマは何かを言いたそうな表情でこちらに視線を向けてきていた。とりあえず、軽く手をあげることで応えておく。
柔らかな日差しを浴びながら歩き出す。
そういえば、咲夜がいないな。
今日、生徒会あったっけ?
記憶に無いんだが。
そんなことを考えていると、皆の視線が俺に集まっていることに気付いた。
「どうかしたのか?」
え、何。
今後の打ち合わせをしたいという意味でエマが見てくるのは分かる。
だが、他の奴らまで俺のことを見てくる意味が分からない。
変な行動はしていないはずだが。
何か違和感を抱かせるようなことをしてしまったのか?
「……今日は大丈夫みたいね」
「何が?」
その返しがお気に召さなかったのか、舞がジト目を向けてきた。
「自覚無しってどういうことよ。最近、疲労のせいでずっと心ここに在らずって感じだったじゃない」
「昨日なんて私とお話ししてる最中で寝ちゃってたのに。覚えてないの?」
舞に続くようにして美月からそう言われた。
そんなことをあったか?
そう思ったが、すぐに思い至った。
あれだ。師匠と教会の地下で『魔力暴走』の特訓をしていた時のことだ。確かに疲労困憊で、当時の学園での出来事はよく憶えていない。あー、そう言えば、そのせいで舞たちからの忠告を聞き逃し、神楽に喧嘩を売る結果になったのか。そしてそれが最終的に神楽との関係が一番良いものになったというのだから、人生は何がきっかけでどう転ぶのか分からないものである。
「聖夜」
舞から名前を呼ばれた。
「大丈夫ならいいんだけどさ……」
舞はこちらから視線を外し、前を向きながら言う。
「貴方が今、リナリーと何をしているのかは知らない。でも、それはそんなに無理をしてでも急がないといけないことなの?」
……。
「……そうだな」
皆からの視線を感じながらも、思った通りのことを呟く。
「それが今、俺のやらないといけないことだからな」
舞はこちらへ振り向かなかった。
ただ、「そう」と呟いただけで、この話は終わった。
☆
教室に着いて荷物を置いたら、とりあえず廊下に出た。
特に申し合わせていたわけではないが、エマもすぐに後をついてくる。他に誰も来ていないことを確認してから口を開いた。
「じゃあ、なるべく初回ルートに合わせて俺は行動するからな」
「はい、それでお願いします。序盤については、リナリーは静観するそうです」
エマは画面に表示された師匠からの文面を見せてくれる。
「了解」
まあ、そうなるか。
師匠が出張ってくるのはまだ先だ。
このタイミングで出てきたら不自然極まりない。
「お、聖夜じゃねーか」
後ろから声を掛けられたので振り向く。
そこには、今登校してきたであろう大和さんがいた。
「おはようございます、大和さん」
「おう。今から『約束の泉』に行くんだけどよ。一緒にどうだ? サボって昼寝でもしようぜ」
何でだよ。
「授業はいいんですか? ……あぁ、自由登校の期間でしたっけ」
だったら何で出てきたんだよ、って話だが。
「ちょっと資料の提出にな。で、それが終わったから帰るところだったんだわ」
「じゃあ、俺を誘うのやめてくださいよ……」
こっちは普通に授業があるんだよ。
更に言うならその授業前のホームルームが俺の生死に直結するくらい大事なんだ。
そんなこと口が裂けても言えないが。
「相変わらず真面目な奴だな。まあ、いいや。何かあったら遠慮せず頼れよ」
ぽん、と。
軽く俺の肩を叩いた大和さんは、あくびをしながらその場を後にした。
……。
もしかしたら、大和さんも気付いていたのかもしれない。
この時期、俺が肉体的にも精神的にも追い詰められていたこと。
遡り前、ここで大和さんと会話した記憶はない。
きっと、師匠との特訓の影響で机に突っ伏していることが多かったからだろう。
大和さんが登校していたことも知らなかったくらいだ。
もし、特訓が終わり夜遅くに寮棟へと帰ってくる俺のことを見たことがあるのだとしたら。
もし、開いた教室の扉から毎日のように机へと突っ伏している俺の様子を見ていたとしたら。
なんだかんだで、面倒見の良い先輩だ。
気にかけてくれていてもおかしくはない。
「聖夜様」
心配させてしまっていたか、と。
心の中で反省していたら、エマから声を掛けられた。
素敵な笑顔でエマは言う。
「ああ言ってますし、せっかくですからあの男も巻き込んでしまいますか?」
「それはちょっと考えさせて……」
戦力として申し分無いことは十分知っている。
しかし、文字通り生き死にをかけた実戦経験は流石に無いはずだ。
あの卓越した魔法技能で勘違いしがちだが、あの人は普通の学生だからな。
何より『脚本家』の存在を知らないあの人へ、現状をどう説明しろと言うのか。「実は俺たち、魔法の力で未来から遡ってきました。このままでは世界の危機なので協力してください」とでも言えばいいのか。1秒で「病院行け」と返されるわ。どこのファンタジーな物語だよ。
「さて」
軽く頬を叩き気合いを入れる。
教室の中の時計を見れば、もう間もなくチャイムが鳴る頃合いだった。
「頑張るとしよう」
「はい。できる限りのフォローはさせて頂きます」
エマと2人、揃って教室へと戻ることにした。
次回は2月28日に更新予定です。