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第9話 秘密 ②




「――いってぇ!」


 背中に走る鈍痛。

 覚醒と同時に反応した痛覚に思わず顔をしかめる。


 ここはどこだ、と。

 場所を確認する前に、至近距離のエマと視線が合った。


 エマだ。

 エマが生きている。


 良かった。

 思わず感極まりそうになったが、異変に気付いた。


「聖夜様、説明は後です。早くこちらに!」


 手を引かれて立ち上がる。

 そのままエマの誘導に従い走り出した。


 状況を聞こうとしたが、鬼気迫る表情のエマの顔を思い出して踏み止まる。目が合ったときのエマは汗だくだった。何がどうなっている? 今も肩で息をしながら俺の前を走っている。遅れて俺も多少息が上がっていることに気が付いた。


 どうやら既にそれなりの運動をしているらしい。


 草木に囚われないよう足元に注意しながら走る。周囲に目を走らせれば木々が生い茂っていた。どこかの山の中か。次いで前を走るエマが黒髪のお下げで学生服姿であることに気付く。見れば俺自身も青藍魔法学園の学ランを身に着けている。


 ここは青藍魔法学園の敷地内なのか?


 しかし、そうなると分からないことがある。

 俺の記憶上、このような展開は無かった。


 まるで、何かから必死に逃げているような……。


 ……。


 待てよ。

 待ってくれ。


 おかしいぞ。


 森の中、と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、アマチカミアキが育ったという孤児院のある場所だ。確かにあの時は山中で『ユグドラシル』と戦闘になった。ただ、あの時のメンバーにエマはいなかったはずだ。シルベスターとケネシー、ルリ、栞、そして遅れて師匠。これだけのはずだ。


 そうなると、やはりここは青藍魔法学園なのか。

 判断が付かない。


 どちらにせよ、記憶に無い事態が起こっている。


 未来が変わったのか?

 なぜ。おかしいだろう。


 この遡りが1回目だと『脚本家(ブックメイカー)』は言っていた。

 記憶を引き継いで遡ったのだから間違いはない。


 しっかりと遡り前の記憶があるのだから、それは間違いないはずなのだ。




 記憶があるのだから……?




 嫌な予感がした。


「エ――」


 エマ、と。

 嫌な予感を振り払うために声を掛けようとしたが、殺気を感じて行動を改めた。


 エマの頭を押さえ付け、2人で倒れ込むように姿勢を落とす。その直後、頭上を何かが奔り抜けた。はらり、と切断された髪の数本が舞う。咄嗟に身体強化魔法を全身強化魔法へと切り換えながら、襲撃者へと視線を向けた。


 そこにいたのは。


 黒服。

 後ろで縛った黒髪にサングラス。

 そして、耳にはイヤーモニター


 ――神楽(かぐら)の護衛か。


 その両手には尋常では無いほどに凝縮された魔力が込められている。生身の人間が喰らえば、抵抗なく輪切りにされるだろうことが分かる。原理は全く異なるが、現象だけ見れば俺が『神の書き換え作業術(リライト)』で対象物を切断するのと同じ結果が得られるだろう。


 つまり、相手は俺たちを殺すつもりということだ。


「……何の真似だ?」


 俺の前に出ようとするエマを押し留めつつ問う。


 しかし、相手の回答は戦闘継続だった。

 やむを得ず応戦することにする。


 繰り出される手刀を回避しまくる。突き込みも薙ぎ払いも、どれもがまともに喰らえば致命傷になりかねない威力を誇っていた。周囲の木々が余波で面白いくらい簡単になぎ倒されていく。


「聖夜様! いけません! 射線を確保されては――」


 黒服の猛攻を捌いていたところで、エマがそう叫んだ。


 全てを聞き終える前に、全てを理解した。

 条件反射に近い速度で『神の書き換え作業術(リライト)』を発現する。


 黒服の背後を取るためではない。

 狙撃を回避するためだ。


 俺が今の今まで立っていた場所に銃弾が撃ち込まれた。

 あと一瞬でも発現が遅ければ撃ち抜かれていただろう。


 背筋に悪寒が奔るほどの恐怖だ。

 初見殺しもいいところである。


 遡り前に見た超長距離射撃の光景と、エマの忠告が無ければそのまま撃ち抜かれていた可能性が高い。ただでさえ練度の高い使い手と近接戦闘をしているのだ。まさか敵の攻撃が俺を殺すためだけではなく、味方の射線を確保するためのものであるとは瞬時に理解できまい。


 背後から殺気を感じ、咄嗟に身を屈める。


 先ほどまで俺の頭部があった場所へ回し蹴りが放たれていた。こちらも足蹴りを見舞う。足を振り抜いた直後だった襲撃者は、それをまともに受けて後方へと吹っ飛ばされた。その間に追いついてきた1人目の護衛の手刀を躱す。こいつの手のひらへと凝縮された魔力は本当にまずい。後退を余儀なくされながらも、相手の手刀に触れないよう捌き続ける。


 そこで、エマが戦闘に参加した。


「エマ、殺すんじゃないぞ!」


 目を疑うほどの魔力で飛び込んできたエマにそう叫ぶ。エマが端正な顔を歪ませながらも、全身強化魔法に割いていた魔力を僅かに緩めた。その光景を見て、俺へと猛攻を仕掛けながらもエマの動きへ牽制を掛けていた黒服が口を開く。


「……情けを掛けるおつもりで?」


「こっちには争う理由が無いだけだよ!」


 初めて口を開いたかと思えばそんなことか。


 正直、甘いというのは分かっている。目の前に立ちはだかるのなら無力化してしまえばいいだけだ。実際、時間を無駄にできるほど余裕があるわけではないのだから。しかし、遡り前の記憶が邪魔をする。あの時も険悪な状態にはなったものの、結局は敵対せずに済んだのだ。神楽の保有する戦力が、俺の想像を遥かに超えるものだったということは、遡り前のルートで理解している。


 可能なら手を貸して欲しい。

 綺麗事や甘さだけではない。


 そういう打算もある。


 しかし、目の前の黒服がそういった思いを察せるはずもない。サングラスの奥、こちらを射抜かんばかりの目を僅かに細めたかと思えば、小声でこう口にした。


「私たちだけでは、やはり手が足りませんでした。桜花(おうか)牡丹(ぼたん)も投入を」


「おい!」


 小型のマイクに告げたその名前が誰を指すのかは分からない。しかし、この黒服が発した言葉の意味は嫌でも理解できる。


「こっちは争う気がねぇって言ってるだろう!」


「残念ですが、こちらにはあります」


 バックステップで俺とエマから距離を取った黒服が言う。


「お嬢様が殺せとお命じになった。我々が戦う理由はそれ以外に必要ありません」


 手刀をひと薙ぎ。


 身構えたが、こちらへ斬撃が飛んでくるわけではない。

 黒服の手が届く範囲の木々がなぎ倒されただけだ。


 ……その行動に何の意味が。

 ――っ!?


神の書き換え作業術(リライト)』、発現。


 後方。

 木々の死角となる場所まで転移する。


 直前まで俺が立っていた場所を凶弾が貫いていた。


 駄目だ。

 聞く耳を持たない。


 完全に俺を殺すつもりだ。


 いや、そもそもの考えが間違っているのか。


 こいつらは自分の意思で俺を殺そうとしているんじゃない。神楽の命令で殺そうとしているのだ。それなら説得するべきはこいつらではない。こいつらに命令を出している神楽だ。そして、その肝心の神楽は一向に顔を出す気配が無い。


 ……それなら、もうここで戦闘に付き合う義理も無いか。


 俺の位置を遅れて捕捉した黒服が、再び俺との距離を詰めようとしてきたので『神の書き換え作業術(リライト)』を発現する。1回目でエマのもとに、エマを抱えて2回目で黒服の攻撃範囲外へ、3回目でさらに遠く射線が切れる木々の影へ。


 2回目の転移で完全に俺を見失ったのか、黒服は見当違いの方へ顔を向けている。このまま撒くことも可能だろうが、相手は1人ではない。先ほど背後から強襲してきた奴は、吹き飛ばしてからそれなりの時間が経過しているにも拘わらず戻ってこないし、何より応援を呼ばれてしまっている。おそらくはその応援待ちということだろう。


 時間が経つほど状況は悪くなるだけ。

 今は俺たちが優勢だが、あれだけの使い手が増えるとどうなるかは分からない。


 何より、狙撃手が後方に控えているのが痛い。


 捕虜として1人連れていくことも考えたが、それが神楽自身をどう刺激するかは分からない以上、やめておくのが得策だろう。この黒服たちの忠誠心を見る限り、神楽が命ずる前に舌を噛んで自害しそうだ。


 状況を把握した上で撤退すると判断したのか、エマは俺の魔法に身を委ねてくれている。エマを抱えたまま、俺は『神の書き換え作業術(リライト)』を連用してその場を去ることにした。







「来んなよ! ここに! あいたっ!?」


 全力で進入を拒否しようとしていたシスター・メリッサが、後ろから師匠に思いっ切りどつかれていた。「早く入りなさい」と言う師匠に礼を言い、教会内部へと素早く身体を潜り込ませる。


「発見されたらまずいんじゃないですか?」


「問題無いわ。非常用に別の出口も作ってあるから」


 なるほど。


 師匠の先導に従い、地下の訓練場へと足を進める。

 ここで俺はおおよそ理解してしまった。


 エマも師匠もおそらく……。


 長い長い螺旋状の階段を下っていく。アリスは現状をまるで理解していないのか、首を傾げたまま大人しくついてきていた。その手を引くシスター・メリッサは片手だけで器用に頭を抱えている。神楽家と敵対状態になっているのだから当然か。


 いや、巻き込んでしまって本当に申し訳ない。

 罪悪感はちゃんとあります。


 しかし、シスター・メリッサの反応でどこへ遡ったのかも理解した。俺が神楽の名前を出した時、最初シスター・メリッサは「何の話をしているんだ」という顔をしていた。つまり、シスター・メリッサは、神楽宝樹がこの学園の生徒になったと知らなかったということ。


『だって貴方、前以って知っていたら絶対に姿を晦ませると思ったんだもの。だから美麗に口止めしておいたのよ』


 あの時の、師匠の言葉を思い出す。




 ――――今日は、神楽が転入してきた初日だ。




 それで既にこの状況なのかよ。

 俺、いったい何をしたんだ。


 転入初日は俺が葵とかいう黒服に突然襲われた後、神楽はヘリで帰宅という頭のおかしい去り方をして終わりでは無かったのか。どこをどう間違えたらこんな事態になるんだよ。


 訓練場へと辿り着く。

 師匠がこちらへと振り向いた。


「すぐに脱出しても神楽家の人間と鉢合わせる可能性がある。ある程度の戦力が上の教会に集まるまでは待ちましょう」


 アリスを除く皆が頷いた。

 一応、シスター・メリッサも思考の切り替えに成功したらしい。


 師匠の視線が俺へと向く。


「上に行ったら、もう話すタイミングを逸するかもしれない。だから今のうちに状況を整理するわ」


 再度頷く。

 そして、視線はエマへ。


「エマ、今日は神楽宝樹が転入してきた初日で会っているか?」


「はい」


 相変わらずアリスは「何の話だろう」という顔をしているが、隣に立つシスター・メリッサの表情が露骨に強張った。「え……、そういうやつ?」と小さく呟いているが無視しておく。今のやり取りで理解している辺り、『脚本家(ブックメイカー)』の存在もその扱う神法についてもある程度は知っているということだ。


 師匠も話を止めないことから、巻き込んでも問題は無いと判断していいだろう。


 アリスは……。

 まあ、日本語まだ話せないし……。


「今から8日後、魔法世界エルトクリアにある10の都市の1つ、歓迎都市フェルリアが『ユグドラシル』によって壊滅させられる。俺はその未来から来た」


 エマと師匠の表情に変化は無い。

 まるで事実の擦り合わせをしているだけのような感覚。


 くそ。

 やっぱり嫌な予感は的中かよ。


「俺はその時『脚本家(ブックメイカー)』から、この遡りは1回目だという説明を受けた。記憶を引き継いだ状態で遡りの神法を発現されたから、前回ルートの記憶を持っている。しかし、現状がそのルートから大きく乖離しているせいで、この状況が記憶にない。エマと師匠も遡りの神法を……?」


「その通りよ」


 師匠が即答する。

 エマも「はい」と答えた。


 やはりそうだったのか。


 これは1回目の遡りでは無い。

 もう何度も、何度も行われているのだ。


 俺に記憶が引き継がれていないというだけで。


 おそらく、俺が記憶を引き継げたのは俺が知っている最初の1回のみ。俺が記憶を引き継いだルートをベースに師匠かエマが次の遡りを、そしてその次は1つ前のルートをベースに2人のどちらかが遡りを、と繰り返しているからこそ今の俺の状態なのだ。


 最初の1回目以降、俺はエルトクリア大図書館へ辿り着けていない。

 死んだのかどうかは分からないが。


 記憶を引き継いでいないだけという線もゼロではないが、師匠やエマが記憶を引き継いでいる言動をしていることから、その線は限りなくゼロに近いだろう。


「おそらく既に察しているとは思うけど、言っておくわ。貴方の知っている最初の1回目以降、貴方は一度たりとも『創世の間』へ辿り着けていない。いえ、それどころか日本から出国すらできていないの。全て神楽家によって殺されているわ」


 ……ここで神楽が猛威を振るうわけか。

 ふざけんなよ。


「ここまで辿り着ける確率も半分を切っていた。良く来たわね」


 ……。

 あの森の中で殺されまくっていたということか。


「私が最初から参戦すると、神楽家が全戦力を投入する消耗戦になってしまうの。後々を考えると周囲への被害が酷すぎてね。ここまでは何としても私抜きで辿り着いて欲しかった。2人共無傷で来てくれるなんて上出来よ」


 色々と突っ込みたいところが多すぎるんだが?


 俺が殺された後で、師匠とエマが魔法世界に行って遡り、というパターンがひたすらに繰り返されているということになるんだよな。ただ、師匠とエマも記憶を引き継いでいるというのなら、事前に情報を知っているはずだ。それでも神楽家の包囲網を突破できないのか?


 俺の疑問に気付いたのか、師匠がその答えをくれた。


「ただ出国するだけでいいのなら、そう難しいことではないわ。勿論相手が神楽である以上、相応のリスクはあるけどね。でもね、貴方は魔法世界へ向かう前にしなければいけないことがあるはずよ」


 しなければいけないこと?

 あの『ユグドラシル』が引き起こした凶行を止める前に……。


「……遺言だ。アマチカミアキの」


 まさか。

 まだ内容を確認できていないのか!?


「もともと私が孤児院の調査を花園と姫百合に依頼していたからね。神楽家のスパイが潜り込んでいたのか、それとも別の手段を用いたのかは知らないけれど……。当然のように神楽はこのことを知っていたわ。だから、いつも最後の決戦の場所は孤児院になっているの」


 ギリ、と。

 歯を喰いしばる音が聞こえた。


 隣を見れば憤怒の形相を浮かべるエマがいたので、そっと視線を逸らしておく。


「神楽家はあの孤児院に近付く者を全て敵認定して襲い掛かる。他の者には頼めないことでしょう? だから私たちが行くしかない」


 そこで俺は殺されるわけか。まあ、神楽家の現状の敵対行動が俺のせいだとするならば、相手の殺害対象は俺だ。俺が優先的に狙われていてもおかしくはないな。


「後々のことを考えて私は最初から参戦しないと言ったわね。その後々がここよ。私が最初から参戦した場合、神楽家はあの孤児院に『五光』と『七属星』を招集する。全員が来るわけでは無いけれど、神楽の戦力にそれが足されるわけだから十分な脅威よ。『黄金色の旋律』が日本に牙を剥いたとでも唆したんでしょうね」


 ……ふざけるなよ。

 この国の最高戦力たちじゃねーか。


 最悪だ。

 まさかこんな形で神楽家が障害になるとは。


 孤児院の中にある、アマチカミアキの遺言が隠されたあの教員室に向かうこと自体は何とかなるだろう。俺の無系統魔法を回避と移動手段として割り切って用いれば、そう難しいことではないに違いない。但し、今回の目的はその場所へ辿り着くことではない。そこでアマチカミアキの遺言を聞くことが目的なのだ。


 行ってすぐ終わりにはならない。

 そこで遺言を聞き届けるだけの時間が必要となる。


 つまり、そこまでの過程で敵対者は排除しておかなければならないということだ。


「更に問題がもう1つ。目的である遺言のことよ」


 どうしたものかと頭を悩ませていると、師匠が更なる爆弾を投下した。




「貴方があいつから譲り受けたあのMCを持って行っても、本当の遺言は引き出せなかったわ」




「……は?」

 次回の更新予定日は、2月10日(水)です。

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