第7話 宣戦布告 ⑦
明けましておめでとうございます。
今年も『テレポーター』とわたくしSoLaをよろしくお願いします。
☆
音を立てて首が転がる。
結われていた紐がほどけ、長髪が乱雑に舞う。表情の消えた顔と目が合った。流れた髪の間から覗く虚ろな瞳は何も語らない。少し離れたところで頭部を失った胴体がゆっくりと崩れ落ちた。
息を吐く。
手のひらを広げ、視線を向けた。
一滴の血も付着していない。
しかし、確かに人を殺した手だ。たった今、俺は龍を殺した。その前には、エルトクリア大図書館の扉を固めていた『ユグドラシル』と思われる男たちも殺している。心が動揺していなくて安心した。まあ、人を殺したのはこれが初めてではない。何を今更とも思う。
『この男を探している。我が国における最大の汚点。早急に始末したいのだ』
そう告げられた日のことを思い出した。
あれは青藍魔法学園に編入してから2回目の選抜試験、その一週間ほど前のことだったか。シスター・メリッサから電話で呼び出されて向かった先の生徒会館で、その男は俺を待っていた。
『泰然と言う。また会おう』
純白の民族衣装に身を包み、丸ぶちのサングラスを掛けた黒の短髪の男。奴はそう名乗った。そして、その男から告げられたのだ。隣国、中国における最強の魔法使い。その男から直々に。
『龍、と名乗っているそうだ。表向きは』
転がった頭部に目を向ける。
『裏の呼び名がある。とある組織内でしか使われていないそうだが……、『祇園精舎』と言うそうだ』
あの時、もし仮に龍の正体を明かされていなかったら。俺は不意を突くようにしてやってきた龍にうまく応戦し、とどめを刺すことはできただろうか。いや、この仮定を考えるのは意味の無いことか。『ユグドラシル』に属していようがいまいが、今の俺の邪魔をするということは『ユグドラシル』側についているのと同義。
立ちはだかるのなら容赦はしない。
それだけだ。
俺は頭を振って思考を切り替えた。
どうせここで起こったことは遡りの神法が発現されたら無かったことになる。『ユグドラシル』の戦力を削れたという視点で見れば勿体の無いことではあるが、こちら側の戦力も同様に削られているのなら、仕方のないことだと割り切るしかない。記憶を保持したまま遡れるのなら、今回よりはマシな結果にできるだろう。
そう考えて踵を返す。
全て終わったことだと振り払うように。
『俺が悪者だ、とは考えないのか? 向こうはただ俺から逃げてるだけかもしれないぜ?』
出場予定だったアギルメスタ杯を目前に控えたあの時。
正体不明のナニカを追ってやってきたこいつは、俺にそう言った。
『俺は龍ってんだ。よろしくな』
なぜか成り行きで共闘することになった龍。
気さくな雰囲気を纏わせながら俺にそう自らの名を告げた。
『高けーんだこれが。大金叩いてようやく手に入れた一品だぜ。ま、俺が契約詠唱使ってるってことは内緒で頼むな。アギルメスタ杯出るから手の内晒したくねーんだ』
自らの手の内を晒すときも笑みを浮かべたままで。
『身体強化魔法は洗練されてるし、あれだけ走り回ったり暴れまわったりしたのにまだ余裕がありそうだ。俺の目に狂いは無かったってことだな』
俺の戦い方を見ていた時も、含みなんて微塵も感じさせていなかった。
「――っ、お前」
足が止まる。
言葉が思わず口を突いて出る。
「何やってんだよ、こんなところでっ」
物言わぬ死体となった龍へ。
初めて会った日のことを思い出す。交易都市クルリアまでの行き方を聞かれたときのことだ。今思えば、クルリアに行きたかった理由もそういうことだったということなのか? ふざけやがって。
「妹がいるんじゃなかったのか!」
もう、こいつが口にした内容がどこまで真実だったのかも分からない。こいつが何を正義として戦っていたのかも。なぜ、俺に向けて例えようのない憎悪の感情を向けてきていたのかも。
「……こんな簡単に死んでるんじゃねーよ」
殺した側が言う台詞じゃない。
そんなことは分かっている。
それでも。
「……お前は何がしたかったんだよ」
俺にとって、この男は明確な敵では無かった。
ただ、泰然から『ユグドラシル』の構成員だと伝えられていただけ。俺自身の記憶の中にいるこいつは、むしろ親しみやすい気さくな青年だった。初めて会ったときも、ナニカを相手に共闘したときも、アギルメスタ杯で拳を交えたときも。
最後の最後まで、龍は悪人では無かった。
後味が悪い。
最悪の気分だ。
もう一度、意識して頭を振る。
先ほどの少女はとうに扉の中へと進んでしまっている。俺の案内役になろうとしていた以上、見失うほどに先へ行っているとは思えないが、急いだ方が良いのは確かだ。
奥へと開かれた扉へ一歩を踏み出して。
『――――相変わらず甘い男だ、中条聖夜』
その足を止めた。
声が聞こえた。
聞いたことのある声が。
死んだ今井修と龍以外、俺しかいないはずのこの空間で。
どくん、と。
心臓が大きく高鳴った。
いつ聞いた。
どこで聞いた。
この声色の主は――。
心臓がうるさい。
遠くから断続的に鳴り響いている戦闘音すら掻き消してしまいそうなほどに。
後ろを振り返る。
大図書館の入り口となっている扉の方へ。
破壊された扉の先。そこには、俺が殺した『ユグドラシル』の男の死体が転がっている。頭部を失くした身体、その右手には1枚のクリアカードが握られていた。力なく投げ出されたその右手に添えられるようにして残されたクリアカードはなぜか起動されており、青白いホログラムが映し出されている。
息を呑んだ。
そのホログラムによって映し出されていたのは。
「……馬鹿な」
その言葉は、思わず口を突いて出た。
白のワイシャツにジーパン姿の男。
肩まで届きそうな黒髪。
外見上は20代後半から30代前半。
「――っ」
俺は、この男を知っている。
『ようやくこちらに気付いたか。まったく、想像以上に愚鈍だったおかげで危うく一手無駄になるところだったよ』
遠くで鳴り響く戦闘音。
その中で回線を通じて紡がれる落ち着いた声色。
「……アマチ、カミアキ」
その名を呼ぶ。
信じられない。
信じたくない。
なぜ、この男がいる。
なぜ、この男は生きている。
録画された映像か?
いや、違う。
俺の行動に応じてこの男は喋っていた。
つまり、過去に録画された映像なんかじゃない。
この男は――。
ごくり、と。
つばを飲み込む。
直接その死にざまを見ていたわけでは無い。あくまで師匠の報告を聞いただけだ。それでも「無力化した」と言っていた師匠の言葉に嘘は無いと思っていた。『ユグドラシル』のトップであるアマチカミアキは、あの日近未来都市アズサで行われた会談で死んだはずだ。
宣戦布告の映像だって、顔は映っていなかった。自らをアマチカミアキと名乗ったところで、それが真実である証拠にはならない。声や雰囲気は限りなく本人と同じだと師匠は言っていたが、それでもアマチカミアキ本人かどうかの判断はできないという結論に至った。いや、近未来都市アズサで直接相対したアマチカミアキは本物だったと師匠が判断していた以上、俺は心のどこかで映像に映る男は偽物だと考えていたのだろう。
だからこそ、こんなにも動揺している。
ホログラムに映る男が偽物であって欲しいと、無様にも願ってしまっているのだ。
あれほど、アマチカミアキが生きている可能性を考慮していたのにも拘わらず。
『久方振りだな、中条聖夜。歓楽都市フィーナで顔を合わせて以来か。随分と月日が経ったようにも感じるし、ついこの間の出来事のようにも感じるな』
クリアカードによる通話越しのため、その肉声が本人のものかは判断できない。しかし、憎らしいほどに記憶の中のアマチカミアキと同じ声色だった。ただ、以前の時とは少しだけ声に乗る感情が違う。クリアカード越しの会話だからだろうか。いや、その程度の違いではない。まるで別人のようにも感じてしまうが、この耳障りの良い声色は、歓楽都市フィーナで聞いたアマチカミアキの声そのもの。
この違いは、俺に対する感情の違いなのかもしれない。あの時は、アマチカミアキは俺を『ユグドラシル』へと勧誘するために声を掛けていた。しかし、今は違う。歓楽都市フィーナでの勧誘に、俺は拒絶を示してしまっている。つまりはもう互いが明確な敵同士として認識しているのだ。
こちらへ突き刺すような眼光を向けてくるアマチカミアキ。
品定めするかのようなその視線に負け、考えのまとまらないまま言葉を口にする。
「……なぜ、生きている。お前は師匠が、リナリー・エヴァンスが殺したはずだ」
やや間が合って。
ホログラムに映る男は小さく頭を振った。
『愚かな質問だ、中条聖夜。私が生きているということは、既にお前の頭で理解できているはずだ。こうして会話が成立している以上、私の姿は録画ではなく、私の声も録音などでは無い。にも拘らず「なぜ生きている」だと?』
アマチカミアキはわざとらしくため息を吐く。
『その手段を聞いてどうするつもりだ。そしてその手段を素直にこの私が答えるとでも? 哀れな世界解放の同志として迎え入れようと差し伸べた手を払ったお前に、……か? その能天気な思考回路はある種の才能か。少しだけお前が羨ましいよ』
アマチカミアキの凍てついた視線が俺を貫いた。
『君が私に問うべきは「なぜ生きている」ではなく「なぜこうして接触してきたのか」だ。周回遅れしている現状を理解したまえ、中条聖夜。 己の醜態をそれ以上晒すべきではない。その行為は君に全てを託したリナリー・エヴァンスと、そして無謀な賭けに出た「始まりの魔法使い」の信頼への裏切りだ』
「何の話を……」
何の話をしているんだ、こいつは。
無謀な賭け?
師匠と『脚本家』への裏切り?
『その表情……、いったいどれだけの綱渡りをしていたのかも理解出来ていないようだな。してやられた気分だ。「司書」を介さずして入り口を開ける特別な栞が、よもや貴様の身体に埋め込まれていようとはな……』
言葉通り、苦々しい表情でアマチカミアキが言う。
しかし、言っている意味が俺には理解できない。
こいつはいったい何を言っているんだ。
「いっ――」
『理解しろ、中条聖夜』
制するように、少しだけ語尾を強めたアマチカミアキは言う。
『なぜ理解できない。本来、私はここでお前に話しかける必要など無い。今すぐ回線を切り、外でリナリーたちと応戦している我が側近をこの場へ招集することもできるのだぞ』
「――っ」
『それを敢えてしないのは』
あまりの衝撃に思考が停止し、アマチカミアキから指摘された事実に思わず足が動きかけたところで、その行動すら予測していたのかアマチカミアキは続けて口を開いた。
『お前のような何も理解していない人間に、この世界の全てを託したリナリーと「脚本家」の両者に……、その無謀なる賭けに敬意とありったけの皮肉を込めての結論だ』
ホログラム姿のアマチカミアキが、その手のひらを俺の後方へと向ける。
『どうぞ、中条聖夜。全てを振り出しに戻すがいい』
……。
こいつ、いったい何を考えているんだ。
止められるのに止めないだと?
この自信はどこから――。
『但し、忠告はしておこう』
俺の思考を遮るようにして、アマチカミアキは言う。
『過去を改変するのなら、その手段には十分に注意することだ。未来を知っているということは、我々に対して強力なアドバンテージであることは確かだ。しかし、それは同時に諸刃の剣でもある。なぜなら、その時点では知らないはずの情報すら知っていることになるからだ』
アマチカミアキは、自らの頭に人差し指を向けた。
『お前の頭で全てが整理できるか?』
口調自体は淡々としたもので。
しかし、その言い分は間違えようのない露骨な挑発だった。
『知識の線引きには特段の注意を払え。違和感の無いように振る舞え。本当に信頼できる仲間以外には欠片たりとも動揺を気取られるな。少しでも綻びが生じれば、私たちは直ぐに違和感に気付くだろう。そうなれば……、後は分かるな?』
アマチカミアキはわざとらしく口角を吊り上げてみせた。
ここから先は聞くべきではない。そもそも、こいつの長話に付き合ってやる必要も無い。そう分かっているはずなのに、縫い付けられたように足が動かない。そんな俺の様子を嘲笑するようにして、アマチカミアキは続ける。
『お前やリナリーが妄信している「脚本家」は、決して神では無い。自らの異能を利用して神の真似事で世界の頂点に立とうとも、その能力は決して万能では無いのだ。大のためには平然と小を切り捨てる』
不自然な間を置いて。
『鷹津祥吾のような犠牲はこれ以上増やしたくはあるまい』
頭へと一気に血が昇った。
手刀を振り上げる。寸分の狂いなくアマチカミアキを映し出していたクリアカードに命中して真っ二つに斬り裂いた。青白く発光するホログラムがぼやけ、そして消えていく。
『「脚本家」に伝えておけ。サービスはこれが最後、次で仕留めるとな』
雑音混じりの声でアマチカミアキは言った。ホログラムに映し出されたアマチカミアキは、最後まで口角を吊り上げたままの表情をしていた。
《……マスター》
「あいつがっ!」
やはり、あいつが。
祥吾さんを殺したのか、と。
そう憎悪の篭った感情と共に吐き出そうとしたが、俺の口からその続きが紡がれることは無かった。分かっているからだ。祥吾さんが死んだのは、俺のせいだということが。
あの日の正解は未だに分かっていない。
どこで何を間違えたのか、まったく分かっていない。
それでも、俺が悪かったことだけは分かっている。
なぜなら、過去を改変していたのは俺だけだったから。
記憶を引き継いでいたのは、俺以外にもいた。しかし、未来を知った上で『脚本家』と直接会い、直々に忠告をもらい、過去へと遡ったのは俺だけだった。俺だけが正解のルートを進めるチャンスがあった。
なのに、取り逃した。
唯一のチャンスを。
それなのに、未だに何が悪かったのかすら分かっていない。
祥吾さんが死んだのは、アマチカミアキのせいではない。直接手を下したのが『ユグドラシル』の面々であったとしても、それで全てがやつらのせいだったと一方的に決めつけることはできない。なぜなら、祥吾さんが殺されないルートも確かにあったから。あの地獄のようなルートでは、あの段階ではまだ祥吾さんは死んでいなかった。
つまり、俺が過去を改変したことで殺されることになったということ。
確かに遡りの神法を持つ『脚本家』を恨んだ時もあった。なぜ、救ってくれないのかと。なぜ、あの人を見捨てるようなことをするのかと。
しかし、それも見当違いの怒りだ。
俺と親しい人以外が犠牲になっていても、俺は見向きもしなかっただろう。俺は、俺の都合で死んでほしくない人をピックアップしているだけ。ただの我が儘。やり直しの機会をもらえたのなら、俺が救うべきだった。
俺だけが救えたのだ。
俺だけが、救えたはずなのに。
「――っ」
俺の中で燻っていた火が再燃した。
あの男の言葉1つで、俺はこんなにも心がかき乱されてしまう。
「くそっ」
吐き捨てる。
乱暴な足取りで踵を返す。
今度こそ行くために。
少女の待つ大図書館の中へ。
大図書館の最奥へ。
次回の更新予定日は、1月20日(水)です。