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第6話 宣戦布告 ⑥

今年一年ありがとうございました。




 眩い光のせいで僅かの間に瞑っていた目を開ける。


 妙な気配を感じて後ろへと振り返った。俺以外、今井修の遺体しかなかったはずの空間。新たに誰かが入室してきたわけではないはず。それなのに、そこにはボロボロになったローブを身に纏った少女がいた。


 会ったことは無い。

 しかし、記憶の片隅で引っかかるものがある。


 記憶を掘り返してみると……。


「まさか、メイジか?」


 宗教都市アメンにあったメイジの神殿。

 そこに安置されていた石像で見たのだ。


 少女は頷き、俺の手を取る。


「よくぞここまで来た」


 少女は、その外見に似合わぬ厳かな声でそう言った。繋がれた手は酷く冷たい。そこから伝わる魔力は異質の一言に尽きる。おかしいな。少女は俺の「メイジか?」という問いを肯定した。メイジとは『始まりの魔法使い』の名前であり、今回俺たちが目標としていたエルトクリア大図書館の最奥『創世の間』の主である『脚本家(ブックメイカー)』と同一人物のはずだ。つまり、俺はその魔力を知っていないとおかしいということになる。


 魔力が変質しているのか?


 そもそもメイジと『脚本家(ブックメイカー)』は同一人物と称したが、現在の『脚本家(ブックメイカー)』はもはや人とは言えない状態のはずだ。なにせ、人としての生身の部分は脳しか残されておらず、延命措置をするためのものなのか、機械に接続されて生きているような状態なのだから。それも踏まえるのなら、普通の人間だった頃から魔力が変質していたとしても一応おかしくはないのか。それを言うなら、そもそもなぜ普通の人間の状態で俺の前へ現れることができたのか、という別の疑問も湧いてくるわけだが。


 それにしても。

 俺の手を引いた少女を見て思う。


 こいつの魔力、どこかおかしいと思ったら――。


「私に関する考察なら、後回しにしておけ。まずは『創世の間』へ移動する。ここから先の案内は私が――」


 新たな気配。

 咄嗟に少女を突き飛ばし、蹴破った扉から侵入してきた敵を迎え撃った。


 足蹴りを払い、代わりに手刀を突き込むも手で払われる。

 侵入者の顔には見覚えがあった。


「お前は……!」


「ははっ! 久しぶりだなぁ、中条聖夜!」


「――(リュウ)!」


 互いに互いの名前を呼ぶ。


 掌底、肘うちをバック転で躱す。振り上げた脚で顎を打ち抜いてやろうとしたが、狙いはしっかりと把握されていたようで上手く回避された。僅かに空いた間を利用し、ポケットへと手を突っ込む。シャープペンシルの芯のケースを握りしめ、無系統魔法を発現させた。


 しかし。


「何!?」


 驚愕。


 体内へと直接転移させたはずのシャープペンシルの芯は、龍によって回避された。直前まで龍がいたはずの場所へシャープペンシルの芯が跳び、そのまま床へと落下していく。


「すげぇな、それがてめぇの無系統魔法か! 極悪だなァ、アギルメスタ杯じゃあ散々苦しめられたぜ!」


 舌打ち。

 再度距離を詰めてきた龍に応戦する。


 身体強化魔法が使えない。

 全身強化魔法も。


 しかし、それは龍も同じだったようで、お互いが魔法無しでの戦闘となった。拳を弾き、膝蹴りをいなす。回し蹴りを放てばしゃがむことで回避された。そのまま足払いを仕掛けられたので、バックステップで距離を空ける。その一瞬の隙を突いて、龍が床を蹴った。残像すら見える速度で俺の横をすり抜けられる。


 その先にいるのは、カウンターにある操作パネルに向かっていた少女。


 ――『神の書き換え作業術(リライト)』、発現。


 ただ、無系統魔法は使える。魔力自体を纏うこともできる。龍の真横に転移し、回し蹴りを叩き込んだ。それを腕でガードした龍だったが、勢いは殺せずにそのまま吹き飛ぶ。追撃を掛けるべく床を蹴った。本棚へと叩きつけられた龍だったが、即座に体勢を整え俺の追撃を躱す。俺の飛び膝蹴りは、誰もいなくなった本棚へと直撃した。砕けた木片と収められていた本が舞う。


 視線を上げれば、腕の力で本棚の上へと跳ね上がっていた龍と目が合った。『神の書き換え作業術(リライト)』を発現してシャープペンシルの芯を跳ばすが、またもや避けられてしまう。


「――ったく、この空間でてめぇの無系統魔法だけ使えるってのはズルいと思わねぇか? 中条!」


 龍が叫ぶ。

 俺の無系統魔法の効力を完全に知っている言い回しだった。


 これはもう確定か?

 この男は『発現の兆候』を感知できるのか。


 しかし、どうにも違和感が拭えない。


 本当に『発現の兆候』が感知できるのなら、今の龍自身を対象とした『神の書き換え作業術(リライト)』も回避できていないとおかしいのだ。特に己を対象としたものであるならなおさらだ。自分の身体を対象とされているのだから、『発現の兆候』は過敏に捉えることができるだろう。


 にも拘わらず、今の『神の書き換え作業術(リライト)』は回避しなかった。俺の隙を突いて少女を狙おうとしていたんだ。カウンターを仕掛けられたわけでもない。わざと回避する意味は無いはずだ。


 本を足場にして歪んだ笑みを浮かべる龍。


 馬鹿野郎が。

 視線が合っているってことは――。


神の書き換え作業術(リライト)』、発現。


 対象は俺じゃない。

 シャープペンシルの芯でもない。


 てめぇ自身だ。


 俺の真正面に龍を転移させる。

 そのすぐ後に、そこへシャープペンシルの芯を転移させようとして――。


 視界がブレた。


「がっ!?」


 脳が揺れる。

 足元がふらつく。


 なぜ俺は天を見上げている……?


 直後。

 突如として膨れ上がった魔力を感知。


 咄嗟に視界に入っている場所へと『神の書き換え作業術(リライト)』を発現した。


「――『龍旋華(リュウセンカ)』」


 斬撃音。


 けたたましい音と共に、眼下で本棚が横一線に斬り裂かれていた。綺麗に収められていたはずの本たちが衝撃に負けて弾き飛ばされている。龍の薙ぎ払うようにして繰り出された回し蹴りによって引き起こされたであろうことはすぐに分かった。


 これは魔法では無い。

 龍自身がただ魔力を込めて放っただけだ。


 身体強化魔法を発現することはできないが、魔力を纏うことはできる。魔力の放出自体を抑えられているわけではないからだ。強化系魔法の発現と比べれば魔力効率は悪いし属性を付加させることもできないが、魔力を纏うことで攻撃力の底上げをすること自体は可能。今のように、魔力を放出することで周囲に破壊をもたらすことだってできる。


 くそ。

 今度のは明らかにカウンターを狙っていやがったな。


 痛む顎を抑えながら、涙で滲んだ視界を拭い『神の書き換え作業術(リライト)』を発現する。しかし、俺の無系統魔法に気付いていたのか、転移対象となった本の残骸たちは龍を捉えることなく宙を舞った。


「中条聖夜!」


 戦闘の最中に空いた僅かな間。

 そこに少女の声が割り込んだ。


 扉が開く。

 今井修にしか扱えないと思っていた、大図書館に繋がる扉が。


 俺より早く龍が動いた。

 少女を殺さんと手刀に魔力を纏わせ、龍が走る。


 ――『神の書き換え作業術(リライト)』、発現。


 遥か頭上から舌打ち。龍を頭上へと転移させ、代わりに俺が『神の書き換え作業術(リライト)』を用いて扉付近へ移動する。少女はとうに扉の中へと走り去っている。


 やはり、今のは明らかに回避できていなかった。


 わざとでもない。

 舌打ちしていたのが良い証拠だ。


 だとすると、違いは何だ。

 回避できる場合とできない場合。


 龍が俺の無系統魔法発現を感知できる要素。


 視線が合う。

 龍が足場にしていた本棚を蹴る。


 激突。

 互いの体術で打ち合うが決定打には至らない。


 龍は俺から視線を逸らさない。全身を駆使して近接戦闘を繰り広げているのに、俺の視線から目を逸らさないのは流石の一言だ。奴は俺からの攻撃をほとんど見ずに応戦しているということに――。


 そうか。

 そこまで考えて思い至った。




 ――――視線か。




 俺は『神の書き換え作業術(リライト)』を発現する際に、必ず転移先へ視線を向ける。座標演算をするには実際にその転移先を視界に収めていた方が楽だからだ。その方が誤差も少なくて済む。おそらくは、これを逆手に取られた。俺が一瞬でも戦闘から目を逸らすということは、その場所に『神の書き換え作業術(リライト)』を発現しようとしているのだと言っているようなもの。龍はそれをヒントに『神の書き換え作業術(リライト)』を回避していたのだ。


 だから、俺の視線から目を逸らさない。

 だから、俺の視線を追えない時だけ『神の書き換え作業術(リライト)』を回避できていないのだ。


 つまり。

 この男は『発現の兆候』を感知できているわけではない。


「もう十分だ」


「あぁ? 何言って――」


 ――『不可視の連鎖爆撃(チェーン・ボミング)』。


 龍の身体、至る所に付着していた俺の魔力の爆弾が一斉に爆ぜる。それなりの魔力を身に纏っていたようだが、所詮は身に纏っているだけ。全身強化魔法でも、身体強化魔法ですらない。おまけにほぼゼロ距離での爆撃。


 龍の身体、その至る所が可笑しな方向へと折れ曲がった。自分の技ながら威力がおかしい。やはり魔力濃度の濃い魔法世界だと、同じ技法でも段違いの効果を発揮するようだ。


 この男には色々と聞きたいことはある。

 しかし、優先順位が高いわけでは無い。


 これから俺は『創世の間』へと向かう。追いかけて来られるのはまずい。少女が示す『創世の間』までの道順を『ユグドラシル』側に見せてはいけない。本当に遡りができるのかもまだ判明していないのだから。


「なが、じょ」


 血を吐きながら龍が俺の名を呼ぶ。


 憎悪の篭った目だった。

 アギルメスタ杯で相対した時には向けられなかった感情。


 何がそこまでお前を駆り立てると言うのか。

 どうして『ユグドラシル』に入り、悪事に加担しているのか。


 俺は知らない。

 何も知らない。


 でも。


「どのような理由であれ、見ず知らずの人間を踏みつけてまで為そうとする目的が、正しいはずが無い」


 俺はそう口にしていた。

 龍の血だらけになった両目が見開かれる。


 知らない、関わっていない、とは言わせない。

 どれだけの人間が死んだと思っている。


 歓迎都市フェルリアの人たちは、自分たちの尊厳すら守ることも出来ず息絶えたのだ。その犠牲の上に成り立つものの、どこに正義があると言うのか。しかし、それをいくら説いたところで無意味であることは分かっている。それも踏まえたうえで『ユグドラシル』の奴らは動いたのだろうから。


 苦しませるつもりはない。


 俺はこの男に報いを与えたいわけではない。俺はそんな大層な立場にいる人間ではない。ただ、お前たちのやろうとしていることで、俺の大切な人たちが傷つけられてしまうから、代わりに殺す。やられる前にやる。ただ、それだけだ。


「だから俺は、人を人とも思えないお前たち『ユグドラシル』を許さない。絶対に潰してやる」


 龍の血だらけとなった顔が忌々しそうに歪んだ。







 呆れるくらいに運の悪い家族だったと思う。


 中国の貧しい家庭で生まれた俺は、物心ついた時から腹が膨れるほど飯を食えたことは無かった。ただ、その程度の不幸なら自慢するまでも無い。生きていけるだけ十分幸運だったと思う。父と、母と、俺と、妹。家族4人で腹を鳴らしながらも仲睦まじくひっそりと生きていた。


 そんな小さな世界が壊れ始めたのは、父が勤め先で死んでから。死因も教えて貰えず、遺体も勝手に処分され、勤め先から放られるようにして寄越された金は雀の涙程度。「ふざけるな」と怒鳴り散らしてやろうにも、必死に止める母に負けて俺は口を噤んだ。いかに自分が無力だったのかを痛感した。


 母が働きに出るようになった。


 父が死に、収入源が無くなったからだ。微々たるものではあったが、俺も職に就くようになった。そこで金を得ることがいかに大変なことかを理解した。父はどれだけ仕事が大変であろうとも決して弱音を吐かない人だった。朝から晩まで仕事に行き、必死になって稼いだ金で用意した少ない飯のほぼ全てを、俺たち皆に分け与えていた。改めて家庭の全てを支えていた父の偉大さを知った。


 母と、俺と、妹。3人になってからも、何とかやれていた。父が1人で働きに出ていた時より稼ぐ金は減ったが、家族が減ったのでまだ何とかなっていた。雨や風が凌げる環境があるだけまだマシだった。上を見ればキリが無いが、同時に下を見てもキリがない。雨風に打たれながら泥水を啜るような生活をしていないだけ幸せだ。そう思うようにした。


 ある日、母が勤め先で見初められた。

 これが俺たち家族にとって、2つめの不幸だった。


 下請けの会社で働く母の姿を、たまたま視察に来ていたというお偉いさんが気に入ったそうだ。俺たち家族全員を養う財力もあるという。「もう出稼ぎに出る必要も無い。家族と一緒に、ぜひウチに来なさい」と言われた。そう報告する母の顔は、これまでにないくらいの笑顔だった。あの時は、なんでそんなに嬉しそうにするのかが分からなかった。死んだ父のことはもういいのか。確かに清潔な環境ではない。それでも、思い出の沢山詰まったこの家を捨てることに未練は無いのか。子どもながらにショックを受けていたと思う。


 でも、今なら分かる。母はただ嬉しかったから笑っていたんじゃない。俺と、妹。2人の子どもに不自由なく暮らせる環境を与えられることに安堵していたんだ。もっとも、そんな幸せな家庭が築かれることは無かった。


 男は日本人だった。


 連れていかれた男の家は確かに凄かった。でかいし、寒くも暑くも無い快適だったし、何より清潔だった。飯もたらふく食えた。こんなに上手い飯が食えるなんて思っていなかった。こんなにふかふかな布団で寝れると思っていなかった。あの妹のはしゃいだ顔は今でも忘れられない。きっとあの瞬間だけは、父が死んだ悲しみを忘れていたと思う。


 夜。

 聞き慣れない声に目を覚ます。


 母が犯されていた。母が見初められたおかげで俺たちはここへ来たのだ。男も慈善事業で俺たちを救ってくれたわけではない。だから、そういった行為がされることも当たり前だと言えばその通りだ。ただ、その行為は俺が思い描くものとはかけ離れていた。母はまるで物のように使われていた。思わず目を背けたくなるほどに。次の日の朝、母は何事も無かったと言わんばかりに笑っていた。だから、俺は何も言えなかった。


 それが間違いだった。


 月日を追うごとに、母は肌の露出が少ない服を好んできるようになった。「私は寒がりだから」と笑う母の言葉が辛かった。今の奇跡のような環境を壊すわけにはいかないから。きっと母はそう思っていたのだ。だから、死ぬ最後の日まで、母は俺と妹に笑顔しか見せなかった。


 ゴミのように捨てられた。別れの挨拶もクソも無かった。「死んだから丁重に埋葬しておいた」と開口一番で言われた時には、思わず正気を疑ったほどだ。次いで「私からの施しを受け続けたいのなら、対価が必要だ」と妹に手を伸ばされた時、俺は男の気が狂っていると理解した。


 近くにあった壺のような何かで男を殴りつけた。鮮血が真っ白な壁を汚す。悲鳴を上げる妹の手を引き、男の屋敷を飛び出した。行く当てなんかどこにもない。それでも、ここでは無いどこか遠くへ逃げなければいけない。泣きながら俺の名を呼び続ける妹を守れるのは俺しかいないのだ。


 走った。

 とにかく走った。


 遠くへ。

 少しでも遠くへ。


 それでも、金のある奴から逃げ切るなんて不可能だったのだ。激痛が身体に走ったと思ったら、俺は既に地面を舐めていた。殴られる。蹴られる。妹の叫び声をBGMにして袋叩きにされた。髪を掴まれ、強引に顔を上げられる。頭から血を流した男が何かを言っているようだったが、耳がイカレていて理解できなかった。そのまま拳を顔面に叩き付けられる。再び、暴力、暴力、暴力。痛みを痛みと感じられなくなった頃、俺は川に捨てられた。


 父や母と同じように。

 ゴミのようにして。


「大丈夫かい?」


 眼を開けて、真っ先に視界に入ったのは知らない青年の顔だった。それでも頭に血が昇る。こいつは、日本人だ。あらん限りの罵声をぶつける。男に飛びかかろうとしたが、周囲にいた男の取り巻きによって押さえ付けられた。それでも俺は止まる気は無かった。


 殺したいならさっさと殺せばいい。


 妹は連れ去られた。俺には、助けにいけるだけの力が無い。なら、もう生きている意味も無い。父を犠牲にして、母を犠牲にして、ついには妹まで犠牲にした。何食わぬ顔で生を謳歌できるわけがない。


 そんな俺の慟哭を聞いた青年は言った。


『――力を貸そうか』


 何の気負いも感じさせずに。

 何を言われたのか分からなかった。


 空っぽになった頭のまま、青年に聞かれた内容に返答した。生前の母の勤め先、父を見殺しにし、母を殺し妹まで連れ去った憎き男の所在、妹の特徴。全てを聞き終えた後、青年は立ち上がって言う。「それじゃあ、行こうか」と。男の周囲で思い思いに過ごしていた奴らが立ち上がる。素人目で見ても分かった。こいつら、今まで俺が見た誰よりも強い。もしかしたら、本当に――。


 屋敷が燃えている。


 あれほどまでに手の届かないと思っていたあの屋敷が。元凶となったあの日本人の男も、俺を袋叩きにしていた追っ手のやつらも皆死んだ。それでも、紅蓮に燃える屋敷を見つめても、俺の心にぽっかりと空いた穴は埋まらなかった。


 俺の腕の中に収まった妹を強く抱きしめる。


 妹は心を壊していた。

 呼びかけにも何ら反応を示さない。

 植物状態になっていた。


 あんまりだ。

 こんなの。


 俺たちが何をしたって言うんだ?


 妹の救出に手を貸してくれた青年がやってくる。周りに指示を出しながら。青年に勧められるがまま、俺は彼らの拠点へ身を寄せることにした。


 青年は同じ志を持つ魔法使いを集めているらしい。


 この世の不条理を嘆く青年に、嘘は見受けられなかった。何を綺麗事を、と笑うのは簡単だ。でも、俺にはそれができなかった。まさしく、その不条理に圧し潰されたのが俺たちの家族だったからだ。幸いにも俺は魔法の素質があるらしく、運動神経も悪くはない。俺の願いを叶えてくれた青年の誘いを断る理由は無かった。しかも、青年は俺に奇跡のような未来を示してくれた。彼らの目的の1つは、死者を蘇らせる魔法を生み出すこと。その過程で、妹の状態を回復する魔法も生み出せるかもしれない。そんな奇跡があるのなら――。


 俺は日本人が嫌いだ。


 全部が全部、あのクズと同じではないことくらい分かっている。それでも、俺や俺の家族から幸せを奪ったのは日本人だった。あの男は死んだ。でも、俺の家族はもう帰ってこない。あの男の息が掛かった会社で父は死んだ。あの男の手で母が死んだ。妹も植物状態になった。あの不自由でも幸せだった日々は、もう帰ってこない。


 この怒りの矛先をどこへ向ければいいというのか。

 あの男が死んだんだから赦せとでも?


 ふざけんなよ。


 でも。

 アマチカミアキ。

 あんたにだけは感謝してる。


『例え血のつながりが無くても。生まれた国が違おうとも。同じ志を持つ者同士、僕たちは仲間だ』


 記憶の中の奴は言う。


『ありがとう、龍』


 礼を言うのはこっちだ。


 あの時、同じ日本人の括りにして悪かった。あんたは確かにヒトだった。下の人間の、俺のような最底辺のクズにも優しさを分けてくれるヒトだったよ。あんたが死んじまったと聞いた時は、本当に驚いた。手を下したというリナリー・エヴァンスと中条聖夜には殺意すら覚えるほどに怒りが湧いた。それほどまでに、俺はあんたに心酔していたんだ。死ぬことも計画の内だって話を聞いた時には、行き場を失くしたこの憤りを消化するのが大変だったんだぜ。


 ああ。

 俺も道半ばで逝っちまう。


 心残りは妹のこと。

 そして、あんたの野望。


 振り上げられた手を見る。

 手刀の形をしていた。


 それがこれからどのように振るわれるのか。

 考えなくても分かる。


 最後に、たった今まで拳を交わしていた男の顔を見る。


 ああ。

 反吐が出る。


 綺麗事を言いやがって。

 そんな台詞を吐いていいのは、俺が認めた主のみ。

 アマチカミアキだけなんだよ。


 分かってるさ。

 俺だって気に入らねぇやり方だ。


 無力な人間を磨り潰して利用する。

 あの男と一緒じゃねーか。


 なあ、これは本当にあんたが考えた計画なのか?

 これは本当に必要なことだったのか?


 少しだけほっとしてしまっている自分がいることにムカついた。

 もうこれ以上心を殺さなくて済むことに。


 それを気付かせてくれたのが目の前の日本人だってことにもっとムカついた。

 本当にあの人は、あんたの――。


「ぐぞ、やろう、が」


 悪態が口を突いて出る。


 礼なんて言ってやるものか。

 俺が唯一認めた日本人はアマチカミアキだけだ。


 中条聖夜。

 てめぇは救いようのない現実に散々打ちのめされた後、ゆっくりと死ね。


 先に地獄へ行ってるぜ。


 手刀が振り抜かれた。

 おかしく感じるほどに、抵抗を覚えなかった。


 回る視界。

 次いで襲い来る激痛と共に、俺は意識を手放した。

みなさま、良いお年を。

次回の更新予定日は1月10日です。

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