第5話 宣戦布告 ⑤
☆
侵入は空から。
しかし、スカイダイビングを敢行するというわけではない。
俺の無系統魔法を使う。
アメリカの領海に入ってしばらくしてから、戦闘機が2機、花園家の自家用ジェットの両サイドに張り付いた。緊急時とはいえ、領土内を自由に飛行させる気は無いらしい。花園家がアメリカ入国の許可を取る際の条件として、あちら側の指示に従えとあったようだ。
ここまで目立ってしまえば、『ユグドラシル』側に気付かれずに入国は無理だろうな。ある程度予測できていたことではあるが。
彼らのナビのもと、領土内に入った。
両サイドを固められたまま、魔法世界エルトクリアへと進んでいく。
「もう間もなくですね」
窓からの景色を眺めながら、ケネシーがポツリと呟いた。
この場にいる全員の視線が師匠へと向く。
「作戦は先ほど話した通り。この子の無系統魔法で魔法世界へ進入する。私かこの子、どちらかがエルトクリア魔法学習院にあるエルトクリア大図書館へ到達すれば目標は達成。貴方たちにして欲しいのはその援護」
師匠の言葉に皆が頷く。
俺の無系統魔法の全貌を話したわけでは無い。しかし、この場にいる全員を魔法世界内に移動させることができる魔法であることは伝えてある。アギルメスタ杯の件と合わせて、転移魔法だと当たりをつけた者もいるだろう。『白銀色の戦乙女』の面々からは、絶対に口外しないと一方的に約束された。
ただ、やり直しができるのなら、ここでの内容は全てが無かったことになる。せっかく約束してもらったことではあるが、話したことから無かったことになるのなら、口外することは絶対にできない。師匠もそれを踏まえて話したのだろう。
「敵に見つからず、戦闘を行わないことが一番望ましい。けれど……」
師匠の視線が、この場にいる全員、1人ひとりへと順に向けられる。
「きっとそう甘くはない。常に最低を想定して動くこと。万が一戦闘になった場合は、最優先で私とこの子の安全を確保。文字通り盾となりなさい。1秒でも長く。詳細も話さず、酷い事を言っている自覚はあるわ。あの世でいくらでも恨んでくれていい」
「恨むなど。そのようなこと、断じてありません」
シルベスターが言う。
それに繋ぐようにしてケネシーが口を開く。
「エヴァンス様とメイカー様の盾となって死ねること。これほど名誉なことはございません」
「……殲滅する。『黄金色の旋律』の敵に情けは掛けない」
ルリも同調するようにそう言った。
「メイカー様の敵に回ったことを後悔させてあげます。耐えがたき苦痛と死を『ユグドラシル』の者たちに」
エマが表情に影を宿しながらそう呟く。師匠は皆の反応へ満足そうに頷くと、視線を栞へと固定した。
「後はよろしく頼むわね」
「お任せください。『黄金色の旋律』の使者としてうまくやります」
白いローブに深くフードを被った栞はそう答えた。
栞は来ない。大橋さんと共にアメリカのナビに従って玄関口アオバ付近にあるアオバ空港まで行く。そもそも花園家がアメリカへ入国許可を取る際に、師匠や俺たちが搭乗しているという情報までは話していないのだ。『黄金色の旋律の使者が魔法世界への入国を希望している』と告げただけに過ぎない。当然ながら詳細な説明を求められたらしいが、知らぬ存ぜぬで突っぱねたようだ。アメリカ相手にそう言えることに驚きである。まあ、事態が事態だから、アメリカ側もやむを得ずに譲歩という形を取ったのだろうが。
探知魔法などで機内の人数などを調べられている可能性はあるが、ここまで来てしまえばもう俺たちを止めることはできない。ただ、空港に到着した際、栞たちがそのまま拘束されるおそれはある。その辺りは気がかりなところだが……。
「お気になさらないでください」
俺の表情から考えを読み取ったのか、栞は先手を打ってそう答えた。
「謝らなければいけないのは私の方です。肝心なところで役に立てなくてごめんなさい。ちょろ子さん、どうかお兄様をよろしくお願いします」
「ええ、任せておきなさい」
エマが頷く。
栞はそれに会釈を返すと、改めて俺を見た。
口を開いて。
閉じて。
結局、栞は俯いただけで何も言わなかった。
そして、俺もそれに何も返せなかった。今生の別れとなる可能性だってある。遡りができるか分からないし、そもそもエルトクリア大図書館まで辿り着けるかも分からない。遡った後、記憶が引き継げるかどうかだって分からない。
師匠から戦力外通告を出された時、栞はそれに何の反論もしなかった。自分の能力が、今回のような作戦では役に立たないことを自覚しているからだ。余計な戦闘を避け、極力敵に気付かれないよう移動する必要があるケースでは、中距離・遠距離の攻撃手段を有している魔法使いはあまり必要とされていない。距離の離れた敵の不意を打つくらいなら、気配を消して戦闘を避けた方がリスクは少ない。攻撃するということは、敵対者がいるということを相手側に告げているようなもの。周囲に一切気付かれることなく敵を確殺できるならまだしも、そのような保証も無い。
何より、一番のネックは栞が近接戦闘をもっとも不得意としていることだ。俺や師匠を守りながら移動する必要がある今回の場合、近接戦闘ができない栞は足手纏いにしかならない。護衛対象がもう1人増えるようなものだからだ。
何を言っても、ただの同情にしかならない気がした。
何を言っても、気休めにすらならない気がした。
だから結局、俺も何も口にしなかった。
立ち上がる。
栞の座る席をすり抜け、決して広くはない機体の中を歩く。
エルトクリア大図書館に辿り着ければいい話だ。
この状態を失くしてしまえばいいだけの話。
ただ、それだけの話なんだ。
「大橋さん」
「お任せを。私は私の使命を全う致します」
使命。
貴方の使命は、主である姫百合家に仕えることでしょう。
貴方にとっての死地はここではないはずだ。
師匠が日本にいるという情報を『ユグドラシル』側が握っているのだとすれば、当然アメリカ国内へ進入してくる飛行機や船は注視しているはずだ。特に俺たちが利用している自家用ジェットなど、最優先の警戒対象だろう。アメリカ側がどれほどの情報統制を敷いているかは分からないが、戦闘機で両サイドを固めている時点で信用はできない。まあ、これらの対応はこれまでの師匠の身勝手さが理由の気もするから強くは言えないところだが。ただ、機密にしようとすればするほど情報が漏れなくなる分、結局『ユグドラシル』側に怪しまれてしまうという可能性もある。
どう転ぼうが死ぬリスクはある。アオバ空港に着陸した瞬間に自家用ジェットが木っ端みじんにされる可能性だって否定できないのだ。
それでも、大橋さんはいつもの口調でそう告げた。
どれほどの覚悟を秘めているのか。
この状況で平然とそう口にできる時点で察することができてしまう。
大橋さんはちらりと俺に視線を向けると、前へ視線を戻しながら口を開いた。
「貴方と初めて会った時のことを思い出しました」
いったい何を言うかと思えば。
笑みすら浮かべながら大橋さんは続ける。
「あの時の少年は、いつの間にやら私よりも魔法使いとしての実力をつけ、今や世界を脅かす敵に挑もうとしている。不思議な気分です」
……。
少しの間。
再び大橋さんが口を開く。
「ご武運を。可憐お嬢様と咲夜お嬢様は、貴方がいなくなると悲しまれます。お友達になってくださったのですよね?」
絶対に死ぬんじゃないぞ、と。
言外にそう言われているのは瞬時に理解できた。
「はい。勿論です」
「聖夜様、そろそろエルトクリア上空です」
背後に気配を感じたと思ったら、エマが音も無く忍び寄っていた。
怖ぇよ。
俺は最後に大橋さんへと一礼してから皆のもとへと戻った。
「覚悟はできた?」
「とうの昔に」
ここで聞かれているのは死ぬ覚悟ではない。
殺す覚悟だ。
そして、殺す覚悟なら答えた通りにとうの昔にできている。
あの地獄を経験した時に。
師匠は目を細めた後、なぜか少しだけ悲しそうな笑みを浮かべた。しかし、俺がそのことを指摘する前には元の表情に戻っていた。1つ頷いた師匠は言う。
「では、無系統魔法を」
「はい」
手を差し出す。
狭い機内の中で。
操縦席にいる大橋さんと、待機する栞以外の全員が俺の手や腕を掴んだ。
窓の外へと視線を向ける。
眼下に広がっているのは、魔法世界エルトクリア。
本当なら『神の上書き作業術』を使いたかった。
転移先を指定できる刻印魔法。そのうちの1つが、魔法世界内にいるはずのルーナ・ヘルメルの自宅にある。ルーナの持つぬいぐるみがそうだ。しかし、使えない。なぜならこの手の転移を既に見せてしまっているから。T・メイカーとしてアギルメスタ杯に参戦した際に、衆人環視の中で。
実際にどれだけの人間が、俺の無系統魔法に気付けたかは分からない。
しかし、映像として残ってしまっているのだ。ぬいぐるみを抱きしめたルーナが闘技場へと姿を見せ、言葉で動揺を誘っている間に俺が現れた。すぐにルーナを観客席にいる美月たちの下へと跳ばしたため噂にもならなかったが、その時のルーナはぬいぐるみを持っていなかった。勘の良い人間なら気付いたかもしれない。ルーナのぬいぐるみと入れ替わるようにして俺が現れたということを。
魔法世界の外にいる間は、ルーナと連絡を取ることができない。ルーナの安否が分からず、刻印魔法が刻まれたそのぬいぐるみがどうなっているのかも不明の状態で、そこへ転移するのは博打でしかない。結論として、素直に空から転移魔法で防護結界の内側へと転移する道を選ぶ他無かったのだ。
――――『神の書き換え作業術』発現。
魔力がごっそりと持って行かれるのを感じた。
瞬間。
景色が切り替わる。
暴力的なまでの突風を身体に受けて体勢を崩す。
繋がれていた手が離れ、皆が上空に放り出された。
何とか目を開ける。
一面に広がるのは空。
眼下に創造都市メルティの街並み。
けたたましく鳴り響く警報音は、上空にいるここからでもよく聞こえた。俺たちの侵入を『ユグドラシル』側に知らせてしまう厄介な機能でありながら、同時に間違いなく防護結界内に侵入できたという証明にもなる。こんな考えをしてしまうあたり、俺も師匠に毒されてきているなと感じてしまうが、苦笑している時間すら惜しい。
そう考えた時だった。
突如吹き荒れた突風の勢いに負け、空中でバランスを崩して回転する。何とかバランスを整えようともがいていたところでそれを見た。魔法世界エルトクリアにおいて、もっとも高い場所にそびえ立つエルトクリア城。白亜の頂、その最高位に位置する城が、遠目からでも分かるほどに破壊されていた。
「――っ」
思わず言葉に詰まる。
戦争は3日後では無かったのか。あれは『ユグドラシル』の襲撃によるものなのか。その時、王族護衛『トランプ』は迎え撃ったのか。勝ったのはどちらだったのか。アイリス様は無事なのか。クランは、スペードは、エースはどうなったのか。
頭の中にいくつもの質問が思い浮かぶ。しかし、その疑問に答えてくれる人はこの場にいない。不安なのは皆同じなのだ。
頭を振る。
動揺するな。
取り乱すな。
みっともない恥を晒すな。
俺がここで心を乱し、次の一手が遅れるほどに状況が悪くなると思え。
あいつらは無事だ。
いや、無事では無いかもしれないからこそ、俺が来た。
そうだ。
今やるべきことは、あいつらの安否を確認することじゃない。
眼下に広がる街並みに視線を向ける。
ひと際目立つのはやはり王立エルトクリア魔法学習院か。
俺たちの目的の場所だ。
最初から俺の視界に入ってくれていたのは幸運だった。
後は師匠をそこへ跳ばすだけ――。
「『渦巻銀河』」
俺の近くにいたシルベスターが抜刀した。
刀身が眩い光を帯び、様々な光を凝縮したような色合いの靄が掛かる。
「メイカー様!いいえ、中条様! 私はここへ残ります!」
「何!?」
落下による風を切る音がうるさくて、シルベスターからの声が聴きとりにくい。故にこちらも声を張り上げて答える。
「『星光の葬列』」
シルベスターの剣から、星々の群れがエルトクリア魔法学習院へと放たれた。しかし、それらは学習院へと到達する前に、どす黒い何かによって阻まれる。いや、違う。俺たちに殺到しようとしていたどす黒い何かを、シルベスターの星魔法が阻んだのだ。
この距離でもう気付かれたのか?
流石に早過ぎるだろう。
いや……。
俺の無系統魔法に当たりを付けていて、かつ目的地がエルトクリア大図書館だと分かっているのなら、あり得ないことでは無いのかもしれない。侵入のタイミングは魔法世界エルトクリア中に鳴り響く警報音で分かることだしな。
師匠、エマ、ケネシー、ルリの順で周囲に散らばる彼女らへと視線を向ける。『神の書き換え作業術』を発現させ、すばやく俺の近くまで集めた。皆が俺の意図を理解して俺の身体を掴む。
「シルベスター! 死ぬなよ!」
「御意! すぐに御身のもとへと向かいます!」
視線を王立エルトクリア魔法学習院がある方角へと向ける。どす黒い何かが再び迫ってくるのを感知していたが、そちらはシルベスターに任せることにした。
――『神の書き換え作業術』、発現。
魔力を消費する。
同時に、再び視界が切り替わった。
★
迫る漆黒の槍の群れを輝く刀剣で斬り伏せる。
落下速度はそのままに、シルベスターは見事なバランス感覚で剣を振るい、己に害をもたらす必要最低限のみを的確に無力化した。自らの身体を叩きつけるようにして吹き荒れる暴風の中、シルベスターは適切な量の酸素を体内へと取り込んで魔力を練る。
「『星の鼓動』発現、『六等星』」
流れるようにして紡がれるその魔法名と共に、シルベスターの身体から練り上げられた魔力が噴き上がった。呼応するようにして魔法剣の刀身の輝きも増す。
「出し惜しみは無しだ。」
三度襲来した漆黒の槍の群れを、僅か二振りで無力化したシルベスターは言う。
「さあ、星が燃え出したぞ。優先順位を履き違えぬことだ。早く私を討たなければ、直に星の輝きは貴様らの手に負えなくなる」
☆
視界にエルトクリア魔法学習院が入っていたのは幸運だった。
いや、幸運であり、不幸だったのかもしれない。
最短距離でエルトクリア大図書館へ到達しようとした俺の欲。
その報いが一瞬で訪れた。
魔法学習院は城のような造りをしている。その上空、数ある尖塔のうち、その1つの近くへ転移した瞬間、魔法球の掃射を受けた。あらかじめ予想はしていたのか、師匠の発現した土属性の結界魔法『堅牢の檻』が俺たちの周囲へと展開され、その猛攻を防いでくれる。
光の閉ざされた暗闇の中で師匠が叫ぶ。
「聖夜!」
分かっている。
返答する間も惜しい。
俺はすぐに『神の書き換え作業術』を発現した。
視界が師匠の結界魔法によって閉ざされる瞬間、周囲へ視線を走らせておいたのは正解だった。閉ざされた後では転移先に当たりをつけることができなくなる。
視界が切り替わる。
師匠から教えられていた、エルトクリア大図書館がある建物の中だ。しかし、あの一瞬で正確な座標までは計算できなかったため、内部の壁と重なっていたらしく、壁を破壊しながらの転移となった。4人で仲良く廊下のような場所を転がる。その時、何か生温かい液体が俺の頬へと付着した。
咄嗟に目を向ける。
「ケネシー!」
「問題ありません!」
ケネシーの左腕が無くなっていた。端正な顔を歪めながら止血している。直ぐ傍に転がっていたルリがそれに手を貸していた。
「私の扱うレイピアは、もともと片手で振るうもの。何ら問題はございません」
そういうことを言いたいんじゃない。
しかし、言葉を飲み込み頷いた。
立ち上がる。
そこで気付いた。
エマがいないことに。
「あいつ――!?」
光の閉ざされた師匠の結界魔法の中で。
あいつは、俺の身体を掴まなかったのだ。
囮になった。
あの場で。
何も言わずに。
《マスター! 駄目だからね!》
これまで一言も発していなかったウリウムが、思わずといった口調で俺を窘めた。分かっている。分かっているさ! この苛立ちが自分勝手なものだってことくらい!
「――っ」
瞬間、背筋が凍り付くような錯覚を覚えた。
「見ぃつけたァ」
幾重にも張り巡らされた障壁。そして瞬く間に抜刀したルリの猛攻によって、襲来した黒い槍は全て叩き落とされた。師匠の魔法が間に合わなければ、俺の首が飛んでいたかもしれない。槍によって無数の風穴が空いた壁が崩落する。その向こう、どす黒い気体を身に纏いながら、邪悪な笑みを浮かべた女が姿を見せた。
「あの時はよくもやってくれたねぇ、中条聖夜ァ。お姉さん、借りを返しに来たぞォ」
「……蟒蛇雀」
ポケットに忍ばせていたシャープペンシルのケースに触れる。『神の書き換え作業術』を発現し、その全てを蟒蛇雀の心臓部分へと転移させた。
しかし。
「あははははは!」
真っ黒な髪をかき乱しながら蟒蛇雀が嗤う。身体の中心部分がぼふっと気化しただけだ。次いで、さらさらとシャープペンシルの芯が下へと落ちていく。くそ、熱くなるな。奴は属性同調を発現している。無意味な攻撃はするな。
「さぁて。始めましょうかね!!」
蟒蛇雀が両腕を広げる。
同時に、膨大な魔力を蟒蛇雀の背後から感じ取った。
咄嗟に隣にいたルリの肩を掴む。
――『神の書き換え作業術』、発現。
視界が切り替わる。
頭上から何かを切断するような音が、轟音として鳴り響いた。
転移したのは階下。
瞬時に状況を察したルリが、今度は俺の腕を掴んだ。
「こっちです」
頷き、再び転移。
転移した瞬間に、薄暗かった廊下へ激震が走っていた。
少しでも遅れていたら巻き込まれていたかもしれない。
そう思った瞬間だった。
おそらくは偶然。
何に対する攻撃だったのかは不明。
ただ、その余波が次の転移先にまで生じていた。
突き飛ばされる。守られたのだと思考が理解したのは、目の前でルリの下半身が吹き飛ばされた後だった。無様に廊下を転がる。「行って」と。声にならない声が聞こえた気がした。歯を喰いしばり、次の『神の書き換え作業術』を発現する。
切り替わった視界。
その正面には、目的地であるエルトクリア大図書館の入り口があった。
正面に控えていた顔も名前も知らない魔法使いたち数名。明らかにこちらへと殺気を放ってきていたので、有無を言わさず『神の書き換え作業術』で瞬殺した。転がった首に目も向けず、蹴破るようにして扉を開く。
「な――」
真っ赤だった。
正面にあるカウンター。
そこで1人の男が死んでいた。
たった1人の人間に、これほどの血が詰まっているのか。
思わずそう考えてしまうほどの血液を撒き散らした状態で。
「……今井、……修、さん?」
死んでいる。
思考が現状に追いついた直後、最初に思ったのは彼への同情ではなく『まずい』という直感だった。慌ててカウンターまで走り寄り、彼の血で汚れたパネルへと目を向ける。カウンターの背後には固く閉ざされた扉が2つ。どちらが『脚本家』のいる『創世の間』へと通じているのかは知っているが、その扉の開け方が分からない。更に言うなら、仮に扉を開けることができても道順が分からない。道中で今井修は本を取り出したり戻したりと不思議な動作をしていた。していたことは憶えているが、当然ながら何をどうすればいいのかは分からない。
つまり。
「俺1人じゃ『脚本家』に会えねぇじゃねーか!」
最悪だ。
師匠なら知っているのか?
いや、知っていたのならやり方を俺とエマにも説明していたはず。それが無かったということは、『創世の間』までの道案内は今井修へ一任していたことに他ならない。
くそ。
もっと頭を働かせるべきだった。
なぜ『ユグドラシル』が全ての戦力をここへ集結させていなかったのか。俺たちに遡りをさせたくないというだけなら、このエルトクリア大図書館の入口へ最高戦力たちを集結させていればいい。わざわざ学習院の外で待ち受けている必要なんて無いのだ。
奴らは分かっていたのだ。今井修さえ殺してしまえば、仮に外で俺たちを取り逃がしてしまったとしても問題は無いのだと。
どうする。
どうすればいい。
訳も分からず周囲へと視線を走らせる。
円柱状に上へと伸びるこの部屋は、壁に沿うようにして本棚が展開されている。そこには所狭しと本が詰められているが、その中に『脚本家』へと繋がるヒントなどは残されていないだろう。そんなものがあるなら、『ユグドラシル』はとうにここを蹂躙しているに違いない。それでも、上へ上へと伸びている本棚を追って見上げてしまう。その先に『脚本家』へと繋がる道があるわけでもないのに。
「くそっ」
毒づく。
その時だった。
感知した事のない魔力が、俺の身体を満たした。
《――な、何これ、攻撃!? いったいどこから!? 警戒はしてたのに!》
ウリウムの動揺が聞こえてくる。
しかし、それに俺が答える前に別の介入があった。
『よくぞここまで来た。アイリス・ペコーリア・ラ=ルイナ・エルトクリアでも、リナリー・エヴァンスでも、マリーゴールド・ジーザ・ガルガンテッラでもない。他でもない、中条聖夜。お前が!』
瞬間。
視界が光に包まれた。
次回の更新予定日は、12月30日(水)です。