第8話 “青藍魔法学園生徒会執行部員”片桐沙耶
その言葉が俺の耳に届いた時には。
既に2番手は、俺の目と鼻の先まで肉薄していた。
「っ!? うおっ!?」
容赦の無い飛び蹴りを躱し、転がる。2番手を視認するよりも先に、反射で身体が動いた。
地面が爆発したかに見えた。それほどの轟音で、地面が抉れる。亀裂まで生じていた。
思わず叫ぶ。
「おいおいおい!? ここ学園内だぞ!! これはまずいだろ!?」
「敷地の心配ができるなんざ、余裕じゃねーか中条聖夜!!」
「ちぃっ」
放たれた拳を受け止める為に、咄嗟に手を振り上げる。
「らあああああああっ!!!!」
「はっ!?」
咆哮と打撃の鈍い音と共に吹き飛ばされた。
一瞬、何が起こったかも分からなかった。いつの間にか身体が宙を舞っていた。そんな感じ。
背中から地面に叩きつけられ、ようやく悟る。防御が弾かれたのだということに。
「……っつぅ」
身体のバネを使い、跳ね上がる。足が地面に着いた時には、2番手の拳が眼前にまで迫っていた。
「おっ?」
2番手が、少しだけ驚いたような声を上げる。拳は顔を逸らしてやり過ごした。耳元を拳が通過し、風を切る音が聞こえる。上半身は斜めに傾き身体のバランスは崩れていたが、そのままこっちも拳を突き出した。
「はあああああっ」
さっきよりも魔力は込めたはずだった。
鈍い音が響く。が、それだけ。
「だぁかぁらぁっ!!!!」
「がぁっ!?」
「本気で来いっつってんだろうがァァ!!!!」
思考がグラついた。側面から迫る回し蹴りを顔面に喰らったらしい。面白いくらいに地面を転がった。
「――っ。く、くそっ」
頭がぐわんぐわんと回る。軽く脳震盪を起こしたようだ。足が震えてうまく立てず、そのまま再度転倒してしまった。
2番手は追って来ない。それが、唯一の救いだった。
「……何なんだ、てめぇは」
ふらりと揺れながらも立ち上がる俺を見て、2番手が顔をしかめながらそう口にした。
「俺に喧嘩を売ってくる割には、全然やる気があるように感じられねーな」
「……それは、貴方の過大評価でしょう。俺の実力なんざ、こんなモノだ」
「ははっ」
何か面白かったのか、俺の答えに2番手は裾の汚れを叩きながら笑った。
「それで俺が騙されるとでも思ってんのか? 馬鹿言っちゃいけねーよ。てめぇのそのタフさを見てりゃ分かる。てめぇの魔力はそこらの馬鹿どもより数段上だ。障壁を張ってる訳でもねぇ、身体強化魔法のみでの魔力でそれ。防御だけは優秀なんてこと、あるわけねーだろ」
「……十分ボコされてるんですけど」
「“並み”じゃ、今頃病院行きだ」
「病院、行きたいくらい痛いですけど」
「安心しろ。これが終わったら引き摺って行ってやるよ」
どうやら、話がうまく噛み合わないようだ。
「で、そろそろ足の震えは治まったか?」
手をぶらぶらさせながら、そんなことを言ってくる。
「さっさと本気で来てくれよ。一方的にボコすだけなんざ、気が萎えていけねぇ」
……こっちとしては、さっさと萎えてくれた方がありがたいんだが。
ただ、それだけのことを告げる余裕すら無かった。開いていた距離を僅か一歩で無くしてしまった2番手は、流れるような所作で拳を構える。
これは、少し本気でやらねばまずいかもしれない。
「うらああああああっ!!」
「ふっ!!」
振り抜かれた拳を、掌で受け流した。この男の身体強化は、俺の想像以上に洗練されている。ここが日本じゃなければ、とうに魔法使いのライセンスを取得できているだろう。そう思わせるほどに。
まともに受ければ、弾かれる。ならば、正面から受けきるのではなく受け流す。
がら空きになった腹に、割と本気で蹴りをぶち込んだ。
2番手の身体が、少しだけ浮き上がった。
「……は?」
何だ、この感触。これは、身体強化だけの防御力じゃ――。
その一瞬の硬直が、命取りとなった。
「さっきよりはマシになったが、全然だな」
「がっ!?」
2番手の膝が俺の顎に直撃した。浮き上がった身体に拳を打ち込まれる。
そのまま後方へと吹き飛ばされた。
☆
「……全然ダメだな」
その言葉を、俺は地面に転がったまま聞いていた。
身体が、思うように動かない。顎を打ち抜かれたことで、完全にマヒしているようだった。視界が点滅している。
「これだけやってもまだやる気になんねーとはな。いったい何がしたいんだか」
呆れたような声が聞こえる。ぼんやりとした思考に鞭を打とうとしたが、無駄だった。完全に身体から力が抜けてしまっている。身体強化魔法も、いつの間にか解けていた。
「お前、つまらねーわ」
ゆっくりと、足音が近づいてくる。
「さっき言った通り、病院には連れて行ってやるよ」
足音が耳元で止まる。しかし、言葉には反して拳が振り上げられる音が聞こえた。
「けじめって奴を身体に叩き込んだらな」
振り抜かれる音がした。
既に身動きが出来ぬ身体で避けることは不可能。これで終わりか、と思った時だった。
「そこまでです」
凛とした声が、この空間に響いた。
耳元で、何かが弾かれる音。次いで地面を削る音。おそらく、2番手が数歩後退したのだろう。
そして、もう1つの足音。それは俺の耳元近くで止まった。
訪れる静寂。
地面に伏し、目の前に広がるのは草木のみで事態が一向に見えてこない。
そんな中。2番手からのこの言葉で、俺は全てを察した。
「……またてめぇか、片桐ィ」
……か、たぎり。片桐? ――まさか。
重たい頭を動かして、そちらへと目を向ける。
そこには。
★
女子生徒が立っていた。
やや茶色がかった髪を肩の付近まで下ろしている。ショートカットよりもやや長いくらいだろう。先端がアクセントのように内側へカールしているのが印象的だった。
服装は当然だが、制服。舞や可憐と同じものを身に纏っている。が、彼女の雰囲気は舞や可憐とはまた一味違うものだ。明らかに、戦闘慣れしている。伊達や酔狂でこの場に介入したわけではない。それを見ただけで感じさせる何かがあった。
「いつもいつもいつも……。ご苦労なことだなぁ、片桐ィ。何でてめぇは毎度俺の邪魔をする」
「そのようなこと、改めて口にするまでもないでしょう」
女の子らしい可愛い声でありながらも、凛とした声色は大和に答える。
「貴方の一挙手一投足が、学園の風紀を乱しているからですよ。豪徳寺先輩」
「……くくく」
ストレートに悪態を吐かれたにも関わらず、大和は噛み殺すような笑いを漏らした。
「本当に……、イラつく女だな」
その言葉と共に、大和から威圧感が吹き溢れた。それこそ、並みの魔法使いであれば対峙するだけで竦み上がるほどに。
しかし、それでもこの場に介入した女子生徒は一歩も引かなかった。
大和が、目を細める。
「ふん、だがな。今回の件で俺を責めるのはお門違いなんじゃねぇのか? 俺はそこで転がってる奴から売られた喧嘩を買っただけだ」
「……売られた?」
女子生徒が眉を吊り上げる。
「情報に差異があるようですね。私は、“貴方が2年A組へ乗り込み在籍する生徒を襲った”と聞き及んでおりますが」
「もう少し情報を整理してから来い。一昨日4人の男子生徒が襲われたのは知ってるだろ」
「ええ、当然です」
「襲ったのはそこの白髪だ」
「で?」
「俺を誘き寄せる為にやったらしい」
「『らしい』? その程度の信憑性でここまでの事態を犯したとでも?」
「信憑性だぁ?」
大和が小馬鹿にするかのような声を上げた。
「それだけの証言が聞けりゃ十分だろ。関係無ぇ奴を巻き込んだんだ。どれだけのクズ野郎かと思って出向いて見りゃ、こういうことだ」
「……どういうことなのか欠片も理解できませんね」
女子生徒の反応に舌打ち1つ。大和は首をゴキリと鳴らした。
「まぁ、どうでもいいか。お前に理解して貰おうなんざこれっぽっちも思っちゃいねぇ。そこ退けや。そいつにけじめを付けさせる」
「……よく分かりませんが」
女子生徒は、自らの手にしていたものを軽く上下に振った。
「貴方には一度生徒会館へ来て貰いましょうか。いい加減、今後についてじっくりとお話する必要がありそうです」
「もう一度だけ言う。そこを退け。じゃなけりゃ、退かすことになる」
「出来るものならば、ご自由に」
女子生徒が手にしていたもの、木刀の切っ先が大和の方へと向けられる。
「行き先が、生徒会館では無く病院になりますが」
「ほざけ!!」
大和が地面を蹴る。女子生徒の上半身と共に、切っ先が下げられる。
両者の間合いは、一瞬にして詰められた。
拳を振りかぶる大和。木刀を構える女子生徒。両者共、問答無用でその一手を放った。
しかし。
――――突如その場に乱入してきた白い影が、その全てを受け止めた。
☆
「なっ!?」
「お、お前!?」
左手で2番手の拳を受け止め、右足で女子生徒の木刀を受け止めていた。防御に全力で魔力を注いだのは正解だったらしい。少しでも手を抜いていれば、俺の魔力は破られ今度こそ病院送りになっていただろう。手と足に広がる痛みが、それを雄弁に物語っていた。
「あ、貴方……きゃっ」
そのまま足で木刀を押しやる。それほど力は加えなかったが、突然のことに硬直していた女子生徒はそのままたたらを踏んで尻もちをついた。
「……てめ――」
「あんたは、関係の無い人間に手は出さねーんだろ?」
伸ばされた拳を握りしめながら、2番手の言葉を遮って話す。右手に、魔力を集中させた。
「なら!! この件で俺以外の人間に拳振り上げてんじゃねーよ!!!!」
「っ!?」
咄嗟に左腕で防御を図ろうとする2番手。だが――。
「それだけじゃ甘ぇ!!」
「があっ!?」
防御を突き破り、右ストレートが2番手の頬を捉えた。
装着していたMCが軋んだ音を上げる。
急激に。
そして大量に俺の魔力が流し込まれたせいで負荷がかかったのだ。
今まではビクともしなかったその身体。それが宙に浮き、数メートルほど吹っ飛んだ。地面を横滑りし、後方の木に激突して動きが止まる。
……これでそのまま動かなくなってくれたら、こちらとしてはありがたいんだが。
そう思いつつ、口の中に広がる鉄臭いものに違和感を覚えて吐き捨てる。見るまでも無く、血だった。さっき顔面を殴られたせいで鼻血が止まらない。手の甲で拭ってみれば真っ赤に染まっていた。
「……ぐ。まさか、緩めてたとはいえ、俺の……破られるとは」
豪快に吹き飛ばした先で。
2番手は、小さな声でぼそぼそ呟きながら起き上がった。
「貴方も貴方で頑丈ですね。かなり力を込めたんですが。これでも」
ふらりと震える足に、無理矢理力を入れて押し留める。その間に、2番手は木に手を添えながらも立ち上がった。
「やりゃあできんじゃねーか、中条聖夜」
「……まだ、続けるんですか?」
「ああ? 当たり前だろうが」
その言葉と同時に、2番手の身体から膨大な魔力が噴き出した。
「こっからが、面白いところだろうが」
ニヤリと挑発的な笑いを漏らし、2番手が構える。
思わず、こちらも微笑んでしまった。
そこで気付く。どうやら久々の強者相手に俺自身もいつの間にやら楽しみ始めていたらしい。この間の可憐誘拐騒動でも、これだけの使い手はいなかった。いや、これまで師匠と行動を共にした中でも、ここまでの相手はそういなかっただろう。
既に身体の震えは、恐怖や痛みからくるものでは無くなっていた。
ゆっくりと身体に魔力を浸透させて、構える。
それを見た2番手が、先ほどよりも濃い笑みを浮かべた。
今まさに、両者が地面を蹴ろうとしたところで。
「そこまでって言ったでしょうがっ!!!!」
「へぶばっ!?」
背後から伸びてきた手が、俺の頭を掴みそのまま地面へと叩きつけた。そのまま馬乗りになって動きを封じられる。
「ぐっ!?」
「動かないで下さいっ。お願いですから、これ以上問題を大きくしないで!!」
「いっ!? 痛い痛い!! 動かないでって動けねーよ!? キ、キマってるキマってる!! 痛い!!」
「このくらいしないと、貴方みたいな人は止まりそうにありませんからね!! 多少もがくくらいなら構いませんから我慢して下さい!!」
「矛盾してる!! お前の発言は矛盾してるぞ!! 痛い!! それに初対面で俺のことを知った風に言うな!!」
色々と試してみたが、本当に動けない。完全に捕えられていた。マジか。まさかここまでの使い手だったとは。そして、痛い。
視線を上げてみる。2番手が身体強化魔法を解除しているところだった。
「……萎えた」
誰に告げるでもなく、そう呟く。
そうかい。帰るつもりなら、ついでに俺の上に乗っかってる女を退けてくれ。
「お待ちください、豪徳寺先輩」
「あ?」
そのままこちらには目もくれず歩き出そうとした2番手を、俺の上に乗っかっている女が呼び止める。
「貴方には、生徒会館へ同行して頂きます」
「はははっ」
背を向けたまま、笑う。そして顔だけこちらに向けて、口を開いた。
「冗談だろ? これ以上縁の野郎の顔拝むのなんざ御免だぜ。もっとも……」
一度言葉を切る。
「会館を、あの野郎の墓場にしても構わねーってんなら喜んで行くんだが?」
「……貴方に、会長は倒せません」
「言ってろ、馬鹿」
「貴方から言われるとは……。心外です」
「はっ」
2番手は少しだけ歩き、また足を止めた。今度は振り返らずに話す。
「中条聖夜」
「……なんスか」
「今夜、0時、『約束の泉』に来い。相手してやる」
「貴方、まだっ!!」
「痛い痛い!! 力まないで!?」
「あっ。ご、ごめんなさい」
素直に謝ってきた。
……けどせめて、俺の上から退いた後に謝罪してくれ。極め技使われた状態で謝られても嬉しくねーよ。誠意が感じられない。
2番手が鼻を鳴らす。
「豪徳寺大和だ。それじゃあな」
最後にそれだけ告げて、2番手は行ってしまった。
☆
……。
「さ、さて。俺も帰ることにするか」
「お待ちなさい」
「ぐえ」
自然と立ち去ればバレないと思ったが、無駄だったようだ。踵を返した瞬間、首根っこを掴まれた。
「私は青藍魔法学園生徒会の執行部員、片桐沙耶です」
「それはそれは。お勤めご苦労さまです。では」
「待ちなさいって言ってんでしょうが」
ちっ。
「何か用か? 善良な一般生徒を引っ捕まえて尋問でもする気か? どういうことなんですかねぇ。生徒会とやらは弱い者を虐めて快楽を得るような集団なんですか? ん?」
「……惚れ惚れするほどの開き直りですね」
ため息を吐かれた。
「それに、どの口が言うのですか? 学園内の敷地をこんなにして」
片桐が手を広げて指し示す。月のクレーターのような穴がいくつも点在していた。ところどころに亀裂も入っており……。
「お、コーラ無事じゃん」
すこーん、と。
小気味のいい音が鳴る。
「ああ!? 蹴り飛ばしやがったな!?」
赤い缶は綺麗な放物線を描き、地面を転がった。液体が盛大にぶちまけられる。
「……学園汚して良いのかよ。お前、仮にも生徒会だろ」
「どうせ貴方がたのせいでここは修繕されるまで封鎖されます」
「やったのは俺じゃねーよ!!」
「本当に……、どの口が言うんでしょうね」
「俺は2番手に虐められてただけのか弱い一般生徒だ」
「……か弱い一般生徒では、私と2番手の間に入って仲裁なんてできないはずですが」
くそ。
だからこの場から早く逃げたかったんだ。
「中条聖夜さん、ですね?」
……。
「貴方にお聞きし――」
「あ、そうだ」
片桐の言葉をぶった切る様に手をポンと叩く。少し不快そうな目つきで睨まれた。
「悪い。謝らなきゃならないことがあったんだ」
「……今から貴方を生徒会館へお連れします。その言葉は私にでは無く会長に言って下さい」
「教会に呼び出しておきながら、行けなかった。すまん」
「これほどの損害を出したんです。それなりの処罰は……って、そっち!?」
「そっちも何も。俺が頭下げなきゃいけないのはそれだけだ。じゃあ」
生徒会館へ連行? 冗談だろ。この状況で生徒会長とご対面なんて御免だ。
「ちょ、ちょっと待ちなさいっ」
「お」
しなやかに伸ばされた腕が、俺の襟元を捉える。そのまま足払いをされて転がされそうになったが、逆に足を返して転がしてやった。
「きゃっ!?」
女の子らしい声を上げて、片桐が尻もちをつく。その隙に距離を取った。
「あ、貴方……。いったい……」
「俺は“出来損ないの魔法使い”。それ以上でも以下でもないよ」
地面に座り込んだまま呆然とする片桐にそれだけ告げ、俺もこの場を離れた。
☆
「……『余り狙い』は諦めるしかなさそうだな」
足早に帰り道を歩きながら、呟く。
生徒会の人間のお零れに預かり、適当に流して終わりにしたいところだったが……。
あの女に実力の一端を知られた以上、そうもいかなくなった。それに今の話の流れからすると、あの女と関わるには生徒会長と関わるのも必須だ。次に顔を合わせたら、その時点で問答無用で生徒会館へ連行されかねない。
くそ。身体が咄嗟に動いたとはいえ、最悪だ。
これからどうするかを考えないと。
☆
「……ん」
不意に意識が覚醒する。ぼんやりとした頭で寝返りを打ち、時計に目を向けた。
22時32分。
……仮眠を取るつもりが、本気で寝ていたようだ。
学園サボって部屋に入って、シャワー浴びたらそのまま寝たからな。で、この時間まで爆睡していたってわけか。道理で身体が重いわけだ。
そこでふと携帯電話が目に入った。チカチカとランプが点灯している。
誰からだ? と思いつつ画面を開いて、
「げ……」
思わず声が出た。
『花園舞 着信履歴143件 未読メール 67件』
『姫百合可憐 着信履歴39件 未読メール18件』
……。
取り敢えず、一番最初に目に入ったメールを開いて見る。
『まさか貴方、あの男殺してないでしょうね!? 今どこよ!!』
……。
無言で次のメールへ。
『どちらにいらっしゃるのですか!? ご無事ですか!? お願いです返信下さい!!』
……。
心配している内容が、正反対過ぎる。寝ている間に随分と大事になっていたようだ。同時にあの男の言葉も思い出した。
『今夜、0時、「約束の泉」に来い。相手してやる』
あの場には片桐もいた。つまり場所を代えようが生徒会には筒抜けということになる。仮に行ったところで戦わせてもらえるとは思えないが……。最悪、2人揃って捕縛されるってのがオチだ。
が。
「どうにもなぁ」
思い出すだけで、身体をゾクゾクとした感覚が駆け巡る。久しぶりのやり手を相手にして、心は随分と高揚していた。嫌々に相手をしていたはずなのに、いつの間にか楽しんでいたらしい。
あれ程の使い手はそういない。日本有数のエリート校、その2番目の実力者。所詮は学生と思っていた自分の認識を、大幅に改善する必要がありそうだ。
……行っても、自分の立場を危ぶめるだけ。既に暴力事件によって退学……よくて停学、謹慎処分の状態であるにも拘わらず、更なるバカ騒ぎを起こそうものなら結果は考えるまでも無いだろう。生徒会からも目を付けられているだろうし、行ったところで何かメリットがあるわけでも無い。
しかし。
「んー」
こんな機会は滅多にない。俺とこの学園で対等に渡り合える人間なんて限られている。……どうせ処分されることが確実なら、とも思ってしまう。
ベッドでゴロゴロすること数十秒。
「行くか」
退学になったらそこまでだったってことで。
そもそも俺、この学園を卒業する為に転入したわけじゃないし。それにほら、あれだよ。ここで俺が行かなきゃ、あの男明日も教室に来そうだし。そうだよ。そうしたら皆に迷惑が掛かる。俺1人が犠牲になることで済むんなら、それに越したことないじゃない? そうそう、これこれ。だからこれは決して俺が行きたいわけではなくてですね――。
「誰に言い訳してんだろうね?」
そう口にしつつ、携帯電話で返信メールを開く。
『無事。問題なし。心配掛けてすまん』
それだけ打ち込んで、舞と可憐に送信した。
「……もっとも、これから無事のままでいられるかは分かんないんだけどな」
扉に向かう途中、鏡を見て気付く。笑っていた。
結局、今更大人しく学園生活を送れるような育ち方はしていないのだと。
俺はこの時、呆れながらも確信した。