第13話 “青藍の1番手”御堂縁vs“青藍の2番手”中条聖夜 ⑤
★
いつもの河原。
大和は手にしていた『進路希望記入用紙』と書かれた紙を握りつぶし、学生鞄を脇へと放り投げた。燃えるような紅色に染まる草を踏みしめ、夕陽を反射する川へと近づいていく。
そして。
躊躇いなく最後の一歩を踏み出した。
履き潰した靴が濡れることはない。
大和は、水面の上に立っていた。
大和が通う中学校は、魔法使いの育成校ではない。魔法という存在が授業で取り上げられることはあるが、決して深入りはしないし、実習なんてものはもっての外だった。
だからこれは大和の独学と、とある道場で半ば強制的に修行させられた成果である。この時の大和は、これがそれなりに高度な技術を要するものであることも知らず、『水面歩法』という名称がついていることだってもちろん知らなかった。名称に興味は無く、大和の興味はあくまで魔法を発現した後の結果に向いていた。
『大和』
後ろから掛けられた呼び声は、聞きなれた声色だった。大和は露骨に表情を歪めながら振り返る。
『馴れ馴れしく下の名前で呼んでんじゃねーよ』
声をかけた縁は、川辺のところに立っていた。
『君、魔法が使えたのかい?』
『あ?』
突然何を聞き出すのか、と思ったところで大和は自分が立っている場所を思い出す。
『まぁな』
『ふぅん』
思ったよりも淡白な反応に、大和は若干肩透かしを食らったかのような感覚に陥った。
ただ。
『俺さ、高校は魔法学校へ通うことにしたよ』
続けて発せられた縁の告白を聞いて、大和は思わず縁の顔をまじまじと見つめてしまった。
『……すまないね。同性に見つめられて悦ぶ性癖は持ち合わせていないんだけど』
『死ね』
縁の軽いジョークに、大和は辛辣な言葉を投げつける。縁は苦笑いを浮かべながら、改めて口を開いた。
『君はどうするのかな』
『あん?』
『志望校』
……。
流石の大和も、希望用紙をたった今握り潰したとは言えなかった。提出期限はなんと昨日までであり、未提出者が大和だけなのはクラスの誰もが知っていることだ。
『良かったら一緒のところを志望しないかい?』
『……なんでてめぇと一緒のところを』
大和と縁は、決して友人と呼べるような関係では無い。それは両者共に認めるところだろう。転校初日の縁の喧嘩に大和が介入して以降、お互いの喧嘩を奪い合うだけの繋がり。最近は喧嘩を売ってくるような輩がいなくなって、2人の関係はますます希薄なものになっていた。そもそも、クラスメイトとはいえ学校で顔を合わせても挨拶などしない。たまに河原で顔を合わせた時に、一言二言交わすだけのような関係だ。縁に妹がいるということすら、大和はつい先日に知ったばかりなのだから。
そんな関係でしかない目の前の男と、いったいなぜ同じ高校を志望しないといけないのか。
そんな大和の考えを余所に、縁は自らの志望校を口にする。
『青藍魔法学園ってところなんだけど』
『人の話を……、しかもそこ、めちゃくちゃ倍率高ぇところじゃねーか』
その言葉を聞いて、縁が笑みを浮かべた。
『すぐにその反応ができるってことは、調べてはいたわけだ。なにせ魔法学園。一般校を志望するなら見向きもしないところだからね』
縁に図星を突かれ、大和が息を呑む。
『ふむふむ。なるほど……』
そのしたり顔に、大和は思いっ切り舌打ちした。
『俺はなぁ……。そのなんでも自分の思い通りにできるって信じ切った、てめぇの自信に満ち溢れた表情。その表情が死ぬほど嫌いなんだよ』
『喧嘩しないかい』
『あ?』
大和の言葉をぶった切るが如く、華麗にスルーした縁がそんな提案をしてくる。
しかも。
『今度は、魔法有りで、だ』
そんなことを言い出した。
これには思わず大和の目も点になる。
『……ここら一帯を更地にでも変えてぇのか?』
『舞台は川の上だ』
そう口にしながら、縁も軽い調子で川の上へと上がる。
『「水面歩法」すらできないのなら、俺と同じ舞台に立っているとは言えないからね』
『らしくねぇ挑発じゃねーかよ。御堂縁』
あからさまな挑発を受け、大和が口角を歪めた。縁も笑みを深める。
『縁でいいよ、大和』
同時に、縁から魔力が噴き出した。無詠唱で展開された魔法が縁と大和を中心とした一帯を包み込む。
『……こいつぁ』
『防音の魔法だよ。ただ、当たり前だけど視覚遮断の効果は無いからね。騒ぎになる前にサクッと終わらせてしまおうか』
『ははっ!! サクッとだって?』
縁の言葉に、大和は思わず吹き出してしまった。
そして。
『誰を前にしてほざいてんだ!? 縁ィ!!』
大和の身体から、先ほどの縁とは比べ物にならないほどの魔力が噴き出す。それは縁の防音魔法の時とは違い、明らかに暴力的な色を孕んでいた。
『……無詠唱で「身体強化魔法」とか。中学生ができるレベルじゃないと思うんだけど?』
『あぁ? 無理やり拉致られた幼馴染の道場で、嫌々練習して2日で成功する程度の魔法だぜ? そんな驚くことでもねーだろう?』
十分に驚くことだろう、という言葉の代わりに、縁は呆れたようなため息を吐いた。そんな反応を見せる縁を、大和は鼻で笑い飛ばす。
『モタモタしてねーで構えろよ、縁。男の積もる話なんてのは、拳で語り合った後に限る!! 俺たちはいつもそうだったろうが!!』
目を丸くしたのは僅か一瞬のこと。
『……なるほど』
縁はいつもの笑みを浮かべながら、負けじと身体強化魔法を発現させて――――。
『じゃあ、この喧嘩で俺が勝ったら、無理やりにでも青藍を受けて貰おうかな』
そう言った。
☆
「……ウリウム」
《もしマスターの質問が、あの男の使う不可思議な魔法に関することだとしたら、答えられないわよ》
会長たちに気付かれないよう、こっそりとウリウムの名を呼んだが、返ってきたのはやはりと思わされる返答だった。
《『無系統』なんて魔法は、そもそもこの自然界には存在しなかったものよ。あたしは、貴方たちがどういった原理でそれらの魔法を発現しているのか理解できない。あたし言ったわよね。貴方の無系統は特殊なんだから、あたしの治癒魔法でも完治は無理って》
諸行無常との戦いで“神の書き換え作業術”を連発していた時のことだな。
《あれは決してマスターだけに限定した話じゃないわ。無系統魔法を扱う者は皆が特殊なの。分かりやすい例として、無系統魔法には呪文詠唱も、貴方たちが言う契約詠唱も存在しないでしょう?》
確かに。
発現のプロセスから根本的に異なっているってことだ。
《だから、あの男が話す無系統の情報がどこまで本当なのかも分からない。消せる魔法の条件、範囲、そして上限。それらを少しずつ探っていくしかないわね》
会長は攻めてこない俺を見ても、何らアクションを起こす気配が無い。どうやらこちらの態勢が整うまでは高みの見物を決め込む腹積もりらしい。ちくしょう、余裕かましやがって。
《属性共調で試してみる?》
「……いや」
正直、この試合で属性共調は使いたくない。
《ねえ、マスター。もしかしてだけど、前回属性共調を使った時にマスターが気絶したの、魔力が尽きたからだとか勘違いしてないわよね?》
「えっ?」
思わず表情に出そうになるのを必死に押し留める。
違うの?
《違うわよ》
心の内を読まれたわけではないだろうが、きっぱりと断言された。
《普段使ってる魔力が、自分の魔力容量のうちどのくらいの割合なのかって理解してる? 属性共調使った時だって、全体の3割に届いてないんだからね》
……。
……、……は?
《この試合見てる時に気付いたけど、マスターって普段は自分の魔力容量のうち2割程度しか活用してないのよ。だから体内の魔力を生成する器官が凝り固まっちゃって、全然稼働してないわけ。この間マスターが気絶したのはねぇ、普段使用していない領域の魔力まで手を伸ばしたから、身体がびっくりしちゃっただけなのよ》
……。
待て。
色々と待て。
つまり、なんだ。
「アギルメスタ杯で結構頑張ったつもりなんだけど」
《2割程度の力でね》
「諸行無常との闘い、結構な死闘だったんだけど」
《ぎりぎり3割出せてないけどね》
……。
《で、属性共調使う気になった?》
「……いや」
この場で属性共調を敬遠する理由は他にもある。
まず、前提問題として制御できるかが分からない。諸行無常の時だって、勝てたのは暴走気味だった属性共調がたまたまうまく作用した結果だ。目の前の会長を相手にしてそんな博打を打つような真似はできない。
次に、仮に制御できたとしても俺の発現する属性共調の威力に、この魔法実習ドームの防護結界が耐えられるかどうかが分からない。先ほど放った単体の“不可視の光線”ですら揺らぐ程度の硬さだ。万が一、魔法実習ドームを倒壊でもさせてみろ。根掘り葉掘り事情を話す羽目になるのはごめんだ。
そして、最後。
「お前の存在がバレる可能性がある」
現段階で、俺は属性共調を1人で発現することができない。
そもそも属性共調とは、RankSに位置する超高等魔法であり、強化系魔法の頂点となる魔法だ。2種類の異なる属性が付加されている全身強化魔法を1つの身体に共存させる魔法。2つの全身強化魔法の同時発現という並列作業の極みに難度をおく魔法である。現状の俺では、片方をウリウムに受け持ってもらう必要がある。
そして、問題なのはそこだ。
会長の魔法を無効化する無系統魔法。果たして対象を選択する上で必要なキーワードは何なのか。先ほど、会長はウリウムの発現していた障壁魔法を無系統魔法で掻き消していた。会長はウリウムの存在を知らない。つまり、『ウリウムの障壁魔法』というキーワードではなかったことになる。
しかし、それだけで安心してしまうのは早計だ。
俺とウリウム、それぞれが発現した魔法を同時に消そうとした場合はどうなるのか。そもそも属性共調は2つの全身強化魔法を同一個体に並列発現させる技術のことを指すのであって、魔法そのものではない。つまり、俺が属性共調を発現するには『中条聖夜の全身強化魔法』と『ウリウムの全身強化魔法』が合わさる必要があるのだ。
果たして、会長の無系統魔法は『目の前に存在している全身強化魔法が2つ』としてカウントしてくれるのか。それとも『異なる存在が発現している全身強化魔法が2つ』としてカウントしてしまうのか。個体名を知らずとも、1人の発現者の指定をキーワードにしていた場合、2つの全身強化魔法の発現者が別々だということがバレてしまうことになる。
いや、ウリウムが発現していると言っても、ウリウムはあくまで俺のMCであり、俺の魔力を使って魔法を発現している。そう考えると、ウリウムが発現している魔法も『中条聖夜の魔力によって発現されている魔法』としてカウントされている場合もある。俺が魔法を発現する時だってウリウムを介して発現しているわけだから、俺が発現しようがウリウムが発現しようが同じとしてカウントされていてもおかしくはない。
「くそ……」
そこまで考えたところで、煮詰まっていたことに気付き頭を振る。
考え過ぎだ。
会長が無系統魔法を発現するのは一瞬。それこそ、俺が“神の書き換え作業術”を発現しているのと同じような感覚で使っている。対象の指定が必要だからと言え、そこまで詳細に判断できるはずがない。
いや、それも楽観視し過ぎなのか。
ともあれ、実際に属性共調を発現させることで確かめるなんて、怖くて試せない内容だ。
「……属性共調を使う気はない」
《じゃあどうするってのよ。あたしの心配をしてくれるのは嬉しいんだけどさ、このままじゃ負けちゃうわよ》
「……勝つだけなら簡単なんだよなぁ」
会長があのルールを提示した時点で、既に勝敗は決しているのだ。ただ、勝ち方に問題があるだけで。
《え?》
「いや、こっちの話」
これは最終手段として、だ。
これまでの戦いで、ある程度は俺の力を会長に認めさせることができた。一応、第一段階は突破できたことになる。だが、しなければいけないことはもう1つある。
俺が会長に勝って手に入れられるのは、『First』のエンブレムと質問する権利が1つ。今の俺が欲しいのは後者だ。
1つしか質問できない以上、何を尋ねるかは非常に重要だ。会長の持つ無系統魔法についても気になるところだが、優先順位は低いと言える。つまり、会長に質問する以外の方法で聞き出すしかない。
そう。
この試合で見極めるしかないのだ。
今後、会長が味方になるにせよ敵になるにせよ、会長の無系統魔法がいったいどこまで俺の魔法を消せるのかは調べておく必要がある。
だから。
「攻める手は決まった」
ゆっくりと構えを取りながらそう告げる。
《どうするの?》
まずは、対象を指定するにあたって、どの程度絞り込む必要があるのかを確かめる。
「『属性変更』かな」
★
身体強化魔法を用いた2人の喧嘩は、完全に拮抗していた。
どれ1つとして、決して有効打にはならない。最初のうちはお互い遠慮し合うような威力だったが、少なくとも今の大和はほぼ全力で応戦していた。
『はははっ!!』
思わず笑いが零れる。
『すげぇじゃねーか縁!! まさかここまで出来る奴だとは思ってなかったぜ!!』
『それはこっちの台詞だよ、大和!!』
お互いの拳がぶつかり合う。
衝撃波が生まれ、共に後方へと吹き飛ばされた。だが、それで終わりになることは無い。『水面歩法』によって川の上を自由に動き回れる大和は、水面を削りながら勢いを殺す。見れば縁も同じ行動を取っていた。
高揚していく気分を抑えきれずに大和が叫ぶ。
『てめぇみたいな奴がいるなら!! 魔法学園ってのも悪くねぇな!!』
返答を聞く必要は無い。
大和は、両の拳を自らの前で打ち鳴らす。
『無系統魔法って言葉を知ってるか、縁』
問われた縁が珍しく表情を強張らせたのを見て、大和は口角を更に歪めた。
『その反応を見る限りじゃ知ってそうだな。なら、話が早い』
大和を纏う魔力が、異質なものへと変化していく。
『無系統魔法、“装甲”。ただの喧嘩で使うのは初めてだ』
☆
短く息を吐き、構えを取る。こちらの準備が整ったことを悟ったのか、会長は目を細めながら口を開いた。
「随分と長い沈黙だったね。打つ手は決まったのかな?」
「ええ」
のほほんとした口調でそんなことを言ってくる会長へ、こう答える。
「そうやって余裕をかましていたことを、後悔させてやりますよ」
「言うね。先ほどした俺の勝利宣言は、君には届かなかったのかな」
会長が口角を歪めるのとほぼ同時、俺は地面を蹴った。
距離を詰めるのは一瞬だ。
会長が右手を掲げるのが目に入る。
タイミングが重要だ。
来るか、無系統魔法。
――――、っ!?
いや、違う!?
拳の射程圏まであと一歩のところで、俺は強引に進路を変えた。間一髪、俺の残像が残る場所へ不可視の衝撃波が炸裂する。
「“不可視の弾丸”かっ!?」
「驚くことでもないだろう? 君の攻撃を防ぐ手段なんて無系統以外にいくらでもある。それこそ、馬鹿げた威力の砲撃でもして来ない限りね」
そう口にする会長から追撃の魔法球が放たれた。先行して飛来する2発を躱し、迫る残り3発を見て――――、やっぱり『誘導弾』!!
最小限の動きで回避しようとする俺の身体に合わせるように、微妙に角度を変えてくる3発。やむを得ず、会長への攻撃を一度中断して距離を空けた。
「めんどくせぇ!!」
「おいおい、そんな言い方はないだろう? 『遅延術式解放』、『業火の天蓋』」
「はっ!?」
俺に対する文句の後、軽い調子で付け加えられた遅延魔法から発現されたのは、なんと火属性の天蓋魔法だった。紅蓮の如き赤き線が、複雑な幾何学模様を魔法実習ドームの天井付近へと描き出す。醸し出される威圧感は、アギルメスタ杯で何度も経験したそれと同じだ。
というか。
「なに息を吸って吐くが如く自然な感じで天蓋魔法なんて発現してるんすか!?」
「ははは」
ははは、じゃねー!!
抗議は途中で中断され、魔法実習ドーム内に所狭しと無慈悲の弾幕が降り注いだ。
★
身体強化魔法は、大和にとってお気に入りの魔法だった。
もともと身体を動かすのは好きだったし、喧嘩に明け暮れていた時期だ。自らの身体能力が飛躍的に上昇するその魔法は、大和にとってまさに魔法そのものだった。
そして。
その身に発現した、大和の無系統魔法。
これほど己の魔法に適したものは無い、と信じて疑わなかった大和。
その魔法が。
『「“神の契約解除術”。申し訳ないが、ただの無系統魔法如きでこの力は破れないんだ』
――――呆気なく消失した。
無系統魔法。
自分と同じ、普通とは違う魔法。
それを目の前の少年が持っていることに、なぜか大和には違和感が無かった。
むしろ。
自らよりも強い魔法を持っている少年がいることに、喜びすら感じていた。
自らの腹へと抉りこまれた拳を見て、大和は笑う。
『……ちくしょう。強えーな、お前』
悔しそうに。
それでもどこか嬉しそうな顔をして、大和は川の底へと沈んだ。
『おいおい!? 沈んじゃダメだろう!?』
次回の更新予定日は、12月18日(金)です。