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第4話 対話




 姫百合家のメイドに案内されて、この屋敷の最奥にある扉の前に立つ。ここは、青藍魔法学園の学園長である姫百合泰三(ひめゆりたいぞう)氏の書斎だ。

 俺の後ろに控えるようにして立っている美月とエマは何も言わない。TPOはしっかり弁えているようで安心だ。いや、錆びついたロボットのような動きを繰り返しているところをみると、美月の方はそんな余裕すらないのかもしれない。


 メイドが先に入室し、俺の来訪を告げる。

 やや間があって、中へと通された。

 その中には――――。


「……げ」


 中に広がる光景を見て、思わず情けない声が漏れてしまう。

 そんな俺を見て、口角を歪める男性が1人。


「対面するなりそんな反応をするとは。随分なご挨拶なんじゃないかね? 中条聖夜君」


 男性は言う。

 もっともな発言だ。失礼を働いたのは俺なのだから、ここは真っ先に謝罪をするのが筋だろう。


 しかし、だ。

 しかし。

 仮に入室からやり直しをさせられたとしても、俺がこれ以外の反応をすることはないだろう。


 入室して正面に据えられた重厚なデスク。そこに坐している人間はいない。書斎にいた人間は、皆デスクの前で立っていた。

 ただ、その待ち構えている面子が問題だ。


 青藍魔法学園理事長、姫百合泰三。

 姫百合家現当主、姫百合美麗(ひめゆりみれい)

 花園家現当主、花園剛(はなぞのごう)


 そして。

 その両脇に控えるのが。


 花園家長女、花園舞。

 姫百合家長女、姫百合可憐。


 可憐の妹である咲夜(さくや)は席を外しているようだが、だからどうしたと言わんばかりの面子である。日本五大名家『五光』の超重鎮揃い踏みだ。


 後ろから息を呑む音が聞こえる。

 それは美月かエマか。

 性格からすると美月だろう。


「さて」


 こちらの動揺を面白そうに観察していた美麗さんは、澄んだ声色で言う。


「お客様もお出でになりましたし、話を始めましょうか。どうぞ、お席へ」


 白魚のような美しい手でデスクの前のソファを勧められた。


 着席の前に退席してもよろしいでしょうか。

 なんで花園家までいるんだよぉ。







 デスクの前にあるソファは2組だ。テーブルを挟んで向かい合うように設置されている。

 泰三氏を中心に、左右へ着席する現当主たち。そしてソファの後ろへ控えるようにして舞と可憐が並んで立つ。対面に座るのはなぜか俺1人。俺の後ろに美月とエマが立った。


 なんだこの場違い感は。

 舞や可憐の方が身分的に上というか比べるまでもない存在なわけで。すっごい居たたまれないんですけど。


「まずはようこそ、と言った方がいいのかね」


 泰三氏が口を開く。


「我々の自己紹介は必要かな?」


 その視線は俺の後ろへと向けられていた。少しの間を置いて、エマが答える。


「不要です」


「そうか」


「それと、今の私はガルガンテッラではなく、『黄金色の旋律』のエマ・ホワイトです。そのように接して頂ければ幸いです」


「ふむ」


 泰三氏よりも、その両脇に座る当主2人の方が驚いている。その視線は無言で俺の方へと向けられた。「いったいどうやってここまでの繋がりを持てたのだ」といった表情だ。

 正直に言おう。


 俺が聞きたい、と。


 泰三氏は、魔法社会にそれほど精通しているというわけでもないのだろう。他2人ほどの衝撃は受けなかったようだ。泰三氏の視線が隣に座る美麗さんへと向く。頷いた美麗さんがこちらへと視線を寄越した。


「それでは、いくつかお伺いします。本来ならば、その役は貴方がたの長であるリナリー・エヴァンスが担うべきでしょうが、『めんどいから聖夜にでも聞いといて』と言われていますので」


 手が離せない用事とやらはどうしたあの女ァァァァ!!!!


「まずは確認を。聖夜君の後ろに控えているのは、マリーゴールド・ジーザ・ガルガンテッラ、及び、……鑑華美月で相違ありませんね」


「ありません」


 美月の名前を口にする際、一瞬だけ口ごもったのはなんと呼べばいいか迷ったからだろうか。これも偽名だって話だからな。


「鑑華美月さんは、鏡花水月(キョウカスイゲツ)として『ユグドラシル』に在籍していたことがある。相違ありませんね?」


 これは俺に対する質問ではなかった。現に、美麗さんの視線は俺の後ろへと向いている。


「……ありません」


 美月の声が若干ではあるが震えている。自分が犯罪組織にいたと明言しているのだ。そりゃあ恐れもするだろう。


「貴方とこうしてお話するのは初めてね」


 美月の緊張を解すためか、美麗さんは穏やかな声色でそう言う。


「は、はい。あ、あの」


 対する美月はつっかえながらだ。


「私のために尽力してくださったと聞いてます。あ、ありがとうございました」


 その礼に、剛さんは草臥れたため息とともにソファの背もたれへと身体を預けた。


「正直な話、最初にリナリーからその話を持ち出された時、『ユグドラシル』側から洗脳でもされたのではないかと疑ったよ」


 剛さんは言う。


「まあ、“氷の女王”たる姫百合美麗と単騎で世界最強とされるリナリーだ。この2人が良いようにされていたのだとすれば、こちらとしてはもう打つ手など無かったわけだが」


「あらあら、ご謙遜を」


 肩を竦めながら言う剛さんに、美麗さんが口元を手で隠しながら含み笑いを浮かべた。


「で、だ」


 美麗さんによって軽くなりかけた空気を再び剛さんが元に戻す。


「君をこの国に滞在させる手引きをした我々としては、そろそろ見返りが欲しいわけだ。それは理解してもらえるかな」


「もちろんです」


 剛さんから向けられる射殺すような視線に負けず、美月は首を縦に振る。しばらく美月を見つめていた剛さんだったが、視線が再び俺へと戻ってきた。


「聖夜君。今回は君を舞の友として呼んだわけではない。それは理解しているな」


「……はい」


 心臓を鷲掴みにされたような感覚だ。剛さんから向けられる冷徹な瞳は、まるでその感情を読ませてくれない。

 百戦錬磨の魔法使いに相応しい貫禄だった。


「我々、花園と姫百合は日本を代表する五大名家『五光』に名を連ねている。知っての通り、我々は強大と言っても過言ではないほどの権力を有しているわけだ。具体例を挙げるならば」


 じろり、と剛さんの視線が俺の後ろへと向けられる。


「国際指名手配されている犯罪者を多く抱えている“とあるグループ”の一員の戸籍を塗り替え、別人として日本の魔法学園に通わせたり、始まりの魔法使いの弟子とされた『七属性の守護者』の末裔であるお嬢さんの戸籍を塗り替え、別人として日本の魔法学園に通わせたり、だ」


 ……。

 具体例がやばい。具体的過ぎてやばい。


「しかし、我々の隠ぺい工作とて完璧ではない。例えば、既に白岡(しらおか)二階堂(にかいどう)より我々の行動に対する抗議文が送られてきている」


 げ。

 それは初耳だ。

 白岡と二階堂と言えば、花園と姫百合に並ぶ名家。すなわち『五光』の一角だ。


「現段階で岩舟(いわふね)から何の音沙汰も無いということが、逆に怪しいくらいの状況なのだよ。年末に権議会(けんぎかい)があるのは知っているな?」


「存じています」


「その意義については?」


「……国内のパワーバランスの均衡を保つため、です」


「その通りだ」


 剛さんは微塵も表情を変えずに口にする。


「『ユグドラシル』の元メンバー、そしてガルガンテッラの末裔までを、花園と姫百合が治める地へ迎え入れているという事実。それが周囲にどう映るか。理解はできるな?」


「……はい」


 周囲からすれば、爆弾を抱え込んでいるようにも映るだろう。


「結構だ。それでは、『黄金色の旋律』の一員たる中条聖夜君。君に問おう。この危険を冒してまで、君の後ろに控える2人を呼び寄せたメリットとは何だ。当然、君に対するメリットではないぞ。我々が自らの立場を危ぶめてまで得るべきメリットの話だ」


 それは、当然聞かれて然るべき質問。

 日本五大名家『五光』としての肩書きを持つ者たちは、それぞれがこの国の明暗を握るほどの権力者たちだ。常人では及びもつかないような権力を有する代わりに、その行動には責任が伴う。


 ガルガンテッラの末裔を招き入れた、という話だけならまだマシだった。

 国内のパワーバランスについては大変なことになりそうだが、有力な魔法使いを国内に招き入れることができたという点については評価されただろうから。


 問題なのは、美月。

 国際指名手配犯を多く抱えるという犯罪集団『ユグドラシル』の元メンバー。これはマリーゴールドのように良い魔法使いを手駒にできたという話だけでは済まされない。場合によっては、犯罪組織に加担したという汚名まで着せられる可能性すらあるのだ。よく向こうからアクションを起こさず、こちらが出向くまで待っていてくれたという話だ。


 当然、見返りを要求して然るべき問題。

 しかし、メリットなどあるはずがない。

 美月を学園に留まらせたかったのは、俺のただの我が儘だ。敵対組織に属していながらも、俺の身を案じ身体を張って助けてくれた美月に報いたかったからだ。マリーゴールドに至っては、俺が美月を護衛する上でのバックアップに過ぎない。


 メリット。

 美月を手元に置いておくためのメリット。


 美月が『ユグドラシル』側の情報を漏えいしてくれること?

 いや、美月がどこまで組織の内情を把握しているのかも不明だ。末端だった場合、ほとんど何も知らない可能性がある。


 そもそも、それをメリットにするのならどの程度まで聞き出せたかという話になる。

 現段階で俺は美月に対してそういった話はしていない。


 文化祭が終わった直後は美月も本調子ではなかったし、スペードからはた迷惑な招待メールが届いたのもそのすぐ後だ。それからは気が付いたら魔法世界にいたというレベルで、アギルメスタ杯に向けた地獄の特訓が始まったのだからいつ聞くのかという話だ。

 無論、こんなことは言い訳にしかならない。こっちに戻ってきてからまだ数日だが、その間に態勢を整えておくべきだったのだ。エマの人物像についてあーだこーだと言っている暇があったのなら、そっちに気を回すべきだった。

 それなら、いっそのこと素直に理由を打ち明けて頭を下げて……、いや、頭を下げて許される規模の問題ではない。頭を下げるのは当然だが、それだけでは――――。


 言葉に詰まっている俺を、剛さんも美麗さんも、そして泰三氏も誰も急かさない。ただ、黙って俺の回答を待ち続ける。プレッシャーがやばい。頭が混乱してきた。そもそもなんでこんなことになってるんだっけ。あぁ、俺の我が儘だからか。駄目だ完全に思考がループしてきた。沈黙が痛い。この静けさがまた混乱を……。


 ん?

 沈黙を貫いているこの書斎と異なり、扉の外の喧騒が徐々に大きくなってきた。混乱の真っただ中にいた俺がそれに気付いた頃には、前に座る3人も気付いていたようで、視線は既に俺ではなく扉の方へと向いている。「勝手に入られては困ります」だとか「今は別のお客様の応対で」だとか聞こえてくる。どうやら礼儀知らずの馬鹿者が、使用人たちの制止を無視してこちらへ向かっているらしい。


 ここは姫百合家のお屋敷だ。

 それって結構な一大事じゃないか?


 泰三氏が不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「お父様、私が」


 後ろで控えるようにして立っていた可憐が動く。美麗さんと剛さん、おまけに舞までMCに手を出しているあたりが心強い。まさかこんなところでドンパチはないだろうが、こちらも多少の警戒は必要か。完全な戦闘態勢へ移行しつつあったエマを手で制しつつも、ソファから立ち上がる。


 制服でここに来たが、ローブで来るべきだったか。

 可憐が扉に手をかける――、よりも早く扉は開いた。

 そして。


「やっほー」


 そんなとぼけた挨拶が第一声だった。

 ドアノブに手をかけようとして空を切った可憐は、宙で手のひらを彷徨わせながら絶句している。普通なら俺の前に坐すお偉い様方から盛大な罵声やら叱責やらが飛ぶところだろうが、今回に限って言えばそれはなかった。


 なぜなら。

 突如現れた礼儀知らずの馬鹿者の正体が。


「し、師匠……」


 魔法に携わる者なら知らぬ者などいない。

 世界最強の魔法使い、リナリー・エヴァンス、その人だったからである。







「どこまで話したのかしら」


 何食わぬ顔でどっかりと俺の隣に腰を下ろした師匠は、周囲からの非難の視線などなんのその、平然とそんな質問を投げかける。

 俺はと言えば借りてきた猫のように縮こまっていた。師匠が来たからこれ幸いと、後ろに控えている美月やエマの隣に並ぼうと思ったら、師匠に首根っこ掴まれて強引に座らされたのである。


 いや、もう俺の出番なんてないでしょ。

 ……まだ何もしてないけど。


「我々が得られるメリットは何だ、というところだな」


 師匠の質問に対し、剛さんが不機嫌そうにそう答える。


「はぁ? まだそんなところなの? 貴方たちにメリットなんてあるはずないじゃない。こっちの都合で無理してもらったんだから」


 堂々と言い放ったその発言に、書斎の空気が凍り付いた。

 この女は、……本当に馬鹿なのか?


「第一、そちらにもメリットがあるならお願いなんてせずに提案したわよ」


 しれっとそう断言しやがった。

 泰三氏は口をあんぐりと開けて唖然としているし、剛さんは背もたれに身体を預けて天を仰いでいる。美麗さんは苦笑いだ。お三方の後ろに控える舞も額に手を当てながら「あちゃあ」とか言ってるし、可憐に至っては酸欠にでもなったのか口を無意味にぱくぱくとさせていた。


 暫しの間訪れる沈黙。

 い、今のうちに帰っていいかな?


 発言者である師匠より、隣に座る俺の方が居たたまれなくなり思わず視線を泳がせる。そしてよりにもよって一番最初に剛さんと視線が合ってしまった。

 剛さんの口角が痙攣している。そりゃあ、あんな暴言を吐かれたらそうなるだろう。むしろ条件反射でブチギレなかっただけ十分に冷静だ。


 見つめ合う時間はそう長くはなかった。剛さんは、傍から見ても分かるほど意識的にゆっくりとため息を吐き出した。


「……そうか」


 そして一言。

 一番反応に困る一言である。


「そうよ」


 そして我らが師匠のこの一言である。

 ぶっちゃけこの人いない方がうまく話が進んだ気がする。

 剛さん、青筋立ってる青筋立ってる。


「ふふふ。まあ、そんなことだろうとは思いましたけどね」


 対照的に、美麗さんはそんなことを言いながら穏やかにほほ笑んだ。


「美麗、そんなことと言ってもだね……」


「はいはい、あなた。愚痴は後からいくらでも聞いてあげるから」


 泰三氏を窘めながら、美麗さんはテーブルの上にあった綺麗な銀ベルを鳴らす。程なくして扉がノックされた。


「入りなさい」


 泰三氏が入室を促す。姿を現したのはメイドだ。見たことがあるメイドだと思ったら、俺が日本に戻ってきて一番最初に姫百合家を訪れた際、ここまで案内してくれたメイドだった。名前が思い出せない……。


「お客様を客間にお通ししてちょうだい」


「畏まりました」


 メイドが恭しく一礼する。美麗さんの視線が俺の後ろへと向いた。


「エマ・ホワイトさん、鑑華美月さん。申し訳ないのだけれど、一度席を外してもらえるかしら」


「聖夜様」


 美麗さんには返答せず、俺の後ろで控えていたエマは真っ先に俺の名前を呼ぶ。


「エマ、美月。悪いが言う通りにしてくれ」


「……畏まりました」


 エマの声色からは渋々といった感じが伝わってきた。なんでだよ。この場所から退散できるんだぞ。泣いて喜べよ。なんで美麗さんは俺も退席させてくれないんだ。

 理由は1つ。


 今回の案件、その全てが俺のせいだからだ。

 もうやだ胃に穴が開きそう。


「わ、分かった」


 美月も遅れて頷く。


「それでは、こちらへどうぞ」


 メイドに先導されて2人が書斎から出ていく。

 メイドが扉の外で一礼し、微かな音すら立てずに扉を閉めた。


 退路は断たれた。

 これから始まるのは吊し上げだ。

 世界最強の魔法使いに、学園の理事長、日本五大名家『五光』当主が2人、そしてその跡継ぎたち。そこに取り残された非力な魔法使いが1人。


 儚い人生だった。


「さて」


 数々の思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡り出したところで、剛さんが現実に引き戻す一声を放った。


「聖夜君を虐めるのはこの辺りでやめておくとしようか」


 ……。


「は?」


 立場も忘れて思わずそんな一言を放つ。

 そんな反応を見ていた舞が、眉間に皺を寄せながら自らの前に座る父親を睨みつけた。


「性格悪いわよ、パパ」


「いや、すまんすまん。ただ、この程度の児戯は許してもらわないとな。正直、骨が折れる案件だったのは間違いない。姫百合と違い、こちらに負い目は無かったんだから」


 言ってる意味が理解できない。

 隣に座る師匠の顔色を窺ってみるが、真意はまるで分からなかった。仕方なく、再び視線を剛さんへと戻す。


「『鏡花水月(キョウカスイゲツ)』を青藍へと迎え入れるに辺り、我々にメリットが無いことなど百も承知だったということだよ、聖夜君。彼女は末端の末端だろう。価値ある情報など持ってはいまいよ」


 俺の考えを見透かしていたかのようなことを言う。

 ただ、それだと話が合わない。


「ならば、どうして協力して下さったのですか? メリットが無いと知りながら」


「姫百合家は、貴方に借りがありましたから」


 答えたのは剛さんではなく美麗さんだった。

 借り?

 そんなもの作った憶えはないぞ。


「護衛の話をしているのですか? それとも誘拐騒動を起こした元凶を潰したことですか? どちらにせよ、それに見合った金額は頂いていますが」


 むしろ、あれだけ失態を晒したのに全額頂いたことが申し訳ないくらいなのだが。


「いいえ、その件ではありません」


 美麗さんは首を振る。


「その件については、私が話そう」


 泰三氏が口を挟んできた。おもむろに立ち上がる。


 そして。

 俺に向かって、いきなり頭を下げてきた。


 はっ!?


「ちょ、ちょっと、どうしたんですか急に!? 頭を上げてください!!」


「いいえ、そういうわけには参りません」


 そう口にした美麗さんも立ち上がり、頭を下げてくる。

 意味が分からない。


「中条さん」


 後ろに控えていた可憐が俺の名を呼ぶ。


「これは前回の選抜試験のお話です。お忘れではないはず。貴方の特異体質に対する、あるまじき差別発言を」


 ――――“出来損ないの魔法使い”。


 正直なところ、もう忘れかけていた。

 波乱の選抜試験のきっかけとなった出来事なんて。

 むしろ、その後の反省文やらとある先輩との大喧嘩やら会長からの無理難題やらの方が強烈過ぎて、すっかり頭から抜け落ちていた、という方が正しいかもしれない。

 だからこそ、余計に面を喰らってしまった。


「中条聖夜君。この度は、君に大変不快な思いをさせた。学園の理事長という肩書きを持ちながらこのような事態を招いてしまったのは、全て私の力が及ばなかったが故だ。本当に申し訳ない」


 頭を下げたまま、泰三氏が言う。


「……頭を上げてください」


「しかしだな」


「上げてください」


 少しだけ強い口調で願い出る。ようやく泰三氏と美麗さんは頭を上げてくれた。


「気にしていません。それに、どのような思想を持とうがそれは個人の自由です。そして、それを表に出すかどうかは個人の判断です。あの一件が学園の責任だとは、私は考えていません」


 これは本心だった。


 学園内で起こる問題や衝突、その全てが学園のせいだと俺は思わない。もちろん、学園が責任を負うべきケースもあるだろうが、少なくとも今回のがそうだとは思っていない。俺が呪文詠唱できないのは事実だし、“出来損ないの魔法使い”にカテゴライズされる人間だということもまた事実。考えることすら許さない環境を作り上げるのなら、それはもはや教育ではなく洗脳だろう。


「ふぅん」


 俺の隣で黙って成り行きを見守っていた師匠が、感心したかのような声を漏らした。


「何です?」


「別に。少しは成長したのね」


 そうなのだろうか?

 確かに以前ほどの劣等感を感じることは無くなったが。

 もしそうだとするならば、やっぱり俺にとって生徒会という居場所は大きいのかもしれない。俺の意識が変わっているのだとすれば、やはりきっかけはそこしかないだろうから。


「言った通りだろう?」


 立ったままの2人へ、剛さんは口角を歪めながら言う。


「聖夜君はその件を盾にしてこない、とな」


「ええ、その通りでしたね」


 剛さんの言葉に、美麗さんが微笑んだ。泰三氏は草臥れたため息を吐きながらソファへと身を沈める。美麗さんも席に着いたところで、剛さんの視線が俺へと戻った。

 そういえば、俺の質問にまだ答えてもらっていない。


「姫百合家の事情は分かりました。どうあれ、美月とエマの件で尽力頂いたことには感謝しています。しかし、剛さんご自身がおっしゃっていましたが、花園家はなぜ?」


「それこそ簡単に分かりそうなものだろう?」


 剛さんは不敵な笑みを浮かべながら正解を口にする。


「優秀な魔法使いへでかい貸しを作る。それ以上の理由は必要か?」


 予想外の高評価に、思わず言葉を詰まらせてしまった。そんな俺の感情を意図的に無視してか、剛さんは構わずに続ける。


「さて、それでは鑑華美月君とマリーゴー……、失礼。エマ・ホワイト君を呼び戻そうか。『ユグドラシル』に関して、少しでも新たな情報が手に入るといいのだが」

 次回の更新予定日は、10月16日(金)です。

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