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第16話 “とりあえずお前は地獄に堕ちろ”




「……ホテル突き止められたってさ」


「何?」


 しかめっ面をしながらクリアカードから視線を外した蟒蛇雀。彼女からの報告を聞いた龍が眉間にしわを寄せた。豪雪となった闇夜を駆ける2人の動きが止まる。


「何でバレた。……いや、あれしかないか。魔法聖騎士団(ジャッジメント)に嗅ぎ付けられたのが予想以上に早かったせいで後始末できなかったからな」


「なんでそんな他人事のように言ってんのよ。分かってんのあんた。魔力痕跡を採取されるってことは、犯罪者が指紋を採取されるのと同じことなんだからね」


「わぁーってるよ。面倒くせぇ。んで、追手は? 始末するか?」


「クランベリー・ハート」


 蟒蛇雀の端的な答えに、龍が目を丸くする。そして、がっくりと肩を落とした。


「……マジかよ。それじゃあアオバも通過できねーな」


「どうすんの。クルリアに潜伏?」


「そっちもバレてると考えた方がいいだろうな」


 頭を振りながら龍は言う。


「じゃあどうすんのよ。殺す? 喜んで手伝っちゃうけど、私」


「殺さねーよ。ここで『トランプ』を始末してみろ。国際指名手配犯の出来上がりだ」


 始末できるかどうかも分かんねーしな、とは口に出さない。


「既に似たようなものでしょ?」


「全然ちげーよ。まだ指名手配はされてねーだろ。はぁーっ、ボスに頭下げるしかねーかぁ」


 龍は頭を掻き毟りながらクリアカードを取り出した。その光景を目にした蟒蛇雀が鼻を鳴らす。


「ほんとあんたって小さいオトコだよね~」


「リスク管理がしっかりできてるって言え」


 棘のある批判を軽くあしらう龍。蟒蛇雀は大きくため息を吐き出した。


「……どこへ行く?」


 踵を返し、そのままどこかに行こうとする蟒蛇雀。龍はクリアカードへ視線を落としたまま、その背中へと声をかけた。


「あのさぁ、なんでわざわざ私がここまで出張ってきたと思ってんの?」


 不機嫌そうな表情を隠そうともせずに、蟒蛇雀が振り返る。殺気にも似た気配が漂い出した蟒蛇雀だったが、龍はさほど気に掛けた様子も無く答えを口にした。


「あぁ……、バックアップね」


 舌打ちが1つ。


「何で私がこんな面倒くさい役回りをしなくちゃいけないんだっつーの」


「そう言うなよ。日本の魔法学園でも大活躍だったんだろ? リナリー・エヴァンスから奪われずに死体を持ち帰れた、ってボスが褒めてたぜ」


「殺すよ、あんた」


「おー、こえーこえー。それじゃあ俺はボスへ連絡してドロンさせてもらうぜ」


 蟒蛇雀は2回目の舌打ちをすると、音も無くその場から消えた。







 跳躍と同時に、無常の身体から膨れ上がる膨大なる魔力。

 それは瞬く間に形を成した。


 無常の背中から生えるのは、剛腕が4本。


「……どこの阿修羅(あしゅら)様だよ」


 口が塞がれているおかげで契約詠唱を防げているのはいいが、それだけで安心できる状況ではなくなった。無常の発現していた土属性の全身強化魔法『堅牢の型(ブラウン・アルマ)』はまだ生きている。俺を殺し得る拳という凶器が、無常にはあと5つあるのだ。

 そのうちの1つが拳を握りしめる。濃密な魔力が纏わりつくのを感じ取った。


《っ!? あれはちょっと不味いわよ!! マスター!!》


「だろうな!!」


 積雪を蹴って跳躍する。

 但し、後方にじゃない。


 前方に。


《マスター!?》


「あまり魔法を使うなって言ったのはお前だろう? 逃げ回る長期戦なんてやってられるか」


「があああああああああああああああっ!!!!」


 右の拳を口に突っ込んだままの無常が吼える。

 そして、拳の着弾。

 純白のカーペットが爆ぜた。

 直径がキロ単位にも及ぶほどのクレーターが築き上げられる。


「見かけ倒しじゃねーよな、やっぱ」


 衝撃によって空へと舞い上がっていた大量の雪は、遅れて地面へと再び降り積もった。紙一重のところで身体を翻し、その脅威から外れたところで呟く。


《当たり前でしょ!? あんなの喰らったら一瞬で挽肉になるわよ!!》


 俺の腕に装着されたMC『虹色の唄』、――――ウリウムが叫んだ。その声を聞き流しながら積雪を蹴る。


《え、ちょっと、今度はどうするのよ》


 無常が立つ位置とは逆方向へ走り出した俺へ、ウリウムが問いかけてきた。


「逃げる」


《え》


「逃げるって言ったんだよ。あんな化け物と手負いの状態で戦えるか」


 せめて“神の書き換え作業術(リライト)”くらいは使えないと話にならないだろう。


《さっき逃げ回る長期戦は云々言ったなかったっけ!?》


「逃げ回りながら隙を窺うような長期戦はやってられない、って意味だ。今の俺がやってるのは完全な逃走だ。それはもはや戦いではない。一緒にするな」


《なんで逃げ出してるのにそんな偉そうなのよ!?》


 ピーチクパーチクうるさい奴だ。細い路地裏のような道を右へ左へと駆け回る。ただし、視界にはエルトクリア高速鉄道の高架線が絶えず入るような状態にして、だ。

 次に来た電車に飛び乗る。そのためには高架線を見失うわけにはいかない。


 後ろを振り返るが、無常が追ってきている様子は無い。向こうの一撃に合わせて逃走を始めた。見失ってくれたか?

 いや、それは楽観的過ぎるか。


「虹――、ウリ、……なんて呼べばいい」


《ウリウムでいいわよ。で、なに。マスター》


「さっき接続(リンク)がどうの言ってたな。お前は俺の魔力を使って魔法を発現できるって認識でいいんだな?」


《そうね》


「どの程度の魔法までなら発現できるんだ?」


《お望みなら貴方たちの言う属性奥義とやらでも発現してあげましょうか?》


 ……まじで?

 衝撃的な発言に、思わず逃走の足が止まりそうになる。


《流石に冗談よ。そんな大魔法はあたしの本体が近くに無いと無理でしょうね。天蓋魔法くらいならそのうち発現できるかもしれないけど、接続(リンク)が弱いし今はまだ無理かな? 魔法球、障壁、捕縛、それから身体強化に全身強化を貴方に掛けるくらいならイケると思うわよ》


 想像以上にハイスペックだった。

 ……俺より優秀じゃねーか。それだけできれば十分だよ。


「お前が使っているのは契約詠唱だよな? 専用の魔法具と契約しているのか?」


 聖杯や巻物は人じゃなくても契約できるのだろうか。


《はぁ? 何を勘違いしているのか知らないけど、貴方が契約詠唱と称した詠唱技術は、もともとあたしたちの物よ。それを人の身でも発現できるようにと四苦八苦した結果が契約詠唱》


 なんか驚愕の新事実を突き付けられた気がするんだが。


《その手伝ってあげた対価として、この名前を貰ったんだけどね~》


 ふふん、と自慢するようにウリウムが言う。

 そうか。どこかで聞いたことがあったと思ったが、やっぱりあの「ウリウム」なのか。

 ガルガンテッラの末裔といい、このMCといい、雲の上の存在であるはずの『七属性の守護者』にやたらと縁がある気がするな。色々と聞いてみたいことが湧き上がってくるが、今はよしておこう。


「なら、戦力としてカウントしてもいいんだな」


《もっちろん。そこは期待していいわよ。……と、言いたいところだけど、逃げられるなら逃げた方がいいわ。接続(リンク)も不完全な状態じゃあ荷が重すぎるから》


 やっぱり結論としてはそこに行き着くのか。


《あぁ、それに、あたしは水しか操れないからね。だからこその「ウリウム」なんだけど》


 なるほど。


 アギルメスタは火。

 ガルガンテッラは闇。

 そして、ウリウムは水だ。


 そんなことを話しているうちに、再び電車特有の金属音が聞こえてきた。


「……来たか」


《なにが?》


 ウリウムの問いには答えない。徐々に大きくなってくる金属音を聞きながら、高架線との距離を詰めていく。正直、近づいてくる電車がフェルリア方面に向かっているかどうかなんて分からない。飛び乗る瞬間に行先が確認できればいいが、確認したところで理解できるかどうかも分からない。魔法世界の正面玄関がある「アオバ行き」と書かれていれば間違いないのだが……。


 そこは飛び乗ってから判断するしかないだろう。

 視界に標的となる電車が入った。


「っ!!」


 地面を蹴りあげる。高架線の柱に足を蹴り、更に上へ。


《え、ちょ、ちょっとマスター!?》


 上る。上る。上る。

 迫る走行音。

 すぐ頭上に見えるのは壁。伸びる突起物で身体を支え、側壁へと移動。壁をよじ登る。

 すぐ真横で轟音。電車が通過する音。


 そして。


「っ、らあっ!!」


 壁を登りきり、最後の跳躍。

 高速で走り抜ける電車の屋根へと飛び乗った。


「っしゃあぶぶぶぶぶぶぶぶぶ!?」


 容赦なく襲いくる突風に耐えきれず、後ろへ転がり出す。連結部分にある繋ぎ目でなんとかその勢いを止めることができた。


「あっぶねぇ!!」


 車体の隙間と隙間に身体を潜り込ませる。風除けにはいいが、足場が悪く危険極まりない。踏み外したら瞬く間に轢き殺されることになるだろう。


《なんてことをしてるのよマスター!! 危ないわね!! それに切符は!?》


 余計な知識まで持ってやがるな。

 駅でもない場所から飛び乗った俺がそんなものを持っていると思うか。


《は、犯罪じゃない!! 許されることじゃないわよ!?》


「無常との戦闘場所は家が倒壊しまくってるんだぞ。犯罪とか今更だろ……」


 悪いとは思うけどさ。命がかかった非常事態に券売機の操作なんてしてられるか。……いや、今はクリアカードがあるから切符を買う必要は無いのか。いやぁ、駅から乗れたらなぁ。タッチできたんだけどなぁ。はい、すみません。無事に助かったら正規運賃はきちんと駅員に払うとしよう。スペードから貰った金で。


 無事に助かったらな!!


「あまり魔法を使うべきじゃないんだろ? 少しくらい大目に見てくれ」


 移動手段として電車という手段が使えるなら使った方がいい。まだ少し頭が熱いのは事実だしな。

 意外と現代文化の知識を持っているウリウムへそれだけ告げ、顔を車体の隙間から出そうとしてやっぱりやめる。風が強すぎる。顔なんて出せそうにない。……行先を見たかったんだけどなぁ。これ逆方向へ向かう電車だったらやばいぞ。

 まあ、それならそれで、大闘技場が見えたら飛び降りて『トランプ』に泣きついてしまえば解決か。


《で、どうするのよ。これから》


「とりあえず、この電車で――――っ」


 激しい衝撃が襲ってきた。

 次いで感じる浮遊感。


「はっ!?」


 そう、浮いている。


 いや。

 電車ごと吹き飛ばされている。


「うっ!? うおおおおおおおおおお!?」


 重力に引っ張られて一気に落下していく。間違いない。無常によって電車ごと高架線から吹き飛ばされた。鋼の塊が視界いっぱいに広がっている。

 これは、まずい!?


「くそっ!?」


 魔法によって強化された身体で、電車が電線から電気の供給を受ける装置を掴み、落下する車体の上へと跳ね上がる。

 乗客を助けることは――、


《馬鹿なことを考えるのは駄目だからね!!》


 ウリウムのその咆哮にも似た声が、一瞬の決断を鈍らせた。


「っ!?」


 車体から飛び上がり、地面から垂直に立つ高架線の柱へと着地。俺の身体へと掛かる落下の勢いを完全に殺す。

 それとほぼ同時に、5両編成から成るエルトクリア高速鉄道が地面へと叩き付けられた。凄まじい轟音が辺り一帯へと響き渡る。咄嗟に展開した防音魔法が無ければ鼓膜がイカれるくらいの音量だった。


「あの野郎、やりやがった!!」


 怒りのあまり咆哮する。

 まさか一般人への配慮を一切せずに攻撃してくるとは。

 幸いにして車両が落ちた場所に民家は無い。それでもほぼギリギリだ。通行人がいなかったという保証はない。


 柱から飛び降りる。その間に気付いた。

 人が破損した車体から避難しようとする気配がまったくない。


 まさか全員……。

 いや。

 車体側面の行先には――――、「回送」の文字。

 つまり、人は乗ってなかった……?


 魔法で風を発現して着地の衝撃を和らげる。

 いや、安心するのはまだ早い。運転手や車掌は? 通行人も本当にいなかったか?


 着地と同時に走り出す。目的の場所は先頭車両の運転台だ。


《マスター!!》


 ウリウムの声が聞こえたのと、隣の車両へ魔法球の嵐が殺到したのはほぼ同時だった。衝撃への対策はそれなりにされているであろう車両がベコベコにへこんでいく。


「クソ野郎がっ!!」


 最後の一歩。

 横倒れになっている運転台の前面ガラスから中をのぞき込む。

 運転士は……、いない!!

 これは無人電車だったか。

 まさか運転士はいないが車掌はいる、なんて電車は無いだろう。


 安堵のため息を吐く暇もなく、第二射が来た。目の前にあった先頭車両が蜂の巣にされていく。その光景を車体の陰に身を隠しながら目にした。


 呼吸が荒くなる。

 安堵の後に湧き上がってくるこの感情は。


「……あのクソ野郎、許さねーぞ」


 怒りだ。

 あいつは、この電車が回送電車だと知っていて攻撃して来たのか?


 否。

 無いとは言い切れないが、可能性は限りなく低いだろう。人命を考えるのならば、電車を高架下に吹き飛ばすような真似はしないはずだ。

 今、この瞬間にも電車の下敷きになっている人間がいないという保証は無い。


《マスター!! どうするのよ!! 逃げるんじゃなかったの!?》


「……もう、逃げねーよ」


 自分でも驚くほど低い声が出た。


《マ、マスター?》


 分かってる。この怒りが身勝手なものだってことくらい。電車を逃走手段として選んだのは俺だ。そうだ、俺は一般人が乗っているであろうことを踏まえた上で、それでも電車を選んだんだ。それを攻撃してきた無常を恨むのはお門違いなんだろう。


 ……けど、それがどうした。


《ちょっとマスター!?》


 ウリウムの制止の声を振り切り、破損した車体の上に立つ。見上げた先に奴はいた。電車が吹き飛んだ高架線の上。無常は素直に姿を現した俺を見て、若干眉を吊り上げたがそれだけだった。

 無常が高架線の側壁を蹴り、落ちてくる。横倒しとなった車体へと着地した。衝撃で車体の1つが「く」の字に折れ曲がる。ゆっくりと立ち上がった無常は、周囲へと軽く目を走らせた。


「……ふむ。周囲に人はいないか。人避けの結界を張らずに済むのは嬉しい誤算だな」


「……あ?」


 つまり、人がいなかったのはたまたまだったってことかよ。救いようの無いクソ野郎だな。


「まったく、面倒なことをしてくれたものだ。個人的には、貴様よりも貴様と共にいた女を先に始末したいところだが……、まあ、貴様を捕えて居場所を吐かせるとしよう。跳ばした先は分かっているだろうからな」


 血だらけの右拳は無常の口から離れていた。ヴェラの“命令(オーダー)”の効力は消えたか。右は使えないとしても、こいつには左腕と背中に魔法で発現した4本の腕が残っている。契約詠唱も使えるようになっているわけだから、戦闘能力はむしろ上がっていると考えた方がいいだろう。


《マスター、考え直して!! この男の実力はあたしの想定以上よ!! 今のマスターじゃあ、あたしのサポートを入れても勝てない可能性が高いわ!! ちょっと聞いてるのマスター!?》


「逃げない、ということは逃走が無意味であることは悟ったようだな。ならば念のために聞いておこう。我は天地神明(アマチカミアキ)の名の下に、貴様を捕えに来た。大人しく捕縛されるというのであれば――」


「ありがとな」


「――何?」


《マスター!? マスター!!》


「あんたは、やっちゃいけないことをした。そのおかげで……」


 無常の反応を見るに、俺にしか聞こえていないであろうウリウムの声を無視して続ける。




「俺は、あんたのことを躊躇いなく殺せそうだ」




 俺の言葉に無常の身体が硬直した。信じられないものでも見るかのような目で、俺へと視線を合わせる。


「……我の聞き違いか? まるで、やろうと思えばいつでもやれた、と言われたように感じたのだが」


「やれるやれないじゃねーよ。とりあえずお前は地獄に堕ちろ」


 全身強化魔法『迅雷の型(イエロー・アルマ)』を発現させた。迸る青白い稲妻に、無常が顔をしかめる。


「属性優劣で優位に立った、というだけで勝負を制したつもりでいるのならば……。随分と甘い考えの持ち主である、と言わざるを得ないが」


「御託はいいからさっさとかかってこい。あんたは俺程度なら余裕で殺せるんだろ?」


「……殺す気はない。捕縛するだけだ」


 律儀に答えてくる無常を鼻で笑い飛ばす。


「なら、きっちり意識を奪ったうえで捕縛するんだな。隙を見せたら舌を噛んで自害するかもしれないぜ。あんたが失敗した自害方法程度なら、俺はきっちりこなせるからな」


「……いい度胸だ、小僧!!」


 俺からの明確な挑発に荒げた声を上げながら、無常は己の左手を地面へと叩き付けた。それに呼応するようにして、横倒しのままとなっている車両を中心として、四方に土によって構成された壁がそびえ立つ。


「囲いか。もう逃げやしねーってのに、ご苦労なことだ」


 そう吐き捨てる俺を睨みつけたまま、無常が一歩を踏み出した。

 先手を取らせるつもりはない。こちらも一歩を踏み出そうとして――――。


「っ!?」


 凄まじい衝撃音と共に車両から突き出してくる土の槍。一瞬で発現されたそれは、俺の目と鼻の先を突き抜ける。髪の毛が数本もっていかれた。そして、その回避行動の隙を突いて肉薄していた無常が、計5本から成る拳を握りしめる。


「下手な抵抗は、それだけ自らを苦しめる悪手であると知るがいい!!」


「思い知らせてみろよクソ野郎が!!」


 引きはしない。むしろ無常との距離を詰めるべく積雪を蹴る。青白い稲妻の本流と共に、無常との最後の一歩を詰めた。それに反応し、振るわれる4本の剛腕。


《ちょ、マス――》


 1本目を身を翻して躱し、2本目はその下を掻い潜る。3本目は左に身体を流すことで避け、4本目を――――。


「駄目かっ!?」


 即座に判断。

 跳躍して後退した。

 無常の放つ拳が横倒しになっていた車両を穿ち、衝撃によって連結する両サイドの車両が浮き上がる。


 避けようと思えば4本目も避けれただろう。しかし、無常にはまだもう1本腕がある。魔法によって発現した4本の剛腕ではなく、あいつ本体の腕が。片腕はヴェラの無系統魔法によってほぼ戦闘能力は失ったとみていいが、片腕は使えるのだ。おそらく、俺がもう一歩踏み込んでいたら容赦無く吹き飛ばされていたはずだ。


 属性優位によって、こちらの攻撃のある程度は無常へと届く。

 しかし、向こうが攻撃で用いてくる一撃は非常に強力だ。こちらの全身強化魔法の守りを容易く貫通してくる可能性が高い。


 ならば。


《分かったでしょマスター!! 近接戦闘に持ち込む前に殺されるわよ!?》


「うっせぇ!! どちらにせよ逃がしちゃくれねーよ!!」


 四方を囲う壁は20mは優に超えているだろう。全身強化魔法を使っている今なら越えられなくはないが、隙を見せれば確実に仕留められる。逃走という手段はもう取れない。

 身を屈めた無常へと“不可視の弾丸インビジブル・バレット”をぶち込む。魔法世界に充満する濃密な魔力がその威力を更に後押ししているはずだが、それでも無常にダメージは通らなかった。背中から生えた4本の腕が交差し、衝撃から無常本体を守る。


 そうだよな。

 充満する濃度の高い魔力によって強化されているのは向こうも同じだ。こちらだけが強化されているわけじゃない。


「全てが無駄だ!! 中条聖夜!!」


「っ!? くそっ!!」


 でかい図体の割に動きが俊敏過ぎる。一歩で瞬く間に距離を詰める無常。その振り抜いた2本の腕を、屈むことでやり過ごした。轟音と強風が頭上を吹き抜ける。屈んだ俺の眼前には、残る2本の腕。アッパーのような角度で振るわれるそれを右に身体ごと逸れることで回避した。風圧で身体のバランスが崩れる。その一瞬の隙を突かれ、無常本人の左腕が俺の喉元を掴み上げる。


「ぐっ!?」


「捕え――がっ!? がああああああああああああああああああああっっっっ!?」


 無常が勝利宣言をするよりも早く、俺の“神の書き換え作業術(リライト)”を纏った手刀が無常の左腕を切り落とした。喉元に喰らいついたまま離れない無常の左腕を引き剥がして放り棄てる。両断された傷口から鮮血が溢れ出した。


「きっ、貴様ァァァァ!!」


「自分の無能さを恨めつったろーが……、へへっ、ざまあみろ」


 脂汗を滲ませつつ咆哮する無常から距離を空ける。追撃を仕掛けようとしたが、思考を貫くような痛みがストップをかけた。


《貴方本当に廃人になりたいわけ!? 使っちゃ駄目だって言ったでしょう!?》


「……なりたくはねーよ」


 正直、“不可視の糸(インビジブル・ライン)”とどちらで切り落とすか悩みはした。しかし、“不可視の糸(インビジブル・ライン)”では、延長線上にある全てを両断してしまう。大闘技場内の管理された空間とは違い、ここには防護結界など張られていない。おまけに魔法世界の魔力濃度は非常に濃い。そうなると、“不可視の糸(インビジブル・ライン)”によって生まれる被害がどこまで大きいものになるか、判断ができないのだ。四方を囲う壁が崩れるだけならまだいいが、その先にある民家まで両断してしまうとまずいことになる。


 まさか適当に試してみるわけにもいくまい。


《嘘仰い!! あれだけあたしが駄目だって言ってるのに――》


「『地底(ちてい)()(いの)りの(おう)よ』『(われ)(いにしえ)契約(けいやく)を』」


「悪かった悪かった。それより無常の野郎が契約詠唱をしてるから迎撃を頼む。少しだけ休ませてくれ」


 頭が割れる。本当にぱっくりいきそうだ。それでもこの程度で済んでいるのは、ウリウムの治癒魔法によって若干ではあるが持ち直していたおかげだ。


「「『万物(ばんぶつ)(ささ)える原初(げんしょ)(つち)よ』『(つかさど)る128の精霊(せいれい)よ』」


《えぇい本当に最低な人ね!! 貴方って人は!! 『万物(ばんぶつ)(つつ)原初(げんしょ)(みず)よ』『(つかさど)る256の精霊(せいれい)よ』》


 俺の体内からぐんぐんと魔力が吸われていくのが分かる。


「『飛翔(ひしょう)怒涛(どとう)(てき)(つらぬ)け』『土の球(サンディ)』」


「『飛翔(ひしょう)泡沫(うたかた)(てき)(つらぬ)け』『水の球(ウォルタ)』」


 詠唱はほぼ同時に完了した。


 俺と無常。

 お互いの背後から数えるのも馬鹿らしくなるほどの魔法球が射出される。それらは両者の立つほぼ中間地点で激突。ただし、ウリウムが発現した魔法球の方が見て分かるほどに多い。


「馬鹿なッッッッ!!」


 無常が吼える。

 水は、土に弱い。

 にも拘わらず、2種類の魔法球は衝突と同時に弾けて消えた。むしろ、発現した数の少ない無常の元へと打ち漏らしが殺到し、無常は防戦一方を余儀なくされる。その隙を突こうとしたが、足元から突き出してきた土属性の槍に牽制された。


「どういうことだ!? この魔法球の数は無詠唱で発現できる数を超えているはずだ!! 貴様、どんなトリックを使った!?」


 やはりウリウムの声は俺にしか届いていないようだ。そうなると俺が無詠唱で発現しているように見えるわけだ。こりゃ色々と好都合だな。

 無常の元へと殺到した魔法球は、背中から生える4本の剛腕で全て防ぎ切られた。


「……あの量を全部防ぎ切るのかよ。無茶苦茶だなあの男も」


 頭を押さえながら呻く。


《マスター!! また魔力を貰うわよ!!》


「ああ、頼む」


 無常が契約詠唱を唱え始め、ウリウムがそれに応じる。


「『土の球(サンディ)』!!」


《『水の球(ウォルタ)』!!》


 再び馬鹿みたいな数の魔法球が弾け合った。そして打ち漏らしを無常が剛腕で振り払う。完全に先ほどの光景と同じだ。これ以上やっても結果は変わらないだろう。


「ウリウム!! 俺も動く!!」


《絶対に無茶は駄目だからね!? 絶対よ!!》


 この状況下で戦う以外の選択肢しか取れない時点で、もう無茶するしかねーんだよ。

 全身強化魔法『迅雷の型(イエロー・アルマ)』の力を借りて跳躍。無常との距離を詰める。


《『隷属(れいぞく)泡沫(うたかた)青藍(せいらん)(かせ)』『激流の蔦(バブリアーラ)』》


 俺の動きに合わせるようにして、ウリウムの捕縛魔法が発現する。

 が。


「ぬんっ!!」


「げっ!?」


《うそっ!?》


 こいつ、ウリウムの捕縛魔法を剛腕で強引に吹き飛ばしやがった!?

 無常の口角が歪む。

 足元に違和感を感じた瞬間には、土属性の槍が飛び出してきていた。


 まさに必殺のタイミング。

 しかし。


《させない!! 『激流の壁(バブリア)』!!》


 俺と槍の間に水属性の障壁が展開する。一瞬の拮抗の後に障壁が砕けたが、一瞬さえあれば十分だった。身を翻すことでそれを躱し、いったん距離を空ける。

 激しい戦闘の合間に、つかの間の沈黙が下りた。


《貫通力が高い。属性優劣、それに直接詠唱で威力が弱まっているとはいえ、あたしの障壁があんな簡単に……》


 ウリウムの呆然とした声が耳に届く。


「……中条聖夜。呪文詠唱ができぬ身だと聞いていたが、間違いだったのか。貴様がここまでの使い手だとは、想定の範囲外だ」


 深く被るローブの下で歯ぎしりをしながら無常はそう言った。

 右拳をヴェラの“命令(オーダー)”に逆らった代償として献上し、左腕は俺の“書き換え(リライト)”を用いた手刀によって切断されている。


 対して俺はまだ五体満足。

 これだけ見ればこちらが完全に優勢で事を進めているようにしか見えない。

 ただ……。


「決め手に欠けるな。このままじゃジリ貧だぞ」


 両腕が使い物にならなくなったとはいえ、無常には自らが魔法で生み出した4本の剛腕がある。正直、あまり有利になった気がしない。“神の書き換え作業術(リライト)”による副作用が襲ってきている分、むしろこちらの方が不利だ。


「このままジリ貧で終わるくらいなら……」


《駄目よ!! 絶対に駄目!!》


 無理してでも“神の書き換え作業術(リライト)”を。

 そう続けようとして、ウリウムに止められる。

 直後、無常から無詠唱で魔法球を打ち込まれた。無詠唱であるがゆえに数は多くないが、当たればそれなりのダメージは入る。慌てて無残な姿のまま横倒しになっている車体の陰へと転がり込む。


「ふん!! 隠れても無駄だぞ!! 中条聖夜!!」


《それだけは駄目!! 貴方は自分の脳がどれだけ危険な状態にあるのか分かってないのよ!!》


「ならどうしろってんだ!? お前だってまだ大魔法は使えないんだろ!? 現状じゃあ時間を稼ぐのだって精一杯だし、俺の全身強化魔法も相手に近づけなければ意味を成さない!! 助けが来るかも分からない状態なんだ!! 無系統魔法が使えるうちに使わねーと!!」


 無常の魔法球の乱射が車体の一部を吹き飛ばした。舞い上がる積雪に乗じて別の車体の陰へと移動する。もういい加減、覚悟を決めるべきだろう。


《もう使える状態じゃないって言ってんのよ!!》


「どちらに転んだって死んじまうならいっそのこと――」


《1つだけ!!》


 ウリウムの咆哮にも近い叫び声が俺の言葉を止めた。


《1つだけ、無系統魔法を使わずとも、あの男を圧倒できるかもしれない手段がある》


「……なに?」


 無常を圧倒できる手段がある?

 魔法球の着弾によって響く轟音が、一瞬だけ遠くに聞こえた。


《ぶっつけ本番ってあんまり好きじゃないんだけど。まぁ、それを言うなら今回のあたしとマスターの接続だってぶっつけ本番だったし……》


「なんだよ、その手段って」


 無系統魔法を使わずに済むならそれに越したことはないだろう。

 ウリウムが渋々といった口調でこう言った。


《『属性共調』よ》

次回の更新予定日は、8月7日(金)です。

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