第15話 覚醒
★
「親父、俺だ。黒堂から連絡が入った。火車が魔法世界入りしたらしい。ああ、そうだ。いや、そちらは確認できていないが……、ああ、火車が入ったということはあいつらだろう。ああ、ああ。了解した。それではこちらも撤収する」
通話を終えたクリアカードを懐にしまい、革張りのソファーから青年が立ち上がった。
「撤収だ」
「中条聖夜へのフォローは構わないでござるか?」
「同じ『五光』が動くんだ。後は勝手にやってもらえばいいさ。そもそも、中条聖夜の管理は向こうの仕事だ」
「承知」
従業員や警備員の言葉を無視するようにして、2人組の男はVIPルームから去る。
☆
「あがあああああああああああああああああああ!?」
鮮血が吹き出し、足元の雪へと滴り落ちる。血の主は当然ながら無常だ。口元から吹き出している。
しかし。
「こ、こいつっ!?」
ヴェラが叫ぶ。
無常は自らの口に自らの握り拳を突き入れ、舌を噛み切ろうとした歯の動きを阻害した。勢いよく突き込んだため前歯の何本かが砕けていたが、それでも死ぬよりはマシな結果となっただろう。
ヴェラの“命令”は『舌を噛んで自害しろ』。舌を噛むこと以外は制限されておらず、完全に抜け道を使って防がれた。そこまで理解したうえで狙ったわけではないだろうが、最善の動きだったと言わざるを得ない。
いや、それよりも。
「ヴェラ!! 下がれっ!!」
追撃にと次の“命令”を下そうとするヴェラへ叫ぶ。深追いはまずい。無常の一撃にこいつが耐えられるとは思えない。
「があああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
咆哮。
無常は右拳を自らの口内に突き入れたまま、地を揺るがさんばかりに雄叫びを上げる。
そして。
攻撃対象が、俺からヴェラへと切り替わる。
「ちくしょう!!」
俺の指示に従って後退を始めていたヴェラだったが、速度は無常の方が早い。瞬く間に距離を詰められる。
ヴェラの口が開きかけて、また閉じた。もはや“命令”も呪文詠唱も間に合わないと悟ったのだろう。ここから俺が向かったって、もう無常の攻撃は止められない。
ヴェラと一瞬だけ目が合った。
瞬間。
ヴェラの姿が無常の前から消える。
「があああああああああああああああああああ!?」
痛みに叫ぶのは、今度は俺の方だった。
やばい。これは本当にやばい。頭が、割れる。
限界を超えた“神の書き換え作業術”の使用。
正直、ヴェラがどこへ跳んだのかも分からない。完全に賭けだった。今の俺の状態でそう遠くまで跳ばすことはできないはずだから、無傷で着地ができないほどの上空だったり、地面の奥深くでそのまま圧死、ということにはならないだろう。
平面よりも上下の座標の方へ意識を払ったし、致命的なことにはならないはずだ。障害物なら書き換えされた対象の方が優位に立つし、大丈夫。
……なはずだ。
少なくとも無常の一撃をその身に受けるよりは遥かに生存率が高い。
代わりに――――。
★
「うっ!?」
突如として自らの身体が浮遊する感覚。次いで襲う衝撃。受け身も取れずに転がったヴェロニカは、跳ねるようにして起き上がり、体勢を整える。
「……ここは?」
明かりのついていない小さな一室だった。洋服ダンスや机、ベッドなどがあることから、どこから住居の一室であろうとヴェロニカは見当をつける。
しかし、今一番知りたいのはそんなことではない。
「聖夜っ!? 聖夜っ!!」
意味がないと分かっていても叫ぶしかない。聖夜の“神の書き換え作業術”によって窮地を回避したのはいいが、自分が今どこにいるのかが分からない。あれ以上無系統魔法を使うことが聖夜の身体にどのような症状を及ぼすのかを、ヴェロニカも十分に理解していた。
あの状態の聖夜が、無常との一騎打ちで勝てるはずがない。
ヴェロニカは鍵を開ける作業ももどかしく感じたのか、窓をぶち破ってから外に出た。
「聖夜っ!! 聖夜ーっ!!」
外は相変わらずの吹雪だった。10m先が見通せない程に視界が悪くなっている。そんな中で自分の声が相手に届くはずなどない。
それでもヴェロニカは叫ぶしかなかった。
「聖夜!! どこ!? お願い返事して!!」
当然、返事は無い。
戦闘音も聞こえてこない。もしかすると、既に決着はついてしまったのかもしれない。そんな考えが、ヴェロニカを余計に焦らせる。
「聖夜!! 聖夜!? 聖夜!!」
窓から飛び降りて、着地。同時に『水面歩法』と同じ要領で魔力を込め、積雪の上へと綺麗に立つ。身体強化魔法も発現し、当てもなく走り出す。
「聖夜!!」
返事は、無い。
ヴェロニカは音が鳴るほどに歯を喰いしばった。溢れそうになった涙を堪えるために。
「馬鹿っ!!」
叫ぶ。
「馬鹿よ貴方は!! 本当に馬鹿!! 私の無系統が役に立たなくなったなら切り捨てればよかったのに!! あの状況じゃ私よりも貴方が残るべきだったでしょう!?」
これはもうただの八つ当たりだ。願ってなかったとはいえ、助けてもらった立場の人間が口にしていい内容ではない。
それでも、ヴェロニカは叫ばずにはいられなかった。
「なんでよ!! なんで!! 答えてよ!!」
返事は、無い。
駆けていた脚も、止まる。
「……なんで」
返事は、無い。
それでも絞り出すように言う。
「……なんで、よぉ。聖夜ぁ……」
返事は――――。
ふわり、と。
ヴェロニカの傍に降り立つ、箒に乗ったとんがり帽子の少女。
少女は問う。
「今、私の王子様の名前呼んでた?」
その声に、溢れていた涙を乱雑に拭いながらヴェロニカは問い返す。
「……誰よ貴方」
☆
――――雑音が、うるさい。
★
「そっちはいいのか、“旋律”」
「いいって何が」
スペードからの問いかけに、リナリーは不機嫌さを隠そうともしないで問い返した。
エルトクリア大闘技場は、クィーンの討伐完了宣言によって完全に落ち着きを取り戻していた。実況解説のマリオとカルティコンビの軽快なトークが、時間稼ぎに一役買っている。今はクリアカードによる魔法世界全域への討伐完了の一斉通達が行われている最中であり、外がある程度落ち着いたらエルトクリア大闘技場からの退場が始まる手筈となっていた。
有耶無耶になってしまったアギルメスタ杯決勝戦だったが、今回の勝者はT・メイカー(リナリー・エヴァンス)ということで落ち着いた。というのも、対戦相手であるメイ・ドゥース=キーは正体が王族護衛『トランプ』の一角であるスペードだったせいで、失格負けになったのだ。大穴でメイ・ドゥース=キーに賭けていた集団は大いに荒れたが、今回の賭け金をスペードが全額補てんすることで落ち着きを得た(全スペードが泣いた)。
加えて明日予定されていた優勝者と『トランプ』所属エースによるスペシャルマッチも中止。このような事態となり、決勝戦が途中で中止となってしまったのだから当たり前だ。流石にこちらについての苦情は上がらなかった。しかし、だからこそ逆に『トランプ』の面々は嫌な予感しかしなかった。
文句を言わずに従う理由。
つまり、今回の騒動についての説明はちゃんとあるんだろうな、ということである。
説明できることは少ない。
そして問題なのはそれよりも、なぜこれまでこの案件についてエルトクリア王家は魔法世界へと周知させて来なかったのかを説明しなければならないことだ。情報統制については宰相ギルマン・ヴィンス・グランフォールドによって行われていたことであるが、最終的にそれに同意しているのは王家だ。責任追及は免れないだろう。噂話で存在していた『連続猟奇殺人事件』や『神隠し』などと関連付けられるのも時間の問題だ。
「貴方は自分たちの心配をしなさいよ。こっちはこっちで……、いや、せっかくだし巻き込もうかしら」
リナリーの表情に笑みが浮かんだ瞬間、スペードは自らが話題の振り方を間違えたことに気付いた。
「さ、さぁてと。俺、用事思い出したから……」
「まぁまぁ待ちなさいよ」
ローブの襟首を掴み、逃げようとするスペードを止めるリナリー。
「は、離せっ!! これ以上俺を厄介事に巻き込むんじゃねー!!」
「なに被害者面してるの? 貴方、今回の騒動ほとんど自分が蒔いた種じゃない」
「うっせぇその通りだ文句あるかコラ!!」
完全に開き直っていた。
リナリーはため息と共に本題を口にする。
「『ユグドラシル』が魔法世界で暗躍してるって話なんだけど」
その言葉で、リナリーの手から逃れようとジタバタしていたスペードの動きが止まった。
「……何だと」
おちゃらけた態度を取っていたスペードからは想像できないほどに低い声が出る。
「下らない後始末は貴方たち『トランプ』に任せることにして、さっさと出国しようとしてたんだけど、その途中で聖夜が襲われたらしくてね」
「なぁなぁ、あんたさぁ。さっきから凄いこと言ってる自覚ある?」
「それで襲ってきた相手が『ユグドラシル』だったわけ」
「こっちの話は無視かよ……」
がっくりと肩を落とすスペードの陰から、エースが顔を出した。
「その襲撃が『ユグドラシル』だとするならば、確かに生け捕りにしたいところではあるが。だが“旋律”、まさか鏡花水月の件での揉め事ではないだろうな」
グループ間の揉め事を魔法世界内に持ち込んでいるのなら容赦はしない。言外にエースはそう告げる。しかし、リナリーはそれを理解した上ではっきりと首を横に振った。
「鏡花水月は聖夜に同行していない。明らかに聖夜個人を狙っているわ。聖夜はそちらの強引な勧誘によって魔法世界に来た身。魔法世界内で襲われているなら、公的な権力によって保護されてしかるべきだと思うけど?」
スペードが苦笑いし、それを見たエースが舌打ちした。
「……もっともだ。クィーン!!」
苦虫を噛み潰したかのような表情のままエースが叫ぶ。魔法聖騎士団に指示を出していたクィーンが、顔だけをエースたちへ向けた。
「野暮用ができた!! スペードと俺は行く!!」
その言葉にクィーンは怪訝な表情を浮かべ、早口で指示を魔法聖騎士団に捲し立てると駆け寄ってくる。
「どういうことじゃ。勝手な行動は許さんぞ」
「中条聖夜が『ユグドラシル』に襲撃されているらしい」
「……なんじゃと?」
クィーンは眉を吊り上げ視線だけをリナリーへと向けた。リナリーが無言で頷く。
「して、どこで」
「分からないわ。だからダイヤの能力を貸してちょうだい。どうせもう聖夜のことも視れるんでしょ?」
「どこまで他力本願なんだよあんた……」
ケロッと言うリナリーに、スペードがうんざりしながら口を挟んだ。クィーンが頬を引きつらせながらリナリーを睨む。
「そこまでするからには相応の対価が発生するのじゃろうな?」
王族護衛『トランプ』から3名もの貸し出し。本来なら絶対にできるようなことではない。しかし、リナリーは平然とこう言い放った。
「貴方、何で私たちがこうして魔法世界にいるか憶えてる? 貴方たちのせいなんだけど」
クィーンまでエースと同じような表情をした。エースは諦めたように首を振る。
「……そういうことだ、クィーン。このタイミングで中条聖夜が害されるのは色々とまずい」
「仕方あるまい。しかし、ダイヤは能力を貸すだけじゃ。奴は王城から一歩も外へは出さん」
「それで構わないわ」
リナリーが満足そうに頷く。クィーンは懐からクリアカードを取り出しながら、思い出したかのように付け加えた。
「あぁ、そうじゃ。スペード、エース、ダイヤを貸し出すにあたり、もう1つ条件がある」
「何かしら」
クィーンは居心地が悪そうにしているスペードを一睨みしてから続きを口にする。
「『ユグドラシル』討伐の際、一番危険な役回りはスペードにやらせよ。どうせなら使い潰しても構わん」
「了解したわ」
「ちょっと!?」
☆
――――雑音が、うるさい。
うるさいんだ。
★
動き出した『トランプ』を目で追いながら、リナリーは思考の海へと沈んでいた。
自分の決断に、間違いはないか。
ヴェロニカの持つ無系統魔法“神の強制命令術”は、『黄金色の旋律』が持つ切り札の1つだ。ただ、声を聞かせるだけで強制させる能力。
対象の実力によって効かない場合もあるが、そんな人物は本当に一握り。それこそリナリーと肩を並べるような魔法使いだけ。
しかし、その無系統魔法も、カラクリが割れてしまえば対策は容易だ。ヴェロニカからの“命令”を聞こえないようにしてしまえばいいだけなのだから。
だからこそ、ヴェロニカの能力は知られてはならない。
最悪バレそうになったとしても、『雷魔法による操作』と誤認させろ、とヴェロニカ含め『黄金色の旋律』全員に徹底させているくらいだ。これは雷魔法への対策を立てられたところで、ヴェロニカの無系統魔法は防げないという観点からである。
今回、『トランプ』の力を借りるにあたって考えたのは、ヴェロニカの能力が見られる可能性。
結論。
推測の域は出ないものの、ほぼ無し。
仮にヴェロニカの能力が効く程度の実力者ならば、既に『ユグドラシル』との戦闘は終了しているはずだし、効かないクラスの実力者ならば、既にヴェロニカの無系統魔法を伏せての戦闘スタイルに移行しているはずだった。
問題なのは。
後者が相手の場合、聖夜たちが駆け付けるまで持ち堪えられるかどうか。
「栞に言われた通り、Cは聖夜に使っておくべきだったか。これで聖夜に何かあったら栞に殺されるかもしれないわね」
冗談にならない冗談を呟き、リナリーは珍しく苦笑いを浮かべた。
☆
――――雑音が、うるさい。
「が、あ、あぁ、う」
限界を遥かに超えていた。
もう無理、もう無理、の先にはまだあった。
それがここだ。
指ひとつ動かせない。
いつの間にか『水面歩法』への魔力供給が途絶え、全身強化魔法『迅雷の型』も解かれていた。そしてそれに気付いたのは、自分の身体が雪に埋もれて倒れていることを知ってからだ。
何が何だかもう分からない。
一瞬、もう死んだのかと思ったが、頭に走る激痛が生きていることを嫌でも実感させてくれる。
雑音がうるさい。
無常はどうなった?
何で俺はまだ生きている。
どうなっているんだ。
無常は死んだのか?
いや、それは楽観過ぎるだろう。
記憶が飛んだか?
意識を失った憶えは無いが……、それでも、俺が倒れてからどれだけの時間が経ったのかすらもう分からない。
雑音がうるさい。
くそ。
まったく分からない。
考えようとすると激痛が走る。
脳は完全にイカれたか。
もう魔法を発現する気力は残っていない。
そもそも身体も動かせないのだ。
無常が今、ここへ向かってきているのだとしたら、間違いなく俺はおしまいだ。
雑音がうるさい。
もう対抗手段は何も残されていない。
ヴェラの“命令”の効力がまだ続いているのなら、無常の口は塞がれている状態のはずだ。つまり、奴は契約詠唱はできない。
雑音がうるさい。
だが、それだけで脅威は消えない。今の俺は簡単な無詠唱魔法でも死ぬし、ぶっちゃけ物理攻撃だけでも死ぬだろう。拳を一発振り下ろすだけで死ぬかもしれない。
雑音がうるさい。
あの場面で“神の書き換え作業術”を使ったのが決め手になってしまったか。しかし、ヴェラを逃がしたことを後悔はしていない。
雑音がうるさい。
あそこで“神の書き換え作業術”を使わなければ、ヴェラは――――。
雑音が――――。
「う、うるせぇんだよ、いい加減……」
無駄と分かっていても、思わず呟いてしまう。
そして。
《iscuehro,ihd,gcehsbdj,tteiウノニ、うるさいって何よもー!!》
「っ!?」
独り言だったはずの俺の言葉に、反応する者。
その耳元で怒鳴られたかのような音量に、反射的に身体が硬直した。
……え?
《大体、あたしの声を初っ端から雑音とか失礼しちゃうわ!! 貴方、レディを何だと思ってるわけ? このあたしの呼び声をあろうことか雑音ですって!? ゆ、許すまじ!! 許すまじよ!! 待遇改善を要求するわ!! 具体的には1日3お手入れ!! 貴方、あたしを使い始めてから一度も磨いてくれてないでしょ!! 信じらんないわ!! それがレディに対する仕打ち!? 男の風上にも置けない人ね!! 信じらんない!! 信じらんないわよ!!》
あれほどまでに鬱陶しかった雑音は鳴りやんでいた。代わりに知らない女の声がする。そして何より驚きなのは、その声の発信源が俺の腕に装着されているMC『虹色の唄』という事実。
「……しゃ、しゃべった」
そして結局うるさい。
これじゃあ雑音と大して変わらねぇじゃねーか。いや、意味が理解できる分こっちの方が最悪だ。すげー頭が痛い。
こっちの気持ちなど露知らず、マシンガントークは続く。
《大体ねー貴方は女心ってやつが何にも理解できてないのよ。聞いてる? あぁ、聞いてくれないのよね。雑音だっけ? そうそうあたしの声って貴方からしてみれば雑音なのよね。あはは、とってもムカつくー冗談じゃないわよ!! ようやくあたしに適合してる人を発見できてしかもあたしのマスターになってくれてよっしゃ遂に話し相手ゲットーって思った矢先にこの仕打ちよ!? 信じられる!? それを貴方がしてんのよ!! まったく許せないわ!!》
「す、すまん。謝るからちょっと黙って……」
本当にうるさい。痛いっす。頭が。ガンガン来ます。
《『ちょっと黙って』!? 『謝るからちょっと黙って』ですって!? 全然謝る気ないじゃない!! 何その上から目線なその感じ!! こちとら言いたいことが山ほどあんのよ!! せっかく友好的な態度で話しかけてみればその声を雑音呼ばわりよ!? そんなことをしたのよ!? 誰であろう貴方がね!!》
「えっと、ほんと、申し訳ないっす」
だから、ほんと許して。痛い。きつい。やばい。死ねる死ねる。
《心が篭ってなーい!! 貴方ニホンジンでしょ!? 本当に謝る気があるなら古来より伝わるという伝説のドゲザってやつをしてみなさいよ!! そんな頭から雪被った状態でこれまでの罪が許されると、思った……ら、……ん? もしかしてあたしの言葉、通じてる?》
「つ、……通じてる」
だからお願い。少し黙って。頭に響くから。
《だったらそれを先に言いなさいよ、って。先にこっちか》
言ってただろ、さっきから。
……先にこっち?
《また魔力勝手に貰うからね。『拒絶、泡沫、敵を拒め』『激流の壁』》
どういう理屈かは知らないが、本当に勝手に使われたらしい。
身体から魔力が抜けていく感覚と共に、凄まじい勢いで地面から噴き出す水。
直後に、衝撃音。
《まさかこんな短時間であたしの捕縛魔法から抜け出されるとは思わなかったわ。けど、そんな攻撃であたしのマスターに触れさせるわけないでしょー。まあ、あたしの声なんてそっちには聞こえてないんでしょうけど。それじゃ、もう一度黙ってくれる? 『隷属、泡沫、青藍の枷』『激流の蔦』》
再び勝手に魔力が抜けていく感覚。少し離れたところから呻くような声が聞こえた。
《さて、マスター。とりあえず魔法が使える程度には回復してもらわないとね。『忠誠、五月雨、生命の唄』『激流の輪』》
俺の魔力がMCへと吸い取られ、治癒魔法として還元される。頭の痛みが和らいだのが分かった。同時に、この状況の異質さへと理解が追いつく。
《やっぱちゃんと疎通ができるようになると、魔法の発現も確実になるね。良かった。アギルメスタの試合で打てたのって奇跡だったからさ。それを言うなら、さっきの捕縛魔法もそうなんだけど》
このMC、喋るだけじゃなく魔法を使ってやがる……。
つまり、決勝戦で決め手となった『水の球』を発現したのも……。
《マスター。思考の海に沈むのは後にしない? あたしの障壁魔法だって万能じゃないんだからね。もっかいいくよー。『忠誠、五月雨、生命の唄』『激流の輪』》
あくまで和らいだというレベルではあるが凄い威力だ。
《貴方の無系統は特殊なんだから、あたしの治癒魔法でも完治は無理よ。というか、貴方のそれ、乱用し過ぎると死んじゃうよ? 廃人願望があるなら止めは……、いや、やっぱり止めるわ。あたしのためにも》
無系統魔法発現による脳の酷使には、あまり効かないということだろうか?
そんなことを考えながらゆっくりと身体を起こす。そう長く倒れていたわけではないが、結構な量の雪が崩れ落ちた。『水面歩法』を利用して再び積雪の上へと立ち上がる。
「……助かった」
《別に。ただ、あたしがしたのは、あくまで痛みを和らげただけだからね。調子に乗って魔法連発すると本当に死ぬわよ》
「了解」
長引かせるつもりはこっちにもない。
無常はすぐそこにいた。
右拳は血まみれになって未だ無常の口の中だ。締まらない格好ではあるが、それが無常を延命させる最適な手段であったことは間違いない。その身体は、『虹色の唄』が発現した『激流の蔦』によってぐるぐる巻きに捕縛されている。血走った目で俺を睨んでいた。
そっちから問答無用で襲ってきたくせに。
《どうするの。あたしの魔法だけに頼らないでよ? まだマスターとの接続も完全じゃないし、大魔法使ってマスターを卒倒させるわけにもいかないんだから》
「あくまで補佐だけってことだな。それで十分だ」
一人でやるよりは全然マシだ。仮に消費するのが俺の魔力だったとしても。
俺は俺のやれることをすべき。
ならば。
「ふぅっ!!」
短く息を吐き、魔法を発現させる。青白い稲妻が俺の身体を駆け巡る。
《なるほど。『迅雷の型』ね。属性優位を考えるなら悪い選択じゃないわ。向こうは土属性のままだし、口に手を突っ込んだ間抜けな格好のままなら、呪文詠唱で新しい魔法も発現できないでしょうしね。詳細は知らないけど、面白い能力を持った女の子を恋人にしたわねー。見る目あるわ、マスター。男としては最低だけど》
ヴェラは恋人じゃねーよ。まあ、その勘違いを正すのは後でいいか。それよりもこいつ、これまでの戦闘の流れも把握済みってことだな。無駄な説明をしなくていいのは素直に嬉しい。
《さて、戦闘前に軽く自己紹介だけしておくわね》
捕縛魔法を強引にぶち破り、咆哮と共にこちらへと迫る無常。
その中で。
動揺のひとつも浮かべずに声は言う。
《あたしの名はウリウム。どうぞよろしく、マスター・中条聖夜》
次回の更新予定日は、7月31日(金)です。