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第12話 影、蠢く。




 鼓膜を突き破らんとするナニカの咆哮が、エルトクリア大闘技場に響き渡る。同時に発生した衝撃波によって、決戦フィールドへと駆けつけていた不運な魔法聖騎士団(ジャッジジメント)数人が吹き飛んだ。

 正体を晒したリナリーが両耳を手で覆いながら顔をしかめる。


「“旋律”!!」


 負けじと自らを呼ぶスペードへと、リナリーが目を向けた。


「魔法を解除してくれ!! あの化け物をここから出すわけにはいかねぇ!! クィーンとエースが来るまで、何としてももちこたえねーと!!」


 円柱状に展開されている防護結界のせいで、VIPルームのある観覧席から飛び降りるという手段はとれない。しかし、観客席や観覧席を守る防護結界は当然解除できない。つまり、正規の手段で決戦フィールドへ来なければならないのだ。時間はかかる。

 リナリーは面倒そうな表情を隠そうともせずに指を鳴らした。スペードを地面に縫い付けていた光の剣が音を立てて崩れ去る。


「というか、貴方。塞ぎもせずに今の咆哮聞いて、良く耳が無事だったわね」


「咄嗟に防音魔法を展開したんだよ!! 間に合ってなければ鼓膜が破裂してたわ!! 縫い付けてた張本人からそんなこと言われるとは思わなかったよ!!」


 もっとも、耳を手で塞いだ程度で何とかなる音量ではなかった。リナリーだって防音の魔法は展開していた。しかし、あんまりな物言いに流石のスペードもつっこまざるを得なかったのだ。

 リナリーとスペード、両者の視線が決戦フィールドの中央へと向けられる。着地の衝撃によって蜘蛛の巣のような亀裂が走るそのど真ん中に、それはいた。


 辛うじて人の形状はある。二足歩行をする生き物だ。ボロボロの布きれで隠せていないところから覗く皮膚は、黒色に近い。皮膚よりも外皮、という表現の方が正しいのかもしれない。身長は猫背ではあるが、3mを優に超えている。脚も、腕も、指も、異常に長い。腕と脚は平均男性の1.5倍近く、指に至っては2倍近くの長さがあった。髪はくすんだ灰色で、高い身長にも拘わらずその膝くらいまで伸びている。目は鮮血を思わせる真紅。そこには理性を感じさせる光は無い。


 そして、何よりも特筆すべきなのは。

 その背中から左右へと伸びる、堕天使を思わせる漆黒の翼。


「……魔法世界はついに天使の製造実験でも開始したの?」


「冗談でもそんなことは言うもんじゃねぇ」


 リナリーのブラックすぎるジョークに、スペードは愛想笑いすら浮かべずにそう言った。リナリーは面白くなさそうに鼻を鳴らす。スペードの表情に、はっきりとした焦りの色があったからだ。


「この間撃退したのと同じ個体かしら」


「おそらく。いや、そうであってくれなくちゃ困る。こんなのが複数体存在しているとは考えたくねぇ」


 確かに、とリナリーは思う。


 魔法世界。

 アメリカの領地の一角にここが、魔法使いの国として提供された最大の理由。それは、外界との魔力濃度の違い。魔力と相性の悪い者が長時間滞在すると、体調に異常をきたしてしまうほどの魔力が渦巻く場所。それが魔法世界だ。

 そして、魔力濃度が高いと言われる魔法世界の中でも一番高い地域の名は、ガルダー。そこでは、高すぎる魔力濃度に汚染され、独自の生態系が築かれている。ネズミ1匹が魔法球を発現できるほどの。

 しかし、独自の生態系と言っても当然そこで生息する動物(もはや魔物と表現する場合の方が多い)には、魔法を扱わない元となる動物の原型はある。魔法球を発現するネズミだって、見れば「ネズミだ」と分かる形をしている。弱肉強食の世界を生き残るため、長い月日をかけて徐々に形を変えていったとしても、きちんと元となる姿はあるのだ。


 しかし、だ。

 そうなると、ひっかかることがある。


 今、リナリーの視界に収まっている異形なナニカ。

 これは、明らかに人の姿がベースとなっている化け物だ。羽は生えているし、異質な魔力を宿してはいるものの、二足歩行だし、髪も生えている。ついでに、前回リナリーが追い払った時には魔法も使っていた。

 だとしたら、これは何なのか。

 まるで、人体実――――、


「“旋律”、……頼む」


 切実な、振り絞るかのような声を口にするスペードに、リナリーは意識を引きもどされた。


「邪推はやめてくれ。少なくとも、エルトクリア王家は誓って何もしていない」


「エルトクリア王家は、ね。まぁ、私もあの娘がこんなことをするとは思えないし。ただ、世間一般がどう思うかは分からない。情報統制をしていた以上、白と証明できるはずもない」


 リナリーの冷徹な評価に、スペードは苦虫を噛み潰したかのような顔をする。


「荒れるわね。これが全てギルマンの策略だとしたら――」


「あの男が関与しているという証拠はどこにも無いんだっ!!」


 スペードの咆哮が戦闘開始の合図だった。音源となったスペードの元へと、ナニカが一直線に飛来する。死臭のする口を開いて――――。

 頭を掴まれ、そのまま決戦フィールドの地面へと叩き付けられた。

 ナニカの口内で『業火の弾丸(ギャルンライト)』が暴発する。地面にめり込んだまま暴発したそれは、決戦フィールドを大きく揺らした。しかし、叩き付けたスペードの手はその衝撃程度では離れない。


 本人は、自らをこう称した。

 スロースターター、と。

 聖夜との試合で完全に温まっているスペードは、もはやナニカに遅れなどは取らない。


「お決まりの不文律による政治不干渉? アギルメスタ杯決勝に身分を偽ってまで割り込んできた男の従うことじゃないわね」


「うるせ――」


 ナニカの異常なまでに長い手が、スペードの顔を握りつぶさんと伸びる。それを首の動きだけで回避したスペードが、ナニカの頭部を掴んだままの右手へと魔力を集中させる。


「吹き飛べ!!」


 そして、爆発。

 スペードの持つ無系統魔法は、“爆裂(エクスプロージョン)”。自らの魔力を起爆する性質に変換させるものだ。それは非常に単純な無系統魔法でありながら、非常に凶悪な威力を発揮する。

 特に、使い手がスペードのような高い発現量を有する魔法使いならば。







 咄嗟に並走するヴェラの腕を掴み、進行ルートから大きく外れるようにして跳躍した。

 直後。


「きゃっ!?」


 ヴェラの可愛らしい悲鳴を容易に掻き消すほどの音量で、正面の建物の屋根が砕かれる。着弾したのは魔法球。

 発現したのは――――。


「着用している仮面が同種であることを確認。中条聖夜と思われる人物を発見した。これより捕獲作業に移行する」


 渋い男の声だった。

 クリアカードを片手に誰かと交信し、もう片方の手をこちらに掲げ、隙無く立つ1人の人物。

 深い藍色のローブを深く被り、顔をすっぽりと覆っている。陽が落ちていること、ひどく雪が降っていることも加えて、人相はまったく分からない。しかし、かなり体格のいい男だ。ローブを纏っているにも拘わらずそれが良く分かる。


『おー、そうかそうか。いやー、良かったー。このまま取り逃がしてたら大目玉だったぜ。ファインプレイだ。後でボスにはお前のことをヨイショしといてやるよ』


 対照的に男の持つクリアカードから発せられる声は陽気なものだ。こちらも降雪と距離があるせいではっきりとは聞こえないが、それでも話している内容くらいは聞き取れる。


『んじゃあ、そっちは任せた。しっかり頼むぜ、無常(むじょう)


「了解した」


 無常と呼ばれた男がクリアカードをしまう。ごつい両手を左右に広げてこちらを向く。


「仮面の者よ、中条聖夜で間違いないな。我が主君、天地神明(アマチカミアキ)の名の元に、貴様の身柄を拘束する」


 そう男が唱えた直後には、俺の眼前に手のひらが迫っていた。







「見つかったってさ」


 通信を終えたクリアカードを懐にしまいながら、龍は隣に腰かける女性へと声をかける。


「聞いてたっつーの」


 対する女性は不機嫌さ丸出しでそう言った。

 エルトクリア大闘技場12階に位置する観客席。決戦フィールドで突如開始された化け物の討伐。周囲が混乱の真っただ中にいるにも拘わらず、そこに座している2人は気ままなものだった。目に大きなクマのある女性は、ぶすっとした表情を隠そうともせずに吐き捨てる。


「っつーかあのガキ、どうやってこの衆人環視のフィールドから逃げおおせたのよ。あのガキの魔法は見える範囲が有効範囲じゃなかったわけ?」


「あいつ、会場入りする時、選手控え室へ直接跳んで来てたぞ」


「はぁ?」


 龍の言葉に女性はまなじりを吊り上げた。


「聞いてないんだけど」


「そういや教えてなかったかもな」


「てめぇ……」


 あっけらかんとそう答える龍に、女性が舌打ちする。


「あー、思い通りにいかないって本当にムカつく。入れ替わるようにしてリナリー・エヴァンスが暴れ出すしで意味が分かんないわよ」


「そっちもその言葉の通りだろ」


 もともと目つきの悪い女性は、更にそれを不機嫌そうに細めた。


「あ?」


「『黄金色の旋律』内に、対象を入れ替える能力を持つ奴がいるってことだ」


「……マジで言ってんのあんた。それが本当なら激レアよ」


「中条聖夜同様、『神の目録(インデックス)』入りなのは間違いねーだろうな。ただ、レア度で言うなら中条の方が完全に上だが」


「なんで。神の名を持つ無系統なら同列でしょ」


「持ってるのがお互いに単体ならな」


「は?」


「知りたけりゃ自分で調べろ。そろそろ行くぞ。中条がここにいねぇなら意味は無いし、あの“旋律”に目を付けられたくはないしな」


 言うや否や早々に立ち上がり、出口へと足を向ける龍。女性も遅れて立ち上がる。

 舌打ち1つ。


「完全に私たち遊んでるだけじゃん。幹部3人も出張る必要なんてなかったのよ。つーか何で私まで動かなきゃいけないの。動かすなら殺させてよね~」


 その女性――――、蟒蛇雀は、最後に決戦フィールドを一瞥してから龍の後を追った。







 男の両手から、紙一重で回避する。すれ違いざまに膝蹴りを見舞った。

 しかし。


「ぐっ!? 硬ぇ!?」


 腹部を穿ったはずの俺の膝。めり込んでいる俺の膝に激痛が来た。

 こいつ、相当魔力を込めた強化魔法を展開してやがる!!

 そのまま俺の脚を抱え込もうとしたので、やむなく“神の書き換え作業術(リライト)”を使用して魔の手から逃れた。


「むっ!?」


 俺という対象を見失った男から動揺が伝わる。その隙は逃さない。男の背後に転移していた俺は、痛む脳に鞭を打ち“不可視の弾丸インビジブル・バレット”を背中へと打ち込んだ。


「せっ、――――避けて!!」


 ヴェラの悲鳴にも似た忠告を受け、条件反射で“神の書き換え作業術(リライト)”を発現。ヴェラのすぐ隣へと転移する。直後、男が地団太を踏むような仕草で自らの脚を屋根へと叩き付ける。男が立っていた建物が崩壊した。


「くっ!?」


 ヴェラを抱きかかえ、別の建物へと飛び移る。容赦ないなあの男。崩壊した建物に人がいないことを願おう。

 下からはパニックにも似た叫び声がちらほらと聞こえる。いきなり近くの建物が崩壊したのだ。驚くのは当然だろう。全ての人間がパニックになっていないのは、やはりここが魔法世界であるが故か。


「あの男ぉ……、私の聖夜によくもぉ!!」


 腕の中でヴェラが憤慨している。しかし憤慨したいのはこっちだ。いつ俺がお前の所有物になった。

 いつの間にか俺の後ろへと移動していた男の回し蹴りを避け、“弾丸の雨(バレット・レイン)”で足止めする。相手の歩が鈍ったところで再び“不可視の弾丸インビジブル・バレット”を打ち込んでやった。

 正直、殺傷能力の高い“不可視の光線(インビジブル・レイ)”や威力の高い“不可視の砲弾インビジブル・バースト”を使用したいところだが、こんな街中でぶっ放したら周囲への被害の方がやばそうなので自重した。


 腕を突かれる。


『私もやっていいよね?』


「駄目だ」


 クロッキー帳に書かれた提案を却下する。


「お前の能力は、あいつに見せない方がいい。ここで殺しきれなかった場合のリスクがでか過ぎる」


 あいつはクリアカード越しに『無常』と呼ばれていた。そしてあいつは言った。天地神明(アマチカミアキ)と。

 つまり。


「……『ユグドラシル』。まさかここで仕掛けてくるとは思わなかったが」


 あの師匠が危険視する集団。

 迂闊な行動は控えた方がいい。


『必ず殺す』


「駄目だ」


 食い下がるヴェラに、屋根を蹴り男から逃走を図りながら言う。

 俺が万全の状態なら、その手段もあっただろう。できることなら『ユグドラシル』側の駒を潰しておきたいというのが本音だ。追われる立場である美月の件もある。

 しかし、今の俺では確実にヴェラの足を引っ張る。“神の書き換え作業術(リライト)”は駄目だ。もう使えない。頭が熱い。湯気が出てるんじゃないかと思うくらいに。


 崩壊した建物を背に、屋根から屋根へと飛び移り、距離を空けていく。

 ただ、逃走にもいくつか問題はある。


 1つ、そもそも逃げ切れるかということ。

 2つ、追跡を振り切れなかった場合、皆が揃っているホテル『エルトクリア』を目指してもいいのかということ。


 師匠がさっさと大闘技場での討伐を済ませて先回りしてくれていれば、むしろ袋のネズミ状態にできるわけだが。僅かな戦闘でも分かる。あの男は、青藍魔法学園の文化祭で襲ってきた一獲千金(いっかくせんきん)合縁奇縁(あいえんきえん)、そして鏡花水月(きょうかすいげつ)とは違って本物だ。

 情けない話だが、俺やヴェラがここで頑張るよりも師匠に任せた方が確実。先ほど男はクリアカードで相手側と連絡を取っていた。クリアカードの通話ができるのは魔法世界内のみ。つまり、あの男と同じ『ユグドラシル』に所属する何者かも、この魔法世界に潜んでいるということになる。


 さあ、どうする。


 エルトクリア大闘技場には、師匠、スペード、エース、クィーン。

 現在は、大闘技場に突如出現したナニカの討伐中。


 フェルリアへ向かうコースには、俺、ヴェラ。

 素性不明の『ユグドラシル』による追跡を受けながら、ホテル『エルトクリア』へ逃走中。


 フェルリアには、まりも、ルーナ、美月、ちょろ子、シスター・マリア、そしておそらく栞。

 師匠、俺、ヴェラの合流まで待機中。


 魔法世界内に先ほど男が通話していた『ユグドラシル』、人数は不明。

 どう動くかについても不明。


 最高戦力『トランプ』、治安維持部隊である魔法聖騎士団(ジャッジメント)、総人数は不明。

 魔法世界内にいるが、動くかどうかは不明。アル・ミレージュの件で、敵対の可能性も有り。


 ここから先の選択次第では、誰でも死ぬぞ。

 それが、こちらの陣営か、それとも向こうの陣営かは分からないが。







 魔法世界にてもっとも近代化した都市・アズサ。

 高層ビルが建ち並び、陽の落ちた夜でもネオンの明かりにより闇に落ちることはない。

 その摩天楼の1つに小さな影が降り立った。


『キングとジャックは王女の守護へ回りました。以降の指示は私、シャル・ロック=クローバーに従って頂きます。私の補佐にはクリスが付きます。異論は?』


「無いわよ」


 小さな手に握られたクリアカードから声が発せられる質問に、少女は端的にそう答えた。


『それでは、クィーンからの言伝です。現時刻を以て謹慎は解除』


「よっし!!」


 ガッツポーズをする少女。


『これより貴方には捕縛任務を与えます』


「それってあの正体不明の化け物じゃないんでしょ?」


『無論です。そちらにはウィル、アル、クィーン。そして幸運なことに“旋律”リナリー・エヴァンスがいます。被害の拡散は無しと断言して構わないでしょう』


「過剰戦力が過ぎるよねー。むしろ化け物よりもこっち側が被害を拡散させそう」


『笑えない冗談はやめなさい』


 クスクス笑う少女をクローバーが強い口調で窘める。

 ただ、口調が強くなったのはクローバー自身が「本当にあり得そうで怖い」と感じているためだ。スペード、エース、そしてクィーン。自らが席を置く『トランプ』の一員。当然、その膨大なまでの戦力は承知している。単体で国に戦争を仕掛けられる存在が3名。そこに加えて単騎で世界最強と名高いリナリー・エヴァンスまで討伐に参加しているのだ。一歩踏み間違えばエルトクリア大闘技場なんて跡形もなく消し飛んでしまうだろう。


 そこまで考えたクローバーは思わず頭を抱えたくなった。


「で。私の標的(ターゲット)は?」


『20代の男性。本名は分かりません。今、そちらに画像を送りました』


「ん?」


 クリアカードに映し出されているクローバーのホログラム。そのすぐ隣に写真が現れた。そこに移った人相を見て、少女が眉を吊り上げる。


「この写真って……」


『先日、メルティとホルン間で乱闘騒ぎがあったのはご存知ですね? その場で“瘴気”が検出されたことから、これが今回エルトクリア大闘技場を強襲した化け物と関わりがあることは確実です。そして、その時に採取された2名の魔力痕跡。その1つがそちらの男性だと特定されました。大会エントリーで用いられていた名前は……』


 クローバーは口早に、事実を告げる。


『「龍」です』







 人通りが少ない通りへと突入してからは、屋根を利用した移動はやめた。上から行けば直線状に進める利点はあるが、その代わり遮蔽物が無く追跡を振り切るには不向きだからだ。

 隣で並走するヴェラからは、何も言わずとも分かってしまうほどの不機嫌オーラが漂っている。気持ちは分からないでもないが、勘弁してほしい。正直、スペードクラスの魔法使いとの魔法戦はできそうにない。相手は『ユグドラシル』。あの男の実力が蟒蛇雀クラスだったとしてもおかしくはないのだ。

 後ろの様子を窺ってみるが、今のところ追跡を受けている気配はない。しかし、これで撒けたと判断するのは早計だろう。


 散々迷った末、決断した。クリアカードを取り出す。

 通話相手は――――。







 スペードの無系統魔法“爆裂(エクスプロージョン)”によって、ナニカの頭部が粉々に弾け飛ぶ。どす黒い体液も凄まじい熱量によって一瞬にして気化する。

 これでエルトクリア大闘技場の決戦フィールドを突如襲った脅威は消えて無くなる。


 はずだった。


「っ!? ぐっ!?」


 馬乗りになっていたスペードの肩口に、ナニカの長い腕から繰り出された拳がめり込む。条件反射で発現していた身体強化によって貫かれはしなかったものの、威力までは殺せない。スペードの身体が吹き飛ばされた。

 スペードの無系統魔法によって生じたクレーターから、ナニカが頭を起こす。そこにはどす黒い体液を滴らせつつも、鮮血にも似た真紅の双眸が揺らめいていた。


「……頑丈ね。あの男の無系統魔法をゼロ距離で喰らって原型を留めているなんて。まさか本当に人間じゃないのかしら。それとも、強化の成功例? その割には意思があるようには感じられないし。中途半端な成功ほど、人騒がせなものはないわね」


 リナリーの手が、ナニカへと向けられる。殺気を正確に察知したナニカの顔が、グリンとリナリーを捉える。その頃には、既にリナリーは無系統魔法の発現準備を終えていた。

 しかし。


「……嘘」


 その口から漏れたのは、驚愕の言葉。


「体内への干渉ができない? ……私の魔法でも?」


「グルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 咆哮。

 もはや物理的な衝撃波すら有したそれを、リナリーは防音の魔法と正面に展開させた障壁によって回避する。ナニカが跳躍した。一瞬でリナリーとの距離を詰めて、障壁を叩き割る。

 そして――――。


「っ、らああああああああああ!!」


 空から降ってきたスペードが叩き潰した。今の衝撃で折れたのか、ナニカの左腕がおかしな方向を向いている。それを見て怪訝な表情を浮かべたリナリーは、腕を一振り。

 瞬間。


「あっぶねええええぇぇぇぇっ!?」


 地面に叩き潰されていたナニカの身体中に、眩い光の剣の群れが深々と突き刺さり地面へと縫い付けた。スペードの回避が一瞬でも遅れていたら、一緒に串刺しになっていただろうことは想像に難くない威力と数だった。


「“旋律”てめぇ!! ちょっとは俺へ配慮した攻撃を――」


「見て御覧なさい」


 スペードからの文句を遮り、リナリーは顎でナニカをしゃくる。怒りを強引に呑み込んだスペードの視線がナニカへと向く。


「頭部を含めた全身を対象として攻撃した。しかし、通っているのは四肢と胴体の一部のみ」


 剣の群れで地面に縫い付けられたナニカが呻き声を上げた。しかし、リナリーの言う通り、リナリーの攻撃が通った箇所と、弾いた箇所がある。頭部や首回りは無傷だし、胴体の一部もだ。その一部とは。


「急所を庇うような防御魔法を展開してやがったのか」


「そうみたいね。さっきこの化け物の心臓の内部へ針を生成しようとしたけど、弾かれたのはそういうことみたい」


「あんた、ナチュラルにすげーこと言ってる自覚ある?」


 ドン引きのスペードである。


「馬鹿なこと言っていないでさっさと息の根を止めなさい。それとも、そこまで部外者である私にやらせるつもりかしら」


「わぁーった。わぁーったよ。クッソ。一番やべぇ奴に借りを作っちまった気がするぞ」


「貴方、つい先日も私に借りを作ったこともう忘れたの?」


「え、なにこれ。そろそろ命とか差し出さなきゃダメなくらい負債溜まってる?」


 スペードとくだらないやり取りをしていたリナリーは、懐に入れていたクリアカードが振動していることに気が付いた。

 ナニカへと近づくスペードの姿を視界の端に収めながら、リナリーはクリアカードを取り出した。

 そこに表示されていた名前は――――。

じかいのこうしんよていびは、まことにいかんながら、……7がつ10かです。

いっかげつくらいひきこもりたいです。

あはは。

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