第11話 介入
★
リナリーは、不機嫌さを隠そうともせずに自らのクリアカードを手にする。そして、すぐに目的の相手の名前を呼び出した。
そこに表示されていたのは、『天道まりも』という文字。
2コーラスほどで相手が通話に応じる。挨拶という余計な言葉は用いない。リナリーは簡潔にこう告げる。
「魔法で声を拡声させるから、私が解析カメラと中継カメラを壊したら介入宣言をよろしく。それから、私の合図と共に“交換”を」
対する相手側も簡潔な返答だった。
『おっけーで~す』
☆
「誇っていいぜ、お前」
仮面を吹き飛ばされたウィリアム・スペードは、素顔を晒して開き直ったのか不敵な笑みを浮かべて言う。
「俺との勝負に、お前は勝ったんだからな」
実況解説がうるさい。観客席の方も、凄まじい音量で声援やら罵声やらが飛び交っている。そりゃあ賭け試合をしている人間からしたら、この結果は許せないだろうよ。ウィリアム・スペードと言えば、世界最高戦力と称される大魔法使いだ。俺が勝てる可能性なんて万に一つもありはしない。今の勝負をもう一度してみろと言われてもできないだろう。
見える景色、聞こえる音、全てがはっきりと、鮮明に感じ取れていた。あの感覚はもう無い。
いや、それよりも気になることがある。
……あの魔法球は、誰が打ったんだ?
ウィリアム・スペードであるはずがない。第三者からの介入は不可能。俺ももちろん打っていない。しかし、あの魔法球の発現と同時に、俺の魔力が使われた感触があった。つまり、俺の魔力によってあの魔法球が発現されたことは明白。
だとするならば。
視線が俺の腕へと向く。正確に言うならば、俺の腕に装着されたMC『虹色の唄』に。
まさか。
「なぁ」
思考の海に沈みかけていた俺を、その声が引き上げる。ウィリアム・スペードは、不敵な笑みを浮かべたまま続ける。
「そろそろ続きやらねーか? あんまのんびりしてるとクィーンあたりから強制介入受けちまいそうなんだよな。せっかく整った舞台があるんだ。もっと楽しまねーと損だろ?」
知らねーよ。むしろさっさと介入してくれよ。迷惑過ぎるわこいつ。いっそのこと、勝負の賞品である「勝った奴は負けた奴に言うことを1つ聞かせる権利」を使って退場させてやろうか。
そんなことを俺が思ったが故か。
「むっ!?」
俺とほぼ同時に異変を察知したウィリアム・スペードが空を見上げる。
しかし、それではもう遅い。
次の瞬間にはもう、眩い光の剣が決戦フィールドの側壁付近へと次々に降り注ぎ、何かを破壊していた。何かなんてぼかす必要もない。対象は、解析カメラと魔法世界に中継しているであろうカメラだ。
つまり。
『大闘技場の決戦フィールドには、解析カメラが設置されているんですよ? 第三者の介入があればすぐにバレますが』
『そこについては別に考えてあるから平気』
つ、つまり。
「別の手って正々堂々の破壊工作かよ!!」
思わず叫ぶ。
その間に決戦フィールドを360度囲う解析カメラは全て破壊されていた。早すぎる。職人の域だ。その才能をこんなことに使ってんじゃねーよ!!
「お、おい。セイヤナカジョー。こりゃいったい」
ウィリアム・スペードが周囲を見渡しながら俺の傍へと寄ってくる。つーかお前、俺の名前をここで呼ぶんじゃねーよ。マイクに入ってたら取り返しがつかないんだぞ。
『なっ!? 何ですかこの魔法は!?』
『か、解析カメラをピンポイントで全部!? いったいこれは――』
実況解説の動揺は一気に観客席へと広がっていく。ざわめきから混乱へと変化しようとした時、耳障りなハウリングがエルトクリア大闘技場に響き渡った。
そして。
『どぉも~。みなさまご機嫌よ~う。「黄金色の旋律」でーす』
大音量でそう宣言した声に、エルトクリア大闘技場中が静まり返った。不測の事態に対応するため、各スイートルームや観客席、そして決戦フィールドにまで姿を見せた魔法聖騎士団や警備員たちまでその身を硬直させる。
その間も、声は言う。
『ずっと見てたんですけど、スペードが出てくるとか流石に無いんじゃないかなって思うんですよね~』
間延びした声は、続く。
『不文律とはいえ、違反は違反。ならこっちも好きに介入させてもらっちゃいますよ~だ』
その言葉が合図となったらしい。
俺の視界が一瞬にして切り替わった。
★
スペードの肩に、乗せられる手。
「え――」
言葉を発するよりも先に、スペードの身体が吹き飛んだ。
「があっ!?」
側壁に身体を打ち付けられ、痛みにスペードが呻く。その頃には、既に眼前いっぱいに光の剣が迫っていた。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!?」
慌ててスペードが身を翻す。側壁の一部がミキサーにかけられたかのように粉々となった。
「な、なんっ――」
事態の急変に追いつけないスペードの前に、いつの間にかメイカーは移動していた。スペードの頬を、優しく撫でるかのようにメイカーの手が這う。
「随分と好き勝手してくれたわね」
「っ、こ、この声――」
スペードが再び吹き飛んだ。決戦フィールドの中央付近まで転がり、何とか体勢を整える。メイカーはすぐには追ってこなかった。決戦フィールドの端から、ゆっくりと中央へと歩を進める。『し、試合は続行なんでしょうか?』『一度止めたほうが……』といった実況解説の声を聞き流しながら、メイカーは自らの仮面とローブに手をかけた。
そして、その仮面を躊躇いなく投げ捨てる。
晒されたメイカーの正体とは。
☆
切り替わった先の光景は、見覚えのある豪華な一室だった。エルトクリア大闘技場の19階。カガミ・ハナ名義で貸し出されているスイートルーム『19-H』だ。
部屋には当然ながら誰もいない。
そう。
この場で観戦していたであろう、師匠も。
と、すれば。
「……入れ替わったか」
アギルメスタ杯4位となった天道まりかの姉、天道まりもの無系統魔法で。
まりもの持つ無系統魔法は、“神の等価交換術”。
等しい価値の物体の位置を瞬時に入れ替える、というものだ。今回の対象は、俺と師匠。人と人、1人ずつの交換。入れ替えたい物体を一度でも見て、触れて、そしてそれを自分が憶えてさえいれば無系統魔法の対象にできるというとんでもない優れものである。対象となる物体の大きさや入れ替える距離によって消費魔力が異なり、あまりに大きかったり距離が離れていると失敗するらしいが、それほど厳しい制限とは言えないだろう。現に今は、ホテル『エルトクリア』にいるはずのまりもが、決戦フィールドにいた俺と、高層ビル19階相当にいた師匠とを入れ替えることに成功しているのだから。
テーブルの上に置いてあった見覚えのあるナップサックを開いてみる。中身は、俺が青藍魔法学園で使用していた黒色のローブだ。この白仮面に白ローブでの移動では、『黄金色の旋律』として目立ち過ぎるということだろう。
それにしても、先ほどのまりもの口上は中々だった。あの言い方なら、誰だって「『トランプ』が先にルール違反をしたのだから、こっちだってやってやる」と聞こえるだろう。仮に、こちらが最初から介入する気満々だったとしてもだ。
仮面を外しながら決戦フィールドへと目を向ける。
そこでは容赦なく師匠がウィリアム・スペードを吹き飛ばし、自分の正体を晒しているところだった。ウィリアム・スペードが何とか体勢を整えている間にも、師匠は新たな魔法を発現している。
鬼か。
あれほどまでに圧倒的な力を見せつけられたはずのウィリアム・スペードにすら、素直に同情できてしまった。
★
『リ、リナリッ!? リナリー・エヴァンスゥゥゥゥゥゥゥゥ!?!?』
大闘技場の思いを代弁するかのようにして、マリオが叫ぶ。流石にこれには試合中断の指示を仰ごうとしていたカルティも硬直した。
金髪碧眼。
愛用の白のローブに身を包むは、世界最強の魔法使い。
リナリー・エヴァンス。
『えええええええええええええええええええ!? 嘘でしょ!? T・メイカーの仮面の下は本当にリナリー・エヴァンスだったぁぁぁぁぁぁぁぁ!?』
『じゃ、じゃあカメラを破壊したのも? というかちょっと待って!! 一度試合を――』
実況解説が喚き立てる中、口元から垂れた血をスペードが拭う。
「……いつだ」
「何が」
スペードからの問いに、リナリーの冷淡な声が対応する。
「いつ、入れ替わった」
「T・メイカーの正体は、この私よ」
「嘘吐け。そんなはずはねぇ」
その断言に、リナリーは皮肉たっぷりの笑みを浮かべた。
「いつだと思う?」
「てめぇ!!」
スペードが動き出そうとした瞬間。
彼の身に纏っていたローブに、眩い光の剣が降り注ぐ。跳躍しようと身を屈めた瞬間を狙われた。光の剣はローブを貫通し、決戦フィールドへと深々と突き刺さり、完全にスペードをその場に縫い付けた。
「私ねぇ、こう見えて怒ってるわけ」
どう見ても怒っていた。スペードの表情が僅かに引きつる。
「せっかくの踏み台になると期待していたのに。貴方が余計な真似をしなければ、良い感じで今後に利用できそうだったのに。まぁ、若干の修正を加えれば、想定していたルートには乗るかしら」
「な、何の話を……」
その言葉は、リナリーから発せられた無言の圧力によって遮られた。
そして。
「腹いせに、あと数発くらい魔法を打ち込んでも文句は無いわね?」
にっこり笑顔の直後。
次の介入があった。
☆
「っ、あれは!!」
美月名義で貸し出されているスイートルーム『19-H』。大会で着用していた白のローブから、学園でも使用している黒のローブへと着替えていた俺は、信じられないものを目撃した。
それは、エルトクリア大闘技場の空から降ってきた。
それは、ボロボロに破れた黒い布きれに身を包んでいた。
それは、血のような真紅の双眸をしていた。
それは、以前魔法世界エルトクリアで龍と共に迎え撃ったことのある存在だった。
忘れもしない。
漂う死臭を隠そうともしない異質なナニカ。
「っ」
スイートルームから飛び降りようとして、止めた。既に“神の書き換え作業術”を限界近くまで使用している俺に、出来ることは少ない。そもそも、たった今ナニカが着地した決戦フィールドにいるのは、俺の師匠とあのスペードだ。俺が介入しても邪魔なだけだろう。
それに師匠と俺が入れ替わったということは、使われたのはまりもの無系統魔法で決まりだ。ならば、師匠にはまだ栞の無系統魔法がある。
俺が今すべきことは、ホテル『エルトクリア』にいる他のメンバーとの合流。
白のローブを入れたナップサックを背負う。後ろ手に聞こえてくる戦闘音を振り切り、スイートルームの扉を開けようとして。
勝手に開かれるその扉。
そこにいたのは。
「……アル・ミレージュ」
スイートルームのお手伝いさんだった。室内にいたのが俺だったのが彼女の意表を突いたのか、僅かに硬直する。しかし、それは本当に一瞬のことだった。
「……『黄金色の旋律』の構成員と推定。捕縛します」
一瞬で肉薄してきたアル・ミレージュの掌底を転がることで回避する。同時に、室内へと騒がしい音を立てて従業員が乱入してきた。
なるほど。
流石は魔法世界のスイートルーム。お手伝いさんも従業員も、当然のように手練れ揃いってわけか。咄嗟に鞄の中に突っ込んでいた仮面で顔を隠す。昨日の観戦でアル・ミレージュに顔は割れているが、初見の従業員にまで晒してやる必要は無い。
俺に構っている暇があったら決戦フィールドに乱入してきたナニカの討伐に参戦しろよ、と思ったが、おそらくこいつらはまだそれを知らないのだろう。ナニカが乱入してきたのはたった今。突撃のために扉の外で待機していたであろうこいつらにナニカの情報が届くには、あまりにもタイミングが悪すぎた。
拡散させた魔力の礫を解放する。
「がっ!?」
「うぐっ!?」
「ごあっ!?」
手練れと言っても腕はあくまで“それなり”。正確に顎を打ち抜かれた従業員が次々と卒倒していく。
「せやぁ!!」
アル・ミレージュの回し蹴りをバックステップで回避し、次いで振るわれるひじ打ちをしゃがむことでやり過ごす。この女は“弾丸の雨”の猛威を見事に掻い潜っていた。かなりの手練れと見るべき。ここで戦闘し時間を浪費することは得策じゃない。
数度の組手を交わし、隙を突いて開け放たれた扉からスイートルームの外へと転がり出る。
「げぇっ!?」
そこで見た光景に、思わず声が出た。
美月のスイートルーム『19-H』の入り口を囲うようにして、魔法聖騎士団が展開していたのだ。硬直は一瞬。その間に、アル・ミレージュは扉から飛び出してくる。その口から「確保」という叫びが響き渡るのとほぼ同時、凍てついた声がその空間を支配した。
「貴方たち、そこの黒ローブの魔法使いに対してちょっと頭が高くない? 『跪いて』」
それは劇的な効果を及ぼした。
俺を中心に展開していた魔法聖騎士団が、為す術もなく俺に跪く。飛びかかっていたアル・ミレージュも、突如としてバランスを崩して俺の足元へと転がり、体勢を整える間もなく平伏の姿勢を取る。
耳に届く、数々の呻き声。それは彼らが自発的にしていない証明だ。
こんなことが出来る人間を、俺は1人しか知らない。
ヴェロニカ・アルヴェーン。
腰まで届く髪の一部を左右で結び、ツーサイドアップとかいう髪型にしている(以前、ツインテールと言ったらめちゃくちゃ怒られて力説されたので覚えてしまった)。氷のような美貌に白い肌。『黄金色の旋律』の白色のローブにすっぽりと姿を覆った彼女は、頬を僅かに赤く染めてはにかんだ。
胸元に抱きかかえている愛用のクロッキー帳には、丸っこい字でこう書かれている。
『ひさしぶり』
それに俺が答えようとしたところで、跪いていたアル・ミレージュが呻き声と共に咳き込んだ。どうやら床に落下した時に強く身体を打ち付けていたらしい。俺との会話を邪魔されたせいか、ヴェロニカ、――――ヴェラの表情がしかめられる。
「……せ、黒ローブの魔法使いの一番近くで跪いてるそこの女。ちょっとうるさいわねぇ」
「お、おい」
ヴェラが何を企んでいるか分かってしまった俺は、ヴェラを止めようと駆け寄る。しかし、それよりも早くヴェロニカの次なる無系統魔法が効力を発揮した。
「貴方の呼吸音すら耳障り。『息しないでもらえる』?」
「っ、っ、っ、っ!? あがっ!?」
強制的に跪かされたまま、アル・ミレージュの口からくぐもった声と共に唾液が零れ落ちる。喉を押さえ、床を転げまわりたい衝動に襲われているのだろうが、ヴェラが最初に放った『跪け』という“命令”がそれを許さない。
これでは本当に身動き1つ取れないまま死んでしまう。
「殺しは駄目だぞ!! すぐに解除しろ!!」
俺の言葉に、ヴェラが視線を合わせつつ唇を尖らせる。しかし、すぐに従ってくれた。
「はぁ。この人の慈悲に感謝しなさいよね、女。『呼吸していいわよ』」
「っ、っっっはぁっ!?」
大きく息を吸い込む音が聞こえる。良かった。平気か。
周囲で同じく跪くことしかできない魔法聖騎士団の面々は、その光景を見て顔を青ざめさせていた。アル・ミレージュの乱れた呼吸音以外は何も聞こえない。まるで呻き声1つで殺されると思っているかのようだ。
そして、それは酷く正しい。
ヴェラの持つ無系統魔法は、“神の強制命令術”。
文字通り、彼女の命令を相手に強制させる凶悪な魔法だ。相手の魔法抵抗力が高ければ失敗する可能性もあるが、そんなケースは稀だ。少なくとも俺には命令できたし、ヴェラの無系統魔法が効かなかったのは、俺が知っているところでは師匠だけ。つまりは師匠クラスでないと逆らえないということになる。
だからこそ、ヴェラは無系統魔法の対象にしたくない相手と会話するときは筆談で対応する。ONとOFFが使い分けられるのだからいらぬ心配とも思うのだが、無意識のうちに暴発することを恐れているらしく(実際に感情の制御ができなくなった時に暴発したことはある)、このスタイルは彼女が『黄金色の旋律』の一員になった当初から続いていた。
「お前、何でここにいる。師匠から招集命令がかけられたのか?」
完全に沈黙を守るようになった魔法聖騎士団を視界の端に収めつつ、ヴェラへと質問する。師匠はこの凶悪な能力による過剰攻撃を避けるため、ヴェラの使用を極力避けていたはずなんだが。
俺の質問を受けたヴェラが、クロッキー帳にさらさらと答えを書く。
そこにはこう書かれていた。
『もちろん。だって私、貴方のことすきすきだいすきだから』
「お前絶対許可貰ってねーだろ!!」
答えになってねーよ!!
それじゃあこいつがここにいるのは師匠の想定外ってことだ。見世物として発現することが前提だったまりもと違って、こいつの能力の情報が拡散されるのはまずいな。
……今日はもう使いたくなかったんだが、仕方がない。
「おい」
跪いたまま身動き1つ取れないアル・ミレージュと魔法聖騎士団を呼ぶ。そうだ。“命令”で顔すら上げられないのか。
「ヴェ……、こいつらをこっちに向かせろ」
「この人の言うことを聞きなさい。『顔は上げていい』わ」
跪いている奴ら、全ての視線が俺へと集まる。
「こいつの能力に驚いたか? 雷属性の『操作魔法』を極めるとここまでのことができるわけだ。「黄金色の旋律」がリナリー・エヴァンスだけではないってことが理解できたかな?」
俺の意図を察してか、ヴェラは口を挟まない。
「だが、お前らへの脅威が精神魔法だけだと思わぬことだ」
――――“神の書き換え作業術”、発現。
エルトクリア大闘技場、19階。
その側壁の一部を“神の書き換え作業術”で切り崩す。仮にこの側壁が高い魔法抵抗力を持っていようが関係は無い。何の抵抗もなく、三人分なら余裕で通れるだけの風穴が空く。雪が舞う夜空が顔を覗かせた。
声にならない悲鳴が上がる。
「俺の能力、“斬撃”に斬れないものはない。なんなら、お前らの自慢の甲冑で試してみるか? 防げなければ腕の一本くらいは軽く落ちてしまうが」
誰も、何も答えない。
ここまで脅しておけば十分だろう。
「口止めの魔法はかけない。ここで知った情報をどう扱うかはお前たち次第だ。自分の命と情報、注意して天秤にかけるんだな。解除してやれ」
「『自由にしていいわ』」
無系統魔法が解かれたのを確認し、ヴェラを抱きかかえる。腕の中で小さく上がった悲鳴は意図的に無視した。いきなり解けた拘束に、半数近くがバランスを崩して倒れ込んでいる。誰1人として俺たちを捕縛しようとする動きを見せる者はいない。
「現段階で俺たちにお前らを害する意思は無い。そもそもこれはお前らが売ってきた喧嘩だ。違うか、アル・ミレージュ」
「……間違って、……おりません」
震える声で声が返ってきた。だが、俺の言っていることは事実だ。向こうが勝手に襲ってきたのだから。
「『黄金色の旋律』は敵対者に容赦をしない。今回はその勉強料ということで見逃してやる。俺たち自身には魔法世界エルトクリアを害する意思は無い。が、お前たちの今後の態度次第ではその限りではないことをよく覚えておけ。警告はした。次は無い」
それだけ告げて、エルトクリア大闘技場の外へと飛び出した。
★
「……ミレージュ隊長」
仮面をつけた魔法使いと、白のローブを身に纏った魔法使いの2人が去った後、ふらふらと立ち上がった魔法聖騎士団のうち1人が、恐る恐る大闘技場警備隊隊長であるアル・ミレージュに声をかけた。
タキシード姿のアルは、壁に手を添えてゆっくりと立ち上がる。
「……想定を、……遥かに上回っている。噂は誇張なんかじゃない。『黄金色の旋律』、化け物揃いの集団というのは、……本当だったようね」
アルの呟きに団員達もまばらであるが頷いた。国の存亡に関係無いのなら関わりたくないです、と顔に書いてあるかのようだった。ハンカチで口元を拭きながら、アルは自らの指示を仰ぐために待機している団員に告げる。
「この場での情報は、私が責任を以て統括隊長とギルマン卿に報告する。貴方たちは心配しなくていい」
この場での情報とは、『黄金色の旋律』の構成員と思われる人物たちの捕縛失敗、相手方の能力、そして最後の警告について。先ほど聖夜から脅しとも取れる忠告を受け取ったが、その程度で言いなりになるほどアルも弱くない。
もっとも。
聖夜からすれば、アルのその行動こそが望むべきものだったわけだが。
☆
大雪だった。
視界に支障を来たすレベルでの降雪に、うんざりしながらも進むスピードを速める。試合開始前に、エルトクリア大闘技場があるホルンからフェルリアまでの地理は頭に叩き込んでいる。屋根から屋根へと跳躍し、ホテル『エルトクリア』のあるフェルリアを目指す。
お姫様抱っこの状態で運んでいたヴェラから腕を突かれた。風で舞いそうになるクロッキー帳を手で押さえながら俺へと見せる。
『自分で走れる』
「あぁ、そうだよな。悪い悪い」
飛び移った屋根の上でヴェラを下ろした。エルトクリア大闘技場からホルン駅までの道は、人だかりで凄い事になっている。ところどころに魔法聖騎士団の姿が見え隠れしており、混乱を抑えようと必死になっている。どうやらエルトクリア大闘技場に襲来したナニカの件で、群集がパニックを起こし始めているようだ。
懐に入っていたクリアカードが振動した。
取り出して確認すると、メッセージが一件届いている。
名前 :T・メイカー
職業 :魔法使い
職業位:B
所属名:黄金色の旋律
所属位:S
所持金:1000E
備考 :【アギルメスタ杯】エントリー中No.378
伝達 :【未読】エルトクリア大闘技場における未確認生物出現について。
内容は、ほぼ予想通り、先ほど乱入してきたナニカについての情報だ。
情報と言ってもナニカ自身に対するものではない。防護結界の中に舞い降りてきたこと。その中にはウィリアム・スペードと“旋律”リナリー・エヴァンスがおり、既に討伐を開始しているということ。大闘技場には他にも『トランプ』が2名おり、被害拡散の心配はほぼ無いこと。よって、パニックを起こさず冷静に対応してほしいこと。
これを読む限りでは、どうやらこの国はナニカという存在を国民に周知していないようだ。俺と龍が遭遇した時が、この国にナニカが出現して人と遭遇した初めてのケースだったのか。それとも、前々からその存在は知られていたが、一部の人間がその情報を揉み消していたのか。判断に迷うところだな。
しかし、結果としてこんな衆人環視の状況下でナニカの存在は晒されてしまったのだ。仮に後者だとするならば、討伐が速やかに完了したとしても、国として色々と面倒なことになりそうだ。
まあ、俺には関係ない話だが。
メッセージを閉じてクリアカードをしまう。同じようにメッセージが届いていたであろうヴェラも、クリアカードから俺へと目を戻した。
「行くか」
ヴェラが無言で頷く。同時に身体強化魔法を発現したのを確認してから屋根を蹴った。再び、荒れる群集の上へと舞い上がる。
こりゃあ、さっさと出国しないと面倒事に巻き込まれるのは確定だな。
次回の更新予定日は、7月3日(金)です。