前へ次へ
176/432

第10話 アギルメスタ02 ⑤




『ふ、吹っ飛んだー!! メイカー選手とメイ選手!! お互いの痛烈な回し蹴りがクリーンヒット!! け、決戦フィールドの半径は約200mあるのですが!! その距離をノーバウンドで吹き飛び!! そのまま側壁に激突だーっ!!』


『これはかなり効く一撃だっただろうね!!』


 マリオの横でカルティも叫ぶ。大歓声が決戦フィールドを包み込んだ。見ごたえのあった近接戦闘を演じた2人へと、惜しみの無い賞賛が降り注ぐ。

 しかし、当然ながら両者の戦いは終わっていない。自らの身体が直撃したことによって抉られた側壁。それを足場として、メイカーとメイの両者が跳躍する。体感としては5秒あったかどうか。400mあった両者の距離は、文字通り一瞬にしてゼロに戻った。


 再び激突したメイカーとメイだったが、今度は拮抗しなかった。振り上げたメイカーの手をメイが払いのけ、ひじ打ちがメイカーの仮面を直撃する。


「ぐっ」


 メイカーの仮面からくぐもった声が上がる。しかし、メイの攻撃は止まらない。ひじ打ちによって吹き飛ぼうとするメイカーの脚を掴んだメイが、拳を腹へと叩き込んだ。メイカーが地面へと叩き付けられたことで、決戦フィールドが派手に隆起する。


「くそっ」


 悪態を吐きながらメイカーが『移動術』を利用してその場から消える。しかし、それは時間稼ぎにすらならなかった。移動後のメイカーが現状を把握するよりも先に、メイが肉薄。その脇腹へと回し蹴りを叩き込む。

 メイカーが再び吹き飛んだ。しかし、今度のメイはそれを追わなかった。


 高速戦闘の合間に出来た空白の時間。

 拍手が決戦フィールドへと降り注ぐ。しかし、それは先ほどまでの惜しみなき賞賛によるものではない。もちろん、メイの素晴らしい攻勢への賞賛はある。しかし、戦況が一変し、優勢であったメイカーが防戦一方になりつつある試合展開に、戸惑いを覚えているものが大半だった。







「ぐっ……」


 ふらつきそうになる身体を、何とか支える。仮面の位置を直す振りをして時間を稼ぐ。


 ……ちくしょう。

 頭が、……痛ぇ。


 これは今喰らったひじ打ちのせいじゃない。来てしまったのか? “神の書き換え作業術(リライト)”の副作用が。

 耳元でざわめく『虹色の唄』の雑音(ノイズ)がうるさい。手で払う仕草をして、それが無意味であるという当たり前の事実に気が付く。それが余計に癪に障る。


 早い。副作用が出てくるのが早すぎる。まだ昨日の試合時間の半分も経過してない。

 いや。使用回数は既に超えているのか。“神の書き換え作業術(リライト)”のフェイクに“神の書き換え作業術(リライト)”を使用して転移場所を転々と変える戦術がここで響いてきたか。しかし、その戦術が悪手だったとは思えない。そうしなければここまで試合は続いていなかっただろう。


 何が短期決戦だ。

 もう十分持久戦へともつれ込んでしまっている。完全に相手の思う壺だ。直立したまま攻めてこないメイ・ドゥース=キーを窺う。残念ながら息ひとつ切らしているように見えない。


 嘘だろ。

 こっちはもう肩で息をしてるってのに。


「いやぁ、良い動きするよなぁお前。すげーすげー。その年でそこまでやれんのは本当にすげーよ」


 手を叩きながらそんなことを言ってくる。

 この男……。『その年で』ってことは、本当に俺のことを知ってるってことだ。今の発言がマイクに拾われてなくて良かった。いや、助かった、か。この男が下手に口を滑らせる前に、決着をつけなければならない。


 ……。

 どうやって?


 弱気な声が、俺の心へと反響する。

 だが、その疑問はもっともだ。どうすればいい。どうすれば俺はこの男に勝てる? 「スロースターター」という宣言通り、時間が経過しもはや完全に覚醒してしまっているこの男を。


 メイ・ドゥース=キーが一歩を踏み出した。同時に一歩下がりそうになった俺自身に驚く。

 なんで、完全に萎縮しちまってんだよ。

 俺の心境を悟ってか、メイ・ドゥース=キーが動きを止めた。完全に傍観の構えだ。俺の気持ちの整理がつくのを待っているのか。


 ……馬鹿にしやがって。

 俺とこの男の間には、それほどまでに差があるっていうのかよ。


 ……。

 ……、……ん?


 ちょっと待て。

 差があるのは当たり前なんじゃないか?


 相手はアギルメスタ杯の決勝まで上り詰めた男だ。強いのは当たり前だし、“不可視の弾丸インビジブル・バレット”の改良や新MC『虹色の唄』の入手、ちょろ子との共闘など、色々な幸運も重なって決勝までやってきた俺より強いのは当然だ。

 いや、そうだ。そうだよな。そうだよ。

 気付いた。気付いてしまった。


 ――――俺は、勘違いしていたのか。


 魔法世界で開催されるアギルメスタ杯。攻撃特化の火を司るアギルメスタの名を冠した大会だ。俺より強い奴がいるのは当たり前じゃないか。アリサ・フェミルナーだって、龍だって。1対1で戦っていたらどうなっていたかは分からない。そもそも余裕で通過できた予選だって、試合前にたまたま『虹色の唄』を手に入れられて、たまたま師匠から“不可視の弾丸インビジブル・バレット”の派生形となるヒントを貰えただけだ。


 俺は強い?

 この大会で誰よりも?

 馬鹿言ってんじゃねーよ。あくまで俺は挑戦者だったはずだ。俺の力がどこまで通用するのか。“呪文詠唱が出来ない”というこの体質を持つ俺が、いったいどこまで通用するのか。

 それを試す機会だったはずだ。


 師匠の手によって名を上げた『黄金色の旋律』。そのメンバーの1人が出てくるんだ。そりゃあもてはやされるに決まってる。

 その熱にあてられて天狗になってたのか……。

 知らず知らずのうちに?


「ははっ」


 笑ってしまう。

 いや、笑うしかない。


 俺はなんて馬鹿な考えに侵されていたんだろう。

 いつの間にか、T・メイカーはメイ・ドゥース=キーに負けるはずがないと思っていたんだ。T・メイカーが勝つのは当たり前で、メイ・ドゥース=キーが挑戦者として必死に抵抗してくる様を妄想していただけだ。


「ははっ、はははっ、はははははっ!!」


 俺はとんだ大馬鹿野郎だ。


『え、えっとぉ。な、なんか今度はメイカー選手が突然笑い出したんですが……。ど、どう思いますか、カルティさん』


『うーん。今、決戦フィールドに立っているのは、おそらくアギルメスタ杯始まって以来の強者2人。そう評価しても過言とは言い切れない程の実力者だからね。強者同士で拳を交えているうちに、僕ら常人では及びつかないような境地を垣間見ているのかもしれないね』


『なるほど。その領域に足を踏み入れた者にしか理解できない。そんな境地にメイカー選手も至ったわけですね』


 俺が行き場の無いやるせなさを笑いに還元している間に、実況解説はおかしな結論に辿り着いていた。なんだ、その境地って。ぜひ、俺も連れて行ってほしい。


「……どうした? 頭でもイカレたか?」


 怪訝そうな声色でメイ・ドゥース=キーが質問してくる。相当失礼な疑問だが、急に笑い出したのは俺だしそう思われるのも仕方がない。

 けど、良かった。

 未だに“神の書き換え作業術(リライト)”の副作用で頭は痛いし、『虹色の唄』から聞こえる雑音(ノイズ)もそのままだ。

 それでも。


「スッキリした」


「は?」


 俺の言葉に、メイ・ドゥース=キーがハテナマークを頭に浮かべた。

 それでいい。

 そうだ。


 俺は、あくまで挑戦者。相手は、俺の体術をうまく捌けて、力任せの“不可視の弾丸インビジブル・バレット”をその身に受けても動じない魔法使い。

 胸を借りるつもりで挑む。


 そうだ。

 それでいいんだ。


「ふぅーっ」


 意図的に大きく息を吐き出し、構えを取る。


「む?」


 俺の心境の変化を察してか、メイ・ドゥース=キーも僅かに身構えたのが分かった。


「再開できるのか?」


「あぁ、待たせたな」


 試合終了まで魔力が持つか?

 思考回路は耐えられるか?


 そんなことは関係ない。

 まずは。

 この男の仮面を剥ぎ取る。


 そこに、今の俺が出せる全てを賭けてみよう。







 試合は、再び拮抗する。


 突き出された腕をメイカーがしゃがみ込むことで躱す。足払いを仕掛けられたメイが、最小限の跳躍で回避した。そのまま足を振り上げてメイカーの顎を狙う。それに手を添えて軌道を僅かにずらしたメイカーが、お返しの膝蹴りを見舞おうとした。しかしそれは、寸前のところでメイの手によって抑え込まれる。


 直後、宙にいたメイの身体が何かの衝撃を受けたかのようにバランスを崩した。実況解説や観客は知る由もないことではあるが、メイカーの“不可視の弾丸インビジブル・バレット”が炸裂したのだ。


 空中で半回転したメイが、片手で地面に着地する。そのまま身体を捻って回し蹴りを繰り出した。それを最小限のバックステップで回避したメイカーが即座に距離を詰め直し、メイの仮面へと手を伸ばす。逆立ちの体勢だったメイが右足を振り下ろした。メイカーの手が仮面に届くことなく地に叩き付けられる。同時にメイの左足が弧を描いてメイカーの頬を打った。吹き飛びかけた仮面を、ぎりぎりのところでメイカーが押さえ込む。


 地に足をつけたメイが体勢を整えることなく距離を詰めた。再び仮面へと手を伸ばすが、その手は何の前触れもなく見当違いの方向へと弾かれる。


 悔しさの滲み出るような舌打ちが1つ。


 その一瞬の空白を突き、メイカーが両手を打ち鳴らした。急にバランスを崩したのか、たららを踏んだメイが数歩後退する。瞬間、その背後にメイカーはいた。人差し指をメイの肩口へと突きつけて。

 咄嗟にメイが身体を捻る。翻るローブには、指が一本通るほどの風穴が空いていた。その延長線上にある観客席、その正面を守る結界が凄まじい衝撃音を轟かせる。興奮状態でメイカーとメイの戦闘を実況していた実況解説2人が、注意喚起の言葉を口早にまくし立てた。


 その間にも戦闘は続く。


 メイカーの指先の動きに添うようにして、決戦フィールドに5本の亀裂が生まれた。メイが、何かを掻い潜るかのような動きを見せる。その隙に目にも留まらぬ『移動術』で距離を詰めていたメイカーの蹴りが、メイの顎を打ち抜いた。

 ――かに見えたが、ぎりぎりのタイミングでメイの腕が顎を守っている。それを確認したメイカーは、腹いせのように浮き上がるメイの身体へと容赦なく横蹴りを決めた。


 地面に打ち付けられたメイの仮面へとメイカーが手を伸ばす。しかし、直前でメイが仕掛けた足払いが決まり、メイカーがバランスを崩した。即座に飛びかかったメイだったが、その腕は空を切る。

 メイカーの居場所を見失ったかに思われたメイだったが、特に焦った様子もなくゆっくりと立ち上がった。風穴の空いたローブの汚れを叩きながらメイカーのいる方へと目を向ける。


 両者の距離は、100m近く空いていた。

 メイは笑う。裏表の無い気持ちの良い笑い声だった。しかし、メイカーはそれが終わるのを待たない。


 距離は、瞬く間にゼロに戻る。メイの笑い声は、断続的に響き渡る打撃音ですぐに掻き消された。メイカーの攻撃をメイが弾き、メイの攻撃をメイカーが弾き返す。まさに一進一退。両者は目にも留まらぬほどの攻防を、休むことなく繰り広げる。


 観客席のうち、誰かがこう呟いた。「すげぇ」と。

 おそらくそう呟いた人間は、今この決戦フィールド内で火花を散らしている両者の一挙手一投足全てを目では追えていない。


 殴った瞬間。

 殴られた瞬間。


 蹴った瞬間。

 蹴られた瞬間。


 攻撃した瞬間。

 攻撃を受けた瞬間。


 防御した瞬間。

 防御された瞬間。


 その場その場の断続的な光景が、飛ばし飛ばしに脳裏に焼き付いているだけだ。しかし、だからこそ分かる。そう、分かってしまうのだ。

 身体強化系の魔法を主軸としたこの近接戦闘。

 その、次元の違いが。


「凄いな」


「あぁ、すげぇよ」


「こんな戦い方ができるのか」


「魔法って、すげぇ」


 感嘆のため息が。

 感動の言葉が。

 次々と広がっていく。


 アギルメスタ杯決勝。

 常人では決して到達できないであろう戦闘を繰り広げる2人を見て、ほぼ全ての観客が賞賛と羨望の眼差しを向けた。言葉にならない感動は、ため息として吐き出した。奇跡のようなこの光景を、少しでも脳裏に焼き付けようと目を凝らした。


 しかし。

 その拮抗も遂に崩れる時が来る。


 それは、メイがこれまで温存していた奥の手によって訪れた。







 流れていく景色がゆっくりに見える。

 流れてくる音が鮮明に聞こえる。

 拳を交えるたびに、神経が研ぎ澄まされていく感覚。


 俺の仮面へと伸ばされるメイ・ドゥース=キーの手。そして、それを庇おうとする俺の腕。攻める側と防ぐ側。立場を逆転し、逆転され、ここまでやってきた。


 拮抗。

 間違いなく、俺は目の前にいるこの男と対等に勝負できている。

 そう思っていた。


 しかし。

 庇おうとした俺の腕が、急に何かに弾かれる。


 いや、何に弾かれたのかは分かってる。

 そうだ。

 俺は忘れていた。

 天道まりかを下した時、この男が何をしていたのかを。


「しまっ――」


 弾かれる前、ほんの僅かな間にメイ・ドゥース=キーから魔力があふれ出るのを察知した。しかし、察知できたからといって、対応が間に合うかどうかは話が別だ。


『あれ、踵落としと一緒にただ単に魔力を放出していただけですよね?』


『そうね。生成・圧縮・放出・解放の手順を踏む“不可視の弾丸インビジブル・バレット”と違って、あれは生成・放出だけで行われているだけの技法ね。もはや技法と呼ぶかどうかも疑問だけれど』


 師匠との会話が脳裏を過ぎる。

 生成・放出の2つの手順で行使できる、隠密性を捨てた“不可視の弾丸インビジブル・バレット”の亜種とも言うべき技法。

 それを、この場面で使われた。


 兆候の察知は容易?

 察知できただけじゃ意味無ぇじゃねーか!!


 仮面の下で、メイ・ドゥース=キーが口角を吊り上げたのが分かる。仮面を庇おうとした俺の腕は、完全なる不意打ちで弾かれたままだ。


 やられた、と。素直にそう思った。

 この男は最後までこの技法を使ってこなかった。最善とも呼べる瞬間まで、この男は奥の手を温存していた。実力だけじゃない。戦術的にも敗北した。完敗だ。


 メイ・ドゥース=キーから伸ばされた手が、そのまま俺の仮面へと触れる。

 終わった。

 悔いは無いと言ったら嘘になる。しかし、やれるだけのことはやれたという自負はあった。


 問題があるとすれば。

 それは、俺の正体が、バレ――、


「悪ぃな。俺の勝ちだ。セイ――」




《『水の球(ウォルタ)』》




 その声は、確かに俺の耳へと届いた。この場にそぐわぬ、透明感のあるその声が。

 突如発現された水の塊が、一直線にメイ・ドゥース=キーへと襲い掛かる。


 そして。

 メイ・ドゥース=キーの腕が弾かれた。


 俺の仮面へと伸びていたメイ・ドゥース=キーの腕が、見当違いの方向へと向いている。俺だけではない。当然ながら、メイ・ドゥース=キーも突然のことに身体を硬直させていた。




 それは、この試合始まって以来、最大の隙。




 咄嗟に、メイ・ドゥース=キーの両腕を俺の両腕で掴み、抑え込む。


「なっ!?」


「ああああああああああああああああああ!!!!」


 咆哮。

 比喩ではなく、俺の魂の咆哮だった。


 ようやく手に入れた最初で最後の、最大の隙。

 なけなしの力を振り絞る。


 俺の脚が振り上がった。

 軌道から逸れようと動くメイ・ドゥース=キーを力づくで抑え込む。


 そして。

 一瞬という長い長い時間を経て。

 俺の脚が、メイ・ドゥース=キーの顎を一直線に打ち抜いた。 

 振り抜く瞬間に感じる、僅かな引っかかり。メイ・ドゥース=キーの被る仮面へと、俺のつま先がかかる。その感触を脳が認識するのと同時、痛む思考に鞭を打ち魔力を振り絞る。


「らあああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!」


 この一撃でこの男を沈められるとは思っていない。相手は“不可視の弾圧(クラック・ダウン)”すら耐え抜く魔法使いだ。


 それでも。

 これで、最後。


 これは追加で加えられたルールの勝負であり、試合の決着ではない。


 それでも。

 この試合。

 俺の全てを賭けるだけの価値がここにはあった。


「“不可視の鉄槌インビジブル・ハンマー”!!!!」


 メイ・ドゥース=キーの顎を打ち抜いた脚を。

 俺の莫大なる魔力の塊と一緒に。

 最後まで振り抜いた。







 純白で染まる決戦フィールドに。

 漆黒の仮面が宙を舞った。






 

 あれだけ手を伸ばしても届かなかった漆黒の仮面は、本当に呆気なく決戦フィールドへと転がったのだろう。乾いた音すら鳴らない。積雪によって衝撃を吸収されたことで、その存在感を周囲に知らしめることなく仮面が地に落ちたのだ。

 しかし、俺はその様子を目で追うことができなかった。


 最後にあった一瞬の攻防。その中で放たれた、水属性が付加された魔法球『水の球(ウォルタ)』。

 俺は発現していない(、、、、、、、、、)

 俺は戦闘で利用できるほどの魔法球は発現できないのだから。

 メイ・ドゥース=キーが自らを邪魔するために発現するはずもない。

 誰が発現したのかが(、、、、、、、、、)分からない(、、、、、)

 決戦フィールド内に外から干渉することは不可能だ。解析カメラもあるし、仮に出来たとしても不正はすぐに発覚する。


 では、誰が?

 しかし、その正体への考察すら、俺はすることができなかった。




 俺に相対する男の正体を知ったことで。




「……仮面が、……無ぇ」


 魔力の塊を宿して顎を打ち抜いたことで脳震盪でも起こしたのか、多少ふらつきながら、男は呆然と言う。自らの顔に手のひらを押し付け、仮面が無いことを感触で確かめている。自らの顔を撫で回すようにして動いていた男の手が、その動きを止めた。

 蒼い瞳が俺を見据える。


「……やるじゃねーか」


 呆然としながらも、それは心から出た賞賛の言葉であると感じた。

 男は左手で自らの顔を覆ったまま、右手をゆっくりとローブへと添える。一瞬身構えそうになったが、その動作を見て思いとどまる。どうやら潔く勝負に関しては負けを認めるらしい。


 深く被っていたローブを下ろす。同時に、顔を覆っていた左手も下ろした。

 仮面とローブによって隠されていた顔が、白日の下に晒される。

 金髪碧眼。その髪はヘアワックスによってツンツンに立たされていた。


 男の正体とは――――。


 魔法世界最高戦力と謳われる、王族護衛『トランプ』。

 8つしかない席に坐す最強の一角。


 ウィリアム・スペードその人だった。







『なっ』


 会場の沈黙を破ったのは、実況のマリオだった。


『なにやってんのあの人ォォォォ!? 嘘でしょ!? 冗談ですよね!? 謎に包まれた黒仮面の魔法使い、メイ・ドゥース=キー!! その正体はなんと王族護衛「トランプ」の一角ウィリアム・スペード様ァァァァ!?!?』


『……これは、流石に想像していなかったというか。えっと、他人の空似とかじゃない? できればそうであって欲しいというか』


『空似で済むレベルじゃないでしょカルティさん!? あれどう見ても本物ですって!! 遺伝子レベルで合致してないとあそこまで似ませんよ!! 馬鹿じゃねーの!? 馬鹿じゃねーの!! 何してんスかあの人!! 無理無理勝てるわけないですって!! 道理でメイカー選手の猛攻をその身に受け続けていても平気なはずだよ!! 「T・メイカーの仮面の下も実はリナリー・エヴァンスでした」くらいのどんでん返しが無いともう話にならないって!!』


『アギルメスタ杯に限らず、七属性の守護者杯に選手として参戦することは不文律で禁止されていると思っていたんだけど……。これであの方が本当にスペード様だったらちょっと問題だよ』


『ちょっとどころじゃないよ!! メイカー選手に賭けてた人は大損じゃないっスか!! ほんともうなんてことしてくれてんだあの人は!!』


『マ、マリオ君。気持ちは分かるけど言葉遣い戻そう。言葉遣い』







 会場のVIP席にて、観戦していたクィーン・ガルルガは、その光景を目の当たりにし、怒りで肩を震わせた。


「……スペーェェドォォ」







 王城の王女のプライベートルームにて、頬杖をつくアイリスの後ろで、共に試合をモニター観戦していたキング・クラウンは、ゆっくりと瞼を下ろした。


「……」







 王城にて、束となった資料にサインを加えながら試合をモニターで垂れ流していたシャル・ロック=クローバーは、ペンを握る手を止めて天を仰いだ。


「なんたることを……」







 会場のスィートルームにて、聖夜の試合を見守っていたリナリー・エヴァンスは、やり場のない憤りをため息に変換して、意図的にゆっくりと吐き出した。


「……まさかとは思ったけど、……まさか、本当に」







 王城にて、慌てた様子の魔法聖騎士団の1人から事情を聞いたジャック・ブロウは、予想の遥か斜め上を突き抜ける展開に、思わず手にしていた魔法剣を取り落としそうになった。


「……あの、……愚か者がぁぁ」







 会場のVIP席にて、クィーン・ガルルガと肩を並べて試合の推移を見守っていたアルティア・エースは、嫌悪感をむき出しにしながら唸るように口を開いた。


「……救いようの無い戦闘狂めが」







 王城にある浴場にて、泡塗れになった手で白髪を掻き揚げながら、クリスティー・ダイヤは妖艶なる笑みを浮かべた。


「本当に、……面白い人ねぇ」







 王城の本殿すぐ脇にそびえ立つベニアカの塔にて、日課となった正座の刑に処されていたクランベリー・ハートは、ひっそりとモニター観戦していた試合の経過を目にして、人知れずガッツポーズをした。


「いよぉーしっ。これでクィーンの怒りは分散されるはずっ」







 そして。

 誰よりも間近でその光景を目にした中条聖夜は。


「ははっ」


 顔を覆う白仮面の下で。

 ――――笑った。

次回の更新予定日は、6月26日(金)です。

前へ次へ目次