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片桐 沙耶ss 『貸し借り』

 これは活動報告にて掲載していた記念ssです。

 内容に変更はありません。

 目覚ましが鳴る5分前に起床。

 それがいつの間にか日課になっている私は、鳴り出す前の目覚まし時計のボタンを押して起き上がります。固くなった身体を解して布団から出た私は、洗面所で手早く身だしなみを整え、制服へと袖を通しました。

 ふと、カレンダーへと目が行きます。

「……もう3日も経つのですか」

 そろそろ、やるべきことはやっておくべきでしょうね。

 ……問題は、どう切り出すべきか、ですが。

 頭の中に、白髪のクラスメイトの顔が過ぎりました。



 選抜試験が終わり、クラス替えが行われてから早3日。

 私は、生徒会特権によってClass=A(クラスエー)へと進みました。正直、試験によって評価を受けている他の学生への後ろめたさが無いわけではありません。だからこそ、人一倍努力して結果を出すことは、私たち生徒会役員の義務でもあります。恐縮し続けていれば納得してもらえる立場ではないのですから。

「あ、沙耶ちゃーん。おっはよー」

「おはようござます」

 学生寮の玄関で密かに決意を新たにしていたところで、後ろから声を掛けられました。

 声の主は、ちょうど女子棟のセキュリティドアを開けてやってきた副会長と花宮さんです。

「すみません。待たせてしまいましたか?」

「いえ、平気です。私も今来たところですから」

 花宮さんからの問いにはそう答えます。嘘ではありません。

「良かったわ。さっ、行きましょうか」

 副会長はそう言うと、笑顔で玄関口の自動ドアを開きました。



 Class=A(クラスエー)の教室がある別館へと、3人で向かいます。クラス替えをしても、この日課は変わっていません。そもそもここにいる3人はみんな生徒会役員ですし、教室も一緒ですから。

 それにしても、気持ちの良い朝です。

 柔らかな朝日、穏やかな風。

 それでも、今朝決めたことが脳裏を過ぎります。

 ……こういうことは、副会長に相談してみるべきでしょうか。

「沙耶ちゃん、何かあった?」

「……何が、とは何でしょう?」

 相談してみるべきか。

 そう思った瞬間に、隣を歩いている副会長から指摘され、思わずそう返してしまいました。

 個人的には無表情でいたつもりでしたが、この人は欺けなかったようです。

「いや、いつもと違う表情をしてたから。ねえ、愛ちゃん?」

「え!? え、えーと。……そうですね。違う顔をしています」

「花宮さんは無理して話を合わせなくて結構です。副会長も。別段、変わったことはありません」

 あうあう、と口をぱくぱくさせている花宮さんを視界の端に捉えながら、副会長にもそう告げます。

 思わず流れに乗って否定してしまいました。ただ、もともとこれは私と彼の問題なのです。ならば、これは人に相談せずに自分でやり切るべきでしょう。

「そお? ならいいけど……。困った時はいつでも相談してね」

 ウインクひとつに素敵な笑顔を向けてくれる副会長。

 この人には適わないな、と改めて思わされました。



 正攻法。

 結局、正面から行くことにしました。

 あらかじめ鑑華さんには理由を説明した上で話をつけておき、横やりを入れないようにしてもらいます。その説明を聞いていた副会長がにんまりとした笑みを浮かべたことや、花宮さんが顔を真っ赤にして視線を逸らしたのは、おそらく別の事情によるものでしょう。そうに違いありません。そのはずです。

 彼が教室に入ってくるときは、決まって後ろの扉から。

 なので、その扉が開くのを立って待ち構えます。

 時間としては、そろそろのはずなのですが……。

 そう思ったタイミングで、目の前の扉が開きます。

「おはよー、……って。何してんだ片桐、そんなところで突っ立って」

 いきなりご挨拶な男ですね。

 ……いえ、落ち着きましょう。今日の私はそんなことを言える立場にありません。

 さっさと言ってしまいましょう。

「そろそろ返そうと思います」

 これで用件は伝わったはず。

 ……。


 ……そう思った私は間違いでした。


 彼の顔が、「何言ってんのこいつ」みたいな表情に変わります。

 ……この鈍感め。



 私はまだ、この男に借りを返せていません。

 朝のホームルーム。

 前の席に座る男の背中を眺めながら、私はどうすべきかと頭を悩ませています。


 選抜試験終了後。

 未熟な私は、彼の肩を借りなければ歩けないほどに疲弊していました。

 つい先ほど負けた相手の肩を借りるなど屈辱極まりない話でしたが、彼は無理やり私の身体を……、いえ、何でもありません。

 そう。肩です。肩を借りたのです。それだけです。背中が思ったより広かったことなど知りませんし、意外と肩幅があったことももちろん知らないはずです。たぶん昔お父さ、御父上におぶってもらったことを憶えていたのでしょう記憶が混同しているに違いない落ち着け私あれは忘れて。

「あの時の中条君のセリフ、カッコ良かったもんねー」

 そ、そうですね。それには同意せざるを得ません。「仲間の間に貸し借りは無くて、あるのは助け合いだけだ」なんてそれはちょっとドキッときましたですが真顔であんなセリフを吐くなんて信じられないというかまったくこっちも泥でも吐きそうで困っちゃいますよねどうしたものでしょうあの愚か者は。

「パ・ン・ツ、の色まで知られちゃってたもんねぇ」

 そ、そうです。そうですよ。あの痴れ者はあろうことか選抜試験中も私のぱ、ぱん、……し、下着を見ていたのです。それを、そ、それを生徒会役員が勢ぞろいしていたあの場所で……、ゆ、許すまじ。

「こりゃもう告白まで行っちゃうしかないんじゃないですかねぇ沙耶さんや」

 そ、そうなのでしょうか?

 確かに、殿方にし、下着の色まで確認されてしまったからには相応の責任というものが発生して然るべきなのでしょうか。

「あんな身体を密着して登場してきたんだもの~。そりゃ周囲もゴールインを期待しちゃっているわけで」

 ご、ごーるいん?

「……そ、……それはいわゆるけ、結婚というやつでは」

 相手に合わせて声を潜めます。

「もうもう沙耶ちゃんったら~、それしかないでしょう~?」

 そ、そうですよね。そ、そうですか。結婚。私は


 ……。


 ?


 ……。

 ゆっくりと。

 今まで私の方へと顔を寄せてひそひそと妄言を垂れていた人物へと視線を向けました。

 ウェーブのかかった銀髪の持ち主は、私の視線を受けて「えへっ」と笑います。

 私も笑顔を返して木刀に手を掛けました。


 結局。

 副会長がお昼に抹茶アイスを奢ってくれることになったところで、ホームルームが終了しました。

 ……白石先生。

 何も聞いていませんでした。

 すみません。

 全てこの男が悪いんです、と私は前に座る男の背中を睨み付けます。

 私の心でも読んでいたかのようなタイミングで、前に座る男が視線をこちらに向けてきました。

「……何かご用命でしょうか?」

 私に何をさせるか、ようやく決まったようですね。

 優柔不断な男は嫌われますよ。

 しかし。

「ちげーよ」

 投げやりな返答が来ました。

 ……くっ。誰のために進言しているとっ。



 その後も、休憩時間であの男が席を立つたびに。


「喉が渇きましたか? 飲み物を買ってきます」

「自分のだけ買え。俺はトイレに行きたいだけだ」


「今度こそ飲み物でしょう。それとも小腹でも空きましたか」

「前のクラスメイトに呼ばれてんだよ。早弁仲間は別をあたれ」


 授業中でも。


「ペンを落としましたね。私が拾いましょう」

「前に転がったペンを後ろの席の奴が取りに行くんじゃねーよ」


「指名されていますね。代わりに私が答えておきましょう」

「お前、指名した先生馬鹿にしてんのか?」


「今出された宿題は貴方では解けないでしょう。私が代わりにやっておきます。ノートを貸してください」

「このくらい俺でも解けるわ!!」


 お昼休みでも。


「ご注文を。食券を用意します」

「あ、俺今日パンだから。あと、ついて来なくていいから」


「今日は良い天気ですね。屋上で場所を確保しましょうか」

「教室で食う。ついて来んなって言ってんだろ」


「口元が汚れています。お拭きしましょう」

「その前に自分の手を拭け。抹茶アイス垂れてんぞ」


 放課後も。


「お帰りですか。荷物をお持ちします」

「お前、今日日直だろ。先に生徒会館行ってるから」


 ……。

 ……、……。

 ……、……、……。



「お前なぁ、何なんだよ今日は」

 超高速で日誌を書き終えた私は、超特急で教員室の白石先生へそれを渡しに行き、なぜか怪訝そうというか不機嫌そうな表情をしていた花園さん(同じく日直でした)に別れを告げて、長い階段を3段飛ばしで駆け上がって、超速度で生徒会館へと辿り着きました。

 会議室で待っていたのは、不機嫌そうな彼の顔。そしてニヤニヤ笑いの副会長。……何かあったのでしょうか。花宮さんも動作がなぜかかくかくしていますし。

 ああ、いえ。

 その前に言うべきことがありました。

「お待たせして申し訳ございません」

「何なのお前本当に勘弁してくれ!!」

 目の前に立つ男が吠えました。

 なぜでしょう。これでも可能な限り早く馳せ参じたつもりでしたが。

 この男のやって欲しいことに私は間に合わなかったのでしょうか。

 ……それとも他に理由が?

 頬に汗が伝います。

 ……汗?

 え。

 わ。

 私、汗臭いっ!?

「もっ、申し訳ございませんっ!!」

「あ、おいっ!?」

 脱兎のごとく逃げ出した私は、化粧室へと駆け込みました。



「何だか面白いことになっているみたいだねぇ」

 化粧室から戻ってくると、ニヤニヤ笑いをしている輩が1人増えていました。

 最奥の席に座った会長は、その全てを見透かしていそうな視線を私の身体へと向けてきます。……普段は仲が悪いくせに、こういう時だけ兄妹結託するのは卑怯ですっ。

「状況を説明してくれるかい、中条君」

「拒否します」

 なんでそんな不機嫌そうに言うんですか。

 貴方が優柔不断で結論を出さないからこんなことになっているというのにっ!!

 ふと、キーボードを叩いていた鈴音さんと目が合いました。ブラインドタッチをし続けたまま、鈴音さんは貼り付けたような笑みを浮かべたのち、再び画面へと視線を戻します。

 ……。

 こ、こころがおれそうです。

「おい片桐」

 思わず目が潤みそうになってしまいましたが、彼の声で踏み止まれました。

「何でしょう」

 ああ、こんな冷たい言い方では何も解決しないというのに。なぜ私はこんなにも冷淡な声色でしか返せないのでしょうか。

「……ちょっと、面貸せよ」

 私の返答を待たずに、彼は会議室を後にします。

「ちょっとちょっと、若いお二人さん。お話ならここでできるだろう? なにせここは会議室だよ? 会話どころか会議ができる」

「会長? 文化連から文化祭場所割りについて問い合わせが来ておりますわ。早急に回答が欲しいと言われていますが」

「ええええええ。鈴音君、物事には優先順位というものが」

「そうですわねぇ。優・先・順・位がありますわよね?」

「そうだね。ちょっと電話してみよう。文化連の代表は(かけい)君だったかな」

 面倒臭い会長は鈴音さんにお任せしましょう。

 親指を立ててきた副会長は、明日も私に抹茶アイスを奢らねばならないようですね。楽しみです。



 生徒会館から離れ、階段を少し下ったところで彼は足を止めました。ここまで距離を空けたあたり、彼もあの会長の扱い方というか距離の取り方が分かってきたようです。賢明な判断と言えるでしょう。

「それで、話とはなんでしょう」

 先ほどよりは、柔らかく言えたでしょうか?

 自分ではよく分かりません。

「お前なぁ。今日はいったいどうしたってんだよ」

 彼はこちらを振り返るなり、こんなことを言ってきました。

「どうしたも何もないでしょう。言ったはずですよ。借りを返す、と」

「返す、って言ってもな。そもそも俺はお前に貸しを作った覚えがないんだが」

「とぼけないでください。選抜試験の日のことですよ。私のことをあんなに、……あ、あんなに、は、辱めたじゃないですか!!」

「その言い分じゃ全然貸し借りに繋がんねぇじゃねーか!! 人を犯罪者みたいに言うんじゃねーよ!!」

 はっ、そうでした。お、思わず本当のことを……、じゃないですそうです肩を借りただけ肩を借りただけ肩を借りただけ。

「あの日は俺はお前を背負って帰っただけで」

「わーーーーーーーーっ!! わーーーーーーーーーっ!! わーーーーーーーーーーっ!!」

「もう面倒くせーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 なっ!?

 め、面倒臭い!?

 こともあろうに、こ、この男、いま、面倒臭いって!?

「な、なんでそんなことを言うのですかっ!! こっちは善意で借りた借りを返そうと言うのに!!」

「本当に借りを作った気でいるんなら恩着せがましく返そうとするんじゃねーよ!!」

「なななな、何ですってぇぇぇぇ!?」

 がっ。

 我慢の限界ですっ。

 この男はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!

「わ、私がいつ恩着せがましくしましたか!? これでも選抜試験のことは私なりに反省しているのです!! 貴方は何も悪くなかった!! 会長の妄言に惑わされた被害者だったんです!! それなのに私は貴方へ苦痛を強いました!! やろうと思えばいくらでも貴方の手助けをできたはずなのに!! 試験でも貴方へ礼を失しました!! ええそうです!! そうですよ!! 手助けをしたいと思ったわけじゃない!! ただ!! ハンデを抱えた貴方へ本気を出せなかった!! 私の偽善です!! 馬鹿にされたと思ったでしょう!? 思ったはずだ!! でもしてませんよ!! 馬鹿になんてしてない!! するつもりもなかった!! でも確かに貴方が傷付くことを私はした!! それなのに!! 貴方は試験が終わった後!! 本当なら恨み言のひとつでも言ってやりたかったであろう私に!! 手を差し伸べた!! 手を差し伸べたんですよ!? 差し伸べてくれたんです!! 『仲間だから』って言ってくれたんですよ!? 『貸し借りなんて無い仲間だから』って!! 貴方に仲間としての価値があるかどうかを調べたこの私に!! どうしろって言うのです!? どうしろって言うんですか!! あの時私はどうすれば良かったんですか!? 今私はどうすればいいんですか!? 言ってください!! 言ってくださいよ!! 命令してください!! 私は貴方へ何をすれば良いんですか!! 何をすれば!! 私は!! 貴方に! 赦してっ、もら、え、……る」

 ……。

 ……、……。


 あ。


 あ、あぁ。


 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?


 ……う、嘘、です、よね。


 嘘。

 うそ、です。

 うそ。


 ……。

 ……、……。


 い。

 言って……。

 言って、しまった?

 言ってしまった。


 こ。

 こんな。

 こんな、はずでは。


 そんな。


 嘘でしょう。


 私は今何を言ったのです。

 し、信じられない。

 馬鹿じゃないですか。

 こ、こんなことを言って。


 こともあろう本人に。


 そんな。

 いったい何になると……。


 ふと、顔を上げると。

 黙り込んでしまった彼の顔。


 心の奥底でせき止めていたはずの、何か。


 こんなにも。

 こんなにも簡単に決壊してしまうなんて。


 そんな。

 どうすれば赦してもらえるかなんて。


 そんな馬鹿なことを、いま、わたし、くちして、……?


 あ。


 あ、ああ。

 あああああああ。


 ど、どうすれば。

 これじゃあ本当に恩着せがましい状態に……。


「……片桐」


 思考がまとまる前に、彼の声が耳へと届きました。

 これは、だめです。

 もうどうしようもない。

 どうしようも、ありません。

 こんな売り言葉に買い言葉のような喧嘩をしたかったわけでは決して


「すまん」


 ……。


「……、……え」


 ……。


 い。

 いま、なんと?


「いや、ほんとすまん。まさかお前がそこまで思い詰めてるとは思わなくてさ」

 目の前の彼は、気まずそうな表情で頬を掻きながら、私から視線を外しました。

「いきなり『そろそろ返そうと思います』とか何の冗談だ、って感じであしらっちまったからな、一日中。そりゃ怒るな。怒るわ。最低だな、俺」

 あはは、と中身の無い笑いを漏らしながら、彼は言います。 

「本当にすまない。そうだよな。お前、こういうこと不器用だもんな。察してやるべきだった」

「ぶっ、不器用!? 不器用なんかじゃありませんよ!!」

 いや、不器用でしょう。

 またもや条件反射のように売り言葉に買い言葉をしてしまった私は、呆れながら私自身にそう突っ込みました。

 彼もそれが分かっているのでしょう。

 やめてください。そんな穏やかな笑顔で今の私を見ないで下さい。

 あ、穴を、穴を……どこか入れる穴は。

「許してくれるか?」

 目の前の彼は、そんなことを聞いてきます。

 そんなこと。

 私は。

「ゆ、許すもなにも、今回のも私がいけないので」

「いいや。今回のは俺が悪いね。間違いない」

 ……なぜ胸を張る。

「貴方は悪くありません。私が悪いのです。許しを請うのは私の方です」

「あくまでもそう言い張るつもりか?」

「そうで、……違います。言い張るとかではなく、私が悪いのは不変なる事実なのです。決定的です」

「そうか。じゃああの時の貸し借りも無かった、ってことで。それも不変なる事実なので。決定的なので」

 はあ?

「何をふざけたことを。あれとこれとは話が別でしょう」

「別じゃないね。不変なる事実なので」

「喧嘩を売ってるんですか?」

「売ってないし。不変なる事実だし」

 ……買いたい。この喧嘩、高く買い取りたいっ。

 いえ、落ち着きましょう。落ち着け私。

 同じ過ちを繰り返してはならない。半分繰り返しかけている気もしますが、まだ間に合うはずです。

 ひ、ひとまず、深呼吸を。

 すー。

 はー。

 ……よし。

「……わ、分かりました。そこまで言うならいいでしょう。今回の件については、悪かったのは貴方です」

「お、耐えたか」

 ……お、落ち着け私の右手。

 得物に手を伸ばそうとするんじゃない。

「それじゃ今回の俺のミスは、選抜試験で作った貸しと相殺しといてくれ」

「……はい?」

 いったい何の話を持ち出してきているんですかこの男は。

「いやー、これで貸し借り無し。すっきりした関係になったわけだ。いやぁ清々しい気持ちってのはこういうことを言うんだな。まあ、これからも生徒会仲間としてよろしく頼むわ」

「ちょ、ちょっとお待ちなさいっ!!」

 勝手に解決して勝手に生徒会館へと引き返そうとする男を呼び止めます。

「何だよ。さっさと帰ろうぜ。あんまり待たせると副会長がヘソを曲げそうだ」

「そ、それには同意ですが、……そっ、そうではありません!! 何が相殺ですか!! 何も相殺できてませんよ!!」

「できてるって。いやぁ、今回の俺の失態はとんでもないモノだったわー。あの時に貸し作っといて良かったわー」

「棒読み!! 棒読みじゃないですか!! 許しませんよそんなことじゃあ」

「なあ、片桐」

 っ。

 またもや一気に捲し立てそうになった私を止めたのは、私の名を呼ぶ彼の静かな声でした。

「お前にとって、貸し借りって何だ?」

「何だ、と問われましても……」

 借りた恩は必ず返す。それは間違っていないはずです。

「正直に言うよ。とりあえず、怒らないで最後まで聞いてくれ」

 前以ってそう告げてくる彼に、思わず無言で頷きます。

「正直、しょーっじき。今日のお前、鬱陶しかった」

 な。

 な、ななな。

 ななんあななななんあなななんですってぇぇぇぇぇぇ。

 こっ。

 堪えろ、私。

 堪えてっ。

「けどさ」

 必死に耐えている私が面白いのか、彼は笑いながら続けます。

「さっきのお前の本音を聞けて、すげー嬉しかった」

「っ!?」

 全身の血が一気に顔へと集まったかのような感覚。

 何かを叫ぼうとして、結局叫べずに何度も口を開閉させてしまいました。

「お前にとってさ、貸し借りって何なんだ? 借りってやつは、必ず返さなきゃいけないものなのか? あぁ、いや、返した方が良い場合もあるのは分かってるけどさ」

 頬を掻きながら、彼は続けます。

「お前が言う借りを返すってやつは、無理やり1日パシリやったくらいで完了するものなのか? それでお互いの関係は、前と同じすっきりとしたものに戻るのか?」

「そっ、それはっ」

 違う。

 そう言いたい。

 けど、言えません。

 なぜか。

 今日の私は、彼に何をしてきたのだろう。

「仲間内でさ、……あー、あの時はまだ俺って役員じゃなかったのか。まあいいや。同じ学園の仲間なんだからさ。そりゃ見解の相違で喧嘩もするし、殴り合いもするよ。困ってたら手を差し伸べてやることだってあるだろうよ」

 ずっと私に向けられていなかった彼の視線が、やっと私の目を捉えました。


「そうしたら、『ありがとう』って返すだけじゃ駄目なのか?」


「――っ」

 そ。

 そんなセリフをこのタイミングで言うのはちょっとはんそ、いえ。

 大丈夫です。持ち直しました。

 ……持ち直すってなんですか。

「俺ら、まだ学生なんだぜ」

 何も言わない私をもう一度見て、彼は踵を返し、後ろ手にひらひらと手を振りながらこう続けました。

「もうちょっとゆるーくでいいんじゃないか? ゆるーくで」



「……ふぅ」

 シャワーを浴び、さっぱりとした身体でベッドへと倒れ込みます。

 今日の私は、らしくありませんでした。

 彼から言われるまで、空回りもいいところです。

 みっともない姿も見られてしまいましたし、猛省どころの騒ぎではありません。

 ……でも。

「どうすれば、いいんでしょうか」

 勉強机へと立てかけられた木刀が視界に入りますが、今は何の役にも立ちません。これまで剣の研鑚をひたすらに積み上げてきた弊害なのでしょうか。私には、こうしたことに対する経験がまったく以って不足しているようです。

 副会長に相談……、いや。あれは絶対に面白がって場を引っ掻き回すに違いありません。そうです。よく考えてみると、いえ、よく考えてみなくても今日の私の混乱を招いた一因はあの人にあります。抹茶アイスのダブル、いやいやトリプルくらいは奢ってもらわねば割に合いません。

 ……思考が逸れました。

「私は……」

 呟きながら、目覚まし時計の時間をセットし、部屋の電気を落とします。


『もうちょっとゆるーくでいいんじゃないか? ゆるーくで』


 眠気で意識を飛ばすまで。

 その言葉はずっと私の頭の中で反芻し続けました。



 朝の通学路。

「よお、片桐。ここで会うなんて珍しいな」

 副会長が抹茶アイスの4段重ねを私に奢ることが決定したタイミングで、後ろから聞き慣れた声が飛んできました。

 振り返るとそこには。

「よっ」

 本気を出した私でも敵わなかった、不思議な白髪の男子生徒。

 両隣には、なぜか不機嫌そうな表情をした花園さんと、優雅に一礼をしてくれる姫百合さんがいます。

「おはよー中条君。私や愛ちゃんに挨拶は無いの? それはそれでご挨拶だわ。うまいわねぇ中条君。そんな挨拶をしてくるなんて」

「早い早い展開が早い!! 少しくらい弁明させてくれよ!!」

 私がどう切り出そうか迷っているうちに、副会長が彼へとちょっかいを掛け始めました。相変わらずキレの良いつっこみです。

「ふ、ふふ」

「あ、あれ。片桐さん、今……」

「んんっ、何でもありません」

 すぐ隣で事態を傍観していた花宮さんに聞かれてしまったようです。

 気が緩んでしまったようですね。

 ……。

「ちょっと御堂さん、近いんじゃないでしょうかねぇ!! 不純異性交遊を生徒会が推奨していいのでしょうかぁ!?」

「あらいやだ花園さん。このくらいの距離感は生徒会では普通よ~? ねえ中条君?」

「俺に振んなよ離れろよ!!」

 ……でも。

「どういうことなのか説明して欲しいんだけど聖夜ぁぁ」

「魔力抑えて魔力抑えて!? もう反省文はごめんだぞ!! あれは黒歴史しか生まない!!」

 ……少しくらいなら。

「頼むよ片桐!! お前からも何とか言ってやってくれ!!」

「はい? そうですね……」

 私が口角を吊り上げたのを見て、彼の顔が引きつったのを確認しました。

 ふむ。

 なるほど。

 やはり私の助言はいらない、と。

 ならば。

「いや、やっぱお前の助力はいらな」


「いつものことじゃないですか? 見知った女をとっかえひっかえ。今更でしょう。そういえば、今日は鑑華さんとランチでしたっけ?」


「お、おまっ!? なんてこと言うんだお前っ!? お前ってやつは」

「聖夜ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「ちょっと待って舞!! 煙出てる口から煙が!! どんな奥義生み出したんだお前!?」

 ついに、花園さんが彼に飛び掛かりました。それを必死で抑えようとする姫百合さんと、横で見て笑うだけの副会長。何気に副会長酷いですね。

 まあ、私もですが。

 ……。

「……ありがとうございました」

 絶対に。

 それは、絶対に彼には聞こえないような音量で。

「え?」

「何でもありませんよ、花宮さん。さて、私たちは先に行きましょうか」

「え、ええ!? で、でもっ」

「片桐ぃぃぃぃ!! お前ほんといつも通りのお前に戻りやがったなぁぁぁぁ!? ぎ!? ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 いつか。


 彼に、私の力が必要になる時が来るかもしれない。

 だからその時は、全力で彼の助けになろう。

 私には、剣しかないから。


 ありがとう、って。

 そう言ってもらえるように。


 だから。

 それまでは。


 あの時の借りは、そのまま借りておきます。


 だから。

 それまでは。


 今は。

 今だけは。


 少しくらいなら。


「ゆるーく行きましょう。ゆるーく」

「ゆ、ゆるーく、ですか?」


 私らしくないであろうその言葉に。

 ハテナマークを浮かべながら隣を歩く花宮さんへ。


「はい。ゆるーく、です。たまには、そんな日もいいかもしれません」


 そう言って、私は空を見上げました。

 ブックマーク10000件を突破した記念にアンケートを行い、1位をとったキャラのssを書く、という企画を行っていました。……10000件を突破してから何ヶ月か経ってから行ったということは内緒。

 票数は274票。順位は以下の通りとなりました。


1位:片桐 沙耶

2位:中条 聖夜

3位:リナリー・エヴァンス

4位:花園 舞

5位:姫百合 可憐

6位:姫百合 咲夜

7位:豪徳寺 大和

8位:鑑華 美月

9位:御堂 紫

10位:御堂 縁

11位:杉村 修平

12位:白石 はるか

   合縁奇縁

14位:蔵屋敷 鈴音

   姫百合 美麗

16位:花宮 愛

   シスター・メリッサ

18位:本城 将人

   楠木 とおる

   一獲千金


 第一回アンケートの栄えある1位は片桐沙耶でした。投票していた方、おめでとうございます。自分の好きなキャラが選ばれなかった方は、次回(機会があれば)、是非リベンジしてください。


 ご協力ありがとうございました。

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