第19話 グランダール50 ③
★
アギルメスタ杯予選Bグループ。
試合開始10分前。
エルトクリア大闘技場は、とある1人の選手へ向けたコールが鳴り響くのと同時に、少しずつ険悪な空気が生み出され始めていた。
現在、中央の決戦フィールドに集結している出場者の数は99名。
Bグループの参加人数は100名。
開始まであと10分しかないにも拘わらず、まだ1人、姿を現していない選手がいた。
「……やっぱりこうなったわね。どこほっつき歩いてんだか」
リナリーは苛立ちを隠そうともせずにそう吐き捨てる。
エルトクリア大闘技場19階スイートルーム。
その一角を陣取る『黄金色の旋律』+ シスターの面々は、眼下に広がる光景に思わずため息を漏らした。
観客席からはこの事態を面白がって煽り立てる声、決戦フィールドからは怨念にも似た怒声があちこちから鳴り響いている。
仕方が無い、といった表情をしながら、リナリーは隣に座る幼女へ目を向けた。
「……ルーナ」
お揃いの真っ白なローブに身を包んだ幼女がリナリーを見る。
「悪いけど、お願いできるかしら」
「ん」
ルーナが立ち上がった。
「これ、証明書」
「ん」
リナリーがルーナへ自らのクリアカードを手渡す。ルーナは券面を見ること無く自らのローブへとしまいこんだ。
「え? どこか行くの?」
「ん」
美月からの質問に、ルーナが端的に答える。
「まさか、聖夜君を探しに行くとかじゃないよね」
「まさか」
「だ、だよね」
あはは、と美月が照れ隠しに笑った。
「えーと、どこか行くならそれ預かってようか?」
ずっとルーナが抱きしめるようにして抱えているぬいぐるみを美月が指差す。
「いい」
ルーナはこれも端的に答えた。
そして。
「これがないと、だめだから」
★
「お嬢ちゃん、迷子かい? ここから先は立ち入り禁止なんだ」
選手の控え室や大闘技場の決戦フィールドへと繋がる入り口を警備していた男が、白いローブを身に纏った小さな女の子を呼び止める。
「このなかに、ようがある」
ローブで顔が見えないため性別は見た目からの勘だったわけだが、その声で警備員は自らの勘が当たっていたと確信した。
ただ、問題なのはそこではない。
「お嬢ちゃん。ここから先はね、こわ~い魔法使いでいっぱいなんだぞ」
小さな女の子の目線に合わせるために屈み込んだ警備員は、こんなことを言う。
「しってる」
しかし女の子は動揺しなかった。
警備員の表情が怪訝なそれに代わる。
「もしかして、パパかママが出場してるの?」
「ちがう。わたしは、『こがねいろのせんりつ』として、ここへきた」
……。
一瞬だが、刻が止まった。
「お嬢ちゃん。ちょっとこっちに」
同僚にその場を任せ、警備していた入り口の中へ女の子を連れ込んだ警備員は、周囲に目をやってから厳しい表情になりこう言った。
「いいかいお嬢ちゃん。言っていい嘘と悪い嘘ってのがある。そんな嘘を吐いていたら、誘拐されても文句は言えないんだぞ?」
選手専用の入り口があるフロア自体が立ち入り禁止エリアになっているため、この付近には人気が無い。だが、だからといってこの場で口にしていい冗談ではなかった。
警備員の目の前にいる女の子は、一般エリアに敷かれている立ち入り禁止のロープの下を潜ってここへ来ている。つまり、ここまではやろうと思えば誰でも来れてしまうのだ。女の子の冗談を真に受けた他の客が、いきなり襲い掛かってくるという展開も十分に考えられる。
警備員にとって、それは避けておきたい展開だった。
しかし。
「うそはいっていない」
女の子がローブから取り出したそれを見て、警備員は驚愕することになる。
目の前に提示されたそれは、『黄金色の旋律』のリーダーであるリナリー・エヴァンスのクリアカードだったからだ。
「ま、まさか……、これは、偽造……」
「クリアカードがぎぞうできないことは、しってるはず」
警備員の震える声は、小さな女の子によって両断される。
そして。
「わたしがいかなければ、『T・メイカー』はフィールドにたてない。じかんがない。はやくいかせて」
警備員は、慌てた様子で自らのクリアカードの回線を上司へと繋いだ。
★
歓声や奇声、罵声など。
様々な熱気を孕んでいたエルトクリア大闘技場は、今まさに静寂に包まれていた。
時刻は間もなく10時になろうか、というところ。
アギルメスタ杯、予選Bグループの試合開始を目前にしたこの時間。
本来ならば、実況のマリオや解説のカルティが火に油を注ぐが如く観衆を囃し立て、大闘技場のボルテージが最大限まで高まっているべき時間帯。
しかし、今日この日のエルトクリア大闘技場は、嘘のように沈黙していた。
『……こ、子ども?』
マリオの呟きがマイクに乗って大闘技場に響き渡る。
『まさかこの子がT・メイカーなんてことはない……、よねぇ?』
動揺から抜け出せないのはカルティも同じで、自ら発する言葉に自らが疑問符を浮かべつつそう述べる。
エルトクリア大闘技場を一瞬にして黙らせたのは、選手入場口から姿を現した1人の子どもだった。
真っ白なローブに身を包んだ子ども。その子どもは、白いうさぎのぬいぐるみを抱きしめるようにして抱えている。
魔法使いの中にも、子どものような風貌をした者はいる。「人を見かけで判断するな」という言葉があるように、その風貌だけで油断をしてしまうのは魔法使いとしての自覚が足りないと言わざるを得ない。
ただ、今回このタイミングで登場してきた子どもは、明らかにそういったものとは違っていた。
戦意も、威圧感も、まるで感じられない。本当に、ただ迷い込んできてしまっただけのような雰囲気。
登場のタイミングに意表を突かれた、というのもある。
アギルメスタ杯の予選Bグループ。開始間近にして未だ入場していないのは、話題のT・メイカーのみ。「本当に来ないんじゃないか?」と誰もが考えた矢先に登場した最後の1人。
それが、誰もが想像し得なかった風貌をしていれば、少しくらい気が抜けてしまうのも無理のないことだろう。
『……ちょっと決戦フィールドにマイク向けてもらえる?』
カルティがそう呟く。
意表を突かれ、何も行動できなかった選手たちは、黙ったまま成り行きを見守っている。
カルティの言葉に、担当者がシステムを操作した。
『え~と、君。そこはねぇ、今から大人たちが魔法で戦う危ないところなんだよね。迷い込んじゃったのかな? 警備員はどうしたのさ』
『か、仮に選手だとするならば、まだ本日会場入りの情報が入って来ていない「黄金色の旋律」所属のT・メイカー選手ということになりますが……』
カルティに続いて、マリオもそう口にする。
会場中の注目を集めたその子どもは、ゆっくりと口を開いた。
『わたしは、T・メイカーではない』
会場に張りつめていた空気が、その言葉によって一気に弛緩した。
『けれど』
カルティは警備員に保護を頼もうと指示を出そうとして、
『T・メイカーはこれからくる』
バランスを崩し、思わず椅子から転がり落ちた。
★
「何してるの貴方。今どこにいるのよ。はぁ? 分からない? 馬鹿にしてるのかしら。それとも怖くなって逃げ出したとか? じゃあ何なのよ説明してみなさいよ。……、……うっさいわね。貴方のせいでしょうが。こっちは準備できてるから。……そう、そうよ。使いなさい。……知らないわよ、貴方のせいでしょう。言ったはずよ。遅刻で失格は許さないってね。仮面を付けてさっさと来なさい。自業自得よ」
★
弛緩したエルトクリア大闘技場の空気は、一瞬にして再び張りつめる結果となった。
その結果を生み出した白いローブ姿の子どもは、同じ決戦フィールド内にいる出場者たちに殺意にも似た視線を浴びせられても、まったく動揺する素振りを見せない。
「おいガキ。嘘なら嘘だって言った方がいいぜ。それもなるべく早めにな」
出場者の1人が言う。
「うそじゃない」
「馬鹿にしてんのか? ガキ」
「T・メイカーは、これからくる」
「ふざけんなっ!!!!」
淡々と返してくる子どもに出場者の1人がキレた。
決戦フィールドの地を蹴り、瞬く間に子どもとの距離を詰める。
観客席の至る所から悲鳴が上がった。
誰もが次に起こり得る悲劇を想定して、
「こんな小っちゃい子どもに手を出して、恥ずかしくないのか?」
男の身体が一回転し、頭から地面へと崩れ落ちる様を目撃することとなった。
☆
『09:56』
クリアカードに表示された非情なる時刻を見て固まっていたところで、いきなりそのカードが震えだした。
「うおっ!?」
着信。
券面には、『カガミ・ハナ』の文字。
「本当にどうしたんだよ、中条。着信か?」
龍が怪訝そうな表情で尋ねてくる。
が。
残念ながらその問いに答えてやれる余裕は無い。
「わ、悪い!! 俺、用事思い出した!!」
「は、はぁ?」
突然の申告に目を白黒させる龍。
その肩をがっしりと掴んだ。
「後は任せた」
「は、はぁ?」
「通報しろ。恐らく魔法聖騎士団が動くだろう」
あれだけヤバい奴だ。
もしかすると『トランプ』も出張ってくるかもしれない。
そうしたら俺たちは完全にお役御免になる。というか、魔法世界内のいざこざなら、魔法世界内で完結させろって話だ。
「えーっとよ、中条。お前も重要参考人になるわけなんだし――」
「言ったよな。俺は用事がある、と」
「えー」
龍が心底嫌そうな顔をする。
面倒事を押し付けられるわけだもんな。そりゃ嫌だろう。でも忘れないでほしい。巻き込まれたのは俺の方だ。
そしてそろそろクリアカードに応答したい。
と、いうわけで。
「じゃあな!!」
「あっ、お、おい!!」
駆け出す。
呆気に取られた様子で見送る龍の表情が、ちらりと視界に入った。
すまん。後は任せた。
高架下の広場を囲うフェンスを身体強化魔法で飛び越す。
そしてそのまま住宅街へと突入し、2つほど角を曲がった後、人目が無いことを確認してからクリアカードに表示された通話ボタンを押した。
『何してるの貴方。今どこにいるのよ』
通話相手は師匠だった。
ホログラムでソファに腰掛けている師匠が表示される。
どうやら向こうはちゃんと大闘技場のスイートルームにいるらしい。
……当たり前か。
「えーと、すみません。あー。ここ、どこなんだろう?」
龍に連れられてナニカを追ってあちらこちらへ走り回ったせいで、方向感覚が無くなっている。
あれ。まじでここどこ。俺、迷子になったの?
『はぁ? 分からない? 馬鹿にしてるのかしら』
馬鹿になんてしてないです。ほんとに分からないんです。
俺、教会にすら帰れないと思う。
『それとも怖くなって逃げ出したとか?』
「いや、本当に違うんです。そういうのじゃなくてですね」
『じゃあ何なのよ説明してみなさいよ』
師匠の声がドスの効いたそれに変わる。
説明。説明か。
「えーと、何から話せばいいのやら。まず言われた通り1時間半前に教会を後にした俺はいきなり通りすがりの青年に声を掛けられ」
『うっさいわね。貴方のせいでしょうが。こっちは準備できてるから』
説明止められんのかい。
ん?
準備?
「師匠、準備って」
『そう』
「ルーナが持っていったアレの?」
『そうよ。使いなさい』
そういえばアレがあったか。
なら……、……いやいやいや。
「あれ、めっちゃ疲れるんですけど」
今、どこにいるか分からない以上どうなるかも分からない。
ここからエルトクリア大闘技場ってどのくらい離れてるんだ?
『知らないわよ、貴方のせいでしょう。言ったはずよ。遅刻で失格は許さないってね。仮面を付けてさっさと来なさい。自業自得よ』
一気にまくしたてられ、勝手に通話が切れた。
……。
え、本当に使うの?
準備ができた、って。まさかルーナの奴、選手の待機場所にいるんじゃあ……。
クリアカードを見る。
時刻は既に9時59分を回っていた。
まもなく10時になる。
他の移動手段では、どうやっても間に合わない。
……。
「えぇい!! もうどうにでもなれ!!」
自棄になってそう叫び、荷物から白のローブと白の仮面を取り出した。
急いで着替える。
そして。
「不安はあるが……、いや。不安しかないが……。ぶっ倒れはしないだろう。流石に、多分、きっと、おそらく」
そう誰に言うでもなく自分に祈るように言い聞かせてから。
「“神の上書き作業術”」
俺はその場から姿を消した。
☆
「やっときた」
「悪い。手間掛けたな」
自分の胸くらいまでしかない身長。撫でやすい位置にあるその頭を、ローブの上から掻きまわしてやる。
「んーん、いい」
深く被ったローブで見えないものの、声色から喜んでくれていることはよく分かった。
改めて周囲を見回してみる。
まず最初の感想は、デカいだった。
エルトクリア大闘技場。
話には聞いていたが、とにかくデカい。
今いる決戦フィールドの直径は400mもあると聞く。それに数十万の観客が観戦できる客席も合わせると、まさに圧巻の一言だった。一番上の観客席(スイートルームかVIPルームだろう)までが果てしなく遠く感じる。ビル20階近い高さというのは偽りではないようだ。
ただ、凄く静かだ。
これだけの人数がいながら、喧騒という言葉とは無縁な程に大闘技場は静まり返っている。
試合開始間近だというのにこれでいいのだろうか。
「……て、……てめぇ」
足元から声。
「……T・メイカーで間違いねーな。……ぶっ殺してやる」
「そうか。頑張れ」
「ふざけんなぁ!!」
先ほど地面へと叩き付けてやった男が拳を放つ。
そして。
「ぎゃああああああああああああああああああ!?」
俺の“不可視の装甲”に遮られ、拳を抱えて蹲った。
決戦フィールドと観客席からざわめきの声が漏れる。
「お前、魔法使いじゃないのか? 殴りかかってくるなら身体強化くらいしてから来いよ」
「ああああああああ!! ぐっ、うっ!? お、俺の、俺の拳がぁぁぁぁ!!」
面白いくらいのリアクションだ。本気で殴りかかってきていたようなので、拳が割れたのかもしれない。
ご愁傷様だ。
★
『い!? いきなりやられたーっ!? 突如現れた白いローブを纏った魔法使い!! 小さな子どもを狙った出場者をいとも簡単に返り討ちだーっ!!』
静まりかえる決戦フィールドで。
ようやく自分の仕事を思い出したかのようにマリオが叫んだ。
『しかも2人お揃いの白いローブ。あれって“旋律”が好んで着ているのと同じデザインのような気が……』
その隣で。
あくまでも冷静に観察を続けていたカルティがそう呟く。
その声は、瞬く間に大闘技場全体へと広まっていった。
「……ま、まさか」
「来たぞ。……本当に?」
「……『黄金色の旋律』だ」
「え、冗談じゃなくて?」
「本当に来た……」
「白いローブに白い仮面……、あれが」
「こっ」
『「黄金色の旋律」だーっ!!!!』
観客のざわめき、その全てを代弁するかのような勢いでマリオが叫ぶ。
大闘技場中が熱気に包まれた。
決戦フィールドに集う出場者たちは未だ動かない。
その中で、先ほど白仮面の魔法使いから返り討ちにされた出場者のみが立ち上がる。大闘技場を包み込む熱狂により、そこで行われた会話は本人たちしか分からない。
しかし、1つだけ大闘技場でそれを見ていた誰もが分かったことがある。
その出場者はいきなり地面に叩き付けられ、どでかいクレーターが生まれた。その現象を起こしたのは、間違いなく白仮面の魔法使いだということだ。
再び会場が静寂に包まれる。
『カ、カルティさん? 今のは何ですか?』
『いや、ちょっと分からないね……』
質問された解説者カルティは頬を痙攣させながら答えた。
『魔法が発現される兆候を感じられなかったんですけど』
『奇遇だね。僕もだよ』
『というか、まだ試合開始宣言してないんですけど』
『そうだね。けど、これT・メイカー選手は襲われて返り討ちにした方の立場だから別にいいんじゃないかな。どんな魔法使ったのか知らないけど、開始時間にも間に合ったみたいだし……。というか、今まで彼らが使った魔法、どれ1つとして解説ができないんだけど……』
☆
耳障りなほどに喚きたてる出場者を“不可視の弾丸”で叩き潰す。それなりに魔力は抑えていたはずだったが、『虹色の唄』によって想像以上の効果が現れてしまった。
「死んではないよな?」
アギルメスタ杯に出場するレベルの魔法使いだ。そこまでヤワではないと思いたい。
「あいつらは?」
敢えて美月、師匠の名前は出さずに、曖昧な問いかけをする。
「ん」
ルーナが俺にだけ分かるように、こっそりと指を差した。
その方角の先には、「私はここだよ」と言わんばかりに手を振る美月の姿がある。
あそこが美月が抑えているスイートルームの場所か。そんなに手を振らなくても分かる。あまり目立つ行動をすると、いろんな奴に位置がバレてしまうのだが……。
ほぼ最上階に近い高さだし、大丈夫か。
よし。座標は固定した。
「じゃあ、跳ばすぞ。ここは危ないからな」
「がんばって」
「おう」
“神の書き換え作業術”。
ルーナを美月たちがいるスイートルームへと跳ばす。
その姿が決戦フィールドから消えたことで、またしても大闘技場がどよめいた。
それを意図的に無視して、一階席付近にある専用のブースに座る2人へ声を掛ける。
「えーと。10時回ってますし、もう始めていいんでしたっけ?」
既に1人戦闘不能にしてしまっているが、念のため確認は必要だろう。
『え? あー、その前に確認しておきたいんですが、貴方はT・メイカーさん?』
「そうですけど」
そういえば直接跳んできてしまったせいで身分確認とか何もされてないな。
もうどうしようもないことだけど。
『あ、そうですか。えー、あの「黄金色の旋律」の?』
「そうですけど」
『あ、そうですか。えー、えー、あのー。こ、ここへ急に現れた魔法は? それと、今そこにいた子どもが急に消えた魔法は?』
「そこまで説明する義務は無いですね」
『あ、そうですよね。えー、あのー、そのー、……カルティさん?』
まだ絶賛混乱中らしい。
マイクを持っていることから、こいつらが実況解説の人間だろう。実況解説が出場者に魔法の解説をさせるなと言いたい。
俺と同じ決戦フィールドにいる出場者や、観客席からもとまどいの声があがっている。「今、急に現れたよね?」とか「子どもどこいった?」とか、そんな感じだ。
制限解除って言うからこれ見よがしに使ってみたが、そう簡単に転移魔法までは結び付けられないか。俺も自分がこの無系統魔法を持っていなかったら、この状況を見てすぐに転移魔法だとは判断できていなかっただろう。
師匠からは「T・メイカーが転移魔法の使い手であることを確定させろ」と言われているが、こちらから答えを提示してやる必要はないな。
これだけ人数がいりゃそのうち誰かが気付くだろう。
そう考えたところで。
『ん~と。じゃあ、試合開始ということで~』
首を捻る男を置いて、隣に座っていたもう1人の男が緩い感じで開始を宣言した。
★
「うわっ、びっくりした!!」
スイートルームへと突如姿を現したルーナを見て、美月が言葉通り驚きの声をあげた。
「お疲れ様」
「ん」
リナリーからの労いの言葉へ端的に答え、ルーナはソファに座り込む。
「お、お師匠サマ」
「なぁに」
美月からの呼びかけに、リナリーは億劫そうに応えた。
「聖夜君って、転移魔法が使えるんですよね」
「そうね」
「今、ルーナを跳ばしたのってそれですよね」
「そうね」
「じゃあ、聖夜君がここまで来たのも同じ転移魔法なんですか? 跳ぶ範囲は視界内に限定しないと座標が狂う、って聖夜君言ってた気がするんですけど……」
美月からの質問を受け、リナリーはようやく視線を美月へと向ける。
「それ、“神の書き換え作業術”の話でしょう?」
「え、ええ。そんな名前だったと思いますけど」
「“神の上書き作業術”はまったく別物だから」
「オ、オーバーライト?」
美月が首を捻る。
リナリーは、その仕草を見て再び視線を決戦フィールドへと戻した。
「詳しくは聖夜に聞きなさい。あの子の能力を私の口から説明する気は無いわ」
「は、はぁ……」
美月が曖昧に頷く。そこで、あることに気が付いた。
「あれ、ルーナ。うさぎちゃんはどうしたの?」
隣に座るルーナの手元には、先ほどまでルーナが抱きしめていたはずのぬいぐるみが無くなっていた。
ルーナは淡々と答える。
「さっき、つかった」
「つ、使った? ぬいぐるみを?」
ルーナの答えを聞いて更に首を傾げる結果となった美月。
そんなやり取りを聞き流しながら、リナリーは目を細めた。
「“不可視の装甲”ねぇ……。あの子、RankSの特訓しろって言ったのに何をしてたんだか」
その口調とは裏腹に。
口元が緩んでいるのを、シスター・マリアは見逃さなかった。