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第7話 割り込み




 死ぬ気でやればなんでもできる、というのはあながち間違いではないのかもしれない。


「ずいぶんと持ち堪えるようになったのではございませんか?」


「……おかげさまで」


 距離を空けたシスター・マリアへ返答する。

 20分近く意識を失わずに持っているのは、これまでで初めてだ。

 ……とても気持ち悪い。丸一日以上睡眠をとらず満足な食事もしていないのだから当然だが。


「今、何時なんですかね」


「聞かぬ方が精神的に楽かとは思いますが……。そうですね、今は」


「あ、やっぱいいです」


 シスター・マリアのお言葉に甘えることにした。そうだよな、実際の数字を聞いたらぶっ倒れちまうかもしれないもんな。

 ギリギリのやり取りをしているはずなのに、眠気が凄い。結構波があるのだが、今はそのピークを迎えているのかもしれない。


「この組手で、あと5分持ち堪えられたら一旦休憩としましょう」


「え、いいんですか?」


 願ってもない提案だった。寝れるのか。そりゃ嬉しい。


「大会までの間、ずっとこれを続けるというのも無茶な話でございますので」


 ですよね。

 それをぜひ師匠に言ってやってください。


「今の条件をすんなりと受け入れたあたり、実力に比例して自信もお作りになられたようで」


「……へ?」


 視界から、一瞬でシスター・マリアが消えた。


「がっ!?」


 脇腹に走る鋭い激痛。

 崩れ落ちる俺へ追撃を加えんとするシスター・マリアを“魔法の一撃(マジック・バーン)”で払い、距離を空ける。


「……わたくしはこう申し上げたのですよ」


 それ以上の追撃を避けたシスター・マリアは、その場に着地して妖しい笑みを浮かべた。


「あと5分持ち堪えられたら、と。これまでのあなた様の実力では、考えられない時間でございます」







「はっ! はっ! もうっ!! しつこいっ!! はぁっ!!」


 美月は、後ろを何度も振り返りながら吐き捨てるように言った。背中からずり落ちそうになっているルーナを抱え直して走る。


「ちょっとあなた大丈夫なわけ!?」


「ふー、ふーっ。……もんだい、……ない」


「嘘吐け!!」


 背中越しに弱々しく答えるルーナにつっこむ。背中に感じる熱は、通常のそれとは違ってとても熱い。明らかに高熱だった。さっきまで普通に遅めの朝食を摂っていたはずの幼女が、である。


「はっ、はっ! やっぱり、さっきの、せいなのね!?」


「……ふー、ふーっ」


 荒い呼吸を繰り返すルーナは答えない。そしてそれが明確な答えとなった。美月が露骨な舌打ちをする。


「なんでっ! あのイカれたピンクは私しか狙ってなかったのに!!」


 クランベリー・ハートは確かに言っていた。

 美月のことを、『鏡花水月』と。


 世界最高峰の魔法集団である『トランプ』が、非合法な組織である『ユグドラシル』のことを討伐対象に指定していることは知っていた。そして自分の素性についても調べられているであろうことも。

 元『ユグドラシル』メンバーである自分のことを、『トランプ』は、世界はどう扱おうとしているのか。今回、ウィリアム・スペードからの誘いに乗ったのは、美月なりの賭けだったのだ。

 捕えるつもりならそれも良し。誰が味方で誰が敵なのかを明確にしておきたかった。もっとも、『トランプ』のメンバーは単身で他国に戦争を仕掛けられるクラスの実力者だと言われている。それほどの実力者がこのように回りくどい真似をしてくるとも思えなかったので、分の良い賭けだと思っていた。

 そう思っていたのだ。


「はぁっ!! はぁっ、――――っ!?」


 路地裏を縫うようにして逃走していた美月が、急に進路を変えて曲がる。今の今まで美月が通ろうとしていた道に、甲高い音と共に複数の線が走った。


「もうやだっ!!」


 それを見ずとも音で感じ取った美月が情けない声でそう叫ぶ。

 言うまでもなくクランベリー・ハートの追撃である。

 単独で国家間の戦争の流れを変えられるほどの力量を持つと言われる『トランプ』が一角。やろうと思えば美月程度の実力者なら1人や2人平気で蹴散らせそうなものだが、美月からすれば意外と捕縛に苦戦しているように感じていた。

 国に喧嘩を売れるほどの実力者は『トランプ』の中でも一握りなのか、その情報はデマなのか。はたまた実力はあるが泳がせて楽しんでいる人でなしか。その判断が、美月にはつかない。


「……どこ、……いくの」


「リスティル!!」


 ルーナからの弱々しい問いかけに、叫ぶようにして答える。


「はぁっ!! リスティルの教会に行くって、お師匠サマは言ってた!! そこに逃げ込むしかない!!」


 今いるクルリアはリスティルの隣町。徒歩でクルリアまでやってきていた美月は、きちんと位置関係も把握できていた。いや、こうした万が一の事態に備えて把握しておいた、と言った方が正しいか。


「……だめ、……だめ」


「どうして!?」


 これしかないと思っていた考えに否定を唱えるルーナに、美月が聞き返す。


「せーや、に、めいわくを」


「馬鹿!!」


 それを言い終える前に、美月は叫んだ。


「迷惑を掛けあうのが仲間でしょうが!! 新参者が言うのもアレだけど!!」


 ちょっとだけ締まらないキメ台詞だった。

 少しの間だけ、お互いの息遣いのみとなる。

 そして。


「……だから」


「なーにっ!?」


「……だから、……みつきもたすけた」


「っ」


 不意を突かれた美月は、顔を真っ赤にして言葉に詰まった。

 だから気付くのが遅れた。


 後方からの追撃が、いつの間にやら止んでいることに。







「……まさか、あそこから立て直して5分間持ち堪えられるとは」


 シスター・マリアが何やら驚いているようだが、リアクションを返してやる気力もない。


「もう、……だめ」


 我ながら情けない声色でそう呟き、床へと突っ伏した。

 ……、……意識、……、が……。


 ……。







 建物の屋根から屋根へと飛ぶようにして移動していたクランベリーは、自らに向けられた明確なる敵意を察知し、その速度を緩めた。両手の指を細かく動かして張り巡らせていた魔法を解除し、とある民家の屋根へと着地する。

 そこから民家を2つ挟んだ向こう側の屋根の上に、1人の男がいた。


「……『(たけ)き山吹色の軍勢』、牙王(ガオウ)ね」


「あァ……。成り上がりの俺様の名を知っているとは嬉しいねェ」


 無精ひげを撫でながら牙王と呼ばれた男は言う。口角を吊り上げただけで、見る者を圧倒するだけの威圧感があった。鍛え上げられたその肉体は、着流し姿のその状態でも分かってしまう程に盛り上がっている。


「許可の無い街中での戦闘行為は禁止されています」


「おいおい、……俺様がいつ戦闘行為をしたって?」


「威嚇も戦闘行為の1つとして数えられますが。それとも、あなた程度の実力では自らの魔力すらも抑えきれずにダダ漏れになっているとでも?」


 クランベリーのその言葉に、彼女の周囲から剣呑な空気が生まれる。


「……挑発行為ってやつァ、威嚇行為と違うのかい?」


「これは失礼。お詫び申し上げます」


 ネコミミフードのまま、淡々と頭を下げるクランベリー。


「ふっ」


 それを見て牙王は軽く笑った。


「まァいいさ。それで、俺様の戦力が如何ほどかは感じとれたか?」


「綺麗に包囲されている、という程度には」


「そいつァ重畳だ」


 先ほどの挑発は、牙王の手下の気配を探るための手段。その目的くらいお見通しだぞと言外に伝えてみたものの、クランベリーに動揺は見られなかった。その反応に牙王は心の中で相対する少女の評価を上げる。


「それで、何用でしょうか。私急いでるんですけど」


「戦闘行為は禁止されている、と言った張本人が街中で暴れているもんだからよォ。気になって声を掛けてみたわけだ」


 悪びれもせずに牙王はそんなことを言う。


「今日はグランダール47(フォーセブン)。アギルメスタ杯を2日前に控えたこの日にお前らが暴れてたんじゃァ示しがつかねーんじゃねーか」


「無用な心配です」


 牙王からの問いかけを、クランベリーは無表情のまま切って捨てる。


「つまり、『黄金色の旋律』絡みってわけだ」


 牙王からの切り返しに、クランベリーは眉を吊り上げた。


「話が急に飛躍しましたね」


「とぼけるんじゃねーぜ。てめぇら『トランプ』が血相を変えて事に当たるなんざ、滅多にねぇことだからなァ。クエストは取り下げられたはずなんだが、……今更カネが惜しくなったか?」


 牙王からの露骨な挑発に、クランベリーは目を細めた。


「“旋律”にゃァこっちも借りがある。『黄金色の旋律』が辺りをうろついているってんなら、こっちも介入させてもらおうか」


「“旋律”に刺激を与えるのはお勧めできませんね。特に、……あなた程度の実力なら」


「……はは、……試してみるかァ? 小娘」


 牙王の身体が、ゆらりと揺れる。

 クランベリーの指が、ぴくりと動く。


 しかし。

 結果として、2人が衝突することはなかった。







 ガシャン、と。

 どこかの路地裏で金属音が響いた。







「ぜぇっ!! ぜぇっ!! クソ、……野郎がっ!! はぁっ!!」


 民族衣装を身に纏った青年は、肩で息をしながら路地裏にへたり込んだ。


「……なんつースタミナだよあいつら。俺だってそれなりに鍛えちゃいるんだぜ」


 滴る汗を拭いながらそう吐き捨てる。そっと建物の向こう側の気配を探ろうとして、すぐに止めた。耳障りな金属音が聞こえてきたからだ。


「『黄金色の旋律』は見付かったか!?」


「いえ、こちらには!!」


「あまり事を荒げるとまずいな。『トランプ』より『黄金色の旋律』との戦闘は極力避けよと釘を刺された」


「このまま追跡を続行してもよろしいのでしょうか」


「当たり前だ馬鹿者!! 俺はノアの警備を任されているのだ!! 宿屋をあれほどまでに破壊した野郎を捨て置けるか!!」


 そんなやり取りをしながら、青年が身を潜める路地裏を素通りしていった。

 会話の内容を聞いていた青年が露骨に舌打ちする。


「……んだよちくしょう。全部濡れ衣もいいとこじゃねーか。ぜってー許さねー。……『黄金色の旋律』、大会でぶち殺す」







「街中で殺気をばら撒くのはおやめなさいな」


 民家の屋根の上で睨み合うクランベリーと牙王。

 そこへ、さらにもう1人。

 魔法で浮かせていた男たちを足元へ落とし、仲裁に入る20代くらいの女性がいた。


「……てめぇ、俺様の部下を」


 その女性の足元に転がった男たちを見て、牙王のこめかみに青筋が走る。


「これだけの人数で周囲を囲わなければ女の子1人脅せないなんて。見た目に反して退屈なヒトなのね。アナタ」


 女性の足元に転がった男たちは皆、牙王と同じ着流し姿の集団だった。計20名。つまりこの女性はクランベリーと牙王、2人の実力者に気付かれずにこれだけの人数を無力化したということになる。


「……アリサ・フェミルナー」


「ハァイ、クラン。相変わらずの猫好きなのね、アナタは」


 クランベリーの魔法服に付いたネコグッズを遠目で見ながら明るい挨拶を返すアリサ。


「フェミルナー、……だと。てめぇまさかUSAの」


「その程度の情報は頭にあるみたいね。初めまして。USA魔法戦闘部隊『断罪者(エクスキューショナー)』隊長、アリサ・フェミルナーよ」


 美しい金髪を掻き揚げながら、アリサはそう言った。







 フードを深く被り街中を闊歩するリナリーは、クリアカードに映るホログラムに向かってこう告げた。


「今からそっちに行くから」







「……んっ!?」


 路地裏を駆け抜ける美月は、漂ってきた不快な鉄の匂いに眉をしかめた。

 逡巡は一瞬。

 ずれ落ちそうになったルーナを担ぎ直し、美月はリスティルの最短経路から外れて回り道をすることにした。







「別に唯までエントリーする必要なかったのに」


「あぁん?」


 独り言のつもりだった。

 しかし、まりかがぽつりと呟いた一言に、肩を怒らせながら後ろに付き従っていた唯が声を荒げる。


「こら唯、女の子がそんな声上げちゃ駄目だよ」


「どの口がほざきやがるんですかねぇそんなこと」


 まりかからしてみればお茶目なジョークで笑い話に代えてしまいたいところだったが、残念ながら唯はそれに乗ってこなかった。

 唯は帯刀している柄を指先で突きながら言う。


「……ここ数ヶ月、魔法世界の治安は劇的に低下しているのです。それを含め、貴方はもう少しそれを自覚して頂きたい」


「『神隠し』の話? それとも連続猟奇殺人事件の方?」


「りょ・う・ほ・う・です!!」


 首を傾げるまりかに、詰め寄るようにして唯は答えた。


「血筋なんてもう気にしなくても……。ウチにはもう2人しか残ってないんだからさ」


「だからこそです、……って。もしかして大会参加の意図は」


「そう」


 言葉に詰まった唯に対して、まりかは何の気なしに言う。


「そろそろお姉ちゃんを返してもらわないとね」







「助かったわ」


 牙王が手下の人間を回収して退散したのを確認し、クランベリーがアリサの方へと向き直った。


「別に構わない。ちょうど通りかかったところだったからね」


 ここはクルリア。中心街であるリスティルと違って、交易を中心として機能するこの都市は、目的無くうろつくような場所ではない。たまたま通りかかるような場所ではなかったわけだが、クランベリーは敢えて追及をしなかった。


「あ、そうそう。聞きたいことがあったんだけど」


 手にしていたナップサックを担ぎ直し、アリサがクランベリーに問いかける。


「なに?」


「アギルメスタ杯のエントリーってまだ受け付けてる?」


「は?」


 クランベリーは、アリサが何を言っているのかが分からなかった。いや、何を言っているのかが分かったからこそ、理解できなかったと言った方が正しいか。


「……なんでまた」


「いや、ちょっとこっちの諜報部が気になる情報を」


 アリサがそこまで言ったところで、クランベリーのクリアカードに着信が入った。クランベリーがローブからそれを取り出すと、アリサが「どうぞ」とジェスチャーで促す。

 クランベリーのクリアカードが、ホログラムの騎士団員を映し出した。


『クランベリー・ハート様。「黄金色の旋律」が借りていたと思われる宿にて、不審な男を発見致しました。可能でしたら力添えを頂けないでしょうか』


「……不審な男?」


 クランベリーが眉を吊り上げる。先ほど彼女が襲撃した宿にいたのは、美月とルーナで2人とも女だった。クランベリーが確認している魔法世界内でリナリーに同伴しているメンバーは、それに聖夜を加えたわずか3人。

 消去法でいくなら、その不審者は聖夜ということになる。


「特徴は?」


『アジア系の民族衣装を着ており、黒髪で長髪。20代くらいの青年と思われます』


 特徴は合致しなかった。しかし、不審な男と言われて黙っているわけにもいかない。


「分かった。それじゃあ場所を――」


 そう言い掛けたところで、割り込み着信があった。







「下がってください」


 唯の警告を聞いて、まりかは逆に一歩を踏み出そうとした。

 それを無理やり押し留めて、唯が剣を抜き放った。


「何奴!!」


「うおっとぉ!?」


 振るわれた太刀筋を、路地裏から飛び出してきた美月がギリギリのところで躱す。そのせいでバランスが崩れ、ずり落ちたルーナを間一髪で受け止めたのはまりかだった。


「あっつ!? なにこの子凄い熱じゃない!!」


「ちょっとまりか様下がっててって言ったじゃないですか!!」


「うるさいまずは病院よ!!」


「はぁー、はぁー、え、あの、すみません貴方たちはいったい……」


 いきなり攻撃されたので敵かと思ったらどうやら病院に連れて行ってくれるらしく、美月はどう対処していいのか分からなくなった。







 魔法聖騎士団(ジャッジメント)が持つクリアカードは特別製で、盗聴や改ざんを防止するために、普及されているそれよりもセキュリティがワンランク高くなっている。

 そして、クランベリーが愛用するそれは、立場上さらにもう1つ上のものだ。

 そんな彼女のクリアカードに割り込みができる人間は、魔法世界内でほんの一握りしかいない。


 そして、そのような事情を知っているからこそ。

 アリサは自らの立場を踏まえ、クランベリーに断りを入れることなくその場を後にした。こうした手段を講じてくるということは、あまり公にしていい内容ではないということだから。

 それを視界の端で捉えていたクランベリーは、アリサの機転に感謝しながら通話を許可する。


「クィーン」


『急ぎ知らせねばならぬと思うてな。割り込ませてもらった』


 クィーン・ガルルガ。

 真紅のドレスを身に纏った妙齢の女性が、ゆったりとソファに腰掛けた状態で映し出された。


「何のご用件でしょう。すみませんが、今ちょっと手が離せないんですけど」


 牙王、アリサは去ったものの、美月とルーナの追走劇は絶賛継続中だ。それに魔法聖騎士団から不審者拘束の手伝いもお願いされている。


『それがわらわの出した指示によるものだとしたら、もう不要だ』


「は?」


『今しがた、あやつより一報が入った』


 煙管から煙を立ち昇らせながら、ガルルガは言う。


『単身。“旋律”が王城へ向かっておる。今、使いの者を向かわせたところだ。至急、王城へ帰還しろ』







 屋根から路地裏へと飛び降りたアリサは、短く息を吐いた。そして、さきほどクランベリーと魔法騎士団が話していた内容を思い出す。

 そして、そっと呟いた。


「……『黄金色の旋律』」

次回の更新予定日は、7月10日(木)です。

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