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第6話 属性優劣




「はぁっ、はぁっ! くそっ!!」


 もう何度目かも分からない悪態を吐く。

 シスター・マリアからの横薙ぎの一撃を躱し、距離を取った。しかし、その動作が大して意味を成さぬものだということは、もう身に染みて分かっていることだった。


「うおっ!?」


 距離を空けようとする俺の動きにぴったりと合わせるようにして、シスター・マリアが距離を詰めてくる。

 しかも、だ。


「さっきは、水だったのに!!」


 首を逸らし、拳をぎりぎりのところで回避した。シスター・マリアの拳に纏わりついている身体強化魔法は、いつの間にやら雷属性へと変化している。

 水属性は、土属性に弱い。

 だから俺はシスター・マリアが水属性を発現したのを確認して、土属性を身に纏った。なのに、シスター・マリアが纏っている属性はいつの間にか雷属性へと変わっていた。

 土属性は、雷属性に弱い。


「またこのパターンかよっ!?」


 ただでさえ明確な実力差。あげく優劣まで向こうに利があるなら勝てるわけが無い。シスター・マリアから繰り出される猛攻を紙一重で躱していく。その流れの中で、不要となった土属性の属性付加は解除しておく。


「んー。随分と持つじゃない。やっぱり緊張感ってのは大切なのね」


 遠くから師匠のイカれた発言が聞こえてくるが無視する。緊張感が大切なのは認めるが、それが命の危険から来るものであってたまるか。

 それに。


「あら?」


 呆けた声は、目と鼻の先で聞こえた。間違えなく捉えたと思った拳が空を切り、思わず口からこぼれ出たのだろう。

 “神の書き換え作業術(リライト)”。

 座標を書き換える。シスター・マリアの正面にいた俺が、一瞬でその背後へと移動する。同時に、風の属性付加を行った。


「はあああああああああああっ!!」


 拳をシスター・マリアの無防備な背中へと振り抜く。

 が。

 青白い電撃を纏っていたシスター・マリアの身体が、突如としてオレンジ色の炎を噴き出した。

 風属性は、火属性に弱い。


「げっ!?」


 振り抜いた拳は止められない。俺はぎりぎりのところで“神の書き換え作業術(リライト)”を発現させ、シスター・マリアから強引に距離を取った。無駄に拳が空を切った後、すぐさま体勢を整える。その頃には、既にシスター・マリアの身体は俺の目と鼻の先にあった。


「くそっ!! 切り替えが早過ぎるっ!!」


 炎を纏った拳を避けたついでに回し蹴りをぶち込む。しかし、属性優劣によって劣勢に立たされている俺の攻撃は、シスター・マリアの身にほとんど届かなかった。


「中条様、もっと魔力を込めてもよろしいのでございますよ?」


「込めたら込めた分だけ精密に動かせないんですよ!!」


 遠慮しなくていいのよ的なコメントをされても困る。

 シスター・マリアが言う通り、俺が身に纏っている身体強化にもっと魔力を込めることができれば、属性優劣の壁を越えて強引にダメージを与えることは可能だろう。

 実際にもっと魔力を込めることは可能だ。現状、俺がシスター・マリアに勝っているところなんて魔力容量と発現量くらいだろう。

 ただ、それこそ俺が今言った通り、俺は魔力を込めれば込めるだけコントロールが大雑把になる。特に、今の俺にはMCが無い。普段から魔力を持て余している俺が、MC無しで膨大な魔力を解放させたらどうなるかなんて考えたくもない。


「……なるほど」


 最後の組手が始まって以来、シスター・マリアは初めて俺から距離を置いた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、ぜぇっ!!」


 どれくらい戦っていたのだろうか。分からない。

 呼吸が荒い。心臓の鼓動がうるさい。

 休憩を挟むわけじゃない。いつ襲い掛かってくるかも分からない。

 それでも身体がついてこない。


「中条様の同調率向上の鍵は、そこでございますわね」


「奇遇ね。私もそこに当たりを付けているわ」


 額から流れ落ちる汗を拭う。何やら2人が勝手に話を進めている気もするが、もはや止める気も起きない。

 全然だめだ。ここまで俺がダウンせずにやれているのも、シスター・マリアの裁量によるものだろう。この人の実力なら、やろうと思えば俺の意識くらいいつでも刈り取れるはず。


 基本的に、魔法は後だしの方が有利だ。なぜなら、相手の手を見てから自分の手が決められるから。相手が魔法を発現させる前に潰せるほどの実力者や、相手の発現量を遥かに上回る発現量を有している実力者ならならともかく、魔法対魔法になった場合、属性の優劣というのはとても重要になる。

 相手の発現した属性に優勢な属性を発現できたほうが当然良い。

 しかし、シスター・マリア相手にこの戦法は通用しない。なぜなら、この人の発現スピードは俺と比較にならないほど早いから。通常なら明らかに間に合わないであろうタイミングで、この人は付加させている属性を入れ替えてくる。


 見ている限りでは、この人は最初のお手本以降RankS『属性共調』を使用していない。つまり、単体の属性をポンポン入れ替えているわけだ。発現スピードだけではない。この人は、属性の切り替えスピードまでもが異常なほどに早い。そんな人を相手に後だしなどできるはずがないだろう。

 属性共調や属性同調を使えるということは、シスター・マリアは属性との同調率が80パーセントを超えているということ。同調率が上がるとここまで戦略の幅が広がるというのか。RankSの魔法をわざわざ発現させなくとも、全身強化魔法縛りの単身で、戦争の1つや2つ切り抜けられそうだ。

 1つの魔法につき、付加できる属性は1つ。1つの魔法に異なる属性を混ぜてしまうと、それぞれが反発し合って暴走してしまうからだ。俺はこれまで師匠にそう教わってきたし、体感でもそうだと思っている。


 ……いや、思ってきた。

 だからこそ信じられない。異なる属性を同時に発現させて調和し、同じ1つの魔法の枠組みにいれてしまうなんて。この目で見た実在する魔法であるにも拘わらず、心が、身体が、その事実を否定している。理屈が全然理解できない。

 それともこの人のように、まるで呼吸するかの如く自然に属性を付加できるようになれば、また違って見えてくるのだろうか。


 ……。

 ……自然に属性を付加させる、……か。


「さて。息抜きはこのくらいでいいかしら?」


 師匠からの声掛けに、思考の底へと沈んでいた意識が浮上する。


「……はい」


 もう一度だけ汗を拭い、構える。

 シスター・マリアはまだ属性を付加させていない。おそらく、俺が付加した属性を見てから自分の手を決めるのだろう。


 属性付加のスピード。

 属性の優劣。

 切り替えのタイミング。


「ふーっ」


 息を大きく吐き出す。

 どちらにせよ、このままではジリ貧だ。現状を打開する術も見つかっていない。ただ属性付加させて戦うだけでは同調率が上がらないのならば……。


 それに懸けてみるのも良いだろう。







「んー」


 聖夜たちのいるリスティル街の隣街にあたるクルリア。そこにあるルーナ行きつけの宿に居を構えた美月は、遅めの朝食であるスクランブルエッグを口に含みながら唸り声をあげた。


「……なに」


 対面の席に座るルーナが視線だけ上げて先を促す。


「うんにゃ。私たちだけこんな生活をしてていいのかな、って」


「しょうがない」


 黄色の卵に赤いケチャップがかかったそれをスプーンで掬いながらルーナは言う。


「はやいと、ここはひとがいっぱい。じかんは、ずらすべき」


「……それは理解してるんだけどさぁ」


 箸を咥えながら美月はクリアカードを取り出した。そこに着信の文字は無い。昨晩から何度かメールを送ってみているものの、一向に聖夜からの返信は来ていなかった。

 クリアカードをしまって周囲を見渡してみる。ルーナが言う通り、宿の食堂は既に人気がほとんど無く、今座っているのも美月とルーナを除けば2組だけだった。

 しかし、美月の心配の種はそれだけではない。


「やっぱり何かあったんじゃあ……」


「そんなはずない」


「っ!! だって緊急クエストが取り下げられてるんだよ!?」


「こえ、おおきい」


「っ」


 淡々と否定するルーナに声を荒げてしまった美月だったが、ルーナからの指摘に直ぐに口を噤む。


「なんでそんなこと分かるのさ。そりゃあお師匠サマが強いのは知ってるけどさ」


 蟒蛇雀を払い除けたという話を聞いた時にも美月は驚いたが、そもそもリナリー・エヴァンスという存在は魔法を扱う者ならば必ず一度は耳にする名だ。ある意味で『トランプ』よりも有名な存在。

 世界最強と謳われる魔法使いの名は、伊達ではない。

 それでも。


「それだけじゃない」


 ごちそうさまでした、と小さくつぶやきながらスプーンを置いたルーナは、ごく当たり前の調子で。


「せーやは、さいきょうだから」


 そう言った。







「行きますっ!!」


 身体強化魔法を発現。床を蹴る。

 その行動に、シスター・マリアは僅かにだが眉を吊り上げた。

 そうだろう。

 これまでの俺は、なんらかの属性を付加させてから攻撃に移っていた。そういう特訓だったからだ。


「ちょっと聖夜ー? 属性を付加してくれなきゃ特訓にならないんだってー」


 分かってますよ。そのくらい。

 離れたところから師匠からお咎めの言葉が飛んでくるが無視。

 まずは、この人がどれだけ早く属性を付加させることができるのか。どのタイミングまでなら切り替えができるのか。

 それを見極める。


「せいっ!!」


「っ」


 拳を振るう。一撃目を受けるぎりぎり、身体に触れるぎりぎりのところで、シスター・マリアはようやく身体強化魔法を発現した。

 なるほど。本当にぎりぎりでも発現できてしまうのか。これでは後だしなどできるはずがないな。

 足を振り上げる。肘で打つ。

 二撃三撃と近接戦を続ける。お互いに無属性のまま。

 属性優劣によるブーストがなければ当然……。


「っつ!? くぅっ!?」


 発現量が高い俺の方が有利。無属性による近接では俺の方に分がある。だとすると、教会に入った直後に行われた最初の襲撃で、俺が圧倒できたのは当然のことだったのかもしれない。


「ど、どういうっ、つもりでございます、かっ!? わたくしを倒すことが、条件ではございません――がっ!?」


 回し蹴りがシスター・マリアの脇腹を抉った。シスター・マリアの身体が横っ飛びで床へと打ち付けられる。間髪入れずにそれを追う。


「知ってますよ。ですが、俺も戦いっぱなしで気が滅入ってきたんで。一度ダウンさせてから休憩でもしようかと」


「っ!?」


 体勢を整えさせる前に蹴りを入れた。浮き上がったその身体に掌底を叩き込む。


「かあっ!?」


 ダウンさせて休憩というのはもちろん嘘。

 狙いは――――。


「けほっこほっ! ふっ!!」


 床を滑りながら着地したシスター・マリアが属性を付加させた。

 属性は水。

 狙い通りだ。

 明確なダメージをいくつか与えておいたおかげで、シスター・マリアは付加能力である回復に頼る形となる。こちらの属性付加させるタイミングをいつもより遅らせる分、移動速度が極端に上昇する風や雷、攻撃力が上昇する火は避けてもらいたかったわけだ。


 シスター・マリアが床を蹴る。瞬く間に距離を詰めてきた。

 振り被られる拳を目にし、タイミングを計る。


「っ、ここ!!」


 身体強化魔法に土属性を付加させた。

 水属性は、土属性に弱い。


「――――なるほど。良い狙いであったと思いますわ」


 青白き閃光。

 俺の土属性を纏った身体強化魔法の層を、シスター・マリアの拳が抵抗なく突き破ってきた。


「がああああああああああああああっ!?」


 腹部に激痛が走る。追撃を加えんとするシスター・マリアの顎を膝で打ち抜いた。


「うっ!?」


 劣勢にある俺の属性では大したダメージにならないだろうが、牽制としては十分。シスター・マリアが体勢を整える前に距離を取った。

 くそ。向こうの付加能力か。身体が痺れてきつい。咄嗟に“神の書き換え作業術(リライト)”で距離を作らなかったのは正解だった。座標が狂って床にめり込んでいたかもしれない。

 少し離れた先で、シスター・マリアが構えを取る。その身体には迸る青白い電撃が纏わりついていた。

 土属性は、雷属性に弱い。


 ……なるほど。あのタイミングでも駄目なわけか。

 切り替えのスピードも、単体で発現する時と大して変わりはないようだ。







 ルーナと美月が食事から帰ってくると、部屋には先客がいた。


「どーもー」


 どこぞのお笑い芸人よろしく軽い口調でひらひらと手を振るのは。


 世界最高戦力が一、クランベリー・ハート。


 ルーナの借りていたホテルの一室。柔らかな朝日が差し込む窓枠に腰掛けながら、クランベリーは不敵な笑みを浮かべ室内を見渡した。


「どうして、ここがわかったの?」


「んー?」


 ルーナの質問に、クランベリーは両手の親指と人差し指を合わせ、そのフレームにルーナの姿を捉えながら答えた。


「ちょーっとばかり私の持つ権力ってやつを舐めていないかね幼女ちゃん。容姿さえ分かれば何とかなるものなのだよ。後は昨日一日でチェックインに使われたクリアカードのデータを洗うだけー」


「……むぅ」


 予想以上に早く強引な手口に、ルーナが顔をしかめる。


「まーまー、そうむくれなさんなって。ルーナ・ヘルメルちゃん。別に私はキミに危害を加えにきたわけじゃない」


「クエストは取り消されたって聞いたんだけど」


「知ってるよー。取り消したの私だし」


 美月からの質問には目も合わせずにクランベリーは答えた。


「なら、なんで」


「んー、なんか勘違いしてるんじゃないかなぁ『鏡花水月(、、、、)クン(、、)


 その名前で呼ばれた瞬間、美月の中の警戒度が一気に跳ね上がる。

 が。


「『ユグドラシル』は討伐対象。あの時はスペードと中条さんの顔を立てたけど。『元』が付いていたとしても、それはやっぱり変わらないんだよねー」


 それはもう、遅すぎたと言わざるを得ない。


「っ!? か、身体が!?」


 信じられないと言わんばかりの表情で、美月が自らの身体を見下ろした。そこには何の変化も見られない。しかし、美月の意思に反してその身体は完全に自由が奪われてしまっている。

 クランベリーが指を一振りした時には、事態が急変していた。


「まずは跪いてもらっちゃおうかなー」


「うぐっ!?」


 どれだけ力を込めても言うことを聞かなかった身体。それがクランベリーの気まぐれな一言には従順な反応を示した。凄まじい音を立てて、美月の身体が床へと叩き付けられる。


「ありゃ? これって日本語で『ひれ伏す』って言うんだっけ?」


 そんな馬鹿げた問いすら答えることはできず、美月は不意の衝撃にやられて盛大に咳き込んだ。それを庇うようにしてルーナが一歩前へと出る。


「幼女ちゃん。現状、キミを連れ帰る指令は受けていない。そこどいてくれるかな」


「それはできない」


「『黄金色の旋律』との交戦はできる限り回避しろ、っていうのが『トランプ』内での通達」


「なら、そうすべき」


「聞こえなかった? 『できる限り』って言ってるんだよ私は」


 ゆらり、と。

 クランベリーの右腕が上がり、ルーナへと掲げられた。

 そして。


「……みつき、あとは、まかせたから」


「え」


「――――“ストリングス・回旋曲(ロンド)”」


「むだ」


 ルーナの眼球が、ぐるりと室内を見渡す。

 それだけ。

 それだけで劇的な変化が起こった。

 何かが何かを弾くような、乾いた音が連続で響き渡る。

 クランベリーに、ルーナがどのような手段を講じたのかは分からない。だが、どうなってしまったのかは分かる。


 それは、クランベリーの魔法が、無力化されてしまったということ。


「え!? うそっ!?」


 ここに来て、クランベリーが初めて動揺を見せた。

 その一瞬の隙を美月は逃さない。身体の自由が戻ったことを確認した美月は、即座に行動に移った。


「同じ手は二度も喰らわないよ!!」


 顔を狙った掌底を、クランベリーが辛うじて躱す。


「そうかなっ!? その割には動きが良くないねぇ!!」


 美月の連撃、その全てをクランベリーは危なっかしく捌いていく。


「こっ、これはっ、身体強化のっ、ブーストだけじゃっ、ダメかもっ!?」


「はぁ? 何の話――をっ!?」


 クランベリーの身体速度が、もう一段階上がった。蹴りが美月の腹へと突き刺さる。


「“ ストリングス・舞曲(タンゴ)”」


 衣装ダンスの扉を突き破り、中のハンガーでしこたま強く頭を打ち付けた美月が呻き声をあげた。


「一気に決めちゃう――よっ!?」


 追撃を掛けようと床を蹴るクランベリー。

 しかし、その速度が目に見えてガクンと下がった。


「なっ!?」


 身体のバランスが崩れる。そして、クランベリーが高速で揺れ動く視界の中で捉えた、一際鈍く輝くルーナのその眼光。


「っ、まさか!? あなたの目って!?」


できそこない(、、、、、、)だけどね(、、、、)


「うぐっ!?」


 それ以上の問答はできなかった。

 ルーナに気を取られていた、クランベリーの失策。

 美月の回し蹴りがクランベリーの側頭部を捉える。宿の窓ガラスへと叩き付けられたその小さな身体が、派手な音を立ててガラスを破壊した。


「“オープン”!! 『疾風の弾丸(ウェルピア)』!!」


 RankB風系・攻撃魔法『疾風の弾丸(ウェルピア)』が、遅延魔法によってタイミングをずらされて発現される。部屋の中、その全てを吹き飛ばす直線状の暴風が、クランベリーを直撃した。







 朦朧とする意識の中で、警鐘が鳴り響いていた。

 何に対する警告なのかは分からない。


 それでも。

 ここで動かなければ死んでしまうであろうことを、なぜか俺は正確に察知した。


 だから。

 青白い閃光を纏った一撃が、耳元を掠める位置で着弾する。


「今のを躱しましたか。お見事でございます」


「――――っ!?」


 咄嗟に捻った身体に追撃が来た。それを“魔法の一撃(マジック・バーン)”で弾き返す。不意を突かれたシスター・マリアの腕が、跳ね上がった。


「なっ!?」


 同じ身体強化魔法であっても、こちらは条件反射で発現させた無属性で、向こうは雷属性。距離を空けるにはスペックが違い過ぎる。“神の書き換え作業術(リライト)”で半ば強引にシスター・マリアの射程圏を振り切った。


「げほっ!! げほっ!! ぐっ……」


 堪らず咽る。

 どうやら俺はシスター・マリアから良い一撃を貰ってまたもや気を失っていたらしい。あとほんの少しでも意識を取り戻すのが遅かったら、本当に頭をぐしゃりとさせられていたかもしれない。

 ……いや。

 あれほどまでに分かり易い殺気を感知したのだ。俺に気付かせるため、わざとだったのかもしれない。


 ふと、あるべきはずの視線を感じなくなっていたので、目を向ける。

 師匠がいなくなっていた。

 いったいどこに――――、


「余所見とはずいぶんと余裕がございますのですね」


「っ!?」


 その一撃を躱すために、俺は再び“神の書き換え作業術(リライト)”をつかうハメになった。







 中華系の民族衣装を身に纏った青年は、肩を怒らせながら宿の階段を上ってた。

 理由は明白。

 大会期間中の拠点とするべき場所を押さえ、ようやく一息つけると思い手荷物をベッドへと放り投げた瞬間、真上の部屋の住人が異常なほどに大きな物音を立てて暴れ出したから。苛ついた青年が気分転換に窓でも開けようと窓の取っ手に手を掛けた瞬間、真上から大量のガラス片が落ちてきたから。


 ただでさえクリアカード発行に時間を浪費し、挙句狙っていたクエストはその間に取り消されてしまっていたのだ。

 堪忍袋の緒が切れてからの青年の動きは早かった。自室を飛び出し、階段を上る。無論、自室の真上を押さえている輩をぶっ飛ばすためである。

 わざと大きな足音を立てながら歩き目的の部屋までやってきた青年は、ノックの1つもせずに扉を蹴り壊した。


「うっせええええんだよどこのクソ野郎だ表出ろやああああああああ!!!!」


 流暢な日本語で軽やかな罵声を浴びせながら青年が部屋へと侵入する。

 そこには。


「……あ?」


 誰もいなかった。

 2つ用意されていたベッドはひっくり返り、衣装ダンスは原形を留めておらず、窓ガラスが填めてあった壁は、壁ごと破壊されてぽっかりと穴が開いていた。木片が足の踏み場もないほどに散らばり、天井灯も無くなっている。

 想像以上の光景に、青年の動きが僅かに鈍った。


「……なんじゃこりゃあ。喧嘩でもあったんか」


 ぼそりとそう呟く。ほぼ同時に人の気配を感じた青年は、ゆっくりと視線を背後に向けた。


「ほう? まだ現場に残っているとは肝が据わっている野郎だ」


 ちょうど入室するところだった魔法聖騎士団3人のうち、1人が一歩進み出てからそんなことを言う。


「は? 現場に残ってるって何の話よ」


「とぼけるな」


 青年は訳の分からぬいちゃもんを鼻で嗤い飛ばそうとしたが、それを前へ出た魔法聖騎士団員から一蹴されてしまった。

 そして。


「貴様を器物損壊の疑いで拘束する。行けっ」


「はっ、隊長!!」


 号令と共に左右に控えていた魔法聖騎士団が動き出す。


「え? 嘘だろちょっと待てよ俺は善良な一般市民だって!?」

次回更新予定日は、6月30日(月)です。

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