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第5話 同調率




「……身体に聞く、ってのはつまりどういうことでしょう」


 嫌な予感しかしない。

 答えが返ってくるのが怖い。

 質問することすら恐ろしい。


 が。

 聞かなければ話が進まない。


「言葉の通りよ。これから貴方には、基本五大属性その全てを順番に身体強化へ属性付加させていってもらう」


「はあ」


 その程度ならお安い御用なわけだが。

 無論、その程度で終わるわけがないのだろう。


「そこで、それぞれの同調率(どうちょうりつ)を見させてもらう」


「……同調率?」


 聞き慣れない言葉が出た。


「簡単に言うなら、その属性が貴方にどれだけ馴染んでいるか。同調率が高ければ高いほど、その属性の特性をより引き出せ、強力に扱うことができる。ま、熟練度とさして違いはないか」


 腰に手を当てて師匠は続ける。


「限りなく100パーセントに近い値になるようなら、その属性を使って属性同調のルート。属性同調には至れないものの、高い数値の属性が複数あるようなら属性共調のルート。そんな感じね」


 なるほど。


「それじゃあ、俺は順に属性を付加していけばいいわけですね?」


「そうね。まずは一通り発現してみてもらいましょうか。まずは『火』から」


 火属性を付加した身体強化魔法を発現する。


「……まあ」


 火が俺の拳に収束したのを見て、シスター・マリアが目を丸くした。


「これは……」


「え、何かまずかったですか?」


 俺としては普通に発現しただけなんだが。


「いいえ、その逆よ」


 師匠がしてやったりといった表情で言う。


「中々なものでしょう? 私の弟子は」


「そう、……でございますわね。これは正直、とても、……驚きました。目算でございますが、同調率が既に70パーセントを超えております」


 それは凄い方なんだろうか。さっきの話じゃあ、属性同調に達するためにはほぼ100パーセントでなければならないようだし、先は長そうに聞こえる。


「ともかく、順に発現していってちょうだい」


「分かりました」


 師匠に答え、水、風、雷、土、と発現させていく。


「まさか、これほどとは……」


「んー、『土』と『水』がちょい低い、……か。均等に使いこなせってあれだけ言っておいたのに」


 驚愕の表情を浮かべるシスター・マリアと、不満たらたらの表情を浮かべる師匠のギャップが面白い。ただ、勝手に納得しないでこっちにも分かるように解説して欲しい。


「で、どうなんでしょう。いけそうですか?」


「もちろんそんな甘い話じゃない」


 ……ですよね。

 師匠はあっさりと俺の淡い期待を踏みにじった。


「貴方の同調率は、一番高い『火』が70パーセント後半、『風』と『雷』が70パーセント前後、『水』と『土』は50~60パーセントといったところね。測定器を使ってないから精密な値ではないけれど、まあこんなものよ」


 それが凄いことなのかどうか分からない。首を捻る俺を見て、シスター・マリアが助け舟を出してくれた。


「中条様の同調率は、決して低くはございません。むしろ同調率を意識せずにこれだけの値をお持ちであることは、誇るべきでございます。熟練の魔法使いでも、得意属性との同調率は60パーセントに届くか届かないか、一般の魔法使いに至っては5割にも及んでいないのが現状でございます」


 その程度なのか。意外と低いもんだ。

 それを踏まえると、俺って意外と凄いのか。


「これは……、貴方が身体強化魔法にのみ依存し、戦ってきた成果よ。他の魔法が使えない分、貴方の身体強化魔法の使用頻度は世間一般よりも遥かにずば抜けているからね。おまけに全属性を無詠唱で発現するという訓練を欠かさず行ってきたおかげで、どの属性も洗練されている。軒並み同調率が高いのはそのおかげ」


「これほどまでに身体に馴染んでいる身体強化魔法は、なかなかお目にはかかれません。中条様は、素晴らしい技能をお持ちでございますね」


 急に称賛されだしたので居心地が悪い。


「とはいえ、これでもスタートラインに立てたわけじゃない」


 師匠が言う。

 一瞬で風向きは元に戻ったようだ。


「さっきも言った通り、属性同調には100パーセントに限りなく近い同調率が欲しい。属性共調ルートに入るとしても、2つの属性でそれぞれ最低80パーセントは欲しい」


 ……。

 猛烈に嫌な予感がしてきた。


「同調率を上げていくためには、その属性を発現する行為が大切。それを随時使用している状態だとなお良し」


 雲行きが怪しい。


「更にそれが命を懸けたやり取りの中でなされていれば、素晴らしい結果が得られる」


 吹き荒れている。


「『死ぬ気になればなんでもできる』ってのは的確に真実を突いているわ」


 ……。

 どころか既に荒れ狂っていた。


「貴方には、これからマリアの相手をしてもらうわ。属性同調と属性共調、どちらかのスタートラインに立てるまでの間、ずっと」


 シスター・マリアへと視線を向ける。心中お察しする、といった苦笑いでも浮かべているかと思ったら、予想に反してらしからぬ好戦的な光をその目に宿していた。


「本来ならば70パーセントを越えた辺りから急激に伸び率が悪くなるのですが、同調率を意識せずにここまでこれているのならばあるいは……」


 えっと。シスター・マリア? 独り言のようにぶつぶつ言われると怖いんですけど。


「これは少し、本気を出してもよろしいかもしれません」


「え」


 ちょっと待って。それはどういう意味?


「マーリアっ」


 こちらの心境を余所に、軽い口調で師匠はその名を呼ぶ。

 そして。


「ぶっ!?」


 直後に視界が真っ暗になった。

 続いて襲い来る激痛。


「があっ!?」


 後方へと吹き飛ぶ。シスター・マリアの鉄拳が俺の顔面を捉えたのだという事実に気付いたのは、痛みで視界がにじんだ後だった。


「ほら、さっさと身体強化しなさい。もちろん属性も付加させてちょうだいね。貴方をボコボコにするのは手段であって目的ではないんだから」


 なおも軽い口調で、師匠は言う。


「その年でその同調率。このマリア、感服致しましたわ。中条様」


 先ほどまで俺が突っ立っていた場所で、シスター・マリアが構えをとった。


「ひとつ、お手合わせ致しましょう」


 痛む鼻頭を抑え、「タイム」と言おうとしたが、シスター・マリアはそれよりも早く俺の懐へと潜り込んできた。

 まじかよ。本気でやんのか!?

 身体強化魔法を発現する。もちろん全身に。

 迫りくる肘打ちを、受け流そうと手を沿えて――――、


「はっ!?」


 その重さに耐えきれず、真横へ吹き飛ばされた。


「があああああああああああああああっ!?」


 壁へと打ち付けられ、全身に激痛が走る。痛みに耐えきれず無意識で絶叫する。


「寝てる暇なんてないわよー」


「――――っ!?」


 師匠の声を聞いて、蹲っていた俺は反射で首を逸らす。

 ゴトン、と。

 重い音がした。

 今の今まで(こうべ)を垂れていたその場所に、シスター・マリアの踵落としが炸裂した音だった。


 その光景に硬直してしまう俺の身体と思考。

 その一瞬の隙を容赦なく狙うシスター・マリア。


 鋭い回し蹴りが、俺の脇腹を抉った。







「返信来ないな~」


 ベッドに横たわりながら足をバタつかせていた美月は、クリアカードを投げ出してそう言った。外した視線の先では、ルーナが静かに新聞を読んでいる。


「……ちゃんと読めてるの?」


「いっぱんじょうしき」


「……」


 ルーナが読んでいるのは、魔法世界で主流言語となっている英字新聞だ。英語が致命的かつ壊滅的な美月からすると、幼女が英字新聞を読んでいる光景はまさに衝撃的だった。


「ま、まあ母国語なんでしょ? 日本の子供が絵本読んでるのと変わらないわけよ」


 そんな感じで動揺する自分を必死に宥めようとする美月だったが。


「わたし、にほんご、しゃべってる」


 新聞から僅かに目を上げたルーナはそんな残酷なことを言った。

 美月が硬直する。外国語をそつ無くこなす幼女相手に全力で目を背けていた美月の完全なる敗北だった。

 絶望に打ちひしがれる美月をしり目に、してやったりの表情をしたルーナは新聞をめくり。


「あ」


 その小さな記事を、発見した。


「……すこし、まずいことになってるかもしれない」


「え?」


 ルーナはそれ以上を口にしなかった。

 新聞を折りたたみ、美月には目もくれずに扉へと向かう。


「ちょっとちょっと、どこ行くの?」


「のどかわいた」


 美月の質問に対してそれだけ答え、ルーナは扉の外へと消えてしまった。


「……いいもんねいいもんね」


 くやしそうに口を尖らせながら、美月がベッドから身を起こす。ルーナがほっぽり出した新聞を手にして開いて見る。


「聖夜君も言ってたもん。単語さえ分かれば私だってこのくらい……」


 そう言いつつ美月は2秒で新聞を折りたたみ、元の位置に戻した。

 結局、ルーナの言っていた記事の内容どころか記事の場所すら見付けられなかった美月は、再びベッドに戻り不貞腐れたように部屋の電気を消した。







 顔に違和感。

 具体的には右頬の部分。身体の節々が傷んでいる感覚があるが、現在進行形で刺激を与えられているのはそこだった。

 徐々に意識が浮上する。


「ほら起きなさい」


 暗闇に聞きなれた声が響いた。

 ゆっくりと目を開ける。

 そこには。


「時間が無いって言ってんでしょうが。攻撃喰らうたびに気絶するのやめてくれないかしら」


 大の字になって倒れ伏す俺の顔を足で踏む師匠の姿があった。


「……う、こ、ここは」


「なに、もう一度最初っからやり直さないといけないわけ? そしてこのセリフをあと何回私に言わせれば貴方の低能は学習するの? どんだけ身体鈍ってるのよ」


 寝起きから大した言われようである。

 師匠の脚を払いのけ、ゆっくりと上半身を起こした。

 こちらを困惑した表情で見つめてくるシスターが視界に入る。

 そこで思い出した。


「……あぁー。思い出しました」


 思い出したくない悪夢を。


「それはなにより」


 師匠は欠片も感情が篭っていない口調でそう言った。


「さっさと立ちなさい。次、行くわよ」


「……了解です」


 痛む身体に鞭を打ち、立ち上がる。


「んー」


 それを見ていた師匠が急に唸り出した。


「どうしたんです?」


「1つルールを追加しましょうか」


「ルール?」


 なんだろう。嫌な予感しかしない。


「大会までの間、最低三時間は睡眠時間を確保してあげるつもりだったんだけど、変更するわ。これから先、気絶していた時間を睡眠時間から削っていくことにする。ま、寝ている間って気絶しているようなものだし同じことよね」


「根本的に違うに決まってんだろ!!」


「マリアー」


「――っ!?」


 師匠の気の抜けた呼び声に反し、一撃で意識を刈り取らんとする拳が俺の耳元を薙いだ。

 シスター・マリア。

 雷の身体強化魔法を全身にかけているこの人の動きは、もはや肉眼では追えない領域に踏み込んでいる。今、回避できたのだって正直なところ運だ。


「ほら聖夜。早く身体強化身体強化」


 手を叩きながら軽い口調でそんなことを言ってくる師匠。


「うっ!?」


 シスター・マリアからの次の一撃は、“神の書き換え作業術(リライト)”を用いて強引に距離を空けることで何とかやり過ごした。


「ちょっとー。身体強化魔法で応戦してくれなきゃ先に進めないって説明したでしょうが」


「すみませんねぇ!!」


 怒鳴り声で謝罪する。

 今のは“神の書き換え作業術(リライト)”じゃないと回避できなかったんだよ!!


「さっさと属性と波長を合わせてよねー。その同調率で、どの属性を扱うか、同調に進むか共調に進むかを決めるんだから。言っておくけど、これまだスタートラインに立ててないからねー」


 情け容赦なく突貫してくるシスター・マリアを見据えながら、火属性の身体強化魔法を発現する。今度は何手持つだろうか。できればそろそろ意識を失うような一撃は避けていきたいところだ。

 魔法使いとしてのレベルが違いすぎる。出会いがしらの手合わせでは、どれだけ手を抜かれていたかという話だ。

 放たれる一撃、二撃を、8割がた勘を頼りに躱していく。


 何段飛ばしの特訓を受けているのかは知らないが、1つだけ分かっていることがある。

 多分、俺はここで死ぬ。

 3日ももたないだろう。







 朝日が魔法世界の市街地が一、リスティル街を照らす。

 まだ陽が昇ってから間もない時刻。それでも、その街の中心地にそびえ立つギルド本部は、既に活気に満ちていた。


「え、なにもうクエスト終わっちまったの?」


 20代の男性だった。中華系の民族衣装に身を包み、黒の長髪を後ろで結び背中辺りまで垂らしている。手荷物は肩から下げている布袋のみ。

 端整な顔立ちをしたその青年は、流暢な日本語でギルドのカウンターに座る受付嬢の1人にそう尋ねた。


「はい。今朝一番に『トランプ』より連絡がございました。“旋律”リナリー・エヴァンスの捜索願は既に取り下げられております」


 受付嬢は、笑顔を絶やすことなく目の前の青年に合わせて日本語で返す。


「マジかい。良い小金稼ぎだと思ったんだがなぁ」


 頭を掻きながら前のめりになっていた身体を起こす青年。


「くそう。やっぱクリアカードなんて作っている暇があったら、さっさと侵入する方法を考えていた方が有意義だったか」


魔法聖騎士団(ジャッジメント)を手配致しますので、少々お待ち願います」


「うそうそうそ!! 嘘だから!!」


 真顔でクリアカードの通信機能に手をかけた受付嬢を、青年が必死の形相で押し留める。


「ちくしょう。大会まで暇になっちまったな」


「他のクエストもご案内できますが」


「いや、俺そんなに暇じゃないから。ありがとさん」


 ほんの少し。ほんの少しだけ、受付嬢の目元と口角がひくついた。

 意図的に無視でもしたのか、青年はその機微につっこむことなく踵を返す。ごった返すギルドのフロアを抜け、外へ出た。早朝の、過ごしやすく気持ちの良い風が頬を撫でる。


「そういやー、今日は午後から一気に暑くなるんだっけか。先に宿でも確保しますかね。ったく、かち合うには、やっぱ大会まで待つしかないかねぇー。……ん?」


 青年の横を誰かが音も無くするりとすり抜けた。青年が目を向ける頃には、もうその人物はギルドの扉の中に消えている。


「別に気を抜いていたわけじゃあなかったわけだが」


 閉じられた扉を見つめ、目を細めた。


「あんな学生くらいの子も出入りするのかい。難儀なお国柄だねえ、ここも」







「がっ!?」


 腹部に走る激痛で、俺は意識を取り戻した。


「いちいち寝んなって言ってるでしょうが」


 師匠の呆れ声が頭元から飛んでくる。

 頭がくらくらする。特訓を開始してからどのくらいの時間が経過したのか全く分からない。何回意識を失ったかも分からない。


「リナリー。そろそろ小休止を入れておくべきだと思います」


「大丈夫よ。今だってこいつ寝てたんだから」


 気絶してたんだよ。

 もう軽いつっこみすら入れる気になれなかった。


「ですが、食事くらいは」


「んんー、そうねぇ」


 シスター・マリアの言葉に師匠が唸る。

 正直なところ、腹なんて減ってない。むしろ気持ちが悪いくらいだ。それに今食ってもその後の一撃でどうせ吐き出すだろう。


「仕方が無い。死んでもらっても困るしね。じゃあ(、、、)朝食に(、、、)しましょうか(、、、、、、)


 ……?

 ちょっと待て。


「聞き違いですよね? 夕食でしょう?」


 窓も時計も無い地下空間に放り込まれているせいで感覚が鈍っているが、この教会に足を踏み入れた時はちょうど日が沈んだ頃だったはずだ。

 まさか。


「何言ってるの? 夜なんてとっくに明けてるわよ」


 意識を失いそうになった。

 それじゃあ俺は飯も睡眠もとらずにぶっ続けで何時間もボコボコにされていたのか。そりゃ意識も朦朧とするわ。

 ……あれ?


「じゃあ、師匠たちも夕食抜いてるんですか?」


「食べたわよ。貴方が寝ている間に。何度呼んでも起きないんだもの」


 ……。

 決めた。

 もしこの地獄を切り抜けられたとして。

 もしRankSの魔法を身につけられたとして。


 一番最初は、とりあえずこの女を吹き飛ばそう。

 食事の支度のためか、訓練場から出て行くシスターの後ろ姿を眺めながら、俺はそう決意した。







「恐れ入りますが、現段階で出場者に関する情報を提示することは致しかねます」


 受付嬢のきっぱりとした物言いに、少女はカウンターで開かれた新聞記事を人差し指でコツコツと叩いた。


「一部では既に話題となっていることです。それでは内部に内通者がいたことになりますが」


「その情報が公式な見解であるとギルドが提示しましたか? 我々はその件に関しまして、一切の関知をしておりません」


 少女は静かに舌打ちする。ある程度予想できた展開ではあったが、予想通り過ぎてそれが逆に少女を苛つかせた。

 こうなってしまえば、少女が取るべき手段はもう1つしかなかった。


「それではアギルメスタ杯へエントリーします。手続きを」


「はい?」


 受付嬢が眉を吊り上げて少女を見た。言葉には出していないが、「本気で言ってるのか」という心境が表情で丸わかりだった。


今大会は(、、、、)アギルメスタ(、、、、、、)()なのですが(、、、、、)


「今、私はそう口にしましたよね」


「相手選手を故意的に殺傷させることは禁止されていますが、武器等の使用は一切制限されていません。それはご理解頂けていますか?」


「無論です」


 受付嬢からの言外の忠告に、少女は無表情で頷く。しばらく見つめ合った後、折れたのは受付嬢の方だった。


「……かしこまりました。それではクリアカードを提示願います」


「はい」


 差し出された少女のクリアカード。それを受け取り、目を通した受付嬢の顔がしかめられた。


「申し訳ありませんが、貴方には出場権がございません」


「なぜ」


「エルトクリア学習院生は参加が禁止されております。詳しくは貴方の学習院に問い合わせを――」


「日本語が読めるのですね。ならば話は早いです」


 わざとクリアカードの文面を『日本語』に設定したまま提示した少女が、くせっ毛のあるショートカットの黒髪を撫でる。


「その名前に心当たりは?」


「……」


 少女の質問に、受付嬢が押し黙った。


「これは天道(てんどう)家・現当主による決定です。私は、アギルメスタ杯に参戦する。定型文による拒絶は結構です。申請を棄却したいのならば、相応の権力者をここへ」


 大きな音を立てて受付嬢が立ち上がり、奥の扉へと駆け込んで行く。

 残された黒髪の少女は、静かにため息を吐いた。







「ぐぷっ」


 口元を両手で押さえ、込み上げてくる何かを必死に押し留める。

 予想通りの展開になった。

 超気持ち悪い。


「少し本気でやりすぎましたでしょうか」


「そんなわけないじゃない。単純にこいつの腕が鈍ってるだけよ」


 シスター・マリアからの声に、師匠は首を振って答えた。


「同調率の高さには驚かされましたけれども、これでは……」


「言ったはず。できるかできないかじゃない。無理矢理叩き込む、って」


「同調率が規定値に達している魔法使いであったとしても、年単位で身に付ける魔法でございます。そもそもスタートラインに立てたとしても、それはあくまで最低条件に過ぎません。発現できると確約されるわけでもない。中条様はそのスタートラインにすら立てておりませんのよ」


「知ってる。だからさっさと強引に引き上げようとしてるわけ。ほら聖夜、早く立ちなさい」


 く、くそう。

 嘔吐感を何とかやり込めた俺は、ふらふらする足に手を添えて立ち上がる。


「現在の状態はいかがなものでございましょう」


「全て変わらず。風属性がちょっとだけ上がったかしら、というレベルね」


 魔法術式の全貌が曖昧な俺でも分かる。どう見繕っても論外な値だ。


「……リナリー。同調率は上がれば上がるほど上がりにくくなるのでございますよ」


「くどい。マリア、口を動かすくらいなら身体を動かして」


 師匠の言葉を聞いて、シスター・マリアは大袈裟に肩を竦めてみせた。


「いかが致しますか? 中条様」


 ぶっちゃけやめたい。

 年単位で習得する魔法を3日でやるとかできるはずがないと思う。

 たが。


「……つ、続けてください」


 RankSの魔法を手に入れられる可能性があるのなら、挑戦したいというのもまた事実。


 今後、蟒蛇雀と再び戦闘になる可能性だってゼロではない。いや、むしろ高いくらいだ。だとしたら、この技法は俺にとっては必須のものとなる。


 今の状態で再戦して生き残れると考えるほど、俺は楽観的な性格はしていない。


「ふぅむ……」


 師匠が顎に手をあてて考え込む。

 今度は何だ。


「よし。こうしましょう」


 しばらくして。

 師匠は手をポンと叩いてから、こう言った。


「それじゃあこうしましょう。次で最後にする」


「……最後、とは?」


 シスター・マリアが眉を吊り上げる。


「毎度毎度、聖夜が気を失うたびに仕切り直していたけど、それはもうおしまいってこと。命を懸けたやり取りって表現していても、マリアに聖夜を殺す意思が無いのは明白だし、これじゃあただの組手と変わらないから」


 当たり前のことを当たり前のようにのたまった。そりゃそうだろう。初対面なのにシスター・マリアが俺へ殺意を持つはずがない。


だから次は(、、、、、)聖夜が(、、、)ギブアップ(、、、、、)宣言をするまで(、、、、、、、)マリアは(、、、、)手を止めない(、、、、、、)


 ……。

 ……、……。

 ……、……、……。



 は



 ……。

 ……、……。

 ……、……、……。


「は?」


 思わずして思考が一時的に停止した。

 今、なんて言ったこの女。


「貴方がギブアップを宣言した時点で、この話はおしまい。RankSの話は無かったことにするわ。大会も適当にやって適当に切り上げなさい。逆に貴方がギブアップ宣言をするまでは、マリアは貴方を襲い続ける。死ぬまで襲い続ける」


 死ぬまで、……って。


「マリア、それでいいわね?」


「……そうでございますわね。現状の不毛な組手を続けるよりは効果が出るとは思いますけれど」


 ちょっと、……え?


「そういうことだから。聖夜」


 師匠が視線だけを俺に寄越す。


「これが最後ということで。貴方がこの組手を終わらせる手段は3つ。ひとつ、諦めてギブアップする。ふたつ、マリアに殴り殺される。そして、みっつ」


 冷たい視線を向けて、言う。


「RankSの入り口まで辿り着く。はいスタート」


 師匠が手を鳴らす。

 あまりにもあっけなく。

 新ルールが追加された組手が始まってしまった。







「こちらでしたか、まりか様」


 ギルドの正面玄関から姿を現せた人物を見て、待機していた少女は重苦しいため息を吐きながらそう言った。


「……(ゆい)


 リスティル街の広場。雑踏の中でポツンと立つその姿を見て、天道まりかはバツの悪そうな表情で視線を外す。


「貴方は天道家現当主なのです。外へ出るなら護衛(わたし)をお付けください」


「そんな仰々しいものなんていらないって。ボクの強さ、知ってるでしょ?」


「知っているが故、です。貴方のそのお力は、おいそれと振るっていいものではありません」


 唯の物言いに、まりかは口を尖らせてみせた。その仕草を敢えて無視して、唯は続ける。


「それで。何用でここまで? 本日も学園はございますが」


「うん。アギルメスタ杯にエントリーしたくてさ」


「……は?」


 比喩ではなく、本当に唯の身体が固まった。頬をヒクつかせ、震える声で唯は聞く。


「な、何の御冗談で?」


「いや、ホントにホントに。ボク、アギルメスタ杯に出場することになったから。ほら、エントリーナンバー」


 まりかはクリアカードを見せ付けるように唯へと掲げた。冗談であって欲しかった唯は、その見紛うこと無き出場権を目撃し、わなわなと肩を震わせる。

 そして。


「……こ」


「こ?」


「……こ、……こ、……、……こっ」


「なになに唯? なんなのよ」


「こんのアホンダラァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」


 大絶叫が朝のリスティル街中に響き渡った。

次回更新予定日は、6月20日(金)です。

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