第2話 ピンク色の少女
アオバ。
それは、魔法世界へと誘う入り口を指す名称だ。
てっぺんが見えないほど大きく、そして重厚な扉が開く。
……。
なんてことはなく。
重厚な扉には、よく見ると大きさの違う様々な扉が付いていた。どうやら入出国する際に運搬する荷物の量によって開く大きさを使い分けているようだ。
今回通るのは俺たちだけで、荷物も旅行鞄と大したものではなかったため、だいたい高さ2mくらいの一番小さな扉が選ばれた。警備隊長さんが魔力を込めるのを合図にロックが外れる音がする。
確かに魔力は使ってる。だからファンタジーなのはファンタジーなんだがなんか違う。これから魔法世界に入るっていうのに、やたら近代的な技術を見せられているだけな気がする。ぶっちゃけ指紋認証とかと見た目は大して変わらない。どうせなら魔法で扉の大きさが変わるとかくらいはして欲しかった。
「ガルルガ様には報告させてもらうぞ」
「お好きに。どちらにせよ、紋章を使用した件についてスペードに報告するんでしょ」
唸るように言う隊長さんに対し、師匠はさして気にした様子も無くひらひらと手を振ってみせる。
「行くわよ」
師匠はそう言うと、隊長さんが開けた扉の中へと入っていく。
礼を言い、隊長さんの横を通る。
その際、小声で話し掛けられた。
「お前たちが乗ってきた飛行機は、『トランプ』から用意されたものだったのか?」
「いえ。ただ、時間は指定されてましたけど」
アオバ行きの飛行機は1日に2便しかない。そのため乗り換え時間を計算ミスすると大惨事になる。向こう側からもっとも良い時間帯が提示され、それに従った形だ。
「……そうか」
納得したのかしていないのか。微妙な間を置いて隊長さんはそう呟いた。
そして。
「俺の考えすぎだったなら聞き流せ。……もし、中で何かあったとしても戦闘は避けろ。絶対に、だ。『トランプ』に喧嘩を売る馬鹿なんて普通はいないんだが、お前らのご主人様は数本ネジが飛んでるからな」
もっともな忠告は、ありがたく頂戴することにした。
☆
「は?」
後ろで扉が閉まる音がする。俺たち全員が入国したので、隊長さんが閉めたのだろう。ただ、それを振り返って確認するだけの余裕は、俺には無かった。
「……駅、じゃん」
呟く。
そう。駅だった。
目の前には券売機と改札機、そして駅員が控えている窓口がある。改札機の向こうは当然のようにホームとなっていて、電車が待機していた。
後ろを振り返ると、先ほど入国で使った扉がある。ただ、この光景を見せられた後に振り返ると、普通の従業員用の通路にしか見えない。
なんだこれ。じゃあなんで大きな扉とかあるんだよ。中がすぐ駅じゃあ荷物とか運べないだろ。
……いや。線路が伸びてるってことは、貨物列車みたいなのも走るのか。なら運搬もスムーズだな。実に理に適っている。
いやいやいや。そんなことはどうでもいいんだ。
「……これが、魔法世界」
日本にいるのと何ら変わり映えしない気がしてならない。
「なに勝手に落胆してんのよ。貴方も一度来たことあるでしょう」
「不法入国だったけどな!!」
呆れたと言わんばかりの師匠にそうつっこむ。
あの時はアオバの門を潜ることはせず、俺の転移魔法でここから少し離れた付近から強引に突破をした。
見えないが結界で守られている。
ただ、転移すれば大丈夫なはず。
そんな師匠の言葉を信じて使ってみれば、魔法世界中に警報が鳴り響く大惨事となった。当然、こんな駅には来ていないし、周囲を落ち着いて見て回る余裕も無い。
言われるがままよく分からない街へと赴き、よく分からない集団のアジトを1つ潰し、侵入者である俺たちを捕えるために派遣された『トランプ』の団員と拳を交え、命からがら逃げだしたわけだ。
あれを来たことがあるとカウントされるのは釈然としないものがある。
「ふ、不法入国って、……大胆なことするんだね。聖夜君って」
あの美月が若干ではあるがヒいている。まあ、俺でもヒく内容だ。美月の後ろではルーナが少しだけ誇らしげに「せーやは、さいきょうだから」とか言ってる気がするが気のせいだろう。
「そんな昔のことはどーでもいいから。早く切符を……、ああ、そうか。証明書がないからエールも無いのか」
師匠は1人勝手に納得したようで、券売機の方へと歩いて行く。
「クリアカードってのは何となく分かりましたが、エールってのはなんです?」
「この国の通貨のことよ」
追いかけて聞いてみると、師匠はすんなりと教えてくれた。
「日本で言う『円』ね。ただ、こちらの通貨には実体が無いわ。札だったり硬貨だったりがあるわけじゃない」
師匠はそう言いながら、1枚のカードを俺に見せてきた。警備隊長さんに提示していたクリアカード、というやつだ。そこには師匠の名前やその他もろもろの情報が記載されている。職業は魔法使いで所属名が『黄金色の旋律』、だとかそういった情報だ。
「この中に、魔法世界の通貨である『エール』が入っているわけ。日本でいうICカードのようなものね。こちらは全部このカードでやり取りするから」
俺がそう考えているうちにも師匠の説明は続く。
近未来的な感じだな。ファンタジーというよりはもはやSFの世界だ。
師匠が券売機にクリアカードを通し、画面を操作していく。すぐにクリアカードと切符が2枚放出された。
「行くわよ」
「2枚? 俺と……」
「美月の分よ。私とルーナはこれがあるから」
師匠がクリアカードをひらひらとさせながら言う。ルーナもふりふりの付いたスカートのポケットから自分のカードを取り出していた。そういえば、ルーナは基本的に魔法世界で動いているんだったな。
それで改札機にタッチして乗るのか。日本とどこも変わらないな。
受け取った切符の中央には、太字で『Aoba⇒2E』と書かれていた。2Eってのは2エールということだろうか。だとしたら1エール100円くらいなのか?
そうこうしているうちに、師匠たちが次々と改札を抜けていく。
俺も慌てて後に続いた。切符を通し、改札を抜ける。
駅には俺たちを除くと駅員以外にはおらず、機械の音がやたらと大きく聞こえた。
「人、全然いないですね」
表示されている電車の発車案内板によると、停車中のこの電車はあと10分は発車しないらしい。それを確認しながら師匠へと話しかける。
「このアオバは見ての通り、魔法世界の玄関口としての役割しか有していないわ。外に出る、中に入る、それ以外でここを利用する人はいないの。何か特別な催し物でもない限り、ここはいつもこんなものよ」
車内も日本のそれとまったく変わらなかった。もしかしたら、ここに電車の技術提供をしたのは日本なのかもしれない。さっきの案内板も日本の駅で見るものと似通っている感じだった。
一番最後を歩いていた俺が乗車した瞬間、駅のホームで発車ベルが鳴る。
あれ?
後ろ手にドアが閉まる。
「さっき案内板、発車ぎりぎりの時間じゃなかったですよね」
「見てないけど。遅延でもしてたんじゃないの? 海外の電車事情なんてこんなものでしょう」
いや、確かに日本の電車運行の正確さは異常レベルだとは思うけれど。
ゆっくりと電車が動き出した。
改札口に一番近かった車両に乗ったため、俺たちが乗車しているのは最後尾だ。後ろを見るが車掌らしき人はいない。自動制御なのかそれとも運転士だけはいるのか。
ふと、車窓に映る景色へ視線が向く。
この電車が向かっている方角。そこには、まだ遥か遠くであるため全貌が見えているものの、先ほどのアオバとは非にならない高さの、白い白い山がある。目を凝らして見てみれば、それは傾斜に造られた建造物の群れであることが分かる。
あれは魔法世界の貴族たちが住まう街。
そして、その頂上に見えるのがエルトクリア城だ。
この国の権力配置は実に分かりやすい構図をしている。中心にあるエルトクリア城を頂点とし、あとはドーナツ状に偉い人間ほど内側に住んでいる。
車窓から見えるあの白い山は、この国の権力の縮図だ。
もっとも、山の最下層に住んでいる人間も、位は劣るとはいえ貴族。平民やそれ以下は、山の麓から広がる市街地に居を構える。
この国の住民は、偉ければ偉いほど広い土地を持つわけではない。偉い人間ほど、王城に近く、標高の高い位置に土地を持つのだ。
正直なところ、世間一般と価値観にズレがあるとしか思えない。
「座ろうよ、聖夜君」
突っ立ったままだった俺に、美月が声をかけてくる。
車内には俺たちしかいない。というか、多分この電車に乗っているのは俺たちだけだろう。アオバ行きの飛行機も貸切状態だったしな。
美月に軽く返事をし、荷物をあみだなに乗せてから座ろうとした。
その時。
隣の車両とこの車両とを繋ぐ連結部の扉が開いた。
「……え?」
皆、音がしたそちらへと目を向ける。
そこには。
ピンク色を基調としたローブ。
そのローブに所狭しと付けられた缶バッチや小さなぬいぐるみなどの猫グッズ。
そして大きなネコミミが付いたフード。
まるで、コスプレ衣装かと勘違いしてしまうような魔法服。
それを身に纏った、俺と同い年か年下くらいの魔法使い。
ざわり、と。
全身の毛穴が逆立つのを感じた。
「……聖夜君」
美月が座席から立ち上がり、俺の腕を掴む。少しだけ声が震えていた。
美月が感じ取った恐怖は、おそらくあのイカれた風貌からではないだろう。
この女の纏っている魔力、尋常じゃないぞ。
「……貴方」
師匠が小さな声でそう漏らす。連結部の扉のところで立ち止まっていたピンクの魔法使いは、後ろ手にゆっくりと扉を閉めた。
「久しぶりね。リナリー・エヴァンス。うちのクィーンは相当お冠よ」
明るいソプラノ調の声、それも日本語でそう言う。
少女か。フードを深く被っているせいで表情は分からないが、内容に反して楽しそうな声色だった。
「それで、そちらが噂の白い少年ね? なるほど、結構私の好みかも」
フードを手で少しだけ上げた少女と目があった。ウインクされる。それと同時に俺の腕を掴んでいた美月の手に力が篭る。
美月さん。この万力のような握力は、恐怖から来るものじゃないですよね。痛いです。
「初めまして。私はクランベリー・ハート。エルトクリア王家の護衛をやらせてもらっているわ。よろしくね」
クランベリー・ハート。
……ここで『トランプ』の一員か。ウィリアム・スペードと同格の魔法使いってことだよな。
「通過したわ」
急展開についていけない俺を置いて、師匠は何やら見当違いな発言をした。
「通過?」
師匠の視線を追い、クランベリー・ハートも車窓へと目を向ける。
「この電車。今、フェルリアを通過したわね。あそこは通過駅じゃなかったはずだけれど」
「ああ……」
クランベリー・ハートは納得したかのように、こちらへと視線を戻した。
「この電車は第10級貴族街地まで直通よ」
「なぜ」
「貴方たちにはこのままエルトクリア城までお付き合い願うことになるわ。おっと、先に言っておきます」
師匠が口を開こうとしたところで、クランベリー・ハートはそれを牽制するかのように手を上げて続ける。
「中条聖夜君と鑑華美月さんは、スペードからのご招待。リナリー・エヴァンス。貴方にはクィーンより登城命令が下っているわ。……そこの幼女は、……誰?」
ルーナの情報は入ってなかったのか、クランベリー・ハートが首を捻る。小首を傾げている仕草が、並々ならぬ威圧感を携えているこの少女に相当なギャップを与えていた。
「聖夜、この女を車外へ跳ばしなさい」
「は?」
「転移魔法。さっさと視界から消してちょうだい。目障りよ」
「え? この子を?」
こんな幼気な風貌をしているこの子を?
そりゃあ尋常じゃない魔力は感じるし『トランプ』の一員っていうくらいだから死にはしないだろうけど、走行中の電車の外へ放り出すとかまずいだろう。
そもそも向こうが手を出してきているわけでもなし、敵対する意味も分からない。隊長さんからもらった忠告もある。
「あはは。心配してくれてるの? 嬉しいなぁ。……けど」
朗らかな声でクランベリー・ハートは笑う。
「100年早いかな」
ピンク色の残像を残して、視界から消えた。
否。
辛うじて目で追える速さだったが、俺が対処するよりも先に、美月の蹴りが急接近してきたクランベリー・ハートを迎撃する。
「わお」
腕を交差して防御を図ったクランベリー・ハートが、驚きの表情を見せた。
「聖夜君に何するの」
「なかなか強烈な蹴り、――ぽっ!?」
側頭部を掴まれたクランベリー・ハートが、その勢いのまま電車の窓ガラスに叩き付けられる。
別の美月の手によって。
「風の球!!」
無系統・分裂魔法によって分裂したチビ美月の手から、直接詠唱によって発現した風が放出された。詠唱が省略されていたため威力は落ちる。
しかし、ここは魔法世界だ。
周囲の魔力濃度が日本の比ではない。
結果。
「お、おいっ!?」
風の属性付加の中では下級に位置する魔法が、周囲の余計な濃い魔力をも吸い込み馬鹿みたいな威力で発現された。
周囲数枚のガラス窓が纏めて砕け散り、電車の側面が衝撃によってボコリと嫌な音を立てる。クランベリー・ハートが車外へと吹き飛ばされた。
完全に想定を超えてしまっている。
下級の魔法とは思えない威力だった。
「ばっ!?」
言葉に詰まり、窓枠へと駆け寄る。
既に電車は市街地へと乗り入れていた。そして走っている線路は、日本でいうモノレールのように結構な高さのところにある。
「えええええ!? ただの牽制のつもりだったのに!? 殺しちゃった!?」
放った張本人も、風圧でよろめきながらめっちゃ驚いていた。
瞬間。
悪寒。
「伏せなさい!!」
師匠が咆哮した時にはもう、俺は窓枠から離れチビ美月を押し倒していた。
辛うじて見えたのは、糸のように細い、光る魔力。続いて響き渡る、鉄を切り裂くような甲高い音。
同時に俺たちが乗っている車両、その最後尾の上半分が細切れになった。
「げっ!?」
強風が身体を打ち付ける。風よけが完全に無くなったのだから当たり前だ。
「聖夜!!」
ルーナともう1人のチビ美月を庇うようにして身体を屈めていた師匠が叫ぶ。
言いたいことは理解していた。
座標を固定する。
即座に転移魔法を発現して、乗車していた電車から離脱を計った。
……。
公共機関で戦闘行為とか。
これまずいよね?
色々とまずいよね?
★
「ありゃー逃がしたか」
左側面が損傷し上半分が吹き飛んだ最後尾に着地したクランベリー・ハートは、打ち付けてくる強風に顔をしかめながらそう呟いた。先ほどまでフードの下に隠れていた彼女自慢のサイドテールが、風によってバタバタとなびいている。
クランベリー・ハートは手にしていた聖夜たちの荷物を車内へと放り投げてから、懐に仕舞い込んでいたクリアカードを取り出す。片手で操作すると、そのカードの上には通信相手である男性のホログラムがすぐに浮かび上がった。
『首尾は』
「逃げられちゃいましたっ」
星でも出そうな勢いで「てへっ」と答えるクランベリー・ハートを見て、ホログラムの男性がやれやれと首を振る。
『すぐに追い掛けなさい』
「やーですよぅ。転移魔法で逃げられたんですよ? 痕跡なんてないんですから。完全に街中に溶け込まれてますって」
『探知魔法を。君の探知範囲なら十分に可能でしょう』
「あー、すみません。私は電車に乗りっぱなしなのでもう範囲からは外れちゃってますね」
無論、わざとではあるが。
『……クラン』
「だったらスペードに行かせてくださいよぅ。もともとはあの人の招待客でしょう? それに登城命令出してるのだってクィーンなんだし」
口を尖らせながらクランベリー・ハートが反論する。ホログラムの男性がため息を吐いた。
『……カードの方は?』
「最低限のことはやりましたって。鑑華美月の懐に忍ばせておきました」
『普通に手渡しはできなかったのですか?』
「……いやぁ、ちょっとリナリー・エヴァンスの挑発に乗っちゃって」
本当は自分の力を甘く見てる聖夜にちょこっと良いところを見せようとしたクランベリー・ハートなわけだが、そんなことを馬鹿正直に言うわけにはいかない。
ホログラムの男性が固まった。クランベリー・ハートは露骨に目を逸らす。
『まあ、いいでしょう』
電車の惨状をまだ知らないホログラムの男性は、そう割り切ることにした。
『招待客が乗車していないのなら、経路を変更します。その特別電車はヘルドナにある車庫へ。その後通常ダイヤに戻すよう指示を』
「はい」
『それから、ギルドへ通達を。リナリー・エヴァンスを見付けたら魔法聖騎士団へ報告するようにと』
「懸賞金はどうします?」
『それがあの方の捕獲に繋がるようなら10000E出しましょう』
「わお。臨時収入ですね。私もやろうかなぁ」
『無論、貴方はタダ働きです』
「ええ~!? そんなぁ~」
★
ギルドから魔法世界内に滞在中の各グループへ伝達。
クランベリー・ハート様より、緊急を要するクエストが発令されました。
【緊急クエスト】
難易度 :S
依頼主 :トランプ
成功条件:潜伏中のリナリー・エヴァンスに関する情報(捕獲に繋がる有益な情報のみ)
受注金 :―(滞在中のグループ全てに権利と義務が発生します)
報酬金 :10000E
内容 :
先ほど、魔法世界に“旋律”リナリー・エヴァンスが入国しました。現在、彼女には登城命令が発令されておりますが、彼女はそれを無視して逃走中です。
トランプは有益な情報を募集しています。『黄金色の旋律』の構成員と思われる人物に関する情報でも結構です。発見次第、お近くの魔法聖騎士団までご連絡ください。
なお、発見しても手は出さないこと。特にリナリー・エヴァンスには勝てません。それによって被った被害について、国は一切の責任を負わないものとします(本人の負傷はもちろん、周囲が受けた被害についても同様とします)。難易度はSとしますが、余計なことをしない限り安全なクエストであると思われます。
選択 :受注 / 拒否
※このクエストに拒否権はありません
次回更新予定日は、5月21日(水)です。