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第16話 理由




「……師匠」


「貴方はルーナの所へ行きなさい」


 師匠は言った。


「まりもから大筋は聞いてる。1人匿ってるんでしょ。蟒蛇雀の言い分からすると、鏡花水月って子はまだこっちの手中にあるみたいだし、確認した方がいいわ」


「師匠」


「何よ」


 面倒臭そうにこちらへと振り返る。


大丈夫(、、、)なんですよね(、、、、、、)?」


「……」


 俺からの念押しに、師匠は少しだけ双眸を見開いた。

 が。


「平気よ。誰の心配してるのよ、誰の」


 すぐにいつも通りの表情へと戻り、ぱたぱたと手を振ってくる。さっさと行けという合図だ。


「ありがとうございます。美麗さんも……」


「ええ。また後でお会いしましょう。私たちは教会におりますので、貴方が全てを片付けた後、そこで落ち合いましょう」


 見る者全てを安心させてくれるような、温和な笑みを向けてくれる。

 一礼して、その場を去った。







「いるんでしょ。出てきなさい」


 聖夜が立ち去った直後。

 リナリーは鋭い声と共に、茂みを睨み付けた。しかし、反応は無い。リナリーは舌打ちしながら手を振った。

 眩い光を帯びた剣が、光の直線を残して茂みを穿つ。同時に、その場から一斉に黒い何かが羽ばたき、散り散りになって闇夜に消えた。

 その様子には目もくれず、リナリーは一点を凝視したまま。反応の無い相手に追撃を加えようと、美麗が右手に魔力を込める。


 が、それを解放する必要は無かった。

 がさり、と音がする。

 茂みから、1人の少年が姿を現した。


「覗き見とは趣味が悪いわね。世界最高峰と名高い護衛集団員がすることかしら」


「意味の無い侮辱はよせ。お互いのためにならないだろう」


 肩まであるその金髪を乱暴に掻き乱しながら、少年は言う。


「我が一族の隠蔽術を魔法も使わずに看破するとはな。流石は世界最強」


「意味の無い称賛は結構よ。時間の無駄だから」


 その言葉に、少年は眉を吊り上げた。


「なるほど。御堂縁の目の付け所は悪くなかったというわけか。まさか標的(ターゲット)である中条聖夜が『黄金色(こがねいろ)の旋律』の構成員だったとはな」


「……標的ターゲットねぇ。あれほど目立つなと言い聞かせておいたのに、よりにもよって『ユグドラシル』に『トランプ』、この2つに目を付けられるなんて……。何をやってるのかしらね、あの子」


「ふん、あれだけの能力を保持しているのだ。遅かれ早かれ明るみにはなるだろうさ」


「……見たのね」


「しかとこの目で見届けた」


 サングラスで隠された目を指差しながら、少年ははっきりとそう言う。


「よりにもよってあの能力者か。隠したくなる理由も、分からないでも無い」


「そうね。転移魔法の利便性は、他の無系統よりも高いから」


「ふん。確かに(、、、)まだその線も(、、、、、、)残っているな(、、、、、)


「なら、見なかったことにしておいてもらえないかしら」


「はは……」


 リナリーからのお願いに、少年は軽く笑った。


「無駄だと分かっている質問をしてくるものではないぞ、リナリー・エヴァンス」


「そう……、残念ね」


「やめておけ」


 リナリーが動くより先に、少年が手を上げてそれを制止した。


「貴方の能力は確かに脅威だが、この俺は殺せないよ」


 羽音が聞こえる。

 リナリーも、美麗も、動かない。

 少年の身体は一瞬にして黒い何かの塊で覆い尽くされた。


「俺を、俺たちを恨むのはお門違いというものだぞ。もっとも、……恨んだところで何が変わるわけでもないが」


 少年の身体を覆い尽くしていた何かが、また散り散りとなって飛び去って行く。

 羽音が消えた時。


 少年の姿は、もうそこにはなかった。







 ルーナと鑑華は無事だった。

 部屋も特に変わった様子は無い。「だれかとびらをたたいてた。きのうもきてた。しゃっきんとり?」とかルーナが意味の分からないことを言っていたが、無視。まだ目を覚まさないという鑑華を任せ、再び寮棟の外へと飛び出した。


 蟒蛇雀の言葉を全て鵜呑みにするわけではない。しかし、青い魔法使いの死体を持って帰還しろという黒幕の言いつけをあいつが守ったとするならば、一応現段階の脅威は消えたと見ていい。

 俺にはまだ、確認しなければいけないことが残っている。

 教会の確認は最後。シスター・メリッサの安否は気になるが、あの人はただでは死ななそうだから大丈夫だろう。合縁奇縁は、おそらく……。殺されてはいない。そう信じておきたい。


 身体強化魔法を使って、通常ではあり得ない跳躍をする。教会前の噴水を軽々と飛び越え、俺は生徒会館へと足を向けた。







「……まじかよ」


 生徒会館が。

 和洋折衷の綺麗なあの館が。


 開けっ放しの扉から、一歩足を踏み入れて。

 見てしまった。


 開けっ放しの扉から入り込む月明かりのみの今でも、よく分かってしまうほどの有り様。

 正面の扉に害はなかった。外から見ても、生徒会館には何の問題も見られなかった。


 だから、少し安心していたのかもしれない。

 それほどひどい被害にはなっていないだろう、と。


 甘かった。

 踏み入れた吹き抜けのエントランス。左右から伸びる階段の1つが崩れ落ちていた。豪華なシャンデリアが天井から落下し、床は大変な惨状となっている。壁に掛けられていた絵画のほとんどは床に落ち、物によってはズタズタに切り裂かれていた。西洋の甲冑も、活けてあった綺麗な花も、見るも無残な状態となり、床を汚している。

 ライトがついていないせいで、足元がおぼつかない。ただ、吹き抜けとなっているエントランスの上、二階の一部分からは人口の灯りが漏れ出ている。


 おそらく、会長たちはそこにいるのだろう。

 残った1つの階段へと歩みを進め、立ち止まった。

 2つのうち、1つが無事だというのは間違いだ。これも、真ん中が陥没している。緩やかな弧を描くようにして二階へと繋がるはずの階段は、途中から道が無くなっていた。


 解除した身体強化魔法をもう一度発現する。床を蹴り、二階の廊下で着地する。

 すすり泣く声が聞こえた。

 あの声色は、片桐。


 酷い光景を見せられて。

 非日常的な展開に思考が麻痺しかかって。


 それでも。

 その声が聞けて、少しだけ安心した。


 良かった。あいつは、生きている。

 歩を進める。


 灯りがついているのは、いつも使っている会議室からだった。


「会長……」


「……中条君か」


 会長は酷くやつれた顔をしていた。傍では蔵屋敷先輩の胸に顔を埋め、すすり泣く片桐の姿がある。見たところ、怪我をしているようには見えないが……。


「無事だよ、沙耶ちゃんは」


 俺の視線に気付いてか、会長が教えてくれた。


「沙耶ちゃんには一獲千金の見張り番を頼んでおいたんだ。どうやら俺の読みは甘かったらしいがね」


「縁」


 会長の言葉を諌めるように、蔵屋敷先輩から声が上がる。


「分かってる。沙耶ちゃんを責めているわけじゃないさ。まさか沙耶ちゃんを上回る戦力が投入されるとは思わなかった、そういう意味での俺の甘さだよ」


 会長は肩を竦めながらそう答えた。


「中条君」


 呼び掛けられ、片桐へ向けていた視線を会長へと戻す。


「少し出ようか」







 会長に連れられ、生徒会館の外へ出る。


「そちらはどうだった?」


 生徒会館が襲われた。片桐は応戦するも敗北。一獲千金は相手の手に渡ってしまった。この状況下で、会長たちが相手側と繋がっている線はほぼ無くなった。それに、片桐のあの涙が俺には演技に見えない。

 少し迷ったが、素直に答えることにした。


「鏡花水月は無事でした。合縁奇縁は、おそらく……」


「そうか」


 月を見上げるように顔を上げ、会長は目を閉じる。

 しばらくの間、沈黙が続いた。

 冷たい風が吹き抜ける。今夜は寒い。それをようやく実感することができた気分だった。


「中条君」


「俺の答えは、変わってませんよ」


 先手を打って答える。それを聞いた会長は目を丸くした。そして、大きなため息を吐く。


「……そうか」


 あの時のような、好戦的な威圧感は無い。なぜかこの男が、今まで付き合ってきたなかで一番弱々しく見えた。

 また沈黙が下りた。

 こちらから会長に話すことは何もない。理由を説明してもらえないなら、聞きたいこともない。適当に切り上げるべきか悩んでいると。


「……俺はね、酷く醜い生き物なんだよ」


 ぽつりと、会長はそう言った。


「は、はあ……」


 何と相槌を打てばいいか困ってしまう内容だった。

 そんなこと最初から知ってますよ、と軽口を叩ける雰囲気ではない。冗談ではなく、本心から口にしている様子だった。


「苦しむ家族を見て見ぬ振りしてやり過ごし、育ててくれた恩師を裏切り、俺を掬い上げようとしてくれた先輩を見殺しにした」


 ……。


「俺の人生のゴールは、地獄だともう決まっているのさ」


 自虐的な笑みだった。

 月明かりの下で、

 背筋が凍りつくほどに冷たい、

 光の無い笑みだった。


「だからね。俺はそこへ行き着くまでの間に、何人かを巻き添えにしてやることに決めたんだ」


「……か、会長?」


 その殺意の矛先は、俺には向いていない。それは分かる。それでも、これ以上はまずいと思った。


「鏡花水月を奪おうとは考えていないよ」


 俺から視線を外し、生徒会館へと再び足を向けた会長は言う。


「彼女は君に預ける。その代わり、何か分かったら情報が欲しい。何でもいいんだ」


「会長!!」


 呼び止める。

 聞いておかなければならない。

 これだけは。


「貴方は、いったい何者です? いったい何のために……」


「もう勘付いているはずだろう? 中条君」


 会長は、

 もう一度だけ、

 視線を俺に向けて。


「俺もこの国の、魔法世界の闇を知る人間ってことさ」


 そう答えた。







 教会に足を踏み入れると、祭壇ではシスター・メリッサが頭を押さえて蹲っているところだった。


「……何やってんスか」


 脱力してしまう。

 生徒会館の一件があっただけに、教会の現状を見るのが怖くて身構えていたのだが、すっかり力が抜けてしまった。


「何って、おしおきに決まってんでしょ」


 シスターの横で右手を擦っていた師匠が代わりに答えてくれる。

 ぶん殴ったのかよ。

 シスター・メリッサと師匠、そして美麗さんもいた。


「お疲れ様でした、聖夜君」


 穏やかな笑みを浮かべて迎え入れてくれる。こういう母性が残りの2人にも必要だと思うわけだ、俺は。


「状況は?」


 それに引き替え、うちの師匠は端的にそう聞いてくる。


「鑑華……、鏡花水月は無事でした。今は療養中で、ルーナに任せてます。一獲千金は駄目ですね。生徒会館も中は荒れ放題でした」


「……そうですか」


 美麗さんが、少しだけ落胆したようにため息を吐いた。


「修繕費、それなりにいくんじゃないの? 結構良い造りしてたでしょ、あの館って」


「費用については何とでもなりますが、どう依頼したものでしょうね」


 困った、と言わんばかりに美麗さんは頬に手を当てる。


「こちらは全然争われた形跡がありませんね。生徒会館より教会の方が人の出入りがあるでしょうし、それは救いだったんじゃないですか?」


「……救い、ねぇ」


 俺の意見を聞き、師匠が足元で蹲っていたシスター・メリッサを足で小突いた。


「痛いってば!?」


「痛いのは貴方がもたらした結果でしょう?」


「うぐぅっ!?」


 何もされていないにも拘わらず、シスターは何かで貫かれるしぐさをしてみせた。


「どういうことです?」


 よく分からないので質問してみる。師匠はうんざりしたように頭を掻きむしった。


「……この女、まったく気付かないうちに合縁奇縁を攫われたのよ。別室でネットサーフィンしていて、気付いたらいなくなってたって」


 ……。

 ……、……。


「ちょ、ちょいちょい中条聖夜君。なぜチミは指を鳴らし始めるのかね?」


「師匠、俺も一発殴っていいですよね?」


「ええ、構わないわ」


「構うわ!!」


 素敵な笑顔で許可を出した師匠とは正反対に、シスターは必死の形相で拒否を示した。

 もともと殴るつもりは無かったので、拳を下ろす。


 それにしても。

 そうか。

 やっぱり、……合縁奇縁は。


「聖夜」


 無意識のうちに下げていた視線を上げる。

 師匠は、こちらの感情を知ってか知らずか無表情のままこう言った。


「貴方、青藍魔法学園を辞めなさい」


 ……、……。

 ……え。


「……はい?」


 いきなり何を言い出したのか、理解できなかった。

 辞める?

 青藍を?


「いきなり何の冗談です、師匠。今、愉快な気分にはなれないんですけど」


「貴方こそ何能天気なジョークを飛ばしているのか分からないけど、言った通りよ。貴方、青藍魔法学園を辞めなさい」


「……どうしてまた急に」


「どうしてまた急に」


 俺の質問を、おうむ返しにする師匠。


「貴方こそどうしたっての。貴方が青藍に編入した目的は何。美麗の愛娘たちを護衛するためだったはずでしょう。その後のフリーを、貴方は文字通りフリーに過ごしていただけ」


「……それは、そうですけど」


 師匠の言っていることは間違っていない。俺は既に魔法使いの証(ライセンス)を取得しているし、日本の魔法教育機関で今更卒業の資格を取る必要はない。


「『黄金色の旋律』への緊急招集命令は、解くべきじゃなかったわね。もう一度呼び出すか」


「ま、待ってください!!」


 どんどん話を進めていく師匠に待ったをかける。


「いきなり過ぎて何が何だか俺には……、何がどうなっているのか――」


「いきなり過ぎて、ってねぇ。貴方、自分が狙われているって自覚はある?」


 師匠が鬱陶しそうに髪を掻き揚げながら言う。


「狙われてるって、いったい誰に」


天地(あまち)神明(かみあき)、蟒蛇雀、以下略」


 簡潔過ぎて涙が出てくるような回答だった。

 というか。


「アマチカミアキ?」


 カミアキ、先ほどの通話相手。黒幕のことか。


「ある程度見当は付いてるでしょう?」


 師匠はこちらの心情などお構いなしに続ける。


「これから私たち『黄金色の旋律』は、天地神明率いる『ユグドラシル』との全面戦争に入る。言っておくけど喧嘩じゃない、殺し合いよ。その戦争の舞台に、貴方は無関係なこの学園を選ぶっての?」


 言っている意味が、全然理解できない。

 日常とは縁遠い単語ばかりが頭の中へ入ってきているせいで、全然実感が湧いてこない。


「……私は、聖夜君はこの学園に残るべきだと考えます」


「ほぉう? 仮にもこの学園の理事を任された一族の発言とは思えないわね」


 師匠の傍で会話を聞いているだけだった美麗さんが、言う。


「この学園には高度な結界が張られています。強度で言うなら、私や貴方でも手こずるほどのものです。先ほどの戦いで、侵入の(かなめ)である移動魔法の使い手は無力化できたようですし、他の場所で聖夜君を匿うより安全なのでは?」


「見てたでしょ、死体は持ち帰られたのよ。それに、もともとは人造の能力。量産できないとは限らないわ」


 鼻を鳴らしながら師匠は言う。

 駄目だ、頭越しに進められる会話の内容についていけない。必要な下知識がまったくない。


「ならば、リスクは他と変わらないでしょう?」


「だから学園の他の生徒はどうすんのよ、って話で――」


 師匠の携帯電話が鳴った。

 舌打ちしながら、携帯電話を取り出す師匠。

 そして、露骨に顔をしかめた。


「……予想以上に早い」


 師匠は、携帯電話を開きスピーカーモードへと操作する。コール音が一気に大きくなった。


「……聖夜が学園を辞めるべきもう1つの理由はこれよ」


 心底うんざりしたような口調で、師匠は言う。

 画面には、登録されていないせいで剥き出しの状態となった相手方の電話番号が表示されていた。


「私の言い付けを守らなかった代償は、どれほどのものかしらね。聖夜」


 師匠の指が、通話ボタンを押す。


『夜分、電話にて失礼致します。(わたくし)、魔法世界エルトクリアにて王家の護衛団員をしております、シャル=ロック・クローバーと申しますが』

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