第13話 強襲
☆
正直、後夜祭や打ち上げで何をしたかなんてほとんど覚えていない。
文化祭実行委員のメンバーと語り合い、生徒会メンバーと成功を祝い、先生方に褒められ、クラスの奴らと馬鹿騒ぎをした。
……した、はずだ。
まるで合縁奇縁に操られていた時のように、タイムスリップでもしてしまったかのような錯覚に囚われている。
何となく、舞には怒られたような気がする。「電話に出ろ」だとか「せっかく咲夜ちゃんが」だとか言っていたと思う。よく分からなかった。それが余計に反感を買ったのか、更に怒られた気がする。
ただ、この後時間は取れるかと聞かれ、断った。それは覚えている。どうせまた同じような説教だと俺は思ったのだろう。生徒会の用事が、とかそんな無難な言い訳をしたはずだ。
間違ってはいない。
今から会うのは、生徒会のメンバー、それもトップの会長なのだから。
☆
教会前の広めの踊り場。中央にある噴水へ視線を向ける、1組の男女。
「待っていたよ、中条君」
会長はこちらを振り返りもせずにそう言った。
そこにいたのは、会長と――。
「1人じゃなかったんですね」
「1人で来る、と。俺が言ったかい?」
確かに言ってない。人がいないところで話したいと言われただけだ。
「こんばんは、中条さん」
蔵屋敷鈴音。
魔法具一体型のMCを携え、その人は言う。
「不躾なのは重々承知しておりますわ。ですが、私も同席させて頂きます」
その身体から醸し出される雰囲気は、いつものそれとは違う。
なるほど、これは完全にそっちの用件か。
最悪、2対1になる。
蔵屋敷先輩は片桐の師。つまり浅草流の使い手。それは片桐よりも遥かに腕が利くということ。
少々厄介かもしれない。
「鏡花水月の調子はどうだい?」
こっちの思考を読んでか知らずか、会長がそう聞いてきた。
「……全てお見通し、というわけですか」
鑑華の名前ではなく、あえてそっちの名前で聞いてきたということは――。
この男からその名が出てくることに驚く自分より、もうこの男なら知っているだろうと思っていた自分がいた。
だから、驚かない。動揺しない。
聞かれているのが、鑑華の容態ではないことも分かっている。
「まだ目を覚ましていませんので何とも。一獲千金の調子はどうです?」
「こちらも似たようなものだよ」
会長が肩を竦めた。
無言で見つめ合う。
お互いがお互いの腹の内を探ろうとしている、あの空気。
どう切り返すべきか。
「そういえば……」
こちらが口を開く前に、会長が次も切り出した。
「合縁奇縁の行方が、まだ掴めていないんだ」
反応しそうになる自らの表情を、何とか抑え込んだ。
「中条君、知っているね?」
「知りませんね」
「少なくとも、合縁奇縁の存在は知っているわけか」
……しまった。完全に引っかけられた。鏡花水月と一番最初に口にしたのはそういう意図があったのか。
会長が目を細める。
「大和に続き、メリッサをも引き込んだということだね」
「……言っている意味が分かりませんね」
軟禁場所もほぼ特定されているということかよ。
くそ、何でそこまで……、……そうか。
これまでの流れで、俺が合縁奇縁の名前を知っているのはおかしい。俺がその名前を知っているということは、第三者から聞くか、直接本人から聞き出すしかない。
シスター・メリッサといい姫百合美麗さんといい、この男とはそれなりに交流があるようだし、俺よりもこの男の方がシスターの素性を知っているのだろう。俺がリナリー・エヴァンスと姫百合美麗さんとの交流をこの男に明かしていない以上、こういった事態において俺が頼れる人間は消去法でシスターしかいない。
あくまでカマをかけてきただけ。
ならば、俺の返答は間違っていないはず。
いや、……合縁奇縁との繋がりはバレたのか?
くそ。
訳が分からん。
「中条君」
こちらの考えがまとまる前に、次が来る。
「合縁奇縁と鏡花水月を、こちらに引き渡してもらおう」
思考に、空白が生まれた。
今、この男はなんて言った?
引き渡す?
なぜ?
「もう知らないだとか意味が分からないだとか、そういった無駄な問答は無しにしようじゃないか、中条君。君はこうした騙し合いには向いていないよ」
どこか人を小馬鹿にしたような表情で、会長は言う。
「そうは言っても、君は馬鹿ではない。それも分かっている。だからお願いしているわけだ」
会長の言葉と同時に、蔵屋敷先輩が音も無く一歩前に出た。
「合縁奇縁と鏡花水月。この2人を引き渡してもらおう」
笑みを浮かべたまま、会長がもう一度言う。
確かにもう。
ここまできたら、慣れない問答は不要だろう。
「なぜ?」
だから、問う。
「ん?」
俺の質問に、会長が眉を吊り上げた。
「貴方に2人を引き渡す、その理由ですよ。なぜです?」
「彼女たちにはね、聞きたいことがあるんだよ」
自らの顎を撫でながら会長は答えた。
だが、その答えだけでは不十分だ。
「聞きたいこととは何でしょう」
「君には関係の無いことだよ」
それは。
柔らかい声色ながらも、はっきりとした拒絶だった。
「……お話になりませんね」
だから。
俺もはっきりと答える。
「それでは、答えはノーだ」
同時に、会長を纏う雰囲気が変わった。
「君のことは嫌いじゃない。できれば、敵対したくないとも思っている」
「意外ですね。貴方から、そこまで高評価を得られていたとは」
そうやり取りをしながらも、俺は自らの背中に嫌な汗が伝っているのを自覚する。
蔵屋敷先輩の手が、ゆっくりと帯刀しているMCへと伸びていく。
「渡してくれ。彼女たちには聞きたいことがある」
「それでは先ほどと同じ謳い文句ですよ、会長。貴方らしくない。いつもの口車はどうしました。パンクでもしましたか?」
「……鈴音。まだ話し合いの途中だ」
そう声をかけ、会長は俺を見た。
「……中条君」
幾分か、落胆を含んだその声色と共に。
「渡してくれ」
「いつもと纏っている雰囲気がまるで違いますね、蔵屋敷先輩。それが貴方の本性というわけですか?」
「聞こえが悪いですわね」
いつもの温和な笑みは無い。ひどく冷淡な声だった。触れれば切れてしまいそうな、そんな威圧感もある。
この2人、本当に学生かよ。嘘だよな。
「あの2人はここまでしてでも……。力づくでも手に入れたい、と?」
会長に振る。
「君の誠意に期待する」
答えはそれだけだった。
つまり。
俺が歩み寄らなければ、本気で制圧することも厭わない、と。
「誠意を見せるべきは、まずはそちらなのでは? 何の情報も開示せずに大切な手がかりを寄越せってのは、それは無理な話だ」
「それは決裂だと捉えるべきなのかな」
「それを決めるのはそちらだ」
腕に手を伸ばしかけ、MCが壊されていたことを思い出す。
まずいな。相手が強ければ強いほど、加減というものは難しい。
誤って殺してしまいましたは洒落にならんぞ。
俺の動作を見て、俺が戦闘を受け入れたということを悟ったのか、蔵屋敷先輩が顔をしかめた。
「私たち2人を同時に相手して、本気で勝てるおつもりで?」
「それは俺の能力の全貌をきちんと把握した上での発言ですか? 浅草流後継者殿」
端整な眉が、ぴくりと動く。
なるほど、まだ俺の能力が何なのかまでは掴めていないようだ。
しかし、それはこちらも同じこと。
会長の能力は、幽霊探索の際に一度目にしただけだ。俺の『魔法の一撃』を触れるだけで消し去った、あの能力。
蔵屋敷先輩の実力もまだ分かっていない。一度手合わせをしたらしいが、生憎と操られていた時の記憶が無いからだ。
佇まいから分かる。
この2人は相当な実力者。
大和と相対した時に思った、「学生のくせに」というレベルではない。
おそらく俺も、無系統魔法無しでは戦えないだろう。
「中条君、これで君に頼むのは最後にするよ」
形式的にだろうが、会長がそう口にする。
もう結果は分かっている。
それはこの場にいる3人の誰もが気付いていることだろう。
それでも。
「中条君。あの2人をこちらへ――」
会長が言い切る前に、携帯電話が鳴った。
……。
電子音が、闇夜の中鳴り響く。
ちょくちょくあるよね、こういうこと。
何とも言えぬ脱力感に襲われた。
それは蔵屋敷先輩も同じだったようで、木刀の柄に伸ばしていた手を下げ、会長をジト目で睨む。
「……縁」
「あれ? これ、俺が悪いのかい?」
そんなふざけたことを言いながら、会長が携帯電話を取り出す。怪訝そうな顔をした。
そして。
『敵襲です!!』
その音声は、離れている俺のところまで届いた。
『急ぎ生徒会館まで!! くっ!? 何なのですこの能力はっ!?』
片桐の声だ。相当焦っている。断続的に何かの破壊音まで聞こえてくる。どうやらかなり派手にやっているらしい。
「……中条君」
「一旦、休戦した方がよさそうですね」
お互い、言いたいことは分かっていた。
既に蔵屋敷先輩の姿は無い。
「君は来なくていい。これは信頼していないからではないよ」
「分かっています」
俺たち3人が集まっているここを狙わなかった理由。
それはもう1つしかない。
「メリー……、メリッサのところは後回しでいい。誰を雇っているかは知らないが、その匿っている場所へ急ぐんだ」
「ご忠告どうも」
「では」
「また後で」
それだけ告げて、俺たちは正反対の道へ駆け出した。
☆
向かう先は、学生寮。
まず最初に確認しなければいけないのは、ルーナと鑑華の安否だ。現状分かっているのは生徒会館が襲われているということのみだが、相手がまだ複数残っていて、俺の部屋が荒らされていないという保証は無い。
高鳴る心臓の音が、うるさい。
流れ込む最悪の結末をむりやり頭から押しやり、もどかしさのあまり階段を飛ぶように駆け下りる。
そして。
校舎や寮棟、校門を繋ぐ十字路に差し掛かったところで。
「……まさか素手で防がれるとはな」
魔法球。
不意に放たれた一撃を、俺は右手で握りつぶして消した。
それを見て苦々しく吐き捨てる、長細い帽子に青い魔法服を纏った1人の褐色の男。
こいつは……。
「最後の1人、運び屋か」
「最後? 何を世迷言を」
苛立ちを隠せぬその口調で、褐色の男は言う。
「お前のせいで最悪の狂犬が放たれたぞ。もう手遅れだ。関わった人間は、皆死ぬ」
「何の話だ?」
「死体に説く必要もあるまい」
褐色の男が緩慢な動作で腕を上げた瞬間。
鈴の音。
「――っ!?」
首を捻ったのは、条件反射だった。
耳元で何かが押し潰される音。
体勢を崩し、地面を転がる。すぐに起き上がり先ほどの場所を見るが、何かが変わった様子は無い。
「避けたか」
褐色の男が呟く。
何の能力か分からぬまま、再び鈴の音が鳴る。今度は、複数。
「ちっ!?」
地面を蹴り、跳躍する。
身体強化魔法の発現により、宙へと舞い上がる。
そして。
後方。
上空から、悪寒。
「正体不明の技から上空に逃げるのは愚策だぞ、中条聖夜。それで次をどうやって回避するんだ?」
鈴の音。
自らの身体が、何かを通り抜ける感覚。
瞬間。
――――“神の書き換え作業術”。
「な、なにっ!?」
俺の姿を見失ったであろう褐色の男が吠える。
「後ろだよ」
「がっ!?」
強化された俺の脚が、褐色の男の脇腹を捉えた。まともな受け身も取れなかった男の身体が、タイルを面白いくらい転がっていく。
「ぐっ、がっ!? ぐ、くそっ!?」
転がりながらも、手を俺に向けてくる。
鈴の音が鳴った。
俺の視界の先。植え込みの草木におかしな現象が起こった。
何かは分からない。輪っかのような物体が突如出現し、瞬く間に閉じた。そして、それに重なっていた草木がすっぱりと切断される。
どうやら転がっている状態で能力を発現したせいで、照準が狂ったらしいが……。
「へぇ……」
俺の“神の書き換え作業術”と似通っている能力だ。若干、向こうの方が不便そうだが。
鈴の音が鳴る。
今度は転がっている褐色の男の後方に、大きめの輪っかが現れた。
そして。
俺の背後から、鈴の音。
褐色の男の身体が大きめの輪っかの中へと吸い込まれた直後。
「なるほど。その輪っかで空間を繋いでいるのか」
「はっ!?」
俺の背後に出現した別の輪っかから、褐色の男が現れる。しかし、褐色の男が背後から奇襲をかけてくるよりも先に、俺の書き換えが完了した。
その更に背後を取った俺の拳が、男の背中を捉える。
「がぶっ!?」
勢いのあまり、男の身体がタイルへと叩き付けられる。
「戦闘向きの能力じゃないな、それ」
立ち上がろうと手を付いたその身体に、蹴りを叩き込んだ。
「があああああああっ!?」
再びタイルを転がる褐色の男。
追いかけはせずに、痛みで蹲るその様子を見届けた。
この男の能力は、俺の能力の劣化版なのかもしれない。
鈴の音がする輪っかを発現させ、輪っか同士の口を繋ぐ。見えないその道を通れば別の場所に出られる。
まるで転移魔法。
おまけに、その輪っかを閉じる際に重なっていた物は破壊できるときた。
俺の持つ能力と似ている部分が多い。発現条件の悪さに目を瞑れば、ほぼ同じと言っていいだろう。
「そんな能力背負って、なんで出てきた?」
「なんで、……だとぉ?」
痛みに震え、四つん這いの姿勢でありながらも、褐色の男から向けられる殺気は変わらずだ。いつの間にか男が被っていたあの長細い帽子はどこかへと消え失せ、黒い髪が乱れに乱れている。
「千金も、奇縁も、水月も……。どいつもこいつも口だけは達者のくせして失敗しやがって!! 狂犬まで放ってしまった今、俺が出るしかあるまい!!」
「あー、なるほど」
一獲千金も、鑑華のことを「水月」と呼んでいた。下の二文字を取って呼び合うのがこいつらの慣習らしい。どうでもいいけど。
それよりも。
「じゃあ、鑑華を、秋山千紗を……。無理矢理働かせてたのはあんただってことだ」
「鑑華ぁ? 秋山ぁ? あぁ、ごほっ! ……あいつらが使っていた仮称か。ちっ、変なところで色気づき、肝心なところでは何の役にも立たなかったな。ぐ、……くそ」
……。
もう、決定的だった。
「……本当は」
ふつふつと、湧き上がる何かを感じ取る。
「あんたもあいつらと同じように、気絶させて捕獲しようかと思っていた。けど、ちょっとあんたは事情が違うみたいだなぁ」
「……、……言っている意味が理解できないな」
ふらふらとした調子で、褐色の男が立ち上がった。
「この程度で勝った気になるなよ。私には――」
「なあ、あんたさ。これ、何だか知ってる?」
日頃からずっとポケットに入れたままのそれを、取り出して見せる。
「は?」
痛む身体を抑えそれを見せられた褐色の男は、呆けた声を出した。
「あれ、御存じない? シャープペンシルって知らないかな。鉛筆の代わりに使う筆記用具でさ。これはその替え芯なんだけど」
「知っている。……が、何の関係がある」
苦痛と、それ以外の何かで歪んだその顔が問うてくる。
言葉で説明するより、実践してやった方が早い。
「まあ、こういうことだよ」
――――“神の書き換え作業術”。
「うぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
褐色の男は、一瞬で崩れ落ちた。
凄まじい絶叫と共に。
男は玉の汗を浮かべながら、必死に自らの足を抱き寄せる。
切断してはいない。ただ、転移させただけだ。
「なあ、あまり力まない方がいいんじゃないか? 中で砕けると余計に痛むぞ、……って」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
「ま、力まないのは無理か」
内側から襲い来る激痛に反応するな、って方が無理な話だ。
「中でもう粉々になってるはずだ。取り出すのは不可能だな」
空になった替え芯のケースを投げ捨てる。
「痛いか、痛いだろ」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああぐうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
歩み寄る俺に対して、褐色の男は絶叫しながらもその血走った目で睨み付けてきた。
「お前らの組織がどんなモンかは知らねぇし、正直どうでもいい。けどな。お前に鑑華は殺らせねぇよ」
「ぐううううううう、く、ぐがぎぐ、ぐっ!? な、なぜっ!? あぐづぅううううう、なぜ、あの女にっ、義理立てするっ!? うううううううううううううう!?」
「あ?」
「この私にぃっ!! があが、手を出すことがぁあああああ!! どういうことか分かって――っがぎゃあ!?」
「お前こそ分かってねーな」
男を押し倒し、必死に声を絞り出そうとしているその喉を踏み付けて黙らせる。
「言ったはずだぜ、どうでもいいってな。俺はただ、お前が気に喰わないから捻り潰す」
拳に魔力を込める。
それを見た褐色の男の目が見開かれた。
「それだけだ!!」
振り下ろす。
殺しはしない。気を失わせてやった方が楽だろうと思っただけだ。
――――だが。