第11話 “紅赤の1番手”山田太郎
☆
『本日はご来校ありがとうございました。お忘れ物ございませんようご注意ください』
校内放送が流れる。
午後6時。
青藍魔法文化祭1日目は、表向き、無事に幕を閉じた。
今頃は副会長や片桐を筆頭として、文化祭実行委員がせっせと追い出し作業をしているところだろう。
「日が落ちるのが随分と早くなったねぇ……」
窓に視線を向けながらそう呟く会長を見る。その会長と言えば、右と左の頬を綺麗なもみじマークで飾っていた。ニヒルな笑みを浮かべているものの、全然格好良くはない。
むしろ笑いがこみあげてくる。
俺の視線に気付いたのか、蔵屋敷先輩はやれやれといった表情で肩を竦めてみせた。
「自業自得ですわよ」
「そう言うなって。これでも俺は驚いているんだよ。あれほど劇的な演出で宣戦布告をしてきた相手側が、まさか姿すら現さずに1日目を終えてしまうなんてね」
その声には若干ではあるが苛立ちが混じっている。
まあ、怒るだろうな。会長が引いたのは完全に貧乏くじだ。
俺は、合縁奇縁を捕えたことを、生徒会へ報告していない。
理由はもちろん、俺の能力を悟られないようにするためだ。屋上で見せた程度では分からなかったようだが、その話を聞いて会長たちがどう判断するかは別だ。
それに、俺は一度合縁奇縁に操られてしまっている。操作魔法の詳細はまだ分かっていないが、記憶操作の類があるのだとすれば、相手側の思考が読める可能性も考えなければならない。屋上での反応を見る限り、そこまで考える必要はないのかもしれないが、念のためだ。
「大和を倒した人間も分からずじまい。本当に訳が分からないよ」
会長は腫れた頬を撫でながら、珍しく不貞腐れた声でそう呟いた。
腫れた頬は、副会長と片桐から頂いたものだ。合縁奇縁から告げられた17時のタイムリミットを、何の対策も対処も取れないまま迎えてしまったことに対する制裁である。
話せれば楽だったのだろうが、そういう訳にもいかない。
ただ、本当に色々と大変だった。
17時を迎えるにあたって、片桐は己の不甲斐なさからか泣きだしてしまうし、泣きやまない片桐を出張所へ連れて行ったことで副会長にもそれがバレて大騒ぎになりかけるし、17時ちょうどに何も無かったことで「ふぅ。これで一安心だね」とか会長が寝言をほざき出すし、それに切れた副会長と片桐から情け容赦ないビンタが会長の両頬に炸裂するしで無茶苦茶だった。
「……ん? 何かな?」
俺の視線に気付いたのか、会長がとぼけた笑みを向けてくる。
「……会長、17時ちょうどに爆竹が破裂しないこと、……知ってましたよね?」
「なぜそう思うんだい?」
会長が眉を吊り上げながらそう問い返してきた。
「普通、あんな冷静じゃいられませんよ。嘘だとどこで気付いていたんです?」
「んー」
会長は視線を俺から外しながら何か考えるようなしぐさをした後、いやらしい笑みを浮かべながら俺を見る。
「俺の無系統魔法はねぇ、魔法を消す類のものなんだけ――」
「縁!!」
鋭い声が、俺を背後から貫いた。
驚いてそちらに目を向けると、いつもの穏やかな表情からは見当も付かないほどの形相をした蔵屋敷先輩が、会長を睨み付けていた。
「く、蔵屋敷先輩……?」
「……どういうつもりですの?」
俺へは一切視線を寄越さず、蔵屋敷先輩が口を開く。
「どうもなにも」
会長はいつも通りの軽い口調で答える。
「俺はただ根拠を述べようとしただけだけれど?」
「話して良いラインと言うものがあるでしょう」
「ははは」
会長は乾いた笑いを漏らした。
「大和には注意しないのに、俺にはするのかい?」
「貴方の無系統魔法は、他とは違うのです。それを、他ならぬ貴方に、今一度、説く必要がありますか」
底冷えする声色だった。
無意識のうちに、一歩退いてしまうほどの。
「だそうだよ」
その声が自分に向けられているにも拘わらず、飄々とした雰囲気を崩さない会長は、俺に笑顔を向けて言う。
「悪いけど、根拠の話は別の機会にね」
いや、結構です。するなら蔵屋敷先輩がいないところでお願いします。
そんな軽口すら言えない空気になっていた。どうすんだこれ、本当にこの男は空気を乱すのがうまいな。
蔵屋敷先輩に目を向けると、先輩は既に素知らぬ顔で椅子に座り、自分の仕事をこなしていた。
……この件については、完全におしまいということか。
それにしても。
魔法を打ち消す類の他とは違う無系統、か。何か引っかかる言い方だったな。
☆
来場者を送り出し、本日の反省会と明日の作業確認を文化祭実行委員と行い、そして教員との打ち合わせを経て、生徒会役員のみでの会議。
気が付けば時計は21時を過ぎていた。
文化祭は明日もある。
明日も今日と同じく、朝7時に多目的室Aに集合。文化祭実行委員との打ち合わせ後、生徒会館にて待機(待機と言いつつ、開店前の準備でトラブルを起こしたクラスからの呼び出し待ち)。そして10時にオープンだ。
襲撃してきたのが10時で良かった。早朝に爆竹を投げられても生徒会館は不在だったからな。まあ、合縁奇縁ならその程度の情報収集はしていただろうが。
まだ作業が残っているという蔵屋敷先輩と花宮、文化祭実行委員との打ち合わせに繰り出した会長と副会長、そして片桐。どこからもお呼びがかからず、同行を申し出たところ拒否されたというかわいそうな俺は、1人で帰路に着いた。副会長からは「今日は色々と頑張ってくれたから」と言われたが、どこまでが本心やら。未だに俺の扱いは難しいのだろうか。
……難しいのか。非公式の、それも喧嘩で“青藍の2番手”の座に就いたわけだからな。暴力事件も起こしたし。うん、どう考えても問題児にしか聞こえないわ。
合縁奇縁の面倒を押し付けたままの教会を素通りし(尋常じゃない数の電話とメールが来ていたので、着信拒否にした上でサイレントモードにしてある)、寮へ戻る。
ルーナはちゃんとそこにいた。いや、いてもらわないと困るわけだが。
ベッドに腰掛け足をぱたぱたさせながらテレビを見ていた。
「ただいま」
「せーや」
俺の名前を呼び、テレビを消して寄ってくる。
「悪いな。遅くなった」
テーブルの上には食い散らかされた菓子パンの包みやお菓子の包みが転がっていた。
……あ、やべ。こいつの夕飯のこと、何も考えてなかった。
これって児童虐待? 虐待になっちゃう?
「すきにしていいっていうから、たべた」
「あ、ああ。むしろ良く食べてくれた」
「?」
理解できなかったのか、ルーナが首を傾げる。それでいい。
良かった良かった。ちゃんと食べてはいるんだ。セーフということにしておこう。
おそらく、腹が減ったからとそこらじゅうの扉を開けてみたのだろう。いくつか開けっ放しの棚やら引き出しやらが見える。食べ物を見付けてくれて良かった。この際、なぜ洋服箪笥まで滅茶苦茶になっているかは言及しないでおいてやることにする。
……ん? 洋服?
「おい、ルーナ」
「なに」
「お前、ちゃんと着替えは持ってきてるよな?」
持ってきてる。持ってきてると言ってくれ。
「ない」
……。
あの大きなスーツケースはただの飾りかよ。……いや、俺のための魔法薬が入ってるんだったな。もう時間的に効能は無くなってしまっているだろうが。
……。
なら本当に飾りじゃねぇか。
「しょうがねーなぁ……」
俺のジャージ、貸すか。
もう本当に第三者に見られたらおしまいだな。
☆
風呂に入るというルーナに「上がったら寝ろ」と伝え、俺は窓を開けてベランダへと出た。
時刻は23時を回ったところ。
鑑華との約束にはまだ早いが、生徒会の面々の帰宅時間が分からない。それなりに距離もあるし、こっそり進むならこのくらいに出てもいいだろう。早く着いてしまうようなら、『約束の泉』で魔法の練習をするのもいい。
飛び降り、極力音を立てないように着地する。
俺は人の気配に気を配りながらゆっくりと泉へ歩き出した。
★
「はい、それでは失礼します」
レトロな作りをしている黒電話へ、受話器を置く。縁は会長席の背もたれに、深く身体を預けた。
「お疲れ様でした」
小説を片手に縁の仕事が終わるのを待っていた鈴音が、顔を上げる。
「まったく散々だったよ。『集団で気を失った原因は、青藍側に問題があるのではないか』だって? 勝手に操られて勝手に乗り込んできたのはそちらだ。全部公にしてやろうかと何度思ったことか」
「それでは、停学や退学にされる生徒がいたかもしれませんわよ。微妙な力加減で保たれている三校のバランスが、一気に崩れ落ちますわ」
「だから頑張ったんだろう。だから」
鈴音からの正論に、縁は吐き捨てるようにそう言った。
結局、今回の事の顛末を握っているのは生徒会役員だけだ。
教員室へ気を失った生徒を連行しようとしたが、最終的に止めたのは沙耶。言い分は今言った鈴音と同じ。「まだ先がある学生に~」という言い分が、縁の心に響いたわけではない。むしろ縁は、甘いとすら思った。鈴音と同じく、魔法世界の闇をそれなりに見ている立場の人間から、まだそんな甘い言葉が出てくるのか、と。
ただ、縁としては別に危惧すべき点があった。
青藍は、操作魔法で操られた人間によって襲撃された被害者、と聞けば聞こえはいいが、肝心の操作魔法を有する魔法使いを捕まえられていない。
操作魔法下にあった人間もその記憶が無いわけだから信憑性は無く、自作自演と決め付けられてしまえば一気に劣性へと陥ることになる。鈴音が言った通り、青藍・紅赤・黄黄は、非常に危うい関係にある。反目し合う『五光』のご子息ご令嬢が同時期に在学することになった今、それはまさに顕著に表れていた。
その状況下で、間違っても相手側を優位に立たせるわけにはいかず、縁は沙耶の言った内容を尊重することにしたわけだ。
「まあ、この寒い時期に熱中症というのもどうかと思うけどね」
「他に適当な理由が思い付きまして?」
「はいはい何もありませんでしたよ。校内は大変な混雑で、熱気が充満してました、ってね。向こう側も強く追及して来ないから、妥当な判断だったんじゃあ――」
縁の懐から電子音が鳴り響いた。
「ちょっと失礼」
携帯電話に表示された名前を見て、縁が眉を吊り上げる。通話が繋がると、相手方は端的にこう言った。
『大和君が目を覚ましました。ちょっと私1人では手に負えそうになくてですね。できれば応援が欲しいのですが』
☆
雲ひとつ無い綺麗な夜だった。月明かりは差しているものの、足場の悪い山道を安全に進めるだけの明るさは無い。
街灯が無い山道を、携帯電話のライトで照らしながら進む。
こんな時間にこんな場所に呼び出すなんて、過去の大和さんといい今回の鑑華といい頭がおかしいとしか思えない。『約束の泉』という名前がいつ頃付けられたのかは知らないが、きっとそれは旧館がメインとして使われていた時の話だろう。約束を果たすためにまずは山登りとはどういうことだ。
そんなくだらないことに頭を使いながらも足はしっかり動かす。
幸いにして、誰とも遭遇することなく目的地に着けた。
「……来てくれたんだ」
山道を登り終えるなり、声を掛けられる。
「呼ばれたからな」
まだ約束の時間まで30分近くあったが、呼び出し人は既にいた。
泉をバックに1人の少女が立っている。
鑑華美月。
ツインテールはメイドコスチューム時限定だったのか、いつも通りのポニーテールに戻していた。服装も制服だ。
暗い山道で携帯電話の明かりだけを頼りにしていたせいか、開けた場所である泉では月明かりがまぶしく思える。泉に反射しているせいで、こちらを向く鑑華の表情は分からない。
「それで、……何の用だ?」
なぜ、わざわざこんな場所まで呼び出す必要があったのか。
なぜ、クラスの出し物から急にいなくなったのか。
なぜ、仮病なんて使ったのか。
色々と聞きたいことはある。出し物の売り上げ勝負の話もだ。その真意についても。
そう。
だからこそ。
「……逃げて聖夜君。ここから、……すぐに!!」
鑑華から放たれた言葉に、俺の思考は固まってしまった。
★
寮棟、男子寮の405号室にノックの音が響いた。
時刻はまもなく日付が変わろうかという頃。本来ならこの部屋の主が、非常識な訪問者へ怒声を浴びせるタイミングなのだが、生憎と聖夜は留守だ。
代わりに。
「いるす、つかう。むし、むし。するぅするぅ」
度重なるノック。徐々に強くなり最終的には扉を殴るレベルの音が響いたが、ルーナは聖夜の言いつけどおりに無視し、騒音から気を紛らわせるために自らのスーツケースに手を伸ばした。
☆
そして。
「アウトだ。水月」
鮮血が、宙を舞った。
★
「本当にまだ帰ってきてないのかしら」
白い風呂敷を小脇に抱えた舞は、ノックをしていた手を扉から離し首を傾げた。
「そろそろ日付も変わる時間です。お休みになられているのでは?」
「うぅ~ん。なら起きそうなものなんだけどなぁ」
寝ているところを起こすつもりだったのか。可憐は、首を傾げる舞を見て何とも言えぬ脱力感に襲われた。
日本五大名家の1つである白岡から差し出された、聖夜への手土産。
アギルメスタの聖杯。
火属性の契約詠唱を行う際、まず最初に契約しなければならない魔法具。
それを聖夜のところへ持っていくという舞の話を聞いた可憐は、ならば自分もと同伴を申し出た。文化祭終了後、着替えた2人はすぐに寮棟エントランスにある談話室の一角を陣取り、聖夜の帰宅を今か今かと待っていたわけだ。
しかし、いつまで経っても聖夜が帰ってこない。
交代で食事をした。
交代で風呂に入った。
それでも聖夜は帰ってこない。
事情を知らず2人の行動に首を捻る咲夜を先に寝かせ、エントランスで待つもそれでも帰ってこない。
寮棟に、23時の消灯を知らせるアナウンスが控えめなボリュームで鳴り響いたが、状況は何も変わっていなかった。消灯後もエントランスにいるわけにはいかない。万が一、巡回中の寮監にでも鉢合わせしたらおしまいである。
消灯から少し間を置き、こっそり女子棟から抜け出した2人は、これまたこっそりと聖夜の部屋の前までやってきたのだ(パスコードが必要な女子棟と違い、男子スペースはエントランスからそのまま階段で上がれる。※但し、言うまでも無く女子立ち入り禁止※)。
結局、それも無駄骨となってしまったわけだが。
「仕方ないわね。また明日出直しましょうか」
「その方がよろしいかと」
舞の言葉に、可憐が頷いた。
「じゃあ、見付かる前に――、っ」
言葉を詰まらせる舞。しかし、その理由は問わずとも、可憐自らその答えに至っていた。
足音。
既に消灯時間は過ぎ、この廊下も僅かな明かりが照らすだけだ。その中で、隠そうとする素振りすら感じられぬ音が2人の耳を突く。まだ、2人の位置から姿を見ることはできない。
しかし、徐々にその音が大きくなっていることから察するに。
「上ってきてるわね、階段」
「ど、どうしましょう」
「落ち着きなさい。寮監じゃないわ。あの人は巡回中にこんな音を出さない」
そう言いながら、舞も自分自身を落ち着かせた。
今いる廊下に隠れる場所はない。
寮監ではないと断言しつつも、どう言い訳をすべきか考えておこうと舞は眉間にしわを寄せる。
しかし。
「……、……目的地はこの階じゃなかったみたいね」
一際大きくなった後、音は徐々に小さくなっていった。
舞の言うとおり、足音の主はこの階を素通りしたらしい。
「はぁ~」
可憐が舞の後ろで情けない声を上げた。
それを咎めるようなことはせず、舞も幾分か疲れたような声色で。
「戻りましょうか」
そう言った。
☆
――――書き換えを行ったのは、無意識のうちにだった。
目の前で冗談のように吹き飛ばされる鑑華を見て、頭が、身体が、勝手に反応していた。
気が付いたら。
俺は先ほどまでとは違う場所に立っていて。
気が付いたら。
俺は先ほどまでとは違う光景を目にしていて。
気が付いたら。
先ほどまで鑑華が立っていたところには、別の誰かが立っていて。
気が付いたら。
先ほどまでそこに立っていたはずの鑑華を、この手で抱いていて。
気が、付いたら。
「ぐっ!? ごっ、こぷっ!?」
その口から、血がこぼれ出ていた。
先ほどまでは、普通に言葉を発していたその口。
こんな非日常には、縁が無いであろうと思っていたその女の子。
それなのに。
不意の一撃で臓器を傷つけてしまったのか、鑑華は咳と同時に血を吐き出した。息も絶え絶えに、その身体を受け止めた俺の腕にしがみつきながら、鑑華が喘ぐ。
水月。
その言葉でピンときてしまった。
いや。初めから気付くべきだった。
一獲千金。
合縁奇縁。
ふざけたあだ名だと笑い飛ばす前に。
ヒントは、既に掴んでいたはずだったのに。
答えは、初めからそこにあったのに。
鑑華美月。
鏡花水月。
……キョウカ、スイゲツ。
「長髪の男には無様に負けるわ標的を逃がす素振りを見せるわ。何なんですかお前は。いったい何本頭のネジが緩んでんだよこら」
聞き覚えのある声が鑑華を罵る。腕の中の鑑華は、俺へと焦点の定まっていそうにない目を向けた後、ゆっくりとその男へと顔を向けた。
「わ、……るく、ない。……、っ、ごほっ!! ごほっ!!」
「お、おい!! 鑑華!!」
腕の中で鑑華が咳き込む。もはや、話すという動作さえその身体に害を与えている。止めようと抱き寄せる腕に力を入れるが、鑑華は首を横に振った。
「せい、や君は、……わるく、ない。関、け、い、……ない」
「はあ?」
必死に紡ぎ出したその言葉に、見覚えのある男は小馬鹿にしたような声色で言った。
「もうどーでもいいか。戯言は死んでから言えよ。お前もここで終わりだ」
じゃり、と。
一歩を踏み出す音が聞こえる。
「にげ、て」
鑑華は言う。
「に、げて」
鑑華は言う。
自らを自らの血で汚し、冗談ではなく本当に死んでしまうかもしれないこの状況下で。
「にげて」
鑑華は、言う。
深呼吸をする。
鑑華がまた咳き込んだ。
断続的に聞こえてくる砂利を踏む音を意識しながら。
「ちょっと待ってろ。美月」
自らが発した声が、震えていることに気付いて。
「……、せ、いや、……くん?」
俺は自らの頭が沸騰しかかっていることを、冷静に自覚した。
「大丈夫」
そう告げて、しゃがみ込む。鑑華の身体をそっと地面へと寝かせて、座標を書き換えた。
「あ?」
近くまできていた男・一獲千金は呆けたような声を上げる。
「今、何したお前。あの女はどこへ消えた」
「さあな」
立ち上がる。
「それがお前の能力かよ。神隠しですかぁ?」
安全な場所までは運べていない。目で見える範囲にある茂みへ飛ばしただけだ。
“神の書き換え作業術”は、座標を書き換えられた物体の方が、もともとそこにあった物体よりも強い影響力を持つ。鑑華を飛ばした先に木や枝があったなら、それらを散らして転移されているはずだ。
書き換えの反動で鑑華の身体に衝撃がいかないようにするには、この程度の距離が限界だろう。上にずれれば落下の衝撃を与えてしまうし、下にずれれば地面にめり込む。
この暗闇だ。
一獲千金をそちらの方角へ吹き飛ばさなければ気付かれない。それに、あの飛ばした場所なら大丈夫なはずだ。
「まあ、いいかぁ」
首を鳴らしながら、一獲千金は言う。
「答えようが答えまいが関係ねぇ。あの怪我だ。放っておいてもじきに死ぬさ」
俺が能力について語らないのを見て、追及することを諦めたらしい。
ただ、その言葉の中には間違いがある。
「あのまま放っておくはずないだろう」
もはや不快にしか感じない笑みを浮かべる一獲千金へと視線を向けながら、言った。
「すぐに終わらせてやるよ」
「はぁ?」
一獲千金は、俺の言葉を聞いてワザとらしく首を傾げる。
「なぁんて言いましたかぁ今。終わるぅ? すぐにぃ? おいおいおいおいおい! なぁに寝ぼけたこと抜かしちゃってんのよ!! 頭に蛆でも湧いてんのかコラァァァァ!!」
両手を広げ、喚く。
「身の程ってやつを教えてやるよぉぉぉ!!」
広げられた掌から放られた何か。月明かりを反射するそれは、あの時「次回のお楽しみ」と一獲千金が称したものだ。
それを見つめながら、俺は腕に装着していたMCの電源を入れた。
四角い形をした何かが、地面へと転がる。
突如。
「ははははははははっ!!」
今までとは比べ物にならない量の魔力が、一獲千金の身体から噴き出した。その衝撃に煽られ、数歩下がる。そんな俺を見て、一獲千金は更に口角を吊り上げた。
「『3』か!! 『3』かよ!! ちょーっとばかり物足りねぇ気もするが贅沢は言えねぇよなぁ!! つーかお前如き『3』もあれば十分だっての!!」
その魔力に、オレンジの色が混じる。
「なぁおいどうしたよ中条ォ!! ビビッて声も出ませんってかぁ!? そりゃあこれだけの魔力に『火』まで出ちゃあ仕方ねぇよなぁ!! 今なら泣きながら地面に額擦り付けて『お願いします』とでも言ってくれりゃあ一瞬で塵に――」
「……おい」
何やら悦に浸りながら喋り続ける一獲千金に向かって、掌を向け構えを取った。
「こっちは時間が無いんだ」
鑑華の症状はまずい。回復魔法が使えない俺ではどうしてやることもできない。早く専門の魔法使いに診せなければ死んでしまうのだ。
だから。
「それが奥の手だって言うならとっとと来い」
ブチリ、と。
何かがキレた音が聞こえた気がした。
「上ッッッッ等ォォォォだァァァァ!!!! クソ野郎がァァァァ!!!!」
地面が割れる。
それほどの力で跳躍をした一獲千金は、一瞬にして俺との間合いを詰めてきた。オレンジ色の閃光が一獲千金の拳へと纏わりつく。
身体強化魔法の発現。属性の付加。攻撃特化の『火』。
拳は俺に躊躇いなく狙いを定め、一直線に向かってくる。
そして、轟音。
一獲千金が放った拳が俺に触れるのと同時、俺の足場が凄まじい音を立てて隆起する。地割れは直ぐ近くにある『約束の泉』にまで及び、低くはない水柱が噴き上がった。
その中で。
「は?」
その呆けたような声は、確かに俺の耳に届いた。
「なにフリーズしてやがる」
至近距離で目を見開いたまま硬直する一獲千金に、問いかける。
向けられた拳を受け止めたまま、空いている方の拳を握りしめ、思いっきり目の前の顔面へと叩き込んだ。
「ぶぼぅっ!?」
掴んでいた拳を離す。殴られた一獲千金は、そのまま吹き飛び遥か後方の森へと突っ込んだ。木をその勢いのまま数本身体で圧し折ってから、ようやく地面へと転がる。
「あがっ!? ごっ!? あ、ああ!? あっ、あいが、あっが!! ぼうばってびゃがる!?」
「……なるほど。この程度じゃ意識は刈り取れないか」
座標の書き換えて、這いつくばる一獲千金の前まで転移する。俺の姿がすぐ近くにあることを確認した一獲千金は、慌てた様子で木に手をあてて立ち上がった。
「ひぇ、ひぇひぇ!! いふのはひ!?」
「いいから沈め。時間の無駄だ」
俺の回し蹴りが一獲千金の頬を捉える。
それと同時に、伸ばされていた一獲千金の手刀が、俺の腕についていたMCを捉えた。
「お」
MCが破裂する。身体強化魔法で魔力を身に纏っておいて良かった。その衝撃で身体をよろめかせている間に、再び吹き飛ばされていた一獲千金が立ち上がる。
どうやら破壊されたMCに意識がいってしまったせいで、蹴りの威力が弱まってしまったらしい。
「ははっ!! はははっ!!」
頬を腫らし、鼻や口から血を撒き散らしながら、一獲千金は嗤った。
「こはした!! こはしてやっはろ!!」
MCは、魔力の循環を制御するツール。魔法使いの戦闘において、それを狙うのも1つの戦術ではある。
が。
――――“神の書き換え作業術”。
「……本当、何から何まで外道だなてめぇは」
「はっ!?」
背後から聞こえたその声に反応し、一獲千金が身体ごと振り返る。その無防備な腹へと、俺の拳が突き刺さった。
「ぶばっ!?」
血や唾液でぐちゃぐちゃになった塊を吐き出しながら、一獲千金の身体が宙に浮く。浮くというか、突き上がる。
「あー……、少し加減を間違えたか。まあでもお前のせいだからな」
座標の書き換えで同じ高さまで転移した俺は、もはや意識があるかないかも分からぬ一獲千金に告げてやる。
「お前が壊したんだ。ならちょっとばかり多めの魔力で蹴り飛ばしても、文句はねーよな。手違いだから」
回し蹴りで吹き飛ばした一獲千金の身体は、凄まじい水柱を上げて『約束の泉』へと突き刺さった。
☆
後悔は、していない。
一獲千金は言っていた。
『長髪の男には無様に負けるわ標的を逃がす素振りを見せるわ。何なんですかお前は。いったい何本頭のネジが緩んでんだよこら』
長髪の男。
鑑華は、大和に負けた。
なら、大和さんを倒したのは……。
結局、全部が俺のせい。
こいつらは舞や可憐を狙ってやってきたわけじゃない。
それは一獲千金の口から、合縁奇縁の口から、そして鑑華の口から。
間違えようのない事実として理解した。
こいつらが学園を襲ってきたのは、俺のせい。
関係の無い人間が操られ、暴力によって沈黙させられたのも。
関係の無い人間が、関係の無い罪によって罰を受けるのも。
結局、全部が俺のせい。
幽霊探索でようやく見つけ出した一獲千金は、なにがなんでもその場で無力化しておくべきだった。
それができなかったから。
その場で拘束し、その企みを暴けなかった。
その企みは実行され、青藍魔法文化祭は襲われた。
合縁奇縁が、自らを押し殺してまで何かを実行しようとした。
関係の無い大和さんまでもが襲われた。
俺を庇おうとした鑑華が重傷を負った。
結局、全部が俺のせい。
だから。
後悔は、していない。
「回収をお願いしてもいいですか」
「おや、気付いていたのかい」
悪びれた表情ひとつせず。
会長は、茂みからひょっこりと顔を出した。
その両腕には気を失っている鑑華が抱かれている。
「まだ生きているよ。まだね」
俺の視線に気が付いたのか、会長はそう言った。
「良い医者を知っているんだけど、俺が運ぼうかい?」
「結構です」
会長から鑑華を受け取りながら、答える。
「心当たりなら俺にもありますし。……それに」
すれ違う。
お互いの顔は見ずに、会話を交わす。
「俺が運んだ方が早いでしょうから」
「どうやらそのようだね」
後悔は、していない。
たとえこの行動で。
師匠との約束を、破る結末へ辿り着いていたとしても。