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卓巳君の憂鬱(4)

一日が、あっという間に過ぎていった。

 俺の見積もりが間違っていたんじゃないと思いたい。

 それよりも何よりも、他の生徒が平均点を爆上げしてくれてしまったせいで、俺の答案が2枚も赤点に引っかかってしまっていた(驚)。


 2日後までにその答案を完璧に直して再提出しなければならないわ、悪友から次々と遊びの連絡が入るわ、まぁ、そんなことは、この際大したことじゃない。

 家に帰ってくる予定の直樹を心から楽しませてやれるような一発芸を、考えに考え抜いても俺はまだ何も思いついていなかったのだ。


 悪友とカラオケに行くのは諦めた。

 いつも仲の良い、おちゃらけ者の野村、中沢を捕まえたものの、首を横に振られた。

 俺には、絶望的にお笑いの才能などはないらしい...。


「まぁ、卓巳はお笑い芸人より、普通の社畜サラリーマンを目指すんだね、」

「・・・」

「お前、それはちょいキツイ言い方じゃない?」

「あ、ごめん、卓巳。だけど、、。

 う~~ん、10人並みの顔をしているからなぁ、お前。

 あとちょっとで、見ただけで笑える顔に生まれてきたと思えるくらいになったかもしれないけど、惜しかったな。寸止めだわ、」

「いや、だから、それもなんか、キツイって」

 野村、中沢コンビの絶妙なやり取りに俺はぐうの音も出ない。

「・・・」

「お前、カラオケも無駄に上手いしなぁ...歌下手だと、歌うだけで笑えるんだけど、な」

「...わざと、下手に歌ってみようか、」

と、俺は呻くように言った。

「馬鹿だな、そんなん面白くもなんともねえわ、」

「お素人さんは、これだから、」

と、2人揃って顔を見合わすタイミングも実にいい。

 そんなつれないことを言われたものの、それでもなんとか頼み込んで、男子トイレで2人に油性サインペンで腹に変な顔を描いてもらうことに成功した。

 腹踊りというのだそうだ。良く知らないが、日本古来の?伝統芸だそうである。タコ踊りよりは、変な顔がある分、笑えるに違いない。...きっと。


 絵を描かれている時は、めちゃくちゃくすぐったくて、俺が

「はう、は、ああっ、うう~~、ちょ、ちょい、そこはっ!や、やめ・・・ぐはぁ、ははっ」

なんて笑いもだえるものだから、

「そんな、イイ声出すなよ、誰か、来ちゃうだろ?」

「おい、俺たちがお前相手に何か変なことしてるみたいだから、やめろよ」

と怒られていた。

 それでも、誠心誠意の協力をもらい、俺はこの後、腹をぴくぴくさせる練習を独りで積むことにした。

「お笑いは奥が深いんだ、半日程度で教えられるか。とにかく頑張れ!」

「気持ちの問題だぜ、お前が頑張れば、きっと相手も笑って、いや、とりあえず喜んでくれる」

と励まされた。


 とりあえず、赤点2枚のやり直しは後回しにする。野村、中沢コンビにはこれ以上、頼み事は出来ない。似たりよったりの出来だろうから、もう少しマシなヤツに頼まないとまずい。


 腹踊りの練習は、いったいどこでやればいいんだろう?

 一人でカラオケルーム?

 だが、近場は悪友たちが行っているはずだし、いかにもまずい。

 やっぱり家か・・・。家しかないか。

 あ...!

 もしかしたら、もう帰ってきているかもしれない。

 そうだ、母は朝から出かけてたはずだ。

 やはり、直樹の無事な姿を早く見たい、そう思う。直樹の無事を確認してから、踊りの練習のことを考えることにすればいいんだ。

 そう思いついた途端に、無性に早く帰りたくなった。慌てて、駐輪場に走る。



 校門を出ていったん自転車を停めてスマホをチェックした。校内でいじると、スマホを取り上げられるからだ。

 母から何もメッセージが届いていないことに、俺は慌てた。


 ...んだよ、いつも俺には、ちゃんと報告しろ、早く連絡入れろってうるさく言うくせに。

 『なお君と無事に帰宅しました~』くらい、送ってくるはずだと思っていたのに。


 そういえば、直樹だってそうだ。

 なんかメッセージくらい送れるはずだろう?

 お前、俺に感謝してただろう?どうなっているんだよ!

 俺のスマホに2人から何も届いていないなんて...。



 嫌な予感が、した。

 そろそろ本格的に夏か?とか皆が言いあっている日に、俺は何か変な寒気を感じている。


 もしかして、...。

 もしかして、なんか、あったのか?


 俺は、自転車をめっちゃ漕いだ。迷惑そうにこっちを見る人全員に頭をぺこんと下げながら、家に向かって、とにかく走らせた。

 すげー暑いのに、なんか寒い。


 ...。

 もしかして、本格的に入院とか、そんなことだったら・・・仕方ないけれど。

 そうだよな、そんなところだろ?

 だって、もし本当に何かあったら、俺に電話がかかってきたとか先生に呼ばれるだろ?

 いや...。俺は何を考えているんだ。それは、最悪の時、くらいじゃないか。


 たかが入院が延びました、くらいじゃ学校に連絡なんかして来られないものな。


 だけど、だけど。

 くそっ!なんで、ギリギリで赤信号になっちまうんだ?

 

 なんか、昨日は...直樹の様子が変だった。

 あいつは、『最後のお願いでもいい』って昨日、言ったんだ!

 俺は、それをちゃんと聞いてやれなかった。


 あいつは誰かに、一生懸命に電話していて、

 寝てなきゃいけないはずなのに、わざわざ車いすなんかで出て、海外に電話して。

 誰かに・・・ああ、そうだ、俺は今日、検索してたんだ。

 フランス語で『愛してる』ってそういう意味なんだ、あの言葉は。


 くそっ...、なんだよ。俺じゃなくて、誰かあてに。本気の相手に。

 あいつはそいつに泣きながら愛してるって言っていたんだ。

 直樹の『最後のお願いでもいい』という言葉が俺の頭をズキズキさせる。

 俺はかりそめの相手だとしても、直樹のためならきっと我慢して喜んでキスすることだって出来たはずなのに。

 俺は、ただあいつの願いを聞いてあげれば良かったというのに。


 俺の知らないところで、なんか良くないことがあったら、どうすればいいんだ?

 俺の心臓まで、昨日からなんかヤバい気持ちがしているというのに?

 気づけば、直樹のことばかり考えている。もしかして、俺...、いや、違う、違うと思う。


 家に帰り着いた。この帰宅スピードは、俺の中の新記録かもしれない。

 いつもよりも自転車を飛ばしたから、汗びっしょりになった。だが、暑さをあまり感じているとは言えなかった。

 鬼ババア(母)の車が車庫にあった。当たり前のように。

 玄関のカギを開けて、家に飛び込んだ。


「あら、お帰り、ナイスタイミング!」

「ナイスタイミング、じゃないよっ!」

 と能天気なモードな母に、つい吠えた。

 けげんな顔をしてまじまじと俺の顔を見ている母の顔には、緊張感のカケラもなくて、俺は心の底からほっとした。


「え?卓巳?なに、なによ、血相を変えて」

「あ、いや・・・。普通に大丈夫なわけ?

 あのさ、どうして、俺には何も、連絡してくれてな、い、ん、だよ、」

と、ついスタッカート気味に言った。俺は無駄に息を切らしているところなんだ、あんたたちが俺にちゃんと連絡・し・ない・から!(とは言わなかったが)


 ああ、と、鬼ババアは満面の笑みだ。

「あ、ごめんね、そうだよね~、心配してくれていたんだよね?

 卓巳が授業中だったら悪いって思って、つい後回しにしちゃってて。...それに、だってフランスとかあちこちに電話してたら、スマホの充電が乏しくなっちゃって。

 ちょうど今、あんたにメッセージ送ろうとしたんだけど、」

「な、直樹は?」

「今、客間。のんびり寝てるかな、あんたの部屋よりも広いから安静にできるでしょう?

 お布団敷いてからお迎えに行っておいたのよ。今はまだそっとしておいてあげて」

「え?なんで?寝てるの?無事なの?」

「え?無事?無事って、」

母は、にんまりと笑った。

「・・・ああ、無事よ、なんだ~~、卓巳、そんなに心配してくれてたんだ、...。

 今、すごく汗をかいて怖い顔して玄関から飛び込んでくるからさ、なんか猛烈に怒っているのかなと思ったよ~(笑)。

 つい昨日まではなお君に無関心だったから、あんたにこれ以上迷惑をかけないようにって、思っていたのに。

 ごめんごめん、あ~、そうだよね。卓巳は本当は優しいんだから。

 仲良しの兄弟みたいに見えてたみたいだしね、病院では。

 『お兄ちゃんは、今日は来ないのかい?』なんて言われてたよ。

 やっぱり、卓巳の部屋にお布団を敷いておく方が良かったかな。

 なお君は、どっちが良かったのかな♪、遠慮しているのか、私には良い返事しかしないからまた聞いておいてくれる~?」


 俺は、とりあえず力が抜けた。

「...ったく、もういいよ。

 いや、部屋は狭くなるから、そんな気遣いいらないよ。あいつだって広い方がいいだろ?

 たださ、...。心配しすぎたかもしれないけれど。

 ただ、病院に一緒に行ったりしたから、なんかだんだんガチで現実なんだって気づいただけだよ。

 今までなんとなく、あいつが病気でずっと苦しんでるなんて考えたことなくて。漠然としてたから。

 直樹は、そんな大変さを感じさせないからさ、俺今までなにも感じていなかったんだから、ちょっと反省しちゃったわけ」

 母は、俺の良い子的な言葉に喜んだらしい。こんなことなら、お小遣いもこれから弾んでくれそうな気がした。しかもラッキーなことに、テストのことも忘れているのか、聞いてこない。

 満面の笑みで

「ありがとうね~、卓巳。安心した。日本にしばらくいるかもしれないし、これからも優しくしてあげて。もう、お母さん、なお君の代わりにお礼を言いたいわ。

 そうよね、今まで離れていたから、それで疎遠だっただけだもんね、なお君も喜ぶと思うわ。

 あ、そうだ、ちなみに怒らないであげてね。なお君も充電器、忘れて出かけていたみたいで、スマホが使えなくて」

「だから、忘れ物ないかって、聞いてやったのに! ほんと、バカかよ、」


 俺は母に背中を向けて階段を上がった。

 怒ったような声を出しているのに、顔がにまにましそうだったから。

 いや、俺の腹には、にまにました変な顔がマジックですでに描かれているのだが。


 神さま、ありがとう。

 直樹の無事を祈っておいたけど、その祈りを聞き届けてくれてありがとうございます。

 あと、肝心の『赤点にしないで』という祈りの方は、ちょっと忘れておられたと思いますが。

 ですよね、俺ももう少し頑張っておけばいいだけのことなんです、が。

 図々しいようですが、ちょっとここから思い出していただいて。

 出来ればそちらもついでにお願いします。

 あと3科目、やばいの・・・これから返ってきますんで。

 あ、それから。俺は別にいいんですよ、直樹に未練とかないですから。

 出来れば、...。

 俺は、直樹のことを頭に描いただけで、ぐっとつまった。目尻がなぜか熱くなる。


 出来れば、これだけはお願いします。他はもう忘れてくれてもいいです。

 俺のチンケな赤点のことなんて、いいです。

 直樹に幸せか、ご褒美をあげてください。とりあえず。

 直樹が『愛してる』と伝えていた相手と無事に再会して、さらにラブラブになれますように。


 ...そのためなら、俺のことなんか、もうどうだっていいんだ。


 

 直樹が寝ているのなら、今のうちにこの自分の部屋で腹踊りの練習をしよう、俺はそう思った。

「どんな曲に合わせても大丈夫、」って言われたけど、さすがに8ビート、16ビートの曲じゃ無理だ。


 笑えるような曲がいいな、コミカルなやつ。

 いや、逆に大真面目な曲でも面白いのかな、死んだじいちゃんのために焼いてやった演歌のCDでも探すか、あ、そいつは広間のたんすの引き出しの中か。


 直樹が寝ているしなぁ・・・。

 それに俺、汗臭いかもしれないから、少し先に着替えておくか。

 いや、いっそさきに直樹が寝ているかどうか、確かめに行くか、いや、しかし・・・シャワーが先かな、俺は自分の部屋で無駄に行ったり来たりする。


 いや、そういや油性サインペンで描かれた顔、汗でぐちゃぐちゃになっていないかな?

 俺は中途半端にめくって、のぞき込みつつ歩き出そうとして本棚の角に思いっきり頭をぶっつけた。俺がいくら石頭でも、これはすごく痛かった。

 痛い、痛てててて・・・。

 昨夜、あまり寝ていなかったので、やることがちょっとぞんざいすぎるのか。自分の部屋で距離感がつかめないなんて、本当にドジだよ。

 寝不足だよな、確かに。

 ずっと直樹のあの真剣な視線を思い出していた。俺をじっと見つめる眼差し。

 そこから俺はつい勘違いしそうになっている自分を嫌いになり、お前は本命なんかじゃないんだ、そう自分に言って自分をいじめるようにしていたんだ。

 直樹が誰かに電話をかけていなければ、俺は、俺に歯止めがかけられなかったと思う。

 直樹は、恐怖と戦っていて、手近な俺にすがりたかっただけなんだ。


 俺って、なんかどこか誰かにそんなに惚れられるような要素、あったっけか?

 いや、ない。自信を持って言える。

 弟みたいにしか思っていなかったはずの直樹に甘えられてつい、本気になりかけている自分は、バカだ。

 ずっと忘れていたはずなのに、アプローチをされてぐらつくなんて、節操もない。

 可愛すぎるっていうのも、ある意味罪だよな、、。

 俺はただ頑張って、良い兄貴代わりを務めればいいんだ。


 仕方ないので俺は俺のベッドに座り込み、自分で自分の頭をなでてやる。


 ひい~、たんこぶになっているみたいだ。冷やした方がいいのかな、俺は思う。

 そんな俺はちょっと泣いている。痛いのもあるが、安心したんだ。

 良かった、良かった。はあぁ~、俺、すげ~びびってたんだわ、、。

 顔も良くて性格も良い直樹が不幸だから、もうこっちも思い詰めちゃって。

 自分が病気したことないもんな。どうすれば役に立つとか、わかんないんだよ。


 今のぶつかった音で、起きちゃってないかな、直樹。

 俺が自分の頭をなでて泣いていては、情けないな。かっこ悪いし。


 やっぱ、直樹が寝ているかどうか、確かめてこよう。

 俺も眠すぎるから、隣で寝ちゃったらヤバイけど。直樹も眠れなかったんだろうか。あのきれいな顔で、ごうごういびきをかいていたりして。

 ちょっとベッドで数分うとうとしてから、俺は広間に行った。


 そうっと、そうっと...。俺は少しほくそ笑み、わくわくした気分が消せずにいる。寝顔をちゃんと見たかった、それだけなんだけど。キスしたくなったら、してもいいんだろうか。


 直樹は大人しく、布団の中に横になっていた。

 想像した通り、とても大人しく天使の顔で寝ていた。やっぱ、こういうやつだ。

 いびきなんてかいてもいない、うんともすんとも聞こえてこない。


 やっぱ、きれいな顔だな、と無駄に感心する。

 本当に親戚なのかな、俺に近いはずの血が直樹の身体の中に流れているなんて信じられない。

 長いまつ毛がきちんと伏せられていて、起こしちゃいけないな、と頭の中でちゃんと思っているはずなのに、(もちろん、誓って寝込みを襲おうという意図もなく)俺はなぜだか青白い直樹の頬に手を伸ばす。


 冷たい...?

 なんか、冷たいぞ、直樹。エアコンの風が当たっているせいか?

 もしかして、設定が低すぎるんじゃないか?

 俺もしょっちゅう怒られるんだけどさ。

 ま、まぁ付けた直後、ど~~んと冷やしたい欲望に人間は勝てないよな。

 いくら夏掛けをきちんとかけているにせよ、ほっぺが冷たくなっちゃっているじゃないか。


 ...!

 俺の顔から血の気が引いた。


 直樹...!




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