卓巳君の憂鬱(3)
昼頃に確認した直樹のメッセージの感じでは、検査の進行は順調そうだった。
『ありがとう、卓巳。
午後4時くらいに今朝の受付に来てくれれば、一緒に帰れると思うんだ♪
4時半でもいいよ、僕、ロビーの椅子で待てるから』
って書いてきていたのに...。
受付の人が、午前中の人と交代してしまっていたし、患者がたくさんいるんで確認なんだろうが、じぃっと俺を見て、
「お見舞い?...ええと、あなたはご家族の方?どういうご関係?」
と疑わしそうに聞いた。
「あの、入院患者の見舞いじゃなくて、またいとこの関係で親戚なんです。つまり、俺、いえ僕は、直樹の保護者と自分の保護者から今日、任されていたんです」
と話が前後している感はあるが、俺は大真面目に言った。信じてくれなかったらどうしようかって気持ちだった。
うつむいてPCをいじっていた、その無愛想な感じの人が、『ああ、』とようやくうなづいてくれた。
「はい、お待たせしました。双方の親御さんから連絡が入っているのも確認しました。
一応、『入院』っていうことに、こちらのデータでは既に書き換わっているんです、先生のご指示なんでしょう。
すみません、詳しくはここの受付では申し上げられませんので。
...どうしましょうかね、本人の麻酔は醒めているし、もうお見舞いが出来る時間だから、病棟に行っていただいてもいいんですけれども。ただ、先生からの説明は、《明日予定》になっているし、どうしましょうか、主治医の先生は今、別の手術中ですから。あとで先生にも確認しておきますから、とりあえず2号棟のナースセンターに寄ってください。連絡しておきますから。
あなたからも、あなたの親御さんに確認して、相談してみてくださいますか?わかりました?」
と最後の方は、ものすごい早口に言われた。俺の後ろに数名待っている人がいて、それが気になっているようだった。
「はい、...わかりました」
とだけ、声が出て、少しお辞儀をして、後ろと代わった。
喉がからからになってしまって、本当に聞きたいことが聞けなかった。
受付では詳しいことがわからないと最初に念を押されてしまったわけだし。頭がこんがらがっていた。
直樹が麻酔されていたって?
主治医の先生が別の手術?
って、直樹は検査だと思ってたのに、じゃなくって手術?
誰も立ち会っていないのに?
あいつ、一人で、どういうことをされてたんだろう?
2号棟に行って、そこで教わった通りに203号室に行った。
そこは普通の4人部屋で、なんか明るい感じ?のオジサンたちがいて談笑していた。そこへ軽く無言でお辞儀して、ベッドのそばまで行ったが、直樹はいなかった。
俺の後ろから声がかかる。
「お?お兄さんかい?...似てないねぇ。弟さんは、今まさに掃き溜めに鶴が舞い降りたかという感じだなって言っていたんだよ、」
その説に大賛成ですって、言ったらいけないんだろうな。
オジサンたちを掃き溜め扱いしているみたいになるからだ。だから、一瞬考えて振り向いた俺は
「はぁ、どうも」
とだけ言った。オジサンたちは、俺が直樹と比較されてぶさいくと言われて膨れたと受け取ったようだ。
「ま、まぁ、お兄さんも、そのう、イケメンさんだと思うが、
その、タイプが違うねぇ」
お気遣いいただき、ありがとうございます。
言いよどみながら言ってくださらなくても大丈夫ですよ、俺はぶさいくですが、顔と脳みそ以外はイイ感じかと、自分では思うんで。
俺は、腹の中で負け惜しみを言っている。でも、そんな場合じゃあない。
「あ、いえ、ありがとうございます、お世話になります。え~、その、...弟はどこに?」
説明がめんどくさそうなので、兄弟にしておこう、と思った。
「なんか、車いすに載せられてどっか行ったが、看護師さんと一緒だったから、心配しなくても大丈夫だから、ちょっと待ってみたら?」
「あ、...はい」
...車いす...。
今朝がたまでは、直樹、自分の足で歩けていたのに、、。
急に俺の顔が青くなったので、オジサンたちも気の毒そうに
「俺たちは糖尿とか痛風とかだけど、弟さん、どこが悪いの?」
「こら、そういう困るようなこと聞いちゃいけないだろ?」
「そ、そうか、ごめんね、お兄さん。オジサンは入院していると暇だから、つい、ついな」
「あ、いえ...、俺、僕も親にちゃんと聞いていないので、良くわからないんです」
そうなのだ、それは本当だ。
俺は本当に直樹のこと、何も知らない。
今日まで、別に興味も無くて、知ろうともしていなかった。今も特に聞きたくはない。ただ、治ればいいな、と。それが無理なら少しでも長く、本人が楽しく遊んだり微笑んだりできればいいな、と。
そのために必要なことで、俺が出来ることがあれば、やってやらなくちゃな、とは思い始めてはいるんだけど、直樹が本当は俺に何をしてほしいか、良くわからないんだ...。
「俺、あ、いや、僕、ちょっと、売店に行ってきます」
と、病室を出た。オジサンたちが明るくて助かったが、やはり病院は苦手だ。気分が泣きそうになってくる。いや、泣きそうな気分になってくる、か。
エレベーターホールを通り過ぎた階段の横には、電話ボックスみたいなコーナーがあった。その前に『なるべく電話はこの付近でお願いします』っていう注意書きが書いてあるプレートがかけてあった。
あ、母親に電話して指示してもらわなくちゃいけないんだっけ...。
スマホを取り出そうとしていたら、ふと、ここからは見えない奥から微かな声が聞こえてきた。
フランス語だけど柔らかい感じの声、ああ、これは直樹の声だとすぐにわかった。少し猫なで声のような声、それで俺は踏み出せずに立ち止まった。
もちろん、俺にはフランス語はわからない、だが、なんとなく相手にとても甘くジュエームとかなんとか言ってるのが聞こえた。チュッという感じの音を立てた、のも何となくわかった。
聞いてしまって良かったんだろうか、胸がドキドキしてわけがわからないまま、そうっと脇の階段を上がり、4階の同じ用途のスペースまで行って、母に電話した。電話する前に、直樹からのメッセージが届いていたのはわかったが、なんとなく未読スルーして、先に母にかけた。
受付の人と主治医の先生と母と直樹の親とで、すでに話はついてしまっていたようで、明日は俺は学校だし、逆に母が一日休みが取れたので、俺はもうとっくに用済みになったのだけは、わかった。
どうしよう、いっそもう会わないで帰ろうかって考えつつ、届いていた直樹のメッセージを確認する。
『卓巳、連絡遅くなってごめんなさい。こっちに向かっているかもしれませんが、まだいくつか検査するらしいので、病院に寄らずにお家に帰ってくれて、大丈夫です。無駄足させたらごめんなさい』と書いてあった。気を遣っているつもりなのかもしれないが。
うん、そうしよう、そう決心ができた。
今日の俺は、とりあえず用済みなんだ。
病院のことは大人が何とかしてくれているし、直樹のことは、たしかフランス語できっと、愛してるとかなんとか、そんなんだ。
すがったり甘えたりする相手がいるのに、全然俺の出番なんか、そもそもないわけで。
直樹は今、病院の安全な場所にいて、なんか車いすかもしれないけれど、大丈夫なんだ、甘えたような声もちゃんと出せていたし。電話越しにキスをプレゼントしている元気だってあったんだから。
そのままエレベーターに乗って1階のボタンを押したが、一緒に乗ってきたオバサンたちがにぎやかだったので、同室のオジサンたちのことを思い出してしまった。
やばい、オジサンたちが直樹に
「お兄さん、さっき来てたよ?
売店に行くとか言ってたかな、君の事、探しに行ったみたいだよ?」
と言ってしまうに違いない。
あいつは、そういうのはアホだから、俺をずっと探し回るんだ。
小さい頃に、俺が意地悪をして隠れると、半泣きになりながら、それなのに諦めずにずっと探し回って、それから熱を出して、それで俺がどんだけ怒られたことか。
結局、俺は一階でオバサンたちと降りて、エレベーターじゃなくて、階段を上った。
病院では一人静かに昇降したかったら、階段に限ると悟った。
俺は、今日ひとつ利口になった。
ついでに、なんか俺はさっきからカチンときたような顔になっちゃっていた気がするので、階段を上がる間に顔を普通バージョンに戻すこともできる。
それも悟った。俺は、自分の経験値が上がり過ぎて困っちゃうくらいだ。と全然考えなくてもいいことを考えていた。
「失礼します」
と、203号室の入口に行ったら、オジサンたちはさっきのメンバーが一人いなかったものの、『予想通り』という感じでにやっと笑いかけてくれて、
「ほら、お兄さん、すぐに戻って来てくれたよ?」と窓側の直樹のベッドへ向かって声をかけてくれる。
「あ、はい、ありがとうございます」という声がかろうじて聞こえた。
俺はペコンとオジサンたちに頭を下げて、直樹のベッドの方まで行った。
「よう、大丈夫か?」
「あ、ごめんね、寝たままで。
今はまだあまり起き上がったりしたらいけないみたいで。検査がまだもう少しあって。
ごめんね、結局卓巳に無駄足をさせちゃって」
「いいよ、俺がスマホを確認しないでそのまんま来ちゃっただけだから、」
点滴が2つぶら下がっていたし、今朝がたよりも青白い顔だ。
起き上がってくれるなよって俺も思った。
じゃ、じゃぁ、さっき誰に、あんなに甘い声で電話なんかしていたんだ?
お前、絶対に無理をしていただろう、...。わざわざ起き上がって、車いすに乗って電話をかけに行くなんて。
俺は、傍らに置かれた車いすを見た。
「あのさ、...歩けなくなったの?」
「あ、うん、ううん、違うんだ。
別に、歩けるんだけど、まだふらふらしたりするから。無理して倒れたら困るからって。だから、念のための、車いすなんだよ」
ああ、俺はようやく息を吐きだした。
「そうなんだ、ご飯、今日はなんか食べれた?」
「ええとね、一応、うん。流動食というか少しもらえるんだ、」
「ごめん、じゃ、売店でなんか買ってきてあげられないね?」
「ううん、気を遣わないでよ。
あ、そうだ、卓巳は、お昼は何を食べたの?」
懐が急に温かくなったので、久しぶりにでかいバーガーをセットで注文して心ゆくまでガツガツ食べていたなんて、言えるはずもなく。
「あ、ええとさ、本を読むのが忙しくて、ささっとさ、結局つまらないものを食べてた」
「そうか、勉強も忙しいのに、わざわざ病院に寄ってもらってごめんね、しかも空振りで無駄足なんて。
僕、卓巳と家に帰りたいな...」
俺は、泣きそうになる。
「ま、まぁ明日は、ちゃんと母さんが来て、主治医の先生の説明にも立ち会ってくれるから。むしろその方が良かったかもしれないし、さ。安心して。
そんじゃ、そろそろ、俺、帰るわ」
「うん、わかった。でも、あの、」
そして小声で付け加えた。
「...残ってる分のおまじないは?」
俺は一瞬、その微かな声を聞き逃しそうになり、理解しようとして直樹を見つめた。まともに直樹の視線とぶつかった。
慌てた。
きれいなまっすぐな目。
気持ちが全部、矢のように俺に向かってくるような、目。
自分の心臓が、すごい音を立てて急に暴れだしたような気がした。
...こっちが医者にかからなければならなくなったらどうしようかとバカなことを考えた。そのまま小声で
「ここじゃ、あまりに...マズイだろう?」
と俺は答えた。
最初からカーテンは半分以上引いてあって、オジサンたちもお昼寝を始めたのか、それぞれに静かだったが。
だから、見ていない、だろうけれど・・・。
「お願い、卓巳。分割払いの残りがあるよね?
ねぇ、本当に一生のお願いだから。最後のお願い、でもいい、」
ばかな、と思った。どうして、そう直樹は大げさなんだろう、と俺は少しイラっとする。
「・・・一生とか、最後とかにしなくていいから。家で、あのさ、明日家に帰ってきたら、もう、本当にやるから。約束するから、スペシャルご褒美バージョンで」
直樹は少し微笑んだが、さらにねだるような目で
「・・・じゃ、ちょっとだけ卓巳の手を貸して?」
そう言って、弱々しい腕を持ち上げようとするから、慌ててそばにいって手を出した。
直樹が俺の手に唇を押し付ける。
そのまま直樹が目を伏せたから、また俺は直樹のまつ毛に見とれていた。、はずだったんだけど...。
見とれて終わりじゃなくなってしまって、結局俺はかがみこんで、直樹の頬とおでこに素早くキスした。
泣きそうだった。
そんな俺を見上げるから、、本当に、キスなんかこんな病院のところでするつもりじゃなかったのに、俺は...。
だが、直樹があまりに可哀想で、口走っていた。
「帰ってきたら、直樹のリクエストをちゃんとなんでも聞くから。検査を頑張ったご褒美を、ね。明日なんてすぐにやってくるじゃん。何でもいいよ、何でもいいから考えておけ」
「本当に?」
と聞いた直樹の目も潤んでいた。さっきの目と全然違うな、そう思った。
あの印象的な、本気の瞳。
半分ほっとして、半分、あのさっきの目は、もう1回見たいくらいすごかったな、とか考えながら、俺はそれをごまかすかのように
「約束するから。
お前が望むことで俺ができることがあれば、何でもするから!
俺は、お前の病状とか良くわからないけど頑張れ。あ、いいや頑張らなくていいから、ちょっと耐えていろ。医学は進歩してるはずなんだろう?」
俺の必死な応援の気持ちが伝わったのか、直樹もようやく微笑んだ。
「うん、頑張る。頑張れなくても、耐える。
我慢するね、明日帰るからね、約束だからね。
卓巳のおかげで、僕、元気が出た」
俺は、その言葉にうんうんうなづき、握手して部屋を出た。
俺は、フランス人の誰かの代わりでもいいんだ。
直樹の本当の恋人かもしれない人の。
でも、その人が今ここに来られてないのだから。
俺は、全然気づかないふりをして、直樹をとりあえず、笑顔にしてやりたい。そして、無事に笑顔でフランスに帰れるように。
とりあえず、なんでもやってやる、って約束したんだからな。
明日、帰ってきたら、何か笑える一発芸でも披露するか。
何も思いつかないけど、タコ踊りだってなんだってやってやるさ。...喜ぶかわからないけれど。